大沼と少年の奇妙な物語

RIKUTO

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一話完結

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私の名前は大沼健太、32歳。都内の小さなシステム会社で働く平凡なサラリーマンだ。スーツにネクタイ、毎日決まった時間に出勤し、決まった時間に帰宅する。誰もが私を「普通」と評するだろう。しかし、私には誰にも言えない秘密があった。私は、ある小学校の隣にある古びたアパートに引っ越してきてから、奇妙な趣味に目覚めていた。2階のベランダから見下ろせる小学校のプール。その水泳の授業を、超小型の高性能カメラでこっそり盗撮することだ。最新の技術を駆使したそのカメラは、遠くからでも鮮明な映像を捉え、絶対にバレることはない――はずだった。毎週火曜と木曜、4時間目のチャイムが鳴ると、私は時間休を使って仕事を早々に切り上げ、ベランダに陣取った。あの小学校のプールの授業はだいたい把握してある。カーテンの隙間からカメラを構え、子どもたちの無垢な姿をレンズ越しに覗き込む。背徳感とスリルが彼の心を満たした。「誰にもバレない。これが俺の小さな楽しみだ」と自分に言い聞かせながら。

ある晩、私はいつものように撮りためた映像をPCでチェックしていた。プールで泳ぐ子どもたち、笑い合う姿、水しぶき。いつも通りの映像のはずだったが、ある瞬間、彼の指がマウスを止めた。画面に映る一人の少年。10歳くらいだろうか、黒髪で少しやんちゃそうな顔立ち。他の子どもたちと変わらないように見えたが、明らかに異質だった。少年はプールの端で立ち止まり、じっと――大沼のカメラの方を向いていた。まるでレンズの存在を知っているかのように、にやりと笑みを浮かべていた。「まさか……いや、気のせいだ」
大沼は首を振って映像を閉じた。カメラは超小型で、200メートル離れた場所からでも鮮明に撮れる高性能なもの。ベランダのカーテンの隙間から覗くように設置してあり、気づかれるはずがない。それでも、少年の目線が脳裏に焼き付いて離れなかった。

数日後の夕方、仕事から帰宅した大沼がビールを飲みながらソファでくつろいでいると、突然インターホンが鳴った。
「誰だ? 宅配か?」
モニターを覗くと、そこには見覚えのある少年が立っていた。プールの映像で見た、あのカメラ目線の少年だ。
大沼の心臓が跳ねた。
「な、なんで……?」 少年はモニター越しにニヤリと笑い、こう言った。
「おにいさーん。遊ぼ。なにしてるのか、僕にはわかってるんだからね?」 その声は無邪気だが、どこか底知れぬ不気味さを帯びていた。大沼は居留守することを考えたが、意を決してドアを開けると、少年はすでにアパートの廊下に立っていた。ランドセルを背負い、制服のシャツが少し乱れている。 「はじめまして。おにいさん。僕、佐藤悠斗。よろしくね」
少年はそう言うと、勝手に部屋の中に入ってきた。大沼は動揺を隠せなかった。
「な、なんでここがわかったんだ? それに、こんなずかずかと人の部屋に入って来て、なんの用だよ?」
悠斗はソファに座り、テーブルの上にあったポテチを勝手につまみながら答えた。
「んー、だってさ、おにいさんがプールを覗いてるの、僕、気づいちゃったんだよね。カメラ、小さいけどキラッて光ってたよ。で、このアパートの2階のこの部屋からしかあの角度で撮れないってわかったの。頭いいでしょ?」 大沼の顔から血の気が引いた。バレていた。完全にバレていた。
「で、でも、警察とかには……言わないよな?」
悠斗は目を細め、ニヤリと笑った。
「別にさ、警察とかめんどくさいじゃん。でも、おにいさんが面白そうだから、遊ぼうよって思っただけ。ね、いいよね?」 こうして、大沼と悠斗の奇妙な関係が始まった。悠斗は週に何度か大沼の部屋にやって来ては、ゲームをしたり、駄菓子を食べたり、まるで友達のようだった。しかし、大沼は気づいていた。悠斗の目はいつもどこか冷たく、彼の秘密を握っていることを暗に匂わせてくる。

ある日、悠斗はいつものように大沼の部屋にやって来たが、様子が違った。ランドセルから小さなUSBメモリを取り出し、テーブルの上に置いた。
「これ、僕が作ったんだ。おにいさんのカメラの映像、全部コピーしてあるよ。クラウドにも上げておいた」 大沼は凍りついた。
「な、何!? なんでそんなことを……」
悠斗は無邪気な笑顔を崩さず、こう言った。
「だってさ、おにいさん、僕のこと信じてなかったでしょ? だから、ちょっと保険かけてみただけ。ね、僕のこと、ちゃんと友達だと思ってよ。じゃないと、このデータ、誰かに見せちゃうかもしれないよ?」 大沼は悟った。この少年はただの小学生ではない。自分を支配しようとしているのだ。だが、同時に奇妙な感情が芽生えていた。悠斗のずる賢さ、計算高さ、そしてどこか純粋な笑顔に、大沼は惹かれ始めていた。 
それから、大沼と悠斗の関係はさらに深まった。悠斗は大沼に「もっと面白いこと」を提案し始めた。学校の裏話、先生たちの秘密、他の生徒の弱み。悠斗はまるでスパイのように情報を集め、大沼に教えてくる。そして、大沼もまた、悠斗の好奇心に応えるように、自分の知識や技術を教え始めた。カメラの使い方、映像編集、さらにはネットの闇サイトへのアクセス方法まで。 二人はまるで共犯者のように、互いの秘密を共有しながら奇妙な絆を築いていった。しかし、大沼の心の奥底には常に恐怖があった。悠斗がいつUSBメモリを誰かに渡すのか、わからなかった。 ある夜、悠斗は言った。
「おにいさん、僕たち、ずっとこうやって遊べるよね? だって、僕たち、似てるもん。普通じゃないとこ、そっくりだよ」 大沼は言葉を失った。少年の言葉は、彼の心の闇を的確に突いていた。

大沼健太と佐藤悠斗の関係は、まるで綱渡りのように危うく、しかし奇妙に魅惑的なものへと進化していた。悠斗は毎週のように大沼の部屋を訪れ、ゲームや駄菓子を楽しみながら、徐々に彼の心の奥深くに踏み込んでいった。大沼は当初、悠斗の持つUSBメモリとクラウドにアップされたデータの脅威に怯えていたが、次第にその恐怖は別の感情に変わりつつあった。悠斗の計算高さ、子供らしさと狡猾さが混在する言動に、大沼は奇妙な共感を覚えていた。ある晩、悠斗はいつものように大沼の部屋に現れ、ランドセルから小さなノートを取り出した。表紙には「秘密リスト」と殴り書きされた文字。
「ねえ、おにいさん。これ見てよ。僕、学校でいろんなこと調べてきたんだ」
ノートには、教師の不倫疑惑や生徒のいじめの証拠、さらには校長が隠している裏口入学の噂まで、詳細に書かれていた。まるで探偵のような綿密さだ。 「こんなの、どうやって……?」
大沼が驚きの声を上げると、悠斗は得意げに笑った。
「簡単だよ。みんな、油断してるから。僕みたいな子供が聞いてても、誰も気にしないんだよね。でもさ、これ、面白いでしょ? おにいさんなら、これ使って何かできるんじゃない?」 大沼は一瞬、言葉に詰まった。悠斗の提案は、明らかに一線を越えたものだった。だが、同時に彼の心の奥底で、好奇心と背徳感が疼いた。
悠斗の提案を受け、大沼は彼の「秘密リスト」を元に、ある計画を立て始めた。学校の教師の一人、厳格で嫌われ者の山田先生が、実はオンラインで不適切なメッセージを生徒の保護者に送っていたという情報を悠斗がつかんでいた。大沼は、悠斗の指示のもと、匿名のアカウントを使い、その証拠を学校の掲示板や保護者向けのSNSグループにリークした。 数日後、学校は大騒ぎになった。山田先生は一時停職処分を受け、保護者たちの怒りの声がネット上で飛び交った。悠斗は大沼の部屋でそのニュースを見ながら、目を輝かせて笑った。
「やったじゃん、おにいさん! めっちゃ盛り上がってるよ! ほら、次は何やろう?」 大沼は笑顔の悠斗を見ながら、胸の奥に冷たいものを感じた。この少年は、ただの子供ではない。まるでゲームのマスターのように、大沼を操り、楽しんでいるのだ。だが、同時に、彼自身もこの「ゲーム」にハマりつつあった。悠斗の持つ情報と、大沼の技術力が合わさると、何でもできるような錯覚に陥った。
二人の「ゲーム」は、次第にエスカレートしていった。悠斗が持ち込む情報はさらに過激になり、大沼はそれを基に、ネット上の匿名アカウントを通じて学校や地域の秘密を暴露し続けた。いじめっ子の個人情報流出、地域の有力者の不正の証拠公開――二人の行動は、まるで正義の使者のように見えたが、その実、純粋な悪意とスリルに突き動かされていた。 ある日、悠斗は新しい「ターゲット」を持ち込んできた。地元の市議会議員、田中一郎。悠斗の情報によると、彼は裏で不正な取引に関与しているらしい。
「これ、でかいよ、おにいさん。田中のスマホのデータ、僕、ちょっとだけハックしちゃった。メールとか、すっごいヤバいのがいっぱい。どうする? バラしちゃう?」 大沼は一瞬、ためらった。学校の教師や生徒とは違い、市議会議員となると話のスケールが違う。バレれば、警察やもっと大きな組織が動き出す可能性がある。だが、悠斗の無邪気な笑顔と、どこか挑戦的な目に押され、彼はまたしてもその提案に乗ってしまった。 大沼は田中のメールデータを基に、匿名で地元メディアに情報を流した。数日後、ニュースは田中のスキャンダルを大々的に報じ、彼は辞職に追い込まれた。悠斗は大喜びだったが、大沼の心には新たな不安が芽生えていた。

二人のゲームが過激になるにつれ、大沼は異変に気づき始めた。悠斗が持ってくる情報の出所が、あまりにも正確すぎるのだ。10歳の少年が、なぜ市議会議員のスマホをハックできる? なぜ、こんなにも多くの秘密を知っている? 大沼は、悠斗の背後に何か――もしくは誰か――がいるのではないかと疑い始めた。 ある夜、大沼は勇気を振り絞って悠斗に問いただした。
「お前、ほんとは誰なんだ? この情報、全部お前が一人で集めてるわけじゃないだろ?」 悠斗は一瞬、目を細めたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「んー、おにいさん、疑いすぎだよ。僕、ただの小学生だよ? でも、頭いいから、いろんなこと知っちゃうだけ。ね、もっと面白いことやろうよ。次はさ――」 だが、大沼は話を遮った。
「いい加減にしろ、悠斗。USBのデータ、クラウドに上げたって言ったよな? どこにあるんだ? 見せろよ」 悠斗の笑顔が、初めて消えた。
「おにいさん、僕のこと信じないんだ? それ、ちょっと悲しいな」
その声は無邪気さを装いつつ、どこか冷たく響いた。
その夜、悠斗が帰った後、大沼は自分のPCを徹底的に調べた。悠斗が触った可能性のあるファイル、USBポート、ネットワークのログ。すると、衝撃の事実が発覚した。悠斗が大沼のPCにアクセスし、彼のカメラの映像だけでなく、個人情報や銀行口座のデータまでコピーしていたのだ。さらに、クラウドにアップされたデータは、悠斗が言っていたような単純なバックアップではなく、ダークウェブ上のサーバーに転送されていた。 大沼は背筋が凍った。悠斗はただの小学生ではなかった。彼は、誰かに操られているか、あるいは自ら闇の世界に足を踏み入れている存在だった。 翌日、悠斗が再び部屋を訪れたとき、大沼は決意していた。
「悠斗、もうこのゲームは終わりだ。お前が何者か知らないが、俺を巻き込むのはやめろ」 悠斗はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「おにいさん、終わりなんてないよ。だって、僕たちの秘密、全部ネットの奥深くにバラまかれちゃってるもん。抜け出そうとしたら、おにいさんの人生、終わるよ?」 大沼は言葉を失った。悠斗の目は、まるで闇そのもののように冷たく光っていた。
大沼は選択を迫られていた。悠斗とこの危険なゲームを続け、さらなる深淵に落ちていくか。それとも、すべてを捨てて逃げるか。しかし、悠斗の背後にいるかもしれない「何か」が、大沼を逃がさないだろう。 その夜、悠斗は新たな「提案」を持ち込んできた。
「次はさ、もっとでかいやつやろうよ。にいさんの会社の上司、なんか怪しい取引してるっぽいんだよね。調べたら、すっごい面白いことになりそう!」  大沼は、震える手でビール缶を握りしめた。この少年との関係は、終わることなく、ますます危険な方向へと突き進んでいく。だが、彼はもう後戻りできないことを、心のどこかで理解していた。  

大沼健太は、佐藤悠斗の冷たい目と底知れぬ笑顔に追い詰められていた。悠斗が持ち込む情報の精度、彼の異常なまでの洞察力、そして大沼のPCからダークウェブへのデータ転送――すべてが、10歳の少年の行動とは思えないほど緻密だった。疑念が確信に変わった夜、大沼はとうとう悠斗を問い詰めた。「お前、ほんとにただの小学生じゃないだろ? 誰なんだ? 誰に操られてる?」
部屋に響く大沼の声は、恐怖と怒りに震えていた。悠斗はソファに座り、いつも通りポテチを口に放り込みながら、ニヤリと笑った。  「おにいさん、ほんと鋭いね。でもさ、僕、別に操られてないよ。自分でやってるだけ。まあ、ちょっとだけ……特別な訓練受けてるってのは、あるけどね」  その言葉に、大沼の心臓が跳ねた。悠斗はランドセルから小さなバッジを取り出し、テーブルの上に放った。金属製のバッジには、見たことのない紋章が刻まれている。  「これ、知ってる? まあ、知らないよね。だって、僕たちが表に出ること、ほとんどないもん。陸上自衛隊の別班って聞いたことある?」  大沼は凍りついた。別班――陸上自衛隊の非公式な秘密組織。噂では、諜報活動や極秘任務を遂行するエリート集団だとされていたが、公式には存在しないとされる影の部隊だ。そんな組織が、なぜ10歳の少年と関わっているのか?  「嘘だろ……お前、子供なのに?」
悠斗は笑いをこらえるように肩を震わせた。
「子供だからいいんだよ。おにいさんみたいな人、子供には油断するでしょ? だから、僕みたいなのが選ばれるの。スパイキッズってやつ。訓練はキツかったけど、こういうの、超楽しいからさ」  
悠斗の告白は、大沼の頭を混乱の渦に叩き込んだ。彼は語った。別班の極秘プロジェクトの一環として、若くして特殊訓練を受けた「スパイキッズ」が、諜報活動の予行演習を行っていること。大沼との関係は、悠斗にとっての実戦訓練だった。隠しカメラを見抜いたのは、彼が光学機器や監視技術の専門訓練を受けていたからだ。  「おにいさん、僕の最初のターゲットだったんだよ。変態っぽい趣味持ってるサラリーマン、最高の練習相手じゃん? バレないように近づいて、弱みを握って、操る。これ、全部テストだったの。で、おにいさん、めっちゃいい反応してくれるから、つい楽しくなっちゃって」  大沼は言葉を失った。自分が、少年の「訓練」の道具だったという事実に、怒りと屈辱が沸き上がった。だが、同時に、悠斗の冷徹な計画性に奇妙な魅力を感じていた。  「じゃあ、USBとかクラウドのデータは……?」
悠斗は首を振って答えた。
「あれ、全部本物だよ。でも、別班のサーバーに直結してるから、僕が『公開』ってボタン押さない限り、誰も見られない。おにいさんがいい子にしてれば、問題ないってこと」  悠斗の言葉には、子供らしからぬ威圧感があった。大沼は気づいていた。この少年は、自分を完全に支配下に置いている。そして、別班という組織の存在が本当なら、逃げ出すことは不可能に近い。  
悠斗は、いつものように無邪気な笑顔を浮かべながら、次の「ミッション」を提示してきた。
「おにいさん、そろそろ本番いこうよ。僕の訓練も、いつまでもお遊びじゃダメだからさ。次は、でっかいターゲット。別班が目つけてる、ある企業の社長。こいつの裏のビジネス、めっちゃヤバいんだよね。おにいさんのハッキング技術、使わせてよ」  大沼は耳を疑った。市議会議員のスキャンダル暴露でも十分危険だったのに、今度は企業トップを標的に? しかも、別班が関与するとなれば、失敗は命取りだ。  「そんなの、無理だ! 俺はただのサラリーマンだぞ! なんでこんなことに――」
悠斗は大沼の言葉を遮り、静かに言った。
「おにいさん、選択肢ないよ。だって、僕たちのデータ、全部別班が握ってる。逆らったら、おにいさんの人生、ネットの闇にバラ撒かれて終わり。で、協力したらさ、別班の後ろ盾ついて、めっちゃ面白いことになるよ。どっちがいい?」  大沼は頭を抱えた。悠斗の背後にいる別班という組織の存在が、彼をさらに追い詰めた。だが、同時に、彼の心の奥底では、危険なゲームへの興奮が再びうずき始めていた。  第17章:共犯の深淵大沼は渋々、悠斗の提案に乗ることにした。ターゲットは、都内で急成長中のIT企業「ネクストビジョン」の社長、佐々木隆一。悠斗によると、佐々木は表向きはクリーンな実業家だが、裏では違法なデータ取引やマネーロンダリングに関与しているという。別班は彼の活動を暴き、企業を潰すことで、ある国際的な諜報網に打撃を与えようとしているらしい。  大沼は、悠斗から提供された情報と自分のハッキング技術を駆使し、佐々木のプライベートサーバーに侵入を試みた。悠斗は隣で、まるでゲームを楽しむ子供のようにはしゃぎながら、指示を出してきた。
「ほら、おにいさん、そこ! ファイアウォールの隙間、ちゃんと見つけて! 僕、こういうの教えてもらったけど、実際やるの初めてだから、ワクワクするね!」  数日後、大沼は佐々木のサーバーから膨大なデータを引き出すことに成功した。違法取引の証拠、海外のダミー会社とのやり取り、さらには政府高官との癒着を示すメール。すべてが、悠斗の言う通り「ヤバい」ものだった。  データを別班の指定したサーバーに転送した瞬間、悠斗は拍手して喜んだ。
「やった! おにいさん、最高! これで僕の訓練、めっちゃ高評価もらえるよ!」  だが、大沼は喜べなかった。このデータが公開されれば、佐々木だけでなく、関係する多くの人間が破滅する。そして、自分もその共犯として、別班の掌の上で踊り続けることになる。 
ある夜、作業を終えた大沼は、悠斗に切り出した。
「悠斗、これで終わりだろ? 俺、もう関わりたくない。データも渡したし、別班に言って、俺を自由にしてくれ」  悠斗は一瞬、黙った。だが、やがてゆっくりと首を振った。
「おにいさん、わかってるでしょ? 別班の仕事、終わりなんてないよ。一回関わっちゃったら、ずっと仲間。だって、おにいさんの秘密、僕たちの手元にあるんだから。ほら、もっと楽しいことやろうよ。次は、海外のターゲットだって!」  大沼は絶望した。悠斗の笑顔は、まるで悪魔の仮面のようだった。彼は気づいていた。悠斗は、別班の訓練を受けたスパイキッズとして、完璧に彼を操っている。そして、別班という組織は、大沼を単なる駒として使い続けるつもりなのだ。  

大沼と悠斗の危険な関係は、終わることなく続いていく。悠斗の次のミッションは、海外の犯罪組織との繋がりを持つターゲットだ。別班の目的は、国際的な陰謀を暴くこと。だが、大沼は知っていた。このゲームに勝者はいない。自分は、悠斗と別班の闇に飲み込まれ、永遠に抜け出せない。  それでも、彼はPCの前に座り、コードを打ち込み始めた。悠斗の無邪気な笑い声が、部屋に響く。
「ほら、おにいさん、早く! 僕たちの冒険、もっともっと面白くなるよ!」  
こう書かれていた。 


こうして大沼健太は、佐藤悠斗に操られ、危険なゲームの深淵に足を踏み入れていた。都内の小さなシステム会社で働く平凡なサラリーマンだった彼は、小学校のプールを盗撮する背徳的な趣味がきっかけで、10歳の少年・悠斗と出会い、陸上自衛隊の秘密組織「別班」の任務に巻き込まれた。悠斗は別班の「スパイキッズ」――子供の無垢さを利用して諜報活動を行う訓練生だった。大沼の盗撮を水(見ず)に流し、逆に彼のハッキング技術を利用して、別班のミッションを遂行させる。それが悠斗の「実戦訓練」だった。  最新のミッションは、これまでで最も危険なものだった。標的は、国際テロ組織「シャドウ・シンジケート」に繋がる日本の貿易会社CEO、藤井康夫。別班の情報によれば、藤井はシンジケートの資金洗浄を担い、日本でのテロ計画の足がかりを築いている。成功すれば日本の安全が守られるが、失敗は死を意味する。
「おにいさん、これ、めっちゃでかいよ。ヒーローになれるチャンス!」
悠斗の無邪気な笑顔と冷たい目は、いつも通り大沼の心を締め付けた。彼は震える手でキーボードを叩き、藤井のサーバーに侵入した。暗号化されたデータベース、幾重ものファイアウォール。連日、寝る間も惜しんでコードを打ち続けた。悠斗は隣で、まるでゲームを楽しむ子供のようにはしゃぎながら指示を出した。
「おにいさん、そこ! セキュリティの穴、見逃さないで! 僕、こういうの習ったけど、実際やるの超楽しい!」  数週間の死闘の末、大沼は藤井のサーバーから決定的なデータを引き出した。シンジケートへの送金記録、テロ計画の青写真、政府関係者との裏取引の証拠。すべてを別班の指定サーバーに転送した瞬間、悠斗は目を輝かせて拍手した。
「やった! おにいさん、最高! これでシンジケートの日本支部、終わりだよ! 別班のボス、絶対喜ぶ!」
大沼は画面を見つめたまま、言葉を発せなかった。胸に広がるのは達成感ではなく、底知れぬ恐怖だった。自分はヒーローではない。ただ、悠斗と別班に操られる駒にすぎない。  数日後、悠斗は突然現れなくなった。いつものようにアパートにやって来るはずの火曜や木曜の夕方、メールもメッセージも、インターホンの音すらなかった。奇妙な静寂が部屋を包んだ。大沼の心には、不安と安堵が入り混じった。悠斗の笑顔、冷たい目、「僕たち、似てるもん」という言葉が脳裏をよぎる。あの少年との奇妙な絆が消えた今、部屋はあまりにも静かだった。  ある夜、インターホンが鳴った。モニターには、スーツを着た40代の男。鋭い目つきに無表情な顔。大沼がドアを開けると、男は名乗らず部屋に入ってきた。
「大沼健太さん。別班の者です。佐藤悠斗の件で話があります」
男の声は低く、抑揚がなかった。大沼は息を呑んだ。男はソファに座り、淡々と語り始めた。
「佐藤悠斗は転校した――それが表向きの話です。彼は我々の元に帰還し、次のミッションに備えています。あなたが提供したデータで、シャドウ・シンジケートの日本支部は壊滅しました。日本の安全は守られた。感謝します」
大沼は言葉を失った。悠斗の消失が、別班の計画の一部だったことを知り、背筋が冷えた。男は続ける。
「あなたの個人情報、カメラの映像、クラウドにアップされたデータ――すべて削除しました。あなたは自由です。ただし、一つだけ」
男の目が、まるで闇そのもののように大沼を貫いた。
「この一連の出来事を誰かに話せば、あなたの命はありません。別班は、どこにいてもあなたを見つけます。理解しましたか?」
大沼はこくりと頷いた。男は無言で立ち上がり、部屋を出ていった。ドアが閉まる音が、静寂の中で異様に大きく響いた。  大沼健太は、いつものようにスーツにネクタイを締め、都内の小さなシステム会社に出勤した。誰もが彼を「普通」と評するだろう。だが、彼の心の奥底には、決して消えない闇が刻まれていた。悠斗との出会い、別班の存在、シンジケートとの戦い。すべてが遠い夢のようで、しかしあまりにも鮮明だった。あの少年の無邪気な笑顔と冷たい目が、頭から離れない。  大沼は決意した。この秘密を、墓場まで持っていくことを。誰にも話さず、ただ平凡なサラリーマンとして生き続けることを。だが、夜、ベランダから小学校のプールを見下ろすたび、心のざわめきが止まなかった。あのカメラのレンズ越しに見た世界が、彼を永遠に変えたのだ。
どこかで――大沼には知り得ない場所で――悠斗は新たな「ミッション」に挑んでいるのだろう。無邪気な笑顔と、闇のような目で、誰かを操りながら。  大沼はPCの電源を切り、ビールを手にソファに沈んだ。部屋は静かだった。だが、その静寂は、まるで別班の視線がまだ彼を見ているかのように、重く、冷たく響いていた。  (完)


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