猫がいた風景

篠原 皐月

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翔の気遣い

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  夏休みの時期になり、俺達は例年通り一家揃って実家に出向いた。

「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは!」
「おう、相変わらず元気だな、翔」
「縁ちゃんも一歳になって、また一回り大きくなったわね」
「もうつたい歩きをするので、なかなか目が離せなくて」
「あらあら、大変ね」
 翔が元気良く玄関で出迎えてくれた両親に挨拶し、佳代もにこやかに会話に加わる中、俺は無意識に足元に目を向けた。

「なぉ~ん」
 そこにお行儀良く座って声を上げたハナを見て、俺は何気なく彼女の相方について尋ねる。
「うん? 出迎えはハナだけか? ミミは?」
「涼しい所で寝ているわ」
 そこですかさず母さんが知らせてきた内容を察した俺は、翔に向き直った。

「そうか……。翔、ミミはおとなしくしてるから、あまり五月蝿くしないで、構わないようにな?」
 ミミは体調が思わしく無いのだろうと推察し、引っ張り回すなと釘を刺したつもりだったが、翔はそれに真顔で頷く。

「うん、分かってる。でんわで、おじいちゃんから話はきいてるし。だからちゃんとじゅんびしてきた」
「え? 何を準備してきたって?」
「ミミ~!」
「だからちょっと待て! 少し静かにしろ!」
 話の途中でいきなり玄関から駆け出し、廊下の奥に向かった翔を俺は慌てて追いかけた。すると翔は、リビングの片隅で丸くなっているミミを発見する。

「あ、ミミいた。おかあさん、もってきたものを出して」
「はい、これね」
「うん。ハナは、縁のあいてをよろしく」
「にゃう~ん」
 どうやら事前に言われていたらしく、佳代は言われるまま大きな袋の中からスケッチブックとクレヨンの箱を取り出し、翔に手渡した。すると翔は微動だにしないミミの前に座り込み、クレヨンの箱を開けて黙々とミミの絵を描き始める。

「にゃんにゃ~ん」
「なぅう~」
 その傍らでハナが縁に抱き付かれ、嫌そうな顔をしながらも辛抱強くというか諦めの表情と鳴き声を上げながら相手をしているのを見ながら、俺は事情を知っていそうな佳代に尋ねた。

「どうして翔は、ここに来るなり絵を描いているんだ?」
「『絵を描くならミミは動かないで済むから、疲れないよね』と翔が言っていたわ。連れ回すのは悪いけど、仲間外れはもっと悪いと思っているみたいよ?」
「絵のモデルになれば、仲間外れじゃないのか?」
「翔の中では、そういう認識みたいね」
「……良く分からん」
「私は心配だから、ちょっと縁を見ているから」
 そこでちょうどハナと縁が移動を始め、リビングから出ていこうとするのを目に止めた佳代が立ち上がった。俺もほぼ同時に立ち上がり、ソファーを回り込んで翔達の所に向かう。

「どうだ翔、上手く描けそうか?」
 背後からスケッチブックを覗き込むと、翔が難しい顔になりながら答える。

「ミミもハナも、からだの色が一つじゃないから、もようがむずかしいね。まっ黒とかまっ白だったらかんたんだったけど。ゆっくりかく」
「そうだな」
「……なぅ」
 確かに複数の色が混ざった微妙な縞模様を、クレヨンで表現するのは難しいだろう。
 だが親の欲目抜きでも、取り敢えず輪郭は完全に猫だし、未知の生物とか物体Xに成り果ててはいないから安心しろ。
 僅かに顔を上げ、何となく不安そうな声を上げたミミに、俺は心の中でそう保証してからソファーに戻った。

「ところで、最近ミミの様子はどうなんだ?」
 一応、翔に聞こえない程度の小声で両親に尋ねると、同様の声で返事がくる。

「獣医の見立てでは病気ではないが、やはり老衰で内臓機能が落ちているらしいな」
「食欲も無くなっていてね。暑いから余計にそうなのかもしれないけど」
「最近は外に出ないで、もっぱらエアコンの効いた室内で過ごしているんだろう?」
「それでもだ」
「そうか……」
 暗に、ミミはもう長くは無いだろうと言われて、俺は何も言えなくなった。そのままその場に沈黙が漂い、大人四人は揃って無意識に一人と一匹に目を向ける。そこでは相変わらず微動だにしないミミを、翔が真剣に観察しながら一心不乱に絵を描き続けていた。

「あれ? ミミ、お魚たべないの? おいしいよ?」
「…………」
 夕夜になり、これまで通りミミとハナの所に翔が夕食を持って行くと、お土産の魚をハナは黙々と食べ始めたが、ミミは少し臭いを嗅いでからそっぽを向いてその場に座り込んだ。その反応に、翔が少し驚いたように声をかける。
 しかしその反応を予想していた母さんが、最近ミミが食べているであろう柔らか目のキャットフードと水を少量持って来ながら翔に言い聞かせる。

「翔君、幾ら美味しくても、食べられない時はあるから。無理してあげたら駄目なのよ?」
「そうなの? 翔はすきなものなら、いくつでもたべられるけどな~。じゃあハナはたべる?」
「にゃう~ん」
「それならミミの分もたべてあげてね?」
 どうやらハナの食欲は衰えてはいないらしく、翔が押し出した皿に顔を突っ込むようにして、ミミの分の刺身も完食した。
 せっかくの刺身が無駄にならなくて良かったと思う反面、その時、生き物が物を食べられなくなったら終わりだとの話が、頭の中をよぎった。

「うぅ~ん、どうしようかな~」
 客間に三組布団を敷き、寝支度を整えていると、翔が自分用の端の布団を見下ろしながら真剣な顔で考え込んでいるので、俺と佳代は顔を見合わせてから声をかけてみた。

「翔、どうかしたのか?」
「いつもミミとハナといっしょのおふとんでねてたけど、別にねたほうがいいかなって」
「どうして?」
「だって、翔がねながらごろごろころがったら、ミミたちをつぶしちゃうかも。ぺしゃんとなったら大変じゃない?」
 そんな事を大真面目に訴えられ、俺達は困惑しながら言葉を返した。

「それはそうだけど……、翔はそんなに寝相は悪く無いわよね?」
「第一、お前にそのまま押し潰されているほど、二匹ともどんくさくはないと思うが?」
 しかしその反応は、微妙に翔を怒らせたらしく、冷たい視線が返ってくる。

「パパ、ママ。二人とも大人なのに、『ころばぬ先のつえ』ってことば、知らないの?」
「……すみません、ごもっともです」
「最近の幼稚園では、ことわざの類も教えるんだな……」
 さて、どう言葉を返すかと悩んでいると、話題になっていた本人、もとい猫達がどこからともなく現れた。

「なぉ~ん」
「にゅあ~ん」
「え?」
「あら?」
 そして客間に入り込んだ二匹は、如何にも当然の如く、翔に割り振られていた端の布団の枕の両脇に収まって丸くなる。

「ミミ、ハナもいっしょにねて、だいじょうぶ?」
「にゅあ~」
「なうっ」
「うん、じゃあいっしょにねようね。翔がころがったらおしえてね」
 あまり動かないミミを見て、翔は自分なりに色々と気を遣ったみたいだが、二匹とも寝床に関しては問題ないと判断したらしい。
 二匹に挟まれた翔はご機嫌で、布団に入ってものの数分で熟睡し、それとは逆に隣の布団で佳代と寝ていた縁が、ハナにちょっかいを出そうとしてなかなか寝てくれず、俺達は少し睡眠不足に陥った。

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