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3話 はじめての課題
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「その節はお世話になりました。どうもありがとうございました」
「はは、わざわざどうも。お加減はどうですか」
「はい。もうすっかり」
「それはよかった」
「ふふ、先生テキパキ対処なさって流石ですわ。私はもう何が何やら」
「任務ですから」
「AEDなんて……使って初めてありがたみがわかるわ。やっぱり必要ね」
「緊急事態でしたからね」
室長と一緒に挨拶。物腰やわらかいドクター……面と向かって喋るのはじめてかも。何気に世話になってるんだよね。
「ええ、それでね、もう一度AEDの使い方習っておこうと思うの。みんなマニュアル読んだ程度でしょ。いざという時不安だわ……想像するだけでもう。先生、ご指導お願いできます?」
「もちろんです。早いほうがいいですね」
「スケジュール調整するわ。今日中にメールします」
「はい」
会釈して出ようとしてると呼び止められた。
「市川さん、少しよろしいですか」
え。「じゃ、市川さん、あなた今日はもういいわよ」……バタン。室長だけ出て行く。
「ふ、本当によかった。どうですか、会長はその後」
「え、いや、その、ご、ごめいわくおかけしました」
会長のやつれた顔が浮かんでもにょる。やだな、いったいどんな修羅場だったのやら。ドクターはにーと笑って顔を近づけた。
「ところであなたはご結婚されてるんでしたっけ」
ドキ。
「い、いえ…」
「ほほう」
妙な沈黙が数秒。ドクターやけににやにやしてるんだけど?
「あ、あの…」
「いや~それはそうですよね~年頃の男女が四六時中同じ部屋にいてなんの感情も湧かないなんてあり得ないですよね~」
ドキーン。なんだこの人?「な。なにを…」言いだすんだ…キャラ崩壊してますよ?
ドクターは眼鏡を上げ続ける。
「さすがに僕も焦りましたよ~。若い女の子が死にそうな状態で担ぎ込まれて…あの会長にですよ? はぁ~思い出すだけでドキドキする~少女漫画じゃないですかっ。キタキターーーって、まあ無事だったから言えるんですけどね」
は? 凍結する私にドクターはこしょっと耳打ちした。
「…あなたは会長にしがみついたまま気を失ってたんですよ。ギューっと。僕にはまるでキスしてるように見えました」
ーーーキ⁉ ななな、なんだってーーー!!
ドクターはチッチと指を振る。
「まーあの状態ではやむを得ないですがねー。でも僕にはただの上司と部下には見えなかったなー。会長のあなたを見る目が」
や、やめて…勝手にイメージを広げようとする脳よストップ! 私は頭を抱えた。
「素敵でしたー。あー僕やっぱここ来てよかったー。いいモノ見せていただきました」
何故か指を組んで夢見るポーズをする先生。
「はははは、誰にも言いませんよ。あのとき…僕と何人かいましたがこの話はしてません。まあ前いたおばちゃんだったら尾ひれつけて触れ回ってたかもしれませんがね」
ガーーーン。それって前倒れた時の…いやもうやめてーー思い出しちゃうーーー
「そ、か、かんけいないです、かいちょうはただやるべきことをやっただけで…」
聞こえないくらいの小声で抵抗する私。
「あの冷静な会長が顔を真っ青にして…。あなたは会長の経歴をご存知ですか」
「は?」
ドクターは教師のように手振りをして説明する。
「MBAビジネススクールご出身かと思っていましたがロースクールなんですね。つまり厳密に言うとご専門は法曹。言われてみれば納得ですね。石橋を叩いて渡るよりもさらにガチガチに包囲網を固めて攻めるタイプ。根っからの戦闘種族。会長は跡を継いだというより100%勝利のために実の父親に雇われた策士、なのですよ、実際はね。いつも冷静で損得勘定優先。企業的にはそれでいいとしてもやっぱり人間なんだなあ。ホッと息をつける瞬間が必要だったんですね」
「は、はあ…」
「あなたがそうなんですね。ね、これからも会長に美味しいコーヒーをいれてあげてくださいね。応援してますよっ」
「ど。どうも…」
「キミの快復を祝って乾杯」
「ありがとうございます」
アフターファイブ…会長に連れられて隣のホテルのダイニングバーへ。
とりあえずの一杯でグラスをあわせる。
久しぶりに拝むわこの夜景…だけど胸はドキドキしたまんま。
会長がまともに見れない。
ーーー僕にはキスしてるように見えましたーーー
とか。
やめてー、意識しちゃうっ。
「海老や甲殻類はNGでこれとこれ…」
スラスラオーダーする会長を直視できず悶々としていた。
ドキドキドキドキ…少女漫画のような…またやっちゃった……お姫様抱っこ、越え!?あーもーやんなっちゃうーー
会長は深く息を吐いた。
「まあよかったよ。今回のことは身に染みた。キミをあちこちやらせるものではない。私が悪かった」
「いえ」
そうなのよ。私は会長室のお仕事専門で雇われてるわけで。はっきり言って気乗りはしなかった。あんなことになってしまって予想外の展開すぎる。せめて携帯いじってて池にはまったことだけは誰にも内緒よ。棺桶までもっていくってやつ?
「あれから…また元の生活に逆戻りだ。こんなにきついとは、いつのまにかキミに大分助けられていたんだな。本当に食事が苦痛でね」
そうなんだ。まー贅沢な舌ですね。と私は豪勢な会長の会食リストを思い浮かべた。私がいない間どう過ごしていたんだろう。殆ど会食。室長も今更コーヒー持って行きづらいよね。
「はっきりしておこう。無理なタスクは今後一切なし。食品開発の話もな」
「え、そうなんですか」
藤島シェフとのコラボ? あれは面白そうだったんだけど…。
「キミに海老はご法度だろう」
「はい」
海老…もう触れないかも。料理どころじゃない。形思い出すのもムリ。海老よスマンがそういうことだ。
おそるべきバルタン星人!とっとと退散したまえ。
幾分ドキドキが薄れてきて…料理がやって来ていつもの私にもどった。
この店といえば…分厚いステーキよ!
「いただきまーーす」
ホカホカの肉片をガブリ。ああ、肉汁が広がる~ウマーーー。
「ふふ、キミは本当にうまそうに食べるな」
だってマジでうまいんだもーん。しかも上司のおごりなんてサイコー。色々あったけどその分旨味が増すわ。
それにちょっと見てよこの景色!ああ、素敵すぎるーー。帰って来たよー新宿!!
「ふぅ、本当に…限界だよ、色々。何が起こるか分からんな。まさかこんなことになるとは」
「す、すみませんでした」
「ああ、いや、そうではなくていい意味でね。事業についてだ」
う、おエビランド? どうなっちゃうんだろう。そういえば私…レポート…あっー。
モヤモヤ記憶を辿ろうとしてると会長は真顔で言った。
「一体キミ、どんな接待をしたんだ? こんなどんでん返しを食らうとは思わなかったぞ」
ええっ、接待? て、私はされた方ですよ?接待…
会長は顔を寄せて小声で、
「ここでは言えないが。何年も前に消えたはずの事業が復活しそうなんだよ。キミの所以としか思えん」
「は?」
えーー、私、大失態…なんだよね? どういうこと?
「全くキミの社への貢献度はすばらしいよ。早速上乗せしておかないとな」
え?え?え?
頭の中?マーク…でも食は進む。会長は相変わらず控えめ、オードブル的な一皿をそろりそろり口に運んでいた。
「キミを派遣したのは…どこか期待を込めていたのかもしれないね。あの停滞した物件にキミという存在をぶつけてどう転がるか試してみたかったのかもしれない」
そんな~。飛行機に乗せたかっただけでしょ。公私混同もいいとこっすよ。
「ふ、そうだった、それは大いに反省する」
私の心が読めるのか会長はそう言って笑った。
「ふーー、諦めて放り出すにもどうしようもなかったものが思わぬ拍子にごっそり動いた……というところか」
「は、はあ…」
何なんだろう…おエビランド…私はもう関わらなくて良さそう? 連絡しといたほうがいいのかな…高田さん。心配してくれたし。「どうだい」
おもむろに会長は手を伸ばした。
「前も言ったが、キミと契約を交わしたい」
「へ?」
ガシッと私の手を取って。そう、腕相撲する時の要領で。
「キミは私の世話だけをしてくれ。今回思い知ったよ、キミがいないと大変なんだな」
ーーーは?
「それって…」
ま、まさか…ちょっと何ーーー、この体勢で言う?
ドドドドハートが波打つ。
「ど、どどどどういういみですか、一生私に飯炊きしろと?」
きゃーーいいセリフが浮かばなあいー
「ふっ、聞こえは悪いがね。契約だよ、契約。先のことは心配するな。キミの面倒は見るよ」
ってそれって、プ、プロポ…?
と高鳴る胸…会長はきっぱり言い切る。
「私は誰とも結婚しない」
え?
「だからキミも結婚しないでくれ」
ええええーー?
私は声を失った。
どんな顔してたのかな…
この上なくアホヅラ…
がっつり手を握られて。
窓の外は東京随一の夜景。
最高のセットアップ…
なんだけどぉ
なんか違うくない?
違う…違う…そうじゃない…違うでしょ…オイコラ
色々言葉が頭を駆け巡る…ナンダナンダ有無も言わせず…
「せめて私の任期中はね」
ホ。ですよねー。あービックリしたあ。
「はい」
答えてしまうじゃないのよ…私…
「よし」
会長はぎゅっと手を握り実に満足げに頷いた。
結婚するなだぁ?
ハートを射抜かれるんじゃなくてえぐられるというかはぐらかされたような妙な心地…
高層階のエレベーターから乗り換える通路で私はちょっと浮かれた。
「とんだダフネーしちゃうとこでしたね」
前に会長と来た時のことを思い出したりして。
会長がローリエの葉っぱを持った私に言ったセリフ。
意味わかんなくてその後ネットで調べた。
自分をアポロに例えるなんて…自信家め…
会長は一瞬目を泳がせて、ああと斜め上に視線を止めた。
「そんなつもりじゃなかったんだがね。余計なことを言うものじゃないね。口は災いの元だ」
ぷっ…と笑いかけて、私はすごい勢いで腕を引かれた。わっ…会長のネクタイが目の前に。ドキーーン心臓が飛び出しそうになる。
「一体どんな手を使ったんだ? あの老翁が一気に折れるなんて。今まで何があっても首を縦に振らなかったのに」
胸に押さえつけられるようにして口早に囁かれよく聞き取れない。「な、何の話ですか」
「今になって全て孫に任せると言って来た」
「え」
ドキドキドキドキ…
「あの男だ。高田という男。地権者の孫だ」
えっ…。
そぉっと顔を上げると視線がガチンコした。
「キミと何かあったのか?」
すっと顔を寄せて会長は囁いた。
「全くキミはやってくれるね。同郷の者同士話もしやすいだろうと温情もあったが仇になった。もうこの件には関わらないとしよう」
何その言い方…誰が派遣したの…同郷じゃないってば。島根と山口ダゾ、はしょりすぎ! 目を合わせられなくてうつむいていると会長は手を緩めて、
「あの男とアドレス交換してるんじゃないだろうな。連絡するなよ」
したかもっ。ぼんやりあのレストランでのことが浮かぶ。
「昭和の昔今よりも接待まみれだった頃から我が社は男女の接待は禁止だ」
「ええー、してませんよっ、何も」
「ハニートラップとはよく言ったもんだ。効果抜群なんだな」
違うっ!
「『正規の』接待もグンと増えるだろうがね」
ふっと体を離して、会長は言った。
「あれほどエビにこだわっていたのに…あんな場所で…どんなプランが持ち上がってもエビを絡ませて来た。まるでエビに取り憑かれているかのように…担当部署が何度も変わった」
ゾワッ…反射的に体がこわばる。エビエビ言うなあー。
「ああ、すまない、すまない、言ってはいけなかったな」
てか、極秘の事案でしょうにこんな通路で世間話してていいんですかね。まあ誰も聞いてそうにないけど。
「みんな首をかしげてるよ。災い転じて福と成すーーだね、全く。珍しくいい知らせが重なってね」
そう言って会長は携帯を取り出した。ピカピカのスマホ。「えっ」私は画面を見て驚いた。
「弟からメールがあったんだ。『元気でいるから心配するな』とね」
高広くん!画像はビーチで10人くらいと写ってるアレだ。「よ、よかったですね」
モヤモヤ記憶が蘇る。そうだ高広くん空港で…。沖縄行くって言ってたような。
「何やら仲間と仲良くやってるようだ。肩の荷が降りたよ」
「そうですか」
はっ。そこで私は思い出した。携帯⁉そうだ、高広くんとメールしたじゃん。あれを今会長に見せれば…
一挙解決じゃあ!
携帯携帯…
と私はポケットを探る。ナイ…バッグを開けて気がついた。
「あーーーー、携帯!」
「ん、どうした」
「やばっ、携帯、えーーー?ちょっ、ずっと忘れてたーーーー!」
そうだ…あの時エビを撮ろうとして…携帯…どうしちゃったんだろう…誰も何も言ってなかったよね?会社に連絡もおじさんたちがしてくれたんだ…まさか池の中に…?
「ひいいいいいい…」
真っ青になって私は頭を抱えた。
「なんだ、どうした、携帯が?」
私は…つい…あったことそのまま喋ってしまったのだ…
何でだろう…バカバカ…私
「なんだ、そういうことだったのか」
あとはもう爆笑されまくりですよ。
あはははは…て。
そんなに笑わなくてもいいじゃない。
ここハイアットの通路よ?
やめろー。
珍しくジェスチャー付きで笑いまくり…もうやだ…知られてしまった…恥ずかしすぎる…
「なるほどねえ、本当に誰も真相知らないんだな。携帯は便利だが周りをよく見ないとね。前にも言わなかったか?」
ってまた大笑い。くっ…。あははははと笑いながら私の肩に手を置いた。
「彼らもとんだとばっちりだったねえ。だがよかった。キミに悪さしたわけじゃなかったんだな」
「は、はあ…」
ヒーー、疑いかけちゃった高田さん、ごめんっ。
「携帯買わなくちゃ…」
私はがっくり気を落とした。金銭面で痛いのみならず高広くん含め携帯には様々な情報が思い出とともにインプットされているのだ。ああ、過去のあれこれがひゅんひゅん飛び交うー。
「ふふん、買ってあげようか?」
会長は言った。
「えっ、いいんですか」
私はパッと顔を上げた。
「ああ。だが条件がある」
「条件?」
会長はぐっと手に力を込めた。そしてつよーい視線で
「まず、私の前でいじらないこと」
それはまあそうですね…よく怒られていたこと…「はい」
「待ち受け画面を変えること」
…ん?
「いいな」
「って、どういう」
「どういうじゃない、やめなさい」
「えーー、それは自由じゃないですか」
「他人に誤解されるような行為は止めるべきだ」
「でも」
「では一体どう言う関係なんだ?」
「いや、その、ちょっとしたお守りというか…」
「お守り?何がお守りなんだ、何も役に立ってないじゃないか、この度だって…キミ、死にかけたんだぞ!」
ぐっ…。言い返せない私。そうだけどそうだけど…。あの米子の人には言い尽くせないご恩があるのだぞ。高広くんがメールよこす気になったのだって…元はと言えばあの人がアシストしてくれたから…
うぐぐぐ…ちと複雑な相関図…ああ、携帯さえあれば説明できるのにーー
スマホ…会長並みの最新機種…
ほしぃ…でもすんなり従うのも癪に触る…
「どうする?キミが決めなさい」
イエスかノーか
さて私はどう答えたでしょう。
て、決まってますよね…
「はは、わざわざどうも。お加減はどうですか」
「はい。もうすっかり」
「それはよかった」
「ふふ、先生テキパキ対処なさって流石ですわ。私はもう何が何やら」
「任務ですから」
「AEDなんて……使って初めてありがたみがわかるわ。やっぱり必要ね」
「緊急事態でしたからね」
室長と一緒に挨拶。物腰やわらかいドクター……面と向かって喋るのはじめてかも。何気に世話になってるんだよね。
「ええ、それでね、もう一度AEDの使い方習っておこうと思うの。みんなマニュアル読んだ程度でしょ。いざという時不安だわ……想像するだけでもう。先生、ご指導お願いできます?」
「もちろんです。早いほうがいいですね」
「スケジュール調整するわ。今日中にメールします」
「はい」
会釈して出ようとしてると呼び止められた。
「市川さん、少しよろしいですか」
え。「じゃ、市川さん、あなた今日はもういいわよ」……バタン。室長だけ出て行く。
「ふ、本当によかった。どうですか、会長はその後」
「え、いや、その、ご、ごめいわくおかけしました」
会長のやつれた顔が浮かんでもにょる。やだな、いったいどんな修羅場だったのやら。ドクターはにーと笑って顔を近づけた。
「ところであなたはご結婚されてるんでしたっけ」
ドキ。
「い、いえ…」
「ほほう」
妙な沈黙が数秒。ドクターやけににやにやしてるんだけど?
「あ、あの…」
「いや~それはそうですよね~年頃の男女が四六時中同じ部屋にいてなんの感情も湧かないなんてあり得ないですよね~」
ドキーン。なんだこの人?「な。なにを…」言いだすんだ…キャラ崩壊してますよ?
ドクターは眼鏡を上げ続ける。
「さすがに僕も焦りましたよ~。若い女の子が死にそうな状態で担ぎ込まれて…あの会長にですよ? はぁ~思い出すだけでドキドキする~少女漫画じゃないですかっ。キタキターーーって、まあ無事だったから言えるんですけどね」
は? 凍結する私にドクターはこしょっと耳打ちした。
「…あなたは会長にしがみついたまま気を失ってたんですよ。ギューっと。僕にはまるでキスしてるように見えました」
ーーーキ⁉ ななな、なんだってーーー!!
ドクターはチッチと指を振る。
「まーあの状態ではやむを得ないですがねー。でも僕にはただの上司と部下には見えなかったなー。会長のあなたを見る目が」
や、やめて…勝手にイメージを広げようとする脳よストップ! 私は頭を抱えた。
「素敵でしたー。あー僕やっぱここ来てよかったー。いいモノ見せていただきました」
何故か指を組んで夢見るポーズをする先生。
「はははは、誰にも言いませんよ。あのとき…僕と何人かいましたがこの話はしてません。まあ前いたおばちゃんだったら尾ひれつけて触れ回ってたかもしれませんがね」
ガーーーン。それって前倒れた時の…いやもうやめてーー思い出しちゃうーーー
「そ、か、かんけいないです、かいちょうはただやるべきことをやっただけで…」
聞こえないくらいの小声で抵抗する私。
「あの冷静な会長が顔を真っ青にして…。あなたは会長の経歴をご存知ですか」
「は?」
ドクターは教師のように手振りをして説明する。
「MBAビジネススクールご出身かと思っていましたがロースクールなんですね。つまり厳密に言うとご専門は法曹。言われてみれば納得ですね。石橋を叩いて渡るよりもさらにガチガチに包囲網を固めて攻めるタイプ。根っからの戦闘種族。会長は跡を継いだというより100%勝利のために実の父親に雇われた策士、なのですよ、実際はね。いつも冷静で損得勘定優先。企業的にはそれでいいとしてもやっぱり人間なんだなあ。ホッと息をつける瞬間が必要だったんですね」
「は、はあ…」
「あなたがそうなんですね。ね、これからも会長に美味しいコーヒーをいれてあげてくださいね。応援してますよっ」
「ど。どうも…」
「キミの快復を祝って乾杯」
「ありがとうございます」
アフターファイブ…会長に連れられて隣のホテルのダイニングバーへ。
とりあえずの一杯でグラスをあわせる。
久しぶりに拝むわこの夜景…だけど胸はドキドキしたまんま。
会長がまともに見れない。
ーーー僕にはキスしてるように見えましたーーー
とか。
やめてー、意識しちゃうっ。
「海老や甲殻類はNGでこれとこれ…」
スラスラオーダーする会長を直視できず悶々としていた。
ドキドキドキドキ…少女漫画のような…またやっちゃった……お姫様抱っこ、越え!?あーもーやんなっちゃうーー
会長は深く息を吐いた。
「まあよかったよ。今回のことは身に染みた。キミをあちこちやらせるものではない。私が悪かった」
「いえ」
そうなのよ。私は会長室のお仕事専門で雇われてるわけで。はっきり言って気乗りはしなかった。あんなことになってしまって予想外の展開すぎる。せめて携帯いじってて池にはまったことだけは誰にも内緒よ。棺桶までもっていくってやつ?
「あれから…また元の生活に逆戻りだ。こんなにきついとは、いつのまにかキミに大分助けられていたんだな。本当に食事が苦痛でね」
そうなんだ。まー贅沢な舌ですね。と私は豪勢な会長の会食リストを思い浮かべた。私がいない間どう過ごしていたんだろう。殆ど会食。室長も今更コーヒー持って行きづらいよね。
「はっきりしておこう。無理なタスクは今後一切なし。食品開発の話もな」
「え、そうなんですか」
藤島シェフとのコラボ? あれは面白そうだったんだけど…。
「キミに海老はご法度だろう」
「はい」
海老…もう触れないかも。料理どころじゃない。形思い出すのもムリ。海老よスマンがそういうことだ。
おそるべきバルタン星人!とっとと退散したまえ。
幾分ドキドキが薄れてきて…料理がやって来ていつもの私にもどった。
この店といえば…分厚いステーキよ!
「いただきまーーす」
ホカホカの肉片をガブリ。ああ、肉汁が広がる~ウマーーー。
「ふふ、キミは本当にうまそうに食べるな」
だってマジでうまいんだもーん。しかも上司のおごりなんてサイコー。色々あったけどその分旨味が増すわ。
それにちょっと見てよこの景色!ああ、素敵すぎるーー。帰って来たよー新宿!!
「ふぅ、本当に…限界だよ、色々。何が起こるか分からんな。まさかこんなことになるとは」
「す、すみませんでした」
「ああ、いや、そうではなくていい意味でね。事業についてだ」
う、おエビランド? どうなっちゃうんだろう。そういえば私…レポート…あっー。
モヤモヤ記憶を辿ろうとしてると会長は真顔で言った。
「一体キミ、どんな接待をしたんだ? こんなどんでん返しを食らうとは思わなかったぞ」
ええっ、接待? て、私はされた方ですよ?接待…
会長は顔を寄せて小声で、
「ここでは言えないが。何年も前に消えたはずの事業が復活しそうなんだよ。キミの所以としか思えん」
「は?」
えーー、私、大失態…なんだよね? どういうこと?
「全くキミの社への貢献度はすばらしいよ。早速上乗せしておかないとな」
え?え?え?
頭の中?マーク…でも食は進む。会長は相変わらず控えめ、オードブル的な一皿をそろりそろり口に運んでいた。
「キミを派遣したのは…どこか期待を込めていたのかもしれないね。あの停滞した物件にキミという存在をぶつけてどう転がるか試してみたかったのかもしれない」
そんな~。飛行機に乗せたかっただけでしょ。公私混同もいいとこっすよ。
「ふ、そうだった、それは大いに反省する」
私の心が読めるのか会長はそう言って笑った。
「ふーー、諦めて放り出すにもどうしようもなかったものが思わぬ拍子にごっそり動いた……というところか」
「は、はあ…」
何なんだろう…おエビランド…私はもう関わらなくて良さそう? 連絡しといたほうがいいのかな…高田さん。心配してくれたし。「どうだい」
おもむろに会長は手を伸ばした。
「前も言ったが、キミと契約を交わしたい」
「へ?」
ガシッと私の手を取って。そう、腕相撲する時の要領で。
「キミは私の世話だけをしてくれ。今回思い知ったよ、キミがいないと大変なんだな」
ーーーは?
「それって…」
ま、まさか…ちょっと何ーーー、この体勢で言う?
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「ど、どどどどういういみですか、一生私に飯炊きしろと?」
きゃーーいいセリフが浮かばなあいー
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ってそれって、プ、プロポ…?
と高鳴る胸…会長はきっぱり言い切る。
「私は誰とも結婚しない」
え?
「だからキミも結婚しないでくれ」
ええええーー?
私は声を失った。
どんな顔してたのかな…
この上なくアホヅラ…
がっつり手を握られて。
窓の外は東京随一の夜景。
最高のセットアップ…
なんだけどぉ
なんか違うくない?
違う…違う…そうじゃない…違うでしょ…オイコラ
色々言葉が頭を駆け巡る…ナンダナンダ有無も言わせず…
「せめて私の任期中はね」
ホ。ですよねー。あービックリしたあ。
「はい」
答えてしまうじゃないのよ…私…
「よし」
会長はぎゅっと手を握り実に満足げに頷いた。
結婚するなだぁ?
ハートを射抜かれるんじゃなくてえぐられるというかはぐらかされたような妙な心地…
高層階のエレベーターから乗り換える通路で私はちょっと浮かれた。
「とんだダフネーしちゃうとこでしたね」
前に会長と来た時のことを思い出したりして。
会長がローリエの葉っぱを持った私に言ったセリフ。
意味わかんなくてその後ネットで調べた。
自分をアポロに例えるなんて…自信家め…
会長は一瞬目を泳がせて、ああと斜め上に視線を止めた。
「そんなつもりじゃなかったんだがね。余計なことを言うものじゃないね。口は災いの元だ」
ぷっ…と笑いかけて、私はすごい勢いで腕を引かれた。わっ…会長のネクタイが目の前に。ドキーーン心臓が飛び出しそうになる。
「一体どんな手を使ったんだ? あの老翁が一気に折れるなんて。今まで何があっても首を縦に振らなかったのに」
胸に押さえつけられるようにして口早に囁かれよく聞き取れない。「な、何の話ですか」
「今になって全て孫に任せると言って来た」
「え」
ドキドキドキドキ…
「あの男だ。高田という男。地権者の孫だ」
えっ…。
そぉっと顔を上げると視線がガチンコした。
「キミと何かあったのか?」
すっと顔を寄せて会長は囁いた。
「全くキミはやってくれるね。同郷の者同士話もしやすいだろうと温情もあったが仇になった。もうこの件には関わらないとしよう」
何その言い方…誰が派遣したの…同郷じゃないってば。島根と山口ダゾ、はしょりすぎ! 目を合わせられなくてうつむいていると会長は手を緩めて、
「あの男とアドレス交換してるんじゃないだろうな。連絡するなよ」
したかもっ。ぼんやりあのレストランでのことが浮かぶ。
「昭和の昔今よりも接待まみれだった頃から我が社は男女の接待は禁止だ」
「ええー、してませんよっ、何も」
「ハニートラップとはよく言ったもんだ。効果抜群なんだな」
違うっ!
「『正規の』接待もグンと増えるだろうがね」
ふっと体を離して、会長は言った。
「あれほどエビにこだわっていたのに…あんな場所で…どんなプランが持ち上がってもエビを絡ませて来た。まるでエビに取り憑かれているかのように…担当部署が何度も変わった」
ゾワッ…反射的に体がこわばる。エビエビ言うなあー。
「ああ、すまない、すまない、言ってはいけなかったな」
てか、極秘の事案でしょうにこんな通路で世間話してていいんですかね。まあ誰も聞いてそうにないけど。
「みんな首をかしげてるよ。災い転じて福と成すーーだね、全く。珍しくいい知らせが重なってね」
そう言って会長は携帯を取り出した。ピカピカのスマホ。「えっ」私は画面を見て驚いた。
「弟からメールがあったんだ。『元気でいるから心配するな』とね」
高広くん!画像はビーチで10人くらいと写ってるアレだ。「よ、よかったですね」
モヤモヤ記憶が蘇る。そうだ高広くん空港で…。沖縄行くって言ってたような。
「何やら仲間と仲良くやってるようだ。肩の荷が降りたよ」
「そうですか」
はっ。そこで私は思い出した。携帯⁉そうだ、高広くんとメールしたじゃん。あれを今会長に見せれば…
一挙解決じゃあ!
携帯携帯…
と私はポケットを探る。ナイ…バッグを開けて気がついた。
「あーーーー、携帯!」
「ん、どうした」
「やばっ、携帯、えーーー?ちょっ、ずっと忘れてたーーーー!」
そうだ…あの時エビを撮ろうとして…携帯…どうしちゃったんだろう…誰も何も言ってなかったよね?会社に連絡もおじさんたちがしてくれたんだ…まさか池の中に…?
「ひいいいいいい…」
真っ青になって私は頭を抱えた。
「なんだ、どうした、携帯が?」
私は…つい…あったことそのまま喋ってしまったのだ…
何でだろう…バカバカ…私
「なんだ、そういうことだったのか」
あとはもう爆笑されまくりですよ。
あはははは…て。
そんなに笑わなくてもいいじゃない。
ここハイアットの通路よ?
やめろー。
珍しくジェスチャー付きで笑いまくり…もうやだ…知られてしまった…恥ずかしすぎる…
「なるほどねえ、本当に誰も真相知らないんだな。携帯は便利だが周りをよく見ないとね。前にも言わなかったか?」
ってまた大笑い。くっ…。あははははと笑いながら私の肩に手を置いた。
「彼らもとんだとばっちりだったねえ。だがよかった。キミに悪さしたわけじゃなかったんだな」
「は、はあ…」
ヒーー、疑いかけちゃった高田さん、ごめんっ。
「携帯買わなくちゃ…」
私はがっくり気を落とした。金銭面で痛いのみならず高広くん含め携帯には様々な情報が思い出とともにインプットされているのだ。ああ、過去のあれこれがひゅんひゅん飛び交うー。
「ふふん、買ってあげようか?」
会長は言った。
「えっ、いいんですか」
私はパッと顔を上げた。
「ああ。だが条件がある」
「条件?」
会長はぐっと手に力を込めた。そしてつよーい視線で
「まず、私の前でいじらないこと」
それはまあそうですね…よく怒られていたこと…「はい」
「待ち受け画面を変えること」
…ん?
「いいな」
「って、どういう」
「どういうじゃない、やめなさい」
「えーー、それは自由じゃないですか」
「他人に誤解されるような行為は止めるべきだ」
「でも」
「では一体どう言う関係なんだ?」
「いや、その、ちょっとしたお守りというか…」
「お守り?何がお守りなんだ、何も役に立ってないじゃないか、この度だって…キミ、死にかけたんだぞ!」
ぐっ…。言い返せない私。そうだけどそうだけど…。あの米子の人には言い尽くせないご恩があるのだぞ。高広くんがメールよこす気になったのだって…元はと言えばあの人がアシストしてくれたから…
うぐぐぐ…ちと複雑な相関図…ああ、携帯さえあれば説明できるのにーー
スマホ…会長並みの最新機種…
ほしぃ…でもすんなり従うのも癪に触る…
「どうする?キミが決めなさい」
イエスかノーか
さて私はどう答えたでしょう。
て、決まってますよね…
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幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
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