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第七話
07‐01「凍てつく風」
しおりを挟むハッチが開き、新しい戦場がレナータの前に現れた。
雲の下に見える街は三日月状に海へと接している。港街だ。
クリッピングフィールドは街の上を走り港全体を戦場に変えている。いち早く反応した対空砲火が、戦争開始の合図を鳴らしている。
レナータは最前列で街のディティールを眺めるが、フェイスグラスにかかったフィルターは高性能で、街の象徴や特徴を見事に消し去っていた。
「ゆけ!ヴェーチェル!」
クラス長が降下を命じる。383の連中はまだ謹慎中だ、後ろを気にする必要はない。レナータはその名のごとく風《ヴェーチェル》となって空に飛び出した。
先頭で飛び戦場に一番で舞い降りる。
無記名になった街に名前のない風が吹く。
しかし、今日の彼女は違った。
自らのフェイスグラスをハッキングするアプリを開発したのだ。
彼女のロシアスパイ仕込みのハッキング技術を持ってしも、このアプリ制作は困難であった。国際基準の戦争ゲームにハッキングを仕掛けることは、ゲームそれ自体からのBAN、追放される危険があるからだ。そんなことをすれば、彼女の立場は危うくなる。現在の寄宿学校から追い出される程度で済むわけがない。下手をすれば懲罰的措置で学校全体がBANという可能性すらあるのだ。
そうなれば逮捕され実刑は確実だ。
空を舞う風《ヴェーチェル》は不安であった。
だが、試さずにはいられなかった。このモザイクノイズだらけの戦場で、守られながら戦う気はもうなかった。
彼女はついに、アプリを起動した。
そのアプリの名は「自分の眼《モイ・グアザ》」
コマンドのスクロールがしばらく続いた後、画面にノイズが走り、消えた。
世界は真っ暗になり、戦場は姿を消した。
恐怖に喉を鳴らすレナータ。
そして、戦場は再び現れた。
全ての建物はそのままの姿で、全ての文字は現地の言葉のままだった。
「ヒャッハー!」
声を上げるレナータ。現実の戦闘室で、一人で奇声をあげてしまった。
建物情報、文字情報、全てが鮮やかに見える。その情報を次々とフェイスグラス内の自分のエリアに放り込み検索をかける。
「オランダ…ここはオランダだ!」
3年以上この戦争をしていて、初めて知った戦地の名前であった。
オランダのロッテルダム港、コンテナの取扱量は世界十一位というヨーロッパ最大の港。ここが混乱に陥れば流通は乱れ、経済に悪影響を及ぼす。EUを基盤としている「ルーロ」の通貨信用度は著しく下がるだろう。重要拠点への攻撃は、近年激しくなっている。先日の東京襲撃のニュースと合わせると、無記名戦争の過激化というのは真実であるらしい。
レナータはそういった戦術情報を持って、初めて戦場と対峙していた。
着地した。周囲には彼女を姿を確認して逃げ惑う湾岸作業員たちの姿が見える。
その恐怖の顔を、レナータは初めて見た。
日常の中でも怒りや恐怖、悲しみという顔をみる。しかしそれは日常レベルでの、回復可能な感情だった。
だがここから始まる恐怖と怒り、悲しみは、回復不可能なものだ。一生ついてまわる感情になるだろう。
レナータは銃口を市民に向ける。
向けられた男の顔が歪む。
その表情が針となってレナータの心を刺す。
「痛みだ」
向けた銃口をそらして発砲する。
港のガントリークレーンの操縦席に当たり
抱えていた貨物を落とした。壮大な破壊音が港に響いた。
損害額はいくらだろう。あの荷物を作った人、待っていた人はどう思うだろう。いまの事故で誰か怪我したかも知れない。
レナータの心の中なら針が生まれ、心の皮を打ち破って次々と外に出てくる。
「ふざけやがって!クソヤロウ!」
翻訳されたオランダ語の罵倒が耳に伝わる。
「痛みだ……これで、ようやく、戦える」
いつもブヨブヨとした膜に守られていた。いくら殺しても破壊しても、自分だけは守られていた。そんな戦いが嫌になっていた。
不公平だった。
たとえ傷つくのが自分の心という、もっともちっぽけなものであっても、自分はようやく戦場で傷つくことができる。永遠にのこるスカーフェイスを得ることができる。
次々とオランダの地に降下してくるロシアの兵たち。側にいる者たちを無遠慮に殺戮している。
その悲鳴の意味をレナータだけは分かっていた。
「全員、私に続け、港の機能を完全に破壊する!」
ここを破壊すればEU圏内の経済は傷つき、多くの人の生活が困窮するだろう。その悪影響はロシアにまで届いてしまう。それでもレナータは兵士としての自分の役割を果たす。
兵士として、心を削りながら戦う。
寄宿学校の貴賓室をツェツェーリア教官は自分の私室の様に使っていた。この学校で唯一まともな値段で買われた一脚だけの貴賓用チェアにその魅惑的な体を収め、目の前に映し出された資料を読んでいる。
ツェツェーリアは半年前にこの寄宿学校に左遷されたが、彼女が未だもつ中央政界との強い繋がりと傍若無人な性質が、この小さな学校世界に収まるはずもなく、そこかしこからはみ出していた。
施設の私用、狂った拷問的カリキュラム、小役人で構成された学校内で彼女に意見できる者は誰もおらず。職権乱用とモラハラで毎日を過ごしていた。
ではあるが、政府から任命されたギグソルジャー教官職を疎かにしているわけではない。今日の生徒たちの戦闘結果の検証作業をしていたのだ。
「レナータ…次世代エースと呼ばれているだけあって、この成績はたしかに驚異的…」
AIに作戦指揮権が全て握られている無記名戦争において、全ては匿名で進行している。 戦った相手国、戦われた戦場、対面した敵軍兵、全て不明である。なおかつ勝敗も敵に与えた被害の大きさまでもが発表されない。
出てくるデータは、各兵士に払われたインセンティブの金額だけ。
軍にできることは、攻撃国をネットから探し出し、その被害情報から作戦がどの程度の影響があったかを、自力で調べるしかない。それすらも被害国が欺瞞情報を流せば不確かになる。
ギグソルジャーという民間兵士同士の戦争という歪さがそこにあった。
そんななかで唯一の確かな情報が収入額である。レナータに支払われたインセンティブは大きい。他の兵士と桁が一つ違う。
ツェツェーリアはなにかを感じ、レナータのそれまでのインセンティブとの比較グラフを表示する。
今回だけ、突出して額が高い。
美しい顎に指をかけ、しばしグラフを見る。
「多すぎる」
幸運が味方して大きな魚を釣ったという可能性もあるが、それでも額が多い。それにレナータほど長く戦っていると自然と収入は一定になる。戦争の時間は短い、2~30分だ。最短で任務をこなす効率化がレナータの中で完成しているのはグラフを見れば分かる。この増額には隠れた秘密がある。グラフの向こうにある秘密を見つけようとツェツェーリアの瞳が開く。優れた兵士がさらなる優れた結果をもたらしたその理由を探るために、ギョロギョロと瞳が動き続けた。
彼女の中で、探していた答えが見つかった。
「チータロージェン《チートウェポン》!」
ツェツェーリアがした笑顔は、美しい唇の下に隠れていた鋭い歯を、全て見せるような笑顔だった。
戦闘が終わり昼食をすませ、レナータは裏庭に出ていた。戦闘が午前中であったため午後は休みになったのだ。
学校が兵士の労を労ってのためではない。生徒たちが稼いだインセンティブを計算し、金庫に入れる時間が必要なだけである。懐が豊かになると気前が良くなるという部分も多少はあるが。
生徒のインセンティブの実に9割が学校に徴収される。名目はいくらでもあり、その都度作られると言っていい。教育費、部屋代、食費、ガス光熱費、雑務費、税金徴収代行費、なんでもあれだ。
レナータといえど、残される額は僅かなものとなる。
ロシアの秋は短い。すでに空気には厳しい冬の冷気が混ざってきている。レナータは羽織っている軍用コートのポケットに手を突っ込み、やや前かがみで歩く。もし人間が懐にある金額に温かみを感じるのなら、彼女の懐には温めた小石が入っている程度だった。
数年間戦った結果がこの小さな温かみだけだ、ほとんどが搾取されてしまった。
これが彼女に架された鎖だった。金を吸い尽くすことで逃げる手段を奪う。ここを逃げるにしても元手がなさすぎる。モスクワに逃げ隠れたとしても、待ってているのは犯罪組織の雇われハッカー程度の未来だ。
広い裏庭は高い壁に覆われている。壁の上には適当に緑のペンキを塗られた鉄条網の細い線が通っている。裏門には警備の男たちが立ち、レナータの方を時おり見ていた。
レナータは庭の唯一の備品であるベンチに腰掛ける。彼女にとっての限界点がこのベンチだ。ここより先、外の世界に行けるのは、年に一、二度の郊外演習くらいだ。
清掃人の女性が庭の手入れをしているのが遠くに見えるだけ。他の生徒達は校内で、少ない収入でなにを買うかという話で持ちきりになっている。誰も邪魔をしに来ない場所で、レナータは一人、自分の体についた傷の数々を確認した。
崩れ落ちるガントリークレーン
血しぶきをあげて情報破壊される湾岸作業員
回復不能の被害を受ける船舶誘導装置
泣いている子供の名前を、その母親の叫び声で知った
壊さないでくれ、と頼み込む職員の願いを無視した
冷たい風が吹き、傷が傷んだ。
「私は、人殺しなんだ」
ようやく実感できた。
直接は殺していない。だが自分が行った行為の結果で人生が破壊される人々がいる。破壊の結果、死者が出ることも分かっていた。だが今まではその死者の、被害者の顔にはモザイクがかかっていて実感を妨げていた。
しかし自分が作ったハッキングアプリ「自分の眼《モイ・グアザ》」は完璧に機能した。
すべての情報はクリアーになり。罪の存在を突きつけた。心に埋め込まれていた針は、見事にきらめく傷となった。
曇り空を見上げていた彼女の両目から一筋涙が流れた。
自分の罪状を初めて聞けた被告人のように、爽やかな気持ちもあった。
それらの罪の判決は遠い先のことになるだろう。
「レナータ!こんなところにいたんだ」
アクサナが駆け寄ってきた。彼女に顔を見られる前に涙は拭いた。
「今日はご苦労さま」
レナータは戦友となったアクサナにねぎらいの言葉をかけた。
「今日のレナータすごかったよ。みんな着いていくだけで必死だったって言ってるよ」
アクサナの目には未だジャミングされた戦場が映し出されている。今日のレナータが見ていたものを彼女は見ていない。
アクサナはレナータ隊に入りサポートに回っている。何事にも押しが弱い彼女であったが、レナータのそばという位置は誰にも譲らなかった。友人として慕い、女神のように慕っていた。しかし、そんな彼女であっても、今までの罪を実感に変えるべく、泣きながら戦っていたレナータの実像は知らない。
一人、自分を傷つけるためだけにハッキングまでした。レナータはそのことを誰にも伝える気はなかった。すべて自分の問題として内心で片付けるつもりだった。
「アクサナも慣れたみたいだね」
血しぶきの中、失ったものを嘆く人々の姿が脳裏に浮かんだ。
「うん、なんとなくこうすればいいって、レナータを見て一杯教えてもらってるよ」
自己防衛のために出てきた脆弱なアバターを次々と撃ち殺した。
「あのね、今までで一番稼げたの。その、レナータにお礼になにか上げたいんだけど…」
オランダの港は破壊され、電子的に死んだ街になった。いくつもの事故が起こり、黒煙がたなびいている。
「いいよ、そんなの。これからも頑張ろう」
隣に座るアクサナの額にたれていた髪をやさしくかきあげてあげるレナータ。その指先におでこをなすりつけるようにアクサナは目を閉じ顔を寄せる。
(彼女のこの頭の中に、私がみた戦場の姿はない。この子の頭にあるのは全てが検閲済みの戦争だ)
アクサナの顔を見ながら、レナータは自分の知っている全てを、彼女の頭の中に投げ込みたい衝動にかられた。
「レナータ・エルメエヴナ・トゥマーノヴァ。お楽しみの所、悪いのだけど」
背後にツェツェーリア教官が立っていた。
二人共に脳内の思いに心を飛ばしすぎて、その接近に気づかなかった。
驚いた二人は背後を見ると、かすかにゾっとした。
ツェツェーリア教官の顔に浮かんでいるのは、職員が生徒を呼びに来た顔ではなく。獣が獲物を見た時に見せるような笑顔だったのだ。
「すぐに私の執務室に来るように」
それだけ言うと、ツェツェーリアは校舎に戻っていった。
アクサナは恥ずかしそうにうつむいている。
レナータはツェツェーリアが残してった匂いに動物的な危険を感じて、しばらくその場から動けなかった。
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