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コーヒーとCEOの秘密

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「あーー、頭にくるっ」


 仕事を終え、久しぶりに新宿駅東口に通じるルートを歩く。思い切って行ってみたくなった。


 木を多用した落ち着いた内装、酒の品揃えと女性の一人客にも対応した長いカウンター席が人気の創作和食の店。

 新宿駅の反対側、ライバルS物産のすぐ近くという立地でなければ通いつめていたかもしれない。この店は以前、対中東渉外責任者村上本部長に連れて来てもらった。
 この店から足が遠のく理由がもう一つ、その村上こそがライバル社に情報をリークした人物なのだ。

 一年と少し前、内部情報が他社に漏れ、買収劇に発展した。
 内通者は役員に匹敵する権限を持つ本部長ーー。

『嘘ーー。何のそぶりも見せなかったのに』

 当時は三津子も驚いた。直接の上司ではないが、盃を交わしたこともある村上本部長がそんな大それたことをするなんて信じられなかった。人柄のいい、家族思いの中年男性だったのに。

 当時の市況も併せ、屋台骨が揺らぎかねない事態になってしまった。

(はぁー…。それがこんなことになるなんてね)

 新CEOの補佐にと言われた時は士気に溢れていたのに。そのCEOがあんな男だったとは……。

(足踏みしてる気分……)

 気難しい男の懐柔策はあるのだろうか…。無事に任務を終え秘書室に受け渡したいのだが。

 カウンター席からパインのリキュールソーダを頼んだ時、ふと入り口にいる男性に目が止まった。

(村上さん…!?)

 まさかこの店で遭遇するとは。そっと顔を避けた。横目で気配を辿ると奥の個室に行くようだ。二人連れである。

(何? もしかして一緒にいたのはS物産の人?)

 スーツ姿で接待のように気張った様子でもなく、仕事帰りとしか思えない。

 三津子はそのままカウンターでやり過ごした。

 気になって席を立つ気にならない。

 アルコールを二杯、オススメの盛り合わせを頼んで箸を進める。

 カウンター席は女性客とカップルでほぼ埋まり、居心地が悪いこともなかった。

 再び彼らの姿を目にしたのはそれから二時間も経っていない。

 二人は談笑しながらレジの前に立つ。

 三津子も席を立ち、後ろで様子を伺った。もし気づかれても偶然を装えばいい、そのつもりでいた。

「ーーーいい話になりそうでよかった」
「はは、では、また。お嬢さんによろしくお伝えください」
「ええ」

(お嬢さん?)

 彼らは気づくことなく店の前で別れた。

 部長は前と変わらず、良い人の笑顔を浮かべていた。

(いい気なものね、こんな目と鼻の先で)

 S物産で何らかの職についているのだろう。うまく身を翻したものだ。

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