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一章 魔法少女
十二話 ハァッ!
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深夜を回った頃だろうか。茶と黒が入り混じったダサいジャージを着て爆走する影があった。短距離世界記録者すら真っ青な速度でかれこれ三十分近く走り続けている影は、大輔である。
いつも通りのトレーニングだ。
直樹は一緒ではない。何故なら直樹と大輔のトレーニング時間は全くもって被らないからだ。
直樹は大体朝の四時近くからトレーニングするタイプで、大輔は夜中にトレーニングするタイプなのだ。また大輔は一日に二回寝るタイプでもある。大体三時間と四時間。夜の九時くらいに一度就寝し、十二時近くになると起きて三時くらいにまた寝る。
だが、モノづくりが趣味でもあるためか、最初の三時間をすっぽかすことの方が多い。大輔のステータスや能力もあってか、睡眠時間は少なくて済むのもその要因だろう。
アルビオンでは、研究仲間でもありストッパー役であった王女様がいたのだが、今はそれもいないためここ最近はずっと四時間睡眠である。
兎にも角にも、直樹も大輔も地球に帰ってきてもトレーニングは欠かさずしているのだ。それこそ、病院を退院してから一ヶ月少しで、ステータス値を制限したまま市街地を爆走するくらいには鍛えている。
普段は衣服に隠れていて分かりづらいが、バランスよく全体的に鍛え抜かれた筋肉が大輔の体には宿っていた。通常一ヶ月ちょっとでその肉体をビルドするのは不可能なのだが、回復魔法やステータス値によるごり押しの回復によってその肉体を作り上げた、いやある程度取り戻した。
いくらステータス値が高かろうと肉体は資本であり、基本である。いざという時に役に立つのはテータス値や能力自体ではなく、どれだけ修練を重ねたか、その肉体と技術がものを言う。鍛えること、地球に戻ろうがそれは決して緩めることはしないのだ。
そうして大輔は走りに走り、とある海辺の砂浜に立ち寄った。ここまで爆走マラソンはあくまで前座。準備運動である。
大輔は“収納庫”を発動し、とある幻想具――市松人形を四体取り出す。それをある程度の広さの長方形を描くように能面の顔を内側に向けて置く。
寄せては返す穏やかな波打ちの音が、おどろおどろしく聞こえるのは気のせいではないだろう。
「よし」
なのに大輔は満足そうに頷いたかと思うと、突然フィンガースナップをする。すると市松人形が基点となって長方形型の結界――否、特殊な異空間を作り出した。
少しだけもやっとした長方形型の結界だが、波打つ音はキチンと聞こえるし、転々と輝く星々が見える。
市松人形は認識阻害と人除け、迷彩にジャミング、同位相でありながら違う簡易的な異空間を作りだし、あとは空間外部への影響をなくすための結界を作る幻想具なのだ。昔は普通の宝石だったのだが、とある理由によって市松人形となった。
別名――アナタはもうここから出られない、だ。オプションとしてそれらの市松人形の髪が伸びに伸びてその空間内を埋めつくす、なんていうのもある。アルビオンでちょっとした嫌がらせとして役に立った。
そんな空間内で大輔はストレッチを開始する。ラジオ体操っぽい運動をしながら体を入念にほぐした後、再び“収納庫”を発動させる。
大輔の周りが燦然と金茶色に輝く。
「じゃあ、よろしく」
「かしこまりました」
現れたはメイド。まるでビスクドール――否、本物の魔導人形。メイドゴーレム。
落ち着きのある黒のロングワンピースに、ほんの細やかにフリルが施された白エプロン。ベレー帽を緩やかにした感じの白のモブキャップ。
通称、ヴィクトリアンメイド服。もしくはクラシックメイド服。
それらに身を包んだその西洋風の顔立ちの人形はとても美しい。
瑞々しくありながら、ともすればそういう宝石なのかと思ってしまうほどに麗しく真っ白な肌。夜にも負けないくらいに艶めく漆黒の長髪。全てに染まらぬ黒でありながら透き通る闇の瞳。静々と伏せられたまつ毛は長くきめ細やかで、スッと通る鼻筋は綺麗だ。
キュッと結ばれた薄桃色の唇は可愛らしく、その顔立ちは陶然としてしまうほどに美しい。プロポーションも出すぎているわけでもなく、されど小さいわけでもない。黄金比。
だが、彼女はゴーレム。人形。
その美しさは人のそれとは違う。無の美しさ。機械的であり、神にも近い美しさを誇るその彼女は、死神と言われてもなんの疑問も持たない。
魔導人形、冥土。
素の戦闘力はアルビオンの魔王の中で最弱だった人の魔王――アルビオンの小さな国の一つを滅ぼせるくらい――と同等。しかも体に組み込まれている他の幻想具を使えば、小さな国を三つくらいは落とせる戦闘力になるだろう。
感情は持っていないが、疑似的な魂魄――魂を持っており、AI以上の学習能力や意志を持っている。高度な学習能力を応用した疑似的な感情と自立行動が可能で、流暢な会話も可能。意思決定における柔軟さもあり、隠密行動などにも優れている。
さらに恐ろしいのが、目の前にいる冥土の他に、大輔の“収納庫”の中にあと百体いるのだ。百一体の軍隊で冥土の慈悲。
命名は大輔ではなく、神官であり勇者パーティーの回復担当だった阿部慎太郎。
兎にも角にも、大輔に召喚されたそんな恐ろしい冥土は――
「シッ」
「ハッ」
――瞬く一瞬もなく、大輔のみぞおち目がけて右拳のローパンチを繰り出す。大輔は慌てる様子もなく軽やかに一歩引いて、下がった冥土の頭に肘鉄をお見舞いしようとする。
が、冥土はそれを左の前腕で受け止める。大輔はその反動を利用して後ろへ飛びながら冥土のローパンチを左手で受け止める。
一瞬両者が撓み、寸瞬遅れてバスンと鈍い音と共に周囲に衝撃波が走る。
全ては音速以上の世界で行われた一瞬の攻防。通常の人の目では追うことすら叶わない格闘。
鍔迫り合いをしているかのように両者は拮抗する。掌と拳が。肘と前腕が。足元の砂浜が沈み、クレーターすら作ってしまう。
大輔が右足を一瞬だけ振り上げ、クレーターとなった砂浜に叩きつける。無数の砂粒がまるで脳天を華麗に貫く貫通弾のように周囲に飛び散る。
冥土はそれを躱す。一瞬にして高速で体を回転させながら後方へと飛ぶ。ドリルのようにロールし広がったメイド服が砂粒一つ一つを全て弾き飛ばす。それどころか、大輔に反射する。
砂粒の掃射が大輔を襲う。
「ハァッ!」
気合一発。大輔は砂浜に叩きつけた右足を軸に左拳を突き出した。すれば、空気が破裂し衝撃波となる。大輔を襲った砂粒と一緒に踊り舞い、数瞬前まで冥土がいた空中へと砲撃された。
冥土はクレーターの外へと着地する。クレーターの底にいる大輔を見下ろす。
大輔はキラリと丸眼鏡を光らせて冥土を見上げる。ヒットマンスタイル。もしくはデトロイトスタイル。右拳を顎まで上げ、左拳を鳩尾前に下げる。
両者は睨みあう。殺意の嵐を相手に叩きつけながら、しかし呼吸すら響かないほど静寂を身に纏っている。
さざ波の音さえも消え失せてしまうほどに張りつめた空気は。
「シッ!」
「セイッ!」
爆発する。
砂浜がえぐり取られ、砂粒が乱舞し、衝撃波の暴風が吹き荒れ、音が破裂して消え失せ。
そしてダサジャージとヴィクトリアンメイド服が交差する。
その格闘戦そのものは極められた頂であるはずなのに、平凡な容姿のダサジャージと死神みたいに無表情のヴィクトリアンメイド服がそれを為していることによってシュールに感じてしまう。
だが、いくらシュールに感じようと、やはりそこにあるのは殺戮の嵐。
穏やかな砂浜であったはずのそこは、既に戦場と化していて無残なありさまだ。それは市松人形四体によって構成された結界の外と比べれば一目瞭然。その空間内だけがまるで別世界であるかのように荒廃している。
空中すら蹴って跳び交い始めた二人は物理だけで暴風を引き起こす。暴風は刃となりて空気を切り裂き、爆発させる。地は割れ、頑丈な結界は軋む。
そんなダサジャージとヴィクトリアンメイド服の激突が二十分続いた。結局その結界内の砂浜は抉れに抉れ、あり得ないほどの小さなクレーターと舞い上がった砂粒の雨が降っていた。
だが、人形である冥土は兎も角、大輔まですまし顔。衣服に汚れ一つなく、冷や汗一つ掻かず、呼吸もきわめて落ち着いている。冥土は呼吸すらしていないが。
大輔が丸眼鏡をクイッとする。冥土が華麗にカーテシーをする。ロマンであり、ポーズである。お決まりは必要だ。
瞬間、二人の周囲が光り輝いた。大輔は金茶色、冥土は漆黒。
そして両者の光が迸り、一瞬だけ世界を染め上げた後。
そこには、荒らされる前の砂浜と武装した二人がいた。
裾が漆黒の金属で補強されている白衣。その下にはパリッとした漆黒のシャツとズボン、金茶色のネクタイ。漆黒のブーツに、灰色の手袋に、灰色のベルト。
ベルトには幾つかの弾帯が下がっているが、種類は右に一つ、左に一つ。
右に垂れ下がるは複列弾倉。左に垂れ下がるは剥き出しの銃弾。右腕には金茶色の線が走る長方形型の漆黒の盾。
星明かりに光るは銀縁の丸眼鏡。その奥の瞳は真っ白に染まり六つの花弁を持つ黒の花を咲かせている。さらに左目には翡翠の星々が。
それが大輔。
対して冥土。
服装は変わらない。黒のロングワンピースに細やかなフリルが施された白のエプロン。白のモブキャップ。
だがしかし、背中には二対四枚の漆黒の金属翼が浮いている。翼一枚に十六の金属の黒の羽根があり、淡々とそれらが波打つ。僅かな星明かりにすら反射し輝く。漆黒なのに。
右腕は変形し、人のそれとは全くもって桁外れの大きな金属の腕がついている。こちらも漆黒。ガシュンガシュンと音を立てながら艶めく金属が蠢き続け、まるで筋肉を直で見ているかのようだ。
爛々と瞳を輝かせ、悪魔のように嗤う大輔。冷徹という色すら宿さない深淵の瞳を向ける冥土。
寄せた波が返った。
瞬間、ドゴンッと爆発音と共に両者が地面を蹴った瞬間。
「ッ」
市松人形によって作り出された世界が飲み込まれた。灰色の世界が現れた。
そして。
「チッ」
天と地。全方位からおどろおどろしい闇を放つおぞましい巨大魚の影が、襲い掛かってきた。
「ハァッ!」
大輔は右腕の攻守一体型の盾――進化する黒盾を唸らせ、金茶色のスパークを迸らせながら巨大な黒の手へと変形させる。金茶色の線が走る黒の手を右手で纏い、裂帛の一声と共にそれを灰色の砂浜から飛び出てきた影へと突き出した。
爆風と共に金茶色の光が波打ち、砂浜から飛び出してきた巨大魚の影全てを吹き飛ばした。
「解析・展開・黒羽根ッ。展開・黒腕・砲撃ッ」
カシュンカシュンと漆黒が轟く。背中に背負う漆黒の金属翼――黒翼を一回はためかる。十二の黒の羽根――黒羽根を黒翼から切り離して操り、鋭く尖った先を天から襲い来る巨大魚の影、四体に狙いを定める。
そして漆黒の巨腕――黒腕を天へ振り上げ、それと同時に鋼鉄の黒羽根を漆黒の衝撃波を伴いながら射撃する。
全てが霧散した。
「……で、どういうことだろう。結界が飲まれた? いや、あれかな。僕たちだけが呼び寄せられたのか……何でだろう? あれは直樹から聞いた歩く混沌? う~ん、けど聞いてたのと少しだけ形状が……ああ、そういえば種類があるとか言ってた気がする……とすると、あれは仮称魚型でいいのかな?」
巨大な腕と化していた進化する黒盾をカシュンカシュンと音を立てて長方形型へ戻しながらブツブツと呟く大輔に、冥土が静々と頭を下げながら報告する。彼女は灰色の世界を一回だけ見合す。
「創造主様。先ほどの影を実体型の魔力体と断定します。魂魄の保持を確認しました。有効攻撃は魔力を伴う攻撃か、もしくは――」
「特殊な魂魄波長を持つ少女、十三程度から二十程度までの女性の攻撃でしょ。なんでそんなピンポイントなのか知りたいけど」
「同感です。尚、観測した魂魄情報子に基礎因子を確認しました」
「たぶんそれが混沌の妄執の魂魄情報だね。さっきあの巨大魚を解析した感じだとそれは一応存在としている感じだね。魔物みたいに特殊な魂魄因子を持っているっていうよりは、同一存在に作られてその存在の因子が混ざった感じかな」
「こちらの解析と一致します」
大輔は冥土と会話する。情報を整理するうえでも会話は重要だし、また冥土には大輔に及ばないもののそれでも高度な探知解析機能を持っている。あと、スパコンすら真っ青なほどの演算機能も。
無風で無音。灰色の世界で大輔は白衣を翻しながら足早にあっちこっちへと歩く。間断なく首を振り、あたりを見渡す。冥土は無表情のまま深淵の瞳をギュルンギュルンと回転させる。
近くでそれを見たら、幾何学的な模様が高速で流れているのが分かる。
そうして一分後。
「現世への侵略空間ってところかな。特定の人間を呼び寄せるのが基盤になっているようだね」
「はい。それを応用して、先ほどの影が持つ基礎因子――仮称混沌の妄執の欠片が一定空間内にて一定密度で存在することによって、その空間と重なる現世にいる人間の魂魄を喰らうようです。またこの空間――混沌の異界にいる人間は接触によって喰らうようです」
「まぁ基礎防御でそれなりに防げるようだけど」
大輔と冥土は地面を蹴り、空中へと飛んだ。
「同一存在を確認しました」
「見に行こう。空間自体の解析は終わったから簡易の転移鍵で抜けられるだろうし、少しだけ研究したい」
「かしこまりました」
大輔は作り出した金茶色の障壁を蹴って空中を走る。冥土は背中に浮かべる黒翼をはためかせ飛ぶ。
「……生体反応を確認しました。人間のものかと思われます」
「よし、じゃあこれかな」
空を駆けながら大輔は“収納庫”を発動し手元を金茶色に光らせる。すると、手元には金縁の丸眼鏡が現れた。大輔は身に着けていた銀縁の丸眼鏡を外し、金縁の丸眼鏡を掛ける。銀縁の丸眼鏡は“収納庫”にしまう。
「認識阻害ですか」
「うん。一応知り合いがいると思うし、それに顔を見られるのはいやだからね」
そして大輔はワクワクとした表情を浮かべながら、感じ取った反応へと向かって空を駆けるのだった。
======================================
公開可能情報
幻想具・市松人形:それを起点に認識阻害と人除け、迷彩にジャミング、簡易の異空間等々の結界を作り出す。
別名――アナタはもうここから出られない。オプションとしてそれらの市松人形の髪が伸びに伸びてその空間内を埋めつくす、なんていうのもある。
幻想具・冥土:疑似的な魂魄を宿す魔導人形。大輔と直樹の趣味とロマンが詰まった殺戮兵器。一体だけで小さな国を滅ぼせるくらいの力を持つ。
計百一体存在しており、一括して冥土の慈悲と呼ばれる。また、全機は情報連結で繋がっており、一つの巨大な演算機としての役割も果たす。
幻想具・進化する黒盾:攻守一体型で、防御として漆黒の縦を展開したり、巨大な手を作り、それを纏ったりできる。金茶色の線が走る漆黒の長方形型の盾。様々な形に変形する。
冥土・黒翼:二対四枚の漆黒の金属の翼。様々なギミックが組み込まれており、主に飛翔するのに利用する。
冥土・黒羽根: 一枚の黒翼に十六枚ついている金属の羽根。様座ななギミックが組み込まれており攻守だけでなく、支援にも便利。便利すぎる。
冥土・黒腕:変形した超巨大な漆黒の腕。砲撃であり、衝撃波はもちろん、空間を揺らしたり、魂魄を直接殴ったりできる。魔力砲放てる。
いつも通りのトレーニングだ。
直樹は一緒ではない。何故なら直樹と大輔のトレーニング時間は全くもって被らないからだ。
直樹は大体朝の四時近くからトレーニングするタイプで、大輔は夜中にトレーニングするタイプなのだ。また大輔は一日に二回寝るタイプでもある。大体三時間と四時間。夜の九時くらいに一度就寝し、十二時近くになると起きて三時くらいにまた寝る。
だが、モノづくりが趣味でもあるためか、最初の三時間をすっぽかすことの方が多い。大輔のステータスや能力もあってか、睡眠時間は少なくて済むのもその要因だろう。
アルビオンでは、研究仲間でもありストッパー役であった王女様がいたのだが、今はそれもいないためここ最近はずっと四時間睡眠である。
兎にも角にも、直樹も大輔も地球に帰ってきてもトレーニングは欠かさずしているのだ。それこそ、病院を退院してから一ヶ月少しで、ステータス値を制限したまま市街地を爆走するくらいには鍛えている。
普段は衣服に隠れていて分かりづらいが、バランスよく全体的に鍛え抜かれた筋肉が大輔の体には宿っていた。通常一ヶ月ちょっとでその肉体をビルドするのは不可能なのだが、回復魔法やステータス値によるごり押しの回復によってその肉体を作り上げた、いやある程度取り戻した。
いくらステータス値が高かろうと肉体は資本であり、基本である。いざという時に役に立つのはテータス値や能力自体ではなく、どれだけ修練を重ねたか、その肉体と技術がものを言う。鍛えること、地球に戻ろうがそれは決して緩めることはしないのだ。
そうして大輔は走りに走り、とある海辺の砂浜に立ち寄った。ここまで爆走マラソンはあくまで前座。準備運動である。
大輔は“収納庫”を発動し、とある幻想具――市松人形を四体取り出す。それをある程度の広さの長方形を描くように能面の顔を内側に向けて置く。
寄せては返す穏やかな波打ちの音が、おどろおどろしく聞こえるのは気のせいではないだろう。
「よし」
なのに大輔は満足そうに頷いたかと思うと、突然フィンガースナップをする。すると市松人形が基点となって長方形型の結界――否、特殊な異空間を作り出した。
少しだけもやっとした長方形型の結界だが、波打つ音はキチンと聞こえるし、転々と輝く星々が見える。
市松人形は認識阻害と人除け、迷彩にジャミング、同位相でありながら違う簡易的な異空間を作りだし、あとは空間外部への影響をなくすための結界を作る幻想具なのだ。昔は普通の宝石だったのだが、とある理由によって市松人形となった。
別名――アナタはもうここから出られない、だ。オプションとしてそれらの市松人形の髪が伸びに伸びてその空間内を埋めつくす、なんていうのもある。アルビオンでちょっとした嫌がらせとして役に立った。
そんな空間内で大輔はストレッチを開始する。ラジオ体操っぽい運動をしながら体を入念にほぐした後、再び“収納庫”を発動させる。
大輔の周りが燦然と金茶色に輝く。
「じゃあ、よろしく」
「かしこまりました」
現れたはメイド。まるでビスクドール――否、本物の魔導人形。メイドゴーレム。
落ち着きのある黒のロングワンピースに、ほんの細やかにフリルが施された白エプロン。ベレー帽を緩やかにした感じの白のモブキャップ。
通称、ヴィクトリアンメイド服。もしくはクラシックメイド服。
それらに身を包んだその西洋風の顔立ちの人形はとても美しい。
瑞々しくありながら、ともすればそういう宝石なのかと思ってしまうほどに麗しく真っ白な肌。夜にも負けないくらいに艶めく漆黒の長髪。全てに染まらぬ黒でありながら透き通る闇の瞳。静々と伏せられたまつ毛は長くきめ細やかで、スッと通る鼻筋は綺麗だ。
キュッと結ばれた薄桃色の唇は可愛らしく、その顔立ちは陶然としてしまうほどに美しい。プロポーションも出すぎているわけでもなく、されど小さいわけでもない。黄金比。
だが、彼女はゴーレム。人形。
その美しさは人のそれとは違う。無の美しさ。機械的であり、神にも近い美しさを誇るその彼女は、死神と言われてもなんの疑問も持たない。
魔導人形、冥土。
素の戦闘力はアルビオンの魔王の中で最弱だった人の魔王――アルビオンの小さな国の一つを滅ぼせるくらい――と同等。しかも体に組み込まれている他の幻想具を使えば、小さな国を三つくらいは落とせる戦闘力になるだろう。
感情は持っていないが、疑似的な魂魄――魂を持っており、AI以上の学習能力や意志を持っている。高度な学習能力を応用した疑似的な感情と自立行動が可能で、流暢な会話も可能。意思決定における柔軟さもあり、隠密行動などにも優れている。
さらに恐ろしいのが、目の前にいる冥土の他に、大輔の“収納庫”の中にあと百体いるのだ。百一体の軍隊で冥土の慈悲。
命名は大輔ではなく、神官であり勇者パーティーの回復担当だった阿部慎太郎。
兎にも角にも、大輔に召喚されたそんな恐ろしい冥土は――
「シッ」
「ハッ」
――瞬く一瞬もなく、大輔のみぞおち目がけて右拳のローパンチを繰り出す。大輔は慌てる様子もなく軽やかに一歩引いて、下がった冥土の頭に肘鉄をお見舞いしようとする。
が、冥土はそれを左の前腕で受け止める。大輔はその反動を利用して後ろへ飛びながら冥土のローパンチを左手で受け止める。
一瞬両者が撓み、寸瞬遅れてバスンと鈍い音と共に周囲に衝撃波が走る。
全ては音速以上の世界で行われた一瞬の攻防。通常の人の目では追うことすら叶わない格闘。
鍔迫り合いをしているかのように両者は拮抗する。掌と拳が。肘と前腕が。足元の砂浜が沈み、クレーターすら作ってしまう。
大輔が右足を一瞬だけ振り上げ、クレーターとなった砂浜に叩きつける。無数の砂粒がまるで脳天を華麗に貫く貫通弾のように周囲に飛び散る。
冥土はそれを躱す。一瞬にして高速で体を回転させながら後方へと飛ぶ。ドリルのようにロールし広がったメイド服が砂粒一つ一つを全て弾き飛ばす。それどころか、大輔に反射する。
砂粒の掃射が大輔を襲う。
「ハァッ!」
気合一発。大輔は砂浜に叩きつけた右足を軸に左拳を突き出した。すれば、空気が破裂し衝撃波となる。大輔を襲った砂粒と一緒に踊り舞い、数瞬前まで冥土がいた空中へと砲撃された。
冥土はクレーターの外へと着地する。クレーターの底にいる大輔を見下ろす。
大輔はキラリと丸眼鏡を光らせて冥土を見上げる。ヒットマンスタイル。もしくはデトロイトスタイル。右拳を顎まで上げ、左拳を鳩尾前に下げる。
両者は睨みあう。殺意の嵐を相手に叩きつけながら、しかし呼吸すら響かないほど静寂を身に纏っている。
さざ波の音さえも消え失せてしまうほどに張りつめた空気は。
「シッ!」
「セイッ!」
爆発する。
砂浜がえぐり取られ、砂粒が乱舞し、衝撃波の暴風が吹き荒れ、音が破裂して消え失せ。
そしてダサジャージとヴィクトリアンメイド服が交差する。
その格闘戦そのものは極められた頂であるはずなのに、平凡な容姿のダサジャージと死神みたいに無表情のヴィクトリアンメイド服がそれを為していることによってシュールに感じてしまう。
だが、いくらシュールに感じようと、やはりそこにあるのは殺戮の嵐。
穏やかな砂浜であったはずのそこは、既に戦場と化していて無残なありさまだ。それは市松人形四体によって構成された結界の外と比べれば一目瞭然。その空間内だけがまるで別世界であるかのように荒廃している。
空中すら蹴って跳び交い始めた二人は物理だけで暴風を引き起こす。暴風は刃となりて空気を切り裂き、爆発させる。地は割れ、頑丈な結界は軋む。
そんなダサジャージとヴィクトリアンメイド服の激突が二十分続いた。結局その結界内の砂浜は抉れに抉れ、あり得ないほどの小さなクレーターと舞い上がった砂粒の雨が降っていた。
だが、人形である冥土は兎も角、大輔まですまし顔。衣服に汚れ一つなく、冷や汗一つ掻かず、呼吸もきわめて落ち着いている。冥土は呼吸すらしていないが。
大輔が丸眼鏡をクイッとする。冥土が華麗にカーテシーをする。ロマンであり、ポーズである。お決まりは必要だ。
瞬間、二人の周囲が光り輝いた。大輔は金茶色、冥土は漆黒。
そして両者の光が迸り、一瞬だけ世界を染め上げた後。
そこには、荒らされる前の砂浜と武装した二人がいた。
裾が漆黒の金属で補強されている白衣。その下にはパリッとした漆黒のシャツとズボン、金茶色のネクタイ。漆黒のブーツに、灰色の手袋に、灰色のベルト。
ベルトには幾つかの弾帯が下がっているが、種類は右に一つ、左に一つ。
右に垂れ下がるは複列弾倉。左に垂れ下がるは剥き出しの銃弾。右腕には金茶色の線が走る長方形型の漆黒の盾。
星明かりに光るは銀縁の丸眼鏡。その奥の瞳は真っ白に染まり六つの花弁を持つ黒の花を咲かせている。さらに左目には翡翠の星々が。
それが大輔。
対して冥土。
服装は変わらない。黒のロングワンピースに細やかなフリルが施された白のエプロン。白のモブキャップ。
だがしかし、背中には二対四枚の漆黒の金属翼が浮いている。翼一枚に十六の金属の黒の羽根があり、淡々とそれらが波打つ。僅かな星明かりにすら反射し輝く。漆黒なのに。
右腕は変形し、人のそれとは全くもって桁外れの大きな金属の腕がついている。こちらも漆黒。ガシュンガシュンと音を立てながら艶めく金属が蠢き続け、まるで筋肉を直で見ているかのようだ。
爛々と瞳を輝かせ、悪魔のように嗤う大輔。冷徹という色すら宿さない深淵の瞳を向ける冥土。
寄せた波が返った。
瞬間、ドゴンッと爆発音と共に両者が地面を蹴った瞬間。
「ッ」
市松人形によって作り出された世界が飲み込まれた。灰色の世界が現れた。
そして。
「チッ」
天と地。全方位からおどろおどろしい闇を放つおぞましい巨大魚の影が、襲い掛かってきた。
「ハァッ!」
大輔は右腕の攻守一体型の盾――進化する黒盾を唸らせ、金茶色のスパークを迸らせながら巨大な黒の手へと変形させる。金茶色の線が走る黒の手を右手で纏い、裂帛の一声と共にそれを灰色の砂浜から飛び出てきた影へと突き出した。
爆風と共に金茶色の光が波打ち、砂浜から飛び出してきた巨大魚の影全てを吹き飛ばした。
「解析・展開・黒羽根ッ。展開・黒腕・砲撃ッ」
カシュンカシュンと漆黒が轟く。背中に背負う漆黒の金属翼――黒翼を一回はためかる。十二の黒の羽根――黒羽根を黒翼から切り離して操り、鋭く尖った先を天から襲い来る巨大魚の影、四体に狙いを定める。
そして漆黒の巨腕――黒腕を天へ振り上げ、それと同時に鋼鉄の黒羽根を漆黒の衝撃波を伴いながら射撃する。
全てが霧散した。
「……で、どういうことだろう。結界が飲まれた? いや、あれかな。僕たちだけが呼び寄せられたのか……何でだろう? あれは直樹から聞いた歩く混沌? う~ん、けど聞いてたのと少しだけ形状が……ああ、そういえば種類があるとか言ってた気がする……とすると、あれは仮称魚型でいいのかな?」
巨大な腕と化していた進化する黒盾をカシュンカシュンと音を立てて長方形型へ戻しながらブツブツと呟く大輔に、冥土が静々と頭を下げながら報告する。彼女は灰色の世界を一回だけ見合す。
「創造主様。先ほどの影を実体型の魔力体と断定します。魂魄の保持を確認しました。有効攻撃は魔力を伴う攻撃か、もしくは――」
「特殊な魂魄波長を持つ少女、十三程度から二十程度までの女性の攻撃でしょ。なんでそんなピンポイントなのか知りたいけど」
「同感です。尚、観測した魂魄情報子に基礎因子を確認しました」
「たぶんそれが混沌の妄執の魂魄情報だね。さっきあの巨大魚を解析した感じだとそれは一応存在としている感じだね。魔物みたいに特殊な魂魄因子を持っているっていうよりは、同一存在に作られてその存在の因子が混ざった感じかな」
「こちらの解析と一致します」
大輔は冥土と会話する。情報を整理するうえでも会話は重要だし、また冥土には大輔に及ばないもののそれでも高度な探知解析機能を持っている。あと、スパコンすら真っ青なほどの演算機能も。
無風で無音。灰色の世界で大輔は白衣を翻しながら足早にあっちこっちへと歩く。間断なく首を振り、あたりを見渡す。冥土は無表情のまま深淵の瞳をギュルンギュルンと回転させる。
近くでそれを見たら、幾何学的な模様が高速で流れているのが分かる。
そうして一分後。
「現世への侵略空間ってところかな。特定の人間を呼び寄せるのが基盤になっているようだね」
「はい。それを応用して、先ほどの影が持つ基礎因子――仮称混沌の妄執の欠片が一定空間内にて一定密度で存在することによって、その空間と重なる現世にいる人間の魂魄を喰らうようです。またこの空間――混沌の異界にいる人間は接触によって喰らうようです」
「まぁ基礎防御でそれなりに防げるようだけど」
大輔と冥土は地面を蹴り、空中へと飛んだ。
「同一存在を確認しました」
「見に行こう。空間自体の解析は終わったから簡易の転移鍵で抜けられるだろうし、少しだけ研究したい」
「かしこまりました」
大輔は作り出した金茶色の障壁を蹴って空中を走る。冥土は背中に浮かべる黒翼をはためかせ飛ぶ。
「……生体反応を確認しました。人間のものかと思われます」
「よし、じゃあこれかな」
空を駆けながら大輔は“収納庫”を発動し手元を金茶色に光らせる。すると、手元には金縁の丸眼鏡が現れた。大輔は身に着けていた銀縁の丸眼鏡を外し、金縁の丸眼鏡を掛ける。銀縁の丸眼鏡は“収納庫”にしまう。
「認識阻害ですか」
「うん。一応知り合いがいると思うし、それに顔を見られるのはいやだからね」
そして大輔はワクワクとした表情を浮かべながら、感じ取った反応へと向かって空を駆けるのだった。
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公開可能情報
幻想具・市松人形:それを起点に認識阻害と人除け、迷彩にジャミング、簡易の異空間等々の結界を作り出す。
別名――アナタはもうここから出られない。オプションとしてそれらの市松人形の髪が伸びに伸びてその空間内を埋めつくす、なんていうのもある。
幻想具・冥土:疑似的な魂魄を宿す魔導人形。大輔と直樹の趣味とロマンが詰まった殺戮兵器。一体だけで小さな国を滅ぼせるくらいの力を持つ。
計百一体存在しており、一括して冥土の慈悲と呼ばれる。また、全機は情報連結で繋がっており、一つの巨大な演算機としての役割も果たす。
幻想具・進化する黒盾:攻守一体型で、防御として漆黒の縦を展開したり、巨大な手を作り、それを纏ったりできる。金茶色の線が走る漆黒の長方形型の盾。様々な形に変形する。
冥土・黒翼:二対四枚の漆黒の金属の翼。様々なギミックが組み込まれており、主に飛翔するのに利用する。
冥土・黒羽根: 一枚の黒翼に十六枚ついている金属の羽根。様座ななギミックが組み込まれており攻守だけでなく、支援にも便利。便利すぎる。
冥土・黒腕:変形した超巨大な漆黒の腕。砲撃であり、衝撃波はもちろん、空間を揺らしたり、魂魄を直接殴ったりできる。魔力砲放てる。
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