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57.淳の困惑
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自宅マンションの集合ポストから、縁に赤い線が入っている封筒を取り出した淳は、無意識に顔を引き攣らせた。
「また来たか……」
取り合えずそれを手にしたまま部屋まで移動し、鞄を置いて椅子に座ってから、恐る恐る封を切って、慎重に中身を取り出す。そして折り畳まれた半紙を広げると、彼の目の前に存在感があり過ぎる×印が現れた。
「くっ……、本当に鬼だな、あの人。これまでの人生で、こんな立派な×印を連続で貰った事なんて、無かったってのに……」
二枚とも机に広げて、これまでの人生の中で最大の敗北感と挫折感を味わっていた淳だったが、ここで彼のスマホが着信を知らせた。
「秀明?」
相手が相手なだけに、何となく嫌な予感を覚えたものの、取り敢えず淳は電話に出てみる事にした。
「何だ? 秀明」
「今暇か?」
「ああ、ちょうど帰宅したところだ」
「そうか。それなら話があるんだが……」
「何だ?」
「……すまん、淳」
微妙に言葉を濁したと思ったら、いきなり謝罪してきた秀明に、淳は当惑以上に不気味なものを感じた。
「お前がいきなり詫びを入れるなんて、気持ち悪いぞ。一体どうした」
「一応、先に言っておくが、美子に悪気は無いんだ。…………多分」
如何にも取って付けた様な、自信なさげな声を聞いた淳は、益々気が滅入りながら話の続きを促す。
「あまり聞きたくないが、何の話だ。さっさと言え」
相手の口調から、もうろくでもない予感しかしなかった淳だったが、不幸な事にそれは的中した。
「お前が美実ちゃんに贈ったクリスマスプレゼントが、美子の物になった」
「はぁ? まさかあの人、妹からプレゼントを取り上げたのか?」
思わず非難する口調になった淳だったが、秀明が不機嫌そうに話を続けた。
「最後まで話を聞け。小野塚がお前の選んだプレゼントと全く同じ物を美実ちゃんに贈って、お前より先に渡していたんだ」
「え?」
「当然そっちを開けてしまっていたから、二つ同じ物を貰ったと判明した時に、偶々そこに居た美子が手付かずの方を貰ったそうだ。お前、絶対尾行が付いてるぞ。間違っても変な事はするなよ?」
「…………」
詳細を聞いた淳はがっくりと項垂れたが、急に相手が無言になった為、秀明が声をかけてきた。
「おい、淳。大丈夫か?」
「秀明……。お前、よりにもよって、美子さんから盛大な×印を返されたタイミングでそんな話……。絶対、夫婦で示し合わせて狙っただろう?」
呻く様な問いかけに、秀明は若干たじろぎながら弁解してきた。
「いや、誤解するな。決してそういう意図は無くて、お前にさっきの話をどう伝えるかちょっと悩んでいるうちに、何だかんだと一日程度経過して……。そうか。速達が届いていたか。重ね重ねすまない」
「ああ……、悪気は無かったんだよな? 何かもう本当に、お前ら似合いの夫婦だよな?」
半ば自棄気味の淳の台詞に、秀明が溜め息混じりに言い聞かせてくる。
「気持ちは分かるが、やさぐれるな。愚痴を言ってる暇があったら、さっさと美実ちゃんが気に入る名前を考えろ。それじゃあな」
そして容赦なく通話を終わらせた秀明に、淳は舌打ちして悪態を吐いた。
「あいつ……。言いたい事だけ言いやがって……」
そこで気分直しに何か飲もうと台所に向かった淳だったが、冷蔵庫の中を確認していると、再びスマホが着信を知らせてきた。
「今度は誰だ? ……何だ、縁か」
正直話をする気分では無かったものの、わざわざ電話をかけてくるなど、姉の性格を考えれば珍しい事であり、淳は取り敢えず出てみる事にした。
「もしもし、淳? 今、大丈夫?」
「ああ、縁か。どうした?」
「全然連絡を寄越さないけど、やっぱり年末年始はこっちに帰って来る予定は無いの?」
「ああ。そういう気分じゃないしな」
「そう……」
多少素っ気なく断りを入れると、小言の一つも言ってくるかと思った相手が、力無く相槌を打ったのみだった為、逆に淳は心配になった。
「どうした? 何か元気ないな。具合でも悪いのか? それとも親父かお袋に何かあるのか?」
その問いかけで我に返ったらしい縁は、慎重に話題を変えてきた。
「ううん、そういう事じゃないんだけど……。あの、淳。あんたが付き合ってた美実さんって、旭日食品の社長令嬢なのよね?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「そちらのお家って、観光業界や出版業界に何か伝手があるとか、親戚にそっち方面に関わりがある方とかが居たりしない?」
そんな唐突な問いに、淳は目を丸くした。
「は? それは無いだろう? 確かに美実の親父さんは旭日ホールディングスの社長も兼ねてるが、関連企業や子会社は全て食品の生産・加工・販売・輸出入に関わる業種の筈だし」
「そうよね。一応ホームページでも、調べてみたんだけど」
「それならわざわざ俺に聞く事は無いだろうが。どうしてそんな事を聞くんだ?」
不思議に思って理由を尋ねると、縁は若干重い口調で話し出した。
「この前、キャンセル客での満室状態の話をしたでしょう?」
「聞いたが……。まさか、それが未だに続いているわけじゃないよな?」
「実はそうなのよ。しかも先々週の土曜日に珍しく一組だけお客様がキャンセルせずにお泊りになったんだけど、その方達が某旅行雑誌の覆面取材の方だったの」
「え?」
あまりにも予想外の内容を語られて、淳が当惑する中、縁の説明が淡々と続いた。
「チェックアウトする時に、その事を言われたの。詳細は良く分からないけど、上の方からうちの名前が挙がったとかで。でも『これまでに数多くの旅館に宿泊してきましたが、週末にこれだけ人気と活気が無い旅館は初めてです。何か悪い評判とか事件でもあったんですか? 早急に解決する事をお勧めします。旅館の中身はともかく、こんな状態では読者にお勧めできません』と言われて……。せっかく有名誌で紹介して頂ける、チャンスだったのに……」
「間が悪かったな……」
最後は如何にも気落ちしている声だった為、淳は思わず慰めた。しかし縁の話はこれで終わらなかった。
「それからお母さんが『さすがに年末年始はキャンセル客もそうそう居ないでしょう。どうせ平日はキャンセル客ばかりでしょうから、その前に有休を取っておいて』と指示を出して、偶々水曜日に従業員の七割が休みを取った時に、予約客が全員、夕方の六時から七時にかけて押しかけてきて」
「ちょっと待て、縁! それって大丈夫だったのか!?」
どう考えても拙い話を聞いて、淳は思わず声を荒げて問い返したが、それ以上に感情的になった縁の声が返ってきた。
「大丈夫なわけ無いじゃない! もう大混乱よ! 休んでいた中居を大急ぎで呼び寄せる羽目になったし、食材も最近は無駄になるからってかなり少ない量しか仕入れて無かったから、あちこちに頭を下げてかき集めて。普通だったら閑散期でも、予約人数分の従業員も食材もきちんと揃えておくのに、全員キャンセルなんて状態が続いたからすっかり油断してて! 夕食を出し終わるまで、九時までかかったわ! 布団を敷き終えるまで、どれだけかかったと思う!? 普段だったら絶対、こんな事ありえないのに!!」
「分かった。想像は付くから、無理に言わなくて良いから。大変だったな……」
泣き叫ぶ様に言ってきた姉に、確かに全面的に旅館側の失態ではあったものの、淳は心底同情した。すると縁が、急に押し殺した口調に変えて、話を続けてくる。
「実はその中に、某旅行会社の企画室の一行がいらしてたの……」
「何だって?」
「何でも、うちと同規模の全国各地の温泉地の旅館を十軒程取り上げて、施設内容やサービス比較して紹介する企画で、一般客を装って取材に来ていたそうで。ここの温泉街では、どこからなのかは分からないけど、うちが推薦されたらしいの……」
そこで無言になった姉に、淳は一応聞いてみた。
「縁……。その人達は何て言ってたんだ?」
「聞かないでよ!!」
「分かった。悪かった」
瞬時に泣き声で怒鳴り返した彼女に、淳は素直に謝った。すると縁が何とか気を取り直したらしく、普段と変わらない口調で言ってくる。
「それで……、そんな事が立て続けに起こって、今家の中の空気が重いから、せめて淳が帰って来ないかと思って電話してみたんだけど……」
姉が電話をかけてきた理由が分かった淳は、納得して頷いた。
「そういう事か。だが俺が帰省しても、却って険悪になるだけだと思うが」
「そんな事は無いわよ。確かにお母さんは未だにぐちぐち言ってるけど、それは裏を返せばあんたの事を可愛がってるって事なんだから」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
そこでくすりと笑った縁に、淳も思わず苦笑いしてしまった。しかしそこで電話越しに、縁が愚痴めいた事を言ってくる。
「お母さんと言えば……。今回の一連の異常事態は、藤宮さん、だったかしら? あんたの相手のご家族が、うちに恥をかかせる為に裏で手を回したに違いないって喚いてて。だけどさっき言った様に、食品関係の業種しか関係ないんでしょう?」
「ああ。母方は完全にそっち方面だな。父方は揃って政治家の家系だし、観光業界や出版業界にそんなに影響があるとは」
「ちょっと待って、淳。父方って何の事?」
急に自分の台詞を遮って、鋭く問いかけてきた縁に、淳は不思議そうに説明した。
「言って無かったか? 彼女の親父さんは婿養子なんだ。父親が元代議士の倉田公典で、当初その後継者に目されてたんだけど、美実のお袋さんに惚れ込んで藤宮家に婿入りしちまったから、弟が跡を継いだんだ。それが現職の倉田和典代議士。知ってるか?」
「勿論知ってるわよ! 与党でも大手派閥の、有力議員じゃない!」
何故か声を荒げた姉に、淳が考え込みながら告げる。
「他にも親父さんの姉婿二人が、名前は確か……、長谷川雄太代議士と中野新代議士だったか。父親の従兄弟や又従兄弟辺りまで含めると、区議会議員とか県会議員とか、色々居るみたいだが。藤宮家は母方父方双方と、親戚付き合いがすこぶる良好だからな。一番上の美子さんが、万事そつなく取り仕切ってるから」
「ちょっと待って、淳! その義理の伯父さん達の名前も、時々ニュースとかで聞くわよ!? あんたそういう大事な事は、さっさと言いなさい!」
「何だよ。第一、旅館業には全く関係無いだろう?」
いきなり叱り付けられて、淳は唖然としながら言い返した。しかし縁はここで声を潜め、重々しい口調で続ける。
「実は少し前から、県内の観光業者の中で、変な噂が飛び交っているの」
「どんな噂だ?」
「県内の某温泉旅館の跡取り息子が、跡を継がずに弁護士になったは良いが、某与党有力代議士の姪を妊娠させた挙げ句に捨てた為に、彼女を可愛がっている叔父の某代議士が激怒して、選挙時のこの県選出の代議士への応援回数や、地方交付金を削減する様に画策してるって噂なんだけど」
「なんだよ。その微妙にかすって、微妙に外してる噂は……」
淳が思わず顔が引き攣るのを感じながら呟くと、縁が押し殺した声で続けた。
「それであんたが弁護士になって家を出て、東京に行ってるのを知ってる同業者の何人かから、会合とかの時に『まさかお宅の息子の事じゃ無いだろうね?』ってお父さん達が聞かれてて。滅相もありませんって答えてたんだけど。美実さんって本当に、倉田代議士の姪なの? それで可愛がられてるの?」
「確か……、倉田家の子供は息子だけで、藤宮家は五人姉妹だから、何か行事がある度に招待されて、全員可愛がって貰っているとか何とかは言ってたが」
それを聞いた縁は、独り言のように続けた。
「うちの県の観光協会会長が、県選出の代議士の実弟なのよ。多分そこら辺から、話が広がったんだわ。この話が万が一うちの事だと思われたり、事実そうだったりしたら……。県内の観光協会に所属する業者から、総すかんを食らうのは確実……」
「おい、縁?」
「とにかくこの事を、お父さんとお母さんに知らせないと! ごめん、淳、切るわね! 年末年始、戻って来なくても良いから! というか、もう未来永劫戻らなくても良いわ! でも可哀想だから、骨になったら引き取ってあげるから安心して! 強く生きなさい。それじゃあね!!」
「あ、おい、縁!」
急に焦った口調でまくし立てたかと思ったら、乱暴に切られた為、淳は呆気に取られてから、憮然とした顔つきになった。
「縁起でもない……」
しかし通話を終わらせてから、一人難しい顔で考え込む。
「だが……、倉田家も観光業や出版業に大した影響力は持って無いよな? それに藤宮さんがそんな変な噂を流すとは思えないし、実弟の倉田氏も知っている限りでは……。こんな下手な謀略めいた噂……」
そこで彼はすっかり失念していた、ある人物の事を思い出した。
「そう言えばすっかり忘れていたが、観光業界や出版業界を含む各方面にそれなりに影響力を保持していて、謀略が十八番って人物……、と言うか組織があったな」
それに気づいた瞬間、淳の顔がこれ以上は無い位、苦々しい物となる。
「本格的に、加積が関わっているのか? しかし実家に下手な事は言えないし、明らかに関わってるという証拠もない……」
そして思い付いた内容について、淳は一人悶々と悩み続ける事となった。
「また来たか……」
取り合えずそれを手にしたまま部屋まで移動し、鞄を置いて椅子に座ってから、恐る恐る封を切って、慎重に中身を取り出す。そして折り畳まれた半紙を広げると、彼の目の前に存在感があり過ぎる×印が現れた。
「くっ……、本当に鬼だな、あの人。これまでの人生で、こんな立派な×印を連続で貰った事なんて、無かったってのに……」
二枚とも机に広げて、これまでの人生の中で最大の敗北感と挫折感を味わっていた淳だったが、ここで彼のスマホが着信を知らせた。
「秀明?」
相手が相手なだけに、何となく嫌な予感を覚えたものの、取り敢えず淳は電話に出てみる事にした。
「何だ? 秀明」
「今暇か?」
「ああ、ちょうど帰宅したところだ」
「そうか。それなら話があるんだが……」
「何だ?」
「……すまん、淳」
微妙に言葉を濁したと思ったら、いきなり謝罪してきた秀明に、淳は当惑以上に不気味なものを感じた。
「お前がいきなり詫びを入れるなんて、気持ち悪いぞ。一体どうした」
「一応、先に言っておくが、美子に悪気は無いんだ。…………多分」
如何にも取って付けた様な、自信なさげな声を聞いた淳は、益々気が滅入りながら話の続きを促す。
「あまり聞きたくないが、何の話だ。さっさと言え」
相手の口調から、もうろくでもない予感しかしなかった淳だったが、不幸な事にそれは的中した。
「お前が美実ちゃんに贈ったクリスマスプレゼントが、美子の物になった」
「はぁ? まさかあの人、妹からプレゼントを取り上げたのか?」
思わず非難する口調になった淳だったが、秀明が不機嫌そうに話を続けた。
「最後まで話を聞け。小野塚がお前の選んだプレゼントと全く同じ物を美実ちゃんに贈って、お前より先に渡していたんだ」
「え?」
「当然そっちを開けてしまっていたから、二つ同じ物を貰ったと判明した時に、偶々そこに居た美子が手付かずの方を貰ったそうだ。お前、絶対尾行が付いてるぞ。間違っても変な事はするなよ?」
「…………」
詳細を聞いた淳はがっくりと項垂れたが、急に相手が無言になった為、秀明が声をかけてきた。
「おい、淳。大丈夫か?」
「秀明……。お前、よりにもよって、美子さんから盛大な×印を返されたタイミングでそんな話……。絶対、夫婦で示し合わせて狙っただろう?」
呻く様な問いかけに、秀明は若干たじろぎながら弁解してきた。
「いや、誤解するな。決してそういう意図は無くて、お前にさっきの話をどう伝えるかちょっと悩んでいるうちに、何だかんだと一日程度経過して……。そうか。速達が届いていたか。重ね重ねすまない」
「ああ……、悪気は無かったんだよな? 何かもう本当に、お前ら似合いの夫婦だよな?」
半ば自棄気味の淳の台詞に、秀明が溜め息混じりに言い聞かせてくる。
「気持ちは分かるが、やさぐれるな。愚痴を言ってる暇があったら、さっさと美実ちゃんが気に入る名前を考えろ。それじゃあな」
そして容赦なく通話を終わらせた秀明に、淳は舌打ちして悪態を吐いた。
「あいつ……。言いたい事だけ言いやがって……」
そこで気分直しに何か飲もうと台所に向かった淳だったが、冷蔵庫の中を確認していると、再びスマホが着信を知らせてきた。
「今度は誰だ? ……何だ、縁か」
正直話をする気分では無かったものの、わざわざ電話をかけてくるなど、姉の性格を考えれば珍しい事であり、淳は取り敢えず出てみる事にした。
「もしもし、淳? 今、大丈夫?」
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「全然連絡を寄越さないけど、やっぱり年末年始はこっちに帰って来る予定は無いの?」
「ああ。そういう気分じゃないしな」
「そう……」
多少素っ気なく断りを入れると、小言の一つも言ってくるかと思った相手が、力無く相槌を打ったのみだった為、逆に淳は心配になった。
「どうした? 何か元気ないな。具合でも悪いのか? それとも親父かお袋に何かあるのか?」
その問いかけで我に返ったらしい縁は、慎重に話題を変えてきた。
「ううん、そういう事じゃないんだけど……。あの、淳。あんたが付き合ってた美実さんって、旭日食品の社長令嬢なのよね?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「そちらのお家って、観光業界や出版業界に何か伝手があるとか、親戚にそっち方面に関わりがある方とかが居たりしない?」
そんな唐突な問いに、淳は目を丸くした。
「は? それは無いだろう? 確かに美実の親父さんは旭日ホールディングスの社長も兼ねてるが、関連企業や子会社は全て食品の生産・加工・販売・輸出入に関わる業種の筈だし」
「そうよね。一応ホームページでも、調べてみたんだけど」
「それならわざわざ俺に聞く事は無いだろうが。どうしてそんな事を聞くんだ?」
不思議に思って理由を尋ねると、縁は若干重い口調で話し出した。
「この前、キャンセル客での満室状態の話をしたでしょう?」
「聞いたが……。まさか、それが未だに続いているわけじゃないよな?」
「実はそうなのよ。しかも先々週の土曜日に珍しく一組だけお客様がキャンセルせずにお泊りになったんだけど、その方達が某旅行雑誌の覆面取材の方だったの」
「え?」
あまりにも予想外の内容を語られて、淳が当惑する中、縁の説明が淡々と続いた。
「チェックアウトする時に、その事を言われたの。詳細は良く分からないけど、上の方からうちの名前が挙がったとかで。でも『これまでに数多くの旅館に宿泊してきましたが、週末にこれだけ人気と活気が無い旅館は初めてです。何か悪い評判とか事件でもあったんですか? 早急に解決する事をお勧めします。旅館の中身はともかく、こんな状態では読者にお勧めできません』と言われて……。せっかく有名誌で紹介して頂ける、チャンスだったのに……」
「間が悪かったな……」
最後は如何にも気落ちしている声だった為、淳は思わず慰めた。しかし縁の話はこれで終わらなかった。
「それからお母さんが『さすがに年末年始はキャンセル客もそうそう居ないでしょう。どうせ平日はキャンセル客ばかりでしょうから、その前に有休を取っておいて』と指示を出して、偶々水曜日に従業員の七割が休みを取った時に、予約客が全員、夕方の六時から七時にかけて押しかけてきて」
「ちょっと待て、縁! それって大丈夫だったのか!?」
どう考えても拙い話を聞いて、淳は思わず声を荒げて問い返したが、それ以上に感情的になった縁の声が返ってきた。
「大丈夫なわけ無いじゃない! もう大混乱よ! 休んでいた中居を大急ぎで呼び寄せる羽目になったし、食材も最近は無駄になるからってかなり少ない量しか仕入れて無かったから、あちこちに頭を下げてかき集めて。普通だったら閑散期でも、予約人数分の従業員も食材もきちんと揃えておくのに、全員キャンセルなんて状態が続いたからすっかり油断してて! 夕食を出し終わるまで、九時までかかったわ! 布団を敷き終えるまで、どれだけかかったと思う!? 普段だったら絶対、こんな事ありえないのに!!」
「分かった。想像は付くから、無理に言わなくて良いから。大変だったな……」
泣き叫ぶ様に言ってきた姉に、確かに全面的に旅館側の失態ではあったものの、淳は心底同情した。すると縁が、急に押し殺した口調に変えて、話を続けてくる。
「実はその中に、某旅行会社の企画室の一行がいらしてたの……」
「何だって?」
「何でも、うちと同規模の全国各地の温泉地の旅館を十軒程取り上げて、施設内容やサービス比較して紹介する企画で、一般客を装って取材に来ていたそうで。ここの温泉街では、どこからなのかは分からないけど、うちが推薦されたらしいの……」
そこで無言になった姉に、淳は一応聞いてみた。
「縁……。その人達は何て言ってたんだ?」
「聞かないでよ!!」
「分かった。悪かった」
瞬時に泣き声で怒鳴り返した彼女に、淳は素直に謝った。すると縁が何とか気を取り直したらしく、普段と変わらない口調で言ってくる。
「それで……、そんな事が立て続けに起こって、今家の中の空気が重いから、せめて淳が帰って来ないかと思って電話してみたんだけど……」
姉が電話をかけてきた理由が分かった淳は、納得して頷いた。
「そういう事か。だが俺が帰省しても、却って険悪になるだけだと思うが」
「そんな事は無いわよ。確かにお母さんは未だにぐちぐち言ってるけど、それは裏を返せばあんたの事を可愛がってるって事なんだから」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
そこでくすりと笑った縁に、淳も思わず苦笑いしてしまった。しかしそこで電話越しに、縁が愚痴めいた事を言ってくる。
「お母さんと言えば……。今回の一連の異常事態は、藤宮さん、だったかしら? あんたの相手のご家族が、うちに恥をかかせる為に裏で手を回したに違いないって喚いてて。だけどさっき言った様に、食品関係の業種しか関係ないんでしょう?」
「ああ。母方は完全にそっち方面だな。父方は揃って政治家の家系だし、観光業界や出版業界にそんなに影響があるとは」
「ちょっと待って、淳。父方って何の事?」
急に自分の台詞を遮って、鋭く問いかけてきた縁に、淳は不思議そうに説明した。
「言って無かったか? 彼女の親父さんは婿養子なんだ。父親が元代議士の倉田公典で、当初その後継者に目されてたんだけど、美実のお袋さんに惚れ込んで藤宮家に婿入りしちまったから、弟が跡を継いだんだ。それが現職の倉田和典代議士。知ってるか?」
「勿論知ってるわよ! 与党でも大手派閥の、有力議員じゃない!」
何故か声を荒げた姉に、淳が考え込みながら告げる。
「他にも親父さんの姉婿二人が、名前は確か……、長谷川雄太代議士と中野新代議士だったか。父親の従兄弟や又従兄弟辺りまで含めると、区議会議員とか県会議員とか、色々居るみたいだが。藤宮家は母方父方双方と、親戚付き合いがすこぶる良好だからな。一番上の美子さんが、万事そつなく取り仕切ってるから」
「ちょっと待って、淳! その義理の伯父さん達の名前も、時々ニュースとかで聞くわよ!? あんたそういう大事な事は、さっさと言いなさい!」
「何だよ。第一、旅館業には全く関係無いだろう?」
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「どんな噂だ?」
「県内の某温泉旅館の跡取り息子が、跡を継がずに弁護士になったは良いが、某与党有力代議士の姪を妊娠させた挙げ句に捨てた為に、彼女を可愛がっている叔父の某代議士が激怒して、選挙時のこの県選出の代議士への応援回数や、地方交付金を削減する様に画策してるって噂なんだけど」
「なんだよ。その微妙にかすって、微妙に外してる噂は……」
淳が思わず顔が引き攣るのを感じながら呟くと、縁が押し殺した声で続けた。
「それであんたが弁護士になって家を出て、東京に行ってるのを知ってる同業者の何人かから、会合とかの時に『まさかお宅の息子の事じゃ無いだろうね?』ってお父さん達が聞かれてて。滅相もありませんって答えてたんだけど。美実さんって本当に、倉田代議士の姪なの? それで可愛がられてるの?」
「確か……、倉田家の子供は息子だけで、藤宮家は五人姉妹だから、何か行事がある度に招待されて、全員可愛がって貰っているとか何とかは言ってたが」
それを聞いた縁は、独り言のように続けた。
「うちの県の観光協会会長が、県選出の代議士の実弟なのよ。多分そこら辺から、話が広がったんだわ。この話が万が一うちの事だと思われたり、事実そうだったりしたら……。県内の観光協会に所属する業者から、総すかんを食らうのは確実……」
「おい、縁?」
「とにかくこの事を、お父さんとお母さんに知らせないと! ごめん、淳、切るわね! 年末年始、戻って来なくても良いから! というか、もう未来永劫戻らなくても良いわ! でも可哀想だから、骨になったら引き取ってあげるから安心して! 強く生きなさい。それじゃあね!!」
「あ、おい、縁!」
急に焦った口調でまくし立てたかと思ったら、乱暴に切られた為、淳は呆気に取られてから、憮然とした顔つきになった。
「縁起でもない……」
しかし通話を終わらせてから、一人難しい顔で考え込む。
「だが……、倉田家も観光業や出版業に大した影響力は持って無いよな? それに藤宮さんがそんな変な噂を流すとは思えないし、実弟の倉田氏も知っている限りでは……。こんな下手な謀略めいた噂……」
そこで彼はすっかり失念していた、ある人物の事を思い出した。
「そう言えばすっかり忘れていたが、観光業界や出版業界を含む各方面にそれなりに影響力を保持していて、謀略が十八番って人物……、と言うか組織があったな」
それに気づいた瞬間、淳の顔がこれ以上は無い位、苦々しい物となる。
「本格的に、加積が関わっているのか? しかし実家に下手な事は言えないし、明らかに関わってるという証拠もない……」
そして思い付いた内容について、淳は一人悶々と悩み続ける事となった。
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敏腕パティシエの独占愛が止まらない、
甘くて危険なシークレットラブストーリー。
🍨🍰🍮🎂🍮🍰🍨
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