いつか王子様が……

篠原 皐月

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女同士の話~真澄、十七歳の冬~

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 電話の翌日、真澄が佐竹家を訪れると、香澄が宣言していた通り家の中に他の住人は存在していなかった。
「すみません、三人を追い出す形になってしまって」
 ひたすら恐縮する真澄に、香澄がお茶を出しながら苦笑で応じる。
「確かに清香は『お姉ちゃんと遊ぶ~』ってゴネてたし、清人君は何かもの凄く不満そうな顔で清香を抱えて出掛けたけどね……。偶には清吾さんも子供達とじっくりスキンシップを取りたいでしょうから、良い機会だわ」
「それなら良いんですが……」
「じゃあ、まずお茶を飲んで頂戴。そして落ち着いたら一応詳しい話を聞かせて貰いましょうか」
「……はい」
 そうして喉を湿らせた真澄は、同時に気持ちも落ち着け、理路整然と昨日の出来事を話し出した。極力私情を挟まない様に冷静に話す真澄に、香澄も時折小さく頷きながら無言で聞き役に徹する。そして語り終えて黙って俯いた真澄に、溜め息を吐いてから香澄が声をかけた。

「真澄ちゃん、悪かったわね。新年早々、嫌な思いをさせてしまって」
「どうして叔母様が謝るんですか」
「だって……、私が以前、由紀子さんと清人君の間で連絡を取らせたいとか言ったから、挨拶がてら清人君の話を出してみようと、わざわざ新年会に出向いたんでしょう?」
「わざわざって事では……、偶々お父様から『顔を出してみないか』と言われたので……」
 些か気まずげに視線を逸らした姪に、(相変わらず、素直じゃないんだから……)と、香澄は笑いを堪えながら話を続けた。

「真澄ちゃん、取り敢えず話は分かったから。今後は清人君と小笠原の間を取り持とうとしなくて構わないわよ? 以前私が言った事は、綺麗さっぱり忘れて頂戴」
「でも……、叔母様はそれで良いんですか?」
「ええ。私は今まで通り、これからもしつこく清人君に働きかけていくから」
(叔母様……。清人君の意向、丸無視なんですね……)
 思わず清人に深く同情しつつも、どうしても腑に落ちない真澄は、怪訝な顔で香澄に迫った。

「叔母様、どうしてそこまで由紀子さんと清人君の関係に拘るんですか? それに電話で由紀子さんの事を『そんなに嫌いじゃない』なんて……。叔母様の感性を疑います」
 真顔でそう言い切った真澄に、香澄が思わず小さく肩を竦める。

「厳しいわね……。でも過去の一時期でも私と同じように清吾さんを好きで、清吾さんも好きだった女性なんだから、悪い人では無いと思うのよ?」
「どうしてですか! 夫と子供を捨てて逃げて行った人ですよ!?」
「でもね、逃げてくれなきゃ私は清吾さんと結婚できなかったのよ? 私の立場からすると『よくぞ別れてくれた』って事じゃない? ……こんな事公言すると嫌味や皮肉にしか聞こえないから、あまり言いたくないんだけど」
「それは……」
 思わず言葉に詰まった真澄が何とも言えない顔で香澄を凝視すると、香澄は表情を緩めて話題を変えた。

「ねえ、真澄ちゃん。私が清吾さんとの結婚を決めた本当の理由、教えてあげましょうか?」
「本当の……って言うか、そう言えば、そもそも今まで結婚の理由を聞いた事無かったんですが……」
 思わず困惑顔で応じた真澄に、香澄が幾分気分を害したように続ける。
「……聞きたいの? 聞きたくないの?」
「是非聞かせて下さい! お願いします」
「それなら最初からそう言いなさい」
 真澄が(今を逃すと一生聞けないかも!)と慌てて頭を下げると、香澄は「全く、もう」などと少しブチブチ文句を零してから、口を開いた。

「それはね? 要は清吾さんと清人君に、復讐させてあげる為よ。それに手を貸してあげる為に、私は結婚したの」
「……はい? 何ですか、復讐って」
 いきなり物騒過ぎる単語が出て来た為、真澄の思考回路が停止したが、香澄は平然と持論を展開した。

「この場合、復讐の相手が由紀子さんだって事は、真澄ちゃんでも分かるわよね?」
「ええ、まあ……、流石にそれ位は」
「じゃあ由紀子さんに対する効果的な復讐って、どんな事だと思う?」
「どんなって……、乱暴狼藉を働くって事じゃありませんよね? 叔母様が手を貸すって言う位ですから……」
 そう自信なさげに口にした瞬間、香澄が実家を飛び出した時に行った破壊活動の数々を思い出した真澄は、(ひょっとしたら、本当に荒事なのかも)と密かに思ってしまったが、真澄は明確にそれを否定した。

「勿論違うわ。清吾さんと出会って人となりを知って、素敵な人だなぁって思った頃に由紀子さんとの経緯を聞いたの。それを聞いた時に、最初『何て不幸な人なんだろう』って思ったのよ」
「そうなんですか……」
 意外にまともな感想が聞けて真澄がほっとしていると、香澄は淡々と当時の話を続けた。
「それで、私にできる事はないかと考えた時、『清吾さんと清人君を、由紀子さんより幸せにしてあげれば良いんだわ』と思い至ったから、結婚したの」
「……すみません、叔母様。結婚と復讐が、どこでどう繋がるのか、私にも分かるように説明して下さい」
 一足飛びの叔母の言動に付いて行けなくなった真澄が音を上げると、香澄は怪訝そうな顔になった。

「あら、分からない?」
「生憎と、叔母様程頭の回転が良くないもので……」
 幾分皮肉を込めて真澄が答えたが、香澄は気を悪くしたりはせず、平然と続けた。
「だって、大嫌いな相手より自分の方が遥かに幸せになって、上から目線であざ笑ってあげるのが最高の復讐でしょう?」
「え? えっと、まあ……、言われてみれば、そうかもしれませんが」
「清吾さん達の境遇を聞いて、同情したり時々手助けするのは誰でもできるけど、一緒に居て幸せにしてあげられるのは私だけだもの」
 そう言って卓袱台の向かい側で胸を張った香澄に、真澄は控え目に尋ねてみた。

「叔母様……、一つ聞いても良いですか?」
「なあに? 真澄ちゃん」
「先ほどの、自分だったら叔父様達を幸せにしてあげられるという根拠は何ですか?」
「勘よ。清吾さんと由紀子さんが別れたのも確かに悲しい出来事だったけど、それは私と出会う為の、必然的な別れだったのよ」
(自分の叔母がここまで破天荒な人だったとは……、正直思っていなかったわ)
 思わず頭痛を覚えて項垂れた真澄に、香澄が笑って続けた。

「因みに、清人君に由紀子さんへ葉書を書くように言っているのは、『あなたがいなくてもこれだけ幸せになりました』と知らせる為よ。真澄ちゃんの目には、由紀子さんは再婚して幸せそうに見えたかもしれないけど、他人心の中なんて窺い知る術はありませんからね」
「叔母様……」
 香澄の台詞に真澄が顔を上げると、視線を合わせてきた香澄が悪戯っぽく笑いながら告げた。
「清吾さんが死ぬ直前に人生を振り返った時、由紀子さんの事に微塵も触れないで、私のお陰で幸せだったって言わせる事ができたら、由紀子さんに対する最高の復讐じゃない?」
 そう問われた真澄は、無言で考え込んだ。

(確かにそうかもしれないわ。……でも叔母様は、本心から由紀子さんに復讐云々を考えているわけじゃない。それ位分かる。ただ由紀子さんを含めて、叔父様にも清人君にも、いつまでも過去に拘っていて欲しく無いだけなんだわ、きっと……)
 そこまで考えて納得した真澄は、密かに自嘲気味の笑みを漏らした。

(やっぱり叔母様には敵わないわ……。私だったら、好きな相手の別れた人にまで、気配りしようなんて考えないと思うし)
 そして真澄がこっそり香澄に対する尊敬の念を新たにしている時に、当の本人が言わなくても良い事を言い出した。

「私は清吾さんの最初の女にはなれなかったけど、浮気なんかさせる気はないから最後の女だもの。最後の女としては、清吾さんの最期に『お前のお陰で幸せだった』と言わせられなかったら、女が廃るわよ」
 その香澄の堂々とした主張に、真澄は思わず全身の力が抜け、卓袱台に突っ伏して恨みがましく呟いた。

「叔母様……、せっかく感動しかけてたのに、脱力するような事をいきなり言わないで下さい」
「あら、どうして? 間違った事は言ってないわよね?」
「ええ、間違ってはいないと思いますよ? 思いますけど……」
(最後の女、ね……。そんな事を堂々と公言しないで欲しいわ……)
 そんな事を考えて溜め息を吐いた真澄に、香澄が真顔で声をかけた。

「清人君の事に関しては……、事情が事情だし当事者の気持ちもあるし、そんなにあっさりと由紀子さんの所と行き来したり、連絡を取り合ったりは出来ないと分かってるわ。長期戦だと覚悟しているから」
「そうですか」
「だから、真澄ちゃんにはさっき、私だけでするからもう真澄ちゃんは手を貸さなくて良いと言ったけど……。もし万が一、二人が和解する前に私が死んでしまったら、できればその後は真澄ちゃんが二人の間を取り持って貰えないかしら?」
「叔母様?」
 いきなり縁起でも無い内容を聞かされた真澄は、顔付きを険しくしながら香澄に迫った。

「何ですかそれは! 縁起でもない! それとも……、どこか具合が悪いところでも有るんですか!?」
 それに香澄が笑って手を振りながら答える。
「そんな事ないわ。至って健康体よ。万が一って言ったでしょう? 由紀子さんは私より年上だし、順当に行けば私が先に死ぬ事は無いわ」
「全くもう! 脅かさないで下さい!」
 憤然としながら叱りつけた姪に、香澄は悪びれずに言い切った。
「だから『万が一』と言ったでしょう? 巷では『美人薄命』って言うしね~」
 香澄がサラッとそう述べると、真澄は再び卓袱台に突っ伏した。そして疲れ切った様に呟く。

「……やっぱり私の身内では、叔母様が最強です。今、再確認しました」
「ふふっ……、私もそう思うわ。だからその時は宜しくね? 真澄ちゃん」
「はいはい、分かりました。お任せ下さい」
 頭の上から降ってきた笑い声に、真澄は突っ伏したまま幾分ふてくされた口調で投げやりに言葉を返したが、その後の香澄の言葉が現実になるなど、その時点では予想だに出来なかった。そしてその時、可愛い声が玄関の方から伝わって来る。

「たっだいま~! ますみおねえちゃん、まだいる~?」
 その声に、香澄は笑いを堪えた。
「あらあら、予想より随分早かった事。清吾さん、相当持て余したわね。清人君も非協力的だったから仕方が無いか」
「……清人君、何か家の中でする用事が有ったんですか? それなら無理に外に出て貰っていて、悪かったです」
 申し訳ない思いで一杯になってしまった真澄だったが、香澄は豪快に笑い飛ばした。

「無い無いそんな用事! 単に、邪魔者扱いされて拗ねただけよ。あ、それとも『真澄ちゃんが私相手に恋バナをしに来る』って言ったのを相当気にし」
「叔母様! 恋バナって一体何の話ですかっ!」
「香澄さん、誰が何を気にしてるって言うんです?」
「おねえちゃん、あそぼ~!」
「香澄すまん、話は終わったか?」
 香澄の台詞に真澄が盛大に抗議する声と同時に、その場に次々現れた三人の台詞が重なり一気に賑やかになったが、香澄は楽しげに笑って一人ずつ応じた。

「あら、だって女同士の話って言えば恋バナって相場が決まってるじゃない」
「ああああのですね! そんな誤解を招くような発言は!」
「そうなの。誤解よ? ちょっと冗談を言っただけなのに、清人君ったら間に受けちゃって嫌ねぇ」
「……すみません、冗談が分からない性格で」
「じゃあ清香、ちょうど話は終わったから、お姉ちゃんに遊んでもらえるわよ?」
「ほんと!? やったぁー!」
「お疲れ様、清吾さん」
「ああ、話が終わっていて良かったよ。二人とも不満タラタラでな」
(やっぱり叔母様は無敵だわ……)
 思わず真澄が溜め息を吐いていると、 折り紙を引っ張り出そうとしていた清香からさり気なく離れた清人が、真澄の側にきて小声で話し掛けた。

「真澄さん、本当に話は終わったんですか?」
「え、ええ、大丈夫よ」
「そうですか。それで……、恋バナじゃなかったら、今日は香澄さんとどんな話をしに来たんですか?」
(そう言われても……、由紀子さんとの事なんて話せないわよ。清人君が気を悪くするに決まってるのに……)
 真顔で尋ねてきた清人に、真澄は思わず視線をさまよわせた。

「どんなって……、その、大した事では……」
「俺には話しにくい事ですか?」
 真澄の反応を見て、尚も問い掛けた清人に、真澄は小さく頭を下げる。
「あの、えっと…………、ごめんなさい」
「いえ、それなら無理に聞こうとは思いませんから」
 真澄を困らせたのが分かった清人はあっさりと頷いてその場を離れようとしたが、真澄は反射的に清人の腕を掴んで訴えた。

「あのっ! 本当に恋バナとかじゃないから!」
 その必死な表情に清人は軽く目を見開いてから、いつも通りの穏やかな笑顔を真澄に向けた。
「分かってます。香澄さんは大人だし、女の人にしか分からない事は色々ありますよね。俺はまだ子供だし男ですから」
「そういう問題でもないんだけど……」
 尚もボソボソと弁解する真澄に、清人は僅かに首を傾げてから、宥めるように言い出した。

「今は仕方ありませんが……、俺が自他共に認める大人になったら、遠慮無く俺に相談事を持ち掛けて下さい。どんな些細な事でも、厄介事でも構いませんから」
「清人君?」
 俯いていた真澄が、清人の声の調子が変わった事に思わず顔を上げると、真剣な表情の清人の顔が目に入った。そして再度清人が力強く告げる。

「その時は、どんな事でも絶対真澄さんの力になります。約束します」
 そう宣言された真澄は嬉しくなり、それまでもやもやとしていた胸のつかえが取れた気がした。それで心からの笑顔を見せる。

「ありがとう。そうさせて貰うわね?」
「ええ、遠慮なくどうぞ」
 満面の笑みで言葉を返された真澄は、どこか照れくささを感じながら頷いた。
(何か……、清人君との約束事が、どんどん増えていく気がするわ)

 そんな真澄に、漸く折り紙の箱を取り出した清香が「あのね、さやかおはながつくれるようになったの~」と報告しながら抱き付き、香澄と清吾は少し離れた所から、一連の二人のやり取りを、無言のまま微笑ましく眺めていたのだった。

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