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第2章 広がる波紋

(4)ヘタレ具合もロイヤル級

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「アルティナ、おはよう。これから朝食よね?」
「ええ、一緒に行きましょうか」
 寮の自室を出て、すぐに背後から声をかけられたアルティナは、笑顔で頷いてリディアと共に歩き出した。

「そういえばリディア。ラスマードさんとの手紙のやり取りって、まだ続いているの?」
 さり気なく尋ねてみると、何気ない答えが返ってくる。

「勿論、続けているわよ? この前の個展の話もしたし」
「え!? 個展って、マークス・ダリッシュの!?」
「ええ、そうだけど……。あ、勿論、父の話とか、密輸の話はしていないわよ? 偶々、私が絵画に興味がある事をお耳に入れていた、王太子殿下が招待してくれたって内容にしたし」
「あ、ああ……。うん、そうね」
 一瞬本気で驚いてから、アルティナは気を取り直して質問を続けた。

「それで、ラスマードさんは、何て返してきたの?」
「『それは幸運でしたね。羨ましいです』って返事が来たわ」
「……そう」
(あの個展で、随分仲良さげに話していたから、ひょっとして自分がラスマードだと打ち明けるのかと思っていたら、そうでは無かったみたいね)
 密かにそんな考えを巡らせていると、リディアがさらりと聞き捨てならない事を言い出した。

「絵と言えば、実はランディス殿下から、絵を渡されたのよ」
「はい!? 何で!」
「それが……、その個展で話し込んだ時に、『本当に絵に造形が深くていらっしゃるんですね。私も絵を描きますので、できれば感想を聞かせて頂けませんか?』って。本当は最初『差し上げますので』と言われたけど、丁重にお断りしたの」
「どうして?」
「だって、仮にも王族の方の描いた絵を、粗末に扱えないじゃない。間違っても、この寮の部屋なんかには飾れないわよ」
 そう言って笑いながら片手を振ったリディアに、アルティナは(もう飾ってるけど。しかも二枚)とは言えなかった。

「それで隊長に言付けで下さったから、受け取って見せて貰ったんだけど……。ちょっと不思議だったのよね」
 そんな事を妙にしみじみと言われて、アルティナはさすがに気になった。

「何が不思議なの?」
「ラスマードさんと殿下の絵のタッチが同じと言うか、画法が同じみたいなのよ。色使いも良く似ているし」
「そ、そうなの?」
 アルティナは微妙に顔を引き攣らせながら、(だって同一人物だし)と言う言葉を飲み込んだが、リディアが真剣な顔で話を続けた。

「それで、その理由を少し考えてみたんだけど……」
「え? えっと、理由が分かった、とか?」
「ええ、多分同じ教師から画法を教わった兄弟弟子なのよ。ラスマードさんは王妃様とお知り合いだから、結構良い身分の方か王宮に出入りできる方の筈だし。凄い偶然だわ」
 そんな事を大真面目に断言して深く頷いているリディアを見て、アルティナは激しく脱力した。

「兄弟弟子……」
 思わず足を止めて溜め息をを吐いた彼女に、リディアが不思議そうに振り返りながら声をかける。
「アルティナ、どうかしたの?」
「何でも無いわ。急いで行きましょう」
(何なの? ランディス殿下は身元を隠す気があるの? 無いの? 本当にどっちなのよっ!?)
 そして本人が身元を隠している為、勝手にリディアに教えるわけにもいかず、アルティナは心の中でランディスに盛大に文句を言いながら、再び歩き出した。


「失礼します。隊長、お呼びと伺いましたが……」
(どうしてランディス殿下がここに……。もう面倒事の予感しかしないわ)
 仕事中に呼び出され、ノックをしてから隊長室に足を踏み入れたアルティナは、その部屋の主であるナスリーンの傍らにいた人物を見て、無意識に口元を引き攣らせた。それをいきなり王族の姿を認めて緊張したせいかと判断したナスリーンは、申し訳無さそうに目の前の椅子を勧める。

「仕事中に呼びつけてしまって、申し訳ありません。ランディス殿下は気にしないで下さい。ちょっと業務連絡に関わる事で、出向いて頂いているだけですから。取り敢えず、そちらに座って貰えないかしら?」
「……はい」
 そしてアルティナが椅子に落ち着いた直後に、ナスリーンが爪ヤスリに手を伸ばして引き寄せる。

「それで、話と言うのは……」
「っ、きゃあぁぁっ!」
 既に何度目か忘れてしまった茶番を演じて気を失ったふりをすると、ナスリーンが控え目に声をかけてくる。

「ええと……、アルティナ?」
 その呼びかけに、アルティナは笑いながら両目を開けた。
「アルティンです、ナスリーン隊長。ちゃんと入れ替わっていますよ?」
「それは良かったです。と言うか、呼び出してしまって、本当に申し訳ないのですが……」
 そこでナスリーンが視線を壁際に佇んでいるランディスに向けると、彼も神妙に頭を下げた。

「その……、本当に申し訳無い。今回は私がナスリーン殿に頼んで、アルティン殿に出てきて貰った」
「それは分かりましたが、理由を聞かせて頂けますか? おそらく、リディア絡みだとは思いますが」
「あ、ああ……、そうなんだが……」
 途端に動揺して口ごもった彼を見て、アルティナは怒りを堪えながら話を続けた。

「そう言えばアルティナが、リディアから聞いているのですが、『ランディス殿下』からの絵を貰うのを拒否したそうですね」
「……ああ。『殿下から頂くなんて恐れ多いですから』と言われて」
「それならせめて、感想を聞かせてくれと言って渡したら、『ランディス殿下とラスマードさんって、同じ師についた兄弟弟子なのよ』とか、彼女が言っていたみたいですが」
「……そのようだね」
 全く反論できず、肩を落として項垂れたランディスを見て、アルティナの苛立ちは更に高まった。

「まさか本当に描いた絵を見せれば、自然に二人が同一人物だと気がついてくれる筈とか、ふざけた事を考えてはいませんでしたよね?」
「いや……、さすがにそこまでは……、だが画法や画風が同じと見抜くなんて、さすがリディアだなと感心したが」
 そこでとうとう我慢できなくなったアルティナは、勢い良く椅子から立ち上がり、素早く彼との間合いを詰めた。そして相手の胸倉を掴み上げ、彼を壁に乱暴に叩き付けながら罵声を浴びせる。

「ざけんなよ!? このヘタレ王子!! てめえ一体、リディアの事をどうしたいんだ! 愛人要員としてキープしたいとかふざけた事をぬかすなら、今すぐ絞めて掘にぶち込むぞ!?」
「ぐはっ! ちょ、ちょっと待ってくれ」
 その様子を目の当たりにしたナスリーンは、部下の無礼を窘めたりはせず、溜め息を吐きながら懇願した。

「アルティン。『ヘタレ王子』は否定しませんが、乱暴するのは控えて下さい。アルティナの立場もありますから」
「ナスリーン……、できれば『ヘタレ王子』も否定して下さい」
 昔からの付き合いのある彼に情けない顔で懇願されても、ナスリーンは再度溜め息を吐いただけだった。

「ですが、実際にそうですから。正直に打ち明けないまま、文通を続けているとは呆れました。この前も王妃様からの呼び出しに出向いたら、ひとしきり愚痴られましたし」
「……申し訳ありません。でもリディアに正直に打ち明けたら、ラスマードとして築いている友人関係が、壊れてしまうと思うんです」
 ランディスがそう訴えたが、それを聞いたアルティナは、彼の服から手を離しながら鼻で笑った。

「そりゃあ壊れるだろう? だからそこから改めて、恋愛関係を築くんだろうが」
「そんな、他人事だと思って……」
 恨みがましい視線でアルティナを見やったランディスは、少しして微妙に表情を変えて言い出した。

「今回は、アルティン殿にリディアとの仲を取り持って貰えないかと、頼むつもりだったが……」
「何ですか?」
 何やら疑念を含んだ物言いに、アルティナは何事かと眉間にしわを寄せながら尋ね返すと、彼は大真面目に見当違いな事を言い出した。

「先程から口調がキツいのは、実はあなたもリディアの事が好きなんですね? だから私の事が気に入らないと」
「アルティナの友人なら、俺の友人でもあるんだぞ! 変な勘違いをした上に、見当違いの嫉妬をしている暇が有ったら、さっさと正体をバラしてリディアに告白しやがれ!」
「く、苦し……」
「アルティン! もうそれまでにして下さい!」
 アルティナは今度こそ微塵も手加減なしにランディスの喉元を締め上げ、さすがにナスリーンが顔色を変えて二人を引き剥がした。
 それからアルティナは懇々とランディスに説教し、相手からは「近日中に何とかする」との言質を取ったものの、ナスリーンと共に「どうだろう?」とかなり疑わしく思いながら、退室する彼を見送ったのだった。
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