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ぼく、かんしゃくをおこす

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第七章:ぼく、かんしゃくを起こす

 あっという間に時間が過ぎた。
 今日は四月七日、始業式。ぼくは小学二年生になった。
 一年生の時と同じクラスメイト、同じ担任の先生で、教室の場所だけが変わっていた。
 入学式は別の日なので、まだ一年生が居ない。ぼくら二年生が一番年下のままだ。
 教室の中もほとんど同じで、変わったことと言えば、黒板の右側に貼られた時間割に新しく五時間目が加わったことぐらいかな。
 新しい教室を見回し、お目当てのものを見つけた。
(よかった! 今年もあった!)
 ろうか側のかべに今年もクラスメイトの誕生日の書かれたリストがはられていた。
 一年生の時、朝の会に『今日のお誕生日』というコーナーがあった。
 朝の会の最後にこのリストを先生が見て、誕生日をむかえる子が居ないかクラスメイトと一緒にチェックをする。先生が「今日のお誕生日は〇〇くん(ちゃん)です!」と言えば、誕生日の生徒が立ち、みんなが拍手をするだけの短いコーナーだ。
 この誕生日リストを確認するのが今日のミッションだ。
 春休みに誕生日があるから、今まであまり興味がなかったけれど、このコーナーとリストをこんなに感謝する日が来るとは。
 じゆうちょうを片手にリストの前に立つ。ぼくは四月生まれから順に名前と日付を書き進めた。
 ぼくのクラス、二年二組は全員で三十六人。そのうち四月生まれはぼくや芽衣ちゃんをふくめて五人も居ることがわかった。
 もくもくと書き進めていると、背後から声をかけられた。
「菊池くん、おはよう」
 振り返ると、ランドセルを背負った芽衣ちゃんが手を振っていた。
「! おはよう」
「何してるの?」
 かべに向かってじゆうちょうを開いていたら、そりゃあ気になるよね。むしろ今までだれも聞いてこなかったのが不思議だ。
「えっと、今年も『今日のお誕生日』のコーナーがあるのかなって……」
 しどろもどろになりながらも、ぼくは答えた。
 悪いことをしているわけではない。けれども人の誕生日をメモすることにうしろめたさがあった。
(……じゅんすいにお祝いしたくてメモを取っているわけでは無いからだろうなあ)
「それで見てたんだ?」
「う、うん」
 うそやかくしごとが苦手なぼくには、これ以上ごまかせない。
 ぼくの心境を知らない芽衣ちゃんは、大きな目をぱちくりとさせて首をかしげた。
「菊池くんはマメだね~。わざわざ書き写す必要なんてないのに」
 どういう見解になったのかわからないけれど、ぼくの苦しい言いわけで納得してくれたようだ。
 じゆうちょうをのぞきこんだ芽衣ちゃんは、自分の誕生日を探し出すと、指さした。
「私、明後日誕生日だから! おぼえててね!」
 ぼくが返事をする間もなく、芽衣ちゃんは目の前から居なくなっていた。視界のはしっこに、友達と楽しそうに話している姿があった。

 朝の会が始まるまでに、二組みんなの誕生日は書き写すことができた。
 四月生まれの五人のうち、すでに春休みで誕生日をむかえていたのはぼくとあと二人。
 始業のチャイムが鳴っている中、口早に「最近変なこととか、こわい目にあったりしなかった?」と、二人に聞いたけど、特に変わった様子はなかった。
 二人の誕生日は、図書室の開館日や校庭で遊べる日に重なっていなかったので、小学校の近くに来ることもなかったようだ。
 あとはとなりのクラスの誕生日だ。去年は一組でも同じようなお祝いをしていると聞いていたけど、今年もしているのかが問題だった。
 始業式は校長先生の長い話を聞きながら、同級生の誕生日のことばかり考えていた。
(校長先生! 早く終わってー!)
 今日は始業式と学活の二時間だけで、午前中で学校が終わる。午前中で授業が終わる日は放課後に残れないので、全学年とも十二時半が最終下校だ。
 帰る前に一組の教室をのぞくと、ぼくらの教室と同じように誕生日のリストがあった。
 一組で誕生日を書き写すころには、「二年みんなの誕生日をまとめてるんだ」とあながちウソでもない言いわけをするりと言えるようになっていた。
 一組の四月生まれは二人。二人とも四月末が誕生日だった。
(四月は明日を含めてあと四回……)
 誕生日の数が多ければ多いほど、ぼくはまたあの妖怪たちを目の前にしなければいけない。
 書き終えた七十三人分の誕生日を見下ろし、ぼくは無意識につばをのみこんだ。
 
「ただいま」
 家に帰ると、すでに颯兄は帰っていた。
「おー、おかえり」
 ランドセルをフローリングにおろしていると、颯兄はあおむけになってまんがを読んでいた。いっしゅんだけぼくを見て、またまんがに視線をもどした。
「おかえりなさい」
「ただいま、ダッキ」
 ランドセルから母さんにわたすプリントを取り出して、テーブルに置いた。
 一度リビングを出ると、ランドセルを置きに部屋へ向かう。階段をあがって右側にある部屋が、ぼくと颯兄がねおきをしている子ども部屋だ。
 子ども部屋の向かい側にあるのが母さんと父さんの部屋だが、今は母さんの一人部屋になっている。
 子ども部屋のとびらを開けると、目の前にぼくの勉強づくえがある。
 明日からもう授業が始まるので、さっそく今日もらった時間割表を見て明日の用意をした。
 じゅんびも終えてつくえのフックにランドセルをかけると、リビングにもどる。颯兄はまだまんがを読んでいた。
 母さんはキッチンでお昼ごはんのじゅんびをしているようで、ときどきフライパンのじゅわっという音が聞こえた。
 ソファのちかくで座りこむと、颯兄に結果を報告した。
「春休みに誕生日になった子にみんなに聞いたけど、なんもなかったって」
「おー、そっかそっか」
 颯兄は答えてくれるものの、まんがから目をはなさない。心ここにあらず、っていうのはこういうことを言うんだろう。
 一応真面目な話をしているのでできたらちゃんと聞いてほしいなあ……なんて思ったりした。
「同級生の誕生日も全員分わかったし」
「さすが、仕事が早いな~」
 やっと颯兄がソファから起き上がり、ぼくと目がかちあった。
「じゃあ、やっぱ明日が本番だな」
「うん……」
 明日、つまり芽衣ちゃんの誕生日の前日だ。
 一年生の時は短縮授業だったけど、二年生はちがう。二年生は始業式の次の日からお昼まで授業がある。
 放課後、きっと妖怪を戦うことになるのだろう。きんちょうするぼくとは反対に、颯兄は気の抜けたあくびをこぼした。
「じゃあ明日はその……なんとかちゃんの見張り、頼んだぞー」
「……」
 いつもと変わらない、やる気のない颯兄だ。けれども、なぜか今日はその態度がやけに目についた。
「ねえ、なんでちゃんと話聞いてくれないの?」
「んー?」
 ぼくはまゆをしかめると、大きく息をすいこんだ。
「颯兄から言ってきたんじゃん! ぼくにも手伝ってって!」
 ねむそうだった颯兄の目が見開かれた。
「颯兄は怖くないかもしれないけどさ、ぼくは怖いんだよ!」
 こんなに人に向かって大きな声を出したことがないってぐらい声をあらげる。
 気持ちをうまく言葉にできず、あせりばかりがふくらんでいた。
「この間みたいに追いかけられたりしたら、って思ったら怖いんだ!」
 ぎゅっと目をつむると、あの時の怖さがフラッシュバックした。
 勝手に流れるなみだをぬぐう。ゆらゆらとゆれる目の前で、颯兄がぼうぜんとぼくを見つめていた。
「颯兄は楽をしたいだけだったの……?」
 くやしくて、ぎゅっとこぶしをにぎる。
 やる気はなさそうだけど、いつも頼もしいお兄ちゃん。ぼくはそんな颯兄が大好きだった。怖いけどがんばろうって思えたのは颯兄と一緒だからなのに。
「ぼくは、ぼくは颯兄に頼られてうれしかったのに」
「……!」
「ぼくでも颯兄を助けることができるんだってちょっとうれしくて、だから怖くてもがんばろうって思ってたのに!」
 ひっくひっくとぼくのおえつだけが静まり返ったリビングに聞こえた。
 颯兄が何か言おうとしたけれど、タイミングよくキッチンから顔を出した母さんの声にさえぎられた。
「どうしたの、二人とも」
 母さんは颯兄の方を見た。悪いのは颯兄じゃない。勝手にいらいらして、勝手に泣き出したぼくだ。
 和室から何事かとじいちゃんも出てきた。
 みんなの視線をひしひしと感じる。この場にいるのがいたたまれなくなって、ぼくはリビングを飛び出して階段をかけあがった。
 ダッキや母さんの声が聞こえたが、振り返らなかった。
 階段をのぼりきると、子ども部屋に逃げようとした。けれども子ども部屋は颯兄の部屋でもある。今は顔を見たくもなかった。ぶんぶんと頭を横にふって、とっさに母さんの部屋を開けた。
 ぼくは父さんのベッドにダイブし、泣き続けた。
 そのまま夕方までねむってしまい、母さんが呼びに来るまで部屋から出なかった。
 晩ごはんはとても気まずくて、「味がしない」って言うのはこういうことなんだって身をもって知った。
 その日、ぼくは本を読まずに父さんのベッドでねむりについた。
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