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一章 紅いパートナー 2

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 人混みをかき分け、二人は歩いて行く。

 時より、アリに向かって声を掛けてくる者がいた。

 どれも親しげに話している。

 気当たりを見ると、どれも強者だらけだった。その者達と堂々と話しているところをみると、やはり見かけによらずかなりの実力の持ち主なのかもしれない。

 タタラはそんなことを考えながら、周囲を観察し続けた。

 ギルド関連の通りを抜け、商店通りを抜け、繁華街へとやってきた。

 昼間だというのに、どの店も一杯のように見える。

 その中で、アリは迷うことなく一件のBARへと向かう。

 そこは他とくらべ、派手な女給がいない店だった。だいたいのところは露出の激しい服を着た女達がジョッキを運んでいた。そういう店は大概店の間口が大きく露出していた。奥の方まで見渡せ、遠目なので分からないがダンサーステージもあるように見えた。

 しかし、アリが入った店はそういう騒ぎとは無縁の店のように見えた。

 中に入ってみると、予想通り、シックな作りで物静かな雰囲気が漂っていた。

 客もまばらだが、それぞれが思い思いに酒を楽しんでいるように見える。

「いらっしゃい」

「あ、マスター。こんにちわ~」

「なんだ、アリーシャですか。こんにちわ」

 カウンターの奥に口ひげを蓄えた壮年の男性がいた。

 細身の体つきだが、貫禄がある。

「まだ、出勤の時間ではないですが?」

「あぁ、ちがうちがう」

 アリは両手でリアクションを取ると、後ろを振り返った。

「おや? 新人の方ですか?」

「まだ試験前だよ」

「なるほど……」

 マスターは口ひげに手を当てながら、ゆっくりとタタラを観察しようとした。

「ほう、悪くないですね。アリーシャ」

「なに?」

「彼は伸びますよ?」

 その言葉にアリはほんとかなぁ、と首を傾げながらタタラを見ていた。

 ここでも、置いていかれ気味のタタラはもはや何も言う気になれなくなっていた。

「どうぞ、そんなところで立っていないで座ったらどうですか?」

 彼はそう言うと、カウンターへ誘導した。

 タタラとしてもそれを拒む理由がないので、黙って席へ着いた。

 アリもまた、彼の隣にちょこんと座った。

 その彼の前にオレンジ色の液体が入ったグラスが流れてくる。

「ありがとうございま~す」

「いえいえ、貴方はどうされますか?」

「……適当に」

「では……」

 彼は背を向け、何種類か酒のボトルを取り出し始めた。

「あぁ、すみません。私はイズミードと申します」

 忘れていたとばかりに、振り向きイズミードは言った。

「……タタラ」

「そうですか、末永くよろしくお願いしますね。タタラさん」

 ニッコリと彼はいい、再び作業にもどった。

「ん? そういえば、アリーシャとは?」

「僕の名前だよ?」

 にべもなく言うアリに、彼は少し傾げた。

 どう聞いても、女の名前に聞こえるからだ。

「あ~、ちゃんと名前いってなかったね。僕はアリーシャ・リュック。ここに来て二年くらいになるんだ」

「あ、あぁ……」

 ある可能性が出てきて、彼の頭のなかをグルグルと思考が回り出す。

 ちょうど、その時。

「もしや……」

 背を向けたままのイズミードが口を開いた。


「アリーシャの事を男の子だと思っていませんでしたか?」


 その核心をついた言葉にタタラの思考が凍結した。

 それはもう、音が出ているのではないかと言う勢いで固まっている。

「え? まさかね?」

 アリが固まる彼の顔をまたのぞき込んだ。

「う、うお!?」

 思考が止まっていた彼はそれに対してまともに、驚いてしまった。

 その結果が……


 ……

 …………

 ………………


 盛大な音と共に後ろに倒れた彼をイズミードが苦笑していた。

 アリーシャも少し心外とばかりに腕を組んで、眉をつり上げていた。

「いつつ、ま、まじで? お、おんな!?」

「男だって言った憶えもないけどねぇ」

 口をとがらせている。

 短めの赤い髪、目元や口元はくっきりと綺麗に整い、眉も細くきれいなものだ。

 ただ、所々に古傷の跡があるのと大きめの黒い眼帯が彼女の容貌をさらに中性的に仕上げていた。

 さらに華奢で細身の体。

 見事なまでに小麦色に焼けているが、女にしては出るところは全く出ていない。

 そう言う意味では女として、アリーシャを見るのは難しいかもしれない。

 その二人の様子にイズミードの背が揺れていた。

「マァスゥタァア……?」

 出来るだけ低い声でアリは言うと、さらに吹き出したのだろう。

 イズミードの背が一段と揺れていた。

「もういいよ!」

 完全にアリーシャはすねたようにそっぽを向いてしまった。

「いや……そのすまないな」

 さすがにタタラも頭をかきながら言うが、彼女の態度は変わらなかった。

 そうしている間にイズミードがカクテルを出してくる。

「ふふっ、これは私からの選別です」

「あ、ありがとうございます」

 少し彼の含み笑いが気になるが、タタラは受け取ったグラスをそのまま口へと運ぶ。

「あ! それ呑んじゃダメ!」

 ハッとしたようにアリーシャが言うが、すでに時遅し。

 茶色い液体は彼の口内に浸入し、その臭気は一気に鼻孔を刺激する。

「ウッ!!?」

 瞬間的に、タタラが口を押さえた。

「いいよ! 無理しないで! ほら、外いくよ!」

 アリーシャは焦ったように、彼の手を引くが、彼は彼でそれどころではない。

 筆舌しがたい異様な臭気が彼を襲う。さらに濃く、喉を焼くような苛烈なアルコールが身を内側から焦がしていく。

「ふむ。これは……またやったんです?」

 そのとき、別の声がフロアに静かに響いた。

「おや、おかえり」

 イズミードがそう、何事もなかったかのように言う。

 それにタタラをどうにかしようとアタフタしていたアリーシャも気付いた。

「あ、ソルート姉! おかえりなさい!」

 嬉しそうに声を出す彼女の視線をタタラも反射的に追った。

 入口付近に、麗人がいた。

 その肌は白く美しい。

 長い黒髪は腰の辺りまで届きそうだった。

 りんとした表情はその容姿と相まって美を周囲に振りまく。

 これがドレスを着ていれば、さらにいいのだろうが……

 あいにくと彼女が着ているのは使い込んだチェインメイルだった。

 さらにその背にはその顔と不似合いな戦斧だった。

 細い体躯のどこから、あのような重量級の装備を振るうのだろうか……

「洗礼だっていう、そのカクテル。まだやってたのね」

「ふふっ、この街に来たのならまずは味わってもらわないとね?」

 少し呆れたようにソルートは言い、カウンターへ座った。

「な、何なんですか……今のは?」

「おや? もう復活されたのですか。筋がいいですね」

 関心したようにイズミードは言い、タタラを見下ろした。

 ちなみに彼の顔色は土気色になっていた。まさしく、酷い有様だ……

「この街の名物カクテルですよ。名付けて"龍殺し"です。あぁ、私が名付けたのではないですよ?」

 満足げに彼は頷きながら言った。

「私も最初は酷い目にあったよ。でも、あれを呑んで吐かないとはやるね、君」

 クールに彼女は言うと、優雅に出てきたカクテルを口につけた。

「ふふふっ、私はソルート・セサミだ。よろしくね、青年」

「ウプッ……こ、こちらこそ……タタラ・アークエルだ」

 震える手をソルートが握ると、彼女は再び少し吹き出した。

 どうやら、彼の何かがツボに入ったらしい。

「それで、タタラ青年。君はなぜ、この地に来たのかな?」

「……なぜ聞くんです?」

「それはだね、この地が地獄の釜だからだよ。常人ならば、こんなところに来たいなんて、口が裂けても言えないはずの場所さ」

 確かにソルートの言うとおり、この街は表向き賑わいをみせてはいるが、毎日のように誰かが死んでいる。

 もちろん街の中でも、外でもだ。

「ははっ……」


 乾いた笑い声が響いた。

 
 それを聞いた三人が目を細めた。

 一瞬で、辺りの雰囲気が塗り変わる。

「そんなの決まっているじゃないですか」


 "普通じゃ、もう満足出来ないんですよ"


 低い声が静かに響いた。


 ただ、それだけだった。


 そして、それだけで十分だった。


「ふふっ、はっはっはっはっはっはっ」

 ソルートが笑う。

「ふっふっふっ……」

 つられて、イズミードも笑う。

「タタラくん」

 彼が静かに言う。

「よかったね。彼女にも気に入られたようだ。ソルートくんは気むずかしいほうなんだけどねぇ」

「え? あ、はい」

「その様子だと、アリーシャと仕事を組むのかな」

「そ……ウブッ」

 応えようとするが、体がそれを許さなかった。

 そんな彼の背中をさすりながら、代わりにアリーシャが応えた。

「うん。エイジからそう聞いてる」

「マスター・エイジか。なるほど、面白いことを考えるね」

「なんのこと?」

「いやいや」

 含み笑いをしながらソルートは不思議そうにしているアリーシャの頭を撫でた。

「そういえば、どこの仕事をとったんだ?」

「え~と、砕牙地区で新しい坑道が見つかったていう話知ってる?」

「あぁ、そういえば3日くらい前に聞いたね」

「そこに潜るつもりなんだ」

「新坑道ね。だから、一人での許可が出なかったのか」

「そうなんだよねぇ。1日も足止めくらっちゃった!」

「だからって、レッドドラコ相手で憂さ晴らしをするんじゃない」

 彼女の言葉にバレた? とアリーシャは下をちろっと出した。

 その様子にソルートはため息を漏らしていた。

 同じく、それを聞いたイズミードも眉をひそめている。

「あなたは、"破龍"ギルドにはまだ登録が出来てないでしょ? B級レートとは言え、レッドドラコのハントは協定違反と言われてもしかたないよ?」

「だって、仕方ないじゃん! ばったり、遭遇しちゃったんだから」

「閃光弾つかったら、逃げられるでしょ?」

「へへっ、この前使って補充しわすれちゃった」

 反省の色がないアリーシャに今度こそ、ソルートが深い深いため息を漏らした。

「そのレッドドラコってなんです?」

 話があまり見えてこないタタラはゆっくりと立ち上がった。

 "破龍"ギルドは、さすがにここに来る前に調べているので、名前は知っている。街を牛耳る四つのギルドの一つ。その中で護衛や討伐の任を請け負う、街の花形的存在だ。しかし、登録選考はかなり厳しく、そのほかのギルドでまずは実績を積まないとギルド登録すらもしてもらえないと聞く。逆に認めら得れてしまえば、様々な恩恵も待っていると聞くが、来たばかりのタタラがそれを知るよしもない。

「あぁ、すまないね。レッドドラコっていうのは、街の周辺に生息する大型のドラゴンで、二足歩行のラプタータイプなんだ。大物になると火炎も吐くが飛龍種に比べて知性はあまり高くはないね」

「まさか、それを?」

 彼はちらりとアリーシャを見た。

「え? そうだよ? 僕一人で間違えてやっちゃったの」

 再び舌をちろっと出しながら彼女はあっけらかんと言った。

「だから、あまり大きな声でいうな。馬鹿者」

「タタラくん。よく分からないだろうが、この街はかなり厳しい制約が課せられててね、指定危険ランクB以上の龍種は原則として"破龍"ギルドのみ討伐可能とされているのさ。そのほかの魔獣種なら、Aランクから上が"破龍"のみとされている。もっとも、生半可な腕の奴がB級を単独で倒すなんてこと、まず出来ないんだけどね」

 見かねたイズミードが解説をしてくれた。

「なるほど、色々と面倒くさいのか」

「そうしないと、さらに死人が増えるだけさ。この世界はそう甘くはない。一攫千金をもくろむ馬鹿ばかりがこの街にやってくる。大抵そういう輩は、たいした腕もなく……自然と排除されていくがね」

 彼は最後の部分をなぜか強調した。

「あ、マスター。部屋貸してよ。タタラはまだ街に来たばかりなんだし」

「あぁ、でしたら205号室が空いてますよ。案内してあげてください」

「はぁい」

 言うが早し、彼女はまだふらつくタタラの手を引っ張り出した。

「ふふっ、それじゃまたね。青年」

「……はい。また」

 見送るソルートはニヤリと何故か笑っていた。


                    ・


 部屋に案内され、荷物を置くとタタラは外套を脱ぐと同時にベッドの上に昏倒してしまった。

 そんな彼を見て、再びアリーシャがあたふたとし出す。

 下から、水差しをもらってきたり、動けていない彼の上着を脱がしたりとなぜか動き回っていた。

「す、すまない」

「いいよ。全部、マスターが悪いんだし」

 上着の埃を落とし、ハンガーへと引っかけていく。

「あれ……?」

 そんな彼女の手が止まった。

 彼女の手には太く重いベルトがあった。

 その先端部分を不思議そうに見ていた。

「そ、それは……」

 薄めを開け、タタラが彼女を見ようとしたときにはその先端をつかんでいた。

 そして、カチッと言う音と共にするするとそれがベルトの中から出てくる。

 それは鱗のような形をした刃が連なる鞭だった。

「これがタタラの得物なんだ」

「蛇骨剣という。鞭としても使えるし、剣にもなる」

 彼が息も絶え絶え言うときには、彼女は剣を鞭形態から剣の状態へと変形させていた。

「へぇ! めずらしいね」

 こういったギミックがある武器は珍しいのか、目をキラキラさせて彼女は蛇骨剣を見ていた。

「でも、これじゃあ、固いドラゴンの皮膚を切るのは難しいね」

「……やはりそうなのか?」

「うん。ソルート姉の斧見たでしょ? あれくらいあっても、全然大げさじゃないよ」

 なぜか、胸を張りながらアリーシャは言った。

「ずっと使ってきたものなんでね」

「ふぅん」

 彼女は少し広い場所に行き、剣を振るう。

 軽く上段から振り下ろしただけだが、その姿はさすがに堂が入っていた。

「へぇ、複雑なギミックを使っているのに、バランスいいんだ!」

 蛇骨剣の完成度に彼女は実に楽しそうにそれを見ていた。

「あとの武器はないの?」

「ん? あ~あるぞ」

 タタラは震える手で外套を指さす。

 アリーシャはすぐさま剣を鞭状態に戻し、鞘へと戻す。

 その動作は初めて扱うはずなのに、実にスムーズだ。使い手であるタタラですら、最初の頃は納刀がネックだったのだ。

「これは……魔銃?」

「安物だけどな」

 外套の裏から、単発式の魔銃が出てきた。単発な上に短銃だ。

 サイズと形式的にも、あまり威力は期待できないだろう。

「ん~、やっぱり火力は足りないねぇ」

「そう……か」

 今まで戦ってきた場に、ドラゴンのような大型なものはいない。主に対人戦が大半だったのだ。だからこそ、今の装備で十分乗り切れてきたのだ。

「わかった! 一個は僕がなんとか用意するよ」

「なんだと?」

「じゃないと、坑道とはいえ、何か出てきたらタタラさん死んじゃうよ?」

 あっけらかんとアリーシャは言う。

 とくにおちょくっているわけでもない、顔はあくまで真剣だ。

 しかし、自分よりもかなり歳が下のはずである彼女の言葉はなんというか、タタラにとって若干屈辱的でもあった。

「まぁとりあえず、明日準備して夕方出発しよう」

「夕方なのか?」

「うん! とりあえず装備を整えないといけないしね! 場所はここから一日はかかるんだ」

「なるほど……」

 深く深く、息を吐くと倦怠感がさらに襲ってきた。

「とりあえず、よく休んでね!」

 彼女はそう言うと、勢いよく部屋から出て行った。


 ……

 …………


 まさに台風一過とでも言うのだろうか、部屋の中は妙な静けさが漂っているような気がした。

「まじですげぇところに来ちまったみたいだな」

 まだ若干、世界が揺れている。

 彼は天井を眺めながらぼんやりとした。

「最初は、字持ちには近づくなって、あいつ言ってたっけな……」

 ここへの紹介状を手配してくれた元上司の言葉をなんとなく反芻させる。

 噂は一人歩きするものだ。

 それは閉鎖的なここの話もそうだ。

 特に字持ちなんてのは、色々と尾ひれが付くものだ。

 特A級のドラゴンを単独で仕留めるという"隻眼龍"、持っている大鎌で首を必ず切り落とすという"首切り"、全てにおいて手加減を知らずやり過ぎという"バニシング"、鋼の肉体と凶悪なほどの生命力をもつ龍種をも腐らせ殺す毒を作り出す"腐毒"、若いながらA級ドラゴンを単独で仕留め、死さえも恐れない凶戦士"パンドラ"……

 ほとんどの字持ちはランクが上位なので、一緒に仕事をすることは稀だろうが最近浮上してきた"パンドラ"という奴は、戦いにおいて撤退をせず戦い続けるという、結果仲間をも巻き込み色々と被害が出ているらしい。この"パンドラ"には出来るだけ近づくなとは言われていた。

「まっ、退屈せずにはすご……せる…か」

 タタラの意識はそのまま、暗く深い微睡みの中へと沈下していった……

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