夜のプールの霊

RIKUTO

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山間の静かな町にある古い屋外プールの周囲を、警備員の田中は巡回していた。月明かりも届かぬ暗闇の中、プールの水面だけがなぜか青白い照明で淡く輝いている。普段なら全くの静寂が支配するこの場所で、田中は懐中電灯の灯りだけを頼りに歩いていた。突然、視界の端で何かが動いた。振り返るとそこには、飛び込み台の上に不気味で、明らかにこの世の者ではない少女が立っていた。黒髪が濡れて顔に張り付き、紺色の学校の指定水着を着たその姿は、まるで水から這い上がったかのようだった。だが、彼女の足元には影がなく、肌は不自然に光を反射していた。田中の心臓が跳ね、息が詰まる。「お、お前…何だ?」田中が震える声で尋ねると、少女はゆっくりと顔を上げた。目は虚ろで、白く濁った瞳が彼を捉えた。「助けて…」かすれた声が風に混じり、プールの水面が小さな波を立て始めた。田中は後ずさりしながら懐中電灯を向けたが、光は少女を貫くように通り抜けた。記憶が蘇った。このプールでは、十数年前に少年少女水泳チームに所属する当時六年生の少女が放課後の練習中に溺れて亡くなったという事故があった。誰もが忘れかけた事件だったが、今、彼女の霊がここにいる。「俺に何をしろって言うんだ?」田中が叫ぶと、少女は指を水面に向けた。波が激しくなり、プールの底から何かが浮かび上がった。古びた水着の欠片と、錆びたメダルだった。彼女の遺品だ。その瞬間、田中の足元が冷たくなった。見下ろすと、水が彼の靴を濡らし始めていた。パニックに駆られ、逃げようとしたその時、少女の声が背後で響いた。「忘れないで…」翌朝、田中はプールサイドで気絶しているのが見つかった。隣には水着の欠片とメダルが置かれていた。田中は担当から外れた。そして、時折、青い光が水面を照らす夜があるという。

一ヶ月後、田中は再びあの学校のプールの警備を担当することになった。あの夜の出来事以来、精神的な動揺から数週間休職していた。気絶して翌朝に見つかった水着の欠片とメダルは、警察に引き渡されたが、調査は「古い遺失物」と結論づけられ、事件性なしとされた。だが、田中の心には拭い去れない恐怖が残っていた。巡回を始めると、冷たい風がプールの水面を揺らし、青白い光が再び不気味に輝き始めた。田中は懐中電灯を握りつぶすほど強く持ち、緊張で息が荒かった。「もう二度とあんな目に遭うものか…」と自分を励ますが、足取りは重い。1時23分、飛び込み台の上で再び少女の姿が見えた。濡れた黒髪、虚ろな白い瞳、青い水着。彼女は田中をじっと見つめ、静かに口を開いた。「ありがとう…でも、まだ終わらない。」その声は水音と混じり、耳に張り付いた。突然、プールの水が渦を巻き始め、底から黒い影が浮かび上がった。田中は後ずさりしたが、足が水に絡まるように動かない。影が近づくと、それは別の人物の姿だった—少女と同じ水着を着た、もう一人の少女の霊。彼女の口からは泡と血が流れ、助けを求めるような手が田中に向けられた。「あの時…私もいた…」二番目の霊が直接彼の頭の中に話しかけてきた。そうか。あの溺死事件、実は一人ではなく二人だったという噂を思い出したのだ。隠蔽された真実が、ここで明らかになる瞬間だった。「何をすればいい?」田中が叫ぶと、少女たちが同時に機械室を指差し、すっーと消えていった。機械室の一角には部屋があり、そこはかつてクラブが行われていた時は生徒の休憩室があった。いまはもうつかわれておらず空き部屋だ。そこに何かがある。そう確信した。田中馬場警備員と言う立場上、鍵を持っている。機械室の隣のドアを開けた。ツーンとカビの臭いが立ちこめる。そこには古いロッカーがぽつんとあり、中には古い日記があった。そこには「私たちは助けを呼んだのに…」と書かれた最後のページがあった。田中は震えながら日記を手に、霊たちに約束した。「お前たちの声を届けよう。」後日、田中は日記を警察に提出し、事件の再調査を求めた。数日後、プールは封鎖され、真相が掘り起こされ始めた。霊たちの姿は二度と現れなかったが、田中は巡回の折、夜風に混じるかすかな「ありがとう」を耳にすることがあるという。

その数日後、田中は再び学校のプール脇に立ち、冷たい風が水面を揺らす中、心を落ち着けようと深呼吸した。あの夜の日記を警察に提出して以来、再捜査が始まり、学校や当時のコーチが関与した隠ぺい工作が徐々に明るみに出てきていた。少女たちの霊が現れたのは、正義を求める叫びだったのだ。巡回を続けると、飛び込み台に再び二人の少女が立っていた。一人は黒髪の少女、もう一人は少し背の高いもう一人の霊。二人とも白い瞳で田中を見つめ、静かに微笑んだ。「ありがとう…これで安らげる。」黒髪の少女がつぶやき、隣の霊もうなずいた。プールの水面が穏やかに光り、二人の姿が徐々に薄れていく。田中は懐中電灯を握りながらも、恐怖よりも安どを感じていた。数日後、警察の調査は最終段階に達し、当時のコーチが危険な練習条件を強いたこと、そして学校が事故を隠すために記録を改ざんしていた事実が確定した。二人の少女の死は単なる事故ではなく、怠慢と無責任による人災だった。遺族に謝罪がなされ、コーチは逮捕された。その後、会社の人事異動でこの学校の担当を外れることになった田中は最後の巡回を終えた。一旦プールに行き、プールサイドの隅に花束をくくり付けた。風が花を揺らし、かすかな声が耳に届いた。「ありがとう…これで眠りにつける。おやすみ。」そんな声が聞こえたような気がした。振り返ると、水面には何も映っていなかった。田中は静かに立ち去り、少女たちの魂がようやく解放され、永遠の安らかな眠りについたことを確信した。それ以来、プールの周囲は静寂に包まれ、青白い光も消えた。田中の担当の後の警備員は全くそんな現象はおろか気配すらも感じないという。一人の巡回警備員が体験したその事件は今もなお、警備会社の中で語り継がれている。




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