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ぼく、颯兄とむきあう

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 夜、ぼくはねる前の読書をしていた。読んでいるのはもちろん『山海経』に関する本だ。
 ひと段落ついたので思いっきりのびをすると、かべにかけられたカレンダーが目に入った。
 ぼくの学年は七十三人。四月生まれはぼくをふくめて七人。
 そのうち芽衣ちゃんをふくめ、今日までに七歳最後の日をむかえたのが四人。
「あと今月だけで三人かー」
 後ろ頭に手を組んで、ぼんやりと部屋の天井をながめた。
 今日はたまたま水に対して日照りを起こす妖怪が居たからよかった。
 けれど、今後はどうなるかわからない。……次も、うまく戦えるだろうか。
 ぼくの胸にばくぜんとした不安がうずまいた。

 こつん、こつん。部屋の窓に何かがあたる音がする。
 ついさっきまで妖怪のことを考えていたので、どきっとしたけれど、「アタシよ」と知っている声が聞こえて、胸をなでおろした。
 二段ベッドのとなりにある窓の前に立つとカーテンをのぞきこんだ。思った通り、ダッキが窓辺にちょこんと座っていた。
「どうしたの?」
「下、見て」
 ダッキと向かい合えば、前足で窓の下をさした。
 下をのぞきこむと、庭で颯兄がじいちゃんに向かっていきおいよくなぐりかかっていた。
 じいちゃんはいともたやすく颯兄を受け流す。かわされた颯兄は顔から地面にダイブした。くやしそうな顔でじいちゃんを見上げる姿が、暗くてもはっきり見えた。
「……いつも、颯兄はあんな風に修行していたの?」
「そうね。いつもならカズマがねるまで待ってたんだけど、もうかくす必要もなくなったからこの時間から始めて、早く終わることにしたらしいわ」
 ダッキの言葉を聞いて、すぐとなりの二段ベッドに目を向けた。
 いつもならすでにねている時間なのに、上の段にはだれも居ない。
「昨日はね、いつも以上にハルマからボッコボコにされてたわよ」
 ダッキの言葉に、颯兄のほほにあったばんそうこうを思い出した。
「ああ、だからばんそうこう……」
「そ。だれかさんを泣かせたことが気になりすぎて、集中できなかったんですって」
 窓のふちに置いていたぼくの手が、ぴくっとはねた。
「アンタの気持ちをわかってやれなかったってショックだったみたい。だけどアレは自業自得よ」
 やれやれとダッキは首をすくめる。
「ソーマはカズマを信用しすぎたのよ。じまんの弟だからってね。だからカズマがそこまで気に病む必要はないわ」
「……」
 ぼくがねてから修行していたのだから、ねむくて当たり前だ。
 いつもねむそうなんじゃなくて、本当にねむたかったんだろうな。やる気については、わからないけれど。
 そう思うと、ぼくは颯兄のことを何も知らない。なのにあんなふうにせめてしまった。
「……ダッキ」
「なに?」
「ぼく、謝りに行ってくる」
 庭からダッキに顔を向けると、目を細めてほほえんでいた。
「そうね。とっとと仲直りしちゃいましょ」
 ぼくは無言でうなずき、窓辺に座るダッキを中にうながす。
 毛並みのいい頭をなでると、カーテンも開けっ放しに、ぼくは部屋を飛び出した。

「颯兄、じいちゃん」
 庭に降りると、じいちゃんがすぐにぼくに気づいた。
「和真、起きてたのか?」
 振り返った颯兄が、顔についていた土をうででぬぐった。
 かくす必要がないからか、いつも目をかくしている前髪は一つにくくられていて、ふんすいのようになっていた。
 数日ぶりに見た颯兄の右目は、変わることなくきれいな金色だった。
「……」
 無言で颯兄をまっすぐ見つめると、颯兄は首をかしげた。
 大きく息をすいこむと、いきおいよく頭を下げた。
「昨日はごめんなさい!」
 急なことで頭の上ではダッキが髪の毛をつかんでしがみついている。今は気にしていられないので、あとで謝ろう。
「口さけ女の時だって、今日だって、颯兄が居なかったらどうもできなかったのに……。楽したいだけとか言ってごめんなさい」
 颯兄は、いつもねむたそうな目をしていて、つかみどころのない人で、でもなんでも簡単にこなしてしまう。天才って言葉が似合う人だと思っていた。
 でもちがった。
 なんでもこなせているように見えていたのは、努力の結果だったんだ。
 何も知らずに颯兄をうらやましいと思っていたことがはずかしい。
 顔お上げると、颯兄は何かをがまんしているような表情でくちびるをかんでいた。
「おれの方こそごめんな。兄ちゃんなのにお前にこんなに気をつかわせちまって……はずかしいや」
 首に手をあて、颯兄は困ったように笑った。
「和真はおれよりもできるヤツだからってあまえすぎた。お前はまだ八歳なのにな」
 そう言って、颯兄はいつものようにぽんぽんと頭をなでてくれる。
 ぼくがもう一度謝ろうと口を開いたが、頭の上の声にさえぎられてしまった。
「そうよ、八歳のソーマなんて泣き虫のハナタレ小ぞうだったじゃない」
「は!? 今それいう必要あるか!?」
 いつもはじょうだんを言わないじいじゃんもわざとらしくあごに手をそえて考えるフリをしている。
「そうじゃのう。颯真が和真ぐらいのころと言えば……」
 じいちゃんもダッキに便乗して昔話を話しはじめた。
「修行をぬけだしてサッカーしに行ったのに、ひざをすりむいて泣いて帰ってきたり」
「修行をサボって好きだった女の子と遊んでたはずが、フラれて泣いて帰ってきたこともあったのう」
「あー! もうやめて! はずかしい!」
 からかわれている颯兄を見ていると、自然と笑いが出た。
 振り返った颯兄がぼくに向かってさけぶ。
「和真! 仲直りな!」
 ぼくがうなずくと、颯兄もにかっと笑った。
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