ようこそリスベラントへ

篠原 皐月

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第3章 リスベラントへようこそ

(7)変容した庭園

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 その馬車がリスベラント公宮の正門を抜けて走り出してから、ものの五分程で外の景色を眺めていたセレナが呟いた。
「着きましたね」
「ここが……」
 その呟きを受けて自然に藍里は窓の外に目を向けたが、そこには延々と続く白い塀しか見えなかった。

「あの、セレナさん? まだ走っている最中だし、塀しか見えないけど?」
「この塀をぐるりと回って行くと、グレン辺境伯邸の正門に到達します」
「……そうですか」
 事も無げに説明されてしまった藍里は、なんとも言えない表情で相槌を打ったが、それから一分以上経過しても一向に途切れない塀に、「どれだけ広いのよ」と心底呆れた。
 そして漸く正門にたどり着き、敷地内を走り出したのが分かった藍里は、ホッとしたように外の景色を眺めたが、すぐに驚きの表情になる。

「やっと到着したのね……。は? 何、あれ!?」
「アイリ様? どうかされましたか?」
 いきなり素っ頓狂な声を上げた藍里に、セレナが訝しげに尋ねると、彼女は困惑顔で問いを発した。
「常識的に考えて、これだけの敷地がある貴族の邸宅って、屋敷の周囲に庭園が作られるものじゃないの? これって、私の偏見かしら?」
 すると何故かセレナが、微妙に視線を逸らしながら答える。

「いえ……、確かにマリー様の御前試合が原因で、この屋敷がグレン辺境伯の手に渡るまで、それは見事な庭園がありました。何と言ってもこの旧オランデュー伯爵邸は、公宮を除くと央都一の規模を誇っておりますので」
「そうよね? それなのに、なんで一面畑なの?」
 視界一杯に広がる、良く耕された地面に、緑の葉や実を付けている名も知らない植物が整然と、幾重にも列をなして植えられている光景に、藍里は納得がいかない顔付きで更に尋ねた。それに溜め息を吐いてから、セレナが言いにくそうに告げる。

「正確な所は分かりかねますが、漏れ聞くところによりますと……、ユーリ殿が『庭を見たって腹が膨れる訳じゃないし、それよりは薬草栽培をした方が何倍も有益だ』と主張したとか」
 確かに次兄だったら言いかねない内容を聞いて、藍里はがっくりと肩を落とした。
「……悠理、気持ちは分かるけど」
「それからカイル殿が『どうせなら、これまでリスベラントに自生していなかった有用な薬草を育てて、服用法を広めながら独占販売で売りさばけ』と唆し……、あ、いえ、ご提案されたとかされないとか……」
 最後は慌てて言い直したセレナから視線を外しながら、常に抜け目の無いあの長兄だったら言うだろうなと思った藍里は呻いた。

「界琉……、そういう事であこぎな商売は止めようよ。守銭奴そのものじゃない」
 そこでハタと、ある事実に気が付く。
「あの……、セレナさん。この事に関して、うちって他の貴族の人達から何か言われてないの?」
 そう問われたセレナは、あからさまに視線を逸らしながら応じた。

「ど、どうでしょうか……。私はヒルシュ家の内情までは、存じ上げませんので……」
「……そう」
(セレナさん、絶対知ってるわね。そして、それがろくでもない評価だとしか思えない……。だから私が聖紋持ちだって分かった時、余計に反感を買ったんじゃないの!?)
 殆ど確信してしまった藍里は兄達の普段の行いに対して頭痛を覚えたが、ここで静かに馬車が止まった。

「着いたみたいね……」
「そうですね」
 しかし口ではそう言いながら、外に出れば今話題にした見事な畑が目の前に広がっている為、何となく気まずそうな顔を見合わせた女二人は、椅子から立ち上がるのを躊躇った。しかしこのままずっと座っているわけにもいかず、藍里は自分自身を鼓舞する様に叫びながら立ち上がる。
「さあ、行くわよ!」
 そして藍里は勢い良くドアを開け、馬車の外で待機していたウィルが素早く引き出した乗降用のステップに、慎重に足を踏み出した。そして地面に降り立つと同時に、正面に存在している威容を誇る邸宅を見上げ、首を傾げる。

(ええと……。確かに見覚えが、あるような無いような……。だけど、こんなに大きな屋敷だったかしら?)
 取り留めのない事を考えていると、藍里達を出迎える為に玄関から出て来ていた悠理が、爽やかな笑顔を浮かべながら近付いて来た。

「やあ、藍里。変わらず元気そうだな。日本での訓練は順調だったか?」
「悠理……、この一面の畑は何!? 確かにこの屋敷に微かに見覚えは有るけど、普通の庭だったわよね!?」
 四年ぶりに訪れたらあちこち記憶と異なっていた屋敷について、藍里が思わず突っ込みを入れたが、悠理は平然と笑って応じた。

「ああ、お前がこっちに来なくなってから、本腰入れて耕したからな。邪魔な庭木を掘り起こして廃棄するのが、予想以上に大変だったぞ」
「庭を造った人が泣くわよ?」
「建国して間もない時に造った名園だったらしいから、造った人間はもう悉く死んでいるから大丈夫だ」
「そんな名園をぶっ潰して畑にしたら、どう考えたって周りから白眼視されるわよ! どこが大丈夫なの!?」
 しかし顔色を変えたのは藍里だけで、悠理はこの間、兄妹の会話を黙って聞いていたルーカス達に向き直った。

「今は俺だけだが、順次全員揃うからな。取り敢えず中に入れ。皆さんもどうぞ、お入り下さい。今、お茶を出しします」
「それでは失礼させて貰う」
「お邪魔します」
 ルーカスに続いて他の三人も悠理に続いて邸内へと足を向けたが、さり気なく悠理が口にした内容に、思わず全員が足を止めた。

「それから四人の滞在の支度も整えてありますので、どうぞご遠慮なく」
 その申し出に、ルーカスが若干顔色を変え、控え目に断りの言葉を口にする。
「え? あ、いや、俺達は彼女を送り届けたら、公宮に戻る様に指示を受けているのだが……」
 しかしそれに対し、悠理は一見邪気の無い笑顔で応じた。

「この間、藍里を護衛して頂いた労を、父が是非とも労いたいと侯爵閣下に申し入れ、快く承諾のお返事を頂いたとの事です。早速、今夜の晩餐はご一緒にと、父からの伝言を預かっております」
 自分達の退路が断たれた事を悟ったルーカスは、心の中で父親である公爵に恨み言を呟きつつも、静かに礼を述べた。

「……了解した。お世話になろう」
 そんな彼の背後で、ジーク達が囁き合う。
「ヒルシュ家が、全員揃うわけか……」
「心臓に悪そうですね」
「まともに食べられるか、自信がないな」
 そんな悲喜こもごもと、様々な人物達の思惑を集めながら、その日、ヒルシュ一家は久々に全員が顔を揃え、晩餐の席を賑やかに過ごす事になった。
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