竜の薬師は自立したい

篠原 皐月

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第2章 世知辛い世間

(11)困惑、驚愕、時々怒り

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「さて……、取り敢えず開けてはみたけど、さすがに初日から患者が来るわけはないわね。在庫の再確認でもしようかな……。予め揃えて結構な量を届けて貰っておいたから、当面は間に合うと思うけど」
 当初の予定通り薬師所を開設したアメリアは、店の窓を開けて風通しを良くしつつ、陳列棚のチェックを始めた。それに没頭していると、背後から控え目に声をかけられる。

「あの……、ここ、薬屋ですよね? 薬を売って貰えますか?」
 その声に、アメリアは慌てて振り返りつつ声を上げた。

「あ、はい! いらっしゃいませ! どんな物をご入用ですか?」
「咳止めを五日分ほど……」
「咳止めを五日分ですか。色々揃えてありますが、どんな症状でしょうか?」
 笑顔で尋ねたアメリアだったが、三十前後に見えるその女性が怪訝な顔で問い返してくる。

「え? だから、咳止めが五日分欲しいんだけど」
「あの……、一口に咳止めと言っても、咳を抑える薬は複数ありますので、患者さんの症状に合わせて選びますから。どんな咳ですか?」
「どんなって……、他の薬屋では、咳止めって言えばすぐに売ってくれるけど?」
 どうにも噛み合わない台詞に、アメリアは嫌な予感を覚えながら顔つきを改めて申し出た。

「すみません。状況を確認したいので、お話を聞かせてください。少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
「はぁ……、構いませんが……」
「まず、その咳止めが必要なのはどなたですか? あなたですか?」
「いえ、夫です」
「そうするとご主人は、いつから咳をしていますか?」
「三ヶ月くらい前からかしら?」
「はぁ? そんな前からですか? そうなると咳以外の症状は出ていますか? 熱とか鼻水とか痰とか」
「いいえ。咳だけですね」
「咳が出る時の音は分かりますか? ゼロゼロとかヒューヒューとか」
「普通……、だと思うけど?」
「普通、というと、時々コンコンとかいう感じでしょうか?」
「そうね……。それが一番近いかしら?」
「そうすると、他の薬屋で咳止めと言って貰っている薬で取り敢えずは治まっても、薬を飲み終えて少ししたらまた出てくるとか」
「はい、そうです。だから結構咳止めを買っているのに、最近もの凄く高くなって。なんでもその咳止めの原料が他の国で、そこの産地の天候不良で国内に入って来ないって言うんですよ」
 如何にも困ったように、女性が訴えてくる。それを聞いたアメリアは、僅かに眉根を寄せた。

「その薬を売った薬師が言ったのですか?」
「はい」
「因みに、どんな薬を貰っていたのか、名前は分かりますか?」
「ええと……、確かゼニアスだったと思います」
「ゼニアス、ですか……。それでは薬を準備しますので、少しお待ちください」
 そこでアメリアは安堵した様子の女性に背を向け、棚の在庫に手を伸ばした。

(なんだか、色々な意味でもやもやする話……。でも取り敢えず、仕事をしますか)
 自分自身に言い聞かせるようにして、数多くある薬の中から、該当する物を比較検討する。

(話を聞く限り、急性期の炎症からくる咳ではないし、湿っているような咳ではないからゼニアスなんか使わなくても……。今まで薬を渡していた薬師は、何を考えてるの? 現状の聞き取りもしないで、漫然と薬を売っているだけのような気がする)
 半ば腹を立てながらも缶の一つを取り出したアメリアは、その中から予め薬包紙に包んで分包してあった物を十五包取り出した。それを木製のトレーに入れ、女性の前に差し出す。

「お待たせしました。こちらのお薬になります。ゼニアスとは違いますが、ご主人の症状にはこちらの薬の方が合うはずです」
 その説明を受けた女性は、カウンターに置かれたトレーの中の包みをしげしげと眺めた。

「そうなの? 咳止めって一つしかないのかと思っていたわ」
「この薬を、咳が出た時、1回に1包飲むように伝えてください。四時間以上空けたら、また咳の時に1包使って構いませんが、1日3回までの服用です。取り敢えず、これで大体五日分ですね」
 そこで、また女性が怪訝な顔になる。

「え? あの……、随分数が少ないですけど」
「少なくはないですよ? 多くても、1日3回までとして考えていますから。取り敢えず十五包のお渡しにしてあります。勿論、咳が出なかったら飲まないで様子をみて貰って大丈夫です」
「だって咳止めって、咳が出るたびに飲んで良いんでしょう? 他では一度に五十包を売ってくれたけど」
 首を傾げながらのその台詞に、アメリアは瞬時に顔色を変えて問い質した。

「はい? まさかゼニアスを1日に複数回飲んでいたんですか!? それも連日とか言いませんよね!?」
「酷い時は1日5~6回で、何日か続けているわね。そしてある程度良くなって、薬が切れたらまた酷くなってきての繰り返しだけど」
「それ、使い過ぎですよ! いつも薬を貰っている薬師に伝えました!?」
「ええ。『今、こんな状態なの』と言うと『そりゃあ、大変だねぇ。じゃあ、これをいつも通り飲むように旦那に言っといて』と言われて、咳止めを渡されていたけど。駄目なの?」
(信じられない! なんなのよ、その薬師!? 今の台詞、色々な意味で突っ込みどころ満載なんだけど!?)
 キョトンとした顔で問い返してくる女性を叱りつけるわけにもいかず、アメリアは心の中で顔も知らない薬師を罵倒した。するとここで、女性が心配そうに尋ねてくる。

「それで今日もいつもの咳止めを買いに行ったら、薬が入らなくて値段が高くなったいるって言うんだもの……。手持ち分で買えない額になっていて、他の薬屋を探してみたのよ。でもどこも同じような値段ばかりで、ここに入ってみたんだけど……。他の薬でも高いのかしら?」
 その問いかけに、アメリアはなんとか平常心を取り戻して答えた。

「この十五包で三百シリンですが、手持ちがありませんか?」
「ちょっと待って! 安すぎるわよ! 何、三百シリンって! ジュリド二つ分じゃない!?」
 超絶に庶民的な果物の名前を引き合いに出されたアメリアは、真顔で狼狽気味の女性に向かって頷いてみせる。

「元々原材料が安いですし、これで十分元は取れていますので」
「だってゼニアス五十包で、五千シリンだったのよ!?」
 そこで今度は、アメリアが声を荒らげた。

「なんですか、そのぼったくり!? ゼニアスだって、原材料の値段はそれほど違わない筈ですよ!?」
「元はそうでも、入手しにくいから価格が上がっているんじゃないの!?」
「それにしたって、考えにくいんですが!?」
「じゃ、じゃあ、この薬、貰っていくわ! 本当に二百シリンでよいのよね!? 後から値段が違ったとか言っても、差額なんて払わないわよ!?」
「勿論、そんな事言いません!! ありがとうございました、お大事に!!」
 女性は必至の形相で薬包をかき集めてスカートのポケットに押し込むと、それが入っていたトレーに百シリン銅貨を三枚投げ捨てるように置くと、差額請求を恐れるかのように一目散に駆け去って行った。その背中に、アメリアは一応声をかける。そして彼女が店から出て行くと同時に、カウンターに突っ伏した。

「つ、疲れた……。最初のお客から、何だったんだろう……」
 しかしアメリアの受難は、これからが本番だった。


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