令嬢は元暗殺者に恋をする ─ 私が愛した人は異国の暗殺者だった人でした ─

島崎 紗都子

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夕焼け

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 サラ──。

 微睡みのなか、そっと名を呼びかける声が耳に落ちる。
 静かに、そして、甘く優しくささやく声。
 何度も髪をなでてくれる手が心地よい。
 とくとくと耳に響くハルの鼓動が自分の鼓動と重なって、それだけで安心感に満たされていく。

 このままずっと、ハルの腕の中で眠っていたかった。
 幸せの余韻にひたっていたかった。

「サラ」

 もう一度耳元で名前をささやかれ、サラはゆっくりとまぶたを開く。
 自分を見つめている藍色の瞳が間近にあって、サラは恥ずかしそうに視線をそらし、きゅっとハルの身体にしがみつきその胸に顔をうずめた。
 わずかにまぶたを落としたハルの、藍色の瞳の奥にちらりと揺れ動く色香を忍ばせた影。
 こぼれる吐息まで艶っぽい色がついていそうで。

「雨があがったよ」

 ハルは窓辺へと歩み、空を見上げ眩しそうに手をかざした。
 差し込む夕陽がハルの素肌に橙色の光を落とす。

「うわあ……」

 目に飛び込んだその光景に、サラは口元に手をあて感激の声をもらした。
 たなびく雲の波間から、いくすじもの黄金の光が地上に降りそそぐ。
 遠くに見えるアルガリタの王宮が、天から差す金色の光をまとい輝いていた。
 さらに、王宮の向こう、悠々と連なる山々の脊梁が茜色の空に黒い波線を描き、その山の合間に今にも沈みゆこうとする夕陽が輪郭をにじませ溶けていく。

 見る景色は昼間と同じ。
 なのに色が違うだけでこんなにも世界が変わるとは。
 眼前に広がる夕焼け色に染まったアルガリタの町並みもまた格別だと思った。

「きれいだわ」

 側に立つハルの顔を見上げ、サラは瞳をきらきらとさせた。

「雨があがってよかった。もしかしたら夕陽は見られないかもってあきらめていたの」

 サラは丘のふちまで駆けていく。
 雨に濡れた草の露が跳ね返り、衣服の裾を塗らしたが、そんなことは少しも気にはならなかった。
 緩やかに空は薄紫色に染まり、辺りに薄暮が迫り始める。
 街はそろそろ火点し頃。あちこちの家々から炊煙が立ちのぼり、暗さを増し始めた高い空へゆらゆらと揺れながら消えていく。 
 ふと、辺りを震わせる笛の音に、サラは振り返ってハルを見る。

「ハル……」

 町の喧噪はここまで届かない。
 ゆっくりと世界が静かな闇に閉ざされゆこうとする中、もの悲しさを漂わせる笛の音色が遠くの空へ緩やかにのぼり、吸い込まれる溶けていく。
 サラは目を閉じて、じっとハルが吹く笛の音に耳を傾けていた。
 しらずしらず目の縁に涙が盛り上がり、曲げた人差し指を目元にあてこすった。

 ここで、こんな場面で笛を吹いてくれるなんて、感動して涙がこぼれそう……。

 笛の音が終わると同時に、山の向こうに顔をのぞかせていた夕陽がすっかりとその姿を消してしまった。
 夕闇に染まり始める空に星がまたたき始める。
 ハルに背を向けたままサラはその場に立ち尽くした。唇を噛みしめ涙をこらえるように震わせるサラの背に、ハルがふわりと腕を回し抱きしめた。
 丘の下から吹き上げる風にサラの衣服の裾が、髪があおられる。

「風が冷たくなってきた。帰ろうか」
「うん」

 吹く風から守るように、ハルの腕が肩に回された。
 どこか名残惜しい気持ちでサラはうなずき、ぴたりとハルに身を寄り添えた。
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