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第3章 出仕への道

11.応酬

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「あぁら……、どこかで見覚えがあるかと思ったら、アルティナじゃないの。こんな所で早々に休んでいるなんて、良いご身分だこと。婚家では随分と、好き勝手にさせて頂いているみたいね。公爵家とは違って、伯爵家だと家風が格段に気楽そうで羨ましいわ」
「ずっと領地に引き籠もっていて、滅多に顔を合わせる機会が無かったのにあっさり嫁いでしまって、私達は随分心配していたのよ? 今夜は出席するでしょうから、真っ先に私達に挨拶しに来てくれるだろうと思っていたのに」
「そうですわね、お姉様。アルティンが亡くなって早々に、あなたまで屋敷からいなくなってしまうなんて。普通だったらありえないわ。周りの皆様も、かなり驚いておられたし」
 一見気遣う様な声音で、アルティナを心配して次々声をかけてきた様に感じるものの、底意地が悪い笑顔を浮かべつつ、言っている内容は「格下の伯爵家風情に嫁いだ癖に、自分達に挨拶もしないとは何事だ」と因縁を付けているに等しい為、最近では滅多に顔を合わせる事が無かった姉達に向かって、アルティナは内心で闘争心を掻き立てられた。

(やっぱり出てきたわね、陰険姉貴達。ここで絡んでくる事位、予想済みよ。しかもギスギスババアのお仲間を連れて来て、どれだけいびり倒そうと思っているんだか。六対一なんだから、遠慮なんか必要ないわよね!?)
 一番目と二番目、更に五番目の姉の背後で、気難しい顔の年配の女性が三人、冷え切った表情を自分に向けているのを見て取ったアルティナは、素早く頭の中で対処法を検討し、すぐさま実行に移した。

「まあ、セレーネ姉様にエリシア姉様にベルーナ姉様まで!! 本当にお久しぶりです! お会いしたかったですわ!」
「え?」
「アルティナ?」
「あなた一体何を……」
 盛大に言い返してくるかと思っていた末妹が、いきなり立ち上がったかと思ったら満面の笑みで喜びの声を上げた為、姉達は完全に面食らった。それは背後に控えている女性達も同様で、困惑した様に互いの顔を見合わせる。

(ケインが言ってたけど、確かタイラスは騎士団の赤騎士隊に配属早々、国境巡視の一団に入れられて揉まれている最中だったわよね)
 そんな嫌味のネタを思い返しつつ、アルティナはその場の微妙な空気など全く気にせずに長姉に詰め寄り、その両手を握りしめながら、如何にも嬉しそうに言葉を継いだ。

「大抵の貴族の方が出席するこの舞踏会に顔を出せば、運が良ければお顔を見れるかもしれないと思っていましたが、姉様達の方から声をかけて頂けるなんて、本当に嬉しいですわ! 夫のケインを紹介したいのですが、所用で今席を外しておりますので、後程改めてご挨拶致しますね?」
 そしてにこやかに述べた後で、彼女は目の前の姉にだけ聞こえる様に、低い声で囁く。

「ドサ回りに出ている、あんたのボンクラ息子の顔は、ケインは近衛騎士団で見ているそうだがな」
「失礼な! この手を離しなさい!」
 アルティナのせいで、タイラスが隊長に就任できなかった上にそんな暴言を吐かれて、さすがにセレーネは激昂し、憤怒の形相で力任せに彼女の手を振り払った。それに無理に抵抗する事無く、自然に手を離したアルティナは、如何にも恐縮した様に謝罪の言葉を口にする。

「あああっ! 申し訳ありません! セレーネ姉様は公爵夫人ですもの。格下の者から握手を求めるだけでも非礼なのに、いきなり手を握ったりしたら非礼どころの騒ぎではございませんよね? セレーネ姉様は領地の屋敷に引き籠っていた私を心配して、顔を合わせる度に至らない点を指摘して叱責して頂いたのに、こんな公の場で失態を……。本当に申し訳なく思います。以後気を付けますので、ご容赦下さい」
「アルティナ……、あなた何のつもりで、こんな茶番をしているの!」
「お姉様、落ち着いて下さい」
「周りの方々に、何事かと思われますわ」
「お姉様方、ちょっと失礼します」
「アルティナ!」
「あなた、何をするの!?」
 周囲の目を憚らずに怒り心頭で怒鳴りつける姉を、エリシアとベルーナは慌てて宥めにかかったが、アルティナはそんな姉達を綺麗に無視し、彼女達を半ば押しのけるようにして、その背後で唖然とした表情になっている女性達の前に立ち、軽く一礼してから神妙に声をかけた。

「あの……、人違いでしたら、誠に申し訳ありません。皆様はラングレー公爵夫人ミゼリア様と、ラディン侯爵夫人クレア様と、ジュール侯爵夫人アイリーン様ではございませんか?」
 社交界を陰で牛耳っている三人は、恐縮気味にそう声をかけられた為、不審な顔つきになってアルティナを見返した。

「ええ。確かにそうですが……」
「あなたとはこれまでに、面識はありませんよね?」
「どうして私達の名前をご存じなの?」
 その当然の疑問に、彼女は全く悪びれずに答えた。

「人違いなどでは無くて、安堵いたしました。亡き兄のアルティン・グリーバスが、私が暮らしていた領地の屋敷に顔を出す度、華やかな王都の話をしてくれていました。その折に良く、皆様のお話を。それで聞いていた外見の特徴を思い出して、お声をかけてみた次第です」
「白々しい事を言うんじゃないわよ! あんたがアルティ」
「ベルーナ、お黙りなさい!」
「こんな公の場で、軽々しく物を言うのは控えなさい!」
「……っ!!」
 これまでアルティンとして社交界に顔を出し、口うるさい彼女達を直接見た事が何度もあったが、アルティナは神妙な顔つきで堂々と嘘八百を述べ立てた。
 当然事実を知っているベルーナが、怒りの形相で真実を暴露しかけたが、アルティナがアルティンとして長年近衛騎士団に在籍していた事が公になれば、実家のグリーバス公爵家が糾弾される事は確実な上、普段敵対関係にある家々がこぞって攻撃してくるのが分かり切っていた為、セレーネとエリシアが慌てて妹の台詞を遮る。そして危険性に気が付いたベルーナが黙り込み、悔しそうに小さく歯ぎしりした。

「アルティン殿が? 私共の事を、どのように仰られていたと?」
 そこで怪訝な顔で問いかけてきた最年長のミゼリアに、アルティンからの伝聞という形で、アルティナが落ち着き払った口調で語り出した。

「兄は、『ラングレー公爵夫人は、少々お顔が怖いと気弱なご婦方から怖れられているが、それは見当違いの誹謗中傷に過ぎない。あの方は単に正義感と義務感が強く、他人が犯した失態や間違いを放置できない、損な性格の気高い女性だ。あの方の眉間に刻まれている皺は、これまでの苦悩と自己研鑽の証。あの方ほど凛とした佇まいが、美しい女性は存在しない』と申しておりました」
「まあ……、その様な事を?」
 本気で驚いた表情を見せたミゼリアに、アルティナが真顔で続ける。

「はい。それで私に『お前は何事も大目に見て貰って、甘やかされている所がある。この先社交界に顔を出す事になったら、まず真っ先にラングレー公爵夫人の様な貴族の中の貴族と言える方に、ご指導を仰ぐべきだ』とも申しておりました。ですが公爵夫人と気軽にお話しする機会など有るわけは無く、直にお会いできるのはもっと先の事と思っておりましたのに、今夜お会いできるなんて、望外の喜びです」
「そんな風に仰らなくとも……。私は口煩いだけの、一介の公爵夫人にすぎませんのよ?」
 そう口では言いながらも、褒められてまんざらではない顔つきのミゼリアの横で、クレアが期待する様な目を向けながら尋ねてきた。

「アルティナ様。アルティン様は、私の事も何か仰られていましたの?」
 その問いにアルティナは、満面の笑みで答えた。

「はい。兄は『お前は領地に引き籠って衣装や装飾品の類に無頓着だが、王都で華々しく活動しておられる方々は、日々自らを磨き上げる事について余念が無い。その筆頭がラディン侯爵夫人で、お見掛けする度に装いが素晴らしい。豪華ではあるが華美ではなく、あの方以上に気品溢れる着こなしができる方は、そうそういらっしゃらない。まさに我が国の社交界の流行を司る方だ。お前も直にお目にかかる事があったら、その装いを参考にさせて頂くと良い』と申しておりました」
「まあ、そんな……」
 そこで嬉しそうに僅かに頬を染めたクレアとは対照的に、アルティナが恥ずかしそうに俯く。

「私も一目見て、クレア様の装いに感激いたしました。それと同時に、自分の装いがいかに洗練されていなくて、周囲の方から見たらお目汚しかと思いまして……」
「あら、アルティナ様、そんなに卑下するものではありませんよ? その装いは清楚で、あなたに良く似合っていますわ」
「本当ですか? ありがとうございます」
 そこで嬉しそうに微笑んだアルティナは、最後にアイリーンに向き直った。

「初めてお目にかかります、アイリーン様。兄は常々、アイリーン様の事も褒めておりましたわ」
「そうですか? 私など特に才も無く、取り立てて賞賛する所など無いかと思われるのですが」
 困惑気味にアイリーンが応じると、アルティナは真顔で続けた。

「兄は『自己主張が激しい社交界において、目立たず才が無い人間は無能と思われがちだが、決してそういう方ばかりではない。必要以上に目立たず、しかし時流に乗り遅れず、周囲を支えて引き立てる。それを体現しているジュール侯爵夫人は、まさに賢婦人の名に相応しい』と、しみじみと申しておりました」
「そんな……、私は夫や周りの皆様の意見に従っているだけですのに……」
「兄には、それだけには見えていなかった筈ですわ。『お前には社交界を率先していく様な力量などは期待できないし、人としての在りようとしては彼女を規範とすべきだ』と申しておりました」
「そんな風に思って頂いていたとは……。生前のアルティン様と、ゆっくりとお話したかったですわ」
 心底残念そうにアイリーンが呟くと、アルティナも溜め息を零して応じる。

「兄は『社交界を牽引している皆様に対して、自分の様な若輩者から声をかけるのは気が引けてしまって』と笑っておりました。あんなに早く逝ったりしなければ、皆様とももっと親しいお付き合いができた筈ですのに……」
「本当に、惜しい方を亡くされました」
「誠に、近衛騎士団だけでは無く、我が国社交界の損失でしたわね」
 そこでその場が神妙に静まり返ってから、ミゼリアが思い出した様にセレーネ達に目を向けた。
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