世界が色付くまで

篠原 皐月

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第17話 宴の陰影

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 一方で、加積の来訪を偶々ロビーの隅で認めた浩一は、間違っても相手をホテルから叩き出すなどの暴挙はできず、憤慨しながらホテルの廊下を駆け抜けた。

「清人!」
「何だ、舞い戻って来やがって。どうした?」
 先程、新郎控室から従兄弟達と連れ立って行ったばかりの浩一が、血相を変えて戻ってきた事に清人は、一応驚いたふりをしてみせたが、付き合いの長い浩一にはそれが上辺だけの物だと分かり、歯軋りしながら清人を睨み付けた。そしてその場には大学時代の先輩であり、同じ柏木産業に勤める鹿角、広瀬、桜庭が清人をからかいにやって来ていたが、浩一が押し殺した声で彼等に要請する。

「……先輩、申し訳ありませんが、外して頂けますか?」
「あ、ああ……」
「分かった……」
「ごゆっくり……」
 浩一のただならぬ形相と雰囲気に恐れをなした三人があっさりと出て行くと、浩一はドアに鍵をかけてから清人に近寄り、自分自身を落ち着かせる様に静かに問いかけた。

「清人。お前、何で披露宴に加積夫妻を招待してるんだ?」
「ああ、見たのか?」
「『見たのか?』じゃあ無いだろうが!?」
 そこで五つ紋の着物に羽織袴姿の清人に詰め寄った浩一は、険しい表情になって怒鳴りつけた。しかし清人は浩一の怒りを、平然と受け流す。 

「別に支障は無いだろう? 単に久し振りに顔を見たかっただけだし、そもそも俺の結婚披露宴だ。出席者について、お前にとやかく言われる筋合いは無い」
「…………っ! 貴様!?」
 無意識に両手で清人の胸倉を掴んで迫った浩一だったが、そんな彼を至近距離で見据えながら、清人が静かに問い掛ける。

「それに……、あいつは加積夫妻と顔を合わせたとしても、今更動揺したりしないだろう。見たか?」
「……しっかり見て来なかったが、おそらくは」
 忌々しそうに答えた浩一に、清人は冷静に頷いてみせた。

「そうだろうな。それ以前と比べると、初めてまともに人間扱いしてくれたご主人様だ。それなりに恩義は感じているだろうし、非礼な真似はしないだろう」
「しかしだな!」
「だから、披露宴の最中に挨拶がてら酌の一つをしに行っても睨むなよ? これ以上喚くな。それからさっさと手を離せ。皺になる」
 尚も言い募ろうとした浩一の言葉を遮り、清人は横柄とも言える口調で浩一の手を着物の襟から半ば力ずくで引き剥がした。そんな清人を少しの間睨みつけてから、浩一は無言のままその部屋を立ち去った。その姿がドアの向こうに消えてから、清人が小さく呟く。

「これ位で一々動揺してるなよ。全く……」
 そして、苦笑いしながら姿見の前に移動した清人は襟の乱れを直すと、そのまま見るともなしに鏡の中の自分の姿を見詰めた。

「だが……、本当に来るとは思わなかったな。そろそろなのか?」
 そう物憂げに呟いた清人だったが、間を置かず続けて控室に乱入してきた自称『ちょっと年上の友人』達に対応する為、笑顔で意識を切り替えた。

 そして加積の件以外は、大したトラブルもなく受付は進み、披露宴が始まってからも何人かが遅れてやって来たが、開始後二十分を経過した所でスタッフに後を頼み、緑と恭子は静かに会場内に入って行った。そして席が準備されていた新郎側親族席のテーブルに、清香と小笠原一家に挨拶しながら座る。
 小笠原社長夫妻とは入社前に自宅を訪ねて面識があり、清香を交えて和やかに会話をしつつ、時折聡をいびりながら一時間程を過ごた恭子は、再び腰を上げた。

「少し失礼して、知り合いの方々にご挨拶して来ます」
「行ってらっしゃい」
 清香に見送られた恭子は、新郎新婦がお色直しの為に退出し、出席者が入り乱れて歓談している会場を進んだ。途中会場を行き交うボーイから烏龍茶の瓶を一本受け取り、中央寄りの一つのテーブルに辿り着いて控え目に声をかける。

「加積様、奥様、ご歓談中失礼いたします」
「おう、来たか」
 加積は淡々とその挨拶に応じたが、その横では些か茶化す様な声が返ってきた。

「あらあら、わざわざ来なくても良いのに。小者が怖がってこのテーブルに近寄って来ないから、皆さんと楽しくお喋りしていたのよ? あなたが来たせいで敷居が高くないと思われて、お追従ばかりの連中に群がられたりしたら嫌だわ」
 そんな台詞に、周囲から賛同する声が上がる。

「確かになぁ、今日は加積さんのお蔭でうざくない」
「こういう場所では、主役以上に纏わり付かれる事がままありますからな」
「ままあるだけか? 俺はしょっちゅうだぞ?」
「それは配慮に欠けました。申し訳ありません」
(う~ん、確かにこのテーブル、肩書が豪華過ぎるわ。結城化繊工会長で経興連会長の大刀洗会長、新興銀行頭取の佐倉知典氏、関西商工会会頭で日新光学会長の飛田幸之介氏、高見自動車工業社長の高見慧氏、富川薬工社長の村田修造氏に畑山酒造の寺本秀次会長だなんて。本当だったらお近付きになりたい烏合の衆が、纏わり付いて来るんでしょうね。旦那様の顔が知られているお陰で寄って来れないなんて、滑稽過ぎるけど)
 半ば呆れて小さく溜め息を吐いてから、遠目で加積のグラスの中身を確認していた恭子は、烏龍茶の瓶を加積の方に軽く差し出しながらお伺いを立てた。

「宜しければ、お注ぎいたしますが」
「ああ、頼む」
 短く促された恭子は、半分程になっていたグラスに注ぎ足しながら、密かに相手の様子を観察した。

(やっぱり老けたわよね。お屋敷を出た時も既にお年だったけど、もう少し気力が充実していた気がするわ)
 端から見ればとても実年齢には見えない加積も、何年も側で見慣れていた恭子にしてみれば、その姿は当惑するものだった。そんな感傷を打ち消す様に、恭子は続けて声をかけた。

「この様な賑やかな場所にお出ましになって、お疲れでは無いですか?」
 一応、恭子なりの気遣いだったのだが、それは夫妻に一笑に付されてしまう。

「偶には良いだろう。久し振りに本気で笑わせて貰った」
「本当に。辛気臭い老人の相手ばかりしていると、こちらまで腐りそうですもの。良い気分転換になったわ。招待して下さった新郎新婦にあなたの方からお礼を言っておいて頂戴。直接お礼を言ったら差し障りがあるでしょうからね」
「畏まりました」
 先程からの、流石清人と真澄の披露宴だと納得しそうな、桁外れで非常識なイベントの数々に対するコメントを飲み込み、恭子は真顔で頭を下げた。すると恭子と夫妻の関係をなんとなく推察しながらも、余計な口を挟まない聡い周囲の面々が、面白そうに口を挟んでくる。

「加積さん、あの二人なら直接礼を言っても別に気にはしないと思うが?」
「なかなか面白いものを見せて貰ったし、儂らも礼を言わんとな」
「そうそう、あの時手足の一本や二本取られるかと思った加積さん相手に、こんな話ができるとは夢にも思いませんでした」
「それに恐妻家だとは、些かも存じ上げませんでしたな。奥様を怒らせたくはないです」
「まあ、皆様酷い。そんな事ばっかり仰って」
「本当の事だからな」
「あなた?」
 軽く桜が夫を睨み、加積は妻の視線からさり気なく視線を逸らす。それを見て周囲の者達と同様、恭子は笑いを噛み殺したが、ふと背後から視線を感じた。

(誰か、こちらを見ている?)
 何となく友好的とは言いかねる視線を受けた気がした恭子は、さり気なく加積の椅子の背後を周りながら会場を見回して視線の主を探した。すると予想外の人物に行き当たる。

(……浩一さん?)
 その浩一は恭子と視線が合うと、不機嫌そうな顔を不自然に見えない程度に逸らし、新婦側親族席にやってきた出席者と会話し始めた。それで恭子の中で、何となくもやもやした気持ちが残る。

(睨まれていた? でも式までは普通に話をしていたから、私の出で立ちが気に障ったとかじゃないわよね? どういう事かしら。それとも気のせい?)
 そんな内心を綺麗に押し隠し、笑顔で別れを告げて自分の席に戻って行く恭子を、そのテーブルに着いていた者達全員、何か物言いたげな視線で見送った。

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