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第2章 さまよう心
6 思いがけない提案
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「私がエスツェリア軍に追われているというのなら、クレイとは一緒にはいられない」
クレイの手がそっと頬に伸びた。
頬に冷たい感触。
クレイの親指に嵌められた指輪が視界に入る。冷たかったのは指輪だった。
「君のためならこの命だって惜しくない」
クレイの碧い瞳に吸い込まれそうになって、ファンローゼは視線をはずした。
ふと、ファンローゼの目が壁際の本棚に向けられる。
棚の一列を埋める、とある作家の本に目がとまる。
「この作者……」
「ああ、クルト・ウェンデルだね。僕の尊敬する作家なんだ」
「尊敬する?」
「彼の本はすべて読んだよ。だけど、彼がエスツェリアを批判する人物だということが発覚し、クルト氏の作品はまるで民衆を挑発するかのように、いや、みせしめだというように、軍によって燃やされた。今では彼の本はもう手に入らない。彼の素晴らしい作品をあの野蛮なエスツェリア軍が!」
クレイは握った手を震わせた。
「そして、クルト・ウェンデルは三年前に突然、姿を消した。その後、行方が分からない」
心底悔しそうにするクレイを見つめ、ファンローゼはコートのポケットからぼろぼろになった一冊の本を取り出し、クレイの前に差しだした。
「これは……?」
本を受け取ったクレイは、目を見張らせた。
「なぜ、この本を君が……」
ファンローゼは分からないと首を振る。
「記憶をなくす前から私が持っていた本らしいの。マーティンおじさんが私を見つけてくれたとき、大切に胸に抱え持っていたと」
「嘘だよね。まさか……こうしてクルト・ウェンデルの本に巡り会えるとは思わなかったよ」
クレイはファンローゼの持っていた本を高くかかげた。
よほど興奮しているのか、顔を紅潮させている。
「ああそれも……クルト氏の最新刊にして最終刊。未完だと思われていたあの小説が実は完結していたなんて! まるで夢のようだ」
子どものように目を輝かせてはしゃぐクレイを見つめていたファンローゼの視線が、ふと、窓際の机に向けられた。
そこには原稿の束と筆記具。
原稿にはクレイらしく、丁寧な文字が綴られている。
「意外だわ。クレイは本を読むだけが趣味ではないのね」
途端、クレイは慌てたように原稿を手で隠した。
「これはたんなる、しゅ、趣味」
「クレイが小説を書いていたなんて驚きだわ。そんな素振りは見せなかったもの。実は私も……」
言いかけてファンローゼははっとする。
「前にって、もしかして何か思い出した?」
ファンローゼはううん、と首を振った。
つい言葉に出したが、何かを思いだしたというわけではなかった。
「ねえ、ファンローゼ」
クレイが真剣な眼差しでファンローゼを見つめた。
「もしかしたらだけど、君はクルト・ウェンデルの娘ではないのかな?」
「私がクルト・ウェンデルの……?」
「ああ、だって発売前にエスツェリアの軍によって処分されたはずのこの最新刊、世に出ることのなかったこの本を手にしているということは、君が直接クルト氏から手渡された可能性が高いと思えないかい?」
「分からない……」
「自分の本の続きを楽しみにしているウェンデルが、娘に真っ先に本を手渡してもおかしくはない」
自分がクルトの娘かもしれないと言われても、現実味がわかなかった。
それにクルト・ウェンデルは貴族。
もしも、自分が彼の娘だとしたら……。
私が貴族。あり得ないわ。
うつむいたファンローゼの両肩にクレイは手をかける。
「その可能性がないわけではない。あるいは、君はウェンデルに近しい人物だということもある。もしくは、出版社関係の身内ということも」
ファンローゼはさらに分からないと、何度も首を振る。
「ファンローゼ、エティカリアに戻ってみないか?」
「え?」
怯えた目でファンローゼはクレイを見上げる。
自分はエスツェリア軍に追われている。
それを分かっていながら、エティカリアに向かうのは危険以外の何ものでもない。
「この本を手がかりに、クルト氏を探してみないか。それに、クルト氏の作家仲間や出版関係者を見つけられたら、君自身のことも何か分かるかも。ひょっとすると記憶も思い出す可能性も」
「無理よ……エティカリアに戻るなんて」
決してエティカリアには行ってはいけない危険だと、心が告げている。
「もちろん、僕も君について行く」
「だめよ! 仕事はどうするの?」
「しばらく休暇をもらえるよう頼んでみる」
あっさりと言うクレイに、ファンローゼは慌てた。
「僕でもきっと役にたつことがあると思う。必ず君のことを守る」
クレイの手がそっと頬に伸びた。
頬に冷たい感触。
クレイの親指に嵌められた指輪が視界に入る。冷たかったのは指輪だった。
「君のためならこの命だって惜しくない」
クレイの碧い瞳に吸い込まれそうになって、ファンローゼは視線をはずした。
ふと、ファンローゼの目が壁際の本棚に向けられる。
棚の一列を埋める、とある作家の本に目がとまる。
「この作者……」
「ああ、クルト・ウェンデルだね。僕の尊敬する作家なんだ」
「尊敬する?」
「彼の本はすべて読んだよ。だけど、彼がエスツェリアを批判する人物だということが発覚し、クルト氏の作品はまるで民衆を挑発するかのように、いや、みせしめだというように、軍によって燃やされた。今では彼の本はもう手に入らない。彼の素晴らしい作品をあの野蛮なエスツェリア軍が!」
クレイは握った手を震わせた。
「そして、クルト・ウェンデルは三年前に突然、姿を消した。その後、行方が分からない」
心底悔しそうにするクレイを見つめ、ファンローゼはコートのポケットからぼろぼろになった一冊の本を取り出し、クレイの前に差しだした。
「これは……?」
本を受け取ったクレイは、目を見張らせた。
「なぜ、この本を君が……」
ファンローゼは分からないと首を振る。
「記憶をなくす前から私が持っていた本らしいの。マーティンおじさんが私を見つけてくれたとき、大切に胸に抱え持っていたと」
「嘘だよね。まさか……こうしてクルト・ウェンデルの本に巡り会えるとは思わなかったよ」
クレイはファンローゼの持っていた本を高くかかげた。
よほど興奮しているのか、顔を紅潮させている。
「ああそれも……クルト氏の最新刊にして最終刊。未完だと思われていたあの小説が実は完結していたなんて! まるで夢のようだ」
子どものように目を輝かせてはしゃぐクレイを見つめていたファンローゼの視線が、ふと、窓際の机に向けられた。
そこには原稿の束と筆記具。
原稿にはクレイらしく、丁寧な文字が綴られている。
「意外だわ。クレイは本を読むだけが趣味ではないのね」
途端、クレイは慌てたように原稿を手で隠した。
「これはたんなる、しゅ、趣味」
「クレイが小説を書いていたなんて驚きだわ。そんな素振りは見せなかったもの。実は私も……」
言いかけてファンローゼははっとする。
「前にって、もしかして何か思い出した?」
ファンローゼはううん、と首を振った。
つい言葉に出したが、何かを思いだしたというわけではなかった。
「ねえ、ファンローゼ」
クレイが真剣な眼差しでファンローゼを見つめた。
「もしかしたらだけど、君はクルト・ウェンデルの娘ではないのかな?」
「私がクルト・ウェンデルの……?」
「ああ、だって発売前にエスツェリアの軍によって処分されたはずのこの最新刊、世に出ることのなかったこの本を手にしているということは、君が直接クルト氏から手渡された可能性が高いと思えないかい?」
「分からない……」
「自分の本の続きを楽しみにしているウェンデルが、娘に真っ先に本を手渡してもおかしくはない」
自分がクルトの娘かもしれないと言われても、現実味がわかなかった。
それにクルト・ウェンデルは貴族。
もしも、自分が彼の娘だとしたら……。
私が貴族。あり得ないわ。
うつむいたファンローゼの両肩にクレイは手をかける。
「その可能性がないわけではない。あるいは、君はウェンデルに近しい人物だということもある。もしくは、出版社関係の身内ということも」
ファンローゼはさらに分からないと、何度も首を振る。
「ファンローゼ、エティカリアに戻ってみないか?」
「え?」
怯えた目でファンローゼはクレイを見上げる。
自分はエスツェリア軍に追われている。
それを分かっていながら、エティカリアに向かうのは危険以外の何ものでもない。
「この本を手がかりに、クルト氏を探してみないか。それに、クルト氏の作家仲間や出版関係者を見つけられたら、君自身のことも何か分かるかも。ひょっとすると記憶も思い出す可能性も」
「無理よ……エティカリアに戻るなんて」
決してエティカリアには行ってはいけない危険だと、心が告げている。
「もちろん、僕も君について行く」
「だめよ! 仕事はどうするの?」
「しばらく休暇をもらえるよう頼んでみる」
あっさりと言うクレイに、ファンローゼは慌てた。
「僕でもきっと役にたつことがあると思う。必ず君のことを守る」
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