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第1話 二十歳の誕生日
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二人で食べる為に用意された、ごく小さなサイズのホールケーキに、細いカラフルな蝋燭を二十本立てた清人は、それに火を点けてから室内の電気を消した。そしてテーブルに戻り、向かい合って座っている妹を促す。
「さあ、清香、吹き消してみろ」
「うん」
途端に真顔になって何回か深呼吸して息を整えた清香は、勢い良く溜めた息を吐き出す。それは見事に一息で、全ての蝋燭の火を吹き消す事に成功した。
「誕生日おめでとう、清香」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「さあ食べよう。今日はいつにも増して、腕によりをかけて準備したからな」
「うん!」
途端に満面の笑みになり、ウキウキと料理に手を伸ばす清香。
当時、駆け出しの作家だった清人にとって、負担が大きかった異母兄妹二人暮らしも、両親の死後八年近く経過した今では、きちんと清香も家事を分担していた。しかし小さな洋食レストランを経営していた亡父の料理の才能は主に息子に受け継がれたらしく、清香の料理はどうしても異母兄の作るそれに及ばないと自覚していた。
「うぅ~ん、やっぱりお兄ちゃんの料理は最高に美味しい! 同じレシピで作っても、どうしてかお兄ちゃんの作った方が美味しくなるのよね。それにマンネリ化しないで次々レパートリーを増やしてるし」
幾つもの皿に手を伸ばして味わう合間に清香が感嘆の声を漏らすと、清人が箸の動きを止めないまま爽やかに言い返す。
「それは当然だな」
「え? どうして? 何かお父さん直伝のコツでもあるなら教えて?」
途端にキラキラとした目を向けてくる妹に、清人は優しく目元を緩ませながら言ってのけた。
「大した事では無いが、俺が作る料理には清香への愛が詰まっているからな。清香が美味しく食べてくれたら嬉しいと、終始思いながら調理しているから」
目鼻立ちが整ったすっきりとした色白の、若干癖のある髪を綺麗に流して切り揃えている、一見王子風のイケメンに面と向かって言われたら動揺しない女性は少ないと思われるのだが、その手の台詞に慣れきっている妹は盛大に不満の意を唱えた。
「えぇ? それは絶対納得できない!」
「どうして?」
「だって私だって料理する時は、毎回お兄ちゃんに美味しく食べて貰える様に愛情を込めて作ってるのよ? それなのにお兄ちゃんの作った料理には、敵わないんだもの。何か、根本的な才能が欠けているとしか思えなくなっちゃう……」
最後は拗ねた様に呟いた妹の可愛らしい台詞に、清人は噴き出したいのを何とか堪えつつ宥めた。
「清香の愛は、充分分かっているさ。だけどそれが普段だだ漏れしてるから、料理だけに集中してないだけなんだろう。適性というより性格の問題だから心配するな。清香の料理は充分美味しいぞ? 俺が保証する」
「ありがとう、お兄ちゃん」
この兄妹の日常を知っている彼女の友人達が聞いたなら「いい加減にしなさいよ、このバカップル兄妹!」と盛大に毒吐かれる事は確実だったが、自宅には当然2人しか存在しない為、そんなベタベタ会話が暫く続いた。
そして清人がふと思い出した様に口を開く。
「そういえば……、柏木さん達から、お前への誕生日プレゼントを預かっているんだ」
「え? 本当?」
嬉しそうに見返してくる清香に、自然と清人の顔が緩む。
「ああ、二十歳になった時に真珠を贈られると幸せになれるという謂われがあるそうで、三人で相談して色とかも揃えてくれたらしい。柏木さんがネックレス、倉田さんがイヤリング、松原さんがブローチだそうだ。後でちゃんと礼状を書くんだぞ?」
「分かってる! うわ、なんか凄く嬉しい! いけ好かなくて音沙汰が無い親戚より、おじさん達の方がよっぽど本当の親戚らしいわね。『遠くの親戚より近くの他人』って良く言ったものだわ。ねえ、そう思わない?」
「……ああ、そうかもな」
同意を求められた清人は何故か微妙に清香から視線を逸らし、幾分口ごもりながら控え目な同意を返した。しかし上機嫌な清香は、兄の不審な行動に気がつく事無く食べ続けた。
佐竹家の兄妹がそんな風に和やかに誕生日ディナーを堪能している頃、清香に「親戚の様な赤の他人のおじさん達」と評されていた面々は、それぞれの息子達を連れて、とある場所で一堂に会していた。
「さて……、食事も済んだし、本題に入るか」
そう言ってその場を取り仕切る発言をしたのは、その家の当主である柏木総一郎。既に八十近い年齢にも関わらず意気軒昂であり、大企業である柏木産業を前身の柏木商事から一代で飛躍的に発展させた、往時の面影を全く失ってはいない人物だが、実は清香の亡き母、香澄の実の父でもあった。
長方形の広い食堂に相応しい、二十人は席に着けるダイニングテーブルの上座に当たる一辺に一人で陣取り、左右に並ぶ息子と孫息子達を睥睨した途端、食事中も和やかと言い難かった雰囲気が一層重苦しいものとなる。
「お父さん。大体予想はつきますが、息子達まで呼びつけた訳を説明して下さい」
柏木産業の社長職を引き継ぎ、最近では父親以上の手腕を発揮していると財界では評判の長男の雄一郎が深い溜め息を吐きながら促すと、総一郎は重々しく言い出した。
「今日、十月十八日は、清香の二十歳の誕生日だ」
(知っています。プレゼントも贈りましたし)
そんな事を正直に口にしようものなら目の前の人物が拗ねまくる事が分かりきっている為、彼の三人の息子は揃って余計な事は口にせず、黙って父親の表情を窺った。
「これまでは清香に幾ら害虫が寄り付こうが、あのクソガキが頑として認めなかっただろうが、二十歳を過ぎたらあの子の自由意志で結婚ができるわけだ」
(いや、清香ちゃんが二十歳過ぎても、あの清人君なら妨害しまくるだろう……)
(一体何を言いたいんだ? 祖父さんは)
思わず遠い目をしてしまった息子達と、祖父の言わんとするところが全く理解できなかった孫達に向かって、総一郎から爆弾発言が投下された。
「だから浩一、玲二、正彦、明良、友之。お前達のうち誰でも良いから清香と結婚しろ」
「はぁあ!?」
従兄弟達が揃って間抜けな声を上げる中、その場で1人だけ名前が挙がらなかった倉田修が、恐る恐る手を上げながら声を出した。
「お祖父さん。俺は妻帯者だからその話は除外ですよね。それならどうしてこの場に呼ばれたんですか?」
「まあ、結婚しているだけなら離婚すれば良いだけの話だが、来春に子供が産まれるなら仕方あるまい。儂はそこまで鬼ではないからな。お前には他の者達のフォローをしてもらう」
もったいぶって頷いてみせた総一郎に、その場の全員が白い目を向けた。
(子供がいなかったら別れさせるんだ……)
(さすがワンマン爺さん)
(だから娘に愛想尽かされて逃げられるんだよ)
(年を取って丸くなるどころか……)
それぞれが心中で呆れていると、年長者達が嫌そうに口を開いた。
「お父さん。話を戻しますが、何が『だから清香と結婚しろ』なんですか? 清香ちゃんと息子達が結婚する必要性と理由を説明して下さい」
「まあ、『誰』と指名では無く『誰か』と乱暴な事を言うあたり、大体の理由は察せられますが。」
冷静に、婿養子として家を出ている次男の倉田和威と三男の松原義則に促された総一郎は、決定的な勝手極まる一言を放った。
「そんな事は決まっとる! 孫達の誰かと清香が結婚する事で、儂が清香の実の祖父だと紹介して貰うんじゃ!」
(やっぱり……。それより、いい加減にきちんと清香ちゃんに名乗れば良いのに。いや、これに関しては俺達も何も言えないか)
息子達はすっかり諦めた様に項垂れたが、当事者の孫息子達は流石に噛み付いた。
「ちょっ……、何考えてんだ祖父さん!」
「気でも違ったか?」
「儂は正気だっ! 何だお前達、清香では不満だとでも言う気かっ!!」
総一郎に纏めて怒鳴りつけられた面々は、ある者は困惑し、ある者は些か呆れつつ言葉を返す。
「いや、確かに清香ちゃんは可愛いし、気立ては良いのは分かってるけど」
「結婚となると色々と話は別ですよ」
「そうだな。妹みたいなものだし」
「それに今まできちんと名乗れていないのは、どこからどうみても祖父さんと親父達の自業自得だろ?」
「当時の話は散々聞いてるぜ?」
「その尻拭いを俺達にさせようってのは、少しムシが良過ぎませんか?」
口々にやんわりと責められた総一郎は、巨大企業を一代で築き上げた『経済界の優駿』と誉れ高い高潔な雰囲気をかなぐり捨て、単なる困った孫バカ老人に変貌した。
「五月蝿い! 口答えするな! 清香の結婚相手には、儂の保有している柏木産業の全株式を譲渡してやる!」
「お父さん!? いきなり何を言い出すんですか!」
「そんな事を言って、もし変な人間の手に渡ったりしたら!」
「全発行株式の何%だと思ってるんですか!?」
瞬時に血相を変えた息子達に、総一郎はあくまでも真顔で宣言する。
「だからそうならない様にお前達、気合い入れて清香を口説くんだ。儂が可愛いたった一人の孫娘と、感動の再会ができるかどうかはお前達の働きにかかっとるんじゃ。分かったな!!」
「…………」
そのままふんぞり返った祖父を前に、指名を受けた五人の孫達は何とも言い難い顔を見合わせて黙り込んだが、ここでドアを開ける音と共に冷え切った声が割り込んだ。
「あぁら、皆何を黙り込んでるの? 気の毒なお祖父様のたっての願いを叶えてあげるのが、孫としての当然の務めだと思わない? だけど私の記憶に間違い無ければ、お祖父様の孫娘はもう一人居たと思っていたのだけれど……、気のせいだったかしら?」
そこで雄一郎の長女であり、柏木産業で三十代前半で既に課長職を務めている真澄が、予告なしに現れた。そして彼女が放った一言で、それまで決して快適とは言い難かった食堂内の空気が、完全に凍りつく。
「真澄っ、お前今日は残業」
「全て終わらせました。……そうですか。清香ちゃんが『たった一人の孫娘』ですか」
故人となった祖母譲りの美貌にうっすらと笑みを浮かべつつ、真っすぐ自分を目指して歩み寄る孫娘に、総一郎は蛇に睨まれた蛙の如く、固まったままダラダラと冷や汗を流した。
「い、いやっ! 決してお前の存在を忘れていたわけではっ!」
「そうですね。確かに孫娘ではありますが、『可愛い孫娘では無かった』というだけの話ですよね?」
「かっ、可愛いに決まっとるだろう! ただ、お前に関しては可愛いよりは、雄々しいとか凛々しいとかの形容詞が前面に出てきていてだな」
そんな風に必死に弁解を試みる祖父を、側まで来た孫娘は呆れ果てた視線で冷徹に見下ろした。そして仕事上の口調で淡々と指摘する。
「柏木会長、第一線を退いたとはいえ、あなたは未だに柏木産業の対外的な顔で、社内でも依然として影響力をお持ちです。ご自分の言動に節度と責任をお持ち下さい」
「……っ」
「柏木社長。現時点ではあなたが柏木産業のトップです。未だ柏木家の家長では無いのかもしれませんが、いい加減頑固ジジイの操縦法位会得して下さい。そうでないと振り回される周囲が迷惑です」
「……あのな、真澄」
反論できずに口ごもる総一郎と閉口した雄一郎を知った事かと真澄は睨み付け、淡々と正論をぶつけた。
「ところで、明朝九時から経営会議と伺っております。会長と社長は勿論ご出席の筈。くだらない話は適当に切り上げて、さっさとお休みになる事をお勧めします」
「く、くだらないだとっ!?」
「玉砕が怖くて真正面からブチ当たれない人間が、何を言ってもやってもくだらないだけですよ」
「なっ……」
「それでは失礼します」
流石に声を荒げかけた総一郎の台詞をぶった切った真澄は、言うだけ言って踵を返し、食堂を出て行った。その背後や閉めかけたドアの向こうから、男達の囁き声が微かに届く。
「全く、年々気が強くなりおって!」
「亡くなった母さんに、年々似てきましたね。父さんをやりこめる所なんか特に」
「五月蝿いぞ和威!」
「しかし相変わらずきっついよな~、真澄姉。あれじゃ嫁の貰い手が無いんじゃない?」
「もういい年だろう? 三十三だったっけ?」
「友之、明良君。そこまで遠慮の無い言い方はちょっと……」
「姉さんは仕事に生きてるから。余計な事は言わない様に」
そんな声もドアを閉めると聞こえなくなり、真澄は傍らに控えていた使用人を振り返った。
「部屋に軽食と飲み物をお願い。夕食を食べそびれたのよ」
「畏まりました」
恭しく一礼した年配の女性が歩き去ると、真澄は何事も無かったかのように、足音を吸収する厚さのある絨毯の敷かれた廊下を進む。そして階段を上がりながら、食堂に乱入する直前に聞こえた話を頭の中で反芻した。
(清香ちゃんとあの連中の誰かをね……。いよいよ棺桶に片足を突っ込んだのかしら、あのお祖父様がそんな発想をするなんて)
自分の弟達や従弟達の顔を思い浮かべつつ、実の祖父にかなり辛辣な批評を下した真澄の心の中で、僅かなさざ波が生じる。
(清人君がそうそう簡単に、清香ちゃんに男を近付ける筈は無いけど……。面倒な事になって、あまり彼を怒らせたくは無いわ)
そんな事を考えながら真澄は自室のドアを開け、溜め息を吐きながら中へと入った。
「さあ、清香、吹き消してみろ」
「うん」
途端に真顔になって何回か深呼吸して息を整えた清香は、勢い良く溜めた息を吐き出す。それは見事に一息で、全ての蝋燭の火を吹き消す事に成功した。
「誕生日おめでとう、清香」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「さあ食べよう。今日はいつにも増して、腕によりをかけて準備したからな」
「うん!」
途端に満面の笑みになり、ウキウキと料理に手を伸ばす清香。
当時、駆け出しの作家だった清人にとって、負担が大きかった異母兄妹二人暮らしも、両親の死後八年近く経過した今では、きちんと清香も家事を分担していた。しかし小さな洋食レストランを経営していた亡父の料理の才能は主に息子に受け継がれたらしく、清香の料理はどうしても異母兄の作るそれに及ばないと自覚していた。
「うぅ~ん、やっぱりお兄ちゃんの料理は最高に美味しい! 同じレシピで作っても、どうしてかお兄ちゃんの作った方が美味しくなるのよね。それにマンネリ化しないで次々レパートリーを増やしてるし」
幾つもの皿に手を伸ばして味わう合間に清香が感嘆の声を漏らすと、清人が箸の動きを止めないまま爽やかに言い返す。
「それは当然だな」
「え? どうして? 何かお父さん直伝のコツでもあるなら教えて?」
途端にキラキラとした目を向けてくる妹に、清人は優しく目元を緩ませながら言ってのけた。
「大した事では無いが、俺が作る料理には清香への愛が詰まっているからな。清香が美味しく食べてくれたら嬉しいと、終始思いながら調理しているから」
目鼻立ちが整ったすっきりとした色白の、若干癖のある髪を綺麗に流して切り揃えている、一見王子風のイケメンに面と向かって言われたら動揺しない女性は少ないと思われるのだが、その手の台詞に慣れきっている妹は盛大に不満の意を唱えた。
「えぇ? それは絶対納得できない!」
「どうして?」
「だって私だって料理する時は、毎回お兄ちゃんに美味しく食べて貰える様に愛情を込めて作ってるのよ? それなのにお兄ちゃんの作った料理には、敵わないんだもの。何か、根本的な才能が欠けているとしか思えなくなっちゃう……」
最後は拗ねた様に呟いた妹の可愛らしい台詞に、清人は噴き出したいのを何とか堪えつつ宥めた。
「清香の愛は、充分分かっているさ。だけどそれが普段だだ漏れしてるから、料理だけに集中してないだけなんだろう。適性というより性格の問題だから心配するな。清香の料理は充分美味しいぞ? 俺が保証する」
「ありがとう、お兄ちゃん」
この兄妹の日常を知っている彼女の友人達が聞いたなら「いい加減にしなさいよ、このバカップル兄妹!」と盛大に毒吐かれる事は確実だったが、自宅には当然2人しか存在しない為、そんなベタベタ会話が暫く続いた。
そして清人がふと思い出した様に口を開く。
「そういえば……、柏木さん達から、お前への誕生日プレゼントを預かっているんだ」
「え? 本当?」
嬉しそうに見返してくる清香に、自然と清人の顔が緩む。
「ああ、二十歳になった時に真珠を贈られると幸せになれるという謂われがあるそうで、三人で相談して色とかも揃えてくれたらしい。柏木さんがネックレス、倉田さんがイヤリング、松原さんがブローチだそうだ。後でちゃんと礼状を書くんだぞ?」
「分かってる! うわ、なんか凄く嬉しい! いけ好かなくて音沙汰が無い親戚より、おじさん達の方がよっぽど本当の親戚らしいわね。『遠くの親戚より近くの他人』って良く言ったものだわ。ねえ、そう思わない?」
「……ああ、そうかもな」
同意を求められた清人は何故か微妙に清香から視線を逸らし、幾分口ごもりながら控え目な同意を返した。しかし上機嫌な清香は、兄の不審な行動に気がつく事無く食べ続けた。
佐竹家の兄妹がそんな風に和やかに誕生日ディナーを堪能している頃、清香に「親戚の様な赤の他人のおじさん達」と評されていた面々は、それぞれの息子達を連れて、とある場所で一堂に会していた。
「さて……、食事も済んだし、本題に入るか」
そう言ってその場を取り仕切る発言をしたのは、その家の当主である柏木総一郎。既に八十近い年齢にも関わらず意気軒昂であり、大企業である柏木産業を前身の柏木商事から一代で飛躍的に発展させた、往時の面影を全く失ってはいない人物だが、実は清香の亡き母、香澄の実の父でもあった。
長方形の広い食堂に相応しい、二十人は席に着けるダイニングテーブルの上座に当たる一辺に一人で陣取り、左右に並ぶ息子と孫息子達を睥睨した途端、食事中も和やかと言い難かった雰囲気が一層重苦しいものとなる。
「お父さん。大体予想はつきますが、息子達まで呼びつけた訳を説明して下さい」
柏木産業の社長職を引き継ぎ、最近では父親以上の手腕を発揮していると財界では評判の長男の雄一郎が深い溜め息を吐きながら促すと、総一郎は重々しく言い出した。
「今日、十月十八日は、清香の二十歳の誕生日だ」
(知っています。プレゼントも贈りましたし)
そんな事を正直に口にしようものなら目の前の人物が拗ねまくる事が分かりきっている為、彼の三人の息子は揃って余計な事は口にせず、黙って父親の表情を窺った。
「これまでは清香に幾ら害虫が寄り付こうが、あのクソガキが頑として認めなかっただろうが、二十歳を過ぎたらあの子の自由意志で結婚ができるわけだ」
(いや、清香ちゃんが二十歳過ぎても、あの清人君なら妨害しまくるだろう……)
(一体何を言いたいんだ? 祖父さんは)
思わず遠い目をしてしまった息子達と、祖父の言わんとするところが全く理解できなかった孫達に向かって、総一郎から爆弾発言が投下された。
「だから浩一、玲二、正彦、明良、友之。お前達のうち誰でも良いから清香と結婚しろ」
「はぁあ!?」
従兄弟達が揃って間抜けな声を上げる中、その場で1人だけ名前が挙がらなかった倉田修が、恐る恐る手を上げながら声を出した。
「お祖父さん。俺は妻帯者だからその話は除外ですよね。それならどうしてこの場に呼ばれたんですか?」
「まあ、結婚しているだけなら離婚すれば良いだけの話だが、来春に子供が産まれるなら仕方あるまい。儂はそこまで鬼ではないからな。お前には他の者達のフォローをしてもらう」
もったいぶって頷いてみせた総一郎に、その場の全員が白い目を向けた。
(子供がいなかったら別れさせるんだ……)
(さすがワンマン爺さん)
(だから娘に愛想尽かされて逃げられるんだよ)
(年を取って丸くなるどころか……)
それぞれが心中で呆れていると、年長者達が嫌そうに口を開いた。
「お父さん。話を戻しますが、何が『だから清香と結婚しろ』なんですか? 清香ちゃんと息子達が結婚する必要性と理由を説明して下さい」
「まあ、『誰』と指名では無く『誰か』と乱暴な事を言うあたり、大体の理由は察せられますが。」
冷静に、婿養子として家を出ている次男の倉田和威と三男の松原義則に促された総一郎は、決定的な勝手極まる一言を放った。
「そんな事は決まっとる! 孫達の誰かと清香が結婚する事で、儂が清香の実の祖父だと紹介して貰うんじゃ!」
(やっぱり……。それより、いい加減にきちんと清香ちゃんに名乗れば良いのに。いや、これに関しては俺達も何も言えないか)
息子達はすっかり諦めた様に項垂れたが、当事者の孫息子達は流石に噛み付いた。
「ちょっ……、何考えてんだ祖父さん!」
「気でも違ったか?」
「儂は正気だっ! 何だお前達、清香では不満だとでも言う気かっ!!」
総一郎に纏めて怒鳴りつけられた面々は、ある者は困惑し、ある者は些か呆れつつ言葉を返す。
「いや、確かに清香ちゃんは可愛いし、気立ては良いのは分かってるけど」
「結婚となると色々と話は別ですよ」
「そうだな。妹みたいなものだし」
「それに今まできちんと名乗れていないのは、どこからどうみても祖父さんと親父達の自業自得だろ?」
「当時の話は散々聞いてるぜ?」
「その尻拭いを俺達にさせようってのは、少しムシが良過ぎませんか?」
口々にやんわりと責められた総一郎は、巨大企業を一代で築き上げた『経済界の優駿』と誉れ高い高潔な雰囲気をかなぐり捨て、単なる困った孫バカ老人に変貌した。
「五月蝿い! 口答えするな! 清香の結婚相手には、儂の保有している柏木産業の全株式を譲渡してやる!」
「お父さん!? いきなり何を言い出すんですか!」
「そんな事を言って、もし変な人間の手に渡ったりしたら!」
「全発行株式の何%だと思ってるんですか!?」
瞬時に血相を変えた息子達に、総一郎はあくまでも真顔で宣言する。
「だからそうならない様にお前達、気合い入れて清香を口説くんだ。儂が可愛いたった一人の孫娘と、感動の再会ができるかどうかはお前達の働きにかかっとるんじゃ。分かったな!!」
「…………」
そのままふんぞり返った祖父を前に、指名を受けた五人の孫達は何とも言い難い顔を見合わせて黙り込んだが、ここでドアを開ける音と共に冷え切った声が割り込んだ。
「あぁら、皆何を黙り込んでるの? 気の毒なお祖父様のたっての願いを叶えてあげるのが、孫としての当然の務めだと思わない? だけど私の記憶に間違い無ければ、お祖父様の孫娘はもう一人居たと思っていたのだけれど……、気のせいだったかしら?」
そこで雄一郎の長女であり、柏木産業で三十代前半で既に課長職を務めている真澄が、予告なしに現れた。そして彼女が放った一言で、それまで決して快適とは言い難かった食堂内の空気が、完全に凍りつく。
「真澄っ、お前今日は残業」
「全て終わらせました。……そうですか。清香ちゃんが『たった一人の孫娘』ですか」
故人となった祖母譲りの美貌にうっすらと笑みを浮かべつつ、真っすぐ自分を目指して歩み寄る孫娘に、総一郎は蛇に睨まれた蛙の如く、固まったままダラダラと冷や汗を流した。
「い、いやっ! 決してお前の存在を忘れていたわけではっ!」
「そうですね。確かに孫娘ではありますが、『可愛い孫娘では無かった』というだけの話ですよね?」
「かっ、可愛いに決まっとるだろう! ただ、お前に関しては可愛いよりは、雄々しいとか凛々しいとかの形容詞が前面に出てきていてだな」
そんな風に必死に弁解を試みる祖父を、側まで来た孫娘は呆れ果てた視線で冷徹に見下ろした。そして仕事上の口調で淡々と指摘する。
「柏木会長、第一線を退いたとはいえ、あなたは未だに柏木産業の対外的な顔で、社内でも依然として影響力をお持ちです。ご自分の言動に節度と責任をお持ち下さい」
「……っ」
「柏木社長。現時点ではあなたが柏木産業のトップです。未だ柏木家の家長では無いのかもしれませんが、いい加減頑固ジジイの操縦法位会得して下さい。そうでないと振り回される周囲が迷惑です」
「……あのな、真澄」
反論できずに口ごもる総一郎と閉口した雄一郎を知った事かと真澄は睨み付け、淡々と正論をぶつけた。
「ところで、明朝九時から経営会議と伺っております。会長と社長は勿論ご出席の筈。くだらない話は適当に切り上げて、さっさとお休みになる事をお勧めします」
「く、くだらないだとっ!?」
「玉砕が怖くて真正面からブチ当たれない人間が、何を言ってもやってもくだらないだけですよ」
「なっ……」
「それでは失礼します」
流石に声を荒げかけた総一郎の台詞をぶった切った真澄は、言うだけ言って踵を返し、食堂を出て行った。その背後や閉めかけたドアの向こうから、男達の囁き声が微かに届く。
「全く、年々気が強くなりおって!」
「亡くなった母さんに、年々似てきましたね。父さんをやりこめる所なんか特に」
「五月蝿いぞ和威!」
「しかし相変わらずきっついよな~、真澄姉。あれじゃ嫁の貰い手が無いんじゃない?」
「もういい年だろう? 三十三だったっけ?」
「友之、明良君。そこまで遠慮の無い言い方はちょっと……」
「姉さんは仕事に生きてるから。余計な事は言わない様に」
そんな声もドアを閉めると聞こえなくなり、真澄は傍らに控えていた使用人を振り返った。
「部屋に軽食と飲み物をお願い。夕食を食べそびれたのよ」
「畏まりました」
恭しく一礼した年配の女性が歩き去ると、真澄は何事も無かったかのように、足音を吸収する厚さのある絨毯の敷かれた廊下を進む。そして階段を上がりながら、食堂に乱入する直前に聞こえた話を頭の中で反芻した。
(清香ちゃんとあの連中の誰かをね……。いよいよ棺桶に片足を突っ込んだのかしら、あのお祖父様がそんな発想をするなんて)
自分の弟達や従弟達の顔を思い浮かべつつ、実の祖父にかなり辛辣な批評を下した真澄の心の中で、僅かなさざ波が生じる。
(清人君がそうそう簡単に、清香ちゃんに男を近付ける筈は無いけど……。面倒な事になって、あまり彼を怒らせたくは無いわ)
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