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7 森の動物
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カサリと動く葉を見ていて思ったのは、もしも森の獣がそこから出てくるのなら逃げなきゃってこと。
こんな場所に人間がいるとは思えないし、位置が低すぎる。例え小さな四足動物だったとしても丸裸丸腰のこっちが野生動物に勝てるわけがない。
森にいる動物って何だ?
熊、イノシシ、狼……だけどここは天使に送られた違う世界。だとすれば想像を越える生き物がいるかもしれない。熊に翼があったり、イノシシにでかい角が生えてるとか。
俺は自分の想像にぶるっと震えた。そんな奴らの攻撃ひとつで俺は吹き飛ぶだろう。
幸い向こうはこっちに気付いていないだろうし、だったらそうっとそうっと、逃げるしかない。
そっとだ。
そうやって腰を浮かせたとき、茂みの中から存在の主が飛び出した。
……うわっ!……って……えっ、あれ?
それは何気なく、ごく普通の散歩の途中みたいな顔で出て来た小さな豚だった。
こちらに向かって数歩トコトコと歩いてから、体についた汚れを落とすように体をブルブルと左右に震わせる。それからようやく、俺がいることに気付いた。そしてハッとして小さな目を見開く。
俺とちっこい豚は見つめ合った。長い事。
ぴぎゅ!
豚は鼻からそう叫んでその場に見事に横倒しになった。
あれ、俺、攻撃魔法とかかけてないけど……きっとそんな能力もってないし……
思わず指先を見るが、何かを放った実感も形跡もまったくない。
おい、死んだ?
足が痛いのは嫌だから、そっと慎重に体重移動して近づいて、豚の背中とお腹の中間あたりに手を当ててみる。
あったかい。
そして特徴のある鼻の前に手をかざすと、息がスースー漏れているのがわかった。つまりは生きている。そういうことだ。
「気絶?」
俺も驚いたがこいつも驚いたのかもしれない。ビビリで心臓が弱いのかも。だから人間との遭遇に驚いて気を失った。
「豚って森の動物だっけ?」
地面からそいつを持ち上げる。豚のサイズは広げた両手の平からはみ出す程度、だけど小さいながらも重みがずんとくる。生後二か月位の犬っころ、そんな感じ。生まれたての豚としても地球産じゃありえない小ささだ。
俺は豚を胸にかかえて、その場に座り込んだ。尻が冷えて汚れるが敷物もないのでしょうがない。
ここで初めて対面した命。それが嬉しくてたまらなかった。俺は心細かったんだろう。普通だったらそこらへんを歩いていた豚なんてスルーだ。だけど今はそれに縋りたかった。
心ってのは体に引きずられるのだろうか、温もりを感じていると込み上げてくるものがあって、再びみっともなくわんわん泣いた。
途中豚がピクっと動いて目を覚ましたのがわかったけど、己がどこにいるかわかるとまたクタリを力を抜いて伸びていた。失神しすぎだ。
おい、俺を慰めろよ。揺さぶっても目は開かない。
豚の毛ってごわごわかと思ったら柔らかいんだな。
毛並を整えるように撫でる。撫でまくる。
ピクッとしてクタリ、ブルブルッとしてヘタリ。
豚は三度も失神を繰り返して、何だか申し訳ない気してくる。そして何か面白すぎて涙が出る。
俺、この世界でうまく生きていけるかな。
またあの草原に戻れないかな。
あの指遣い……最高だったんだけど……
うっかり涎がでそうになって、お腹の奥がきゅんとなると、目の前にピンク色の桜に似た小花がゆっくりと落ちて来た。それは到底重力など無視した動き。
それが地面につくまえに、手の平で受け止める。そうしなきゃいけない気がして勝手に手が動いていた。
気のせいでなく、その触れた部分だけにじんわりした温もりを感じる。
どうしてだろう、でもそれが天使、いや悪魔からの交信のような気がしてしょうがない。
おい、天使か?
そう思った瞬間、脳ミソの中に灰色のノイズに混じった声が聞こえた。
『……申し訳ありません。そちらに落とすのが遅れたため、目的の場所にお連れできなかったようです』
「天使……」
やつは非情に情けない声だった。
『子供を望みながらもできない夫婦の元へ降ろすつもりが、大失敗でしたね。あはっ』
「何笑ってるんだ。何とかしろよ。俺に美人で優しい料理上手でキャリアウーマンの母ちゃんと、イケメンでたくさん金を稼いできて暴力振るわない上品な父ちゃんをくれ。できないなら元の姿に戻せ」
俺は豚抱く腕にぎゅっと力を込め、手の平に乗る花びらに話しかける。
『そこに降ろしたいのは山々ですが、この世界に干渉できるのは全力を尽くしてもこの程度なんです。ですから大人の姿に戻す事もできません。ですので是非とも自力で行っていただきたいと』
姿の見えない天使が頭を下げて謝っている気がした。
「わかった……無理なもんは無理ってことは。その前に、この情けない格好はなに? バツゲーム?」
『バツゲームではありません。小さな体に合う服が用意できず、急きょあなたの着ていた服で間に合わせました』
「って、間に合ってないけど……!」
間に合ったのは靴下だけじゃん。思わず声を張り上げる。
『あなたは裸の方が美しい。私のその邪な思念が服を着せる事を阻んでしまったようです。結果靴下だけになりました』
「笑えねえ」
『本当に申し訳ありません』
その口ぶりから今から服だけでも、と言うのも無理であることがわかる。この世界には干渉できないんだよな。
『しかし、お友達もできたようですし、安心しました』
おい、まさか腕の中の豚を友達とかいうのか。本気でほっとしているような天使の感覚がわからない。これが文化の違いってやつか。感覚の違いか。
『お子様になったあなたの姿もとても愛らしいです。靴下がとてもお似合いで腕には小動物。きっと庇護欲をそそられたどなたか手を差し伸べてくれるでしょう』
「お前、頭おかしいだろ。子供であってもこんな不審者誰も拾わないよ。その前にここからの脱出が先に必要だろ。それより、俺は子供になる希望を出した覚えはない……子供が、欲しいって言ったんだ」
『そうでしたか? だとしたらリミットに焦った私の早とちりです。しかし残念ながらこの地を含め、私達が管理する世界では同性同士での妊娠出産はできないのです』
「ちっ……」
どっちみち無理だったって事か。
舌打ちした途端に、花びらの輪郭が薄くなり始める。
『また時間が……』
「お前ってそればっかりな。いつも肝心な所でさよならだよ。イケメンだから許されると思うなよ。責任とってここから出せ。サバイバルのアドバイスを一つでも残していけ。俺はどこへ向かえばいいんだ、教えろ」
『申し訳ありません……また力……溜め……早く……そ……離れて……』
花びらはすっかり消え失せ、天使との交信は実りなく終わった。
「干渉できないって、しっかり会話はできてるじゃん……どうしにかしろよっ」
どうやら本当に終了らしい。何度呼びかけても花はもう降らなかった。
またひとりぼっちか……そして無駄話で時間切れ。
「天使のあほぉー、ばかー」
ひとりにすんな。もっかい出て来いよぉ。
泣いた所で天使はもう来ない。誰かが都合よく現れ助けてくれるなんてことはなくて、俺はそのままの姿勢で、また泣いて泣いて、泣き疲れて、それでも起きない豚を離さなかった。
――ガサガサッ。
また不吉な音がして、第二の動物の登場かと俺は体を震わせた。
こんな場所に人間がいるとは思えないし、位置が低すぎる。例え小さな四足動物だったとしても丸裸丸腰のこっちが野生動物に勝てるわけがない。
森にいる動物って何だ?
熊、イノシシ、狼……だけどここは天使に送られた違う世界。だとすれば想像を越える生き物がいるかもしれない。熊に翼があったり、イノシシにでかい角が生えてるとか。
俺は自分の想像にぶるっと震えた。そんな奴らの攻撃ひとつで俺は吹き飛ぶだろう。
幸い向こうはこっちに気付いていないだろうし、だったらそうっとそうっと、逃げるしかない。
そっとだ。
そうやって腰を浮かせたとき、茂みの中から存在の主が飛び出した。
……うわっ!……って……えっ、あれ?
それは何気なく、ごく普通の散歩の途中みたいな顔で出て来た小さな豚だった。
こちらに向かって数歩トコトコと歩いてから、体についた汚れを落とすように体をブルブルと左右に震わせる。それからようやく、俺がいることに気付いた。そしてハッとして小さな目を見開く。
俺とちっこい豚は見つめ合った。長い事。
ぴぎゅ!
豚は鼻からそう叫んでその場に見事に横倒しになった。
あれ、俺、攻撃魔法とかかけてないけど……きっとそんな能力もってないし……
思わず指先を見るが、何かを放った実感も形跡もまったくない。
おい、死んだ?
足が痛いのは嫌だから、そっと慎重に体重移動して近づいて、豚の背中とお腹の中間あたりに手を当ててみる。
あったかい。
そして特徴のある鼻の前に手をかざすと、息がスースー漏れているのがわかった。つまりは生きている。そういうことだ。
「気絶?」
俺も驚いたがこいつも驚いたのかもしれない。ビビリで心臓が弱いのかも。だから人間との遭遇に驚いて気を失った。
「豚って森の動物だっけ?」
地面からそいつを持ち上げる。豚のサイズは広げた両手の平からはみ出す程度、だけど小さいながらも重みがずんとくる。生後二か月位の犬っころ、そんな感じ。生まれたての豚としても地球産じゃありえない小ささだ。
俺は豚を胸にかかえて、その場に座り込んだ。尻が冷えて汚れるが敷物もないのでしょうがない。
ここで初めて対面した命。それが嬉しくてたまらなかった。俺は心細かったんだろう。普通だったらそこらへんを歩いていた豚なんてスルーだ。だけど今はそれに縋りたかった。
心ってのは体に引きずられるのだろうか、温もりを感じていると込み上げてくるものがあって、再びみっともなくわんわん泣いた。
途中豚がピクっと動いて目を覚ましたのがわかったけど、己がどこにいるかわかるとまたクタリを力を抜いて伸びていた。失神しすぎだ。
おい、俺を慰めろよ。揺さぶっても目は開かない。
豚の毛ってごわごわかと思ったら柔らかいんだな。
毛並を整えるように撫でる。撫でまくる。
ピクッとしてクタリ、ブルブルッとしてヘタリ。
豚は三度も失神を繰り返して、何だか申し訳ない気してくる。そして何か面白すぎて涙が出る。
俺、この世界でうまく生きていけるかな。
またあの草原に戻れないかな。
あの指遣い……最高だったんだけど……
うっかり涎がでそうになって、お腹の奥がきゅんとなると、目の前にピンク色の桜に似た小花がゆっくりと落ちて来た。それは到底重力など無視した動き。
それが地面につくまえに、手の平で受け止める。そうしなきゃいけない気がして勝手に手が動いていた。
気のせいでなく、その触れた部分だけにじんわりした温もりを感じる。
どうしてだろう、でもそれが天使、いや悪魔からの交信のような気がしてしょうがない。
おい、天使か?
そう思った瞬間、脳ミソの中に灰色のノイズに混じった声が聞こえた。
『……申し訳ありません。そちらに落とすのが遅れたため、目的の場所にお連れできなかったようです』
「天使……」
やつは非情に情けない声だった。
『子供を望みながらもできない夫婦の元へ降ろすつもりが、大失敗でしたね。あはっ』
「何笑ってるんだ。何とかしろよ。俺に美人で優しい料理上手でキャリアウーマンの母ちゃんと、イケメンでたくさん金を稼いできて暴力振るわない上品な父ちゃんをくれ。できないなら元の姿に戻せ」
俺は豚抱く腕にぎゅっと力を込め、手の平に乗る花びらに話しかける。
『そこに降ろしたいのは山々ですが、この世界に干渉できるのは全力を尽くしてもこの程度なんです。ですから大人の姿に戻す事もできません。ですので是非とも自力で行っていただきたいと』
姿の見えない天使が頭を下げて謝っている気がした。
「わかった……無理なもんは無理ってことは。その前に、この情けない格好はなに? バツゲーム?」
『バツゲームではありません。小さな体に合う服が用意できず、急きょあなたの着ていた服で間に合わせました』
「って、間に合ってないけど……!」
間に合ったのは靴下だけじゃん。思わず声を張り上げる。
『あなたは裸の方が美しい。私のその邪な思念が服を着せる事を阻んでしまったようです。結果靴下だけになりました』
「笑えねえ」
『本当に申し訳ありません』
その口ぶりから今から服だけでも、と言うのも無理であることがわかる。この世界には干渉できないんだよな。
『しかし、お友達もできたようですし、安心しました』
おい、まさか腕の中の豚を友達とかいうのか。本気でほっとしているような天使の感覚がわからない。これが文化の違いってやつか。感覚の違いか。
『お子様になったあなたの姿もとても愛らしいです。靴下がとてもお似合いで腕には小動物。きっと庇護欲をそそられたどなたか手を差し伸べてくれるでしょう』
「お前、頭おかしいだろ。子供であってもこんな不審者誰も拾わないよ。その前にここからの脱出が先に必要だろ。それより、俺は子供になる希望を出した覚えはない……子供が、欲しいって言ったんだ」
『そうでしたか? だとしたらリミットに焦った私の早とちりです。しかし残念ながらこの地を含め、私達が管理する世界では同性同士での妊娠出産はできないのです』
「ちっ……」
どっちみち無理だったって事か。
舌打ちした途端に、花びらの輪郭が薄くなり始める。
『また時間が……』
「お前ってそればっかりな。いつも肝心な所でさよならだよ。イケメンだから許されると思うなよ。責任とってここから出せ。サバイバルのアドバイスを一つでも残していけ。俺はどこへ向かえばいいんだ、教えろ」
『申し訳ありません……また力……溜め……早く……そ……離れて……』
花びらはすっかり消え失せ、天使との交信は実りなく終わった。
「干渉できないって、しっかり会話はできてるじゃん……どうしにかしろよっ」
どうやら本当に終了らしい。何度呼びかけても花はもう降らなかった。
またひとりぼっちか……そして無駄話で時間切れ。
「天使のあほぉー、ばかー」
ひとりにすんな。もっかい出て来いよぉ。
泣いた所で天使はもう来ない。誰かが都合よく現れ助けてくれるなんてことはなくて、俺はそのままの姿勢で、また泣いて泣いて、泣き疲れて、それでも起きない豚を離さなかった。
――ガサガサッ。
また不吉な音がして、第二の動物の登場かと俺は体を震わせた。
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