甘いのどっち?

宇井

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《番外編》エドワードの苦悩

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「どうしてお前がここにいる」

 あ、またお前に戻ってる。僕は『お前』じゃないのに。
 ノアがエドワードに会うのはこれで三度目。二度目の時は確かにノアと名前を呼んでくれたのに。
 エドワードの執務机の上に置かれた鳥かごの中でノアは呟いた。
 しかし口から出て聞こえる音は、きゅと言う愛らしい声。人型をとっていないノアは自分の思いを伝えられない事に気付いている。かといってここで人型になろうものなら、この繊細な木製の鳥かごはバラバラになって修復が不可能になってしまうのだからどうしようもない。高価な物を破壊する事なんて、ノアには絶対にできないことだ。
 鳥かごの中には、ブランコのように揺れるとまり木と、固定されたとまり木があり、籐細工の工芸品のようなボールまである。
 さっきまで遊んでいたブランコは気持ち悪くなるような揺れだったが、鈴の入ったボールはなかなか良い音色だった。
 
「ヒルダか」
『そう、ヒルダ様だよ』
「魔獣のお前がヒルダごときに捕まるとは、相変わらずだな」
『相変わらずって……何だよ、その続きを言ってみてよ』

 木の檻にぐりぐりと体を押し付け次の言葉をねだるが、エドワードはそれきり黙ってしまった。

『ロープの上で歌っていたら、にこにこ顔のヒルダ様がきてさ、こっちよ~なんて優しく誘うから指に乗ったんだ。そしたらコレだもん』

 噂に聞いていたヒルダ様は過去に遠くから一度見たきりだった。
 とても美しいマイカの乳母であるヒルダ。彼女は少女のように愛らしく美しい。彼女が現在幾つであるかを正確に知る人はいないものの、四十代に達していることは推定できる。
 マイカの乳母であった人が、いつの間にやらエドワードの宮を仕切る侍女頭になり、大きな力を持つことになっていたのは有名な話だ。
 その容姿にその手腕。化け物、などと一部では言われているが、彼女が悪い人間ではないとノアは思っている。
 だから何の抵抗もなく、麻袋のようなガサガサした袋に納まってやったのだ。
 悪い事にはならない。だってヒルダ様はとても……
 お喋りを止めてしまったノアに、エドワードが不審な顔をし顔を近づけてきて思考が中断した。

「どうした? 急に大人しくなると不気味だぞ。俺が鳥でも飼ってみようかと、そんな事を零してしまったからお前が巻き込まれた。人懐っこい鳥がいる噂を耳にして早速ノアを捕獲しに行ったのだろう。ヒルダは単純に突っ走る。お前が魔獣とまでは思いもしないだろうがな」
『そっか。僕って有名になりつつあるんだね。調子にのってそこら中で歌ってたけど、気を付けなきゃ』
「ヒルダが様子を見に来るかもしれないから、しばらくはそこで我慢しろ。しばらくは付き合ってくれ」
『はぁい』

 エドワードは机の真ん中に置かれていた籠を、書類の積み上げられた目線の高さの場所に置き直す。それだけで、見下ろされる圧迫感からノアは解放された。

「そうか。子供にはおやつが必要だったな」

 いつか聞いたことのある台詞にノアは綻んだ。
 思っていた通り、出てきたのは瓶に詰められたラムネ。それとノアの好物の一つであるチョコレートだ。
 長く細い指が籠の扉を引き上げる。そして瓶の蓋を皿代わりにしたお菓子の山が差し入れられた。扉は上のフックに止められたままとなり、監禁から軟禁状態となった。
 何も語り掛ける事もなく、エドワードは書類に向かってしまった。
 疲れているのか、目の下には疲れが見える。
 ここは以前来た事がある隠し部屋。秘密の場所であるはずだが、ヒルダだけはその存在を知っているらしい。ここへノアを置いて去ったあと、寂しさを感じる前にエドワードがやってきた。

 カリカリとペンを走らせる音、幾度かの溜息。その合間に菓子をほおばるノアの立てる音。
 エドワードの端正な顔を箸休めにおやつを食べていたけど、なんか、飽きた。
 出された菓子の半分を胃に入れたあと、ノアはぴょこぴょことその境界を出た。エドワードはチラリと一瞥しただけで、興味もなさげに仕事へと戻る。
 大きくない室内の天井近くをぐるりと二周し、ノアはソファの背もたれに降り立った。そこには大きなサイズのガーゼのケットが綺麗に畳まれ置かれていたからだ。
 これ、使ってもいいよね。
 エドワードからは見えない位置にあるソファの背に回り隠れ、ノアは人型をとった。手を伸ばしケットを肩から回しかければ、それはひざ下までが隠れる薄いローブになった。
 集中しているエドワードの邪魔にならないよう、物音を立てないように気を使い本棚の前に立つ。
 この前から気になっていた本のタイトルをざっと眺め、その中から適当に一冊を引き抜く。
 ソファに座りページを捲る。
 詩集かぁ。
 選択を誤ったかと少しがっかりするが、短い文なら飽きずに読めるかもしれない。
 ノアは最初のページに戻り、それを読み進める事にした。

 ☆

 もたれていた背からズルリと滑り横になったのはわかった。五分もしないうちにノアは口を中途半端に開き、眠りの世界へ旅立っていた。
 そして一つの区切りをつたエドワードは立ち上がり背伸びをし、ノアが眠るソファへ向かった。

「子供は、両手を挙げて眠るのか」

 両手は上へあがり、お手揚げのポーズ。
 ケットは辛うじてノアの大事な部分を隠している。それを慎重に引っ張り、その肌の見える面積を少なくしてやる。体は揺れたがノアは起きない。
 魔獣のくせに呑気。そして無防備すぎる。
 エドワードはその場で膝をつき、自然とノアの柔らかな髪を梳いていた。

「私が欲しかったのはペットじゃない。ノアだ」

 それでも偶然とはいえヒルダがノアをここに連れてきた事に何かの意味を見出したくなる。

「ん……まいか……」

 声に反応し、寝ぼけてむにゃむにゃと喋るノア。どんな時でも登場するのは決まってマイカの名前になる。

「ノア?」
「……ん」
「それほどマイカに似ているか、この声は?」
「……」

 顔立ちは似ていないが、二人の声は似ていると言われたことがある。
 完全に動きを止めたノアに、エドワードはそっと顔を寄せ、頬と頬を重ねた。眠っているせいか体温が高い。その為もあるのか、その肌はしっとりと上気していた。
 体は相変わらず華奢。
 地味だ、珍妙だと、初対面のその時は思うままを口にした。しかし触れてみれば印象は変わる。
 これほど肌は吸い付くのは、そのキメが細かという事。この国の人間の多くとは違う肌の色合い。いつまでもこうしていいたい。そう思わせるほど極上に、エドワードはいつしか瞼を閉じ堪能していた。

「あっ……」

 湿った息が耳にかかったのか、ノアが吐息を漏らす。一瞬目が覚めたのかとビクリとしたが、ノアの瞳は閉じている。
 一旦離れたせいか、さっきまであった温もりの分、そこが寂しい。
 エドワードはノアの柔らかな前髪に指を埋め、感じるらしい耳元にキスを落とした。
 大丈夫そうだ。
 大胆にもエドワードはその唇で耳たぶを食む。

「……ふぅ」

 色気を含んだ息が漏れる。
 声が聞きたい。もっとだ。場所を徐々に下へと移しながら、尖らせた舌先で道筋をつけた。

「……」

 荒く息を継ぎ、胸の上下が大きくなるのが伝わって来る。
 感じている。
 息を荒げるノアの様子に悪い事をしている意識は持てなかった。
 ちゅっと音を立ててやれば、くすぐったそうに身を捩る。それはまるで続きをねだっているように見えた。

「はぁ……」
「……どうした、ノア?」
「ん……すき」

 自分に向けられた言葉でない事はわかっている。それでも、エドワードはその衝撃に息を止めた。

「俺も……好きだ」

 その返事にへらっと笑うノア。
 ノアの心が寄り添うのは、マイカ。きっとマイカに愛を囁かれたと思っているのだろう。それでも、この一時は自分の物。
 一度だけだ……許せ。
 エドワードはノアの頬をそっと撫で、小さな唇に自分のそれを重ねた。
 昔の、何も知らなかった頃の初心な自分に戻ったように、その心臓は跳ねていた。自分のカサついた唇の先には、柔らかなノアの唇。その柔らかさを追うように、角度を変えて口付ける。
 エドワードを誘うようにうっすらと開いた場所に、抗うことはできなかった。
 くちゅくちゅ。
 ノアが覚醒してしまわないよう、浅い場所で唾液を交換する。
 歯列をなぞるより、唇を舌で刺激した方が感じるらしい。ノアはエドワードの与える行為をただひたすらに受け入れている。
 ノア……もっと深くまで繋がりたい。
 しかしそこまでは許されない。エドワードは名残惜しく唇を放し、最後に額にキスを一つ落とした。

 ☆

「うわぁ、なに!」

 頬をぐっと掴まれる痛みに、ノアは目を覚ました。ノアの両方の頬は、エドワードの指で掴まれ、まるでタコのように唇を突き出している。そしてそれは地味に痛い。

「いつまで寝ている」
「あ……ぼく、眠ってた……?」

 いまだに解放されない頬のせいで、発音はもごもごとしている。
 顔を意地悪そうに歪ませるエドワードのせいもあって、眠気は飛んでいた。ただどうしてか、頬から伝わるエドワードの温もりは違和感なく馴染んでいた。まるでついさっきまで重ねていたように。
 なんか、えっちな夢みちゃったかも。
 その夢の中身はまったく覚えていないけれど、ふわふわとして気持ち良かった。その小さな火が体の奥に灯って消えていない。
 マイカに会いたい。そう思った。

「エドワード……この手を放してくださいー」
「放してほしかったら、お前の魔力を使って顔をこのまま固定しろ。お前にはこの顔がお似合いだ」
「そんなの無茶です。できる訳ないじゃないですか」

 もごもご。

「お前がずっとこの間抜けヅラだったら、俺の悩みのほとんどは解決する」
「意味がわからないしぃ」

 エドワードの仕事が片付いたのだろうか。ここへ来た時に見せた顔とは違い、少しだけ晴れ晴れとした表情に見える。
 ノアが一人あわあわするうちに、ドアが小さく一度ノックされた。二人して音のする方を振りかえった。

「ヒルダだ」

 ようやくそこにきてノアは解放された。
 エドワードは容赦がない。頬はまだじりじり痛む。頬をすりながらもノアは鳥型に戻った。


 ノアを隠し部屋に運んだヒルダは、鳥かごの中のノアに声を掛けてきた。ヒルダの声は暗く沈んでいた。

『小鳥さん。どうか殿下をお慰めして。エドワード様は学生の頃から仲の良かった先輩の不正を暴く事になってしまった上に、その刑を決める議会の一員になってしまったの。政治犯だから簡単に追放できないし、暴力をともなう酷い刑を言い渡さなければならないの。もう私にできることはこれくらいしかないのよ』

 ヒルダ様、ごめん。僕では慰めにはならなかった。何しろおやつを食べて眠っただけだ。
 エドワードのことを心配し自ら鳥を捕えにきたヒルダ。
 マイカの後ろにヒューゴがいるように、エドワードの横にはヒルダがいる。主従と言ってしまえばそれまでだが、ノアはそれを超えた情が彼の周りにあることを嬉しく思った。

 エドワードが入室を許可すると、ヒルダは小さな扉からゆったりと部屋に入って来た。
 ここに至るまでの経路は細く狭い。部屋に入った途端、ドレスの布をバサバサと払う。

「とても楽しそうな声が聞こえてきましたが?」
「ああ、この鳥と喋っていたんだ」

 肩乗りのノアを示す。

「会話をしていたのですか? それは重症ですね、大変。でも楽しそう。気に入って頂けたようで何よりですわ」
「そうだね。ずっとここで飼うのもいいかもしれない」

 それは困るよ。
 ぶんぶんと首を横に振るけれど、二人ともこちらを見ていない。

「ヒルダ。残念だがこの子はマイカの物なんだ」
「あら、マイカ様の」
「だからもう、連れてこないように。この子は、マイカの所にいて初めて幸せになれる」
「まあ、黙ってもらってしまえばいいのに」
「そうしようと思ったけど、やめだ。俺はね、ヒルダ、身を引くとう謙虚な事もできるようになったようだ」
「まあ、それはそれは、大人になられたこと」

 おほほほ。
 笑いながらもヒルダの獲物を狙うようなじっとりとした視線を受け、ノアは冷や汗が垂れるのを感じた。
 この人なら、エドワードの言う事を無視して、僕を檻に捕えるかもしれない。ずっと……
 エドワードによって窓が薄く開れる。もう帰れという合図だ。
 取りあえず、この場は逃げよう。

『またくるねエドワード。ヒルダ様も、お元気で、またね』

 ノアはヒルダの周りを一周し、マイカの元へと戻るため外へと飛び出していった。
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