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エルフォードの亡霊5

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 4日目の朝を迎えた。
 エレナの意識は戻らない。
 ただ昏々と眠り続ける、その表情は安らぎに満ちており、来るべき旅立ちの時を穏やかに待っているようであった。

 ゼロは朝から昨夜の戦いの後始末をしていた。
 敷地内のそこかしこに散乱している魔物の死体を回収して完全に灰になるまで焼却する作業を繰り返していた。
 屋敷の使用人が手伝いを申し出たが、魔物の死体であることもあり、ゼロが1人で処理することにした。

 1人で作業をしているゼロのもとにマイルズが休憩の誘いに来た。

「ゼロ殿、お茶でもいかがですか?」

 マイルズに誘われて作業を中断して屋敷の庭先のテーブルで休憩を取ることにする。

「先ほどエレナ様が意識を取り戻しました。ただ、混濁気味で私共に視線を向けて頷く程度の反応しかありません。今は主治医が診ておりますが、安定はしているものの、長くはないようです」
「そうですか」
「もう、本当にその時なのですね」

 ゼロは何も答えられなかった。

「そういえば、ゼロ殿に依頼する前に高位の神官様にお願いしたことを覚えておいでですか?」
「はい、解決に至らなかったと」
「左様でございます。神官様を恨むような気持ちはないのですが、仮にあの時にゼロ殿にお願いしたならば結果は変わっていたのでしょうか」

 ゼロは思案した後に口を開いた。

「仮定の話しはしたくはありませんが、数ヶ月前、まだエレナさんの夢の中に潜んでいた夢魔を突き止められたかどうかは自信がありません。また、セレナさんの霊も相当弱っていましたから、死霊術師として意志の疎通ができたかどうか・・・。ただ、セレナさんの霊は邪気を纏っていなかったからこそ霊を浄化しようとする神官では彼女に気がつかなかったのだと思います。これは死者を隣人とする死霊術師と聖職者の違いであって、能力の問題ではありませんね」
「そうですか・・・」

 マイルズはお茶を啜る。

「それからもう一つ、奴にとどめを刺す機会を私に譲っていただいて、心遣いに感謝いたします」

 マイルズの謝意にゼロは肩を竦める。

「実は、マイルズさんに華を持たせただけではないのですよ」
「と申しますと?」
「夢魔を確実に仕留めるために聖水を使うことは不可欠だったのですが、実は私は聖水が体に付着すると火傷をしてしまうのですよ」

 ゼロは笑った。

「それは・・・何故」
「別に私が浄化されてしまうとか、私が魔物とかいうわけではありません。ただ、死霊術師の私は常に体に死霊の気を纏っているんです。その気に聖水が反応してしまいまして、軽い火傷を負ってしまうんです」
「それはそれは、不便なものですな。でも、そのおかげで私はあの時だけはエレナ様の騎士でいられたのですよ」

 そう語るマイルズは事を成し遂げた男の表情だった。

 お茶を飲み終え、ゼロは作業に戻り、マイルズもエレナの寝室に戻っていった。

 その後もゼロは黙々と作業を続け、太陽が天頂を越えて午後になり、ゼロの作業も殆どが終わりそうな頃、1頭の馬が屋敷の敷地に駆け込んできた。
 馬を操る男の他に1人の少女が乗っており、屋敷内から飛び出してきたメイド達に案内されて中に駆け込んでいった。
 エレナの孫娘のセシルが到着したようだ。
 ゼロはその様子を横目に作業を終えて後片付けに取りかかった。

 そして、一刻程の後、片付けも終えて休んでいたゼロの前にマイルズが現れた。

「先ほどエルフォード家当主エレナ・エルフォード様にあらせられましてはご逝去なさいました」
「・・・間に合いましたか?」
「はい、セシル様が到着した折にはエレナ様も僅かながら意識があり、穏やかな笑顔でセシル様を迎え、そのお手を握ることもできました。それから半刻程、2人きりの時間を過ごすことができ、最期は私共使用人を含め、セシル様に見守られながら眠るように旅立たれました。それは安らかな旅立ちでした」
「それは良かったですね」

 マイルズはゼロに深々と頭を下げた。

「此度の一件、わがエルフォード家はゼロ殿にはどれほど感謝してもし尽くせない程の大恩を賜りました。つきましては、エレナ様の安らかなご様子をご覧になっていただきたいことと、次期当主セシル・エルフォード様がご挨拶とお礼を述べたいとのことです」

 言葉を聞いたゼロは首を振った。

「どちらもお断りします」
「なんですと?」
「私のここでの役目は終わりました。確かに私はマイルズさんの、エルフォード家の依頼を受けて参りました。しかし、ご存知のとおり私は死霊術師です。死霊の気を纏っている私が安らかな死を迎えた方に近づくのは好ましくありません。それに、次期当主のセシルさんは新たなエルフォード家を担う者として、私のような者と接点を持たない方がいいでしょう」
「しかし、ゼロ殿!当家はそのようなことは・・」

 ゼロはマイルズの言葉を遮る。

「それは分かっています。それでもです。お気持ちだけで。お断りさせていただきます」
「しかし、それではゼロ殿に何も報いることができないではありませんか」
「いえ、今回の依頼ではたっぷりと報酬をいただけますから」

 ゼロは笑った。

「そんなもので今回のご恩は!」

 食い下がるマイルズを前に暫く考え込んだゼロは

「そうですね、実は今回の一件でマイルズさんと知己を得られたことは私に取って大きな収穫なんですよ」
「なんと!」
「昨夜の戦いの最中、不謹慎ですが、マイルズさんと共に戦った時、安心して背中を任せられる仲間がいるのもいいと思いましてね」
「それは光栄でありますな」
「そうですね、今回の報酬以外で私に報いてくれるならば私の友になってくれて、たまに酒でも酌み交わしてもらえれば十分ですよ」

 マイルズはゼロの手を握った。

「私の方こそ、この歳になりまして素晴らしい友を得られるならば嬉しい限りです。お互い歳は離れておりますが、このガストン・マイルズ、ゼロ殿の生涯の友とさせていただきましょう」

 2人は固い握手をした。

「それでは、依頼も達成したので、私は風の都市に戻ります。ああ、歩いて帰りますからね、送りの馬車は不要です」

 ゼロは歩き出し、マイルズはゼロを正面門まで見送った。

「ゼロ殿はどう思われても、この一件はエルフォード家は決して恩を忘れることはありません。ゼロ殿に危機が迫るならばエルフォードは全力を持って支援させていただきます。私個人としても友の危機とあらば万難を排して駆けつけますぞ」

 ゼロは苦笑した。

「マイルズさんも引き下がりませんね」
「粘り強い引かない心、鉄壁の守り。それがエルフォード騎士の本懐でありますので」

 ゼロとマイルズは最後に再び固い握手をして別れた。

 風の都市に向かって歩き出した時、涼やかな風がゼロを包んだ。
 風に誘われてエルフォード屋敷を振り返ってみたところ、屋敷の2階テラスからゼロを見送る少女の姿があった。
 その少女は振り向いたゼロに深々と頭を下げた。
 ゼロも軽く手を上げて応えた後に踵を返し、その後は振り返ることなく風の都市に向かって歩いていった。
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