ようこそリスベラントへ

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
11 / 57
第1章 父の故郷は魔女の国

(10)聖紋の意味

しおりを挟む
「ええと、それでジークさん?」
「あの、殿下。彼女に、この事態の説明を……」
「ああ、そうだな」
 もう少し詳しい事情を聞き出そうと、気まずい思いをしながら声をかけた藍里だったが、それを遮る様にジークがルーカスに声をかけた。そして話が逸れてしまっていた事を思い出した彼が、再び真顔で話し始める。

「リスベラントで、建国の祖と崇められている聖リスベラ。本名リスベラ・ディアルドの額には、三日月が一番太い所で百二十度ずつずれて重なった形の、紅い痣があった。それが『魔女』と呼ばれた一因でもあったが……」
「確かに、そんな物が額にあったら目立つわよね」
 想像して思わず難しい顔になった藍里に、ルーカスは軽く頷いて説明を続ける。

「リスベラントではそれを聖紋とし、最も高貴な意匠としている。だからリスベラントの国旗は緑地に紅の聖紋のデザインで、アルデインの国旗は何度も危機を救って貰ったリスベラントへの感謝の意味合いも兼ねて、白地に紅の聖紋のデザインになった」
 そう言われて、父の故郷とされており、自身も国籍を保持しているアルデインの国旗を脳裏に思い浮かべた藍里は納得したが、すぐにまた怪訝な顔付きになった。

「……それが私の胸元に有るって、さっき騒いでいたの? だけどいつもは無いし、さっき着替えた時にも、無かったわよ?」
 姿見に映った自分の姿を思い返しつつ彼女は指摘したが、それにルーカスは盛大な溜め息で応じた。
「どうやらお前の場合、過剰に興奮した時とか、大量に魔力を行使した時だけ聖紋が浮かび上がる、特殊体質らしい」
「何なのよ、それ?」
「俺に聞くな」
 忌々しげに吐き捨てたルーカスだったが、ウィルから「殿下」と小声で窘められて意識を切り替えて話を続行させた。

「ここからが重要だが……。これまでにリスベラントで、お前同様に身体のどこかに聖紋を持った人間は、確認できているだけで四十七人存在している。恐らくリスベラの子孫に現れたのだろう。リスベラントの貴族は、代々貴族間で婚姻を繰り返しているし」
「あ、そうなの? じゃあ、凄く珍しいってわけじゃないのね」
 何となく安堵した藍里だったが、続くルーカスの台詞を聞いて顔を強張らせる。

「リスベラントでの成人到達年齢は十六歳だが、記録ではそれまでに二十六人が死亡している」
「……何、その尋常とは思えない早逝率?」
「因みに、残る二十一人の内、六十を超えて生きた人間は四人だ」
 そこで藍里は、はっきりと顔色を変えた。

「ちょっと!! 何よそれ! その聖紋って、病気の遺伝子とか持った人に現れるわけ!?」
 問い質した藍里に、ルーカスは淡々とした口調で説明を続けた。
「記録に残っている限りでは、何人かは病没だが、アルデインの守護の為に出向いて戦死した他は、リスベラント内での権力闘争の過程での死亡だ」
「なんで!?」
「聖紋保持者は、殆どの者がかなりの魔力の保持者の為、周囲から乞われて公爵に就任したり、その後継者や配偶者になったりしてきた。それで自分自身や親兄弟と敵対する勢力に命を狙われて、謀殺されたって事だな」
「うわ……、なんて理不尽な……」
 盛大に顔を顰めた藍里だったが、ルーカスはそれを窘めつつ、容赦なく現状を指摘してきた。

「他人事(ひとごと)の様に言うな。だから突如として次期公爵候補に躍り出てしまったお前も、暗殺リストのトップに躍り出たんだろうが」
「はぁあ!? ちょっと待って! それっておかしいでしょう!? どうして本人もそんな物があるって知らなかったのに、リスベラントの人間がそれを知っているのよ!?」
「先月の園遊会で、マリー殿がポロッと口にした」
 どこか遠い目をしながらルーカスが漏らした言葉に、一気に頭が冷えた藍里は、盛大に顔を引き攣らせた。

「……マリー殿って、ひょっとしてお母さん?」
 その問いに、彼が硬い表情で頷く。
「勿論だ。リスベラントの人間なら聖紋の意味などは知っていて当然の事だから、そうそう話題に上る事も無かったのが裏目に出たのか、これまで大きな公式行事だけ辺境伯夫人として出席していたマリー殿は、その時まで知らなかったらしい」
「比較的、仲の良い貴族の奥方同士で歓談中、偶々国旗のデザインの話になって、そこから聖紋の内容になったところで、『その形の痣なら、娘に時々出ていました。良かった。それ程珍しい物でも無かったのね。出たり消えたりするから、変な病気かと思っていました。実害が無いから放置していましたが』と事も無げに語って、会場中を驚愕の渦に叩き込みました」
「本当に、その時の騒ぎは凄まじかったですね。何十年ぶりかで聖紋持ちの人間が現れたら、その人物はリスベラントの外で生活しているなんて。そんな事は前代未聞でしたから。『次期後継者候補として即刻本国に召喚を』という聖紋至上主義派と、『リスベラント外の人間など排除すべき』との血統主義派とに分かれて、一触即発の事態になりました」
「お母さん……」
 口々に事情を説明した男三人が顔を見合わせて溜め息を吐いた所で、藍里は母親の空気の読めなさっぷりに、がっくりと項垂れた。そんな彼女に、ルーカスが追い打ちをかける。
「因みに、乳児期にベビーバスで湯あみをさせている時に、手を滑らせてお前を取り落として、危うく溺れさせかけた時や、離乳期に無理に食べさせようとして、喉に食べ物を詰まらせた時とかに、一時的に聖紋が浮き出ていたとマリー殿が言っていた。どうやらお前は自分が知らない所で、時々生命の危機に瀕していたらしいな」
(お母さん……、絶対それだけじゃ無いわよね? 今まで私を、何回殺しかけたのよ!?)
 昔から母親の天然ぶりには、密かに悩まされる事が多かった藍里だったが、今回は本気で頭痛を覚えた。そんな彼女に同情する視線を向けながら、ウィルが説明を続ける。

「その園遊会の後、一部の貴族に不穏な動きが見られたので、この際アイリ嬢をアルデインの公宮で保護して、そこで生活をして貰いつつ、次期公爵に相応しい知識と教養と技量を身に付けて頂こうかとの話も、出たのですが」
「えぇぇぇっ!? ちょっと、そんなの無理に決まっているでしょう!?」
 顔色を変えて勢い良く反論した藍里を、ルーカスが片眉を上げつつ険しい顔付きで睨んだが、取り敢えず無言を貫く。するとウィルは藍里に軽く頷いて見せてから、説明を続けた。

「はい。グラン辺境伯も、同様の事を仰いました。『娘はこれまで自由に育てて来ましたので、国を守る覚悟や人を使う心構えなどは皆無です。本国への召還は、現時点では認められません』と突っぱねましたから。ですが本国ならいざ知らず、アイリ嬢を無防備な状態で放置しておくわけにも、いかなかったもので」
「公爵閣下と辺境伯殿の協議の結果、『娘は何も知らないし、必要以上に驚かせたり怖がらせたりしたくはない』との辺境伯の意向で、反対派の実行部隊を一網打尽にするまでは、本人には内密に警護する事になった次第です。今回は私たちの不手際のせいで、予想外にお騒がせしてしまって、誠に申し訳ありませんでした」
 ウィルの後を引き取ったセレナが、心底申し訳なさそうに頭を下げてきた為、藍里は慌てて彼女を宥めた。

「あ、いえ。私の為に、色々と陰で頑張ってくれていたみたいですし、却って恐縮です」
 そう言って素直に頭を下げた藍里を見て、ルーカスは意外そうな表情になり、他の三人は自然に表情を緩めたが、その和やかな空気は長くは持たなかった。
しおりを挟む

処理中です...