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第1章 グリーバス公爵家の秘密

9.茶番劇

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「やあ、これは皆さんお揃いで」
 先程の騎士に先導され、一人の少年を引き連れてバイゼルの前にやって来たグリーバス公爵ローバンは、上機嫌に挨拶してきた。対する隊長達は(息子が死んだばかりだってのに、何がそんなに楽しいのか)と、挨拶を無視して冷め切った視線を投げかけたが、それに気付いた彼が顔を顰めると同時に、バイゼルが彼に声をかける。

「お久しぶりです、グリーバス公爵。今日は近衛騎士団に何用でしょうか?」
 それを受けて、ローバンは慌てて彼に顔を向け、急に沈痛な面持ちを取り繕いながら、口を開いた。

「バイゼル殿。急なお知らせですが、領地の方から連絡が参りまして。一昨日、我が息子のアルティンが亡くなりました」
「それは……、お悔やみ申し上げます。しかし彼はつい数日前までは健康そのもの出したが、事故にでも遭われたのでしょうか?」
「いえ、幾ら頑強な人間でも、病には勝てぬらしく……。近衛騎士団緑騎士隊隊長職を賜りながら、病で呆気なく死ぬとは、我が息子ながら何とも情けない事で」
 一応しおらしい物言いながら、先程の無駄な笑顔を見せられた後では興醒めと言う物で、バイゼル以下騎士団の者達は白けきった視線を向けた。

「それで公爵殿は、アルティン殿に賜っている緑騎士隊隊長の記章と短剣を、王宮に返還する為にいらっしゃったのですか?」
 それらが既に返還されているなどとは、微塵も感じさせない物言いで問いを発したバイゼルに、ローバンは僅かに動揺しながら弁解する。

「あ、いや……、それが実は、息子の急死で領地の屋敷の者達も酷く動揺し、記章と短剣をどこぞに放置したままで、まだ手元に届いておりませんので。取り急ぎ確認して返還してから、改めてこのタイラスを緑騎士隊隊長に就任させる旨を、陛下に願い出ようかと思っております。その前に騎士団の隊長方に一言ご挨拶をと思いまして」
 ローバンが狡猾そうな笑みを浮かべながら、隣に立っている少年を紹介してきた為、彼等と平然としているバイゼルを交互に見た隊長達は、密かに笑いを堪えた。

(やっぱりそうきたか)
(団長も意地が悪いな。とっくに記章と短剣を受け取っているくせに、そ知らぬふりで)
(もう指揮官ポストは小隊長までしっかり埋まってるって、最後の最後まで教えないつもりだな)
 そして部下達の推測通り、バイゼルが何気ない口調でローバンに尋ねる。

「ほう? そちらはどなたかな? アルティンに弟はいないと聞いていましたが」
「こちらはタキオン公爵家に嫁した長女の長男で、タイラスと申します。この度のアルティンの急死を受けて、急遽この者と養子縁組みを届け出ました。タイラス、皆さんにご挨拶しなさい」
「初めてお目にかかります。タイラス・グリーバスです。これから皆さんと同様に、近衛騎士団の中枢としての役目を果たしていきますので、宜しくお願いします」
 一見殊勝に見えても、その態度と物言いに明らかに不遜さを感じさせる少年に、隊長達は揃って厳しい目を向けた。バイゼルも一瞬鋭い視線を向けたが、すぐにそれを押し隠し、微笑みすら浮かべて穏やかに申し出る。

「そうですか。それは頼もしい。しかしお若い殿にこの近衛騎士団の中枢を担って頂くのは、些か荷が重すぎるでしょう。まずは一騎士として経験を積んで、十分な実力を付けてから各隊長職に就任して頂きますので、ご安心下さい」
「は?」
 言われた内容が理解できないと言った風情で、タイラスが間抜けな声を上げると、途端にローバンがバイゼルを怒鳴り付けた。

「何を言っているのだ、貴様! タイラスが無役で入隊する事など、ありえんだろうが! アルティンが死んで緑騎士隊隊長職は空位なのだから、タイラスがその職に就くのが当然だ! 建国以来の慣例を覆す気か!? ひいては国王陛下のご意向に逆らう事になるぞ!」
 国王の権威を振りかざして恫喝してきたローバンに、バイゼルは微塵も感銘を受けずに冷静に言い返す。

「その国王陛下が御裁可され、つい先程こちらのカーネルが緑騎士隊隊長に任命されました。公爵の方こそ、陛下のご意志を無視なさるおつもりか?」
「何だと!? そんな馬鹿な!」
「その記章!? それがどうしてそこに!」
 そこで漸く気が付いたのか、カーネルの左胸に付いている緑騎士隊隊長職の証である記章を認めたタイラスが、悲鳴じみた声を上げた。その声を受けてカーネルを見たローバンが、予想外の事態に絶句する。そんな二人の反応を見て、バイゼルが呆れた様な口調で説明を続けた。

「公爵からの報告を頂く前に、アルティンから自分が亡くなった場合の指示を受けていたと言う、王都公爵邸の使用人が王宮に届け出てきまして。……因みにこれが、記章と短剣に添えられていた、陛下への上申書です。ご覧になられますか?」
「貸せ!」
 徐にバイゼルが差し出した書類を奪う様にして目を通し始めたローバンは、すぐに怒りで両手を振るわせ始めた。それを見ながらバイゼルが、すました顔で現状を報告する。

「騎士団司令官会議での意見は、カーネルの昇任で全会一致。陛下の承認も受けまして、今現在騎士団内では小隊長職に至るまで、空席の指揮官職はありません」
「このっ……」
「お祖父様! 話が違います!」
 ローバンが憎悪の眼差しを向け、そんな祖父にタイラスが狼狽した声をかける中、バイゼルは余裕の表情で申し出た。

「勿論慣例通り、タイラス殿の入団は無条件で許可致します。まずは一騎士として経験を積んで頂きましょう。歓迎しますよ?」
「そうだな。まあまだまだお若いみたいだし。アルティン位才能が無いと、いきなり隊長ってのは酷だと思いますしね」
「あのアルティンでさえ、最初は副隊長から初めましたからな。貴殿には、荷が重すぎるのでは?」
 団長の台詞に続いて、隊長達が口々に揶揄する様に言ってきた為、タイラスが思わず激昂して叫んだ。

「ふざけるな! 女風情に隊長を務められるなら、私にできない筈無いだろうが!」
「タイラス! 黙れ!」
 タイラスがアルティナに付いて発言したと分かっていたローバンは、自身が娘を息子と偽って出仕させていた事がばれたら問題になると思って慌てて孫息子を窘めたが、その発言で一気に室内の空気が緊張を孕んだ物になった。
 そんな中、ナスリーンがゆっくりと立ち上がり、机を回り込んで上品な笑みを浮かべながら、タイラスの前までやって来た。 

「タイラス殿と仰いましたね? 私は白騎士隊隊長の、ナスリーン・ロミュラーと申します。どうぞお見知り置き下さい」
 優しげな声でナスリーンが挨拶すると、タイラスの横でローバンが囁く。

「宰相閣下の実の妹だ。失礼な事は言うな」
「分かっています」
 祖父に向かって小さく頷いてから、タイラスは精一杯愛想を振り撒いた。

「これはお美しいレディ、初めまして。お目にかかれて光栄です。近衛騎士団におられるのが、勿体ない位ですね」
「ありがとうございます。タイラス殿は近衛騎士団に入団されるとの事。私なりの歓迎のご挨拶をさせて頂きます」
「これはご丁寧に……、ひいぃっ!?」
 能天気に褒め言葉を口にしたタイラスだったが、ナスリーンはそれに微塵も感銘を受けず、音も無く腰に装着している短剣を鞘から抜き放ち、タイラスの胸から腰にかけて勢い良く切り付けた。
 いきなり襲われた格好になったタイラスは腰を抜かしてその場にへたり込み、そんな暴挙を目の当たりに開いたローバンが、目を見開いて抗議の声を上げる。

「ナッ、ナスリーン殿! いきなり何をなされる!?」
 しかしその抗議は、何事も無かったかのように短剣を鞘に戻したナスリーンによって、呆気なく退けられる。

「仮にも隊長就任を主張するなら、たかが女風情の剣など、受けるか返すか避けるかして頂きたいものですね。アルティン殿は入団直後に、手合わせで私に勝利した腕前でした」
「タイラス殿。入団するならせめて『たかが女風情』の剣位は、かわせる様にしておいた方が宜しいな」
 そこで漸くローバン達は、先程のタイラスの発言が、近衛騎士団で唯一の女性隊長であるナスリーンを侮辱したものと捉えられてしまった事に気付いたが、アルティナの事を言ったのだと弁解する事も出来ずに歯軋りした。 

「ふざけるなっ!? 覚えてろよ、貴様!」
 どこからどう見ても負け犬の遠吠えにしか聞こえない台詞を、タイラスが座り込みながら口にしたが、ナスリーンは彼を見下ろし、物憂げな溜め息を吐いてから言い返した。

「忘れようにも忘れられませんわ……。今までの人生の中で、一番くだらない物を切ってしまいました。まさに、人生の汚点です」
「何だと!? おあっ!!」
 怒りに任せて勢い良く立ち上がったタイラスだったが、先程のナスリーンの剣は、彼の身体に傷は付けなかったものの、上着とその下のズボン、それを固定しているベルトを断ち切っていた為、立ち上がった瞬間に彼のズボンがずり落ちた。それに気付いたタイラスが慌てて屈んでそれを引き揚げ、間抜けにも程がある姿を晒してしまった事で、ここまで何とか笑いを堪えていた隊長隊達が、腹を抱えて爆笑する。

「ぶぁははははっ!!」
「ナスリーン殿、最高です!」
「確かに、相当くだらないですな!」
「タイラス! 行くぞ!」
 ゲラゲラと容赦なく笑い飛ばしている男達を、タイラスは羞恥で顔を真っ赤にして睨みつけていたが、これ以上ここにいても仕方が無いと諦めたローバンは、苛立たしげにズボンを押さえたままの孫に声をかけ、引きずる様にして出て行った。その直後に隊長達は笑いを収め、しみじみとした口調で言い合う。

「全く、礼儀を弁えない阿呆どもが」
「まともに挨拶もできないとみえますね」
「あんなのに騎士団内部を引っ掻き回される事が無くて、本当に良かったです」
「今回はアルティン殿の洞察力と用意周到さに救われましたが、これから公爵邸内は、居もしない内通者探しで荒れるでしょうね。それにおそらく、唯一と思われる後見者を亡くされた妹君は、これから大丈夫でしょうか……。他家の事に、口を挟めるはずもありませんが」
 心の底から同情する口調で懸念を漏らしたナスリーンだったが、口にした本人も、同感だと感じている同僚達にも、自分達には何も出来ない事を正確に理解していた。
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