いらっしゃいませ、久遠様

篠原皐月

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(12)それはツンデレ

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「最近、妻が退職しまして、家にいるようになったのですが……。当初は普通に過ごしていましたが、少ししたら手持ち無沙汰にしておりました。息子と娘は既に家を出て、離れて住んでおりますから偶にしか帰って来ませんし。忙しく働いていたものですから、いざ時間に余裕ができたら何をしたら良いか分からないような感じでしたね」
 そこで努は再び珈琲を飲み、彼がカップをソーサーに戻したタイミングで、三好が尋ねる。

「筑紫さんは、ずっとお仕事をされていたんですか?」
「ええ、産休と育休は取りましたが」
「それは凄いですね」
 三好は思わず感嘆の声を漏らした。しかし何故か努は、溜め息を吐いてから話を続ける。

「私の稼ぎだけで十分生活できたのですが、『私は仕事を続けたいのよ。仕事も家事もちゃんとやるわ。普段家事や育児をしないくせに、何か文句があるの?』と押し切られまして。確かに、家のことは任せきりだったので口出しはできず、辞めろとも言えませんでした。いやはや、気の強い女です」
「ええと……、しっかりされている方ですよね」
 迂闊な事は言えず、三好は穏当な表現で述べた。そこで努が話を元に戻す。

「それで、ペットでも飼えば気が紛れるかもと一瞬考えましたが、高齢になってから生き物の世話をする場合、最期まで面倒を見れるかどうか懸念がある以上、無責任なことはできません。それ以前に妻がアレルギー持ちですから、命に関わります」
「はい。それはお伺いしています」
「それでペットロボットだったら良いかと何種類か資料を集めて、どれにするか厳選していたところでした」
「そうだったんですか……。それは筑紫さんから聞いていませんでした」
「妻には言っておりませんので」
「はあ……、そうでしたか」
 どうして言っていないんだと思いながらも、三好は余計なことは言わずに聞き役に徹した。

「そうこうしているうちに、妻が急に働きに出ると言い出しまして。外で働くのが駄目だと言うつもりはないのですが、どうも最近妙に浮かれて出勤していくのが気になって、不審に思っていました」
「そうでしたか……。楽しく働きに来ていただいているようで、私としては安心しましたが」
「私も楽しく働いているのなら良いと思いましたが、どうにも箍が外れたというか、底が抜けたというか……。上手く言えませんが、常軌を逸した浮かれっぷりとでも言えば良いでしょうか? それで、もしや職場でいらぬ騒ぎを引き起こしたり、周りの方にご迷惑をかけているのではと、少しばかり心配になったものですから。とんだ杞憂でした」
「あ、あはは……、そうですね。誤解が解けて何よりです」
「…………」
 努の話を横で黙って聞いていた郁は、家では一体どんな浮かれっぷりだったのだろうと、頭痛を覚えた。三好は三好で、自分の笑顔が引き攣っているのを自覚しながら深く頷く。そこで努はふっと目元を緩ませながら、隣席の座面に大人しく座っている久遠を見下ろした。

「あれだけ機嫌が良かったのは、この狐と触れ合えるからだったのですね。得心しました。まさか動物アレルギーを引き起こさない狐がいるなどとは、予想だにしていなかったもので。汗顔の至りです」
「いえ、その……、普通であれば予想できないと思いますし。あの、筑紫さん。申し訳ありませんが、この狐のことは……」
 恐る恐る三好が久遠について懇願すると、努は真摯な面持ちで頷いてみせた。

「承知しております。先程、妻が世間には内密に最終試験の最中だと言っておりましたから、口外は致しません。お父上からの要請を断れなかったとお察ししますが、普通にお仕事をされながら実験の委託を受けるとは、本当に大変ですね」
「いえ、それほどでも……」
 既に何度目になるのか分からない冷や汗を流しながら、三好は引き攣った笑みを浮かべた。そんな二人を横目で見ながら、郁が久遠と脳内で語り合う。

(あの荒唐無稽な話、筑紫さんが主張したから全面的に信じたのかしら? 奥さんの話だからと信じて疑わないのは、凄いと言えば凄いわね……)
(確かにここまでくると、天晴れとしか言いようがないな)
(それにしても、奥さんが狐と言ったから狐が見えたとしても、そもそもある程度信心がなければ、そのまま久遠様の姿は見えない筈ですよね?)
(うむ。あの男も妻同様に、それなりに信心を持ち合わせているようだぞ?)
 そこで努は真剣な表情のまま、軽く頭を下げる。

「妻は少々思い込みが激しいところがあってご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
 それから静かに珈琲を飲み終えた努は、静かに立ち上がった。

「それでは失礼します。美味しくいただきました。銀座で飲んだ専門店の珈琲と遜色ありません。今度来る時は、別銘柄を楽しませて貰います」
「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」
 努は笑顔で会計を済ませ、店から出て行った。そして客が郁しかいなくなった店内で、疲労感満載の声が生じる。

「……嵐みたいだった」
「緊張した……。本当に、最悪な状況にならなくて良かった……」
 ぐったりしている郁と三好をよそに、久遠が淡々と問いを発する。

「見た目が少々無愛想だが、紳士ではあるのは確かだな。それと同時に……、あのような人間を、巷では最近なんと言ったか……」
「ツンデレ一択よ」
「ツンデレですね」
「そうそう。その『つんでれ』だな」
 そこで二人と一柱の意見は、初めて完全に一致したのだった。






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