ようこそリスベラントへ

篠原 皐月

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第2章 藍(ディル)を奪え

(3)睡眠学習の効果

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「藍里。言語は思考を構成し、思考は情報を収集して、その時点での問題状況を解決する為の、中枢神経における情報処理を行う」
「……それが何? というか、全く意味が分からないけど」
 年の離れた兄の、持って回った言い回しは昔から慣れていた藍里だったが、いきなり訳が分からない事を言われて流石に苛立った。しかしそんな事は全く気にせず、界琉は相変わらず片手で藍里の腰を抱えながら、説明を続ける。

「つまり、幾ら魔力を保持していても、体内でそれを上手く調整や処理をできなければ、魔術を行使できない。その為リスベラントの住民は、より効率的に魔力を行使できる様にする為の、様々な方法を編み出してきた。それの一つが魔術顕現呪文で、それを唱える事で体内の魔力を調整して、行使しやすくする訳だ」
「はぁ、なるほど。そうですか」
 それがどうした的に藍里が気の無い返事をしたが、界琉は冷静に話を続けた。

「因みに、それは全てリスベラント語で構成されている。だからリスベラントの存在など知らない藍里に不審がられない様に、確実に熟睡する様に、最初の五分間だけは意味の無いドイツ語の会話を入れたデータを作った」
 それを聞いたルーカス達は(ドイツ語を聞くと、確実に五分で寝るのか)と揃って微妙な視線を藍里に送り、それに気付いた藍里は僅かに顔を赤くしながら界琉に食ってかかった。

「だって仕方がないでしょう!? 英語はまだ何とか頑張っているけど、ドイツ語まで手が回らないわよ! それにリスベラント語って何よ? アルデインの公用語はドイツ語と英語じゃない!」
 藍里としては真っ当な抗議をしたつもりだったが、界琉はそれに小さく肩を竦めてみせただけだった。

「万が一、外部の人間がリスベラントに紛れ込んで来た時、すぐに判別できるように、リスベラントに入植した直後に、新しい言語体系を作ったんだ。日本でも各地での独特な言い回しや方言が形成された理由の一つとして、他藩から紛れ込んだ人間を分かり易くする為という事が、挙げられているしな」
「それは分かったけど……」
「その毎晩無意識のうちに聞いていたデータのお陰で、お前は咄嗟に魔術を使えたから、文句を言う筋合いは無いな」
 そう断言された藍里は、慌てて界琉に尋ねた。

「ちょっと待って。私がいつ、魔術を使ったって言うのよ?」
「この前の襲撃の時。お前、襲撃者を一人消しただろう?」
「……消したと言うか、急に消えたのよ?」
 困惑しつつ、(すっかり忘れていたけど、そう言えばあの人、どうなったんだろう)と、藍里が撃ち殺されそうになった時の事を思い返していると、界琉は彼女を抱えていない方の手を顔の高さにまで上げ、小さく指を鳴らした。すると窓とは反対側の壁に、テレビに映し出されたニュース画面の様な物が浮き出た為、藍里は自然にそれに目を向ける。すると界琉は、どこか楽しそうに言い出した。

「一昨日、藍里が襲われた直後の時間帯、渋谷駅前のスクランブル交差点に衆人環視の中、突如全裸男が現れた事件の、ニュース映像の画面だ」
「はい?」
 それを聞いた藍里は勿論、ルーカス達も慌ててその画像を凝視すると、確かにテロップにはその内容が書かれていた。

「目撃者の証言によると、その男は歩道から駆け込んだりしていないのに、人が行き交う交差点のど真ん中に、何も身に着けないくせに全身クリームや各種のフルーツソース塗れで、突如意識がない状態で現れたそうだ」
「……なに、それ?」
 通常ではありえないシチュエーションに、藍里は盛大に顔を引き攣らせたが、界琉は淡々と説明を続ける。

「因みに、歩行者から通報を受けた警察がその男を収容し、意識が戻った後事情聴取を行ったが、自分が収容されたのが渋谷警察署だと聞いた途端、『自分はついさっきまで北鎌倉に居たんだ』だと錯乱したらしく」
「え? ちょっと待って」
「ある人物を殺す依頼を上から受けて出向いたら、殺す直前で眩しい光に包まれたと思ったら、次に気が付いたらここにいたと、訳が分からない事を口にしたとかなんとか。即刻薬物検査と、精神鑑定に回されたそうだ」
「ええと、それってやっぱり……」
「その男は、襲撃現場で捕えた男と、同じ組に所属している奴だった。どう考えても普通じゃないその状況を、一般の人間に不審がられないように、何とか警察外部に情報が漏れ出す前に揉み消すのが大変だった。とは言っても、駆けずり回ったのは俺ではなくて、ジークの同僚達だが」
「…………」
 藍里の戸惑いを無視して状況説明を続けた挙句、同情するようにわざとらしく溜め息を吐いた界琉に、未だに微笑んでいる万里以外の者は、全員顔を強張らせた。そんな中、界琉が至近距離から、藍里の顔を凝視しながら問いかけてくる。

「藍里。お前、この前殺されそうになった時、咄嗟に何を考えていた?」
 唐突な真顔での問いかけに、当然藍里は戸惑った。
「え? 『何を考えていた』と言われても、頭が真っ白で何も考えられなかったと思うけど……」
 しかし界琉は、妙に確信している口調で言葉を継いだ。

「何か考えたよな?」
「いや、別に考えたと言う程の、考えは無かったと……」
「藍里?」
 そこで冷ややかに微笑んだ長兄の顔を見て、頭の中で一斉に危険信号が鳴り響いた藍里は、必死になって当時の状況を思い返した。

「ええと……、そ、そう言えば確か……、あの人に向かって『消えろ!』って叫んだ直前、『ここで死んだら、今度の土曜日の約束が反故になっちゃう』とか、考えた様な気がするけど……」
 それを聞いた界琉は、それは楽しそうに笑った。
「へぇ? 因みにその約束は、誰と何を約束していたんだ?」
「それが……、麻衣と里佳子と有紀と、一緒に久しぶりに渋谷まで出て、ショッピングを……」
「ルーカス殿下を残してか? それは感心しないな」
「ええと、それはホームステイの話がくる前に、皆で相談していて! すっかり話をするのを忘れていたけど!」
「一応言ってみただけで、正直それはどうでも良いが」
 慌てて弁解し始めた藍里を、界琉が素っ気なく遮る。二人の正面に座っているルーカスは「どうでも良い」呼ばわりされ、僅かに顔を引き攣らせたが、辛うじて無言を保った。

「ショッピングと言うと、何を買うつもりだったんだ?」
「それは……、服とか靴とか?」
「ああ、女の子は色々試着して、脱ぎ着するのが好きだからな。それから? 一日中ショッピングというのも、なかなか疲れると思うが?」
「それはまあ……、今話題のスイーツなんかも、味わってこようかな、とか……」
「クリームやフルーツソースがたっぷりかかった、ワッフルとか?」
「…………」
 さり気なく兄に誘導されて口にした内容と、先程の事件との微妙な整合性を認めざるを得なかった藍里は、表情を消して黙り込んだ。そんな妹に、界琉は冷静に言い聞かせる。

「分かったか? お前はあの時、咄嗟に思い浮かんだ思考を元に、無意識のうちに魔術構築呪文を脳内で唱えて、その男を渋谷まで一瞬にして飛ばしたんだ。空間移動魔術を行使できる人間なんて、これまでにも殆ど存在していないし、現時点で確認できているのはお前一人だ。これだけでも、希少価値はあるな。全くコントロールができていないにしても」
「……本当に私がやったとか?」
「往生際が悪いぞ。諦めろ」
 冷静にぶった切った界琉に、藍里はがっくりと肩を落としたが、ルーカス達は界琉に賛同する様に軽く頷いた。そこでこれまで無言だった万里が、いきなり話に割って入る。

「そういう事だから、藍里の力量を皆に知らしめる為に、急遽御前試合の予定が組まれたわけ」
 そう言われても全く意味が分からない藍里は、今度は母親に向かって食ってかかった。
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