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番外編 佐竹清人に関する考察~倉田正彦の場合
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話は、一年程前に遡る。
※※※
その日、正彦は某老舗百貨店の紳士服売り場の最奧、ガラス張りでゆったりとした広さの、オーダーメイドスペース内に居た。更に壁際奥のカーテンが恭しく開けられ、三畳程の採寸スペースから、正彦がゆっくりと元居た場所へと足を踏み出す。
「それでは倉田様、採寸が終わりましたので、こちらで生地を選んで頂けますか?」
「分かりました…………、あれ?」
脱いだ上着を着せ掛けて貰いながら、応接セットが設置してある場所に移動しかけた所で、新たに出入り口から入って来た人物に目を止めた正彦は、怪訝な声を上げた。
「清人さん?」
「……やあ、正彦。久し振りだな。スーツを作りに来たのか?」
店員が分厚い見本ファイルを抱えて正彦に近寄って行くのを見て、愛想良く挨拶してきた清人に、正彦も笑顔で応じる。
「ええ、夏物で新しい物を一着と思いまして。それにしてもこんな所で会うとは奇遇ですね」
それに清人は僅かに首を傾げつつ答えた。
「全くの偶然、と言うわけでも無いな。ここを紹介してくれたのは倉田さんだから」
「そうだったんですか? 知らなかったな」
「わざわざ言う程の事では無いだろうしな」
不思議そうな顔をした正彦に、清人が苦笑いで返す。そこに黒のスーツ姿の老人が現れた為、清人が笑顔で声をかけた。
「ああ、榊原さん。またお世話になります」
「いらっしゃいませ、佐竹様。本日はどの様なご用件でしょうか?」
「はい、ワイシャツを一枚作りたいと思いまして」
清人がそう告げた瞬間、榊原は穏やかな笑顔を消して真顔で確認を入れた。
「……シャツを一枚、でいらっしゃいますか?」
「ええ」
負けず劣らず真顔で頷いた清人に、榊原は素早く清人の全身に視線を走らせてから、冷静に申し出た。
「失礼ですが、ジャケットを脱いでみて頂けますか? お預かりします」
「分かりました」
そして背後で清人のジャケットを掴み、脱いで腕を下ろすまでの一部始終を観察した榊原は、静かに清人に声をかけた。
「失礼ですが佐竹様、最近、左肩から肘にかけて、お怪我をされましたか?」
確信に満ちたその口調に、清人が苦笑いで応じる。
「やはり榊原さんにはバレましたか。妹も気付かなかったのに……」
「え!? 清人さん、どうかしたんですか?」
少し離れたソファーに座った正彦にもそのやり取りは伝わり、驚いて声をかけたが、清人はあっさりと答えた。
「大した事は無い、ちょっと二十人位を相手に、大立ち回りをしただけだ」
「ちょ……、清人さん!?」
流石に顔色を変えて正彦が腰を浮かしかけたが、清人は次の瞬間小さく噴き出した。
「冗談だから真に受けるな。そういう場面を一心不乱に書いていたら、同じ姿勢を続けていて筋が強張っただけだ」
「書いていたらって……」
唖然として呟いた正彦だったが、周りで聞き耳を立てていた女性従業員達は、一気に緊張がほぐれたらしく、コロコロと笑い合った。
「まあ……。私一瞬、本気にしてしまいました」
「本当に、佐竹様って、ご職業と見掛けによらず、とんでもない武闘派なのかと思いましたわ」
「それは大変失礼しました。こんな素敵なレディ達を驚愕させるとは、とんだ失態です」
年配のベテラン従業員達にもソツなく笑顔で応じる清人に、益々彼女達の笑みが深くなる。
「毎回お上手ですね」
「でも酷いお怪我とかでは無くて、良かったですわ」
そんな一見和やかな会話を交わしている者達に混ざらず、正彦は一人自問自答していた。
(本当か? ……いや、絶対違うだろう、それは。一体何をやらかしたんですか?)
やる時はとことんやるタイプの清人の本性を知り抜いている正彦は、一人で冷や汗を流した。しかしもう一人、真顔で清人の観察を続けている人物も存在していた。
「筋が強張っただけ、ですか……」
「ええ、そうです」
些か険しい表情で清人の顔を見やった榊原だったが、清人が平然と言い返した為、小さく頷いてから仕事に取りかかった。
「畏まりました。サイズ自体が変わった訳では無いので、寸法の微調整で済むかとは思いますが、フィッテングスペースへどうぞ。少し体を動かしながら、動きに支障の無い寸法の採寸をしてみましょう」
「お願いします」
目測で対応策を判断した榊原は、サクサクと仕事を進めにかかった。それに清人が大人しく応じて、先程正彦が入っていたスペースに移動する。
見るともなしに、正彦がその二人の背中を視線で追っていると、目の前のテーブルに静かにコーヒーカップが置かれた。
「倉田様、どうぞ」
「ありがとう」
短く礼を言い、コーヒーを飲む合間に見本ファイルを捲りつつ生地選びを再開すると、カーテンの向こうから二人のやり取りが伝わってきた。
「参考までに、急ぎでシャツを誂える理由を、お聞きしてみても宜しいですか?」
「ええ。実は来週やんごとなき方々と会食する事になっているのですが、肩を医者に診せたら来週までに完治は難しいと言われまして」
多少忌々しげに告げられた言葉に、榊原が納得した様に言葉を返す。
「なるほど……。脱ぎ着の際や腕の上げ下ろし等で、僅かシャツの動きや引っ張られる感じが気になると……、そういうご事情ですね」
「ええ。面倒くさい人達を相手にするので、出来るだけ集中力を切らしたく無いんです。今からスーツを仕立て直すのは無理でも、シャツ位は間に合わせたいと思いましたから。今回、この為だけだとしても、仕方ありません」
淡々と述べた清人だったが、カーテンの向こうで榊原は一瞬黙り込んでから、静かに確認を入れた。
「……佐竹様? 通常であればシャツの仕立ては、半月はお時間を頂いておりますが?」
しかしその返答を予想していたらしい清人は、あっさりと次の言葉を繰り出す。
「五日で宜しくお願いします。勿論、特別料金はお支払いします」
対する榊原も、面倒な客に対する対応は、手慣れたものだった。
「畏まりました。五日で仕上げさせます。その代わり配送の手配をするとそれだけ時間がかかりますので、直接ご来店しての受け取りをお願いします」
「それ位、構いません」
そんな平然と交わされるやり取りに、正彦は本気で呆れ返った。
(おいおい、マジかよ? たかが会食一回の為に、シャツを作りに来るか!? ここだとシャツ一着、安くてもウン万円なんだぜ?)
心底うんざりとして溜め息を吐いた正彦だったが、カーテンの向こうでは順調に採寸が進んでいった。
「ああ、なるほど。確かにちょっと肩や腕を庇いながら動かそうとすると、ちょっとこの辺りが突っ張る感じになりますね」
「確かに、あまり気にならないと言えば、気にならない程度なのですが……」
「佐竹様は上腕から肩にかけての筋肉がしっかりしていらっしゃいますから。……分かりました。こことここの寸法を、通常より緩めに作らせましょう」
「すみません、お手数かけます」
殊勝な声でそう詫びた清人だったが、榊原は笑いを含んだ声で返した。
「いえ、佐竹様の様に体型をキチンと管理されていて、いつ採寸してもミリ単位で同じ方は稀でございますから。偶に違うと測り甲斐があります」
(ミリ単位でサイズが同じって……、化け物かよ?)
そんな風に心の中で突っ込みを入れた正彦だったが、清人は小さく噴き出してから笑いを堪える口調で告げた。
「おや? それでは自分は相当つまらない客、という事になりそうですね」
茶化す様に言ってきた清人にも、榊原は余裕で応じる。
「丁寧に仕立てた服を長く大事に着て頂ける事は、仕立て屋にしてみれば望外の喜びですよ? それに折に触れ新しい服を作って頂いておりますし、佐竹様は上客でいらっしゃいます」
「それなら良かった。榊原さんに嫌われたくはありませんから。何と言っても妹よりあなたの方が、俺の身体について熟知していますし」
それを聞いて、今度は榊原の方が我慢出来ずに小さく笑った。
「それはそれは……。誠に光栄ですが、その賛辞を受ける役目は、そろそろ佐竹様の奥様にお譲りしたいのですが。今回の会食のお相手が、ご結婚相手のお身内の方々とかでは無いのですか?」
「え!? 清人さん、本当か? 清香ちゃんからは何も聞いて無いけど!」
さり気なく告げられた内容に、正彦は動転してカーテンの奥に大声で呼び掛けた。それに舌打ちした気配が伝わってから、憮然とした口調の清人の台詞が続く。
「……残念ながら、当分結婚の予定はありませんし、会食相手は単なる口うるさいじじいの集団です」
「そうですか? 佐竹様には以前から何となく、女性に対して一本気な相があるなとお見受けしていましたので、そろそろその相手と縁付かれたのかと思いました」
しれっとして言い切りながら静かに仕切りのカーテンを引き開けた榊原の顔を、小さく溜め息を吐いた清人が半ば呆れた様に眺めた。
「榊原さん……、あなたは易相の心得も有るんですか?」
しかし清人を手振りで出る様に促しながら、榊原は笑って受け流した。
「いえ、長年のお客様観察の結果でしょうか? それを一人の女性に振り回される女難と見るか、それ程想える女性に邂逅できた事を僥倖とするかは、ご本人の考え方次第だとは思いますが」
それを聞いて、清人は小さく首を振った。
「大した物ですよ……。ここに来る度に、榊原さんには創作意欲を掻き立てられます。いつかあなたをモデルにして、書きたいですね」
「それは丁重にご辞退申し上げます。私はしがない服屋ですので。……それでは生地見本をお持ちしますので、そちらで少々お待ち下さい」
「はい」
笑顔の榊原に促され、清人は靴を履いてから正彦が座っている場所に隣接した、もう一つのソファーセットに足を進めた。そして腰を下ろすなり、隣の正彦から興味津々な問いが発せられる。
「清人さん、さっきの話、マジですか?」
「何の話だ?」
「榊原さんが言ってた、清人さんに前からずっと好きな女性がいるって話ですよ」
その質問に、清人は一瞬苦虫を噛み潰した様な表情を見せたが、すぐにいつもの表情と口調で淡々と応じた。
「……以前から女性は切らした事が無いからな。榊原さんはそれを、変に良い方に解釈しているんだろう」
「そうきましたか……」
何となく予想できていた内容に正彦がうなだれると、清人は早速出されたコーヒーカップに口を付けた。正彦はそれをぼんやりと見ながら、脳裏に浮かんだ疑問を更に口にする。
「ところで、どうしてそんないけ好かないじじい連中と、会食する事になったんです? それに清人さんのタラシのテクニックで、籠絡出来ないんですか?」
結構失礼な物言いだとの自覚はあったが、清人は気を悪くした様子は見せず、冷静に告げた。
「女なら全く問題ないし、男でも通常なら大丈夫なんだが……、今回は相手が悪過ぎる。海千山千の妖怪集団だからな。理由は聞くなよ? 不愉快だからな」
その言い方で、正彦はこれ以上話を続けるのは不毛で危険だと悟った。
「分かりました。もう聞きません。……じゃあこれでお願いします」
「畏まりました」
少し離れた位置で待機していた従業員を目線で呼び、選んだ生地を指差す。そして相手の女性が確認して復唱し終えてから、正彦はゆっくりと立ち上がって清人に声をかけた。
「じゃあ清人さん、お先に失礼します」
「ああ」
※※※
「……そんな風に、清人さんは、年寄り連中との会食の為だけに、シャツを新調してたわけだ。居合わせた俺は半ば呆れたね」
当時の状況を語り終えた正彦が肩を竦めると、周りで呆れとも感嘆とも取れる溜め息が、複数漏れた。
「はぁ……、凝り性と言うか繊細と言おうか……」
「繊細じゃないだろ? どっちかって言うと病的? 神経質?」
「おいおい、酷い言いようだな。しかしあの清人さんが、そんなに気合い入れて対応しないといけない相手とは……」
「一体、どんな連中なんだろうな?」
「それに、そんな人達と、どうやって知り合ったんだか」
口々に感想を述べる弟や従兄弟達に、正彦は嬉々として意見を述べた。
「だろう? 気になるよな? 俺も今の今まで忘れてたが、今度何かの折に、詳しく聞いてみようかと思って……」
正彦のそんな訴えを聞き流しながら、真澄は一人密かに、溜め息を吐いていた。
(一人の女性をずっと、ね……。彼、正彦の前で言い当てられて、少しは動揺したのかしら? 正彦はそっちの方は、完全に誤魔化されたみたいだけど……)
そんな事を考え込んでいた真澄の目の前で、更に議論が深まっていく。
「しっかし『女性を切らした事が無い』と断言する辺り、流石清人さんって感じだよな」
そう玲二が述べると、明良もしみじみと呟いた。
「ああ、確かに、連れ歩いてる女性という女性、皆美人だし」
その発言に、他の男連中が食い付く。
「え? 何、お前顔見た事有るの? 俺は一度も無いけど」
「しかもその口振りだと、複数回って事だよな?」
「ああ。なんか知らんが出くわした。それは俺の美女センサーが、抜群な故の遭遇だったな」
訳が分からない事を言って「うんうん」と一人頷く明良に、周りの者達が揃って呆れた目を向ける。
「……何だそれは」
そんな胡乱な視線を向けられた明良は、小さく苦笑してからゆっくりと話し始めた。
※※※
その日、正彦は某老舗百貨店の紳士服売り場の最奧、ガラス張りでゆったりとした広さの、オーダーメイドスペース内に居た。更に壁際奥のカーテンが恭しく開けられ、三畳程の採寸スペースから、正彦がゆっくりと元居た場所へと足を踏み出す。
「それでは倉田様、採寸が終わりましたので、こちらで生地を選んで頂けますか?」
「分かりました…………、あれ?」
脱いだ上着を着せ掛けて貰いながら、応接セットが設置してある場所に移動しかけた所で、新たに出入り口から入って来た人物に目を止めた正彦は、怪訝な声を上げた。
「清人さん?」
「……やあ、正彦。久し振りだな。スーツを作りに来たのか?」
店員が分厚い見本ファイルを抱えて正彦に近寄って行くのを見て、愛想良く挨拶してきた清人に、正彦も笑顔で応じる。
「ええ、夏物で新しい物を一着と思いまして。それにしてもこんな所で会うとは奇遇ですね」
それに清人は僅かに首を傾げつつ答えた。
「全くの偶然、と言うわけでも無いな。ここを紹介してくれたのは倉田さんだから」
「そうだったんですか? 知らなかったな」
「わざわざ言う程の事では無いだろうしな」
不思議そうな顔をした正彦に、清人が苦笑いで返す。そこに黒のスーツ姿の老人が現れた為、清人が笑顔で声をかけた。
「ああ、榊原さん。またお世話になります」
「いらっしゃいませ、佐竹様。本日はどの様なご用件でしょうか?」
「はい、ワイシャツを一枚作りたいと思いまして」
清人がそう告げた瞬間、榊原は穏やかな笑顔を消して真顔で確認を入れた。
「……シャツを一枚、でいらっしゃいますか?」
「ええ」
負けず劣らず真顔で頷いた清人に、榊原は素早く清人の全身に視線を走らせてから、冷静に申し出た。
「失礼ですが、ジャケットを脱いでみて頂けますか? お預かりします」
「分かりました」
そして背後で清人のジャケットを掴み、脱いで腕を下ろすまでの一部始終を観察した榊原は、静かに清人に声をかけた。
「失礼ですが佐竹様、最近、左肩から肘にかけて、お怪我をされましたか?」
確信に満ちたその口調に、清人が苦笑いで応じる。
「やはり榊原さんにはバレましたか。妹も気付かなかったのに……」
「え!? 清人さん、どうかしたんですか?」
少し離れたソファーに座った正彦にもそのやり取りは伝わり、驚いて声をかけたが、清人はあっさりと答えた。
「大した事は無い、ちょっと二十人位を相手に、大立ち回りをしただけだ」
「ちょ……、清人さん!?」
流石に顔色を変えて正彦が腰を浮かしかけたが、清人は次の瞬間小さく噴き出した。
「冗談だから真に受けるな。そういう場面を一心不乱に書いていたら、同じ姿勢を続けていて筋が強張っただけだ」
「書いていたらって……」
唖然として呟いた正彦だったが、周りで聞き耳を立てていた女性従業員達は、一気に緊張がほぐれたらしく、コロコロと笑い合った。
「まあ……。私一瞬、本気にしてしまいました」
「本当に、佐竹様って、ご職業と見掛けによらず、とんでもない武闘派なのかと思いましたわ」
「それは大変失礼しました。こんな素敵なレディ達を驚愕させるとは、とんだ失態です」
年配のベテラン従業員達にもソツなく笑顔で応じる清人に、益々彼女達の笑みが深くなる。
「毎回お上手ですね」
「でも酷いお怪我とかでは無くて、良かったですわ」
そんな一見和やかな会話を交わしている者達に混ざらず、正彦は一人自問自答していた。
(本当か? ……いや、絶対違うだろう、それは。一体何をやらかしたんですか?)
やる時はとことんやるタイプの清人の本性を知り抜いている正彦は、一人で冷や汗を流した。しかしもう一人、真顔で清人の観察を続けている人物も存在していた。
「筋が強張っただけ、ですか……」
「ええ、そうです」
些か険しい表情で清人の顔を見やった榊原だったが、清人が平然と言い返した為、小さく頷いてから仕事に取りかかった。
「畏まりました。サイズ自体が変わった訳では無いので、寸法の微調整で済むかとは思いますが、フィッテングスペースへどうぞ。少し体を動かしながら、動きに支障の無い寸法の採寸をしてみましょう」
「お願いします」
目測で対応策を判断した榊原は、サクサクと仕事を進めにかかった。それに清人が大人しく応じて、先程正彦が入っていたスペースに移動する。
見るともなしに、正彦がその二人の背中を視線で追っていると、目の前のテーブルに静かにコーヒーカップが置かれた。
「倉田様、どうぞ」
「ありがとう」
短く礼を言い、コーヒーを飲む合間に見本ファイルを捲りつつ生地選びを再開すると、カーテンの向こうから二人のやり取りが伝わってきた。
「参考までに、急ぎでシャツを誂える理由を、お聞きしてみても宜しいですか?」
「ええ。実は来週やんごとなき方々と会食する事になっているのですが、肩を医者に診せたら来週までに完治は難しいと言われまして」
多少忌々しげに告げられた言葉に、榊原が納得した様に言葉を返す。
「なるほど……。脱ぎ着の際や腕の上げ下ろし等で、僅かシャツの動きや引っ張られる感じが気になると……、そういうご事情ですね」
「ええ。面倒くさい人達を相手にするので、出来るだけ集中力を切らしたく無いんです。今からスーツを仕立て直すのは無理でも、シャツ位は間に合わせたいと思いましたから。今回、この為だけだとしても、仕方ありません」
淡々と述べた清人だったが、カーテンの向こうで榊原は一瞬黙り込んでから、静かに確認を入れた。
「……佐竹様? 通常であればシャツの仕立ては、半月はお時間を頂いておりますが?」
しかしその返答を予想していたらしい清人は、あっさりと次の言葉を繰り出す。
「五日で宜しくお願いします。勿論、特別料金はお支払いします」
対する榊原も、面倒な客に対する対応は、手慣れたものだった。
「畏まりました。五日で仕上げさせます。その代わり配送の手配をするとそれだけ時間がかかりますので、直接ご来店しての受け取りをお願いします」
「それ位、構いません」
そんな平然と交わされるやり取りに、正彦は本気で呆れ返った。
(おいおい、マジかよ? たかが会食一回の為に、シャツを作りに来るか!? ここだとシャツ一着、安くてもウン万円なんだぜ?)
心底うんざりとして溜め息を吐いた正彦だったが、カーテンの向こうでは順調に採寸が進んでいった。
「ああ、なるほど。確かにちょっと肩や腕を庇いながら動かそうとすると、ちょっとこの辺りが突っ張る感じになりますね」
「確かに、あまり気にならないと言えば、気にならない程度なのですが……」
「佐竹様は上腕から肩にかけての筋肉がしっかりしていらっしゃいますから。……分かりました。こことここの寸法を、通常より緩めに作らせましょう」
「すみません、お手数かけます」
殊勝な声でそう詫びた清人だったが、榊原は笑いを含んだ声で返した。
「いえ、佐竹様の様に体型をキチンと管理されていて、いつ採寸してもミリ単位で同じ方は稀でございますから。偶に違うと測り甲斐があります」
(ミリ単位でサイズが同じって……、化け物かよ?)
そんな風に心の中で突っ込みを入れた正彦だったが、清人は小さく噴き出してから笑いを堪える口調で告げた。
「おや? それでは自分は相当つまらない客、という事になりそうですね」
茶化す様に言ってきた清人にも、榊原は余裕で応じる。
「丁寧に仕立てた服を長く大事に着て頂ける事は、仕立て屋にしてみれば望外の喜びですよ? それに折に触れ新しい服を作って頂いておりますし、佐竹様は上客でいらっしゃいます」
「それなら良かった。榊原さんに嫌われたくはありませんから。何と言っても妹よりあなたの方が、俺の身体について熟知していますし」
それを聞いて、今度は榊原の方が我慢出来ずに小さく笑った。
「それはそれは……。誠に光栄ですが、その賛辞を受ける役目は、そろそろ佐竹様の奥様にお譲りしたいのですが。今回の会食のお相手が、ご結婚相手のお身内の方々とかでは無いのですか?」
「え!? 清人さん、本当か? 清香ちゃんからは何も聞いて無いけど!」
さり気なく告げられた内容に、正彦は動転してカーテンの奥に大声で呼び掛けた。それに舌打ちした気配が伝わってから、憮然とした口調の清人の台詞が続く。
「……残念ながら、当分結婚の予定はありませんし、会食相手は単なる口うるさいじじいの集団です」
「そうですか? 佐竹様には以前から何となく、女性に対して一本気な相があるなとお見受けしていましたので、そろそろその相手と縁付かれたのかと思いました」
しれっとして言い切りながら静かに仕切りのカーテンを引き開けた榊原の顔を、小さく溜め息を吐いた清人が半ば呆れた様に眺めた。
「榊原さん……、あなたは易相の心得も有るんですか?」
しかし清人を手振りで出る様に促しながら、榊原は笑って受け流した。
「いえ、長年のお客様観察の結果でしょうか? それを一人の女性に振り回される女難と見るか、それ程想える女性に邂逅できた事を僥倖とするかは、ご本人の考え方次第だとは思いますが」
それを聞いて、清人は小さく首を振った。
「大した物ですよ……。ここに来る度に、榊原さんには創作意欲を掻き立てられます。いつかあなたをモデルにして、書きたいですね」
「それは丁重にご辞退申し上げます。私はしがない服屋ですので。……それでは生地見本をお持ちしますので、そちらで少々お待ち下さい」
「はい」
笑顔の榊原に促され、清人は靴を履いてから正彦が座っている場所に隣接した、もう一つのソファーセットに足を進めた。そして腰を下ろすなり、隣の正彦から興味津々な問いが発せられる。
「清人さん、さっきの話、マジですか?」
「何の話だ?」
「榊原さんが言ってた、清人さんに前からずっと好きな女性がいるって話ですよ」
その質問に、清人は一瞬苦虫を噛み潰した様な表情を見せたが、すぐにいつもの表情と口調で淡々と応じた。
「……以前から女性は切らした事が無いからな。榊原さんはそれを、変に良い方に解釈しているんだろう」
「そうきましたか……」
何となく予想できていた内容に正彦がうなだれると、清人は早速出されたコーヒーカップに口を付けた。正彦はそれをぼんやりと見ながら、脳裏に浮かんだ疑問を更に口にする。
「ところで、どうしてそんないけ好かないじじい連中と、会食する事になったんです? それに清人さんのタラシのテクニックで、籠絡出来ないんですか?」
結構失礼な物言いだとの自覚はあったが、清人は気を悪くした様子は見せず、冷静に告げた。
「女なら全く問題ないし、男でも通常なら大丈夫なんだが……、今回は相手が悪過ぎる。海千山千の妖怪集団だからな。理由は聞くなよ? 不愉快だからな」
その言い方で、正彦はこれ以上話を続けるのは不毛で危険だと悟った。
「分かりました。もう聞きません。……じゃあこれでお願いします」
「畏まりました」
少し離れた位置で待機していた従業員を目線で呼び、選んだ生地を指差す。そして相手の女性が確認して復唱し終えてから、正彦はゆっくりと立ち上がって清人に声をかけた。
「じゃあ清人さん、お先に失礼します」
「ああ」
※※※
「……そんな風に、清人さんは、年寄り連中との会食の為だけに、シャツを新調してたわけだ。居合わせた俺は半ば呆れたね」
当時の状況を語り終えた正彦が肩を竦めると、周りで呆れとも感嘆とも取れる溜め息が、複数漏れた。
「はぁ……、凝り性と言うか繊細と言おうか……」
「繊細じゃないだろ? どっちかって言うと病的? 神経質?」
「おいおい、酷い言いようだな。しかしあの清人さんが、そんなに気合い入れて対応しないといけない相手とは……」
「一体、どんな連中なんだろうな?」
「それに、そんな人達と、どうやって知り合ったんだか」
口々に感想を述べる弟や従兄弟達に、正彦は嬉々として意見を述べた。
「だろう? 気になるよな? 俺も今の今まで忘れてたが、今度何かの折に、詳しく聞いてみようかと思って……」
正彦のそんな訴えを聞き流しながら、真澄は一人密かに、溜め息を吐いていた。
(一人の女性をずっと、ね……。彼、正彦の前で言い当てられて、少しは動揺したのかしら? 正彦はそっちの方は、完全に誤魔化されたみたいだけど……)
そんな事を考え込んでいた真澄の目の前で、更に議論が深まっていく。
「しっかし『女性を切らした事が無い』と断言する辺り、流石清人さんって感じだよな」
そう玲二が述べると、明良もしみじみと呟いた。
「ああ、確かに、連れ歩いてる女性という女性、皆美人だし」
その発言に、他の男連中が食い付く。
「え? 何、お前顔見た事有るの? 俺は一度も無いけど」
「しかもその口振りだと、複数回って事だよな?」
「ああ。なんか知らんが出くわした。それは俺の美女センサーが、抜群な故の遭遇だったな」
訳が分からない事を言って「うんうん」と一人頷く明良に、周りの者達が揃って呆れた目を向ける。
「……何だそれは」
そんな胡乱な視線を向けられた明良は、小さく苦笑してからゆっくりと話し始めた。
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