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第16話 頭の中の絵本
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「さ、作戦区域内の現乖侵食度数、急激に低下、平常範囲内。境界振検出なし。目標、沈黙しました」
オペレーターの報告に、司令部の各署からどよめきの声が上がる。
偵察ヘリからの映像に映る、腰に1対の翼を持つ少年を凝視しているのは大木だけではない。
その場の誰もが自らの任を忘れ、彼に目を奪われていた。
松里アキは小型境獣だけでなく、クラスⅣの境界振を発生させた中型境獣をひとりで撃破した。
本来ならば状況に合わせ、陸海空のあらゆる兵器を用いて殲滅すべき境獣を、だ。
大木は松里アキの今後に関するあらゆる筋書きを一度頭の中から放棄し、ひとまずは自らの職務の遂行に戻る。
「作戦終了を各部に通達。だが作戦区域の警報解除は待て。最優先でアリエス隊に彼を回収させろ。……丁重にな。彼はまだ高校生だ」
大木はサングラスの位置を直し、瞼を閉じて思考に巡らせた。
――よもやこれほどとは。
これまでに得られていた松里アキについての情報は、その全てが眉唾ものだった。
断片的な数値であり、偏向的な情報であり、誇張的な表現だったからだ。
だがそれらが全て真であるとするならば、自分たちは彼の扱いを間違えてはならない。
勇者というおとぎ話の存在が実在したとき、それは現実社会においてその複雑な構造にあらゆる影響を及ぼし、様々な側面を露出させる。
正義の味方というひとつの側面だけであり続けられるのは、しょせん絵本の中だけなのだ。
大木は松里アキというひとりの少年を御しようなどという傲慢な考えは持たない。
仮に自分たちがその絵本に描かれるとすれば、守られる側の民衆に過ぎないだろうからだ。
彼を完全に御せると言える存在がいるとすれば、この後の筋書きを知っている神のみである。
――そんな神の存在も、昨今は有耶無耶になってきているのだから困ったものだ。
大木は眉間を揉み解し、サングラスをかけ直すと、頭の中の絵本を閉じて現実へと相対するのだった。
◇ ◇ ◇
「森を焼かずに済んで……――よかったね。この辺に神社があるならあとで寄りたいな」
『Yes。マスタ』
夜が明ける。
アキは明るくなりつつある空に目を向けて、近くのガードレールへ腰かけた。
その後ろでは魔物だったものが黒く変色し、端から崩れ、宙へと消えていく。
魔物の死骸は残らない。なぜならそれは本当の生命ではないから。
そう言っていたのはソフィアだったか、それとも別の誰かだっただろうか。
なんにせよ、残ったのは砕けたアスファルトの道路と、爆発により傾いでしまった木々という、痛々しい戦闘の跡だけだ。
そんな光景を尻目に体の緊張を解いていると、ふわりと目の前にソフィアが現れる。
『マスタ。お願い。許可。実体化』
「ソフィアがそうしたいならいいよ」
本当ならばアキは許可などなくともソフィアの好きにしてほしい。だが、ソフィアはあくまでこういったやり取りを大事にする。
アキの答えに嬉しそうに微笑んだソフィアはその体を一瞬光らせると、とんと地面に着地した。
これまで半透明だった体は実体を持ち、重力の影響を受ける。
そして、彼女はアキの隣に座り、長い腕をアキの腕へと絡めてきた。
随分と久しぶりにソフィアと触れ合った気もするし、そうでもない気もする。不思議な感覚だ。
「ソフィア。好き。静けさ。マスタと一緒」
「……そうだね。ソフィアがいてくれないと、ぼくも寂しいかな」
アキはそう言いつつ、徐々に顔を出してきた朝日を見た。
久しぶりの戦いのせいか、体に疲労感を覚える。だが深刻なものではない。自然に囲まれた早朝の冷ややかな空気と、夜明けの光を美しいと思うだけの余裕はある。
だが、それに反してアキの心は決して晴れやかなものではなかった。
なぜかはわからない。
危険を打破し、相棒と共に情景を眺める今を、なぜ愛おしいと感じることができないのか。なぜ自分は今、孤独を感じているのか。
アキの心がそんな風に沈んでいるからこそ、ソフィアはこうして体を触れ合わせてくれているのかもしれない。
夜明けの眩しさに目を細めながら、アキは指先で摘まんだものへ視線を落とす。
一見すると、それはただの宝玉のようだ。
中には逆三角形の紋様が浮かび上がっていて、しかし、玉をどの角度から見てもその逆三角形を維持している。
「マスタ。取り扱い、注意。魔力検知、微量。恐らく情報集積体の一種」
「危ないの? なんでこんなものが出てきたんだろうね」
ソフィアに言われ、アキは落とさないよう柔らかく手の中に宝玉を収めた。
これは先ほど倒した魔物の体内から飛び出てきたものだ。
獣が魔力で変異した存在である魔獣からは稀に体内で生成された魔石が発見されることがあるが、これはそういった類のものではない。
ここまで形が整うことはあり得ないのだ。
人為的に作られて、埋め込まれていたものと判断するしかない。
「不明。ソフィア。内包情報の解析、する。ちょうだい」
「気をつけてね」
なんにせよ、こういったことはソフィアに任せることが一番だ。
アキは差し出された白い手に宝玉を乗せると、ソフィアはそれを摘まんで朝日に掲げる。
そして、その頬をはっきりと緩ませた。
珍しい、とアキは思う。ソフィアがこんなにも笑うことは滅多にない。
「綺麗?」
「綺麗。ソフィア、そう思う」
「女の子に贈るにはちょっと出所がアレだけどね……」
なにせ先ほどまで紫色の体液にまみれていたシロモノだ。
アキが苦い笑いを漏らす中、ソフィアはその笑顔をこちらに向けてくる。
「マスタ。ありがとう。ソフィア、嬉しい」
風に揺れる青い髪と、人のものとは明らかに違う虹色の虹彩は、神秘的という他ない。
本当に可愛い、とアキは思った。
けれどそれは決して恋慕の感情ではない。ソフィアとは一蓮托生の身だ。そんな彼女の見せる笑顔が美しくてよかったという正直な感想である。
彼女の笑顔ならば一生でも見飽きることはないのかもしれない。
そんな風にアキはソフィアの顔を見ていると――。
「え」
――直後、そんな彼女の顔面が破裂した。
オペレーターの報告に、司令部の各署からどよめきの声が上がる。
偵察ヘリからの映像に映る、腰に1対の翼を持つ少年を凝視しているのは大木だけではない。
その場の誰もが自らの任を忘れ、彼に目を奪われていた。
松里アキは小型境獣だけでなく、クラスⅣの境界振を発生させた中型境獣をひとりで撃破した。
本来ならば状況に合わせ、陸海空のあらゆる兵器を用いて殲滅すべき境獣を、だ。
大木は松里アキの今後に関するあらゆる筋書きを一度頭の中から放棄し、ひとまずは自らの職務の遂行に戻る。
「作戦終了を各部に通達。だが作戦区域の警報解除は待て。最優先でアリエス隊に彼を回収させろ。……丁重にな。彼はまだ高校生だ」
大木はサングラスの位置を直し、瞼を閉じて思考に巡らせた。
――よもやこれほどとは。
これまでに得られていた松里アキについての情報は、その全てが眉唾ものだった。
断片的な数値であり、偏向的な情報であり、誇張的な表現だったからだ。
だがそれらが全て真であるとするならば、自分たちは彼の扱いを間違えてはならない。
勇者というおとぎ話の存在が実在したとき、それは現実社会においてその複雑な構造にあらゆる影響を及ぼし、様々な側面を露出させる。
正義の味方というひとつの側面だけであり続けられるのは、しょせん絵本の中だけなのだ。
大木は松里アキというひとりの少年を御しようなどという傲慢な考えは持たない。
仮に自分たちがその絵本に描かれるとすれば、守られる側の民衆に過ぎないだろうからだ。
彼を完全に御せると言える存在がいるとすれば、この後の筋書きを知っている神のみである。
――そんな神の存在も、昨今は有耶無耶になってきているのだから困ったものだ。
大木は眉間を揉み解し、サングラスをかけ直すと、頭の中の絵本を閉じて現実へと相対するのだった。
◇ ◇ ◇
「森を焼かずに済んで……――よかったね。この辺に神社があるならあとで寄りたいな」
『Yes。マスタ』
夜が明ける。
アキは明るくなりつつある空に目を向けて、近くのガードレールへ腰かけた。
その後ろでは魔物だったものが黒く変色し、端から崩れ、宙へと消えていく。
魔物の死骸は残らない。なぜならそれは本当の生命ではないから。
そう言っていたのはソフィアだったか、それとも別の誰かだっただろうか。
なんにせよ、残ったのは砕けたアスファルトの道路と、爆発により傾いでしまった木々という、痛々しい戦闘の跡だけだ。
そんな光景を尻目に体の緊張を解いていると、ふわりと目の前にソフィアが現れる。
『マスタ。お願い。許可。実体化』
「ソフィアがそうしたいならいいよ」
本当ならばアキは許可などなくともソフィアの好きにしてほしい。だが、ソフィアはあくまでこういったやり取りを大事にする。
アキの答えに嬉しそうに微笑んだソフィアはその体を一瞬光らせると、とんと地面に着地した。
これまで半透明だった体は実体を持ち、重力の影響を受ける。
そして、彼女はアキの隣に座り、長い腕をアキの腕へと絡めてきた。
随分と久しぶりにソフィアと触れ合った気もするし、そうでもない気もする。不思議な感覚だ。
「ソフィア。好き。静けさ。マスタと一緒」
「……そうだね。ソフィアがいてくれないと、ぼくも寂しいかな」
アキはそう言いつつ、徐々に顔を出してきた朝日を見た。
久しぶりの戦いのせいか、体に疲労感を覚える。だが深刻なものではない。自然に囲まれた早朝の冷ややかな空気と、夜明けの光を美しいと思うだけの余裕はある。
だが、それに反してアキの心は決して晴れやかなものではなかった。
なぜかはわからない。
危険を打破し、相棒と共に情景を眺める今を、なぜ愛おしいと感じることができないのか。なぜ自分は今、孤独を感じているのか。
アキの心がそんな風に沈んでいるからこそ、ソフィアはこうして体を触れ合わせてくれているのかもしれない。
夜明けの眩しさに目を細めながら、アキは指先で摘まんだものへ視線を落とす。
一見すると、それはただの宝玉のようだ。
中には逆三角形の紋様が浮かび上がっていて、しかし、玉をどの角度から見てもその逆三角形を維持している。
「マスタ。取り扱い、注意。魔力検知、微量。恐らく情報集積体の一種」
「危ないの? なんでこんなものが出てきたんだろうね」
ソフィアに言われ、アキは落とさないよう柔らかく手の中に宝玉を収めた。
これは先ほど倒した魔物の体内から飛び出てきたものだ。
獣が魔力で変異した存在である魔獣からは稀に体内で生成された魔石が発見されることがあるが、これはそういった類のものではない。
ここまで形が整うことはあり得ないのだ。
人為的に作られて、埋め込まれていたものと判断するしかない。
「不明。ソフィア。内包情報の解析、する。ちょうだい」
「気をつけてね」
なんにせよ、こういったことはソフィアに任せることが一番だ。
アキは差し出された白い手に宝玉を乗せると、ソフィアはそれを摘まんで朝日に掲げる。
そして、その頬をはっきりと緩ませた。
珍しい、とアキは思う。ソフィアがこんなにも笑うことは滅多にない。
「綺麗?」
「綺麗。ソフィア、そう思う」
「女の子に贈るにはちょっと出所がアレだけどね……」
なにせ先ほどまで紫色の体液にまみれていたシロモノだ。
アキが苦い笑いを漏らす中、ソフィアはその笑顔をこちらに向けてくる。
「マスタ。ありがとう。ソフィア、嬉しい」
風に揺れる青い髪と、人のものとは明らかに違う虹色の虹彩は、神秘的という他ない。
本当に可愛い、とアキは思った。
けれどそれは決して恋慕の感情ではない。ソフィアとは一蓮托生の身だ。そんな彼女の見せる笑顔が美しくてよかったという正直な感想である。
彼女の笑顔ならば一生でも見飽きることはないのかもしれない。
そんな風にアキはソフィアの顔を見ていると――。
「え」
――直後、そんな彼女の顔面が破裂した。
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