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私立造形技術専門学校のふざけた日常
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【道具工芸士】:魔法物質及び魔法化合物を適切に管理・所持するための器、または容器を製作する人。また、その資格を有する者。
「なー、俺のオリハルコン知らねー?」
雑然とした机に顔を埋めていた相沢が顔を上げた。
造形技術専門学校の工芸科実習室では、今日も生徒達が実習課題の製作に取り組んでいる。現在作成中の製作物は、来月の研究発表会で展示する魔法鉱石用保存箱だ。魔力を持つ鉱石の劣化を防ぐために内側に薄く伸ばしたオリハルコンを貼り付けるのだが、クラス全員に配られたはずの直径五ミリの数粒が見当たらない。
「その辺埋まってるんじゃねーの」
隣から声を掛けたのは江崎だ。茶髪の長い前髪の隙間から細く気怠げな目が不機嫌そうに相沢を見ているが、これは相沢の立てる音が不快で睨んでいる訳ではなく、心底呆れているからだ。その証拠だと言わんばかりに江崎は鼻から息を吐いた。
「そんな汚い机でよく作業できるよな。ちゃんと片付けなさいよ」
「うるせー、お前は俺の母ちゃんか。これは散らかってるんじゃなくて俺が分かるように配置されてんだよ」
「んじゃオリハルコンどこよ」
「端っこに置いたはずなんだよなー」
そう言って、相沢の言う規律などとうに崩壊したであろう机上を尚も漁っていると、やがて授業終了のチャイムが鳴った。実習室の隣に併設された技術室から何人かの生徒がぞろぞろと出て来る。そのうちの一際身長がヒョロ高い生徒が襟口をパタパタと扇ぎながら近付いてきた。堀口だ。汗で額に張り付いた金に近い髪を片手で掻き上げている。
「技術室ヤベーよ。めちゃくちゃ暑い」
「この時期地獄だよな。溶接どうだった?」
笑って聞いてきた江崎に、堀口は小さく肩を竦めた。
「いつも通りグニャグニャだよ。聞くな。相沢は何してんの?」
堀口の問いに答えもせずに引き出しの中をひっくり返し始めた相沢に、今度は江崎が呆れたように肩を竦めた。
「こいつオリハルコン無くしてんだよ」
「うわ、マジで。あれっていくらぐらいだっけ」
「一粒二千メリー」
オリハルコンは本来ならば学生が授業で扱うことなど出来ない高級品だ。しかし、なぜ使用できることになったかと言うと、校長の知り合いである鉱石商の善意からであった。
高級品であるオリハルコンは魔法道具を製作する際に使用する頻度は極めて多い。しかし値が張るため、学校側も用意することが難しい。なので現場に出てから始めて扱うということになるのだが、これがなかなかクセの強い材質なので道具工芸士となった後の第一の壁として立ちはだかり、挫折する者も多くいた。近年、工芸士を含めた魔具技術士界隈は人手不足に悩まされている。それを少しでも改善できればと、人の善い鉱石商は売り物にならないカケラを集めて安値で校内の購買へと卸してくれているのだ。
「あぁ~!無い~!」
ガバッと身体を起こした相沢が掻き毟るようにして頭を抱えた。
気の良い商人が安く卸しているとは言え、オリハルコンは高級品だ。銀などが一袋千メリーなのに対してオリハルコンは一粒二千メリー。万年金欠の学生がそう易々と買える値段ではない。
「どうしよ~今月金無いのに……」
「そんなことより早く戻ろうぜ。次、金先の授業だべ」
興味無さげに二人は愚痴を零しながらやれやれと出口へと向かった。対して、相沢は頭を抱えたまま動かない。江崎はしょうがないとでも言うように、少し困ったような顔を向けた。
「あとで一緒に探してやるから。早く行こうぜ」
「……俺、サボる」
え、と見た相沢の顔は深刻だった。ともすればいつも笑ってるように見える口元は悲惨にも曲げられ、彼ののっぴきならない心情を物語っている。絞り出された声は悲哀に満ちていた。
「サボって、オリハルコン探す」
「お前、本気か?」
ゴクリ、と息を飲んだのは堀口だ。その隣で、江崎も信じられないと両手で口元を覆った。
次の授業である鉱石学を担当する金盛は、この学校の名物教師で別名を『鬼の金盛』という。鉱石の知識の豊富さもさることながら、鉱石採掘に命を賭け、その情熱故の常識外れな行動の数々は、今まで罰として鉱石採取に付き合わされてきた幾多の生徒を恐怖のドン底に突き落としてきた。
「やめとけ、死ぬぞ」
「………」
「俺も江崎も打撲で済んだけど、先輩には骨折したやつも……」
「わかってるよ!」
バンッと叩きつけた机から、いくつかの道具が転がった。シン、と実習室内に静寂が広がる。江崎が、そっとそれを拾った。
「俺だって恐えよ……でも……」
叩きつけた掌を相沢は強く握りしめた。
実家住まいの江崎や堀口とは違い、地方で育った相沢は進学のために帝都に出てきていた。なので現在は部屋を借りて一人暮らしをしているが、学費や家賃以外の生活費は自分で出さねばならないので基本的に金が無い。節約の為にと、毎日の昼飯を拳大の握り飯で済ませている姿を江崎と堀口は知っている。二人は顔を見合わせた。
「本気みたいだな……」
「言っとくけど、あいつ相当クズだぞ。だって俺ら、ドワーフの採掘場に突っ込まれたもん」
死ぬかと思ったと頷きあう二人は過去に一度、奉仕活動と称した金先の鉱石採取に付き合わされた事がある。たかが石拾いだろうと高を括って同行したのだが、その内容といえば、危険なところに突っ込まれては物見をし、魔獣がいれば走って気を引くという、謂わば囮のような生贄のようなものだった。その時は補習の居残りで巻き込まれずに済んだ相沢は、翌日湿布だらけで登校してきた二人から事の顛末を聞いて身を震わせたものだった。因みに、鉱石取りに付き合わされた理由はパチンコ店にいるところを見られたからである。
「代弁しといて……」
当時の二人の惨状を思い出し、途端に弱気になった相沢が小さく呟いた。
「いやお前、あの少人数で代弁って」
「俺は死にたくない」
「いや分かるけど……」
話してる最中、再びチャイムが鳴った。三人が顔を見合わせる。授業開始の合図である。
「……しょうがない。一緒に探すか」
「一連托生か……」
「持つべきものは友達だよな」
後日行かなければならないであろう鉱石採取に気を重くしながら、渋々と三人は動き出した。
2.
それから一時間が経った。
実習室は粗方探し終え、今は技術室の床を隅から隅まで掃いているところだ。
「見当たらんな」
「諦めんな。絶対にあるはずだ」
綺麗になった床に這いつくばり、壁際に置かれた機材の隙間という隙間を覗き込む相沢を、箒にもたれかかった江崎が呆れたように見下ろした。
「落ちてたら誰かが貰ってるって。俺なら自分のにするもん」
「全員をお前みたいな浅ましい人間と一緒にするな。それに、俺のはそう簡単にネコババできないようになってるんだよ」
「へー。あんな小ちゃいのに名前でも書いてんのかよ」
「そうだよ」
当然だろうと頷いた相沢に、江崎は箒から滑り落ちて面食らった。
「名前書いてあんの?!」
「当たり前だろ。俺のだもん」
相沢が名前を書いたと言っているオリハルコンは、直径五ミリの粒だ。それが入学して最初の実習授業の際に三十粒配られた。その時に、その全てに自分の名前を書いたという。
「……お前って、時々ホント、バカなのか凄いのかわかんねぇわ」
今まで相沢の製作物のオリハルコンを使用された部分が妙に黒ずんでいた事を思い出して、江崎は呆れを通り越して尊敬の念すら抱き始めていた。
「……おい、お前ら」
呼ばれて、二人は堀口を見た。今まで会話にも入ってこなかった堀口は探すことに飽きたのか、実習室へと続くドアへと張り付いていた。
「おい、ちゃんと探せよ」
頼むから、と続けた相沢に、堀口は「違う」と首を振った。神妙な顔で指を実習室へと向ける。
「誰かいる」
小声につられて、二人も同じようにドアへと耳を付けた。確かに、ドア向こうの実習室からゴソゴソと荷物を漁るような音がする。
「これって……」
「あぁ、間違いない」
授業はとうに始まっている。しかも鬼と名高い金先の授業では、例え忘れ物をしたとあっても取りに行くことは許されず、管理がなっていないと鉱石採取とまではいかないまでも、相応のペナルティが課せられる。それを知っている生徒達はわざわざ危険を犯してまで抜け出すことはない。と、なると答えは一つ。
“泥棒だ”と堀口が言う前に、相沢は勢い良くドアを開け放った。
「俺のオリハルコン返せ泥棒!!」
突然響いた怒鳴り声に、実習室にいた小さな影は飛び上がると一瞬後には慌てて逃げ出した。手にしていた金色の塊を急いで肩下げ鞄に突っ込み、机から机へと飛び移ると開けっ放しの窓から飛び出していく。
「待てコラァ!!」
勢いのまま飛び出した相沢に、二人も窓枠を越えて走り出した。
造形技術専門学校を擁する魔具魔導学園は、ワコル山と呼ばれる山の麓に立つ。山を背負って南側に門を構え、その門から左右に魔導学院の校舎が、中庭を抜けて麓に程近い、学園の奥に位置する場所に造形技術専門学校校舎が立っている。その中でも最奥に位置するのが工芸科実習室である。実習室の裏手はワコル山に続く鬱蒼とした木々が繁り、無造作に生い茂った自然が邪魔をするように三人の行く手を阻んできた。
「クソッ!」
前方を猛スピードで走る犯人がチラチラと振り返る。長い耳に大きな足。アルミラだ。
「なんでアルミラがここにいんの!」
「知らん!とにかく捕まえないと……相沢!」
江崎は走りながらポケットを探ると、小さなガラス玉を取り出し相沢へと投げ寄越した。
「当てろ!」
「了解!」
言うや否や構えた相沢の手から放たれたガラス玉がアルミラの背中に当たった。衝撃でガラスが砕け散る。アルミラは痛みに一瞬怯んだものの速度を落とすことはなく、みるみる遠ざかっていく後ろ姿に、やがて三人は足を止めた。
「あ~……逃げられた」
肩で息をする堀口が嘆いた。相沢は顎から滴る汗を拭うと、江崎へと視線を向けた。
「さっきの何?」
「双子石だ」
自信満々に垂れ目が煌めいた。
「あのガラスの中に接着剤と砕いた双子石を入れておいたんだ。今、ヤツの背中にはべったりと双子石のカケラが張り付いている」
勿体ぶって二人の顔を見渡す江崎に、数拍遅れて堀口が「あぁ!」と声を上げた。
「そうか!双子石は対の石に反応する!片割れを持って探せば居場所を特定できる!」
「そうだ。そしてその片割れはここにある!」
「おー!」
盛り上がる二人の顔を、未だ理解出来ない相沢は交互に眺める。
「うん?え?」
「とりあえず目印は付けたから明日探しに行こうぜ!俺、試作品色々持ってくるわ!」
「じゃあ俺は爺ちゃんの魔物狩り用の網持ってくるわ!ヤベー!テンション上がってきた!」
ハイタッチをする江崎と堀口に合わせるようにとりあえず相沢も頷いた。よくわからないが、どうやら今日はお開きにして明日決行しようということになったらしい。
来た道を戻りながら、当事者である相沢そっちのけで明日の作戦を話し合う二人を後ろから見守って、とりあえず明日は家からありったけの駄菓子を持って行くことを決意したのだった。
3.
翌日の放課後、それぞれの準備を終えて集まったのは五人。
双子石の片割れを持つ江崎、魔物捕獲用の網を用意した堀口、当事者であり、大量の駄菓子を鞄に詰め込んできた相沢。そして。
「なんで森崎と藤峰がいんの?」
そう疑問を口にしたのは堀口である。その問いかけに、森崎と呼ばれた黒髪長身の美少女が嬉しそうに胸を張った。
「みーちゃんが呼ばれたからついてきた!」
「……一人じゃ、怖いから……」
蚊の鳴くような声で答えたのは藤峰だ。森崎の肩より少し低い身長に、栗色の髪。大きくて分厚いメガネの奥の瞳をキョロキョロとさせて、胸元のペンダントを落ち着きなく弄っている。
「江崎くんが、手伝って欲しいって……」
「双子石はある程度近づかないと反応しないからな。藤峰ならわかると思ってさ」
そう江崎が言うのは、藤峰が魔力過敏症だからだ。
魔力過敏症とは一種のアレルギーのようなものだ。人間が作り出した人工的に魔力を発する道具はもちろん、魔鉱石や魔力水といった自然の魔力にすら身体が過剰に反応してしまうらしい。症状には様々あるが、藤峰の場合は視覚に現れ、魔力を有する物の全てのオーラがはっきりと見えた。これにより目眩や吐き気が引き起こされるのだが、普段は遮断ガラスがはめ込まれたメガネで症状を抑えている。
「どうだ、藤峰。ここからでもわかるか?」
江崎の問いに、藤峰はメガネをずらす。分厚いガラスの向こうから、オッドアイの瞳が覗く。
「ここからじゃ、まだ……。もう少し中に入ればわかるかも……」
三人は顔を見合わせて頷くと、堀口が用意したヘッドライトを着けて山中へと歩き出した。
昨日は闇雲に走っていて気付かなかったが、改めて分け入って行くと藪の中に獣道のようになっているところがいくつかあった。それが動物が作り出したものなのか、魔物が作り出したものなのかはわからないが、昨日のアルミラもこの獣道を使っているに違いなかった。歩きながら、江崎は途中の木々に印を付けていく。
「これ……」
ふいに立ち止まった藤峰が茂みから拾い上げたのは、青い小さなカケラだった。土を纏い、まだ少しベタつく小さなカケラが、ほんのりと淡く明滅していた。
「双子石だ!」
慌てて江崎は鞄の中から片割れの双子石を取り出した。掌サイズの紺青の石が、よく見なければわからない程に淡く光っている。
「背中に張り付いていたカケラが落ちたんだ。どうやらこっちの方向に行ったみたいだな」
カケラが落ちていた獣道は、どうやら山頂へと向かう道のようだ。緩やかに登る、比較的幅の広い道を再び五人で歩き出した。獣道という名の通り、草が薙ぎ倒されただけの道には見た事のない植物が生えている。それを見ながら歩く藤峰は、時々立ち止まって摘み取っては手に下げた袋に入れている。
「藤峰、何してんの?」
不思議に思って相沢が声を掛けた。咎められたと思ったのか、小さく口籠った藤峰を助けるように森崎が「あのねー」と言った。
「みーちゃんは魔力過敏症の研究してるんだよ!」
「研究?」
「そう!どんなものをどう使えば良くなるか実験してるの!」
自分のことではないのに誇らしげに胸を張る森崎の隣で、藤峰は恥ずかしげに俯いた。
「自分の為なんだけどね……」
そう藤峰は謙遜したが、その俯いた姿で相沢は思い出した。確か、一年の頃に特許を取ったとかで表彰されていた。内容は覚えていないが、マスクに吹きかけるスプレーを開発したとかで、その時も賞賛の声に反して小さくなって俯いていた。「へぇー」と相沢は感嘆の声を上げたが、それにも藤峰は小さくなってしまったので、これ以上聞くことはやめた。
その後も歩きながら女子二人は薬草を採り集め、男子は他愛もない話しで盛り上がっていた。
スンスン。
森崎が妙な動きをし始めたのは、それから暫くしてからだ。体勢を低くしてみたり、高くしてみたり、かと思えば空を仰ぐようにして鼻をヒクつかせている。
「何してんだよ」
「ん~。なんか、ずっと変な匂いする」
スンスン。スンスン。
一人一人を嗅ぎ回り、江崎のところにくると、周囲を何度も行き来し余す事なく匂いを嗅ぎ始めた。頭、首元、肩口。執拗に匂いを確認されて、段々と江崎の顔が赤らんでいく。
「お、おい……」
「わかった!そのカケラだ!」
唐突に指を差したのは江崎が握っていた、先程道端で拾った双子石のカケラだ。それを受け取って、クンクンと匂いを確かめる。
「これなんか変な匂いするよ!なんか……う~ん、刺激臭?」
「本当だ」
同意したのは相沢だ。森崎同様、クンクンと嗅ぎ回る。
「この匂い嗅いだことあるな……。そうか!接着剤の匂いだ!」
「あぁ!」
謎が解けたとばかりに、如何にもスッキリしたという顔で二人は笑顔で頷き合っている。釣られて他の面々が臭いを嗅ぐが、何も感じられない。
同郷の出である相沢と森崎は秘境と呼ばれる田舎で育ったからなのか、はたまたこの二人が特殊なのか、五感・身体能力が人間より動物のそれに近かった。以前には江崎が校内で無くした財布を匂いだけで探し当てたこともあった程だ。
「こっちだ!」
宙を何度か嗅いで相沢が走り出した。それに続いて森崎が走り出す。
「あっ!花ちゃん待って~!」
それを追いかけて慌てて藤峰が続いた。残されたのは江崎と堀口だ。堀口が江崎の肩をポンっと叩いた。
「野生児だからな。しょうがない」
「俺のトキメキ返して……っ!」
涙ながらに走り出した時、遠くから相沢の「あったー!」という声が響き渡った。
4.
私立造形技術専門学校の裏山は、オルタ国の中でも上位に入る標高を誇る。火山活動が活発な南や積雪量の多い北と違い、比較的穏やかな天候故に季節毎に様々な恵みを齎すこの山は、人々の憩いの地でもあった。昼間ならば山菜採りやトレッキングの登山者で賑わい、遊歩道も整備され、中腹に設けられた広場にはアスレチック公園もある。なので五人はすっかり忘れていたが、普段穏やかな山とはいえ、一歩道を外れれば様々な危険と隣り合わせの立派な山なのである。
「……迷った……」
江崎は顔面蒼白で頭を抱えた。眺めている方位磁針が掌の上で止まることなくクルクルと回っている。
「今どの辺なんだよこれ……なんで止まってくれねぇの……」
「江崎ー、こっちからも匂いするぞー」
隊列の先頭を進む相沢が振り向いた。
匂いを頼りに走り出してから三十分。疲労困憊の三人に対して、野生児である相沢と森崎は未だ元気に走り回っていた。そしてその先々で双子石のカケラを見つけては回収していく。動き回る二人に、多少げんなりとした視線を向けて「おー」と返す。
「これで何個目?」
「七個目。これちゃんと近付けてんの?」
肩で息をして聞いてきた堀口に、「知らん」と言い捨ててカケラと方位磁針をポケットへと突っ込んだ。
夜は更け、月は先程よりも上に昇っている。北極星を見つけられれば迷わないんだったかと、江崎は聞き齧った知識で空を暫く仰いでいたが、やめた。眺めたところで全く正解がわからない。こうなったら、先へと進む他に無い。江崎は少し先を黙々と歩く藤峰へと顔を向けた。
「どうだ、藤峰。なんか見えるか?」
「う~ん」
分厚いメガネをずらして目を凝らす。
「なんだか、山全体が薄く光ってて……この先がもっと明るい気がする……」
頷いて、先へと進む。
三人が立ち止まっているうちに、野生児達の姿は見えなくなっていた。遠くから、「あー!」と森崎の声が聞こえた。
「また拾ったか」
溜息と共に零した江崎に、堀口は「あー」と言い、
「なんか既視感あると思ったら、ヘンゼルとグレーテルだわ」
「あー。なら見つけるのはお菓子の家か」
ダラダラと歩きながら、下らない話で疲れを誤魔化す。
「優しそうなお姉さんが出てきて親切にしてくれるんだろ」
「その後監禁される」
「えー!エロい!」
「嫌がる兄を抑えつけて上に跨ると魔女は下唇を舐めて怪しく微笑むの……」
「急にどうしました?!藤峰さん?!」
嬉々として話に加わってきた藤峰に二人が動揺した瞬間、突如ドンッと大きな音が響き渡った。木々がしなり葉が舞い落ちる。数瞬遅れて地面が揺れた。
「なんだなんだ?!」
「おーい!!」
素っ頓狂な声がして、揺れを物ともせず先を行った二人が走って戻ってきた。二人は何かを叫びながら戻ってきたが、森の騒めきが邪魔をして上手く聞き取れない。そして走ってきた勢いのまま三人を追い抜いた。
「おい?!」
「逃げろ!ロッグドラゴンだ!」
逃げてきた先から追いかけるように咆哮が聞こえた。木々を震わす咆哮に、瞬時に全員が身を翻して駆け出した。
「お前ら何したんだ!」
「何もしてないよ!石拾おうとはしたけど!」
ドラゴンがいるという方向から熱い風が吹き、独特の生臭さが鼻を突いた。
ロッグドラゴンは最大で五メートルになる原種のドラゴンだ。姿はまだ見えていないにも関わらず、鼓膜を強く震わせる咆哮に思わず耳を塞ぐ。
「早く!こっち!」
先頭を行く森崎が指し示したのは岸壁に空いた洞穴だ。ぽっかりと口を開けたそこに次々と飛び込んでいく。洞穴は人が二人、なんとか横並びで歩けるほどの広さで奥へと繋がっていた。進むほどに湿り気を増す地面に足を取られながら、押し合いへし合い進んでいく。
「押すなって!」
「早く行けって!来ちゃうって!」
「待っ、待って、なんか滑って……キャアァァ!!」
「わあぁぁぁ!!」
奥へ進むほどにきつくなっていく傾斜に、最後尾の江崎が足を滑らせた。そのまま前列の全員を巻き込んで、さながら子供の列車ごっこのように滑り落ちていく。なんとか止めようと足で地面を蹴るが、勢いとぬめりでスピードを落とす事すらできなかった。
「止めてえぇぇ!」
「お前のせいだろ!相沢止めろ!」
「いや無理だわ!」
「優!」
森崎が叫んで先を指した。成す術もなく滑る道の先がプツリと途切れているのが見える。ぽっかりと口を開けた先から、サラサラと水の流れる音がした。山を遊び場にしていた相沢と森崎には、それが何の音なのか瞬時に分かった。川だ。しかも、結構深目の。
「やばい!みんな息止めろ!」
言った直後に体が宙を舞った。そして引力に引っ張られたかと思うと、次の瞬間水の中へと落ちていた。流れは速くない。しかし、思った以上に深さがある。
「……っぶあ!!」
急浮上して岸辺へと這い上がる。相沢に続いて泳いできた藤峰と堀口に手を貸し、大きめの石ばかりが転がる地面に膝を付いた。
「死ぬかと思った……」
大の字に寝転がって息も絶え絶えに堀口が呟いた。自慢のオールバックが無残に垂れ下がり、長い前髪が簾のように目元にかかっている。
「藤峰大丈夫か?」
「う、うん。なんとか……」
藤峰も堀口と同じように散々たる有り様だった。しかしそれを気にかけるより先に、オッドアイの瞳が相沢を貫いた。
「眼鏡は?」
「流されちゃったみたい……。でも、ここには魔法物質は無いみたいだから大丈夫」
少し困ったように柔らかく細められた色違いの目にドギマギとして、相沢は返事ともつかない声を返すと誤魔化すように辺りを見回した。
どうやら洞穴の先は鍾乳洞になっていたらしい。無事だったヘッドライトに照らされて浮かび上がる白い岩肌が、ぬらぬらと光っている。
「おい、江崎と森崎は?」
堀口の問いに、藤峰と相沢は再び顔を見合わせた。そういえば、未だに上がってきていない。ザッと血の気が引いた。
「嘘!花ちゃん!」
「やべえ!江崎って泳げたっけ?!」
慌てて川へと視線を向けると、ほぼ同時に川の半ばあたりから水飛沫が上がった。顔を出したのは森崎だ。その肩にはぐったりとした茶色の頭が乗っている。
「優ー!江崎が死んだー!」
「はぁ?!」
5.
江崎潤一郎は、なんとも惜しい男であった。
顔もまあまあ、頭も中の上と、普通より少し上ぐらいのスペックを持って生まれてくれば、普通ならばまぁ悪くない青春を送れるはずである。しかし現実は彼に甘くはなかった。江崎は壊滅的な運動音痴だった。『普通より少し上』のスペックを悠々と無にできる運動音痴ぶりは、走れば毎回ビリけつなのは勿論、友人が投げて寄越した鞄は顔面で受け止め、反射神経の遅さ故にテレビゲームにも支障が出るレベルである。そんな江崎に友人達は優しかった。彼がどれだけ失敗しても温かく見守り、ゲームをする時には十分なハンデを与えた。
しかし、江崎はプライドもそこそこに高かった。
友人達の憐れみを良しとしなかった彼は、持ち前の器用さを存分に磨き上げた。そして磨き上げた器用さは目論見通り、絶望的な運動音痴をカバーし、反射神経の遅さでゲームで負けることはなくなった。しかし、その代償は大きかった。彼の努力は女子にはウケなかったのだ。良いところを見せれば見せるほど遠ざかる青春。俺の青春はこれが限界なんだと、江崎自身も既に諦めていた。
ぼんやりと江崎の意識が浮上したのは、そんなしょっぱい走馬灯を見終わった頃だった。ザブザブと騒がしい水音の中、やけに生々しい温もりを頬のあたりに感じた。
「優ー!江崎が死んだー!」
「はぁ?!」
すぐ耳元で聞こえた大声に、この温もりの正体は森崎だと気付いた。どうやら溺れて気を失っていたところを助けてくれたらしい。
(情けねー……)
力の入らない身体を預けて、心中で嘆く。
(女子に……しかもよりによって森崎に助けられるなんて……)
いつもこうだ。体育祭では足の遅さを馬鹿にされ、水泳の授業では沈むばかり。あまりのカナヅチっぷりに、鬼と呼ばれていた高校の体育教師からビート板を与えられた唯一の生徒として名を残してしまったのは、江崎の過去最大の汚点である。身体が引っ張り上げられて、地面へと寝かせられる。情けなくて、目を開けられない。
「これ、死んでるのか……?」
「……脈はある」
相沢と堀口の声が聞こえる。戸惑ったような声に、情けなさが一層募った。
(もうほっといてくれ……一人にしてくれ……)
卑屈になった心が叫ぶ。このままお荷物になるぐらいなら、死にたくはないが放って先に進んで欲しかった。そうしてくれたら、なんとか心に折り合いをつけて、何食わぬ顔で合流するのに。そう江崎が考えた時、オロオロと状況を見ていたらしい藤峰が「あっ!」と声を上げた。
「そっ、そうだ!人工呼吸……!相沢くん!」
「えっ俺っ?!」
藤峰の言葉に江崎は身体を硬直させた。
(やめて藤峰!これ以上追い討ちかけないで!)
そう叫んで飛び起きたいのに、小さな呻き声を発するのがやっとだった。人知れず苦悶する江崎を放って、尚も会話は続いていく。
「いや、俺じゃダメだって!堀口やれよ!」
「なんで俺?!」
「俺初チューまだなんだよ!江崎に初チューはやれない!」
(俺も嫌だわ!)
妙な方向に行き始めた状況に、内心で叫ぶ。被害者になろうとしているのに、まるで加害者のように扱われて江崎のガラスのハートが軋み上がる。
「俺だってまだだわ!それに俺餃子食べてきたからニンニク臭いし!」
「俺も納豆食ったし!」
(どっちも嫌ー!!)
「私がやる!」
延々と続きそうだった口論を遮ったのは森崎だった。力強い声が響き渡る。
「私が人工呼吸する!」
「花ちゃん?!」
「ファーストキスなら父さんと済ませてるから大丈夫!いくよ!」
肩を強く掴まれて、江崎は再び身体を硬直させた。
急な展開に頭が回らない。混乱する江崎を他所に、布越しの体温は現実を如実に伝えてくる。情けなくも唇が震えるが身体は動かず、成す術はない。
(ウソウソ!どうしよう!)
落ち込んでいた気分が一気に上昇する。今まで縁が無いと思っていた青春。それがこんなところで返ってくるなんて。バクバクと高鳴る心臓と相反して、唇は冷えていく。ゆっくりと近づいてくる気配を感じてキュッと瞼に力を込めた。
(くる……!)
濡れた髪が頬にかかり、微かに吐息を感じた瞬間、
「ダメーーー!!」
バッチーンと強烈な破裂音が鳴り響き、江崎の意識は再びブラックアウトした。
*
「ご、ごめんね、江崎くん……」
「もういいよ……」
あれから、江崎は飲んでいた水を吐き出して意識を取り戻すことができた。其れも此れも、藤峰が放った強烈なビンタのお陰なのだが、江崎の顔は晴れない。
「どうしても花ちゃんを犠牲にはできなくて……」
「みーちゃん……!」
感極まってお互いを抱きしめ合う女子二人は、本来ならば涙を誘う美しい光景なのだろうが、死にかけた江崎としては感動などできるはずもなかった。ましてや諦めていた青春の代名詞『好きな人とのファーストキス』を逃したのだから、そのダメージは測りしれない。
ズンズンと落ち続ける濡れた肩を、そっと温かなものが包み込んだ。相沢と堀口だ。
「心配したぞ、江崎」
「お前が生きててくれて本当に良かった」
「……お前らが俺の命より自分の初チューを守ろうとしたこと、一生忘れないからな」
肩に置いた手を払い除けた江崎の恨めしい眼差しから目を逸らして、二人はそそくさと歩みを速めた。
現在、五人は洞窟から脱出すべく川に沿って歩いていた。堀口曰く、恐らくこの川はアスレチック公園に流れる川に繋がっているに違いないという、何の根拠もない情報を頼りに歩き出したのだが、今のところそれらしき出口は見当たらない。
「しかしこの山にロッグドラゴンなんていたんだな。俺、野生のドラゴンなんて初めて見たよ」
そう切り出したのは堀口だ。藤峰と江崎もウンウンと頷く。
「もう少し話題になってもいいぐらいには珍しいよな」
「そうなのか?俺の田舎には結構いたぞ」
不思議そうに首を傾げた相沢に、江崎は軽く肩を竦めた。
「田舎だからな。ドラゴン食うんでしょ?」
「ロッグは食わないけどな。鶏肉みたいで美味いよ」
なぁ、と顔を見合わせて相沢と森崎は頷き合った。
二人の出身地であるイロカワ村は此処より少し北の方角にある。都心から北はあまり開発が進んでいないため自然が多く残っているのだが、二人が住んでいた村は別格の自然を誇り、今や天然記念物に登録されている魔獣や動物が野生のままで生きている。植物も珍種が揃い、学者やマニアの間では秘境と呼ばれる隠れた観光スポットでもあるのだ。
「でも、あんなに気性の激しいロッグドラゴンは見たことないな。地元のはもっと大人しかったよ」
「ペットにしてる人もいたもんね。私、背中に乗せてもらったことあるよ!」
「俺も!ヒゲ爺んとこのミドリちゃんだろ!」
思い出話しで盛り上がる二人を、都会で育ってきた三人は羨望の眼差しで見つめていた。二人は事も無げに話しているが、ロッグドラゴンは国指定の保護生物でその鱗は一枚五万メリーの高級魔獣である。それをペットにするとなると、都会では上級官僚か富裕層の中でもほんの一握りだ。
「すげぇすげぇとは思ってたけど、田舎ハンパねぇな」
「ドラゴンなんて博物館ぐらいにしかいないっつーの」
「いいなぁ。ウロコ取り放題かぁ……」
各々がそれぞれの感想を呟きながら歩を進めていく。洞窟の先は未だ見えることはない。
6.
高校生の頃、堀口は所謂不良と呼ばれる生徒だった。
優秀な兄弟達と比較されて育ったからか、または中学まで受けていたスパルタとも呼べる教育方針の反動からか、高校に上がる頃には髪を染め、煙草を吸って、兎に角親に反抗していた。
それから月日は経ち、堀口はすっかり落ち着いていた。悪い友達とは縁を切り、私立とはいえ進学も出来た。煙草は止めきれないが、まぁこれぐらいならと、自分に及第点をあげてきた。その反動が、今来てる。
「ま、待って……」
ぜぇぜぇと息を切らす堀口は、数歩先を行く仲間に向かって手を伸ばした。先頭の相沢が振り向く。
「頑張れって堀口。藤峰さんも頑張ってんだろ」
呆れたように言って、相沢はすぐ後ろで岩の上へ上がろうと奮闘している藤峰へと手を伸ばした。
先程まではほぼ平坦だった川岸は、先へと進むうちにどんどん険しくなっていった。平地だった道は、やがて水に浸かる箇所が現れ、背丈ほどもある岩が立ちはだかる。それでもなんとか先に進むことはできたが、大きな岩石ばかりの道に差し掛かってからの三十分は岩の登り降りを繰り返している。
「ほら、堀口」
岩の上から、江崎が手を差し伸べた。
運動音痴ではあるが持久力はそこそこある江崎は、どうやらドンケツではないこの状況が嬉しいようで、先程から妙に甲斐甲斐しく手助けをしていた。息も切れ切れに登りきった堀口の肩を、ぽんっと軽く叩く。
「無理すんな。ちょっと休もうぜ」
ドンケツって寂しいよな、と続けた江崎に、少しの敗北感を味わいつつ堀口はその場に座り込んだ。
───こんなことなら、煙草も止めとけば良かった……。止められたかどうかは別として。
「しょうがねぇな、少し休むか」
よっこいしょと腰を下ろす相沢と森崎に、もちろん息の乱れはない。そして意外なことにも、森崎の隣に座った藤峰からも疲れの色は見えなかった。
「藤峰さんは平気なん?疲れたっしょ?」
同意を求めた堀口に、藤峰はふるふると首を振った。
「私、素材集めでよく山の中歩き回ってるから……」
そう言う藤峰からは強がっている気配は当然ながら感じない。チラリと隣の江崎を見る。汗を拭いながら労わるように笑い返してきた垂れ目に、力無く口を歪ませた。
「堀口」
呼ばれて顔を上げると、胡座をかいた足の上に駄菓子が落ちてきた。どうやら相沢が持ってきたようだ。リュックの中をゴソゴソと漁っては次々と取り出していく。
「それ食ってイイよ。まだあるからさ」
手元に落ちてきたのは、筒状のチューブに入ったゼリーだった。歯で噛み切って、有り難く頂戴する。
「これめっちゃ懐かしいわ。ガキの頃よく食べてた」
「だろ?こんなんもあるよ」
ポイポイと結構な距離があるにも関わらず、一寸も狂わずに投げて寄越される駄菓子に、思わず「おぉー」と声が出た。
相沢は小学校から高校までの十二年間野球をやっていて、ピッチャー一筋だったらしい。なんでも、ボールコントロールが一級品で有名チームから誘いが来たこともあるというから、普段の大雑把な振る舞いを知っている者としてはどこか疑っていた。
「ほんとにピッチャーしてたんだな」
「信じてなかったのかよ。結構有名だったんだぜ」
照れ臭そうに笑って、相沢は手元にあった小さな石を掌で転がした。
「見てろよ。一番右の短いツララ!」
言うや否や、持っていた石を鋭く投げて当ててみせた。狙い通りの場所で跳ね返った小石に「お~!」と歓声が沸く。
「じゃあ、あの奥のデカイやつは?」
「ヨユー!」
江崎のリクエストに近くにあった拳ほどの大きさの石を掴むと、先程当てたものより更に遠くの鍾乳石へと石を放つ。やはり寸分の狂いなく、コンッと軽い音を鳴らして当たった。
「は~。誰にでも何かしらの特技ってあるもんだな~」
「それ褒めてんだよな?」
「よしっ、そろそろ行くか」
不満気な相沢を無視して、それぞれが立ち上がった。
再び岩場の道を歩く。未だ暗く、光すら見えない状況に、江崎は溜息とも呆れともつかない息を漏らした。
「それにしても、この道で本当に当たってるのかね」
「俺の勘に間違いないから、任せとけって」
休憩をして少し体力が回復したのか、岩を降りながら堀口が笑った。堀口の勘は良く当たる。しかし、今まで当ててきたのはテストの範囲やギャンブルでの小さな当たり程度だ。
「パチンコならともかくよぉ、今回ばかりは信用ならねぇよ」
無駄口を叩きながら、前を行く三人の背中を追いかける。
「勘はともかくさ、この川がアスレチック場に繋がるのは間違いないと思うぜ。昔爺ちゃんから聞いたことあんだよ」
自信に満ちた言葉に、江崎は堀口を振り返った。
堀口の言う爺ちゃんとは父方の祖父のことで、魔物狩りを生業としていたらしい。需要はあるが、誰も狩りたがらない凶暴な種ばかりを狩っていたので、近所では有名な変わり者の狩人だったという。
「昔キャンプに来たときにさ、この川は地下にあるデカい川に繋がってるって言ってたんだよね」
「……堀口」
「爺ちゃんが来たかもしれない場所に、今孫の俺がいるってロマンあるよな」
「堀口」
しみじみと語る堀口の口を、江崎は素早く両手で塞いだ。それに眉を顰め、何だと目で訴えて外しにかかる堀口に対し、江崎は激しく首を振ると、震える指先で必死に暗い天井を指した。
「───っ?!」
堀口は寸前のところで絶叫を飲み込んだ。
仰ぎ見た天井は、無数の紅い点で覆われていた。仄かに光り、時々明滅する紅い点。水晶蝙蝠だ。洞窟や洞穴に生息する水晶蝙蝠は、迷い込んできた動物の生き血を餌とする。その際、唾液から分泌される成分によって死体がゼリー状になることからその名が付いた。
極力音を立てないように、急いで前の三人と合流する。慌てて追い付いて来た二人に、三人もどうした、と声を上げようとして慌てて口を噤んだ。
水晶蝙蝠は目が見えない。その代わりに耳が発達し、音で獲物の居場所を特定する。
五人は音を立てないように、ゆっくりと道を進む。幸い、この蝙蝠の移動速度は遅く、少し音を立てたぐらいでは追い付かれることはない。少しずつ距離を取っていく。
(よし)
誰ともなく心内でそう思った瞬間、バガンッと激しい破砕音が洞窟中に響き渡った。距離を取った蝙蝠達が一斉に飛び立つ。
「走れ!!」
堀口が叫んだ瞬間、全員が一目散に走り出した。
パニックに陥り縦横無尽に飛び回る蝙蝠達の隙間を縫うように走りながら、江崎は鞄を漁ると中から小さなスプレー缶を取り出した。振り向きざまに思い切り押し込む。
「喰らえ!」
自家製の害獣スプレーで辺りが一気に白く煙る。視界が悪くなるのに構わずに撒き散らすと、そのまま道の先へと駆け抜けて行った。
終わりは唐突に訪れた。
蝙蝠から逃げ、疲労から誰一人として話さないまま進んだ先に、出口と、それを塞ぐ鉄格子が見えた。向こう側には夜の森が広がっている。
「俺に任せろ」
そう言うと、江崎は持っていた針金を南京錠に差し込んだ。何度か引っ掻くようにすると、重々しい音を立てて扉が開いた。
「やっと出られた……」
出た場所は、堀口が言っていた通りアスレチック公園の近くのようだ。その証拠に、目の前を横切る遊歩道にはまるで序章だとでも言うようにケンケンパの形で石が並べられていた。そこへ合流するように川が穏やかに流れていく。嘘のように静かな葉擦れと清流の音。五人は一斉にその場へと座り込んだ。
「つ、疲れた……」
「おい、相沢……まだやる気か……?」
「いや、もう無理かも……」
度重なるハプニングに、野生児と名高い相沢の心も既に折れていた。ぐぅ、と何処からとも無く音が鳴る。
「お腹空いた……」
森崎の呟きに呼応するように、腹の虫がぐぅぅと鳴いてみせた。疲れたように顔を見合せる。
「帰るか……」
「そうだな……」
疲れた身体を無理矢理起こして歩き出す。それから山を下り解散するまで、五人はずっと無言のままであった。
7.
五人がアルミラの捕獲に失敗してから、一週間が経った。来週はいよいよ研究発表会だと活気付く校内で、相沢はいよいよ頭を抱えていた。
「間に合わない……」
昼休みの中庭のテラス。周囲からの楽しげな笑い声とは裏腹に、悲壮に零した相沢に何とも言えず、江崎と堀口は顔を見合わせた。
あれからオリハルコンを買うしかないと決意した相沢は、放課後は日雇いのバイトに勤しんでいた。チラシ配りから交通整備まで、夕方六時から夜十時までみっちり働いた金を全てオリハルコンへと注ぎ込んだものの、悲しいかな。必要なオリハルコンは十粒。箱の側面分の貼り付けは出来たが、どう計算しても底面と上面の購入が間に合わない。
「ごめんな相沢。当たれば倍にできたのに……」
「クソッ!あと五千メリーあれば……!」
江崎と堀口も、友達として何もしなかった訳ではない。合わせて二千メリーしかなかった二人は、これを全てスロットに注ぎ込んだ。吟味に吟味を重ねて選んだ台は、初めこそコインを吐き出してくれたものの、最終的には全てを飲み込んでしまった。
ふるふると相沢が首を振る。
「お前らはよくやってくれたよ。あと、あんまり期待してなかったし」
「それよりどーすんべ。もう発表会来週だぞ」
「そうなんだよ~!」
江崎の無情な言葉に相沢は再び机へと突っ伏した。相沢とて馬鹿ではない。逆算し、日雇いのバイトをしたところで全面分は足りないと気付いた時、プライドを捨てて親に金の無心までしたのだ。結果は惨敗だったが。
「おっ、相沢じゃん」
そんな相沢へと声を掛けたのは、浅黒い肌をした体格の良い男だった。少しつり上がった目の上で太めの眉が戯けるように上がり、口元を歪ませて笑っている。
「いいよなぁ、工芸科は。いつ見ても暇そうで」
「……誰コイツ」
馬鹿にした物言いに、堀口の目元が釣り上がる。
話しかけてきたのは武具装具科の須藤多摩雄だ。高校の頃同じピッチャーとして活躍していた相沢のことをライバル視し、入学初日から時折こうして絡んでくることがあった。相沢は面倒臭そうに机に突っ伏したままパタパタと片手を振った。
「お前は呼んでない」
「工芸科は箱展示するんだっけ?俺たちはトマホーク作ってるんだわ。やる事多くってさー」
「あーそー」
「箱は組み立てて終わりだろ?俺らはデザインからだからよ」
「知らねーよ。いいからお前帰れ」
一向に顔を上げない相沢に舌打ちをし、ひと睨みすると須藤は後ろで待っていた仲間の元へと引き上げていった。遠くから相沢達を指差し笑っている。
「なんだアレ」
「知らね。妙に突っかかってくるんだわ」
「あれ武具装具科の奴等だろ。装具科ってなんであんなに威張ってんのかね」
呆れたように江崎が零した。
この造形技術専門学校は私立大学附属の専門学校である。なので、エリートを幾人も輩出している学院の方の学科ならまだしも、同じ専門科である武具装具科にデカい顔をされる筋合いは無かった。堀口は両腕を頭の後ろで組んだ。
「こっちよりデカいの作ってるって気が大きくなってるんだろ。何がトマホークだよ。時代錯誤もいいところだぜ」
「今回担任の西野が力入れてて相当豪華らしいからな。なんでもどっかの一部にミスリル使ってるんだって」
「へー」
特に盛り上がりもなく続く会話に、相沢の眉がピクリと上がった。顎に指を添えて考える。滅多にない、頭を使っているように見える相沢に、二人は首を傾げた。
「どうした相沢。頭良さそうに見えるぞ」
「うるせえ。……なぁ、装具科の奴らってオリハルコン使ってるかな?」
唐突な言葉に、二人は目を丸くした。相沢の考えを瞬時に理解する。同時に、無謀ともいえるアイディアに「いやいやいや」と言って首を振った。
「お前ね、アイツらが売ってくれるワケないでしょ。売るとしても、アホみたいに値上げしてくるよ」
呆れたように言った堀口に、
「売ってもらうんじゃなくて、拾いに行くんだよ」
相沢は不敵な笑みを浮かべると、二人の顔を中心に寄せて小声で話しはじめた。
「お前ら、あのクラスの前通ったことあるか?あんだけ雑然としてればオリハルコンの一粒ぐらい落ちてるだろ」
「楽観的か!いくらアホでもあんな高いのがその辺に落ちてるワケないだろ!」
なぁ!と堀口は江崎を見た。江崎はそれには答えず、少し考えると、
「あり得る」
「嘘だろ!」
「何故なら俺はあの教室の前で銀粒を拾ったことがある」
銀粒は主に装飾部分やアクセサリーに加工される一般的な素材である。オリハルコンやミスリルに比べると安価ではあるが、それでも学生にはやや値が張る材料である。
「都合良くオリハルコンが落ちてるとは思えないが、落ちている材料を売ればオリハルコン二粒分ぐらいにはなるはずだ」
相沢と江崎は顔を見合わせて頷き合っている。堀口は「えっと」と呟き、
「それってドロボー……」
「よし!じゃあ今夜決行な!夜空けといて!」
「OK!」
余計なことは聞かなかったことにして、そうすることになった。堀口も少し戸惑ったものの須藤の顔を思い出し、まぁいいかと教室へと戻ることにした。
*
とっぷりと日が落ち校内が暗闇に包まれた頃、技術室に隠れていた一行はソロソロと廊下へ出てきた。時間は夜の七時。忍び込むには丁度良い時間帯である。
「よし、行くか」
俄然やる気の相沢と、何故かやる気の江崎に、イマイチ乗らない堀口が続く。
「なんかデジャヴなんですけどー」
「文句言うな。あのアルミラのせいなんだから」
「お前の管理のせいだろうがよー」
「まぁ、落ち着けって堀口」
「お前はなんでやる気なんだよー」
文句を言いながらダラダラと一番後方を歩く堀口の肩を、江崎は横から勢いよく抱いた。そして何度か宥めるように叩く。
「よく考えろよ。確かに相沢は今すぐ売らなければ発表会に間に合わないが、俺らはどうだ?俺らには時間がある」
「それが何よ」
イマイチ要領を得ない話しに、訝しげな視線が江崎へと集まる。それを振り払うかのように江崎は手を振って笑った。
「鉱物商に売り捌くんだよ。相場が上がった時にな!」
「鉱物商に?」
「国認定の鉱物商なら相場で買ってくれる。それを資金にスロットで増やせば良いんだよ!」
江崎の絵空事のような発案に、堀口の瞳は一気にやる気に燃え上がった。江崎の肩に手を回して大きく頷く。
「さすが江崎くん!」
「ふはは!物は考えようだよ堀口くん!」
ワッハッハと、忍び込んでいるにも関わらず高笑いをする二人に、相沢は呆れて一つ溜息を吐いた。
武具装具科二年の教室は工芸科実習室の隣の校舎の三階にある。そこに辿り着くには渡り廊下を抜け、職員室の前を通り過ぎなければならないのだが、この職員室が唯一にして最大の難関だった。
「なんで金先がいるんだよ……」
覗き見た職員室に一人残って作業をしていたのは、鬼の金先こと金盛だ。研究発表会の資料でも作っているのだろうか。長机とコピー機を往復しては几帳面に並べていく。
「どうする?行くか?」
「バレたら死ぬぞ」
今三人がいるのは職員室から少し離れた廊下の角のところだ。ここを曲がり職員室の前を進めば第二校舎に行けるのだが、金盛の作業している長机は廊下に面した窓際へと配置されている。もし万が一何かがあればバレる可能性が非常に高いルートである。
「正面玄関から回るか?」
「いや、正面玄関は防犯システムが作動する可能性がある」
「なら第二校舎の裏口はどうだ?あそこなら階段から近い」
「いや、裏口の鍵は壊れたままで直していないはずだ……」
全てのルートを否定されて、相沢と堀口が押し黙る。その間、江崎はあらゆるルートをシミュレートしていた。指を口元にあててブツブツと呟く。二人が固唾を呑んで見守る中、暫くして、一つ頷いた。
「正面突破しかないな」
「マジかよ~」
ガクッと二人の肩が落ちる。そうしている間も、金盛は黙々と作業を進めている。
「全員が捕まったら回収できなくなる。とりあえず一人づつ渡ろうぜ」
「よし。行け、相沢」
「俺かよ!」
「元凶はお前なんだから当たり前だろ」
堀口の正論にぐぅと相沢は唇を噛んだ。しかしこのままでいたところで事は運ばないと思ったのか、すぐに諦めて肩を落とすと、アキレス腱を伸ばし始めた。
「見つかったら俺は全力で逃げるから、お前らもすぐ逃げろよ」
「おう。まかしとけ」
それだけ言うと、相沢は身を屈めて素早く窓のすぐ下に張り付いた。そのまま、カニ歩きの要領でジリジリと進んでいく。
「ん?」
小さな呟きに、ピタリと相沢の動きが止まった。ピンと張り詰めた空気に、そうとは知らない金盛が首元を掻く。
「しまった。足りないか」
そう言うとコピー機の元へと移動した。その隙に相沢は急いで通り過ぎ、腕を大きく振って次を促した。続いて動いたのは堀口だ。同じようにしゃがみ込み、危なげなく通り過ぎる。
(江崎……)
二人は緊張した面持ちで江崎を見た。その理由が嫌という程わかる江崎は、小さく頷いて動き出した。相沢や堀口と同じようにカニ歩きで窓下に張り付く。しかし。
(……これ、どうやって動くんだ?)
二人と同じように素早く動こうと思っているのに、四股を踏む直前のように大股を開いたまま動けない。試しに爪先を動かしてみるが、スニーカーが小さくキュッと鳴いて諦めた。
「江崎早くしろって!」
相沢達が小声で促すも足が動かない。しかしこのまま動かなければ巡回の時間がきてどの道見つかってしまう。困り果てて二人を見るが、手招きをするばかりでどうしようもない。
(……えぇい!ままよ!)
覚悟を決めると江崎は大きく足を持ち上げた。持ち上げた足を横に伸ばして地面に置こう、とした瞬間にバランスが大きく崩れた。慌てて立て直そうとしたが開いた足ではどうすることも出来ない。そのまま顔面から廊下に倒れると、ドンッともドサッともつかない音が空気を震わせた。
「なんだ?」
即座に反応して金盛が職員室を移動する。
(やべぇ!!)
机を回り込んでいるであろう金盛が来る前に、二人は慌てて江崎を引きずって物陰へと逃げ込んだ。同時に扉を開く音がした。息を押し殺して時が経つのを待つ。やがて、何もないと判断したのか、再び職員室の扉は閉められた。
「この馬鹿!」
「ごめん……」
同時に二人から頭を叩かれたが、江崎はそれを甘んじて受け入れた。どこまでいっても付き纏う運動音痴の呪いはどうしようもない。こうして気がすむのなら、いくらでも叩いてくれとすら思っていた。それでもやっぱり。
「ほら、早く行くぞ」
促して先を行く二人に、どうか明日小指をぶつけますようにと願わずにはいられなかった。
武具装具科の教室は、三人が想像していた以上に酷い有り様だった。共学であるにも関わらず女子が一人もいない故の心の緩みなのか、先ずもって男臭い。まるで運動部の部室かのような匂いに、思わず三人は顔を顰めた。
「久しぶりに嗅いだわ、この匂い」
「いかにも男子校って感じだな」
「いや男子校じゃねぇよ」
口々に言って、教室内の物色を始めた。
教室は工芸科より少しだけ広めのようで、部屋の前寄りに配置された机の後ろには作りかけの鎧や武器が所狭しと置かれている。その後ろには隠れるようにロッカーがあり、いくつかの扉は半開きで中の物が飛び出していた。
「おー!なんだこれ!」
半開きのロッカーから相沢が取り出したのはモーニングスターの頭部らしかった。趣味で作ったのか、遊ぶために作ったのか、棘の部分が極端に丸くなっていて殺傷能力は無さそうだ。
「これ使って野球したら面白そうだな」
「んなもん見てないで早く探せって」
「へーい」
トゲトゲを脇に置いて、再び床に這い蹲る。あまり掃除をしていないのか、埃が多い。だが、それに紛れるようにして、いくつもの光るものがあった。
「嘘だろ、マジで結構落ちてる!」
相沢が拾い上げたのは、鈍色の銀粒だった。そこから、次々と拾い上げていく。しかし、同じように探していた二人は全く見つけられない。江崎は首を捻った。
「なんで相沢ばっか見つかるんだ?」
「目だな。こうなったら俺たちは触感で探すぞ」
そう言うと、二人は相沢に負けじとしゃがみ込んだまま掌を床に向けてカサカサと動かし始めた。全神経を両手に集中させるために薄眼を開き、虚無の表情で空中を見る姿は控えめに言っても変質者であったが、効果はあったらしい。すぐに江崎が手を挙げた。
「あった!」
「こっちもだ!ふはは馬鹿共が!取り尽くしてやるわ!」
それから意気揚々と家捜しをし、想像以上の杜撰さのおかげで然程の苦労もなく集めることができた。終わった頃にはそれぞれの片手にこんもりと乗った素材に笑みを深める。
「これだけあればざっと五千メリーは手に入るぞ」
「オリハルコンが二粒も買える……!」
「これで倍々ゲームだ!」
歓喜に打ち震えながら、持ってきていた皮袋にそれぞれ納めて腰から下げる。これでミッションコンプリート。あとは帰るだけだ。
「じゃ、そろそろ行こうぜ。帰りは裏口でいいだろ」
「……!シッ!」
何かに気付いた相沢が人差し指を口元に立てた。目を閉じて何かに集中している相沢に、何も感じない二人は口を噤んで待つ。サッと相沢の表情が青褪めた。
「ヤバイ!金先だ……!」
「えっ……!」
息を呑み耳を澄ませても何も聞こえない。しかし、相沢の耳は常人とは違う。それを嫌というほど知っている二人も顔を蒼褪めて思わずその場にしゃがみ込んだ。
「どどどっ、どうする?!」
「どうするって……」
辺りを見回しても隠れられそうな場所はない。今は足音も聞こえないが、すぐに三階まで上がってくるだろう。
「とりあえずこの教室から出よう!疑われたらヤベーって!」
三人は慌てて廊下に飛び出した。しかし、この校舎からの出口は今から金盛が通るであろう階段しかない。相沢と堀口が取り乱して必死に言い訳を考えている中、江崎は急いで武具装具科の隣の教室の扉に縋り付いた。階段の方からは江崎の耳にも届く近さまで足音が来ていた。乱れる呼吸を抑えて指先に神経を集中させる。やがて、カチッと音がして扉が開いた。
「隠れろ!」
飛び込んで鍵をかける。暫くすると廊下に足音が響き渡った。それから、隣の教室の扉を開く音。強く打つ鼓動を無理矢理押さえ込んで時が過ぎるのを待つ。体感で十分程が経っただろうか。足音は教室を出て目の前の廊下を通り、一通り見回ると引き返していった。足音が遠ざかる。二人は同時に相沢を見た。
「……よし、出ていった」
その言葉に、一斉に肩の力が抜けた。
「ヤベー……もうダメかと思った……」
「目的のもんも取れたし、もう早く帰ろうぜ……」
「あぁ……ん?」
その時、座り込んだまま棚に持たれ、仰ぐように天を向いた相沢の目に煌めく物が飛び込んできた。ゆっくりと立ち上がり、棚の中からそれを取り出す。
「どうした、相沢?」
まだ気持ちの落ち着かない江崎が、疲れた目で相沢を見た。相沢は少し興奮して振り返る。
「これ……」
その指に摘まれていたのは、金色に光る粒だった。
「おい、もしかして!」
堀口は急いで相沢の隣に立ち、同じように棚の中を覗き込んだ。元は菓子の詰め合わせが入っていたであろう缶に、今相沢が摘んでいる金色の粒が大量に入っている。
「やったな相沢!こりゃオリハルコンだ!」
「だよな!うおー!こんな所にあったのかよー!」
思わずハイタッチを交わした二人から遅れて、江崎ものそのそと棚を覗き込んだ。大量の金色の粒を見て、「おー」と声を上げる。
「これスゲーな。なんでこんなにあるんだ?」
「これから配布する為に保管してたんじゃねーの?よくわからんけどラッキー」
上機嫌に、より大きな粒を探して皮袋へと突っ込む。それに続くように二人も五粒ほど取った。それでも、そんなことには微塵も気付けないほどの量があった。
「んじゃ、帰ろうぜ。裏口から帰るんだよな?」
「そうだな。中からなら開けられるし」
無事に目的を果たして、帰路につく。万が一に備えて息を潜め、足音を殺してはいるが、その心中は晴れやかなものだった。
そして一階に着いた。鍵が壊れている裏口をそっと開いて、校門へと向かう。三人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。これまでにない大成功だった。
「おう、今帰りか」
そう声をかけられたのは、校門に手を掛けた時だった。腕を組んだ、ガタイの良い男がゆっくりと近づいてくる。
「こんな時間まで学校にいるとは、随分と熱心な生徒だ。特別に指導してやろう」
鉱石学担当、通称『鬼の金盛』。
短く刈り上げた頭髪の下に鋭い眼光。豪快な性格そのままの恵まれた体躯は、今にも弾けそうな筋肉をヒクつかせている。ゆっくりと近づいてくる金盛に三人は固まって動けない。辛うじて、堀口が首を振った。
「遠慮するな。一度とはいえ、俺を巻いたご褒美だ」
底知れぬ笑みを浮かべた金盛に後退る。ジャリ、と小石の音が聞こえた瞬間、相沢が始めに踵を返した。
「逃げろ!!」
相沢の声に数瞬遅れて二人も走り出した。 再び校舎へと戻ろうと全速力で逃げ出した三人に、金盛は冷静だった。ゆっくりと手を前に突き出すと軽く下に振る。
「ギャッ!!」
前を行く三人が同時に地面に倒れた。それに構わず、下に垂らした手を上に振る。その瞬間、突如として地面から現れたのは、氷の牢獄だった。倒れた三人が立ち上がれないほどの小さな牢獄の前に、金盛がしゃがみ込んだ。
「金先……あんた、魔術が使えたのか……」
悔しそうに睨み付けた堀口に、金盛は口端を吊り上げて笑った。
「宿直はこれがある」
ヒラヒラと振る手には、赤い魔石が取り付けられた金色の指輪が嵌められていた。誰でも魔術が使えるようになると評判の、高価な魔法アクセサリー。三人は、ガクリと首を垂らすしかなかった。
8.
キャミィがそのドラゴンと出会ったのは、今から三ヶ月前の事である。ワコル山と呼ばれる山に移住してきて約一年、山の全体図を何となく把握し、暮らしに不便も無くなってきた頃のことだ。
その日、キャミィは木の実を集めて回っていた。空は晴れ渡り、雲もない。まさに木の実採取にうってつけの真昼間に、一匹のドラゴンがフラフラと空から落ちてきた。ドラゴンなんて人伝てで聞いた噂話ぐらいの知識しかなかったキャミィにとって、今まで見てきたどの巨岩よりも大きいドラゴンは恐怖でしかなかった。飛び上がり、慌てて木の影に身を潜め、息を殺してドラゴンが立ち去るのを待つ。しかし、ドラゴンは一向に動こうとはしなかった。
ドラゴンは弱っていた。初めて見たキャミィでも分かるくらいに、明らかに。
長い首ごと地面に投げ出し、ぐったりと目を閉じるドラゴンにどうしたら良いのか分からず、とりあえずキャミィは手に持った木の実を半開きの口の中へと入れてみた。すると、ドラゴンは小さな木の実を咀嚼し、味わうように飲み込んだのだ。薄く開いた金色の目がキャミィを促す。それからキャミィとドラゴンが打ち解けるまで、そう時間は掛からなかった。
(どうしてこうなったんだろう)
キャミィは木の実を集めながらそう思った。
ドラゴンが山に来てから一ヶ月になる。どうやらドラゴンは酷く腹が減っていたらしく、木の実をあげると徐々に体力も戻り、今では身体を起こせるまでに回復してきている。しかし、小さな木の実程度では足りないのか、未だ飛ぶまでには至らなかった。
どうしたら回復を早めることができるのだろう。
今や友となったドラゴンの為に、キャミィは昔聞いた噂話を必死に思い返し、そして思い出した。ドラゴンは魔鉱石が好物ではなかったか。北のアルタヤでは、村の守り神のドラゴンに、その年に取れた一番大きな魔鉱石を捧げるという。
それからキャミィは、木の実やキノコを採る傍らで魔鉱石探しに明け暮れた。以前住んでいた南の山では掘ればいくらでも出てきた魔鉱石だが、どうやら、このワコル山にはあまり無いらしい。せっせと小さなカケラを見つけては食べさせていた甲斐もあって、ドラゴンはこれまでとは比べ物にならないぐらい元気になっていった。と、同時に異変が起きた。ドラゴンが凶暴化したのである。普段は大人しく、懐くように頬ずりをするのだが、魔鉱石を食べた時だけ大口を開けて咆哮するのだ。まるで、威嚇でもするかのように。
(元々暴れ者だったのかな。友達だと思っていたのに、そうじゃなかったのかな)
土で汚れた手で、滲む涙をぐしぐしと拭う。
(でも、あの黒い魔鉱石なら気に入ってくれるかも……)
この山の魔鉱石が受け付けないのかと、危険を犯して人間の住処で取ってきた魔鉱石。真っ黒なその見た目は、今まで見てきた物とは大分異なっていたが、これならば大丈夫かもしれない。
でも、もしダメだったら。
そう思うと怖くて、今まで食べさせることができなかった。肩掛けのポシェットから、その魔鉱石を取り出す。キャミィの小さな手の中でも、尚小さな魔鉱石の粒は、黒い外皮のような中から金色の輝きを覗かせている。それを大事に布で包み込み、再びポシェットへと閉まった。今夜、食べさせてみよう。そう決意した。
夜になって、今日採ってきた木の実をドラゴンと共に分け合ったあと、キャミィはいつ言い出そうかとドラゴンの様子を伺っていた。キャミィの後ろにいるドラゴンは、首を空に向け、気持ち良さそうに風を感じている。ソワソワと落ち着かないキャミィは、心を落ち着かせようと同じように空を見上げた。空には満天の星空。雲ひとつ無い。
「ねぇ、どうして君は空から落ちてきたの?」
答えられるわけも無いが、そう尋ねてみた。ドラゴンからキュゥと声がする。
「羽の傷はどうして付いたの?仲間はどこかへ行ってしまったの?」
キャミィの問い掛けに、ドラゴンはスリスリと頬擦りをし始めた。それを両腕で受け止めて、抱き締め返す。
「ねぇ、君に渡したい物があるんだ───」
「いたぞ!」
突然、怒号が山に響いた。驚いて振り返ると、背中に武器を幾つも持った人間がキャミィ達の方向を指差している。
「ロッグドラゴンだ!」
その人間の喚き声に、草むらから次々と人間が出てきた。その背中には見た事のない道具を背負っている。人間はそれを手にすると、切っ先をドラゴンへと向けてきた。
「なんで……!」
驚いたままで動けないキャミィを庇うようにドラゴンが前に出た。首を大きく振って空へと咆哮する。先程の人間の怒号とは比べ物にならない声量に、木々が震えて葉擦れを起こす。それに人間達が怯んだ隙に、キャミィを咥えてドラゴンは木々の間をすり抜けて飛び始めた。高速ですれ違う木々に人間達が放ったであろう矢が突き刺さった。キャミィは急いで両手を祈るように合わせた。
「森の精よ……!」
祈りに呼応して枝が人間の行く手を遮る。
「くそっ!」
「なんだこれは!」
叫び声と枝を切り落とす音が聞こえる。人間達が突破に手間取っている間に、辺りを必死に見渡した。
「あそこ!」
崖の途中にあったのはキャミィが掘ったいくつかある洞穴の一つだ。そこに滑り込むと、ドラゴンを奥へと押しやって入り口を岩で塞いだ。ペタリとその場に座り込む。膝が笑って立つことができなかった。
「なんで、あんな……」
思わず言葉を溢して、ハッとするとキャミィは慌ててドラゴンへと這いずり寄った。細かなところまで調べて、怪我がないことにホッと息を吐く。
(僕が守らなきゃ……)
理由はわからないが、人間達はドラゴンを狙っていた。もしかすると、前に羽を傷付けた人間達かもしれない。
キャミィは覚悟を決めると、震える手を誤魔化すために心配そうに寄せられたドラゴンの鼻面を強く抱き締めた。
*
それからのキャミィの行動は早かった。狙われているドラゴンを洞窟内に残して、穴を掘って山の中を移動する。時折地上に出ては植物に人間の足止めをするようお願いして回った。そして山に住む動物達から人間の居場所を聴き、日中はその後ろを尾行していく。
人間達が拠点としているのは山頂に近い広場だった。長期戦でいくつもりなのか、食料が入っているであろう木箱がテントの横に積み上げられていた。
(どうにかして追い出さないと……)
今日採ってきた木の実を食べながら必死で考える。以前住んでいた山に人間はいなかったから、どう対処したらいいのかが思いつかない。人間を遠ざけることさえできれば、その隙に別の山に飛んで行けるのに。ドラゴンと同じくらい珍しい動物を囮にするかとも考えたが、そんなことできるはずがなかった。
(そういえば)
人間は金に弱いと誰かが言っていなかったか。しかし、人間が逃げるほどの金となると相当な量になるだろう。この山にそれほどの金があるとは思えない。そこでふと思い出したのは、先日忍び込んだ人間の住処だった。大きな建物の中には妙な形をした金や鉱石が山ほどあった。あれを持ってくれば、丁度いい目眩しになるんじゃないか。
(よし……!)
善は急げとばかりにキャミィは早速準備を始めた。すっかり寛いでいたドラゴンに絶対に外に出ないよう言い含めて、貯蔵用の木の実をどっさり傍らに置いておく。ポシェットには石を研いで作ったナイフと石飛礫、腰には食料を入れた小袋をぶら下げた。
「行ってきます!」
そう言って穴を掘り出て行ったキャミィの後ろから、フューイとドラゴンの鳴き声が聞こえた。
9.
造形技術専門学校では年に一回、二日に渡って研究発表会が執り行われる。各クラスでそれぞれが製作したい物を決め、展示の方法や見せ方も自由という、研究発表会などという堅い名称とは正反対のイベントである。
今回、工芸科二年が製作するのは魔石ボックスだ。魔石ボックスとは、ビルクス石やタングスト石などの魔力を持つ石の劣化を防ぐための箱で、主に鉱物商が商品の保管箱として使用する。たかが保管箱だが、派手好きの鉱物商の中には外装にこだわる者も多く、芸術度の高い物は高値で取り引きされることも多い。
「出来た!」
一心不乱に作業をしていた相沢が顔を上げた。金先にこってりと絞られた五日前、奇跡的に見つからなかった拾い物の金属を今日漸く加工することが出来た。時刻は夕方の六時。研究発表会まであと十数時間。明日本番という納期ギリギリでの完成だ。
「おーお疲れー」
気のない返事で応じたのは江崎だ。顔も上げず堀口と向かい合わせで座り、手にした端末で夢中でゲームを進めていた。
オリハルコンの紛失というアクシデントにより大幅に作業が遅れた相沢と違い、堀口と江崎は既に魔石ボックスを完成させていた。なので実習室に用は無いのだが、教室内の内装を手掛けている女子達に邪魔だと言われ逃げてきたのだった。堀口が不満気に唇を尖らせる。
「早く持ってかねーと澤口が恐えぞ。アイツこのイベントに命かけてるから」
澤口とはクラス委員長を務める澤口叶のことだ。漠然とした将来しか持たない生徒が大半の工芸科において、唯一就職の為にこの学科を選んだ女生徒で、この研究発表会で金賞を取ることに情熱を注いでいる。
このイベントでは一日目に校内生徒が、二日目には外部からの来場者によって最も優れているクラスを決める人気投票が行われる。優勝クラスは記念の盾と賞状が送られるのだが、彼女が欲しいのはその盾に使われている黒い鉱物だ。なんでも、今作っている物に組み合わせるためにどうしても必要らしい。
「まぁ、いーんじゃねぇの。その代わり色々やってくれてるじゃん」
「嫌とは言わないけど、アイツおっかねぇんだもん」
煮え切らない様子でボヤく堀口に、相沢と江崎は顔を見合わすと肩を竦めた。どうやら相当怒られたらしい。
「じゃあ俺、教室にこれ置いてくるわ。お前らどうすんの?」
「俺達はこのステージ終わったら帰る」
「オーケー、また明日なー」
二人に手を振り、相沢は教室へと向かった。明日の研究発表会に向けて、日が沈みかけているにも関わらず校内は騒がしい。階段を上がり、中でもトップクラスに騒がしいであろう教室へと足を踏み入れた。
「チーッス、遅くなりましたー」
「やっと来た!」
即座に振り向いたのはやはり澤口であった。長い黒髪を振り乱して大股で相沢へと迫り来る。
「相沢くん!ギリギリだよ!」
常からキツい眼光が、より鋭くなって相沢に突き刺さる。これを指摘すると本人は普通だと言うが、澤口の眼力は相当な威力がある。居眠りをしていた澤口を起こした際に担任が怯むぐらいなのだから、これが普通なワケが無い。
背中に汗をかいて、相沢は一歩後方へと下がった。
「ごめんごめん。やっと出来上がってさ」
気を逸らすために今し方作り上げた箱を持ち上げた。銀の外装に金の内張。ここまでは全員同じだが、蓋や側面に施された細工はそれぞれ異なっている。相沢の物は植物をモチーフにしたデザインだ。象形化された植物が複雑に絡み合い、蓋の真ん中には大きく一輪の花が彫られている。その中心には小さなトパーズが置かれていた。
「相沢くん、相変わらず見た目に似合わない繊細な物を作るわね」
「それ褒めてる?」
しげしげと眺め回す澤口に、相沢は苦笑した。見た目も態度も怖いけれど、このクラスの中で誰よりも魔法道具に向き合っているのは、この澤口だ。お世辞など恐らく口にしないであろう人物に遠回しに褒められて、こそばゆくなった。
「それよりスゲーね教室。見違えたわ」
なんとなく誤魔化すように見渡せば、其処は教室とは思えない煌びやかな空間になっていた。天井や壁を彩るのは儚くも鮮やかなビロード。それが視界を遮るように縦横無尽に柔らかに垂れ下がり、作品をパーテーション代わりに区切っている。作品が置かれている台にも銀色のビロードが敷かれ、その上に乗る展示物の周りにはクラスの女子が持ち寄ったのか、煌びやかなアクセサリーで囲まれていて、まるで宝物庫のようだ。相沢の褒め言葉に気を良くしたのか、澤口は鋭い目を幾分か和らげて、ふふ、と笑った。
「そうでしょう?もちろん相沢くんだけの場所もあるわよ。それは───コチラです!」
勢いよく澤口が指し示したのは教室の中央、アクセサリーどころか金貨や金の粒が彩る金の台座であった。他の銀の台座より高く聳える金色の頂上は空席になっている。
「すげー!これ本物?!」
「そんなわけないでしょ、ゲーセンのコイン塗装したの」
意気揚々とコインを摘み上げた相沢の手を、澤口が強く叩いた。そして「お願ーい!」と言うと、脚立が用意され、ついに相沢の作品が台座の上へと据えられた。
「お~!」
出来る限りの丹精を込めたとはいえ、生徒の作る荒削りな作品である。しかし、周囲の装飾のおかげで見た目以上に立派に見えた。自分の手で作った物とは思えない豪奢な姿に、相沢の興奮も高まり、作品への愛着も湧いてくる。もっと良く見せたいという欲も出てきて、いそいそと澤口の元へと近付いていった。
「なぁ、これさ、蓋少し開けてネックレスとかコインとか中から溢れ出させてみたらどうかな?宝箱みたいに!」
「こう?」
相沢の提案に、澤口は周りのコインを集めると保存箱へと入れ始めた。ジャラジャラと鳴る音に、期待が膨らむ。思い描くのは御伽噺に出て来るような宝箱だ。金色でもないし、大きなルビーも嵌め込まれていないが、これだけ煌びやかな空間ならば映えるだろう。相沢がワクワクと出来上がりを待っていると、暫くして「何コレ?」と澤口が呟いた。
「え?ダメだった?」
「そうじゃなくて、これおかしい……あっ!」
一瞬、相沢は澤口が足を滑らせたのだと思った。澤口の身体が傾いて脚立から浮き上がったからだ。しかし、倒れたはずの澤口の身体は脚立の向こう側には無く、代わりに凄い速さで相沢の保存箱の中へと吸い込まれていった。数瞬後、教室内に悲鳴が響き渡った。
「澤口!」
教室内で作業をしていたクラスメイト達が騒ぐ中、相沢は急いで脚立を駆け上った。魔石ボックスを覗き込む。見たところ箱の中は製作時と変わった様子は無いが、確かに澤口は中に吸い込まれていった。意を決して腕をゆっくりと入れてみる。
「何だコレー!!」
高さにして十センチ程しかない箱の中にズブズブと腕が飲み込まれていく。飲み込まれた先には、どうやら空間が広がっているようだ。腕を振ってみると、コインの感触が指に触れた。
「うおっ?!」
突然腕を掴まれて、相沢は仰け反って箱から手を離した。その衝撃で脚立から転がり落ち、魔石ボックスが宙を舞った。突然の事に受け身を取り損ねて背中を強かに打ち付けた。一瞬息が止まり、それを取り返すように思わず咳き込んだ。
「相沢!」
クラスメイトが駆け寄ってくる。強い光を直接見た時のように目が眩み、その中に星が飛んでいた。
「痛ぇー……」
「委員長!」
少し離れた所から、別のクラスメイトの声がした。その声に顔を向けると、澤口が頭を押さえて座り込んでいた。その周囲にはコインが散らばっている。ホッと胸を撫で下ろす。
「澤口……無事だったか」
相沢が何とか絞り出すと、澤口は周囲に礼を言って思いの外機敏な動作で相沢の元へと歩み寄ってきた。
「相沢くんの方が大事になってるけどね……立てる?」
差し出された手を握り返す。打ち付けた背中が少し痛んだが、動けない程ではなかった。ゆっくりと起き上がり、座り込む。相沢の背中をクラスメイトが支えてくれた。
「おあー……あんがと。なぁ、今何が起きてるんだ?」
「私が聞きたいわよ。あなた、一体何を作り出したの……」
呆れたように答える澤口の表情は苦みきっている。
「人を飲み込む魔石ボックスなんて聞いた事ないわよ」
「やっぱり箱の中入ってたんだ……もうダメかと思った……」
私の台詞だわ、と言うと、澤口は先程の騒ぎで数メートル先に落ちた魔石ボックスを拾い上げた。先程自分を飲み込んだ得体の知れない道具を平然と手にした胆力に、相沢は内心で舌を巻く。自分ならば触れようとすら思えない。そんなことは露とも知らぬ澤口は、閉じた箱を眺めすがめつ確認した。
「真っ白い空間に放り込まれたと思ったら、急に目の前に相沢くんの腕が出てきたの。相沢くん、さっきみたいにもう一度これに腕を突っ込んでみて」
「うぇっ?!」
ズイッと目の前に箱を出されて躊躇う相沢に、少し苛ついたように澤口の目端がキュッと上がった。その剣幕に押されて、渋々腕を入れていく。
「うおぉぉぉ……」
際限なく飲み込まれていく腕に、先程身体ごと飲み込まれた澤口を思い出して嫌な汗が滲む。二の腕まで飲み込んだところで、澤口はゆっくりと箱を引いて相沢の腕から引き離した。
「次、田端くん。ゆっくり腕を入れてみて」
「俺ぇ?!」
相沢の背中を支えてくれていたクラスメイト───田端智則が声を上げた。非難めいた声に、澤口の目端が更に鋭くなる。
「今ここに男子はあなたと相沢くんだけなのよ。女の子に危ないことさせられないでしょ」
澤口の言葉に背後の田端が言葉に詰まるのがわかった。澤口の言う通り、飾り付けの最終段階に入った今、この場にいる男子は田端と相沢しかいない。それでも納得いかないのか「でも……」と田端が言った。
「澤口がやれば……」
「私は女子じゃないって言いたいのかしら?」
ついに上がりきった澤口の目に、ひぃっと田端は縮み上がった。クラスの中でもあまり目立つことのない田端は、クラス全員を合わせても気の弱さはピカイチだ。恐縮して固まってしまった田端を宥めるように、相沢は肩に置かれた手をポンポンと数回叩く。
「悪い田端。死にはしないから頼むよ」
相沢にそう言われて、田端は周囲を見回した。やがて、誰も味方になってくれないと諦めたのか、長い溜息を吐き、
「……絶対助けてよ……」
小さく言い捨てると、目の前に出された箱の中にゆっくりと手を近付けた。田端の動きは周囲が焦れるほど慎重だった。恐る恐る伸ばされた指は最初、箱から十五センチも離れたところからジリジリと近付き、縁に触れるか触れないかというところで一旦止まった。
「……」
中々先に行こうとしない田端に業を煮やしたのは澤口だった。手元の箱を押し出しすと田端の指が箱に掛かる。
「うわあぁぁぁ!!」
指の先が入ってすぐに田端の身体は間髪入れずに吸い込まれた。叫び声ごと飲み込まれ、やがて静かになると、澤口は至って冷静に相沢へと箱を手渡した。
「腕入れて、田端引き上げてみて」
言われるがままに、再び手を入れる。すると、今度は手首まで入ったところで手を握られた。そのまま箱の外へと引き出す。
「な、な、何だよこれ……」
小さな箱からずるずると田端が引き出されていく様は、なんとも奇妙なものだった。しかし、これにも動じることはなく、澤口は無事に引き出されて腰を抜かしている田端を見下ろして「やっぱりね」と数度頷いた。
「これ、原理は収納袋と同じだと思うわ」
「収納袋?あの冒険者が持ってるやつか?」
慎重に蓋を閉めて、相沢は首を傾げた。
収納袋とは、主に冒険者や狩人が旅をする際に持ち歩く魔法道具である。内面に特殊な加工が施され、異次元空間に繋げることで巾着程度の布袋にテントや寝袋などの嵩張る荷物を収納することができる、旅の必需品だ。
「なんでそんなことになってんの?」
「こっちが聞きたいわよ。なんて物を作ってくれたの」
呆れて澤口は溜息を吐いた。
澤口の見解によると、相沢の魔石ボックスは収納袋と同じように異空間に繋がっているらしい。しかし、そこに物の出し入れができるのはどうやら製作者である相沢のみで、その他の者が触れると見境なく吸い込まれてしまう。先程の澤口や田端のように。
「ということは、つまり、知らない間に誰かが吸い込まれても相沢くんが気付かない限りは外に出られないということになるわ」
その言葉に、物珍しそうに箱を覗き込んでいた全員が一斉に相沢から距離を取った。驚いて腰を浮かせた相沢に、田端が「寄るな!」と叫ぶ。
「なんだよ!傷付くだろ!」
「吸い込まれたらどうするんだ!早くそれ処分しろよ!」
「いや、処分って言ったって……」
相沢は手元の箱を見下ろした。
危険な物だと言われても、相沢の製作物はこれだけだ。他の授業の提出物同様、研究発表会の展示物もやはり成績に関わってくるし、学科が苦手な相沢にとって点数を取る方法は実技しかない。正直言って、今学期の実技を全て満点で通っても補習を免れるかどうかという瀬戸際なので、研究発表会に出さないというのは非常に不味かった。しかし、人に危険が及ぶとなればどうなのか。
うんうんと悩み始めた相沢の思考を遮ったのは、やはり澤口だった。
「処分はしないわ」
決然と言い放ち、腰に手を当てて尊大に周囲を見渡した。
「金賞を取るには相沢くんの作品は不可欠よ。よって、箝口令を敷きます。みんな、今見たことは口外しないで」
強くそう言った澤口に、教室内に戸惑うような雰囲気が漂った。それはそうだろう。これがただの収納袋ならば問題は無いが、ここにいる全員は為す術もなく吸い込まれていく澤口と田端を見ている。ここで見逃して万が一があれば、黙っていた自分達まで責を問われることになる、そういう沈黙だった。
「何かあったらどうすんだよ……」
小さく呟いたのは田端だ。臆病な瞳が、強く澤口を睨みつけた。
「もし誰かが吸い込まれて、それに気付けなくて、それでそいつがどうにかなっちゃったら、お前らだけで責任取れるのかよ」
田端の責めるような物言いに、表立って味方をする者は居なかったが沈黙がそれを肯定した。澤口もそれに異論はないようで、一つ大きく頷いた。
「責任は取れないわ。だから、私が三時間毎に中に入って確かめる。これならどう?」
平然と放たれた言葉に、再び教室内が騒めいた。同じく、元凶でありながら、騒ぎを傍観することしか出来ずにいた相沢も、澤口の発言に目を剥いた。
「待てって!戻って来れなかったらどうすんだよ!」
「もちろん、命綱は付けるわ。死にたくないもの」
「死っ……!」
敢えて誰も口に出さなかった可能性をツルリと言われ、思わず閉口した相沢に苦笑すると、澤口は小さく息を吐いた。
「可能性から言うと、相沢くんがいれば死ぬことは無いと思うわ。でも、まだ確証は無いから念の為に入るだけよ。原理は収納袋と一緒だって言ったでしょう?」
澤口は自分の推測に自信があるようで、言葉尻に不安は感じられない。しかし、中が収納袋と同じ原理というのはあくまでも仮説であり、確定では無いのだ。そもそも、本当に収納袋ならば人を吸い込むようなことはない。ならば、中も変異が起きていると考えるのが自然だ。
「いや、でも……」
「私は大丈夫。みんなにも、絶対迷惑はかけないわ」
そう断言されると何も言い返せることはなく、相沢は思わず溜息を吐くとバツの悪そうな田端と目線を見合わせた。まだ付き合いは浅いが、クラス全員が澤口の筋金入りの頑固さを知っている。ここで誰が何を言おうと、納得することはないだろう。
面倒なことになってしまったと、元凶である相沢は現実から逃げるように空を見た。夜の帳は降りきって月が輝いている。研究発表会まで、あと十時間を切っている。
10.
天気は快晴。抜けるような青空には雲一つ無く、背後に聳えるワコル山の頂上まではっきりと見える気持ちの良い朝に研究発表会開催を知らせるトランペットの音が高らかに鳴り響いた。
私立造形技術専門学校は四つの科に分けられている。一つは魔法物質や魔法道具を保存する為の加工を学ぶ工芸科、二つ目は魔法武具の製作を学ぶ武具装具科、三つ目は魔法効果のあるローブやマントなどを製作する服飾科、そして四つ目が魔法効果のあるアクセサリーを製作する装飾科だ。校長の挨拶が終わり、担当教師の開始の合図と共にトランペットが鳴ると、四科三学年の総勢四百五名の生徒達は一斉に動き出した。二日間ある研究発表会で金賞を取るには、今日の関係者の部と明日の一般の部で、より多くの票を獲得しなければならない。そのため、集客はかなり熾烈なものとなる。
「いらっしゃーい!どうぞ寄ってってー!」
工芸科二年も集客すべく、今日のために手を打っていた。その第一弾が、現在堀口が仮装している『頭部が豪奢な箱のスーツ姿の男』である。
「ヤダー!チョーかっこいい!」
一見すると奇妙な風貌だが、何故か女子ウケが良い。この仮装をしろと澤口に言われた時に堀口は盛大に反抗したのだが、かつてないモテ期に思わず内心で澤口に感謝すらしかけた。
「展示物見てくれたら一緒に写真撮れるよー!」
「行く行くー!」
隣に看板を持って立つ相沢の声かけに、周囲の女子達は揃って展示室の方へと向かって行く。これが自分と写真を撮るためだというのだから、堀口が箱の下でにやけてしまうのも無理は無かった。
「おい、ニヤニヤしてないで仕事しろよ」
相沢の恨めしそうな声に、はて、と堀口は首を傾げた。
堀口は今、澤口に口酸っぱく喋らずに紳士然と振る舞えと言われているため、一言も声を発することはない。しかし、喋らない代わりに大袈裟な仕草で感情を表してくる。堀口はスタイルが良い。それがいちいち様になって相沢の神経を逆撫でる。相沢は短く舌打ちをした。
「見なくても分かるっつーの。てか、その動きめちゃくちゃ腹立つわ」
恨みの篭った相沢の言葉に、戯けるように箱男は顎の下に手をやって考える風を装った。それに反応した女性たちが集まり、集客は上々だ。華やかに賑わう相沢達の周囲。しかし、それとは裏腹の湿度の高い視線が相沢を絡め取った。
「良いよな~お前らはさ~」
客を展示室へと誘導した相沢の背後に幽鬼のように現れたのは、くたびれたパンダの着ぐるみだった。首から看板を下げ、手には風船を持っている。
「俺も女子にチヤホヤされてーなー」
「チヤホヤされてんのは俺じゃなくて堀口だ」
パンダの顔を押し退けて、ついでに手に持った看板を押し付けた。中で変な風に当たったのか、小さく「ぐぇっ」と声がした。
「お前仕事してんのか?悔しいけど、堀口は順調だぞ」
「してるよー。してるけど、今日は俺らは役立たずだわ。これは明日の予行演習」
「明日には役に立つのかよ」
「多分な」
そう言い捨てるとパンダこと江崎は、女子に囲まれて写真を撮っていた堀口の元へと割って入って行った。女子の悲鳴じみた非難の声を背に、誰に見せるともなく看板を振っておく。
現在相沢達が客寄せをしているのは、正門から学院を抜けて伸びる並木道の中程のところだ。学院のメインストリートとも呼べるこの道には、正門を抜けてすぐに大きな噴水が置かれており、その周囲には学生が寛げるよう幾つかのベンチが備え付けられている。その広場を抜けて学院の渡り廊下を越えると専門学校へと繋がるのだが、専門学校の出入り口は別に設けられているので、普段相沢達専門学生が学院側の敷地に立ち入ることは滅多に無かった。しかし今日は関係者の部ということで、学院側の生徒達も客として参加している。そこで、滅多に無い広場での客寄せをしているのだ。
(見たところ、半数ぐらいは来てんのかな)
研究発表会は専門側のイベントなので、学院側は強制参加ではない。しかし、広場を埋める人の数は相沢が予想していたよりも多かった。
「相沢くん」
不意に声を掛けられて振り向くと、首から下を白い着ぐるみで覆われた澤口が立っていた。頭には兎耳が乗っている。
「そろそろ見回りに行きましょう」
格好とは裏腹に、いつものように毅然と振る舞う澤口に相沢は咄嗟の言葉が出なかった。代わりに、後ろから「ぶーっ!」と江崎の吹き出す声がした。
「だーっはっはっ!何だよその格好!」
「頭部無しのジャンク品よ。可愛いでしょ」
「可愛くはないだろ!控え室で準備中の人のコスプレじゃん!」
無遠慮に指を指して笑う江崎に、澤口の額に青筋が立つ。それに気付いた相沢は江崎を窘めようとしたが、時すでに遅し。思いっきり足の甲を踏み抜かれて、パンダが飛び上がった。
「行きましょう、相沢くん」
声も無く悶絶する江崎を放ってその場から離れる。暫く歩いてから振り返った時にも地面に転がっていたことから、相当な痛みだったのだと推測し、
(江崎……馬鹿な奴だ……)
自ら自爆していく友に憐れみを送った。
*
展示室の隣の空き教室で、例の箱を構えて相沢は固唾を飲んだ。
「それじゃあ行くわよ」
着ぐるみのままで腰に縄を縛り、澤口が息巻く。澤口が今日のために用意したという縄は腰に巻いてもなお長く、数メートルがゆうに余っている。その端は、しっかりと相沢の右手に巻き付けられている。
「よし、来い!」
相沢の声に応えて、澤口が勢いよく吸い込まれた。勢いで縄を持って行かれぬように、力を込める。
「……あれ?」
澤口が吸い込まれた後、同じように縄も全て飲み込まれると思ったが、数センチ入ったのみでピクリともしない。飲み込まれた勢いで解けたのかと試しに引いてみたが、つっかえるような抵抗があり、オマケにあちら側からツンツンと引っ張り返すような返しがあった。我ながら妙な物を作り出したと相沢が感慨に耽っていると、再びあちら側から縄を引かれて腕を突っ込んだ。
「お帰り。中はどうだった?」
澤口を引きずり出して、状況を聞く。引きずり出された澤口は慣れたもので、そのまま這い出ると膝の埃を払うために数度手で叩いた。
「当然だけど、誰もいなかったわ。それと周囲を歩いてみたんだけど、縄の様子はどうだった?」
「全然動いてなかったよ。外れたと思って確認したぐらいだ」
「そう。やっぱりね」
澤口によると、収納袋とはそういう物であるらしかった。無造作に物を入れて、それが広い空間に散らばってしまえば取り出すことが出来ない。なので、一つのところに集まるように魔術がかけられているという。
「普通は魔術師が加工した物を使わないとこうはならないけどね。本当に、こんな物どうやったら作れるのかしら」
そう言って呆れる澤口に、相沢は曖昧に笑って誤魔化した。
原因には心当たりがある。恐らく、あの日くすねたオリハルコンが原因だろう。否、オリハルコンかどうかさえ怪しいが、完成した今、それがバレない事だけが相沢の唯一の気掛かりだった。
「まぁ、いいわ。とりあえずこれから三時間毎にこの教室に集合ね」
チャリ、と鍵を鳴らして毅然と立ち去る澤口の後ろ姿は、控えめに言っても可愛らしい。研究発表会は二日間。その間、無事にこの秘密を守り抜いて実技最高点を取ってみせると、相沢は固く手元の縄を握り締めた。
11.
ドラゴンと別れ、山を出ると決意したキャミィがまず手掛けたのは、現在山にいる狩人達への罠だった。いくらドラゴンに洞窟から出ないように言い含めたところで、万が一ということもある。その時にドラゴンが逃げ延びるには少しでも時間稼ぎが出来た方が良い。そう考えたキャミィは、以前盗んできた魔鉱石を一つづつ地面に置いては近くの草を結びつけて手製の罠を作っていく。黙々と作業を始めて暫く。始めた頃には白む程度だった空に、太陽が顔を出し始めていた。
「よし……」
背の高い雑草が生い茂る所は粗方仕掛け終わった。精霊や動物達にも話しを通しているので、これでドラゴンに害を成す者は近付けないはずである。
踵を返して、山を下る。目指すはワコル山麓の人間の住処だ。
*
キャミィが住処へと侵入した時、辺りはやたらと静まり返っていた。以前は騒がしいとまではいかずとも、人の気配が複数あったはずなのに。
(どうしたんだろう……)
疚しいことをしていると自覚しているからか、静寂が妙に恐ろしい。警戒心もあって、以前侵入した経路とは別の場所から入ることにした。
開け放たれた窓から、中へと入る。以前の雑然とした埃っぽい部屋とは違い、今回の部屋は広く、四角い台と妙な形をした物が規律正しく並んでいた。その合間を縫って、金を探す。床に落ちていた白いカサカサとした物に、小さな文字らしきものが羅列している。
「いや~やっと始まりますね」
(っ!!)
文字を読み解こうと眺めていたキャミィは、突如開いた扉に飛び上がって咄嗟に四角い台の下に隠れた。キィッと台が小さく音を立てる。
「全員提出が間に合ったようで安心しました。相沢くんと須藤くんはもうダメかと思いましたからねぇ」
「相沢は兎も角、須藤は順調だったはずでは?」
「それがねぇ、急に相沢くんに勝つって言い始めて、デザインを一から変えちゃったんですよ。おかげで僕まで居残りしちゃいました」
「それはお気の毒に……」
人間達が立ち話を続ける声を聞きながら、キャミィは脱出経路を探すべく辺りに目をやった。頭を付けていた天板が僅かに持ち上がり、カタリと音を立てる。
「……しかし、やる気があるというのは良いことですな。こと、専門学生はどうも緊張感に欠ける」
キュッと音が鳴って、足音がキャミィの元へと近づいてくる。台と変な形の物の隙間から足が見えた。黒くて大きな足に付けられた茶色の皮のような物が、床を擦って再びキュッと鳴いた。
───鳴くということは、足蹴にされているアレは、生きているということか。
思わぬ人間の残虐性に、ゾッと青褪める。焦って出口を探すが、唯一の出口が人間の足で塞がれてしまい身体の震えが止まらない。カタカタと鳴る天板はどうしようもないが、せめて声を漏らさぬようにと両手で口を押さえて耐え忍ぶ。
「いやいや金盛先生、それは言い過ぎでは……」
「ははは、職員室で遠慮は無しですよ西野先生。それに……ここには無礼者がいるようですしなぁっ!」
急に目の前の物が退かされたと思ったら、鬼のような顔面がキャミィの前に突き出された。
「ぎゃーーっっ!!」
再び飛び上がったキャミィを捕まえようと棍棒のような腕が伸びる。それを頭を打つけることすら構わずにめちゃくちゃに暴れることで回避して、ついでに思いっきり噛み付くと一瞬の隙を突いて出口へとひた走った。
「待て!!」
獣の唸り声のような重低音に、キャミィはかつて無い程速く足を動かした。
(っ!!っ!!)
必死の走りに、足音は段々と遠ざかっていく。しかし、恐怖で撹乱したキャミィはそれに気付く事はなく、誰もいない廊下をひたすらに走り抜いた。
(人間が!あんなに恐ろしいなんて!)
ガチガチと震える口元に手を当てて階段を駆け上がる。上った先に見えた部屋に飛び込んで、その端に置かれていた灰色の鉄の箱を開くと急いで中へと入り扉を閉めた。閉めた瞬間、ガクガクと足から崩れ落ち、目には涙が滲んできた。
キャミィは今まで人間に会った事がなかった訳ではない。以前いた山の麓に人間が来ることもあったし、何度か話す機会もあった。しかし、今まで会った人間達は先日の狩人や、先程の鬼のような乱暴はしてこなかった。自分の認識不足に悔しさと恐ろしさが襲いかかる。これでは、一匹で残されたあの子が見つかった時にどうなってしまうのか想像に難くない。
(早く……早く見つけなきゃいけないのに……!!)
暗い箱の中、震える足を力無く叩きつけるキャミィが歩き出すには、未だ時間がかかりそうだった。今は静かな室内に、何処か遠くからファンファーレの音が鳴り響いた。
12.
ウンザリと相手を見返した相沢が欠伸をしたのは、この十五分で既に十回目の事だった。集客の当番も休憩に入り、三人で出店でも見て回るかと歩き出したところで、須藤に捕まったのだ。
「どうだ相沢。お前の箱と違って立派だろうが」
そう言って須藤が突き出してきたのは、自信作と豪語する展示物のトマホークだ。全長六十センチはあるだろうか。頭部の滑らかな黒い鋼に、飴色の柄。刃の部分は銀色に輝き、恐らくミスリル鋼が使用されていると思われる。その刃と反対の位置には流れるような細工が柄に渡って丁寧に施されており、製作者の執念とこだわりが見て取れた。なので最初突き付けられた時、相沢も思わず「おー」と声を上げたのだが、それも最初のうちだけだった。
「うんうん。そーね」
長々と蘊蓄を垂れ流し、その度に「オマエノハコトハチガウダロ」という台詞を挟み込んでくる須藤に、いい加減投げやりな言葉しか出てこない。隣で聞いていた二人も飽きてきたのか、江崎はゲーム機を弄りだし、堀口は露骨に溜息を吐いた。
「もういいだろ。行こうぜ相沢」
いよいよ痺れを切らした堀口が前を塞ぐ須藤の脇を擦り抜けた。しかし、道を塞ぐように素早く移動する影があった。須藤と行動を共にする取り巻き達だ。首から下げた呼び込みの派手な看板が無駄に煌めく。
「なんだよお前ら!もう聞いたろうが!」
「……」
何も言わず不気味に押し返す姿に、相沢と堀口は顔を見合わせた。まだ何か言い足りないのか、話し出すタイミングを伺っている須藤に目をやって、背を向けた。
「おいっ、なんで今日に限ってこんなにしつこいんだよ!」
「知らねーよ!俺は真面目に聞いたぞ!」
コソコソと相談し始めた二人は再び須藤を見た。そこには先程の自慢話で興奮しているのか、少し上気した顔でこちらを見ている男がいて、多少の気持ち悪さが込み上げた。
「───わかった」
突如閃いたのは、最早壁に凭れかかりゲームに没頭していた江崎だった。
「つまり、ツンデレだ」
「あ?」
江崎の発した予想外の言葉に思わず声が低くなる。それに構わず見せられたゲーム機の液晶画面には、気の強そうな女子がソッポを向きながら主人公に話し掛けているところだった。訳がわからないと江崎と画面を見比べる二人に、江崎は眼鏡を押し上げて、
「相沢、須藤を褒めてやれ」
「はぁ?!嫌に決まってんだろ!!」
「まぁ、話しを聞け」
そう言うとスクラムを組むように、壁に向かって三人でガッチリと肩を抱き合った。
「今日の須藤は可笑しい。そうだな?」
「そうだよ!見てたろお前!」
「喚くな。いつも嫌味ばかりの奴が今日はどうだ?嫌味を言われたか?」
「いや、嫌味は……」
問われて、この十五分に渡る無駄話を思い出す。確かに、いつもの嫌味は入っていなかったように思われた。
「言われてないな」
「そうだろ。つまり、アイツはお前の敗北宣言を聞きたいんだ」
敗北宣言という言葉に、ピクリと相沢の肩が揺れた。
「これだけ凄いことをしたぞと見せびらかして、お前を打ち負かしたいんだよ」
「あぁ……それで、それを俺たちにも見せたいワケね」
ウンザリと堀口は再び溜息を吐いた。二人の肩を抱く相沢の両腕に力が篭る。
「なんで、俺が……」
「怒るな相沢。別に負けを認めなくてもいい、取り敢えずアイツを褒めろ。それで満足するはずだ」
慰めるように江崎は何度か相沢の背を叩き、スクラムを解いた。
理由がわかった今、振り返った先でニヤついている須藤が猛烈に憎らしく感じる。しかし相沢の背後に控える二人も空腹の限界なのか、頻りに「頑張れ!耐えろ!」と小声で言っては背中を押してくる。
相沢には、何故こんなにも須藤が自分に執着してくるのかが分からなかった。確かに高校の頃には相手校のライバルとして戦ってきた。だが、それは野球だけの話で、それ以外には関わりも何も無かったのだ。この学校に来て、須藤が絡んでくるまでは。
(なんで俺が……!)
訳の分からないことに巻き込まれて、怒りが込み上げる。前門の須藤と後門の二人に板挟みになり、相沢はゆっくりと拳を握り込んだ。
「キャーーッ!!」
膨れ上がる怒りに任せてニヤけた顔面に拳を叩きつけてやろうかと思った瞬間、数メートル先の教室から悲鳴が上がった。瞬時に目をやった先に居たのは、あの日取り逃がしたアルミラだった。控え室として使われていた教室に隠れていたのか、廊下へと飛び出し相沢の目の前を走り抜けていく。
「このっ……!!」
その姿を見た瞬間、相沢の怒りが爆発した。突き出されていたトマホークを奪い取り、僅かに残る理性で頭部と柄を力付くでもぎ離した。
「あーーーっ!!」
一瞬後に上がった須藤の悲鳴にも気付かず、相沢は柄の部分を握り締めると強く振りかぶる。
「ごちゃごちゃうるせーんだよ!テメーら!!」
怒りに任せた豪速の柄が相沢の手を離れた。そしてそれがアルミラの頭に命中すると、小さな身体は声も無く倒れたのだった。
13.
───ぐすっ。うぅ……。
真っ暗闇の中で蹲り、泣いている影がある。その後ろに立って、キャミィはその影を見下ろしていた。
(あぁ、これはボクだ)
ワコル山に来る前の自分。家族も無く、仲間も居らず、精霊達の加護によってなんとか生きていた自分。あの頃は一人が当たり前で、寂しいだなんて感じることはなかった。それでも、周りの動物達や精霊達には番があって、家族がいて、それがどういうものなのか、触れてみたくなった。
(それで、ワコル山に来たんだ)
キャミィは生まれてからこの方一人だったが、アルミラは決して珍しい種族ではない。精霊達から聞くところによると、街に近いところにはアルミラの集落もあるらしかった。
───仲間に会ってみたい。
そうして、いくつもの山を越えて、ワコル山へと辿り着いたのだ。
ぐすっ、うぅっ……。
「悪かったって、泣くなよ須藤」
聞こえてきた会話に、キャミィはゆっくりと瞼を開いた。あれからどれぐらい経っただろう。開いた視界に飛び込んできたのは、少し傾いた日が照らすクリーム色の天井だった。まだ痛む後頭部が、ぼんやりと思考を起動させる。
「俺はっ、あれに全てを賭けていたんだっ!」
「えぇ……。引っこ抜いただけなんだから戻せばいいだろ」
「お前の箱と一緒にするな!!」
激しい言い争いはキャミィの足元から聞こえた。少し頭を傾けてみると、部屋の隅の方で二人の人間が向かい合っており、座って頭を抱えている方の目元は僅かに濡れているようだった。二人はキャミィの意識が戻ったことに気付いていないようで、言い争いはますますヒートアップしていく。目線だけで二人との距離を確認して、最新の注意を払って頭上の扉へと目を向けた。
(隙を見て逃げなきゃ……)
じり、と僅かに足を動かす。立ち上がり様すぐに走り出せるよう、地面につけた足裏に僅かに力を込めた。
(あの子を助けるんだから……!)
決意したと同時に身を翻し、両手で身体を起こした勢いで地面を蹴り上げた。低い体勢から徐々に身体を引き起こし、手を伸ばしてギリギリ届く高さにあるドアノブへと手を伸ばす。
「あっ!おい!」
慌てた声が背中にかかる。その声を振り払うように渾身の力を込めて思いっきり扉を開いた。
「ギャッ!!」
「お?」
開いた瞬間キャミィの目の前にいたのは、豪華な箱に人間の身体が付いた奇妙な姿の生き物だった。見たことのない生き物に驚き、思わずたたらを踏んだキャミィの腕を易々と箱が捕らえた。そのまま、足が地面から浮く高さまで軽々と引き上げられた。
「おーい、ちゃんと見張っとけって」
箱はキャミィをぶら下げたまま部屋に入り、言い争っていた片方へと突き出した。
「だって須藤が泣くからさぁ」
「泣いてない!」
怒鳴り声に耳を伏せる。
(もうダメだ……もう逃げられない……)
この人間達はキャミィが魔法鉱石を盗んでいたことを知っている。一度逃した盗っ人を再び見逃すとは到底思えない。最後の悪あがきと掴まれた腕を外そうと藻搔いてみたが、足をバタつかせるだけで終わってしまった。
「なぁ、お前さ」
なす術もなく力無く項垂れたキャミィの前に、言い争っていた人間の一人がしゃがみ込んだ。先程立って頭を掻いていた人間だ。ぼんやりと眺めていた床を遮るように、視界がその人間の顔でいっぱいになる。そのまま手を伸ばされたかと思うと、頭を軽く撫でられた。
「もう怒ってないからオリハルコンだけ返してくんない?あれ無いと俺大変なんだわ」
予想に反して困ったように笑うだけの人間に、キャミィは困惑した。このまま痛めつけられると思ったのだ。山にいた人間がしたように。
「こ、殺さないの……?」
カラカラに乾いた喉が引っ付いて、掠れて漏れた声は情けないほどに小さかった。それでも目の前の人間には伝わったようで、黒い目を大きく見開くと、ブーッ!と大きく吹き出した。
「いやさすがに殺さないって。とんでもない悪党なら一発殴ろうとは思ったけどさ」
戯けて両手を振る人間に、キャミィは漸く全身の力を抜いた。
ここ数日、友であるドラゴンや山に来た襲撃者達の件が重なって碌に休まることが無かった。捕獲され計画は頓挫してしまったが、どこかで胸を撫で下ろす自分もいた。だからだろう。緊張の解けた腹の虫が盛大に泣き叫んだ。
「っ!」
「あ?腹減ってんの?」
恥じ入って再び顔を伏せたキャミィの頭上で、軽い笑い含みの声がした。恐る恐る見上げると、さっきより少し強めに頭を撫でられる。
「んじゃ、飯食いに行こうぜ!」
*
キャミィが連れてこられたのは、油の匂いが染み込んだ木造の小さな小屋だった。入り口に暖簾が垂れ下がり、それを払い除けて入ると古びたカウンターと椅子が四つ、奥の方には明らかに堅気ではない男が腕を組んで入り口を睨んでいた。
「おやじさん、いつもの四つね」
慣れた仕草で椅子に腰掛けた相沢達に倣い、キャミィも腰を下ろす。こちらを睨んでいた店主は、小さく「あいよ」と言うと手元で何やら作業を始めた。
「お前、なんでオリハルコン盗んだんだよ」
相沢はカウンターに置かれていた小皿を四つ並べると、それぞれに名物の山菜のピリ辛胡麻和えを取り分けていく。それを当然のように端に座る二人が受け取り、そのうちの一つがキャミィの前に置かれた。
「金が必要だったのか?」
箸を手に取り胡麻和えを食べ出した三人を見回して、質問には答えず指で山菜を摘まんだキャミィに江崎がフォークを差し出した。
「ほれ。刺して食えよ」
見慣れない道具を受け取って恐る恐る口に運ぶ。馴染みのある歯触りと初めての味に目を白黒とさせているキャミィに、相沢は片肘を付いて息を吐いた。
見たところ、金目当てでの盗みでは無さそうだった。それどころか、山から出たことすら初めてなのではないかと思える反応に、ますます疑問は募った。
「なんでまた学校に忍び込んだの」
返答は期待せず、ほとんど独り言のように問うと、キャミィは口の中の胡麻和えを飲み込み「……友達を助けたかったんだ」と小さく呟くと再び山菜を口に運び始めた。三人は顔を見合わせた。
「それって……身代金要求されてるとか?それとも病気か何か?」
「病気……」
堀口の言葉に、キャミィは食べ進める手を止めた。
「そうかも……だって、前はあんな風じゃなかった……」
それからキャミィは事の顛末をポツポツと語り出した。ドラゴンとの出会い、穏やかな日々、変貌する友に襲い掛かってきた人間達。語り終わる頃には胡麻和えはすっかり平らげて、メインを待つのみとなっていた。楊枝を加えて、江崎は考え込む。
「話しが本当なら、その狩人達は闇ハンターってやつだな」
「何それ?」
「法律で狩っちゃいけない魔獣を狩って裏で売買してるハンターのことだ。ロッグ本体を狙ってきたなら、その可能性が高い」
国指定保護生物であるロッグドラゴンは如何なる理由があっても狩ることは許されない。市場に出回る鱗でさえ、許可を受けた狩人が森に落ちていたのを拾い集めた物のみで、一般人では例え落ちていたとしても、拾って所持することすら許されないのだ。
「もしそうだとしたら、犯罪者じゃん」
「そ。だから俺たちじゃ何もしてやれねぇわな」
江崎がそう言ったところで料理が運ばれてきた。目の前に置かれたのは乳白色のスープの中に黄色い麺が落とし込まれたラーメンだった。乳白色のスープの上には背脂が浮き、食べずとも濃厚なことが一目で分かる。スープの中ちらりと覗く麺は黄色に近いクリーム色をしており、強烈な匂いの中でも負けない卵の香りは麺にどれだけの卵が使用されたのかを主張してくるようだ。そして、その麺とスープを彩るように乗せられたプロック鳥の肉。柔らかく薄味ながらもしっかりと味の染み込んだ肉は特濃ラーメンの中のオアシスであった。
「あー旨そう!いただきます!」
湯気を立てるそれに一斉に取り掛かる。啜るたび縮れ麺にスープが絡み口内を満たしていく。それを咀嚼し飲み下しながら、相沢はキャミィを見た。先程とは打って変わり、深刻そうにラーメンを見つめる横顔は物悲しげに俯いている。やがてフォークを手にラーメンを啜り始めたが、三人程の感動は無いようであった。
ラーメンを食べ終えて帰途に付いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。闇ハンターがいるという山にキャミィ一人を帰すわけにもいかず、今夜は相沢のアパートへと連れて帰る事になった。
相沢のアパートは学校から徒歩十五分、今時珍しい木造の二階建てだ。家賃二万でトイレと風呂が共同という古めかしい作りで、堀口などは"待遇の良い監獄"だと言うが、この古さが相沢は気に入っていた。
風呂を済ませ、六畳一間の畳間に布団を二つ敷いていく。狭い室内に広げられる厚手の布に、キャミィはキョトキョトと落ち着かないようだった。
「この上に寝るんだよ。ほれ、寝そべってみな」
言われるがまま横になったキャミィの上に夏用の毛布を掛け、電気を消すと相沢も横になった。
今日は朝から研究発表会だったこともあり、すぐに眠気がやってくる。しかし相沢と相反し、キャミィは眠れないようだった。
「……ドラゴンのことが気になるのか?」
相沢の問いに、一瞬躊躇うような間が空いて、次いで「うん……」と小さく返ってきた。
「江崎が言ってた通り俺たちは何もできないけど、先生達に報告して通報するぐらいはできるからさ。きっとまた元通りに暮らせるようになるよ」
元気付けるように言って、暫くすると相沢は眠ってしまった。キャミィは今日あった出来事を頭の中で追いかけていた。闇ハンターのこと、追いかけられて気絶したこと、食べたことのない食べ物。そのどれもが刺激的で、思い出す程興奮してやはり眠れない。
ゴロリと横を向く。ぼんやりと浮かび上がる景色の中、静かに眠る相沢がいる。毛布の中の熱と上下する胸元を眺めていると、少しづつだが興奮も薄れて眠気が忍び寄ってきた。静かに目を閉じる。穏やかな時間と、初めて感じる安心感に身を委ねて、やがてキャミィも眠りに落ちた。
「なー、俺のオリハルコン知らねー?」
雑然とした机に顔を埋めていた相沢が顔を上げた。
造形技術専門学校の工芸科実習室では、今日も生徒達が実習課題の製作に取り組んでいる。現在作成中の製作物は、来月の研究発表会で展示する魔法鉱石用保存箱だ。魔力を持つ鉱石の劣化を防ぐために内側に薄く伸ばしたオリハルコンを貼り付けるのだが、クラス全員に配られたはずの直径五ミリの数粒が見当たらない。
「その辺埋まってるんじゃねーの」
隣から声を掛けたのは江崎だ。茶髪の長い前髪の隙間から細く気怠げな目が不機嫌そうに相沢を見ているが、これは相沢の立てる音が不快で睨んでいる訳ではなく、心底呆れているからだ。その証拠だと言わんばかりに江崎は鼻から息を吐いた。
「そんな汚い机でよく作業できるよな。ちゃんと片付けなさいよ」
「うるせー、お前は俺の母ちゃんか。これは散らかってるんじゃなくて俺が分かるように配置されてんだよ」
「んじゃオリハルコンどこよ」
「端っこに置いたはずなんだよなー」
そう言って、相沢の言う規律などとうに崩壊したであろう机上を尚も漁っていると、やがて授業終了のチャイムが鳴った。実習室の隣に併設された技術室から何人かの生徒がぞろぞろと出て来る。そのうちの一際身長がヒョロ高い生徒が襟口をパタパタと扇ぎながら近付いてきた。堀口だ。汗で額に張り付いた金に近い髪を片手で掻き上げている。
「技術室ヤベーよ。めちゃくちゃ暑い」
「この時期地獄だよな。溶接どうだった?」
笑って聞いてきた江崎に、堀口は小さく肩を竦めた。
「いつも通りグニャグニャだよ。聞くな。相沢は何してんの?」
堀口の問いに答えもせずに引き出しの中をひっくり返し始めた相沢に、今度は江崎が呆れたように肩を竦めた。
「こいつオリハルコン無くしてんだよ」
「うわ、マジで。あれっていくらぐらいだっけ」
「一粒二千メリー」
オリハルコンは本来ならば学生が授業で扱うことなど出来ない高級品だ。しかし、なぜ使用できることになったかと言うと、校長の知り合いである鉱石商の善意からであった。
高級品であるオリハルコンは魔法道具を製作する際に使用する頻度は極めて多い。しかし値が張るため、学校側も用意することが難しい。なので現場に出てから始めて扱うということになるのだが、これがなかなかクセの強い材質なので道具工芸士となった後の第一の壁として立ちはだかり、挫折する者も多くいた。近年、工芸士を含めた魔具技術士界隈は人手不足に悩まされている。それを少しでも改善できればと、人の善い鉱石商は売り物にならないカケラを集めて安値で校内の購買へと卸してくれているのだ。
「あぁ~!無い~!」
ガバッと身体を起こした相沢が掻き毟るようにして頭を抱えた。
気の良い商人が安く卸しているとは言え、オリハルコンは高級品だ。銀などが一袋千メリーなのに対してオリハルコンは一粒二千メリー。万年金欠の学生がそう易々と買える値段ではない。
「どうしよ~今月金無いのに……」
「そんなことより早く戻ろうぜ。次、金先の授業だべ」
興味無さげに二人は愚痴を零しながらやれやれと出口へと向かった。対して、相沢は頭を抱えたまま動かない。江崎はしょうがないとでも言うように、少し困ったような顔を向けた。
「あとで一緒に探してやるから。早く行こうぜ」
「……俺、サボる」
え、と見た相沢の顔は深刻だった。ともすればいつも笑ってるように見える口元は悲惨にも曲げられ、彼ののっぴきならない心情を物語っている。絞り出された声は悲哀に満ちていた。
「サボって、オリハルコン探す」
「お前、本気か?」
ゴクリ、と息を飲んだのは堀口だ。その隣で、江崎も信じられないと両手で口元を覆った。
次の授業である鉱石学を担当する金盛は、この学校の名物教師で別名を『鬼の金盛』という。鉱石の知識の豊富さもさることながら、鉱石採掘に命を賭け、その情熱故の常識外れな行動の数々は、今まで罰として鉱石採取に付き合わされてきた幾多の生徒を恐怖のドン底に突き落としてきた。
「やめとけ、死ぬぞ」
「………」
「俺も江崎も打撲で済んだけど、先輩には骨折したやつも……」
「わかってるよ!」
バンッと叩きつけた机から、いくつかの道具が転がった。シン、と実習室内に静寂が広がる。江崎が、そっとそれを拾った。
「俺だって恐えよ……でも……」
叩きつけた掌を相沢は強く握りしめた。
実家住まいの江崎や堀口とは違い、地方で育った相沢は進学のために帝都に出てきていた。なので現在は部屋を借りて一人暮らしをしているが、学費や家賃以外の生活費は自分で出さねばならないので基本的に金が無い。節約の為にと、毎日の昼飯を拳大の握り飯で済ませている姿を江崎と堀口は知っている。二人は顔を見合わせた。
「本気みたいだな……」
「言っとくけど、あいつ相当クズだぞ。だって俺ら、ドワーフの採掘場に突っ込まれたもん」
死ぬかと思ったと頷きあう二人は過去に一度、奉仕活動と称した金先の鉱石採取に付き合わされた事がある。たかが石拾いだろうと高を括って同行したのだが、その内容といえば、危険なところに突っ込まれては物見をし、魔獣がいれば走って気を引くという、謂わば囮のような生贄のようなものだった。その時は補習の居残りで巻き込まれずに済んだ相沢は、翌日湿布だらけで登校してきた二人から事の顛末を聞いて身を震わせたものだった。因みに、鉱石取りに付き合わされた理由はパチンコ店にいるところを見られたからである。
「代弁しといて……」
当時の二人の惨状を思い出し、途端に弱気になった相沢が小さく呟いた。
「いやお前、あの少人数で代弁って」
「俺は死にたくない」
「いや分かるけど……」
話してる最中、再びチャイムが鳴った。三人が顔を見合わせる。授業開始の合図である。
「……しょうがない。一緒に探すか」
「一連托生か……」
「持つべきものは友達だよな」
後日行かなければならないであろう鉱石採取に気を重くしながら、渋々と三人は動き出した。
2.
それから一時間が経った。
実習室は粗方探し終え、今は技術室の床を隅から隅まで掃いているところだ。
「見当たらんな」
「諦めんな。絶対にあるはずだ」
綺麗になった床に這いつくばり、壁際に置かれた機材の隙間という隙間を覗き込む相沢を、箒にもたれかかった江崎が呆れたように見下ろした。
「落ちてたら誰かが貰ってるって。俺なら自分のにするもん」
「全員をお前みたいな浅ましい人間と一緒にするな。それに、俺のはそう簡単にネコババできないようになってるんだよ」
「へー。あんな小ちゃいのに名前でも書いてんのかよ」
「そうだよ」
当然だろうと頷いた相沢に、江崎は箒から滑り落ちて面食らった。
「名前書いてあんの?!」
「当たり前だろ。俺のだもん」
相沢が名前を書いたと言っているオリハルコンは、直径五ミリの粒だ。それが入学して最初の実習授業の際に三十粒配られた。その時に、その全てに自分の名前を書いたという。
「……お前って、時々ホント、バカなのか凄いのかわかんねぇわ」
今まで相沢の製作物のオリハルコンを使用された部分が妙に黒ずんでいた事を思い出して、江崎は呆れを通り越して尊敬の念すら抱き始めていた。
「……おい、お前ら」
呼ばれて、二人は堀口を見た。今まで会話にも入ってこなかった堀口は探すことに飽きたのか、実習室へと続くドアへと張り付いていた。
「おい、ちゃんと探せよ」
頼むから、と続けた相沢に、堀口は「違う」と首を振った。神妙な顔で指を実習室へと向ける。
「誰かいる」
小声につられて、二人も同じようにドアへと耳を付けた。確かに、ドア向こうの実習室からゴソゴソと荷物を漁るような音がする。
「これって……」
「あぁ、間違いない」
授業はとうに始まっている。しかも鬼と名高い金先の授業では、例え忘れ物をしたとあっても取りに行くことは許されず、管理がなっていないと鉱石採取とまではいかないまでも、相応のペナルティが課せられる。それを知っている生徒達はわざわざ危険を犯してまで抜け出すことはない。と、なると答えは一つ。
“泥棒だ”と堀口が言う前に、相沢は勢い良くドアを開け放った。
「俺のオリハルコン返せ泥棒!!」
突然響いた怒鳴り声に、実習室にいた小さな影は飛び上がると一瞬後には慌てて逃げ出した。手にしていた金色の塊を急いで肩下げ鞄に突っ込み、机から机へと飛び移ると開けっ放しの窓から飛び出していく。
「待てコラァ!!」
勢いのまま飛び出した相沢に、二人も窓枠を越えて走り出した。
造形技術専門学校を擁する魔具魔導学園は、ワコル山と呼ばれる山の麓に立つ。山を背負って南側に門を構え、その門から左右に魔導学院の校舎が、中庭を抜けて麓に程近い、学園の奥に位置する場所に造形技術専門学校校舎が立っている。その中でも最奥に位置するのが工芸科実習室である。実習室の裏手はワコル山に続く鬱蒼とした木々が繁り、無造作に生い茂った自然が邪魔をするように三人の行く手を阻んできた。
「クソッ!」
前方を猛スピードで走る犯人がチラチラと振り返る。長い耳に大きな足。アルミラだ。
「なんでアルミラがここにいんの!」
「知らん!とにかく捕まえないと……相沢!」
江崎は走りながらポケットを探ると、小さなガラス玉を取り出し相沢へと投げ寄越した。
「当てろ!」
「了解!」
言うや否や構えた相沢の手から放たれたガラス玉がアルミラの背中に当たった。衝撃でガラスが砕け散る。アルミラは痛みに一瞬怯んだものの速度を落とすことはなく、みるみる遠ざかっていく後ろ姿に、やがて三人は足を止めた。
「あ~……逃げられた」
肩で息をする堀口が嘆いた。相沢は顎から滴る汗を拭うと、江崎へと視線を向けた。
「さっきの何?」
「双子石だ」
自信満々に垂れ目が煌めいた。
「あのガラスの中に接着剤と砕いた双子石を入れておいたんだ。今、ヤツの背中にはべったりと双子石のカケラが張り付いている」
勿体ぶって二人の顔を見渡す江崎に、数拍遅れて堀口が「あぁ!」と声を上げた。
「そうか!双子石は対の石に反応する!片割れを持って探せば居場所を特定できる!」
「そうだ。そしてその片割れはここにある!」
「おー!」
盛り上がる二人の顔を、未だ理解出来ない相沢は交互に眺める。
「うん?え?」
「とりあえず目印は付けたから明日探しに行こうぜ!俺、試作品色々持ってくるわ!」
「じゃあ俺は爺ちゃんの魔物狩り用の網持ってくるわ!ヤベー!テンション上がってきた!」
ハイタッチをする江崎と堀口に合わせるようにとりあえず相沢も頷いた。よくわからないが、どうやら今日はお開きにして明日決行しようということになったらしい。
来た道を戻りながら、当事者である相沢そっちのけで明日の作戦を話し合う二人を後ろから見守って、とりあえず明日は家からありったけの駄菓子を持って行くことを決意したのだった。
3.
翌日の放課後、それぞれの準備を終えて集まったのは五人。
双子石の片割れを持つ江崎、魔物捕獲用の網を用意した堀口、当事者であり、大量の駄菓子を鞄に詰め込んできた相沢。そして。
「なんで森崎と藤峰がいんの?」
そう疑問を口にしたのは堀口である。その問いかけに、森崎と呼ばれた黒髪長身の美少女が嬉しそうに胸を張った。
「みーちゃんが呼ばれたからついてきた!」
「……一人じゃ、怖いから……」
蚊の鳴くような声で答えたのは藤峰だ。森崎の肩より少し低い身長に、栗色の髪。大きくて分厚いメガネの奥の瞳をキョロキョロとさせて、胸元のペンダントを落ち着きなく弄っている。
「江崎くんが、手伝って欲しいって……」
「双子石はある程度近づかないと反応しないからな。藤峰ならわかると思ってさ」
そう江崎が言うのは、藤峰が魔力過敏症だからだ。
魔力過敏症とは一種のアレルギーのようなものだ。人間が作り出した人工的に魔力を発する道具はもちろん、魔鉱石や魔力水といった自然の魔力にすら身体が過剰に反応してしまうらしい。症状には様々あるが、藤峰の場合は視覚に現れ、魔力を有する物の全てのオーラがはっきりと見えた。これにより目眩や吐き気が引き起こされるのだが、普段は遮断ガラスがはめ込まれたメガネで症状を抑えている。
「どうだ、藤峰。ここからでもわかるか?」
江崎の問いに、藤峰はメガネをずらす。分厚いガラスの向こうから、オッドアイの瞳が覗く。
「ここからじゃ、まだ……。もう少し中に入ればわかるかも……」
三人は顔を見合わせて頷くと、堀口が用意したヘッドライトを着けて山中へと歩き出した。
昨日は闇雲に走っていて気付かなかったが、改めて分け入って行くと藪の中に獣道のようになっているところがいくつかあった。それが動物が作り出したものなのか、魔物が作り出したものなのかはわからないが、昨日のアルミラもこの獣道を使っているに違いなかった。歩きながら、江崎は途中の木々に印を付けていく。
「これ……」
ふいに立ち止まった藤峰が茂みから拾い上げたのは、青い小さなカケラだった。土を纏い、まだ少しベタつく小さなカケラが、ほんのりと淡く明滅していた。
「双子石だ!」
慌てて江崎は鞄の中から片割れの双子石を取り出した。掌サイズの紺青の石が、よく見なければわからない程に淡く光っている。
「背中に張り付いていたカケラが落ちたんだ。どうやらこっちの方向に行ったみたいだな」
カケラが落ちていた獣道は、どうやら山頂へと向かう道のようだ。緩やかに登る、比較的幅の広い道を再び五人で歩き出した。獣道という名の通り、草が薙ぎ倒されただけの道には見た事のない植物が生えている。それを見ながら歩く藤峰は、時々立ち止まって摘み取っては手に下げた袋に入れている。
「藤峰、何してんの?」
不思議に思って相沢が声を掛けた。咎められたと思ったのか、小さく口籠った藤峰を助けるように森崎が「あのねー」と言った。
「みーちゃんは魔力過敏症の研究してるんだよ!」
「研究?」
「そう!どんなものをどう使えば良くなるか実験してるの!」
自分のことではないのに誇らしげに胸を張る森崎の隣で、藤峰は恥ずかしげに俯いた。
「自分の為なんだけどね……」
そう藤峰は謙遜したが、その俯いた姿で相沢は思い出した。確か、一年の頃に特許を取ったとかで表彰されていた。内容は覚えていないが、マスクに吹きかけるスプレーを開発したとかで、その時も賞賛の声に反して小さくなって俯いていた。「へぇー」と相沢は感嘆の声を上げたが、それにも藤峰は小さくなってしまったので、これ以上聞くことはやめた。
その後も歩きながら女子二人は薬草を採り集め、男子は他愛もない話しで盛り上がっていた。
スンスン。
森崎が妙な動きをし始めたのは、それから暫くしてからだ。体勢を低くしてみたり、高くしてみたり、かと思えば空を仰ぐようにして鼻をヒクつかせている。
「何してんだよ」
「ん~。なんか、ずっと変な匂いする」
スンスン。スンスン。
一人一人を嗅ぎ回り、江崎のところにくると、周囲を何度も行き来し余す事なく匂いを嗅ぎ始めた。頭、首元、肩口。執拗に匂いを確認されて、段々と江崎の顔が赤らんでいく。
「お、おい……」
「わかった!そのカケラだ!」
唐突に指を差したのは江崎が握っていた、先程道端で拾った双子石のカケラだ。それを受け取って、クンクンと匂いを確かめる。
「これなんか変な匂いするよ!なんか……う~ん、刺激臭?」
「本当だ」
同意したのは相沢だ。森崎同様、クンクンと嗅ぎ回る。
「この匂い嗅いだことあるな……。そうか!接着剤の匂いだ!」
「あぁ!」
謎が解けたとばかりに、如何にもスッキリしたという顔で二人は笑顔で頷き合っている。釣られて他の面々が臭いを嗅ぐが、何も感じられない。
同郷の出である相沢と森崎は秘境と呼ばれる田舎で育ったからなのか、はたまたこの二人が特殊なのか、五感・身体能力が人間より動物のそれに近かった。以前には江崎が校内で無くした財布を匂いだけで探し当てたこともあった程だ。
「こっちだ!」
宙を何度か嗅いで相沢が走り出した。それに続いて森崎が走り出す。
「あっ!花ちゃん待って~!」
それを追いかけて慌てて藤峰が続いた。残されたのは江崎と堀口だ。堀口が江崎の肩をポンっと叩いた。
「野生児だからな。しょうがない」
「俺のトキメキ返して……っ!」
涙ながらに走り出した時、遠くから相沢の「あったー!」という声が響き渡った。
4.
私立造形技術専門学校の裏山は、オルタ国の中でも上位に入る標高を誇る。火山活動が活発な南や積雪量の多い北と違い、比較的穏やかな天候故に季節毎に様々な恵みを齎すこの山は、人々の憩いの地でもあった。昼間ならば山菜採りやトレッキングの登山者で賑わい、遊歩道も整備され、中腹に設けられた広場にはアスレチック公園もある。なので五人はすっかり忘れていたが、普段穏やかな山とはいえ、一歩道を外れれば様々な危険と隣り合わせの立派な山なのである。
「……迷った……」
江崎は顔面蒼白で頭を抱えた。眺めている方位磁針が掌の上で止まることなくクルクルと回っている。
「今どの辺なんだよこれ……なんで止まってくれねぇの……」
「江崎ー、こっちからも匂いするぞー」
隊列の先頭を進む相沢が振り向いた。
匂いを頼りに走り出してから三十分。疲労困憊の三人に対して、野生児である相沢と森崎は未だ元気に走り回っていた。そしてその先々で双子石のカケラを見つけては回収していく。動き回る二人に、多少げんなりとした視線を向けて「おー」と返す。
「これで何個目?」
「七個目。これちゃんと近付けてんの?」
肩で息をして聞いてきた堀口に、「知らん」と言い捨ててカケラと方位磁針をポケットへと突っ込んだ。
夜は更け、月は先程よりも上に昇っている。北極星を見つけられれば迷わないんだったかと、江崎は聞き齧った知識で空を暫く仰いでいたが、やめた。眺めたところで全く正解がわからない。こうなったら、先へと進む他に無い。江崎は少し先を黙々と歩く藤峰へと顔を向けた。
「どうだ、藤峰。なんか見えるか?」
「う~ん」
分厚いメガネをずらして目を凝らす。
「なんだか、山全体が薄く光ってて……この先がもっと明るい気がする……」
頷いて、先へと進む。
三人が立ち止まっているうちに、野生児達の姿は見えなくなっていた。遠くから、「あー!」と森崎の声が聞こえた。
「また拾ったか」
溜息と共に零した江崎に、堀口は「あー」と言い、
「なんか既視感あると思ったら、ヘンゼルとグレーテルだわ」
「あー。なら見つけるのはお菓子の家か」
ダラダラと歩きながら、下らない話で疲れを誤魔化す。
「優しそうなお姉さんが出てきて親切にしてくれるんだろ」
「その後監禁される」
「えー!エロい!」
「嫌がる兄を抑えつけて上に跨ると魔女は下唇を舐めて怪しく微笑むの……」
「急にどうしました?!藤峰さん?!」
嬉々として話に加わってきた藤峰に二人が動揺した瞬間、突如ドンッと大きな音が響き渡った。木々がしなり葉が舞い落ちる。数瞬遅れて地面が揺れた。
「なんだなんだ?!」
「おーい!!」
素っ頓狂な声がして、揺れを物ともせず先を行った二人が走って戻ってきた。二人は何かを叫びながら戻ってきたが、森の騒めきが邪魔をして上手く聞き取れない。そして走ってきた勢いのまま三人を追い抜いた。
「おい?!」
「逃げろ!ロッグドラゴンだ!」
逃げてきた先から追いかけるように咆哮が聞こえた。木々を震わす咆哮に、瞬時に全員が身を翻して駆け出した。
「お前ら何したんだ!」
「何もしてないよ!石拾おうとはしたけど!」
ドラゴンがいるという方向から熱い風が吹き、独特の生臭さが鼻を突いた。
ロッグドラゴンは最大で五メートルになる原種のドラゴンだ。姿はまだ見えていないにも関わらず、鼓膜を強く震わせる咆哮に思わず耳を塞ぐ。
「早く!こっち!」
先頭を行く森崎が指し示したのは岸壁に空いた洞穴だ。ぽっかりと口を開けたそこに次々と飛び込んでいく。洞穴は人が二人、なんとか横並びで歩けるほどの広さで奥へと繋がっていた。進むほどに湿り気を増す地面に足を取られながら、押し合いへし合い進んでいく。
「押すなって!」
「早く行けって!来ちゃうって!」
「待っ、待って、なんか滑って……キャアァァ!!」
「わあぁぁぁ!!」
奥へ進むほどにきつくなっていく傾斜に、最後尾の江崎が足を滑らせた。そのまま前列の全員を巻き込んで、さながら子供の列車ごっこのように滑り落ちていく。なんとか止めようと足で地面を蹴るが、勢いとぬめりでスピードを落とす事すらできなかった。
「止めてえぇぇ!」
「お前のせいだろ!相沢止めろ!」
「いや無理だわ!」
「優!」
森崎が叫んで先を指した。成す術もなく滑る道の先がプツリと途切れているのが見える。ぽっかりと口を開けた先から、サラサラと水の流れる音がした。山を遊び場にしていた相沢と森崎には、それが何の音なのか瞬時に分かった。川だ。しかも、結構深目の。
「やばい!みんな息止めろ!」
言った直後に体が宙を舞った。そして引力に引っ張られたかと思うと、次の瞬間水の中へと落ちていた。流れは速くない。しかし、思った以上に深さがある。
「……っぶあ!!」
急浮上して岸辺へと這い上がる。相沢に続いて泳いできた藤峰と堀口に手を貸し、大きめの石ばかりが転がる地面に膝を付いた。
「死ぬかと思った……」
大の字に寝転がって息も絶え絶えに堀口が呟いた。自慢のオールバックが無残に垂れ下がり、長い前髪が簾のように目元にかかっている。
「藤峰大丈夫か?」
「う、うん。なんとか……」
藤峰も堀口と同じように散々たる有り様だった。しかしそれを気にかけるより先に、オッドアイの瞳が相沢を貫いた。
「眼鏡は?」
「流されちゃったみたい……。でも、ここには魔法物質は無いみたいだから大丈夫」
少し困ったように柔らかく細められた色違いの目にドギマギとして、相沢は返事ともつかない声を返すと誤魔化すように辺りを見回した。
どうやら洞穴の先は鍾乳洞になっていたらしい。無事だったヘッドライトに照らされて浮かび上がる白い岩肌が、ぬらぬらと光っている。
「おい、江崎と森崎は?」
堀口の問いに、藤峰と相沢は再び顔を見合わせた。そういえば、未だに上がってきていない。ザッと血の気が引いた。
「嘘!花ちゃん!」
「やべえ!江崎って泳げたっけ?!」
慌てて川へと視線を向けると、ほぼ同時に川の半ばあたりから水飛沫が上がった。顔を出したのは森崎だ。その肩にはぐったりとした茶色の頭が乗っている。
「優ー!江崎が死んだー!」
「はぁ?!」
5.
江崎潤一郎は、なんとも惜しい男であった。
顔もまあまあ、頭も中の上と、普通より少し上ぐらいのスペックを持って生まれてくれば、普通ならばまぁ悪くない青春を送れるはずである。しかし現実は彼に甘くはなかった。江崎は壊滅的な運動音痴だった。『普通より少し上』のスペックを悠々と無にできる運動音痴ぶりは、走れば毎回ビリけつなのは勿論、友人が投げて寄越した鞄は顔面で受け止め、反射神経の遅さ故にテレビゲームにも支障が出るレベルである。そんな江崎に友人達は優しかった。彼がどれだけ失敗しても温かく見守り、ゲームをする時には十分なハンデを与えた。
しかし、江崎はプライドもそこそこに高かった。
友人達の憐れみを良しとしなかった彼は、持ち前の器用さを存分に磨き上げた。そして磨き上げた器用さは目論見通り、絶望的な運動音痴をカバーし、反射神経の遅さでゲームで負けることはなくなった。しかし、その代償は大きかった。彼の努力は女子にはウケなかったのだ。良いところを見せれば見せるほど遠ざかる青春。俺の青春はこれが限界なんだと、江崎自身も既に諦めていた。
ぼんやりと江崎の意識が浮上したのは、そんなしょっぱい走馬灯を見終わった頃だった。ザブザブと騒がしい水音の中、やけに生々しい温もりを頬のあたりに感じた。
「優ー!江崎が死んだー!」
「はぁ?!」
すぐ耳元で聞こえた大声に、この温もりの正体は森崎だと気付いた。どうやら溺れて気を失っていたところを助けてくれたらしい。
(情けねー……)
力の入らない身体を預けて、心中で嘆く。
(女子に……しかもよりによって森崎に助けられるなんて……)
いつもこうだ。体育祭では足の遅さを馬鹿にされ、水泳の授業では沈むばかり。あまりのカナヅチっぷりに、鬼と呼ばれていた高校の体育教師からビート板を与えられた唯一の生徒として名を残してしまったのは、江崎の過去最大の汚点である。身体が引っ張り上げられて、地面へと寝かせられる。情けなくて、目を開けられない。
「これ、死んでるのか……?」
「……脈はある」
相沢と堀口の声が聞こえる。戸惑ったような声に、情けなさが一層募った。
(もうほっといてくれ……一人にしてくれ……)
卑屈になった心が叫ぶ。このままお荷物になるぐらいなら、死にたくはないが放って先に進んで欲しかった。そうしてくれたら、なんとか心に折り合いをつけて、何食わぬ顔で合流するのに。そう江崎が考えた時、オロオロと状況を見ていたらしい藤峰が「あっ!」と声を上げた。
「そっ、そうだ!人工呼吸……!相沢くん!」
「えっ俺っ?!」
藤峰の言葉に江崎は身体を硬直させた。
(やめて藤峰!これ以上追い討ちかけないで!)
そう叫んで飛び起きたいのに、小さな呻き声を発するのがやっとだった。人知れず苦悶する江崎を放って、尚も会話は続いていく。
「いや、俺じゃダメだって!堀口やれよ!」
「なんで俺?!」
「俺初チューまだなんだよ!江崎に初チューはやれない!」
(俺も嫌だわ!)
妙な方向に行き始めた状況に、内心で叫ぶ。被害者になろうとしているのに、まるで加害者のように扱われて江崎のガラスのハートが軋み上がる。
「俺だってまだだわ!それに俺餃子食べてきたからニンニク臭いし!」
「俺も納豆食ったし!」
(どっちも嫌ー!!)
「私がやる!」
延々と続きそうだった口論を遮ったのは森崎だった。力強い声が響き渡る。
「私が人工呼吸する!」
「花ちゃん?!」
「ファーストキスなら父さんと済ませてるから大丈夫!いくよ!」
肩を強く掴まれて、江崎は再び身体を硬直させた。
急な展開に頭が回らない。混乱する江崎を他所に、布越しの体温は現実を如実に伝えてくる。情けなくも唇が震えるが身体は動かず、成す術はない。
(ウソウソ!どうしよう!)
落ち込んでいた気分が一気に上昇する。今まで縁が無いと思っていた青春。それがこんなところで返ってくるなんて。バクバクと高鳴る心臓と相反して、唇は冷えていく。ゆっくりと近づいてくる気配を感じてキュッと瞼に力を込めた。
(くる……!)
濡れた髪が頬にかかり、微かに吐息を感じた瞬間、
「ダメーーー!!」
バッチーンと強烈な破裂音が鳴り響き、江崎の意識は再びブラックアウトした。
*
「ご、ごめんね、江崎くん……」
「もういいよ……」
あれから、江崎は飲んでいた水を吐き出して意識を取り戻すことができた。其れも此れも、藤峰が放った強烈なビンタのお陰なのだが、江崎の顔は晴れない。
「どうしても花ちゃんを犠牲にはできなくて……」
「みーちゃん……!」
感極まってお互いを抱きしめ合う女子二人は、本来ならば涙を誘う美しい光景なのだろうが、死にかけた江崎としては感動などできるはずもなかった。ましてや諦めていた青春の代名詞『好きな人とのファーストキス』を逃したのだから、そのダメージは測りしれない。
ズンズンと落ち続ける濡れた肩を、そっと温かなものが包み込んだ。相沢と堀口だ。
「心配したぞ、江崎」
「お前が生きててくれて本当に良かった」
「……お前らが俺の命より自分の初チューを守ろうとしたこと、一生忘れないからな」
肩に置いた手を払い除けた江崎の恨めしい眼差しから目を逸らして、二人はそそくさと歩みを速めた。
現在、五人は洞窟から脱出すべく川に沿って歩いていた。堀口曰く、恐らくこの川はアスレチック公園に流れる川に繋がっているに違いないという、何の根拠もない情報を頼りに歩き出したのだが、今のところそれらしき出口は見当たらない。
「しかしこの山にロッグドラゴンなんていたんだな。俺、野生のドラゴンなんて初めて見たよ」
そう切り出したのは堀口だ。藤峰と江崎もウンウンと頷く。
「もう少し話題になってもいいぐらいには珍しいよな」
「そうなのか?俺の田舎には結構いたぞ」
不思議そうに首を傾げた相沢に、江崎は軽く肩を竦めた。
「田舎だからな。ドラゴン食うんでしょ?」
「ロッグは食わないけどな。鶏肉みたいで美味いよ」
なぁ、と顔を見合わせて相沢と森崎は頷き合った。
二人の出身地であるイロカワ村は此処より少し北の方角にある。都心から北はあまり開発が進んでいないため自然が多く残っているのだが、二人が住んでいた村は別格の自然を誇り、今や天然記念物に登録されている魔獣や動物が野生のままで生きている。植物も珍種が揃い、学者やマニアの間では秘境と呼ばれる隠れた観光スポットでもあるのだ。
「でも、あんなに気性の激しいロッグドラゴンは見たことないな。地元のはもっと大人しかったよ」
「ペットにしてる人もいたもんね。私、背中に乗せてもらったことあるよ!」
「俺も!ヒゲ爺んとこのミドリちゃんだろ!」
思い出話しで盛り上がる二人を、都会で育ってきた三人は羨望の眼差しで見つめていた。二人は事も無げに話しているが、ロッグドラゴンは国指定の保護生物でその鱗は一枚五万メリーの高級魔獣である。それをペットにするとなると、都会では上級官僚か富裕層の中でもほんの一握りだ。
「すげぇすげぇとは思ってたけど、田舎ハンパねぇな」
「ドラゴンなんて博物館ぐらいにしかいないっつーの」
「いいなぁ。ウロコ取り放題かぁ……」
各々がそれぞれの感想を呟きながら歩を進めていく。洞窟の先は未だ見えることはない。
6.
高校生の頃、堀口は所謂不良と呼ばれる生徒だった。
優秀な兄弟達と比較されて育ったからか、または中学まで受けていたスパルタとも呼べる教育方針の反動からか、高校に上がる頃には髪を染め、煙草を吸って、兎に角親に反抗していた。
それから月日は経ち、堀口はすっかり落ち着いていた。悪い友達とは縁を切り、私立とはいえ進学も出来た。煙草は止めきれないが、まぁこれぐらいならと、自分に及第点をあげてきた。その反動が、今来てる。
「ま、待って……」
ぜぇぜぇと息を切らす堀口は、数歩先を行く仲間に向かって手を伸ばした。先頭の相沢が振り向く。
「頑張れって堀口。藤峰さんも頑張ってんだろ」
呆れたように言って、相沢はすぐ後ろで岩の上へ上がろうと奮闘している藤峰へと手を伸ばした。
先程まではほぼ平坦だった川岸は、先へと進むうちにどんどん険しくなっていった。平地だった道は、やがて水に浸かる箇所が現れ、背丈ほどもある岩が立ちはだかる。それでもなんとか先に進むことはできたが、大きな岩石ばかりの道に差し掛かってからの三十分は岩の登り降りを繰り返している。
「ほら、堀口」
岩の上から、江崎が手を差し伸べた。
運動音痴ではあるが持久力はそこそこある江崎は、どうやらドンケツではないこの状況が嬉しいようで、先程から妙に甲斐甲斐しく手助けをしていた。息も切れ切れに登りきった堀口の肩を、ぽんっと軽く叩く。
「無理すんな。ちょっと休もうぜ」
ドンケツって寂しいよな、と続けた江崎に、少しの敗北感を味わいつつ堀口はその場に座り込んだ。
───こんなことなら、煙草も止めとけば良かった……。止められたかどうかは別として。
「しょうがねぇな、少し休むか」
よっこいしょと腰を下ろす相沢と森崎に、もちろん息の乱れはない。そして意外なことにも、森崎の隣に座った藤峰からも疲れの色は見えなかった。
「藤峰さんは平気なん?疲れたっしょ?」
同意を求めた堀口に、藤峰はふるふると首を振った。
「私、素材集めでよく山の中歩き回ってるから……」
そう言う藤峰からは強がっている気配は当然ながら感じない。チラリと隣の江崎を見る。汗を拭いながら労わるように笑い返してきた垂れ目に、力無く口を歪ませた。
「堀口」
呼ばれて顔を上げると、胡座をかいた足の上に駄菓子が落ちてきた。どうやら相沢が持ってきたようだ。リュックの中をゴソゴソと漁っては次々と取り出していく。
「それ食ってイイよ。まだあるからさ」
手元に落ちてきたのは、筒状のチューブに入ったゼリーだった。歯で噛み切って、有り難く頂戴する。
「これめっちゃ懐かしいわ。ガキの頃よく食べてた」
「だろ?こんなんもあるよ」
ポイポイと結構な距離があるにも関わらず、一寸も狂わずに投げて寄越される駄菓子に、思わず「おぉー」と声が出た。
相沢は小学校から高校までの十二年間野球をやっていて、ピッチャー一筋だったらしい。なんでも、ボールコントロールが一級品で有名チームから誘いが来たこともあるというから、普段の大雑把な振る舞いを知っている者としてはどこか疑っていた。
「ほんとにピッチャーしてたんだな」
「信じてなかったのかよ。結構有名だったんだぜ」
照れ臭そうに笑って、相沢は手元にあった小さな石を掌で転がした。
「見てろよ。一番右の短いツララ!」
言うや否や、持っていた石を鋭く投げて当ててみせた。狙い通りの場所で跳ね返った小石に「お~!」と歓声が沸く。
「じゃあ、あの奥のデカイやつは?」
「ヨユー!」
江崎のリクエストに近くにあった拳ほどの大きさの石を掴むと、先程当てたものより更に遠くの鍾乳石へと石を放つ。やはり寸分の狂いなく、コンッと軽い音を鳴らして当たった。
「は~。誰にでも何かしらの特技ってあるもんだな~」
「それ褒めてんだよな?」
「よしっ、そろそろ行くか」
不満気な相沢を無視して、それぞれが立ち上がった。
再び岩場の道を歩く。未だ暗く、光すら見えない状況に、江崎は溜息とも呆れともつかない息を漏らした。
「それにしても、この道で本当に当たってるのかね」
「俺の勘に間違いないから、任せとけって」
休憩をして少し体力が回復したのか、岩を降りながら堀口が笑った。堀口の勘は良く当たる。しかし、今まで当ててきたのはテストの範囲やギャンブルでの小さな当たり程度だ。
「パチンコならともかくよぉ、今回ばかりは信用ならねぇよ」
無駄口を叩きながら、前を行く三人の背中を追いかける。
「勘はともかくさ、この川がアスレチック場に繋がるのは間違いないと思うぜ。昔爺ちゃんから聞いたことあんだよ」
自信に満ちた言葉に、江崎は堀口を振り返った。
堀口の言う爺ちゃんとは父方の祖父のことで、魔物狩りを生業としていたらしい。需要はあるが、誰も狩りたがらない凶暴な種ばかりを狩っていたので、近所では有名な変わり者の狩人だったという。
「昔キャンプに来たときにさ、この川は地下にあるデカい川に繋がってるって言ってたんだよね」
「……堀口」
「爺ちゃんが来たかもしれない場所に、今孫の俺がいるってロマンあるよな」
「堀口」
しみじみと語る堀口の口を、江崎は素早く両手で塞いだ。それに眉を顰め、何だと目で訴えて外しにかかる堀口に対し、江崎は激しく首を振ると、震える指先で必死に暗い天井を指した。
「───っ?!」
堀口は寸前のところで絶叫を飲み込んだ。
仰ぎ見た天井は、無数の紅い点で覆われていた。仄かに光り、時々明滅する紅い点。水晶蝙蝠だ。洞窟や洞穴に生息する水晶蝙蝠は、迷い込んできた動物の生き血を餌とする。その際、唾液から分泌される成分によって死体がゼリー状になることからその名が付いた。
極力音を立てないように、急いで前の三人と合流する。慌てて追い付いて来た二人に、三人もどうした、と声を上げようとして慌てて口を噤んだ。
水晶蝙蝠は目が見えない。その代わりに耳が発達し、音で獲物の居場所を特定する。
五人は音を立てないように、ゆっくりと道を進む。幸い、この蝙蝠の移動速度は遅く、少し音を立てたぐらいでは追い付かれることはない。少しずつ距離を取っていく。
(よし)
誰ともなく心内でそう思った瞬間、バガンッと激しい破砕音が洞窟中に響き渡った。距離を取った蝙蝠達が一斉に飛び立つ。
「走れ!!」
堀口が叫んだ瞬間、全員が一目散に走り出した。
パニックに陥り縦横無尽に飛び回る蝙蝠達の隙間を縫うように走りながら、江崎は鞄を漁ると中から小さなスプレー缶を取り出した。振り向きざまに思い切り押し込む。
「喰らえ!」
自家製の害獣スプレーで辺りが一気に白く煙る。視界が悪くなるのに構わずに撒き散らすと、そのまま道の先へと駆け抜けて行った。
終わりは唐突に訪れた。
蝙蝠から逃げ、疲労から誰一人として話さないまま進んだ先に、出口と、それを塞ぐ鉄格子が見えた。向こう側には夜の森が広がっている。
「俺に任せろ」
そう言うと、江崎は持っていた針金を南京錠に差し込んだ。何度か引っ掻くようにすると、重々しい音を立てて扉が開いた。
「やっと出られた……」
出た場所は、堀口が言っていた通りアスレチック公園の近くのようだ。その証拠に、目の前を横切る遊歩道にはまるで序章だとでも言うようにケンケンパの形で石が並べられていた。そこへ合流するように川が穏やかに流れていく。嘘のように静かな葉擦れと清流の音。五人は一斉にその場へと座り込んだ。
「つ、疲れた……」
「おい、相沢……まだやる気か……?」
「いや、もう無理かも……」
度重なるハプニングに、野生児と名高い相沢の心も既に折れていた。ぐぅ、と何処からとも無く音が鳴る。
「お腹空いた……」
森崎の呟きに呼応するように、腹の虫がぐぅぅと鳴いてみせた。疲れたように顔を見合せる。
「帰るか……」
「そうだな……」
疲れた身体を無理矢理起こして歩き出す。それから山を下り解散するまで、五人はずっと無言のままであった。
7.
五人がアルミラの捕獲に失敗してから、一週間が経った。来週はいよいよ研究発表会だと活気付く校内で、相沢はいよいよ頭を抱えていた。
「間に合わない……」
昼休みの中庭のテラス。周囲からの楽しげな笑い声とは裏腹に、悲壮に零した相沢に何とも言えず、江崎と堀口は顔を見合わせた。
あれからオリハルコンを買うしかないと決意した相沢は、放課後は日雇いのバイトに勤しんでいた。チラシ配りから交通整備まで、夕方六時から夜十時までみっちり働いた金を全てオリハルコンへと注ぎ込んだものの、悲しいかな。必要なオリハルコンは十粒。箱の側面分の貼り付けは出来たが、どう計算しても底面と上面の購入が間に合わない。
「ごめんな相沢。当たれば倍にできたのに……」
「クソッ!あと五千メリーあれば……!」
江崎と堀口も、友達として何もしなかった訳ではない。合わせて二千メリーしかなかった二人は、これを全てスロットに注ぎ込んだ。吟味に吟味を重ねて選んだ台は、初めこそコインを吐き出してくれたものの、最終的には全てを飲み込んでしまった。
ふるふると相沢が首を振る。
「お前らはよくやってくれたよ。あと、あんまり期待してなかったし」
「それよりどーすんべ。もう発表会来週だぞ」
「そうなんだよ~!」
江崎の無情な言葉に相沢は再び机へと突っ伏した。相沢とて馬鹿ではない。逆算し、日雇いのバイトをしたところで全面分は足りないと気付いた時、プライドを捨てて親に金の無心までしたのだ。結果は惨敗だったが。
「おっ、相沢じゃん」
そんな相沢へと声を掛けたのは、浅黒い肌をした体格の良い男だった。少しつり上がった目の上で太めの眉が戯けるように上がり、口元を歪ませて笑っている。
「いいよなぁ、工芸科は。いつ見ても暇そうで」
「……誰コイツ」
馬鹿にした物言いに、堀口の目元が釣り上がる。
話しかけてきたのは武具装具科の須藤多摩雄だ。高校の頃同じピッチャーとして活躍していた相沢のことをライバル視し、入学初日から時折こうして絡んでくることがあった。相沢は面倒臭そうに机に突っ伏したままパタパタと片手を振った。
「お前は呼んでない」
「工芸科は箱展示するんだっけ?俺たちはトマホーク作ってるんだわ。やる事多くってさー」
「あーそー」
「箱は組み立てて終わりだろ?俺らはデザインからだからよ」
「知らねーよ。いいからお前帰れ」
一向に顔を上げない相沢に舌打ちをし、ひと睨みすると須藤は後ろで待っていた仲間の元へと引き上げていった。遠くから相沢達を指差し笑っている。
「なんだアレ」
「知らね。妙に突っかかってくるんだわ」
「あれ武具装具科の奴等だろ。装具科ってなんであんなに威張ってんのかね」
呆れたように江崎が零した。
この造形技術専門学校は私立大学附属の専門学校である。なので、エリートを幾人も輩出している学院の方の学科ならまだしも、同じ専門科である武具装具科にデカい顔をされる筋合いは無かった。堀口は両腕を頭の後ろで組んだ。
「こっちよりデカいの作ってるって気が大きくなってるんだろ。何がトマホークだよ。時代錯誤もいいところだぜ」
「今回担任の西野が力入れてて相当豪華らしいからな。なんでもどっかの一部にミスリル使ってるんだって」
「へー」
特に盛り上がりもなく続く会話に、相沢の眉がピクリと上がった。顎に指を添えて考える。滅多にない、頭を使っているように見える相沢に、二人は首を傾げた。
「どうした相沢。頭良さそうに見えるぞ」
「うるせえ。……なぁ、装具科の奴らってオリハルコン使ってるかな?」
唐突な言葉に、二人は目を丸くした。相沢の考えを瞬時に理解する。同時に、無謀ともいえるアイディアに「いやいやいや」と言って首を振った。
「お前ね、アイツらが売ってくれるワケないでしょ。売るとしても、アホみたいに値上げしてくるよ」
呆れたように言った堀口に、
「売ってもらうんじゃなくて、拾いに行くんだよ」
相沢は不敵な笑みを浮かべると、二人の顔を中心に寄せて小声で話しはじめた。
「お前ら、あのクラスの前通ったことあるか?あんだけ雑然としてればオリハルコンの一粒ぐらい落ちてるだろ」
「楽観的か!いくらアホでもあんな高いのがその辺に落ちてるワケないだろ!」
なぁ!と堀口は江崎を見た。江崎はそれには答えず、少し考えると、
「あり得る」
「嘘だろ!」
「何故なら俺はあの教室の前で銀粒を拾ったことがある」
銀粒は主に装飾部分やアクセサリーに加工される一般的な素材である。オリハルコンやミスリルに比べると安価ではあるが、それでも学生にはやや値が張る材料である。
「都合良くオリハルコンが落ちてるとは思えないが、落ちている材料を売ればオリハルコン二粒分ぐらいにはなるはずだ」
相沢と江崎は顔を見合わせて頷き合っている。堀口は「えっと」と呟き、
「それってドロボー……」
「よし!じゃあ今夜決行な!夜空けといて!」
「OK!」
余計なことは聞かなかったことにして、そうすることになった。堀口も少し戸惑ったものの須藤の顔を思い出し、まぁいいかと教室へと戻ることにした。
*
とっぷりと日が落ち校内が暗闇に包まれた頃、技術室に隠れていた一行はソロソロと廊下へ出てきた。時間は夜の七時。忍び込むには丁度良い時間帯である。
「よし、行くか」
俄然やる気の相沢と、何故かやる気の江崎に、イマイチ乗らない堀口が続く。
「なんかデジャヴなんですけどー」
「文句言うな。あのアルミラのせいなんだから」
「お前の管理のせいだろうがよー」
「まぁ、落ち着けって堀口」
「お前はなんでやる気なんだよー」
文句を言いながらダラダラと一番後方を歩く堀口の肩を、江崎は横から勢いよく抱いた。そして何度か宥めるように叩く。
「よく考えろよ。確かに相沢は今すぐ売らなければ発表会に間に合わないが、俺らはどうだ?俺らには時間がある」
「それが何よ」
イマイチ要領を得ない話しに、訝しげな視線が江崎へと集まる。それを振り払うかのように江崎は手を振って笑った。
「鉱物商に売り捌くんだよ。相場が上がった時にな!」
「鉱物商に?」
「国認定の鉱物商なら相場で買ってくれる。それを資金にスロットで増やせば良いんだよ!」
江崎の絵空事のような発案に、堀口の瞳は一気にやる気に燃え上がった。江崎の肩に手を回して大きく頷く。
「さすが江崎くん!」
「ふはは!物は考えようだよ堀口くん!」
ワッハッハと、忍び込んでいるにも関わらず高笑いをする二人に、相沢は呆れて一つ溜息を吐いた。
武具装具科二年の教室は工芸科実習室の隣の校舎の三階にある。そこに辿り着くには渡り廊下を抜け、職員室の前を通り過ぎなければならないのだが、この職員室が唯一にして最大の難関だった。
「なんで金先がいるんだよ……」
覗き見た職員室に一人残って作業をしていたのは、鬼の金先こと金盛だ。研究発表会の資料でも作っているのだろうか。長机とコピー機を往復しては几帳面に並べていく。
「どうする?行くか?」
「バレたら死ぬぞ」
今三人がいるのは職員室から少し離れた廊下の角のところだ。ここを曲がり職員室の前を進めば第二校舎に行けるのだが、金盛の作業している長机は廊下に面した窓際へと配置されている。もし万が一何かがあればバレる可能性が非常に高いルートである。
「正面玄関から回るか?」
「いや、正面玄関は防犯システムが作動する可能性がある」
「なら第二校舎の裏口はどうだ?あそこなら階段から近い」
「いや、裏口の鍵は壊れたままで直していないはずだ……」
全てのルートを否定されて、相沢と堀口が押し黙る。その間、江崎はあらゆるルートをシミュレートしていた。指を口元にあててブツブツと呟く。二人が固唾を呑んで見守る中、暫くして、一つ頷いた。
「正面突破しかないな」
「マジかよ~」
ガクッと二人の肩が落ちる。そうしている間も、金盛は黙々と作業を進めている。
「全員が捕まったら回収できなくなる。とりあえず一人づつ渡ろうぜ」
「よし。行け、相沢」
「俺かよ!」
「元凶はお前なんだから当たり前だろ」
堀口の正論にぐぅと相沢は唇を噛んだ。しかしこのままでいたところで事は運ばないと思ったのか、すぐに諦めて肩を落とすと、アキレス腱を伸ばし始めた。
「見つかったら俺は全力で逃げるから、お前らもすぐ逃げろよ」
「おう。まかしとけ」
それだけ言うと、相沢は身を屈めて素早く窓のすぐ下に張り付いた。そのまま、カニ歩きの要領でジリジリと進んでいく。
「ん?」
小さな呟きに、ピタリと相沢の動きが止まった。ピンと張り詰めた空気に、そうとは知らない金盛が首元を掻く。
「しまった。足りないか」
そう言うとコピー機の元へと移動した。その隙に相沢は急いで通り過ぎ、腕を大きく振って次を促した。続いて動いたのは堀口だ。同じようにしゃがみ込み、危なげなく通り過ぎる。
(江崎……)
二人は緊張した面持ちで江崎を見た。その理由が嫌という程わかる江崎は、小さく頷いて動き出した。相沢や堀口と同じようにカニ歩きで窓下に張り付く。しかし。
(……これ、どうやって動くんだ?)
二人と同じように素早く動こうと思っているのに、四股を踏む直前のように大股を開いたまま動けない。試しに爪先を動かしてみるが、スニーカーが小さくキュッと鳴いて諦めた。
「江崎早くしろって!」
相沢達が小声で促すも足が動かない。しかしこのまま動かなければ巡回の時間がきてどの道見つかってしまう。困り果てて二人を見るが、手招きをするばかりでどうしようもない。
(……えぇい!ままよ!)
覚悟を決めると江崎は大きく足を持ち上げた。持ち上げた足を横に伸ばして地面に置こう、とした瞬間にバランスが大きく崩れた。慌てて立て直そうとしたが開いた足ではどうすることも出来ない。そのまま顔面から廊下に倒れると、ドンッともドサッともつかない音が空気を震わせた。
「なんだ?」
即座に反応して金盛が職員室を移動する。
(やべぇ!!)
机を回り込んでいるであろう金盛が来る前に、二人は慌てて江崎を引きずって物陰へと逃げ込んだ。同時に扉を開く音がした。息を押し殺して時が経つのを待つ。やがて、何もないと判断したのか、再び職員室の扉は閉められた。
「この馬鹿!」
「ごめん……」
同時に二人から頭を叩かれたが、江崎はそれを甘んじて受け入れた。どこまでいっても付き纏う運動音痴の呪いはどうしようもない。こうして気がすむのなら、いくらでも叩いてくれとすら思っていた。それでもやっぱり。
「ほら、早く行くぞ」
促して先を行く二人に、どうか明日小指をぶつけますようにと願わずにはいられなかった。
武具装具科の教室は、三人が想像していた以上に酷い有り様だった。共学であるにも関わらず女子が一人もいない故の心の緩みなのか、先ずもって男臭い。まるで運動部の部室かのような匂いに、思わず三人は顔を顰めた。
「久しぶりに嗅いだわ、この匂い」
「いかにも男子校って感じだな」
「いや男子校じゃねぇよ」
口々に言って、教室内の物色を始めた。
教室は工芸科より少しだけ広めのようで、部屋の前寄りに配置された机の後ろには作りかけの鎧や武器が所狭しと置かれている。その後ろには隠れるようにロッカーがあり、いくつかの扉は半開きで中の物が飛び出していた。
「おー!なんだこれ!」
半開きのロッカーから相沢が取り出したのはモーニングスターの頭部らしかった。趣味で作ったのか、遊ぶために作ったのか、棘の部分が極端に丸くなっていて殺傷能力は無さそうだ。
「これ使って野球したら面白そうだな」
「んなもん見てないで早く探せって」
「へーい」
トゲトゲを脇に置いて、再び床に這い蹲る。あまり掃除をしていないのか、埃が多い。だが、それに紛れるようにして、いくつもの光るものがあった。
「嘘だろ、マジで結構落ちてる!」
相沢が拾い上げたのは、鈍色の銀粒だった。そこから、次々と拾い上げていく。しかし、同じように探していた二人は全く見つけられない。江崎は首を捻った。
「なんで相沢ばっか見つかるんだ?」
「目だな。こうなったら俺たちは触感で探すぞ」
そう言うと、二人は相沢に負けじとしゃがみ込んだまま掌を床に向けてカサカサと動かし始めた。全神経を両手に集中させるために薄眼を開き、虚無の表情で空中を見る姿は控えめに言っても変質者であったが、効果はあったらしい。すぐに江崎が手を挙げた。
「あった!」
「こっちもだ!ふはは馬鹿共が!取り尽くしてやるわ!」
それから意気揚々と家捜しをし、想像以上の杜撰さのおかげで然程の苦労もなく集めることができた。終わった頃にはそれぞれの片手にこんもりと乗った素材に笑みを深める。
「これだけあればざっと五千メリーは手に入るぞ」
「オリハルコンが二粒も買える……!」
「これで倍々ゲームだ!」
歓喜に打ち震えながら、持ってきていた皮袋にそれぞれ納めて腰から下げる。これでミッションコンプリート。あとは帰るだけだ。
「じゃ、そろそろ行こうぜ。帰りは裏口でいいだろ」
「……!シッ!」
何かに気付いた相沢が人差し指を口元に立てた。目を閉じて何かに集中している相沢に、何も感じない二人は口を噤んで待つ。サッと相沢の表情が青褪めた。
「ヤバイ!金先だ……!」
「えっ……!」
息を呑み耳を澄ませても何も聞こえない。しかし、相沢の耳は常人とは違う。それを嫌というほど知っている二人も顔を蒼褪めて思わずその場にしゃがみ込んだ。
「どどどっ、どうする?!」
「どうするって……」
辺りを見回しても隠れられそうな場所はない。今は足音も聞こえないが、すぐに三階まで上がってくるだろう。
「とりあえずこの教室から出よう!疑われたらヤベーって!」
三人は慌てて廊下に飛び出した。しかし、この校舎からの出口は今から金盛が通るであろう階段しかない。相沢と堀口が取り乱して必死に言い訳を考えている中、江崎は急いで武具装具科の隣の教室の扉に縋り付いた。階段の方からは江崎の耳にも届く近さまで足音が来ていた。乱れる呼吸を抑えて指先に神経を集中させる。やがて、カチッと音がして扉が開いた。
「隠れろ!」
飛び込んで鍵をかける。暫くすると廊下に足音が響き渡った。それから、隣の教室の扉を開く音。強く打つ鼓動を無理矢理押さえ込んで時が過ぎるのを待つ。体感で十分程が経っただろうか。足音は教室を出て目の前の廊下を通り、一通り見回ると引き返していった。足音が遠ざかる。二人は同時に相沢を見た。
「……よし、出ていった」
その言葉に、一斉に肩の力が抜けた。
「ヤベー……もうダメかと思った……」
「目的のもんも取れたし、もう早く帰ろうぜ……」
「あぁ……ん?」
その時、座り込んだまま棚に持たれ、仰ぐように天を向いた相沢の目に煌めく物が飛び込んできた。ゆっくりと立ち上がり、棚の中からそれを取り出す。
「どうした、相沢?」
まだ気持ちの落ち着かない江崎が、疲れた目で相沢を見た。相沢は少し興奮して振り返る。
「これ……」
その指に摘まれていたのは、金色に光る粒だった。
「おい、もしかして!」
堀口は急いで相沢の隣に立ち、同じように棚の中を覗き込んだ。元は菓子の詰め合わせが入っていたであろう缶に、今相沢が摘んでいる金色の粒が大量に入っている。
「やったな相沢!こりゃオリハルコンだ!」
「だよな!うおー!こんな所にあったのかよー!」
思わずハイタッチを交わした二人から遅れて、江崎ものそのそと棚を覗き込んだ。大量の金色の粒を見て、「おー」と声を上げる。
「これスゲーな。なんでこんなにあるんだ?」
「これから配布する為に保管してたんじゃねーの?よくわからんけどラッキー」
上機嫌に、より大きな粒を探して皮袋へと突っ込む。それに続くように二人も五粒ほど取った。それでも、そんなことには微塵も気付けないほどの量があった。
「んじゃ、帰ろうぜ。裏口から帰るんだよな?」
「そうだな。中からなら開けられるし」
無事に目的を果たして、帰路につく。万が一に備えて息を潜め、足音を殺してはいるが、その心中は晴れやかなものだった。
そして一階に着いた。鍵が壊れている裏口をそっと開いて、校門へと向かう。三人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。これまでにない大成功だった。
「おう、今帰りか」
そう声をかけられたのは、校門に手を掛けた時だった。腕を組んだ、ガタイの良い男がゆっくりと近づいてくる。
「こんな時間まで学校にいるとは、随分と熱心な生徒だ。特別に指導してやろう」
鉱石学担当、通称『鬼の金盛』。
短く刈り上げた頭髪の下に鋭い眼光。豪快な性格そのままの恵まれた体躯は、今にも弾けそうな筋肉をヒクつかせている。ゆっくりと近づいてくる金盛に三人は固まって動けない。辛うじて、堀口が首を振った。
「遠慮するな。一度とはいえ、俺を巻いたご褒美だ」
底知れぬ笑みを浮かべた金盛に後退る。ジャリ、と小石の音が聞こえた瞬間、相沢が始めに踵を返した。
「逃げろ!!」
相沢の声に数瞬遅れて二人も走り出した。 再び校舎へと戻ろうと全速力で逃げ出した三人に、金盛は冷静だった。ゆっくりと手を前に突き出すと軽く下に振る。
「ギャッ!!」
前を行く三人が同時に地面に倒れた。それに構わず、下に垂らした手を上に振る。その瞬間、突如として地面から現れたのは、氷の牢獄だった。倒れた三人が立ち上がれないほどの小さな牢獄の前に、金盛がしゃがみ込んだ。
「金先……あんた、魔術が使えたのか……」
悔しそうに睨み付けた堀口に、金盛は口端を吊り上げて笑った。
「宿直はこれがある」
ヒラヒラと振る手には、赤い魔石が取り付けられた金色の指輪が嵌められていた。誰でも魔術が使えるようになると評判の、高価な魔法アクセサリー。三人は、ガクリと首を垂らすしかなかった。
8.
キャミィがそのドラゴンと出会ったのは、今から三ヶ月前の事である。ワコル山と呼ばれる山に移住してきて約一年、山の全体図を何となく把握し、暮らしに不便も無くなってきた頃のことだ。
その日、キャミィは木の実を集めて回っていた。空は晴れ渡り、雲もない。まさに木の実採取にうってつけの真昼間に、一匹のドラゴンがフラフラと空から落ちてきた。ドラゴンなんて人伝てで聞いた噂話ぐらいの知識しかなかったキャミィにとって、今まで見てきたどの巨岩よりも大きいドラゴンは恐怖でしかなかった。飛び上がり、慌てて木の影に身を潜め、息を殺してドラゴンが立ち去るのを待つ。しかし、ドラゴンは一向に動こうとはしなかった。
ドラゴンは弱っていた。初めて見たキャミィでも分かるくらいに、明らかに。
長い首ごと地面に投げ出し、ぐったりと目を閉じるドラゴンにどうしたら良いのか分からず、とりあえずキャミィは手に持った木の実を半開きの口の中へと入れてみた。すると、ドラゴンは小さな木の実を咀嚼し、味わうように飲み込んだのだ。薄く開いた金色の目がキャミィを促す。それからキャミィとドラゴンが打ち解けるまで、そう時間は掛からなかった。
(どうしてこうなったんだろう)
キャミィは木の実を集めながらそう思った。
ドラゴンが山に来てから一ヶ月になる。どうやらドラゴンは酷く腹が減っていたらしく、木の実をあげると徐々に体力も戻り、今では身体を起こせるまでに回復してきている。しかし、小さな木の実程度では足りないのか、未だ飛ぶまでには至らなかった。
どうしたら回復を早めることができるのだろう。
今や友となったドラゴンの為に、キャミィは昔聞いた噂話を必死に思い返し、そして思い出した。ドラゴンは魔鉱石が好物ではなかったか。北のアルタヤでは、村の守り神のドラゴンに、その年に取れた一番大きな魔鉱石を捧げるという。
それからキャミィは、木の実やキノコを採る傍らで魔鉱石探しに明け暮れた。以前住んでいた南の山では掘ればいくらでも出てきた魔鉱石だが、どうやら、このワコル山にはあまり無いらしい。せっせと小さなカケラを見つけては食べさせていた甲斐もあって、ドラゴンはこれまでとは比べ物にならないぐらい元気になっていった。と、同時に異変が起きた。ドラゴンが凶暴化したのである。普段は大人しく、懐くように頬ずりをするのだが、魔鉱石を食べた時だけ大口を開けて咆哮するのだ。まるで、威嚇でもするかのように。
(元々暴れ者だったのかな。友達だと思っていたのに、そうじゃなかったのかな)
土で汚れた手で、滲む涙をぐしぐしと拭う。
(でも、あの黒い魔鉱石なら気に入ってくれるかも……)
この山の魔鉱石が受け付けないのかと、危険を犯して人間の住処で取ってきた魔鉱石。真っ黒なその見た目は、今まで見てきた物とは大分異なっていたが、これならば大丈夫かもしれない。
でも、もしダメだったら。
そう思うと怖くて、今まで食べさせることができなかった。肩掛けのポシェットから、その魔鉱石を取り出す。キャミィの小さな手の中でも、尚小さな魔鉱石の粒は、黒い外皮のような中から金色の輝きを覗かせている。それを大事に布で包み込み、再びポシェットへと閉まった。今夜、食べさせてみよう。そう決意した。
夜になって、今日採ってきた木の実をドラゴンと共に分け合ったあと、キャミィはいつ言い出そうかとドラゴンの様子を伺っていた。キャミィの後ろにいるドラゴンは、首を空に向け、気持ち良さそうに風を感じている。ソワソワと落ち着かないキャミィは、心を落ち着かせようと同じように空を見上げた。空には満天の星空。雲ひとつ無い。
「ねぇ、どうして君は空から落ちてきたの?」
答えられるわけも無いが、そう尋ねてみた。ドラゴンからキュゥと声がする。
「羽の傷はどうして付いたの?仲間はどこかへ行ってしまったの?」
キャミィの問い掛けに、ドラゴンはスリスリと頬擦りをし始めた。それを両腕で受け止めて、抱き締め返す。
「ねぇ、君に渡したい物があるんだ───」
「いたぞ!」
突然、怒号が山に響いた。驚いて振り返ると、背中に武器を幾つも持った人間がキャミィ達の方向を指差している。
「ロッグドラゴンだ!」
その人間の喚き声に、草むらから次々と人間が出てきた。その背中には見た事のない道具を背負っている。人間はそれを手にすると、切っ先をドラゴンへと向けてきた。
「なんで……!」
驚いたままで動けないキャミィを庇うようにドラゴンが前に出た。首を大きく振って空へと咆哮する。先程の人間の怒号とは比べ物にならない声量に、木々が震えて葉擦れを起こす。それに人間達が怯んだ隙に、キャミィを咥えてドラゴンは木々の間をすり抜けて飛び始めた。高速ですれ違う木々に人間達が放ったであろう矢が突き刺さった。キャミィは急いで両手を祈るように合わせた。
「森の精よ……!」
祈りに呼応して枝が人間の行く手を遮る。
「くそっ!」
「なんだこれは!」
叫び声と枝を切り落とす音が聞こえる。人間達が突破に手間取っている間に、辺りを必死に見渡した。
「あそこ!」
崖の途中にあったのはキャミィが掘ったいくつかある洞穴の一つだ。そこに滑り込むと、ドラゴンを奥へと押しやって入り口を岩で塞いだ。ペタリとその場に座り込む。膝が笑って立つことができなかった。
「なんで、あんな……」
思わず言葉を溢して、ハッとするとキャミィは慌ててドラゴンへと這いずり寄った。細かなところまで調べて、怪我がないことにホッと息を吐く。
(僕が守らなきゃ……)
理由はわからないが、人間達はドラゴンを狙っていた。もしかすると、前に羽を傷付けた人間達かもしれない。
キャミィは覚悟を決めると、震える手を誤魔化すために心配そうに寄せられたドラゴンの鼻面を強く抱き締めた。
*
それからのキャミィの行動は早かった。狙われているドラゴンを洞窟内に残して、穴を掘って山の中を移動する。時折地上に出ては植物に人間の足止めをするようお願いして回った。そして山に住む動物達から人間の居場所を聴き、日中はその後ろを尾行していく。
人間達が拠点としているのは山頂に近い広場だった。長期戦でいくつもりなのか、食料が入っているであろう木箱がテントの横に積み上げられていた。
(どうにかして追い出さないと……)
今日採ってきた木の実を食べながら必死で考える。以前住んでいた山に人間はいなかったから、どう対処したらいいのかが思いつかない。人間を遠ざけることさえできれば、その隙に別の山に飛んで行けるのに。ドラゴンと同じくらい珍しい動物を囮にするかとも考えたが、そんなことできるはずがなかった。
(そういえば)
人間は金に弱いと誰かが言っていなかったか。しかし、人間が逃げるほどの金となると相当な量になるだろう。この山にそれほどの金があるとは思えない。そこでふと思い出したのは、先日忍び込んだ人間の住処だった。大きな建物の中には妙な形をした金や鉱石が山ほどあった。あれを持ってくれば、丁度いい目眩しになるんじゃないか。
(よし……!)
善は急げとばかりにキャミィは早速準備を始めた。すっかり寛いでいたドラゴンに絶対に外に出ないよう言い含めて、貯蔵用の木の実をどっさり傍らに置いておく。ポシェットには石を研いで作ったナイフと石飛礫、腰には食料を入れた小袋をぶら下げた。
「行ってきます!」
そう言って穴を掘り出て行ったキャミィの後ろから、フューイとドラゴンの鳴き声が聞こえた。
9.
造形技術専門学校では年に一回、二日に渡って研究発表会が執り行われる。各クラスでそれぞれが製作したい物を決め、展示の方法や見せ方も自由という、研究発表会などという堅い名称とは正反対のイベントである。
今回、工芸科二年が製作するのは魔石ボックスだ。魔石ボックスとは、ビルクス石やタングスト石などの魔力を持つ石の劣化を防ぐための箱で、主に鉱物商が商品の保管箱として使用する。たかが保管箱だが、派手好きの鉱物商の中には外装にこだわる者も多く、芸術度の高い物は高値で取り引きされることも多い。
「出来た!」
一心不乱に作業をしていた相沢が顔を上げた。金先にこってりと絞られた五日前、奇跡的に見つからなかった拾い物の金属を今日漸く加工することが出来た。時刻は夕方の六時。研究発表会まであと十数時間。明日本番という納期ギリギリでの完成だ。
「おーお疲れー」
気のない返事で応じたのは江崎だ。顔も上げず堀口と向かい合わせで座り、手にした端末で夢中でゲームを進めていた。
オリハルコンの紛失というアクシデントにより大幅に作業が遅れた相沢と違い、堀口と江崎は既に魔石ボックスを完成させていた。なので実習室に用は無いのだが、教室内の内装を手掛けている女子達に邪魔だと言われ逃げてきたのだった。堀口が不満気に唇を尖らせる。
「早く持ってかねーと澤口が恐えぞ。アイツこのイベントに命かけてるから」
澤口とはクラス委員長を務める澤口叶のことだ。漠然とした将来しか持たない生徒が大半の工芸科において、唯一就職の為にこの学科を選んだ女生徒で、この研究発表会で金賞を取ることに情熱を注いでいる。
このイベントでは一日目に校内生徒が、二日目には外部からの来場者によって最も優れているクラスを決める人気投票が行われる。優勝クラスは記念の盾と賞状が送られるのだが、彼女が欲しいのはその盾に使われている黒い鉱物だ。なんでも、今作っている物に組み合わせるためにどうしても必要らしい。
「まぁ、いーんじゃねぇの。その代わり色々やってくれてるじゃん」
「嫌とは言わないけど、アイツおっかねぇんだもん」
煮え切らない様子でボヤく堀口に、相沢と江崎は顔を見合わすと肩を竦めた。どうやら相当怒られたらしい。
「じゃあ俺、教室にこれ置いてくるわ。お前らどうすんの?」
「俺達はこのステージ終わったら帰る」
「オーケー、また明日なー」
二人に手を振り、相沢は教室へと向かった。明日の研究発表会に向けて、日が沈みかけているにも関わらず校内は騒がしい。階段を上がり、中でもトップクラスに騒がしいであろう教室へと足を踏み入れた。
「チーッス、遅くなりましたー」
「やっと来た!」
即座に振り向いたのはやはり澤口であった。長い黒髪を振り乱して大股で相沢へと迫り来る。
「相沢くん!ギリギリだよ!」
常からキツい眼光が、より鋭くなって相沢に突き刺さる。これを指摘すると本人は普通だと言うが、澤口の眼力は相当な威力がある。居眠りをしていた澤口を起こした際に担任が怯むぐらいなのだから、これが普通なワケが無い。
背中に汗をかいて、相沢は一歩後方へと下がった。
「ごめんごめん。やっと出来上がってさ」
気を逸らすために今し方作り上げた箱を持ち上げた。銀の外装に金の内張。ここまでは全員同じだが、蓋や側面に施された細工はそれぞれ異なっている。相沢の物は植物をモチーフにしたデザインだ。象形化された植物が複雑に絡み合い、蓋の真ん中には大きく一輪の花が彫られている。その中心には小さなトパーズが置かれていた。
「相沢くん、相変わらず見た目に似合わない繊細な物を作るわね」
「それ褒めてる?」
しげしげと眺め回す澤口に、相沢は苦笑した。見た目も態度も怖いけれど、このクラスの中で誰よりも魔法道具に向き合っているのは、この澤口だ。お世辞など恐らく口にしないであろう人物に遠回しに褒められて、こそばゆくなった。
「それよりスゲーね教室。見違えたわ」
なんとなく誤魔化すように見渡せば、其処は教室とは思えない煌びやかな空間になっていた。天井や壁を彩るのは儚くも鮮やかなビロード。それが視界を遮るように縦横無尽に柔らかに垂れ下がり、作品をパーテーション代わりに区切っている。作品が置かれている台にも銀色のビロードが敷かれ、その上に乗る展示物の周りにはクラスの女子が持ち寄ったのか、煌びやかなアクセサリーで囲まれていて、まるで宝物庫のようだ。相沢の褒め言葉に気を良くしたのか、澤口は鋭い目を幾分か和らげて、ふふ、と笑った。
「そうでしょう?もちろん相沢くんだけの場所もあるわよ。それは───コチラです!」
勢いよく澤口が指し示したのは教室の中央、アクセサリーどころか金貨や金の粒が彩る金の台座であった。他の銀の台座より高く聳える金色の頂上は空席になっている。
「すげー!これ本物?!」
「そんなわけないでしょ、ゲーセンのコイン塗装したの」
意気揚々とコインを摘み上げた相沢の手を、澤口が強く叩いた。そして「お願ーい!」と言うと、脚立が用意され、ついに相沢の作品が台座の上へと据えられた。
「お~!」
出来る限りの丹精を込めたとはいえ、生徒の作る荒削りな作品である。しかし、周囲の装飾のおかげで見た目以上に立派に見えた。自分の手で作った物とは思えない豪奢な姿に、相沢の興奮も高まり、作品への愛着も湧いてくる。もっと良く見せたいという欲も出てきて、いそいそと澤口の元へと近付いていった。
「なぁ、これさ、蓋少し開けてネックレスとかコインとか中から溢れ出させてみたらどうかな?宝箱みたいに!」
「こう?」
相沢の提案に、澤口は周りのコインを集めると保存箱へと入れ始めた。ジャラジャラと鳴る音に、期待が膨らむ。思い描くのは御伽噺に出て来るような宝箱だ。金色でもないし、大きなルビーも嵌め込まれていないが、これだけ煌びやかな空間ならば映えるだろう。相沢がワクワクと出来上がりを待っていると、暫くして「何コレ?」と澤口が呟いた。
「え?ダメだった?」
「そうじゃなくて、これおかしい……あっ!」
一瞬、相沢は澤口が足を滑らせたのだと思った。澤口の身体が傾いて脚立から浮き上がったからだ。しかし、倒れたはずの澤口の身体は脚立の向こう側には無く、代わりに凄い速さで相沢の保存箱の中へと吸い込まれていった。数瞬後、教室内に悲鳴が響き渡った。
「澤口!」
教室内で作業をしていたクラスメイト達が騒ぐ中、相沢は急いで脚立を駆け上った。魔石ボックスを覗き込む。見たところ箱の中は製作時と変わった様子は無いが、確かに澤口は中に吸い込まれていった。意を決して腕をゆっくりと入れてみる。
「何だコレー!!」
高さにして十センチ程しかない箱の中にズブズブと腕が飲み込まれていく。飲み込まれた先には、どうやら空間が広がっているようだ。腕を振ってみると、コインの感触が指に触れた。
「うおっ?!」
突然腕を掴まれて、相沢は仰け反って箱から手を離した。その衝撃で脚立から転がり落ち、魔石ボックスが宙を舞った。突然の事に受け身を取り損ねて背中を強かに打ち付けた。一瞬息が止まり、それを取り返すように思わず咳き込んだ。
「相沢!」
クラスメイトが駆け寄ってくる。強い光を直接見た時のように目が眩み、その中に星が飛んでいた。
「痛ぇー……」
「委員長!」
少し離れた所から、別のクラスメイトの声がした。その声に顔を向けると、澤口が頭を押さえて座り込んでいた。その周囲にはコインが散らばっている。ホッと胸を撫で下ろす。
「澤口……無事だったか」
相沢が何とか絞り出すと、澤口は周囲に礼を言って思いの外機敏な動作で相沢の元へと歩み寄ってきた。
「相沢くんの方が大事になってるけどね……立てる?」
差し出された手を握り返す。打ち付けた背中が少し痛んだが、動けない程ではなかった。ゆっくりと起き上がり、座り込む。相沢の背中をクラスメイトが支えてくれた。
「おあー……あんがと。なぁ、今何が起きてるんだ?」
「私が聞きたいわよ。あなた、一体何を作り出したの……」
呆れたように答える澤口の表情は苦みきっている。
「人を飲み込む魔石ボックスなんて聞いた事ないわよ」
「やっぱり箱の中入ってたんだ……もうダメかと思った……」
私の台詞だわ、と言うと、澤口は先程の騒ぎで数メートル先に落ちた魔石ボックスを拾い上げた。先程自分を飲み込んだ得体の知れない道具を平然と手にした胆力に、相沢は内心で舌を巻く。自分ならば触れようとすら思えない。そんなことは露とも知らぬ澤口は、閉じた箱を眺めすがめつ確認した。
「真っ白い空間に放り込まれたと思ったら、急に目の前に相沢くんの腕が出てきたの。相沢くん、さっきみたいにもう一度これに腕を突っ込んでみて」
「うぇっ?!」
ズイッと目の前に箱を出されて躊躇う相沢に、少し苛ついたように澤口の目端がキュッと上がった。その剣幕に押されて、渋々腕を入れていく。
「うおぉぉぉ……」
際限なく飲み込まれていく腕に、先程身体ごと飲み込まれた澤口を思い出して嫌な汗が滲む。二の腕まで飲み込んだところで、澤口はゆっくりと箱を引いて相沢の腕から引き離した。
「次、田端くん。ゆっくり腕を入れてみて」
「俺ぇ?!」
相沢の背中を支えてくれていたクラスメイト───田端智則が声を上げた。非難めいた声に、澤口の目端が更に鋭くなる。
「今ここに男子はあなたと相沢くんだけなのよ。女の子に危ないことさせられないでしょ」
澤口の言葉に背後の田端が言葉に詰まるのがわかった。澤口の言う通り、飾り付けの最終段階に入った今、この場にいる男子は田端と相沢しかいない。それでも納得いかないのか「でも……」と田端が言った。
「澤口がやれば……」
「私は女子じゃないって言いたいのかしら?」
ついに上がりきった澤口の目に、ひぃっと田端は縮み上がった。クラスの中でもあまり目立つことのない田端は、クラス全員を合わせても気の弱さはピカイチだ。恐縮して固まってしまった田端を宥めるように、相沢は肩に置かれた手をポンポンと数回叩く。
「悪い田端。死にはしないから頼むよ」
相沢にそう言われて、田端は周囲を見回した。やがて、誰も味方になってくれないと諦めたのか、長い溜息を吐き、
「……絶対助けてよ……」
小さく言い捨てると、目の前に出された箱の中にゆっくりと手を近付けた。田端の動きは周囲が焦れるほど慎重だった。恐る恐る伸ばされた指は最初、箱から十五センチも離れたところからジリジリと近付き、縁に触れるか触れないかというところで一旦止まった。
「……」
中々先に行こうとしない田端に業を煮やしたのは澤口だった。手元の箱を押し出しすと田端の指が箱に掛かる。
「うわあぁぁぁ!!」
指の先が入ってすぐに田端の身体は間髪入れずに吸い込まれた。叫び声ごと飲み込まれ、やがて静かになると、澤口は至って冷静に相沢へと箱を手渡した。
「腕入れて、田端引き上げてみて」
言われるがままに、再び手を入れる。すると、今度は手首まで入ったところで手を握られた。そのまま箱の外へと引き出す。
「な、な、何だよこれ……」
小さな箱からずるずると田端が引き出されていく様は、なんとも奇妙なものだった。しかし、これにも動じることはなく、澤口は無事に引き出されて腰を抜かしている田端を見下ろして「やっぱりね」と数度頷いた。
「これ、原理は収納袋と同じだと思うわ」
「収納袋?あの冒険者が持ってるやつか?」
慎重に蓋を閉めて、相沢は首を傾げた。
収納袋とは、主に冒険者や狩人が旅をする際に持ち歩く魔法道具である。内面に特殊な加工が施され、異次元空間に繋げることで巾着程度の布袋にテントや寝袋などの嵩張る荷物を収納することができる、旅の必需品だ。
「なんでそんなことになってんの?」
「こっちが聞きたいわよ。なんて物を作ってくれたの」
呆れて澤口は溜息を吐いた。
澤口の見解によると、相沢の魔石ボックスは収納袋と同じように異空間に繋がっているらしい。しかし、そこに物の出し入れができるのはどうやら製作者である相沢のみで、その他の者が触れると見境なく吸い込まれてしまう。先程の澤口や田端のように。
「ということは、つまり、知らない間に誰かが吸い込まれても相沢くんが気付かない限りは外に出られないということになるわ」
その言葉に、物珍しそうに箱を覗き込んでいた全員が一斉に相沢から距離を取った。驚いて腰を浮かせた相沢に、田端が「寄るな!」と叫ぶ。
「なんだよ!傷付くだろ!」
「吸い込まれたらどうするんだ!早くそれ処分しろよ!」
「いや、処分って言ったって……」
相沢は手元の箱を見下ろした。
危険な物だと言われても、相沢の製作物はこれだけだ。他の授業の提出物同様、研究発表会の展示物もやはり成績に関わってくるし、学科が苦手な相沢にとって点数を取る方法は実技しかない。正直言って、今学期の実技を全て満点で通っても補習を免れるかどうかという瀬戸際なので、研究発表会に出さないというのは非常に不味かった。しかし、人に危険が及ぶとなればどうなのか。
うんうんと悩み始めた相沢の思考を遮ったのは、やはり澤口だった。
「処分はしないわ」
決然と言い放ち、腰に手を当てて尊大に周囲を見渡した。
「金賞を取るには相沢くんの作品は不可欠よ。よって、箝口令を敷きます。みんな、今見たことは口外しないで」
強くそう言った澤口に、教室内に戸惑うような雰囲気が漂った。それはそうだろう。これがただの収納袋ならば問題は無いが、ここにいる全員は為す術もなく吸い込まれていく澤口と田端を見ている。ここで見逃して万が一があれば、黙っていた自分達まで責を問われることになる、そういう沈黙だった。
「何かあったらどうすんだよ……」
小さく呟いたのは田端だ。臆病な瞳が、強く澤口を睨みつけた。
「もし誰かが吸い込まれて、それに気付けなくて、それでそいつがどうにかなっちゃったら、お前らだけで責任取れるのかよ」
田端の責めるような物言いに、表立って味方をする者は居なかったが沈黙がそれを肯定した。澤口もそれに異論はないようで、一つ大きく頷いた。
「責任は取れないわ。だから、私が三時間毎に中に入って確かめる。これならどう?」
平然と放たれた言葉に、再び教室内が騒めいた。同じく、元凶でありながら、騒ぎを傍観することしか出来ずにいた相沢も、澤口の発言に目を剥いた。
「待てって!戻って来れなかったらどうすんだよ!」
「もちろん、命綱は付けるわ。死にたくないもの」
「死っ……!」
敢えて誰も口に出さなかった可能性をツルリと言われ、思わず閉口した相沢に苦笑すると、澤口は小さく息を吐いた。
「可能性から言うと、相沢くんがいれば死ぬことは無いと思うわ。でも、まだ確証は無いから念の為に入るだけよ。原理は収納袋と一緒だって言ったでしょう?」
澤口は自分の推測に自信があるようで、言葉尻に不安は感じられない。しかし、中が収納袋と同じ原理というのはあくまでも仮説であり、確定では無いのだ。そもそも、本当に収納袋ならば人を吸い込むようなことはない。ならば、中も変異が起きていると考えるのが自然だ。
「いや、でも……」
「私は大丈夫。みんなにも、絶対迷惑はかけないわ」
そう断言されると何も言い返せることはなく、相沢は思わず溜息を吐くとバツの悪そうな田端と目線を見合わせた。まだ付き合いは浅いが、クラス全員が澤口の筋金入りの頑固さを知っている。ここで誰が何を言おうと、納得することはないだろう。
面倒なことになってしまったと、元凶である相沢は現実から逃げるように空を見た。夜の帳は降りきって月が輝いている。研究発表会まで、あと十時間を切っている。
10.
天気は快晴。抜けるような青空には雲一つ無く、背後に聳えるワコル山の頂上まではっきりと見える気持ちの良い朝に研究発表会開催を知らせるトランペットの音が高らかに鳴り響いた。
私立造形技術専門学校は四つの科に分けられている。一つは魔法物質や魔法道具を保存する為の加工を学ぶ工芸科、二つ目は魔法武具の製作を学ぶ武具装具科、三つ目は魔法効果のあるローブやマントなどを製作する服飾科、そして四つ目が魔法効果のあるアクセサリーを製作する装飾科だ。校長の挨拶が終わり、担当教師の開始の合図と共にトランペットが鳴ると、四科三学年の総勢四百五名の生徒達は一斉に動き出した。二日間ある研究発表会で金賞を取るには、今日の関係者の部と明日の一般の部で、より多くの票を獲得しなければならない。そのため、集客はかなり熾烈なものとなる。
「いらっしゃーい!どうぞ寄ってってー!」
工芸科二年も集客すべく、今日のために手を打っていた。その第一弾が、現在堀口が仮装している『頭部が豪奢な箱のスーツ姿の男』である。
「ヤダー!チョーかっこいい!」
一見すると奇妙な風貌だが、何故か女子ウケが良い。この仮装をしろと澤口に言われた時に堀口は盛大に反抗したのだが、かつてないモテ期に思わず内心で澤口に感謝すらしかけた。
「展示物見てくれたら一緒に写真撮れるよー!」
「行く行くー!」
隣に看板を持って立つ相沢の声かけに、周囲の女子達は揃って展示室の方へと向かって行く。これが自分と写真を撮るためだというのだから、堀口が箱の下でにやけてしまうのも無理は無かった。
「おい、ニヤニヤしてないで仕事しろよ」
相沢の恨めしそうな声に、はて、と堀口は首を傾げた。
堀口は今、澤口に口酸っぱく喋らずに紳士然と振る舞えと言われているため、一言も声を発することはない。しかし、喋らない代わりに大袈裟な仕草で感情を表してくる。堀口はスタイルが良い。それがいちいち様になって相沢の神経を逆撫でる。相沢は短く舌打ちをした。
「見なくても分かるっつーの。てか、その動きめちゃくちゃ腹立つわ」
恨みの篭った相沢の言葉に、戯けるように箱男は顎の下に手をやって考える風を装った。それに反応した女性たちが集まり、集客は上々だ。華やかに賑わう相沢達の周囲。しかし、それとは裏腹の湿度の高い視線が相沢を絡め取った。
「良いよな~お前らはさ~」
客を展示室へと誘導した相沢の背後に幽鬼のように現れたのは、くたびれたパンダの着ぐるみだった。首から看板を下げ、手には風船を持っている。
「俺も女子にチヤホヤされてーなー」
「チヤホヤされてんのは俺じゃなくて堀口だ」
パンダの顔を押し退けて、ついでに手に持った看板を押し付けた。中で変な風に当たったのか、小さく「ぐぇっ」と声がした。
「お前仕事してんのか?悔しいけど、堀口は順調だぞ」
「してるよー。してるけど、今日は俺らは役立たずだわ。これは明日の予行演習」
「明日には役に立つのかよ」
「多分な」
そう言い捨てるとパンダこと江崎は、女子に囲まれて写真を撮っていた堀口の元へと割って入って行った。女子の悲鳴じみた非難の声を背に、誰に見せるともなく看板を振っておく。
現在相沢達が客寄せをしているのは、正門から学院を抜けて伸びる並木道の中程のところだ。学院のメインストリートとも呼べるこの道には、正門を抜けてすぐに大きな噴水が置かれており、その周囲には学生が寛げるよう幾つかのベンチが備え付けられている。その広場を抜けて学院の渡り廊下を越えると専門学校へと繋がるのだが、専門学校の出入り口は別に設けられているので、普段相沢達専門学生が学院側の敷地に立ち入ることは滅多に無かった。しかし今日は関係者の部ということで、学院側の生徒達も客として参加している。そこで、滅多に無い広場での客寄せをしているのだ。
(見たところ、半数ぐらいは来てんのかな)
研究発表会は専門側のイベントなので、学院側は強制参加ではない。しかし、広場を埋める人の数は相沢が予想していたよりも多かった。
「相沢くん」
不意に声を掛けられて振り向くと、首から下を白い着ぐるみで覆われた澤口が立っていた。頭には兎耳が乗っている。
「そろそろ見回りに行きましょう」
格好とは裏腹に、いつものように毅然と振る舞う澤口に相沢は咄嗟の言葉が出なかった。代わりに、後ろから「ぶーっ!」と江崎の吹き出す声がした。
「だーっはっはっ!何だよその格好!」
「頭部無しのジャンク品よ。可愛いでしょ」
「可愛くはないだろ!控え室で準備中の人のコスプレじゃん!」
無遠慮に指を指して笑う江崎に、澤口の額に青筋が立つ。それに気付いた相沢は江崎を窘めようとしたが、時すでに遅し。思いっきり足の甲を踏み抜かれて、パンダが飛び上がった。
「行きましょう、相沢くん」
声も無く悶絶する江崎を放ってその場から離れる。暫く歩いてから振り返った時にも地面に転がっていたことから、相当な痛みだったのだと推測し、
(江崎……馬鹿な奴だ……)
自ら自爆していく友に憐れみを送った。
*
展示室の隣の空き教室で、例の箱を構えて相沢は固唾を飲んだ。
「それじゃあ行くわよ」
着ぐるみのままで腰に縄を縛り、澤口が息巻く。澤口が今日のために用意したという縄は腰に巻いてもなお長く、数メートルがゆうに余っている。その端は、しっかりと相沢の右手に巻き付けられている。
「よし、来い!」
相沢の声に応えて、澤口が勢いよく吸い込まれた。勢いで縄を持って行かれぬように、力を込める。
「……あれ?」
澤口が吸い込まれた後、同じように縄も全て飲み込まれると思ったが、数センチ入ったのみでピクリともしない。飲み込まれた勢いで解けたのかと試しに引いてみたが、つっかえるような抵抗があり、オマケにあちら側からツンツンと引っ張り返すような返しがあった。我ながら妙な物を作り出したと相沢が感慨に耽っていると、再びあちら側から縄を引かれて腕を突っ込んだ。
「お帰り。中はどうだった?」
澤口を引きずり出して、状況を聞く。引きずり出された澤口は慣れたもので、そのまま這い出ると膝の埃を払うために数度手で叩いた。
「当然だけど、誰もいなかったわ。それと周囲を歩いてみたんだけど、縄の様子はどうだった?」
「全然動いてなかったよ。外れたと思って確認したぐらいだ」
「そう。やっぱりね」
澤口によると、収納袋とはそういう物であるらしかった。無造作に物を入れて、それが広い空間に散らばってしまえば取り出すことが出来ない。なので、一つのところに集まるように魔術がかけられているという。
「普通は魔術師が加工した物を使わないとこうはならないけどね。本当に、こんな物どうやったら作れるのかしら」
そう言って呆れる澤口に、相沢は曖昧に笑って誤魔化した。
原因には心当たりがある。恐らく、あの日くすねたオリハルコンが原因だろう。否、オリハルコンかどうかさえ怪しいが、完成した今、それがバレない事だけが相沢の唯一の気掛かりだった。
「まぁ、いいわ。とりあえずこれから三時間毎にこの教室に集合ね」
チャリ、と鍵を鳴らして毅然と立ち去る澤口の後ろ姿は、控えめに言っても可愛らしい。研究発表会は二日間。その間、無事にこの秘密を守り抜いて実技最高点を取ってみせると、相沢は固く手元の縄を握り締めた。
11.
ドラゴンと別れ、山を出ると決意したキャミィがまず手掛けたのは、現在山にいる狩人達への罠だった。いくらドラゴンに洞窟から出ないように言い含めたところで、万が一ということもある。その時にドラゴンが逃げ延びるには少しでも時間稼ぎが出来た方が良い。そう考えたキャミィは、以前盗んできた魔鉱石を一つづつ地面に置いては近くの草を結びつけて手製の罠を作っていく。黙々と作業を始めて暫く。始めた頃には白む程度だった空に、太陽が顔を出し始めていた。
「よし……」
背の高い雑草が生い茂る所は粗方仕掛け終わった。精霊や動物達にも話しを通しているので、これでドラゴンに害を成す者は近付けないはずである。
踵を返して、山を下る。目指すはワコル山麓の人間の住処だ。
*
キャミィが住処へと侵入した時、辺りはやたらと静まり返っていた。以前は騒がしいとまではいかずとも、人の気配が複数あったはずなのに。
(どうしたんだろう……)
疚しいことをしていると自覚しているからか、静寂が妙に恐ろしい。警戒心もあって、以前侵入した経路とは別の場所から入ることにした。
開け放たれた窓から、中へと入る。以前の雑然とした埃っぽい部屋とは違い、今回の部屋は広く、四角い台と妙な形をした物が規律正しく並んでいた。その合間を縫って、金を探す。床に落ちていた白いカサカサとした物に、小さな文字らしきものが羅列している。
「いや~やっと始まりますね」
(っ!!)
文字を読み解こうと眺めていたキャミィは、突如開いた扉に飛び上がって咄嗟に四角い台の下に隠れた。キィッと台が小さく音を立てる。
「全員提出が間に合ったようで安心しました。相沢くんと須藤くんはもうダメかと思いましたからねぇ」
「相沢は兎も角、須藤は順調だったはずでは?」
「それがねぇ、急に相沢くんに勝つって言い始めて、デザインを一から変えちゃったんですよ。おかげで僕まで居残りしちゃいました」
「それはお気の毒に……」
人間達が立ち話を続ける声を聞きながら、キャミィは脱出経路を探すべく辺りに目をやった。頭を付けていた天板が僅かに持ち上がり、カタリと音を立てる。
「……しかし、やる気があるというのは良いことですな。こと、専門学生はどうも緊張感に欠ける」
キュッと音が鳴って、足音がキャミィの元へと近づいてくる。台と変な形の物の隙間から足が見えた。黒くて大きな足に付けられた茶色の皮のような物が、床を擦って再びキュッと鳴いた。
───鳴くということは、足蹴にされているアレは、生きているということか。
思わぬ人間の残虐性に、ゾッと青褪める。焦って出口を探すが、唯一の出口が人間の足で塞がれてしまい身体の震えが止まらない。カタカタと鳴る天板はどうしようもないが、せめて声を漏らさぬようにと両手で口を押さえて耐え忍ぶ。
「いやいや金盛先生、それは言い過ぎでは……」
「ははは、職員室で遠慮は無しですよ西野先生。それに……ここには無礼者がいるようですしなぁっ!」
急に目の前の物が退かされたと思ったら、鬼のような顔面がキャミィの前に突き出された。
「ぎゃーーっっ!!」
再び飛び上がったキャミィを捕まえようと棍棒のような腕が伸びる。それを頭を打つけることすら構わずにめちゃくちゃに暴れることで回避して、ついでに思いっきり噛み付くと一瞬の隙を突いて出口へとひた走った。
「待て!!」
獣の唸り声のような重低音に、キャミィはかつて無い程速く足を動かした。
(っ!!っ!!)
必死の走りに、足音は段々と遠ざかっていく。しかし、恐怖で撹乱したキャミィはそれに気付く事はなく、誰もいない廊下をひたすらに走り抜いた。
(人間が!あんなに恐ろしいなんて!)
ガチガチと震える口元に手を当てて階段を駆け上がる。上った先に見えた部屋に飛び込んで、その端に置かれていた灰色の鉄の箱を開くと急いで中へと入り扉を閉めた。閉めた瞬間、ガクガクと足から崩れ落ち、目には涙が滲んできた。
キャミィは今まで人間に会った事がなかった訳ではない。以前いた山の麓に人間が来ることもあったし、何度か話す機会もあった。しかし、今まで会った人間達は先日の狩人や、先程の鬼のような乱暴はしてこなかった。自分の認識不足に悔しさと恐ろしさが襲いかかる。これでは、一匹で残されたあの子が見つかった時にどうなってしまうのか想像に難くない。
(早く……早く見つけなきゃいけないのに……!!)
暗い箱の中、震える足を力無く叩きつけるキャミィが歩き出すには、未だ時間がかかりそうだった。今は静かな室内に、何処か遠くからファンファーレの音が鳴り響いた。
12.
ウンザリと相手を見返した相沢が欠伸をしたのは、この十五分で既に十回目の事だった。集客の当番も休憩に入り、三人で出店でも見て回るかと歩き出したところで、須藤に捕まったのだ。
「どうだ相沢。お前の箱と違って立派だろうが」
そう言って須藤が突き出してきたのは、自信作と豪語する展示物のトマホークだ。全長六十センチはあるだろうか。頭部の滑らかな黒い鋼に、飴色の柄。刃の部分は銀色に輝き、恐らくミスリル鋼が使用されていると思われる。その刃と反対の位置には流れるような細工が柄に渡って丁寧に施されており、製作者の執念とこだわりが見て取れた。なので最初突き付けられた時、相沢も思わず「おー」と声を上げたのだが、それも最初のうちだけだった。
「うんうん。そーね」
長々と蘊蓄を垂れ流し、その度に「オマエノハコトハチガウダロ」という台詞を挟み込んでくる須藤に、いい加減投げやりな言葉しか出てこない。隣で聞いていた二人も飽きてきたのか、江崎はゲーム機を弄りだし、堀口は露骨に溜息を吐いた。
「もういいだろ。行こうぜ相沢」
いよいよ痺れを切らした堀口が前を塞ぐ須藤の脇を擦り抜けた。しかし、道を塞ぐように素早く移動する影があった。須藤と行動を共にする取り巻き達だ。首から下げた呼び込みの派手な看板が無駄に煌めく。
「なんだよお前ら!もう聞いたろうが!」
「……」
何も言わず不気味に押し返す姿に、相沢と堀口は顔を見合わせた。まだ何か言い足りないのか、話し出すタイミングを伺っている須藤に目をやって、背を向けた。
「おいっ、なんで今日に限ってこんなにしつこいんだよ!」
「知らねーよ!俺は真面目に聞いたぞ!」
コソコソと相談し始めた二人は再び須藤を見た。そこには先程の自慢話で興奮しているのか、少し上気した顔でこちらを見ている男がいて、多少の気持ち悪さが込み上げた。
「───わかった」
突如閃いたのは、最早壁に凭れかかりゲームに没頭していた江崎だった。
「つまり、ツンデレだ」
「あ?」
江崎の発した予想外の言葉に思わず声が低くなる。それに構わず見せられたゲーム機の液晶画面には、気の強そうな女子がソッポを向きながら主人公に話し掛けているところだった。訳がわからないと江崎と画面を見比べる二人に、江崎は眼鏡を押し上げて、
「相沢、須藤を褒めてやれ」
「はぁ?!嫌に決まってんだろ!!」
「まぁ、話しを聞け」
そう言うとスクラムを組むように、壁に向かって三人でガッチリと肩を抱き合った。
「今日の須藤は可笑しい。そうだな?」
「そうだよ!見てたろお前!」
「喚くな。いつも嫌味ばかりの奴が今日はどうだ?嫌味を言われたか?」
「いや、嫌味は……」
問われて、この十五分に渡る無駄話を思い出す。確かに、いつもの嫌味は入っていなかったように思われた。
「言われてないな」
「そうだろ。つまり、アイツはお前の敗北宣言を聞きたいんだ」
敗北宣言という言葉に、ピクリと相沢の肩が揺れた。
「これだけ凄いことをしたぞと見せびらかして、お前を打ち負かしたいんだよ」
「あぁ……それで、それを俺たちにも見せたいワケね」
ウンザリと堀口は再び溜息を吐いた。二人の肩を抱く相沢の両腕に力が篭る。
「なんで、俺が……」
「怒るな相沢。別に負けを認めなくてもいい、取り敢えずアイツを褒めろ。それで満足するはずだ」
慰めるように江崎は何度か相沢の背を叩き、スクラムを解いた。
理由がわかった今、振り返った先でニヤついている須藤が猛烈に憎らしく感じる。しかし相沢の背後に控える二人も空腹の限界なのか、頻りに「頑張れ!耐えろ!」と小声で言っては背中を押してくる。
相沢には、何故こんなにも須藤が自分に執着してくるのかが分からなかった。確かに高校の頃には相手校のライバルとして戦ってきた。だが、それは野球だけの話で、それ以外には関わりも何も無かったのだ。この学校に来て、須藤が絡んでくるまでは。
(なんで俺が……!)
訳の分からないことに巻き込まれて、怒りが込み上げる。前門の須藤と後門の二人に板挟みになり、相沢はゆっくりと拳を握り込んだ。
「キャーーッ!!」
膨れ上がる怒りに任せてニヤけた顔面に拳を叩きつけてやろうかと思った瞬間、数メートル先の教室から悲鳴が上がった。瞬時に目をやった先に居たのは、あの日取り逃がしたアルミラだった。控え室として使われていた教室に隠れていたのか、廊下へと飛び出し相沢の目の前を走り抜けていく。
「このっ……!!」
その姿を見た瞬間、相沢の怒りが爆発した。突き出されていたトマホークを奪い取り、僅かに残る理性で頭部と柄を力付くでもぎ離した。
「あーーーっ!!」
一瞬後に上がった須藤の悲鳴にも気付かず、相沢は柄の部分を握り締めると強く振りかぶる。
「ごちゃごちゃうるせーんだよ!テメーら!!」
怒りに任せた豪速の柄が相沢の手を離れた。そしてそれがアルミラの頭に命中すると、小さな身体は声も無く倒れたのだった。
13.
───ぐすっ。うぅ……。
真っ暗闇の中で蹲り、泣いている影がある。その後ろに立って、キャミィはその影を見下ろしていた。
(あぁ、これはボクだ)
ワコル山に来る前の自分。家族も無く、仲間も居らず、精霊達の加護によってなんとか生きていた自分。あの頃は一人が当たり前で、寂しいだなんて感じることはなかった。それでも、周りの動物達や精霊達には番があって、家族がいて、それがどういうものなのか、触れてみたくなった。
(それで、ワコル山に来たんだ)
キャミィは生まれてからこの方一人だったが、アルミラは決して珍しい種族ではない。精霊達から聞くところによると、街に近いところにはアルミラの集落もあるらしかった。
───仲間に会ってみたい。
そうして、いくつもの山を越えて、ワコル山へと辿り着いたのだ。
ぐすっ、うぅっ……。
「悪かったって、泣くなよ須藤」
聞こえてきた会話に、キャミィはゆっくりと瞼を開いた。あれからどれぐらい経っただろう。開いた視界に飛び込んできたのは、少し傾いた日が照らすクリーム色の天井だった。まだ痛む後頭部が、ぼんやりと思考を起動させる。
「俺はっ、あれに全てを賭けていたんだっ!」
「えぇ……。引っこ抜いただけなんだから戻せばいいだろ」
「お前の箱と一緒にするな!!」
激しい言い争いはキャミィの足元から聞こえた。少し頭を傾けてみると、部屋の隅の方で二人の人間が向かい合っており、座って頭を抱えている方の目元は僅かに濡れているようだった。二人はキャミィの意識が戻ったことに気付いていないようで、言い争いはますますヒートアップしていく。目線だけで二人との距離を確認して、最新の注意を払って頭上の扉へと目を向けた。
(隙を見て逃げなきゃ……)
じり、と僅かに足を動かす。立ち上がり様すぐに走り出せるよう、地面につけた足裏に僅かに力を込めた。
(あの子を助けるんだから……!)
決意したと同時に身を翻し、両手で身体を起こした勢いで地面を蹴り上げた。低い体勢から徐々に身体を引き起こし、手を伸ばしてギリギリ届く高さにあるドアノブへと手を伸ばす。
「あっ!おい!」
慌てた声が背中にかかる。その声を振り払うように渾身の力を込めて思いっきり扉を開いた。
「ギャッ!!」
「お?」
開いた瞬間キャミィの目の前にいたのは、豪華な箱に人間の身体が付いた奇妙な姿の生き物だった。見たことのない生き物に驚き、思わずたたらを踏んだキャミィの腕を易々と箱が捕らえた。そのまま、足が地面から浮く高さまで軽々と引き上げられた。
「おーい、ちゃんと見張っとけって」
箱はキャミィをぶら下げたまま部屋に入り、言い争っていた片方へと突き出した。
「だって須藤が泣くからさぁ」
「泣いてない!」
怒鳴り声に耳を伏せる。
(もうダメだ……もう逃げられない……)
この人間達はキャミィが魔法鉱石を盗んでいたことを知っている。一度逃した盗っ人を再び見逃すとは到底思えない。最後の悪あがきと掴まれた腕を外そうと藻搔いてみたが、足をバタつかせるだけで終わってしまった。
「なぁ、お前さ」
なす術もなく力無く項垂れたキャミィの前に、言い争っていた人間の一人がしゃがみ込んだ。先程立って頭を掻いていた人間だ。ぼんやりと眺めていた床を遮るように、視界がその人間の顔でいっぱいになる。そのまま手を伸ばされたかと思うと、頭を軽く撫でられた。
「もう怒ってないからオリハルコンだけ返してくんない?あれ無いと俺大変なんだわ」
予想に反して困ったように笑うだけの人間に、キャミィは困惑した。このまま痛めつけられると思ったのだ。山にいた人間がしたように。
「こ、殺さないの……?」
カラカラに乾いた喉が引っ付いて、掠れて漏れた声は情けないほどに小さかった。それでも目の前の人間には伝わったようで、黒い目を大きく見開くと、ブーッ!と大きく吹き出した。
「いやさすがに殺さないって。とんでもない悪党なら一発殴ろうとは思ったけどさ」
戯けて両手を振る人間に、キャミィは漸く全身の力を抜いた。
ここ数日、友であるドラゴンや山に来た襲撃者達の件が重なって碌に休まることが無かった。捕獲され計画は頓挫してしまったが、どこかで胸を撫で下ろす自分もいた。だからだろう。緊張の解けた腹の虫が盛大に泣き叫んだ。
「っ!」
「あ?腹減ってんの?」
恥じ入って再び顔を伏せたキャミィの頭上で、軽い笑い含みの声がした。恐る恐る見上げると、さっきより少し強めに頭を撫でられる。
「んじゃ、飯食いに行こうぜ!」
*
キャミィが連れてこられたのは、油の匂いが染み込んだ木造の小さな小屋だった。入り口に暖簾が垂れ下がり、それを払い除けて入ると古びたカウンターと椅子が四つ、奥の方には明らかに堅気ではない男が腕を組んで入り口を睨んでいた。
「おやじさん、いつもの四つね」
慣れた仕草で椅子に腰掛けた相沢達に倣い、キャミィも腰を下ろす。こちらを睨んでいた店主は、小さく「あいよ」と言うと手元で何やら作業を始めた。
「お前、なんでオリハルコン盗んだんだよ」
相沢はカウンターに置かれていた小皿を四つ並べると、それぞれに名物の山菜のピリ辛胡麻和えを取り分けていく。それを当然のように端に座る二人が受け取り、そのうちの一つがキャミィの前に置かれた。
「金が必要だったのか?」
箸を手に取り胡麻和えを食べ出した三人を見回して、質問には答えず指で山菜を摘まんだキャミィに江崎がフォークを差し出した。
「ほれ。刺して食えよ」
見慣れない道具を受け取って恐る恐る口に運ぶ。馴染みのある歯触りと初めての味に目を白黒とさせているキャミィに、相沢は片肘を付いて息を吐いた。
見たところ、金目当てでの盗みでは無さそうだった。それどころか、山から出たことすら初めてなのではないかと思える反応に、ますます疑問は募った。
「なんでまた学校に忍び込んだの」
返答は期待せず、ほとんど独り言のように問うと、キャミィは口の中の胡麻和えを飲み込み「……友達を助けたかったんだ」と小さく呟くと再び山菜を口に運び始めた。三人は顔を見合わせた。
「それって……身代金要求されてるとか?それとも病気か何か?」
「病気……」
堀口の言葉に、キャミィは食べ進める手を止めた。
「そうかも……だって、前はあんな風じゃなかった……」
それからキャミィは事の顛末をポツポツと語り出した。ドラゴンとの出会い、穏やかな日々、変貌する友に襲い掛かってきた人間達。語り終わる頃には胡麻和えはすっかり平らげて、メインを待つのみとなっていた。楊枝を加えて、江崎は考え込む。
「話しが本当なら、その狩人達は闇ハンターってやつだな」
「何それ?」
「法律で狩っちゃいけない魔獣を狩って裏で売買してるハンターのことだ。ロッグ本体を狙ってきたなら、その可能性が高い」
国指定保護生物であるロッグドラゴンは如何なる理由があっても狩ることは許されない。市場に出回る鱗でさえ、許可を受けた狩人が森に落ちていたのを拾い集めた物のみで、一般人では例え落ちていたとしても、拾って所持することすら許されないのだ。
「もしそうだとしたら、犯罪者じゃん」
「そ。だから俺たちじゃ何もしてやれねぇわな」
江崎がそう言ったところで料理が運ばれてきた。目の前に置かれたのは乳白色のスープの中に黄色い麺が落とし込まれたラーメンだった。乳白色のスープの上には背脂が浮き、食べずとも濃厚なことが一目で分かる。スープの中ちらりと覗く麺は黄色に近いクリーム色をしており、強烈な匂いの中でも負けない卵の香りは麺にどれだけの卵が使用されたのかを主張してくるようだ。そして、その麺とスープを彩るように乗せられたプロック鳥の肉。柔らかく薄味ながらもしっかりと味の染み込んだ肉は特濃ラーメンの中のオアシスであった。
「あー旨そう!いただきます!」
湯気を立てるそれに一斉に取り掛かる。啜るたび縮れ麺にスープが絡み口内を満たしていく。それを咀嚼し飲み下しながら、相沢はキャミィを見た。先程とは打って変わり、深刻そうにラーメンを見つめる横顔は物悲しげに俯いている。やがてフォークを手にラーメンを啜り始めたが、三人程の感動は無いようであった。
ラーメンを食べ終えて帰途に付いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。闇ハンターがいるという山にキャミィ一人を帰すわけにもいかず、今夜は相沢のアパートへと連れて帰る事になった。
相沢のアパートは学校から徒歩十五分、今時珍しい木造の二階建てだ。家賃二万でトイレと風呂が共同という古めかしい作りで、堀口などは"待遇の良い監獄"だと言うが、この古さが相沢は気に入っていた。
風呂を済ませ、六畳一間の畳間に布団を二つ敷いていく。狭い室内に広げられる厚手の布に、キャミィはキョトキョトと落ち着かないようだった。
「この上に寝るんだよ。ほれ、寝そべってみな」
言われるがまま横になったキャミィの上に夏用の毛布を掛け、電気を消すと相沢も横になった。
今日は朝から研究発表会だったこともあり、すぐに眠気がやってくる。しかし相沢と相反し、キャミィは眠れないようだった。
「……ドラゴンのことが気になるのか?」
相沢の問いに、一瞬躊躇うような間が空いて、次いで「うん……」と小さく返ってきた。
「江崎が言ってた通り俺たちは何もできないけど、先生達に報告して通報するぐらいはできるからさ。きっとまた元通りに暮らせるようになるよ」
元気付けるように言って、暫くすると相沢は眠ってしまった。キャミィは今日あった出来事を頭の中で追いかけていた。闇ハンターのこと、追いかけられて気絶したこと、食べたことのない食べ物。そのどれもが刺激的で、思い出す程興奮してやはり眠れない。
ゴロリと横を向く。ぼんやりと浮かび上がる景色の中、静かに眠る相沢がいる。毛布の中の熱と上下する胸元を眺めていると、少しづつだが興奮も薄れて眠気が忍び寄ってきた。静かに目を閉じる。穏やかな時間と、初めて感じる安心感に身を委ねて、やがてキャミィも眠りに落ちた。
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