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待つ者の覚悟

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 風の都市の冒険者ギルドは今日も多忙を極めていた。
 魔王軍との戦いに多くの冒険者を派遣しているギルドだが、冒険者が減ったからといって依頼が減るわけでもない。
 限られた冒険者で数多くの依頼を捌かなければならず、その調整のために職員達の負担も倍増している。

 受付主任シーナ・リドルナも冒険者を送り出して以降、休み無しで働き続けていた。
 とはいえ、魔王軍との戦いに送り出した冒険者に比べれば、多少の忙しさなどはどれほどでもない。
 特にゼロのことを自分の手で生還の望めない死地に送り込んだことに比べれば。
 送り込まれた先で数多の危機をくぐり抜け、生き延びたゼロを今度は軍務省に編入させ、レナやイズ、リズ兄妹を巻き込んで更なる危険な任務に送り込んだことに比べれば、1日の仕事を終えれば宿舎に帰ってベッドで眠ることが出来る自分の忙しさなどに負けるわけにはいかないのだ。

 今日も日が暮れて宿直の男性職員と冒険者への引き継ぎを済ませたシーナはギルドを出た。
 冒険者達を魔王軍との戦争に送り出した後のシーナは仕事の後に自らが信仰するシーグル教会に祈りを捧げに行くことが習慣になっていた。
 教会ではレナを始め、1人を除いた全ての冒険者達の無事の帰還を祈っていた。
 旅立ちの際のレナとの別れ、彼女の覚めた目が頭から離れない。
 でも、彼女が無事に帰ってきてくれれば、かつての関係を取り戻すことが出来ると信じている。

「レナさん達は今、ゼロさんと共に戦っているのでしょうか」

 魔王軍との戦いの戦況は風の都市までは伝わってこない。
 開戦当初は連邦国と帝国の国境の砦攻防戦で戦死した冒険者の報告と遺品が届けられたものだが、連合軍が帝国領内に攻め入ってからは冒険者の戦死報告も来なくなった。
 帝国領に攻め入ったのは連合軍と選抜された勇者や英雄達で冒険者が帝国領には送られていない筈だ。
 そういう取り決めになっていた筈で、風の都市には勇者も英雄もいないから冒険者達の危険は少なくなったのだろうと思う。
 英雄志望のレオン達も無事なのだろう。
 しかし、ゼロとレナ達は違う。
 彼等は軍務省に編入されて帝国領内で戦っているのだ。

「シーグルの女神様、この戦いで命を失った全ての者の魂に安らぎを、この風の都市から旅立った、いえ、この戦争で今も戦っている人々が無事に帰ることが出来るよう、ご加護を授けてください」

 彼女が跪いて祈る祭壇には彼女の長く美しい髪が置かれている。
 シーナが教会に祈りを捧げると決めたその日に自ら切った髪だ。
 シーグル教の作法では神に願いの祈りを捧げる時には自らの一部を捧げるとされている。
 願いの初日に祭壇に捧げて祈りを捧げる。
 祈りの際以外にはそれを肌身離さず持ち歩き、祈りの時にだけ祭壇に捧げ、祈りが成就したならば最後に感謝の祈りと共に神に奉納するのだ。
 ただ、捧げるのは血の1滴でも、爪の先でも、髪1本でも良いのだが、シーナは自らの覚悟として彼女の自慢でもあった長い髪をばっさりと切ったのである。

「祈りのために髪を切ったなんて、ゼロさんはどう思うでしょうか?・・・きっと何とも思わず、感心してもくれず、叱ってもくれないでしょうね」

 祈りを終えたシーナは教会では唯一無事を祈らなかったゼロのことを思った。

 教会を出たシーナはこれまた日課になっている都市の高台にある公園に立ち寄った。
 とっくに日は落ち、見上げれば満天の星空が広がっている。
 シーナは首に下げたアミュレットを握りしめた。
 ゼロから貰ったネクロマンサーの御守り、今、帰りを待つ身の彼女の心の拠り所はこのアミュレットと星空だった。
 闘技大会の決勝前夜に聞いたゼロの思いと背負っているもの。
 語りながら星空を見上げるゼロの背中を忘れることができなかった。
 シーナが星空を見上げる時、遠い場所でゼロも同じ星空を見上げていると信じていた。
 星空を通してゼロと繋がっていると思うだけでシーナは少しだけ幸せだった。
 そして、星空の下でシーナはゼロただ1人の無事を願った。

「きっと、ゼロさんが無事に帰ってきても、ゼロさんの隣は空いていないでしょう。でも、だからといって私がゼロさんを諦める理由にはなりません。相手がレナさんだろうが、リズさんだろうが、他の小娘だろうが、正々堂々とゼロさんを奪い取ってみせます」

 風の都市でゼロの帰りを待つシーナは不退転の覚悟を決めていた。
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