酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

文字の大きさ
80 / 225
第3章 陰謀の余波

(15)沙織の結婚観

しおりを挟む
 休日に玲二と南房総のドライブに繰り出した沙織は、昼過ぎまで景色と料理を楽しんでから、余裕を持って再びアクアラインで対岸へと向かった。その途中で海ほたるに寄る事にした二人は、海を見渡せる展望デッキに上がり、それを背景に写真を撮った。

「関本さん、さっきの写真、清人さんに送っておきましたから」
 フードコートに行って飲み物を買った玲二が、デッキに戻って来てから告げると、沙織がソフトクリーム片手に大真面目に応える。

「ありがとうございます。これで私達が付き合っているアリバイは、完璧ですね」
「『アリバイ』の日本語訳について、激しく問い質したい気分です」
 思わず溜め息を吐いてしまった玲二に、沙織がすかさず指摘する。

「ところで玲二さん。私達、一応付き合っているわけですから、私の呼称は『関本さん』ではなくて、『沙織さん』とか『沙織』とかが適当ではありませんか?」
「呼称もそうですが、関本さんの丁寧過ぎる物言いも、個人的に親密な付き合いをしているとは、言えないと思います」
「それもそうですね。ちょっと考えてみますか」
 イチゴソフトクリームを舐めながら、真剣な顔で海を見ている沙織を横目で見て、玲二がしみじみと言い出す。

「関本さんの恋愛観って、どんな代物なんでしょうね……」
「いきなり何ですか?」
「俺が観察してみても、友之さんの事を好きなのか嫌いなのか、全然分かりません」
 それに沙織は即答した。

「上司としては尊敬していますし、好感も持っていますよ? 幾ら仕事ができても、嫌いな人間を尊敬できる程、人間ができていませんから」
「それなら上司としてではなく、一人の男性としてはどうですか?」
「そこそこ良いんじゃありません? それが何か」
 淡々と正直に述べた沙織だったが、その反応を見た玲二が項垂れた。

「……本気で言ってるよ、この人」
「当然です。どうしてこんな事で、嘘をつかなくちゃいけないんですか」
「本当に手強いな。 友之さんに同情する」
「課長の周りの人達が甘やかしているから、私が多少当たりを厳しくしているだけじゃありませんか。そんなに面倒で嫌なら、他の女を当たってください」
 素っ気なく言われた玲二だったが、気合いを振り絞って話を続けた。

「結局、友之さんと別れた別れないの話になっている喧嘩の原因は、一体何なんですか?」
「喧嘩? 何のです?」
「え?」
「…………」
 咄嗟に意味が分からず、素で驚いた顔になった沙織と、どうしてそんな反応なのかと戸惑った玲二が、揃って顔を見合わせて黙り込む。しかしすぐに沙織は、茶番の設定を思い出した。

「ああ……、そう言えば部外者には、そんな事になっていましたね」
「部外者って……。俺、今現在、盛大に巻き込まれているんですけど……。とにかくなるべく早く、友之さんとよりを戻してくださいよ」
 その切実な訴えに対して、沙織は少々面白く無さそうに言い返した。

「それ、私じゃなくて、課長に言ってください。全面的に向こうの都合なんですから。私は黙って待ってるような、都合の良い女じゃありません」
「本当に友之さん、何をやってるんだよ……」
 再びがっくりと項垂れた玲二だったが、沙織はそれには構わず、海を見ながらソフトクリームを食べ続けた。すると少しして、声がかけられる。

「質問しても良いですか?」
「構いませんけど?」
「友之さんと結婚する気、ありますか?」
「…………」
 その問いに、沙織は眉間に軽く縦皺を作りながら玲二に向き直った。それを見た彼が、慌てて質問を変える。

「すみません、質問を変えます。関本さんは、結婚願望ってありますか?」
「あるか無いかと言われたら、無いんじゃないでしょうか? 考えるだけで面倒です」
「そんな面倒くさがらずに、考えてみるだけでも」
「名前が変わったら免許証に保険証に年金手帳に預金通帳に各種カード、その他諸々の登録変更をしないといけなくなります」
「まさかの事務手続きとは……。そうじゃなくて! メンタル的な事で、何か結婚したくない理由があるんですか?」
 盛大に顔を引き攣らせた玲二が、何とか気を取り直しながら重ねて尋ねたが、ここで沙織が逆に問いを発した。

「結婚するにあたって必須な事って、玲二さんは何だと思いますか?」
「え? ええと……。それはやはり、お互いに対する愛情とか、しっかりした生活基盤とか、共通の価値観とかではないですか?」
 唐突な問いかけにもかかわらず、真剣に考え込んでから答えた玲二に、沙織が軽く頭を下げる。

「実に模範的な回答を、ありがとうございます」
「恐縮です」
「今挙げられた物は、私も全くその通りだと思いますが、決定的に足りないものがあります」
「何でしょう?」
「勢いと錯覚です」
 真顔でそう断言された玲二は、疑わしそうに問い返した。
「結婚するのに、そんな物が必要なんですか?」
 しかし沙織は、それに平然と答える。

「『あの人がいないと生きていけない』とか、『世界は私達の為にある』とか、『この人ならさっさと死なれても遺産で生涯安泰』とか、『稼ぎが無くても既婚者の体面を保てればよい』とかだと、さすがに極端だとは思いますが、ある程度馬鹿になるか打算的にならないと、結婚ってできないと思います。それからの人生が、大きく変わるわけですし。家族と過ごした時間以上の年月を、相手と過ごす事になるわけですよ?」
 そこまで聞いた玲二は、何とも言い難い顔になった。

「最後に口にした内容に関しては、確かにそうかもしれませんが……。何だか恋愛観と結婚観が、妙な方向に歪んでいませんか?」
「育った環境が、ちょっと特殊だったもので。ラブラブバカップルだった両親が、ある出来事で破局、泥沼離婚した後、離婚訴訟専門の弁護士である母の元で育ちました。この事は、以前課長にも話してあります」
「……納得しました。すみません、変な事をお聞きしまして」
 そう言って、自分に対して深々と頭を下げた玲二を見て、沙織は思わず笑ってしまった。

「そこで即座に素直に謝るところに、育ちの良さが出ていますよね。何だかんだ言いながら、柏木さんの無茶ぶりに付き合ってますし」
「清人さんに関しては『この人に逆らったら駄目だ』という、子供の頃からの刷り込みが大きいですが」
 思わず玲二も苦笑で応じると、同様の表情で沙織が続ける。

「それを差し引いても、良い家庭環境で育ったんだろうなと思いますよ? この前、柏木さんのお宅にお邪魔した時に、玲子さん達を観察しながら、色々とお話をさせて貰いましたし」
「そうなんですか? それな関本さんから見たうちの両親に対する感想を、是非聞かせて貰いたいんですが」
「強いて言うなら『良い意味のカカア天下』ですね。あと絢子さん達は『切磋琢磨ライバル関係』で、真由美さん達は『溺愛甘やかしタイプ』です」
 そう評した沙織に、玲二は心底感心した表情になった。

「関本さん……、本当にシビアですね」
「間違っていますか?」
「いえ、概ねその通りです。でも母も叔母さん達も、普段対外的には夫唱婦随を装っていますので、初対面でそこまで見破る人はそうそういませんから、少し驚きました」
「そうですか? 結構分かり易いと思いますが」
 事も無げにそう言ってから、「このソフト久しぶりだけど、やっぱり美味しいわ」と満足げに食べていた沙織に向かって、玲二が慎重に問いかけた。

「先程関本さんは『良い家庭環境』云々と口にしていましたし、結婚とか夫婦関係そのものを、忌避しているわけでは無いんですよね?」
 その問いかけに、沙織が彼に顔を向けて、軽く頷きながら答える。

「それはそうですよ。夫婦と言っても、色々な形があると思いますし」
「それならちょっと規格外な関本さんでも、『友之さんがいないと生きていけない』と錯覚してくれたら勢いで結婚してくれるし、『友之さんが責任を持って養ってくれるなら良い』と納得したら、打算的に結婚してくれるって事ですよね!?」
 鬼気迫る勢いで詰め寄られながら、そんな念押しをされた沙織は、半ば呆れて呟いた。

「『規格外』って何ですか……。それに凄いですね、そのひたすら前向きな解釈っぷり」
「そうですよね!?」
「まあ……、そうなんじゃないですか?」
「よし、言質取った!」
 そこで嬉々として沙織から離れ、手すりの向こうに広がる東京湾に向き直った玲二は、大声で叫んだ。

「友之さん、頑張れ! 可能性は0じゃないぞ! 当たって砕けろ!」
「はいはい、頑張ってくれると良いですね~」
 何事かと周囲の観光客達から驚きの視線を向けられる中、沙織は(やっぱり課長の身内や親戚関係って、個性的な人が多いわ)と冷静に玲二を評しつつ、他人事のように呟きながらイチゴソフトクリームを完食した。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

ブチ切れ公爵令嬢

Ryo-k
恋愛
突然の婚約破棄宣言に、公爵令嬢アレクサンドラ・ベルナールは、画面の限界に達した。 「うっさいな!! 少し黙れ! アホ王子!」 ※完結まで執筆済み

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

【完結】遅いのですなにもかも

砂礫レキ
恋愛
昔森の奥でやさしい魔女は一人の王子さまを助けました。 王子さまは魔女に恋をして自分の城につれかえりました。 数年後、王子さまは隣国のお姫さまを好きになってしまいました。

悪役令嬢は処刑されないように家出しました。

克全
恋愛
「アルファポリス」と「小説家になろう」にも投稿しています。 サンディランズ公爵家令嬢ルシアは毎夜悪夢にうなされた。婚約者のダニエル王太子に裏切られて処刑される夢。実の兄ディビッドが聖女マルティナを愛するあまり、歓心を買うために自分を処刑する夢。兄の友人である次期左将軍マルティンや次期右将軍ディエゴまでが、聖女マルティナを巡って私を陥れて処刑する。どれほど努力し、どれほど正直に生き、どれほど関係を断とうとしても処刑されるのだ。

処理中です...