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篠原 皐月

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第4章 御前試合開催

(3)舌戦

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「失礼します」
 ノックの後、姿を現した初老の案内役らしい男は、恭しく藍里に一礼してから告げた。

「ヒルシュ様、そろそろ試合開始時刻ですので、競技場への移動をお願いします」
「分かりました」
 落ち着き払って立ち上がった藍里だったが、無言のままルーカスが付いて歩き出した為、案内役の彼が怪訝な顔になった。

「ルーカス殿下?」
 彼にしてみれば、御前試合を既に何度か経験済みの彼が、ここから先は当事者だけ進む事になるのを知っている筈であり、何故付いて来るのかと言外に尋ねたのだが、それにルーカスは前方を指差しながら皮肉っぽく言葉を返した。

「この無骨者が歩いている最中に、何も無い所で躓いて、壁をぶち壊したりしないか心配なだけだ。案内役の、お前の命に係わるかもしれない」
「そこまで粗忽者じゃ無いわよ」
「お前は黙っていろ」
 さすがに面白く無い顔付きになった藍里だったが、ルーカスはその抗議をぶった切ってジーク達に向き直った。

「皆は先に観客席に行っていてくれ」
「分かりました」
「ではお二人とも、こちらにどうぞ」
 頷いた三人をその場に残して、藍里とルーカスは男に先導されて廊下を進み始めた。そして並んで歩きながら、先導する男に聞こえない様に藍里が囁く。
「そこまで神経質にならなくても、良いんじゃない?」
「一応だ。あそこまで露骨に審判を息のかかった者で固めてきたのを見て、公正さを期待するのは無駄だ」
「でも試合直前に、何か仕掛けるかしら?」
「何も無いなら、それはそれで良い」
 そうしているうちに三人は目的の場所にたどり着き、案内役の男が「後はヒルシュ様だけで」と暗にルーカスに下がる様に告げた為、彼は素直に頷いた。それを見た藍里は、素直ではない感謝の言葉を述べる。
「無駄足を踏ませて、悪かったわね」
 それにルーカスは真顔で言い返す。
「無駄足で良かったさ。何があっても負けるなよ?」
「こういう場合は『何があっても勝て』じゃないの?」
 その問いかけに、ルーカスは苦笑いで応じた。

「なるほど。やはり俺はまだまだらしい」
「十代の若造だしね」
「それを言ったら、お前は十代の小娘だろうが」
「違いないわ。だけど小娘なら小娘なりに、ふんぞり返っている連中の、神経を逆撫でしてやるわ」
「期待している」
 そこで彼に背を向けた藍里は、目の前の両開きの扉を押し開けて外へ出た。そのまま進んだ藍里は、直径約百メートルの円形の地面と、それを囲っている高さ約二メートルの壁と、その上部にある観客席をぐるりと見回して観察する。

(セレナさんから聞いた内容だと、競技場には入口が二つ。西側は挑戦者の出入り口、東側は対戦相手の出入り口。北側の観客席に、公爵の観覧席が設置されている筈だから)
 そこで向かって左側に目をやると、ディアルド公爵ランドルフが確かに無表情で席に着いており、藍里は小さく息を吐いた。

(本当に、読めない表情なのよね、公爵様って。年期の違いか。そうなると、西側の観客席には、挑戦者の身内とか支持者がいる筈で……)
 すぐに公爵の観察を諦めた彼女は、歩きながら背後をちらりと振り返ったが、視界に入った光景を見て、思わず笑い出しそうになった。

(見事にうちの家族だけ。下手に近くに座って、肩入れしていると思われたく無いんでしょうね。……でも、ジークさん達は良いのかしら?)
 家族のすぐ後ろに、当然の様にジーク達が座っているのを認めて、藍里は思わず三人の立場を心配したが、この場でどうこうできる筈も無い為、彼女は再び進行方向に視線を戻した。

(それから……、対戦者の方は鈴なりね。最前列の顔付きが険しい夫婦って、やっぱり両親のオランデュー伯爵夫妻かな? その横に、この前丁重なご挨拶を頂いたアメーリア様。婚約者だから居るのは当然だとしても、相変わらずそんな憎々しげな顔をしていると、美貌が台無しって、教えてあげる人はいないのかしら?)
 真面目にそんな事を考えていると、至近距離から声がかかった。

「おい、小娘」
 いつの間にか対戦相手のすぐ前に来ていた事に気が付いた藍里は、目の前の二十代後半に見える男に、素っ気なく言い返した。
「何でしょう。礼儀知らずの物知らずさん」
「何だと!?」
 思わず声を荒げて怒鳴りつけようとしたアンドリューだったが、ランドルフが居る辺りから、誰かの鋭い叱責の声が飛んでくる。

「何を騒いでいる! 公爵閣下の御前だぞ!!」
「ちっ……」
 忌々しげに舌打ちしてアンドリューが口を閉ざすと、どうやら進行役らしい男が、ランドルフに恭しく声をかけた。
「それでは閣下。時間になりましたので、試合開催の宣言をお願いします」
「分かった」
 そこで鷹揚に頷いてゆっくりと立ち上がったランドルフは、朗々と張りのある声を、競技場の隅々にまで響かせた。

「この場に集まった皆に宣言する。この度、私こと、ランドルフ・アル・ディアルドは、アンドリュー・オランデューが保持するディル位をかけて、アイリ・ヒルシュが彼に挑む事を了承し、この場でそれを見届ける事とする」
 ここまでは通常の御前試合の宣言内容と、何ら変わる所が無い為、観客は静かに公爵の言葉に聞き入った。しかし次の言葉に、大方の者が顔を見合わせる。

「尚、この試合の審判として、四人のディル位保持者が自ら名乗り出た事を嬉しく思い、試合の運営と安全を保証してくれた事に感謝し、それに関しての全権を与える事を併せてここに宣言する。宜しく頼むぞ、カール、ロナルド、パトリック、アスター」
 塀の上に待機していた四人は、名前を呼ばれたと同時に立ち上がってランドルフに一礼し、四人を代表してカールが恭しく請け負った。
「お任せ下さい。問題無く、遂行してご覧に入れます」
 それを観客席の中を移動しながら聞いたルーカスは、憤慨した様子で空いていたセレナの隣の席に腰を下ろしながら、悪態を吐いた。

「あいつら、立候補しやがったのか!? それなのに、どうして父上はそのまま受け入れるんだ! あいつら絶対、何か企んでやがるぞ!?」
「ルーカス様、声が大きいです」
「構わん! どうせ向こう側には聞こえないだろうし、仮に聞こえてもあいつらが気にする筈が無いだろう!」
「ですが……」
 困った顔でセレナが宥めているうちに、進行役が対戦者二人に声をかけた。

「それでは試合を開始します。双方、武器を構えなさい」
 それに応じてアンドリューは持参した剣を鞘から抜き放ったが、藍里は小さく「グエス、ア、タス」と唱えて、左腕に装着している紅蓮から藍華を取り出して構えた。すると、それを見たアンドリューがせせら笑う。
「何だ、その不格好な槍は? 随分、珍妙な姿で出て来たと思ったら、ヒルシュ家は武器までまともな物を用意できないとみえる」
「まともな武器を用意しても、珍妙な衣装の女にズタボロにされたらね……。本当に、あなたのお兄さんには同情するわ。勿論、あなたにも同情してあげるわ」
 その痛烈な皮肉に、アンドリューは忽ち憤怒の顔付きになった。

「同情だと? そんなものは必要無い。勝つのは俺だ!」
「そう。要らないと言われたなら、同情する必要は無いわね。良かったわ」
「この身の程しらずが! すぐに後悔させてやる!!」
「やれるものなら、やってみなさい」
「それでは、御前試合を開始する。双方、始め!」
 売り言葉に買い言葉で毒舌がエスカレートしていくのを遮る様に、進行役の力強い開始宣言が、競技場の中に響き渡った。
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