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第3章 出仕への道

25.ユーリアの受難

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「兄さん、何て無茶振りだ。マリエルが気の毒だし、周りの迷惑も少しは考えて欲しいんだが」
「それなんだがな……、クリフ。今回はお前にもちょっと、と言うか……、大いに絡んで貰う事ができた」
「……へえぇ? 是非とも、詳しい話を聞かせて貰いたいな?」
 キラリと目を物騒に光らせながら、含み笑いでクリフが応じた為、ケインは微妙に視線を逸らしながら、隣に座っているアルティナの肘を軽く引っ張った。

「……アルティン」
「おい。兄が弟に説明するのが、筋じゃないのか?」
「筋書きを作ったのは、完全にお前だろうが!? 俺に押し付けるな!」
「今まで散々マリエルを煽っていたくせに、今更何を言う!」
「どっちでも良いから、さっさと吐いて下さい」
 クリフが冷え切った声で、責任転嫁し合う二人の会話をぶった切った為、ケインと再度目線で押し付け合いをしてから、諦めたアルティナがかなり言いにくそうに、事の次第を説明し始めた。

「う……。その、クリフ殿、申し訳ない。ユーリアをあなたの婚約者扱いにして、後宮の上級女官に就任させる事にしたんだ。ケインに確認したら、クリフ殿には恋人も婚約者も居ないそうなので、名前を貸して貰ったんだが……」
 それを聞いたクリフは、完全に面食らった。

「……え?」
「婚約者って……」
「どういう事?」
 彼の家族も当惑した顔を見合わせたが、もう一人の当事者はそれ以上の反応を示した。

「え、えぇぇぇっ!! ちょっと待って下さい、アルティン様っ! 私がクリフ様の婚約者って、上級女官就任って、何ですか!? 私、由緒正しき平民ですよっ!! そんなのになれる筈、無いじゃないですか!!」
(ああ、ユーリア、来てたのね。ケインがお茶にお酒を仕込むのと併せて、食事が終わる時間帯にここに顔を出すように、言っていたわけだ)
 普段の食事の時には食堂に控えていないユーリアが、いつの間にか壁際に立っており、そこで驚愕の叫び声を上げたのを認めたアルティナは、彼女の方に振り返って、半ば自棄になりながら説明を加えた。

「確かに普通だと難しいが、貴族の男性と平民女性が結婚する為の裏技はあるんだ。女性の方が、貴族の養女になれば可能だからな。流石に男の方が爵位が高い家の嫡男だったりしたら、さすがに無理だろうが」
「裏技の説明をしろなんて、言って無いですよ! そもそもどうして、私とクリフ様が婚約なんて事態になるんですか!?」
 蒼白な顔で詰め寄って来たユーリアから視線を逸らしつつ、アルティナは強張った顔付きで準備した筋書きを述べた。

「ええと……、それは、あれだ。アルティナの輿入れに伴って、伯爵家の使用人になったユーリアを見初めたものの、クリフ殿は次男ながら将来を嘱望されている官僚だし、今後の事を考えると貴族の女性と結婚する必要がある。それで縁を頼ってユーリアを某貴族の養女にしたが、それだけでは彼女が権威主義に凝り固まった連中から軽んじられる可能性があるので、手っ取り早く箔を付ける為と、王太子殿下とのコネ作りの為に、妃殿下付きの上級女官就任要請を即決した、と言う設定にして……。要は、マリエル同様後宮に入って貰って、そこと外部の連絡とその他諸々、宜しく頼む」
 一気に言い切ってアルティナは頭を下げたが、ユーリアはそんな彼女に掴みかかり、盛大に怒鳴りつけ始めた。

「何サラッととんでもない事を言ってくれるんですか、あんたって人はぁぁぁっ!!」
「ちょ、ちょっと待て! ユーリア、落ち着け!」
「前から何度も何度もろくでもない事を言い付けられて、仕方がないと諦めつつ色々やってきましたけどね! 今回のこれは、無茶もいいとこでしょう!?」
「ああ、それは私も重々承知の上なんだが」
「第一、私なんかを養女にする様な、そんな酔狂な貴族が居るわけ無いじゃないですか!!」
「それは今日、ケインが団長に頼んできたそうだ」
「……ケイン様?」
 そこで恐る恐ると言った感じで、自分に目線で問いかけてきたユーリアの顔が、青いのを通り越して白くなっているのを認めたケインは、心底申し訳無く思いながら詳細を説明した。

「騎士団長はファーレス子爵家当主だから、事情を話してお願いしたら、君との養子縁組みを快く引き受けて下さったんだ。早速今日、手続きに入ったから、早ければ明日にでも承認される。それ以後の君の名前は、ユーリア・ファーレスだ」
「そんな……」
 完全に逃げ場無しの状態を理解したユーリアは、崩れ落ちる様に座り込み、床に両手を付いて項垂れた。流石に勝手に話を進めてしまった罪悪感があったアルティナは、同じ様に床に膝を付き、目線を同じにして謝罪の言葉を口にする。

「その……、ユーリア。今回の事は、完全に事後承諾で悪かった。だが事態は急を要しているし、使える人材は有効に使いたくてだな」
「もう良いです……。アルティン様に関わり始めてから、平凡な侍女勤めなんかできるわけ無いって悟っていた筈なのに、何を夢見ていたんでしょうね? それとも、全く学習していなかったって事なんでしょうか?」
「それは……、どうなんだろうな……」
「実家の皆に、何て言おう……。取り敢えず王都に出たがっている妹には『こんな魑魅魍魎が跋扈してる所になんか、間違っても近付くな』って、手紙に特大の文字で書いて送ろうかな……」
 床を見詰めながらぶつぶつとそんな事を呟いたユーリアは、「うふふふふ」と不気味な笑いを漏らした。そんな彼女を見たシャトナー家の面々は、心底彼女に同情する。

「……ユーリアが壊れたわ」
「気持ちは分かるな」
「本当に、ちょっと気の毒ね」
 すると無言で椅子から立ち上がったクリフが、横長の大きなテーブルを回り込み、彼女の所までやってきて、アルティナ同様膝を折ってユーリアに声をかけた。

「ユーリア、いきなりこんな話を聞かされて驚いたのは分かるが、そんなに私が婚約者役を務めるのが嫌だろうか?」
「いっ、いえいえ、滅相もありません! 寧ろ、根っからの庶民の私如きが、無理やりにも程がある養子縁組の上、クリフ様の婚約者になるのが失礼千万ではないかと!」
 若干心配そうに声をかけられ、ユーリアは勢い良く顔を上げて、激しく首を振って否定した。それを見たクリフが、安心した様に笑いかける。

「別に、ユーリアが婚約者になるのは、私に対して失礼では無いよ? 家を継ぐのは兄さんだから、そもそも私の結婚に関しては、かなり自由なんだ。それに結婚したら別に屋敷を構えて自活する事を見越して、これまでにしっかり官僚としての役職と、それなりの生活を送れる稼ぎは確保しているから、結婚相手の持参金やコネを当てにする必要も無いし」
「はぁ……、そうですか……」
 どうしてそんな話になるんだろうと、根本的な所を良く理解できないままユーリアが頷くと、そんな彼女の手を取ったクリフが、真顔で宣言した。

「マリエル同様、君も後宮内に部屋を貰う事で、周りの人間から色々無遠慮な事を言われたり、対外的には私の婚約者になる事で、今後の君の結婚話とかに支障が出るかもしれない。だがその時は、私がきちんと責任を取るから。君は心置きなく、妃殿下の為に力を尽くして欲しい」
「あの……、それは勿論、妃殿下をお助けする事に関しては、異論はありませんが」
「兄さん、この際できる事は何でもやるぞ。他に何かする事は無いのか?」
 戸惑いながら応じたユーリアの台詞に重ねる様に、彼女の手を握ったままクリフが振り仰いで尋ねてきた為、ケインは若干たじろぎながら、これから依頼するつもりだった内容を口にした。

「あ、ああ。さっきも話したが、後宮の管理は内務省管轄だから、後任を推薦してきた事からも、普通の手続きだとユーリア達の上級女官就任を、内務大臣に阻止されるかもしれない。それで」
「分かった、任せろ。あの能無し野郎の目を誤魔化す位、どうとでもないからな。王太子殿下には、俺の所に直接書類を回す様に伝えてくれ」
「……宜しく頼む」
 自分の話を遮り、嬉々として頷いた弟の表情を見て、ケインは僅かに顔を引き攣らせながら頷いた。

「さあ、ユーリア。王太子ご夫妻の為、この国の未来の為、これから二人で全力を尽くそう!」
「はぁ……」
 満面の笑みで促され、その迫力に負けた形でユーリアが頷くと、まだ良く事態が呑み込めていないフェレミアとマリエルが、怪訝な顔で囁き合う。

「なんだか、クリフ兄様もおかしいわ……」
「本当に。いつもと様子が違うわね。どうしたのかしら?」
 首を傾げている彼女達とは異なり、さすがに色々察したらしいアルデスとケインが、小声で確認を入れた。

「その……、聞いていなかったが、クリフはそうなのか?」
「いや、俺もたった今、気が付いたんですが……」
 その横で、アルティナは床に座り込んだままの二人から視線を逸らしながら、溜め息を吐いた。

(絶対、ユーリアは気が付いてない。そして教えてあげたら、今のユーリアだったら『お貴族様と結婚なんて、堅苦しいのは真っ平ごめんです!』と逃げるに決まってる……。そんな事になったら面倒だから、もう事が片付くまで黙っていよう。ケイン達にも口止めだわね、これは)
 自分自身がケインからのアプローチを無意識に遮断している癖に、他人のそれにはしっかり気が付いてしまったアルティナだったが、あっさり問題解決を優先にし、当面口を閉ざす事にした。
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