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ゲーム開始前 5 婚約騒動
82 悪役令嬢は出奔する
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エミリーが窓の外を見て何か言った後、慌てて部屋を出ていく音を聞き、アリッサは薄く目を開けた。レイモンドを想って悲劇のヒロインぶって泣いていたが、どうやら泣き疲れて寝たようだ。
「私も結構図太いわね」
鏡台に座り、ぐしゃぐしゃの髪を適当にブラシで梳かす。薄緑色のリボンを手に取り、頭頂部に結んだ髪の一房につける。ドレスは普段着だが見苦しくはない。アリッサは自分のベッドからシーツを剥がし、数冊の本と熊のぬいぐるみを中央に置くと、古典的な泥棒のように包んで担ぎ上げた。
「……よいしょっと」
自然に掛け声が出る。身体は十三歳、心は三十路である。
使用人に見咎められないうちにここを出よう。
アリッサは廊下の様子を窺うと、左右を何度も見て警戒し、そっと足を踏み出した。
◆◆◆
物陰から様子を窺うと、使用人達はジュリアがどうのと言っている。また姉が騒動を巻き起こしているらしい。今の内に家を出るしかない。
父とヴィルソード侯爵は、自分とアレックスの婚約を決めたらしい。普段から頻繁に行き来している両家は、共に侯爵家でもあり、理想の縁組に違いない。
――私にとっては、最悪よ。
アレックスは姉ジュリアの親友だ。決して悪い人ではないけれど、エミリーが文学の話をしても歴史の話をしてもつまらなそうだし、いちいち「それって何?」と繰り返されるのは疲れる。騎士なんかになったら練習にかまけて読書なんてしなさそうだ。侯爵家の廊下にかけてあった著名な画家の絵を落としてしまい、ジュリアと二人でかけ直したが、正しい向きとは九十度違っていた。
――ダメだ、少しも解り合える気がしない。
家出しかない。エミリーは胸元にあるシーツの結び目を強く握った。
かくなる上は家出をするしかない。家を出て、レイモンドのいるオードファン公爵家に転がり込むつもりだ。極度の方向音痴だが、道を尋ねていけば何とかなるのではないか。
「押しかけ女房?……ううん。一時的に匿っていただくのよ」
どう歩いたか分からないが、庭の塀の崩れたところをまたいで邸を出ると、広い通りに出た。石畳の道を馬車が対面通行し、歩道を人々が行き交う。
恰幅の良い、人が好さそうなご婦人を掴まえて、アリッサは道を尋ねた。
「あの、オードファン公爵家へはどちらへ行けばよいのでしょうか」
ご婦人は大荷物を背負った育ちのよさそうな少女にぎょっとしたが、一度上から下まで眺めると、腰をかがめてアリッサに向き合い、にこにこしながら話し出した。
「宰相様のお家に行くの?それなら、私の知り合いが付き合いがあるんだよ。今呼んで来るからここで待っていられる?」
「はい!」
いい人に会えてよかったとアリッサは思った。
ご婦人に言われた通り、アリッサは道端で大荷物を抱えたまま、知り合いの人を連れて彼女が戻ってくるのを待った。どこまで行ったのだろうか、徒歩だから時間がかかっているのだろう。辺りは少し薄暗くなってきた。前世でも、薄暮時は車から見えにくいから、轢かれないように気をつけろと言われていた。道路端から離れた方がいいのかもしれない。
間もなく、先ほどのご婦人が馬車に乗って戻ってきた。侯爵家の輝くような馬車とは違い、みすぼらしい車体は乗合馬車にも見える。馬車が古くても文句は言わない。ただで送ってくれると言うのだ。好意には素直に甘えよう。
アリッサが乗り込もうとすると、背負った大きな荷物が引っかかり、馬車のドアから入らなかった。
「あれ?」
本は五冊しか持っていないから、引っかかるのは多分、お気に入りの熊のぬいぐるみだ。荷を解けば馬車に乗れそうではある。
「少し、待ってください。荷物が……」
「早くしてほしいんだけどね」
優しそうに見えたご婦人は、強い力でアリッサの腕を引っ張る。体勢が崩れて荷物が肩から外れ、音を立てて本が路肩に落ちた。
「ああっ、本が」
「そんなもの、売ってもいくらにもならないだろう。諦めな」
何もかもを値踏みする視線を感じ、アリッサは振り返ってご婦人を見た。
外からドアが閉められ、御者が馬に鞭を打つ音がした。
「こんなきれいな子、うちにはもったいないくらいだね。いい拾い物をしたよ」
アリッサがドアを開けて外に出ようとするも、鍵が外側からかかっている。
「公爵様のお屋敷に行くのではないのですか?」
「ふん。そんなところよりずっといいところさ。なあに、この器量ならすぐに金持ちのパトロンがついて、王女様みたいな生活ができるよ」
金持ち……パトロン???
自分は娼館にでも売られるのだろうか。そこでレイモンドにも家族にも二度と会えないまま、衛生状態の悪いところで病魔に蝕まれて死ぬのか。嫌だ。
「馬車を、止めてください!」
「止めるわけないだろう」
「止めてください。でないと、私……」
アリッサはドレスの裾を捲り上げ、腿に回したベルトに挿してある小剣を手に取った。あるいは小刀と言ってもいい。鞘と柄の部分に繊細な装飾を施した高価な一品だ。
「ああ?そんな細い剣で脅そうっていうのかい」
ご婦人改め女悪党は楽しそうに笑った。完全に馬鹿にしている。
「あなたを刺そうとは思っていません。だから……」
「私を解放してください。さもなくば、死にます」
アリッサは女を見据えたまま、自分の喉元に剣を向けた。
「私も結構図太いわね」
鏡台に座り、ぐしゃぐしゃの髪を適当にブラシで梳かす。薄緑色のリボンを手に取り、頭頂部に結んだ髪の一房につける。ドレスは普段着だが見苦しくはない。アリッサは自分のベッドからシーツを剥がし、数冊の本と熊のぬいぐるみを中央に置くと、古典的な泥棒のように包んで担ぎ上げた。
「……よいしょっと」
自然に掛け声が出る。身体は十三歳、心は三十路である。
使用人に見咎められないうちにここを出よう。
アリッサは廊下の様子を窺うと、左右を何度も見て警戒し、そっと足を踏み出した。
◆◆◆
物陰から様子を窺うと、使用人達はジュリアがどうのと言っている。また姉が騒動を巻き起こしているらしい。今の内に家を出るしかない。
父とヴィルソード侯爵は、自分とアレックスの婚約を決めたらしい。普段から頻繁に行き来している両家は、共に侯爵家でもあり、理想の縁組に違いない。
――私にとっては、最悪よ。
アレックスは姉ジュリアの親友だ。決して悪い人ではないけれど、エミリーが文学の話をしても歴史の話をしてもつまらなそうだし、いちいち「それって何?」と繰り返されるのは疲れる。騎士なんかになったら練習にかまけて読書なんてしなさそうだ。侯爵家の廊下にかけてあった著名な画家の絵を落としてしまい、ジュリアと二人でかけ直したが、正しい向きとは九十度違っていた。
――ダメだ、少しも解り合える気がしない。
家出しかない。エミリーは胸元にあるシーツの結び目を強く握った。
かくなる上は家出をするしかない。家を出て、レイモンドのいるオードファン公爵家に転がり込むつもりだ。極度の方向音痴だが、道を尋ねていけば何とかなるのではないか。
「押しかけ女房?……ううん。一時的に匿っていただくのよ」
どう歩いたか分からないが、庭の塀の崩れたところをまたいで邸を出ると、広い通りに出た。石畳の道を馬車が対面通行し、歩道を人々が行き交う。
恰幅の良い、人が好さそうなご婦人を掴まえて、アリッサは道を尋ねた。
「あの、オードファン公爵家へはどちらへ行けばよいのでしょうか」
ご婦人は大荷物を背負った育ちのよさそうな少女にぎょっとしたが、一度上から下まで眺めると、腰をかがめてアリッサに向き合い、にこにこしながら話し出した。
「宰相様のお家に行くの?それなら、私の知り合いが付き合いがあるんだよ。今呼んで来るからここで待っていられる?」
「はい!」
いい人に会えてよかったとアリッサは思った。
ご婦人に言われた通り、アリッサは道端で大荷物を抱えたまま、知り合いの人を連れて彼女が戻ってくるのを待った。どこまで行ったのだろうか、徒歩だから時間がかかっているのだろう。辺りは少し薄暗くなってきた。前世でも、薄暮時は車から見えにくいから、轢かれないように気をつけろと言われていた。道路端から離れた方がいいのかもしれない。
間もなく、先ほどのご婦人が馬車に乗って戻ってきた。侯爵家の輝くような馬車とは違い、みすぼらしい車体は乗合馬車にも見える。馬車が古くても文句は言わない。ただで送ってくれると言うのだ。好意には素直に甘えよう。
アリッサが乗り込もうとすると、背負った大きな荷物が引っかかり、馬車のドアから入らなかった。
「あれ?」
本は五冊しか持っていないから、引っかかるのは多分、お気に入りの熊のぬいぐるみだ。荷を解けば馬車に乗れそうではある。
「少し、待ってください。荷物が……」
「早くしてほしいんだけどね」
優しそうに見えたご婦人は、強い力でアリッサの腕を引っ張る。体勢が崩れて荷物が肩から外れ、音を立てて本が路肩に落ちた。
「ああっ、本が」
「そんなもの、売ってもいくらにもならないだろう。諦めな」
何もかもを値踏みする視線を感じ、アリッサは振り返ってご婦人を見た。
外からドアが閉められ、御者が馬に鞭を打つ音がした。
「こんなきれいな子、うちにはもったいないくらいだね。いい拾い物をしたよ」
アリッサがドアを開けて外に出ようとするも、鍵が外側からかかっている。
「公爵様のお屋敷に行くのではないのですか?」
「ふん。そんなところよりずっといいところさ。なあに、この器量ならすぐに金持ちのパトロンがついて、王女様みたいな生活ができるよ」
金持ち……パトロン???
自分は娼館にでも売られるのだろうか。そこでレイモンドにも家族にも二度と会えないまま、衛生状態の悪いところで病魔に蝕まれて死ぬのか。嫌だ。
「馬車を、止めてください!」
「止めるわけないだろう」
「止めてください。でないと、私……」
アリッサはドレスの裾を捲り上げ、腿に回したベルトに挿してある小剣を手に取った。あるいは小刀と言ってもいい。鞘と柄の部分に繊細な装飾を施した高価な一品だ。
「ああ?そんな細い剣で脅そうっていうのかい」
ご婦人改め女悪党は楽しそうに笑った。完全に馬鹿にしている。
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