酸いも甘いも噛み分けて

篠原 皐月

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第6章 陰謀、動揺、時々誤解

(11)素直な嫁と素直じゃない息子

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 翌日、沙織はいつも通り勤務しながら、時折密かに友之の様子を観察してみた。

(確かに見た目はいつも通りだし、私が分かる範囲で仕事に支障もきたしていないのよね。他の人達にも吉村さんを含めて、普通に接しているし。だけど何となくいつもより緊張感漲るというか、怒りのオーラが滲み出ていると言うか……。見た目が平穏そのものだから、余計にタチが悪いと言うか……)
  周囲の者達は感じ取っていない、微妙な気配を感じ取ってしまった沙織は、小さく溜め息を吐いた。

(ここは一つ、お義母さんに騙されたつもりで、言うとおりにしてみようかな)
  そうこうしているうちに週末を迎え、予定通り友之と沙織は午後からデートに出かけ、外で夕食を済ませてから沙織のマンションへとやって来た。

「友之さん、これから甘い物を食べない? 珈琲も淹れるから」
「甘い物? だが何も買ってきてはいないよな?」
「午前中にお義母さんと作っていたチョコケーキを、私達が食事に行っている間に、お義母さんにここに運んで貰ったの」
 リビングに足を踏み入れながら沙織が唐突に言い出し、それを聞いた友之が怪訝な顔で応じる。

「確かに作っていたな……。明日家に戻ったら、食べさせて貰えると思っていたが。だがどうして母さんが、そんな面倒な事を?」
「お義母さんが、『その方が友之が感激するから! 沙織さんもバラしたらダメよ!』と主張するものだから」
「そうか……。それなら、せっかくだから貰うか」
 相変わらず母親のする事が今ひとつ理解不能だと思ったものの、友之は素直にコートを脱いでソファーに座った。

「お待たせ。ちょっと待ってね」
「それは構わないが」
 沙織はまず目の前のローテーブルに二人分の珈琲を置き、次いでトレーから二人分のケーキ皿を移した。しかしトレーもテーブルに置いてから、何を思ったか沙織がそのまま自分の膝の上にお尻を乗せて横座りになった事で、友之は流石に驚いた。

「ええと……、ちょっと失礼」
「は? おい、沙織? 何をする気だ?」
「危ないから、背中を支えてくれると助かるんだけど」
「あ、ああ、分かった。こうか?」
「そう。それじゃ……。はい、友之さん。あ~ん」
 慌てて友之が彼女の背中に左腕を回して支えると、沙織は手にしている皿のケーキをフオークで一口大に切り分け、それを彼の口に向かって差し出しながら笑顔で呼びかけた。そんな予想外、かつ常にはありえないシチュエーションに、友之の顔から綺麗に表情が抜け落ち、小声で尋ねてくる。

「…………沙織、どうした?」
「やっぱり呆れたわよね……。お義母さんも、見当違いな事を……」
「母さんがどうした?」
 溜め息を吐いてブツブツと呟いている沙織に友之が再度尋ねると、彼女は困ったように弁解した。

「お義母さんに、『会社で友之さんが、何となくまだ怒っている気がする』と相談したら、こうすれば機嫌が良くなるし、『偶にならちょっかい出しても許してやるかと、広い心で吉村さんに接する様になるから』と言われたから……。一応、『友之さんは、そんなチョロくはないですよ』と言ったんだけど」
 それを聞いた友之は、やはり母親の入れ知恵かと溜め息を吐いてから、沙織に言い聞かせる。

「あのな……、別に、吉村に対する怒りを引きずっていたつもりはない。沙織の気のせいだ」
「それなら良いけど」
「だがせっかくだから、このまま最後まで、食べさせてくれるんだよな?」
「勿論。ここまでしたんだから。はい、あ~ん」
 それから沙織に手ずからケーキを食べさせて貰った友之は、「気を遣わせてしまった奥様へのお詫びだ」と自らも彼女に食べさせ、お互いに苦笑を深めながらケーキを食べ切った。

「母さん、俺だけど」
 リビングでお茶を飲みながら義則と雑談していた真由美は、友之からの電話を受けた時、不思議そうに息子に問い返した。

「あら……。せっかく沙織さんと水入らずで過ごしている時に、何か急用なの?」
「沙織は今、風呂に入ってる。ところで母さん。沙織に、余計な事を吹き込んだよな?」
「あら、そんなに余計な事だったかしら?」
 苦々しい口調で言われた彼女が笑いを含んだ声で再度問い返すと、友之は少しの間黙り込んでから、先程と同様の口調で端的に告げる。

「……礼は言わないからな」
「別にそんな事、期待していないわよ?」
「とにかく、今日のような事だったらまだ良いが、今後沙織にあまり妙な事は吹き込まないでくれ。それだけだから」
 言うだけ言って挨拶もなしに電話を切られても、真由美は特に気を悪くしたりもせず、むしろ笑顔で通話を終わらせた。するとこの間黙ってやり取りを聞いていた義則が、彼女に尋ねてくる。

「友之からか? 何か急用でも?」
 その問いかけに、真由美は笑顔で首を振った。

「大した事じゃないわ。義理の娘が結構素直で、実の息子が結構素直じゃないと言うだけの話よ。ところで午前中に沙織さんと一緒に作ったチョコケーキがあるから、そろそろ切り分けて出すわね。珈琲と紅茶のどちらが良いかしら?」
「紅茶を頼む」
「分かったわ。少し待っていて」
 そこで長年培った観察眼により、真由美の話だけで何となく事の次第を察してしまった義則は、苦笑いで妻と嫁の共同作品を味わう事となった。
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