会長にコーヒーを☕

シナモン

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3話 はじめての課題

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「弟さん、みつかったんですね。おめでとうございます」

 二人きりに戻った部屋で、会食のデザートとは別に、大豆をミキサーでどろどろに砕いてグレープフルーツジュースで固めたものをさし出しながら、私は言った。さも、何も知らない風を装って。海老の件はひとまず置いておいて、だ。

「ああ。ありがとう」

 会長ははじめて、嬉しそうに微笑んだ。
 嬉しそうといっても、無論満面の笑みというわけじゃない。
 でも私にはわかる。心の中の安堵が。空気がゆるいわ。
 
 私も嬉しい。心の中で雄叫びをあげる。

 頑張った甲斐があったドーー。

「家に連絡があったらしい。父が歓喜してね」

 会長はふっと笑って、そのおぼろ豆腐もどきを口に運ぶ。
 お上品に飲み込むとスプーンを置いて、息を吐く。

 ああ、よかったぁ~。
 会長も、でしょ。
 たく、ポーカーフェイスなんだから。

「ところで、先ほどのエビだが」

 早い。もう切り替えかい。私はぎくぅと肩をすぼめた。

「あ、あの、すみません、うっかり、してて……」

 マジな顔。やっぱり、怒ってる?

「ふっ、伊勢海老を食べるのに何故小さなエビが食べられないのかと思っただろうな」
「い、いえ」

 ええ。思いましたよ。それで、うっかり出しちゃいましたとも。

「味などではなく、見た目がね、受け付けないんだよ」
「見た目?」

 会長は頷く。

「しかし、すりつぶしてあれば何の問題もないのだな。まあ、当たり前のことか。気にしないでくれ」
「はあ」

 出してもいいがすりつぶして原形をとどめるなってこと?
 エビの見た目ねえ。確かにいもむしっぽい気もするわな。
 デリケートですな。さすが、会長。
 
「それはさておき。いつだったかな、外食事業部の幹部と食事をしたんだが、来年売り出す予定の新商品の主力がね、エビなんだよ」
「はあ」
「それで、近々最初の商品開発会議があるらしいんだが、君、行ってみないか」
「へ?」

 てっきりお小言かと思っていたら全然違う話だった。
 私はぽかんと会長を見る。
 いたって冷静ないつもの様子。
 商品開発? 何故私が?

「次回から一般のモニターも参加するそうだ。主婦やOL、学生と既に募集をかけているらしい。キミも行ってみなさい」
「ええ。でも……」

 私なんぞが行ったところでただのミーハー……。どうしてエビからそういう発想になるのだろう。
 つか、今更エビ?

「あのう、仕事中に、ですか?」
「もちろんだ。あるいは、土日の場合は手当ても出す」

 エビ? エビバーガーとかいうの昔はやったけど。
 私ののりが悪いからか、会長は笑みだけ浮かべて、説明してくれた。

「国産のエビを売り出すための戦略だよ。国内のいくつかの養殖場の面倒をうちが見ることになった。まずは外食チェーンで様子を見て、徐々に加工や冷凍食品へおろしていく」

 ふうん。いつもながら多岐に渡って監視しなくちゃならないのね。

「ネットでアンケートもとるそうだ。是非キミも参加してきてくれ」
「はい……」

 気乗りしない返事。あんまりこの部屋以外の仕事はしたくなかったりして。

「会場は都内だがね。今後は出張にも出てもらおうと思う」
「え? って、私がですか?」
「そう、キミにね」

 キッと、上司の顔に戻って会長は言った。

「……キミ、フライトの方はどうなっているんだ? 一向に東京から出た気配がないようだが」

 ぎくぎく。
 再び緊張が体を走る。
 フライトって。
 飛行機に乗れってことですよね?
 乗れないって。
 知らないところへ行って、また空港でよれよれになったらどうするの?

「いや、あのその」
「キミに地方での任務を与えて行って来てもらう。無論、仕事の範囲だ」

 ちょ、無理やり仕事作って出張行って来いって? むちゃくちゃだ~。
 言ってることは無茶苦茶なのに、この刺すような視線。マジなのね。

「繰り返すようだが、慣れてもらわなくては話にならん。距離が段違いだからな。それに、勤務地によってはトランジットだってありうるんだ」
 
 トランジット~? って乗り継ぎか。冗談じゃない。何時間もあんな所に押し込められて、また乗り換えて、それを繰り返すのか? 死にますよ。

「つまり、アメリカではなくなる可能性もあるんだ。キミも自覚してもらわなくては困るよ」

 ええーー。困るって、あんたが勝手に決めたんじゃないか。
 私も困る。

「精神科への通院と併用して治療しなさい。病院などいくらでもあるだろう」
「あ、あの、通院って、平日でも、ですか」

 何言ってるんだ、私。

「ああ。午前でも午後でも抜けて行ってきなさい。そのくらいの融通きかなくてどうする」

 きかなくてどうするって。
 なるべく部屋から出たくないのに~。
 しかも精神科って。激しく抵抗があるのだが。

「で、でも」
「でも、ではないのだよ」
「え、はあ」
「日頃の熱心さをそちらにも向けてもらいたいものだ」
「え、ええ」

 もごもごしてると、更にきつめのお言葉が頭上から浴びせられる。
 次のお仕事に向かうため、会長は立ち上がったのだ。「どうしても改善されない場合は―――」

「麻酔を打って眠らせてでも連れて行くからな。心しておくように」

 がーん。
 そんな、珍獣を空輸するみたいに言わなくても。
 猫、かなしいいーー。
 


 こうして猫から珍獣へ降格を余儀なくされた私は、意気消沈してクリニックを探す=会長がいない間にネットで検索。はたから見るといつもと変わらない。

 あーあ、高広くんの話で盛り上がると思いきや。
 なんてかわいくないんだ!
 会長、東京で仕事するわけにはいかないのかな。
 いつも大概ネットで済ませてるじゃん。
  
 頭では自分に都合のいいことばかり考えているわけで。
 検索結果がズラズラ出てきても目に入らない。
 習慣とはどうしようもないもので、画面はあっという間にいつものブログへと変わっていた。

『困ったよ~。海外転勤しそうです! 実は私飛行機乗れないの』
『どうしよう。のだめの千秋みたいな催眠療法ってありですか?』
『皆さんは飛行機大丈夫なの?』

 あれこれ書いては消し、今日の会食の記事に付け加えた。
 ついでにツィッターもどきにも打ち込んでおく。
 夜までには何か返ってくるかな。

『いい病院教えてください。新宿方面』

 出るのはため息。
 会長、強引すぎませんか。

 内線が鳴った。

「今日のおこぼれまだですか?」

 と。秘書室より、催促の電話だ。

「はいはい。今行きます」

 もうすっかり当てにされちゃってる感がある。
 特に男二人。最近はリクエストなんかもされる。

『たまには和風スイーツにしてもらえません~?』
『オレ、あんこは苦手なんで別物で♪』

 男子スイーツ部になってしまった。
 会食のデザートで米粉の桑の実マフィン出すって言ったら、『おお、いいねえ。待ってまーす』だって。
 だが、これも私の仕事の一部だ。
 洒落っ気出して籠に入れてお持ちするとたいそう喜ばれた。
 部屋には男二人と室長と常務秘書の子が一人。
 本日は和風なので濃い目のほうじ茶と一緒に出して。
 まったりとした時がしばし流れる。

「う~ん、いいねえ~。こういうのも」

 春日という男性社員さんはお茶の匂いを一杯に吸い込んで気持ちよさそうに言った。

「ほうじ茶って番茶とどう違うんだっけ?」
「炒ってるかどうかの違いですよ」
「会長もこういうの飲むんだ」
「まあ、たまに」

 最近なんでも飲んでる気がするけども。

「へ~。会長がねえ。これも入れ方とかあるの?」
「緑茶や紅茶ほどじゃないですよ」

 こんなの食後の口ゆすぎみたいなものだけどなあ、我が家では。
 熱湯で入れるので楽だよね。ミルクを入れて飲ませるカフェもある。

「オレが出したらやっぱペケなんだろうな、これも」
「そんなことないですよ」

 簡単なのにね。
 この人たちにしてみれば会長に飲み物を出す、という時点でピリピリものなのだろう。

「副社長絶賛のお茶もあるとか」
「えっ。あはは、ただの健康茶ですよ」

 何故それを。知らないうちに話が漏れているのかな。
 
「今度こっちに回してもらえませんか~? 常務も健康診断の結果気にされてるの」

 常務秘書さんが言うと、笑いが上がった。

 このアットホームな雰囲気。私が来るまでぴりぴりしてたなんてうそみたいな話だ。

 とりあえず私は当初の任務は果たしたみたいだけど、この先は……。

 この人たちは知らないんだろうな。
 私が上で何言われているか。
 とても、言えない。

  

『連れて行くからな』

 って。


 飛行機は別として、ちょっとだけ嬉しい……。
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