プリンス・オブ・メランコリー

百瀬圭井子

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第3章1「予感」

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 三日目は朝と昼にそれぞれ皇居で予定が入っていた。
 そのため王子はいったん───いくら目と鼻の先とはいえ───ホテルに戻り、仕事の合間に出かけ………───もとい、外出の合間にノートパソコンとスマートフォンを使って仕事をこなしていた。
 午前中の接見はともかく、昼は午餐会、夜はプレスも入ったナショナル・ギャラリー主催の立食パーティーが予定されているのだから、空き時間は休憩すればいいものを───と高村は思うが、若い王族はとにかく精力的だった。
 ホテルでは私室の前に立つ高村が相手を観察する機会はほとんどなかったが、どうやら王子は仕事をしている時よりも、パーティー直後の方が疲労の色は濃いようだった。
 身分上、避けられない行事も多いのだろうが、王子自身は決して社交的な性質タチではないのだろう。
 たった三日でも近い距離で接すれば、多少は見えてくるものがある。
 ───作為を気取らせない微笑を貼り付けた、取り澄ました公人としての仮面。
 真面目な口調に厳しい意思を宿らせながら、仕事をしている時のビジネスマンの顔。
 初めて足を踏み入れた異国の街で、あの建物は、あの看板はなんだろう? と素直な疑問を浮かべている若い横顔───。
 美術館で、至福の安らぎに満ちた寝顔を真摯に見つめていた、謎めいた眼差し───。
 王子のファンというものがもし存在するならば(自国はもとより、ヨーロッパ中にファンクラブくらいありそうだったが)、そしてもしその人間が高村並みに訓練された観察眼を持っていたならば、高い教育を受け、極度に抑制された複雑な精神構造を持つ一人の人間のさまざまな表情を、この短い時間でコレクションできただろう。
 夕方。
 若さゆえの豊かな感受性を持ちながら、その目には誰にも読み取らせぬ色を浮かべたアルフレート王子は、ため息の出るような端整なマスクの下、プロポーションの良さを際立たせるようなカマーバンドを身につけ、黒のタキシードに身を包み、パーティー会場へと向かった。



 撮影は制限されているが、プレスの入ったホテルの会場は、昨日とは趣の変わった盛り上がりを見せていた。
 中には自らもゲストでありながら、禁止されているカメラを持ち込み、王子とのツーショット、止められれば隠し撮りを狙う不逞の輩も少なくない。
 立食形式でカメラを抱えたプレスもいる以上、そういったトラブルは予想の範囲内で、お付きの者がうまくさばく。またそれを白々しくない程度に目に入らなかったことにして、何事もなかったかのような顔をしていられるのだから、王子の、決して一朝一夕ではない筋金入りの「育ちの良さ」というものが窺える場面でもあった。
 彼にとってはそれらも含めて、社交や広報という名の一つの仕事なのかもしれない。
 TPOを知り尽くしている彼は、昨日のパーティーに比べて、よりフランクに話しかけてくる人たちに応えていた。
 そのため高村たち護衛班は昨日よりも神経を使っていたが、彼自身は、この雑然さもそんなに悪くはないと───特に理由もなく、そんな風に感じていた。





 パーティー終了後。
 宿泊するホテルに戻った王子は、高村の目の前を通って、随行員が開けた部屋のドアを通ろうとした。
「───」
 頭を下げようとした瞬間、高村は、王子が自分に目を止めたのに気づき、一度、丁寧に下げてから上げた視線で、やはりまだ相手の視線が自分に留まっているのを確認した。
「なんでしょう?」
 王子は今日初めて、高村の存在に気がついた───とでもいうような表情カオをしていた。
 それはあながち勘違いでもないだろう。
 今日の王子は忙しかったから、記号程度にしか個別認識していなかった本日の日本人セキュリティ・ポリスが「四角」であったことに、今気づいたとしてもおかしくはない。
 相手は一瞬、何かを考えるような素振りを見せたが、立ち止まるほどの時間を過ごすこともなく、そのまま部屋に入っていった。
 しかし、三十分後、再びドアが開き、高村は侍従の一人に呼ばれた。
 室内に入ると、シルクのシャツとスラックスの上からナイトガウンを羽織った王子が、いくつか置かれたシングルソファの一つに座って、外国の新聞を手にしていた。
 その脇を、ホテル内のランドリーに出すためだろう、女性秘書が先刻まで王子が着ていた礼服一式を持って通り過ぎていった。 
「お呼びですか? 殿下」
「仕事中すみません。………インスペクター・タカムラ」
「高村で結構です」
「ファースト・ネームはなんていいました?」
「───忠義ただよしと申します」
「昨日受けた新聞の取材なんですが」
 昨日の展覧会の視察の後、王子はナショナル・ギャラリーの一角で新聞社や雑誌社の取材をいくつか受けていた。
「はい」
「いくつかは明日の新聞に載ると聞きました。あなたは取材を受けたプレスのリスト、持っていますよね? 警護上、かまわなかったらそれをホテルに見せて、取り寄せてもらえませんか?」
「日本の新聞をですか?」
「はい」
 王子は日本語を話せるのだから、読める可能性は高い。
 どうやら隠すつもりはないらしいが、高村は重ねて確認はしなかった。
「承知しました」
 その時、いかにもゲルマン系の恰幅のいい男性が、洗練された身のこなしで、王子の目の前に豊かな香りを放つコーヒーカップを置いた。
「ありがとう。もう下がっていいよ」
 王子は言語を変えずに言った。
 すると男は、高村には聞き取れない低いドイツ語で短く何か言い、お辞儀をして部屋を出て行った。
「───すみません。日本側の窓口を通せばいいことなんですが、ホテルに頼むのが一番早いと思って」
 王子はカップに伸ばしかけた手を止めて、高村に向けて言った。
「いえ───。ホテル側には私の方から連絡を入れて、すみやかに殿下のお手元に届くよう手配します」
 高級ホテルにはコンシェルジュという世話係がいる。彼らに頼めば万事上手くやってくれるだろう。
「ありがとう」
 些細な用事とはいえ、役目以外の───言わば雑用を、招待国の公的機関の人間に頼んだにしては王子は無表情だった。
 高村はそれが彼の素なのだろうと思い、大して気に止めなかった。
「行っていいですよ。時間を取らせました」
「おそれいります。それでは───」
「あなたの勤務はまだ続くんですか?」
 昨夜と同じように、王子はふと気づいたように長い睫毛を跳ね上げて、高村を見上げた。
 大抵の日本人と同じ、褐色の瞳だ。
「───いえ、すぐに交代です」
 昨夜と似たような会話。
「そうですか。───グッド・ナイト」
「グッド・ナイト、ユア・ハイネス」
 同じ言葉を言い合って、最後まで残っていた執事が───これもまた立派な体躯の持ち主だ───ドアを開けてくれるのを、高村は会釈して通り過ぎた。







 翌朝。
 一行が宿泊しているVIPフロアには、ホテル全体のものとは別にフロア付きのコンシェルジュがいる。
 一流ホテルの誇りにかけても有能な彼───ベテランの男性だった───は、取材リストに載っていた新聞はもちろん、王子の来日や展覧会に関する記事が載っているここ数日の新聞・雑誌を各種取り揃え、高村が仮眠室から出てくるのを待ちかまえると、手提げ袋に入れて手渡してくれた。
 高村自身がその丁寧な仕事ぶりをどう思ったかはともかく、彼はそれら全てに目を通し、問題がないかを確認すると、交代の時間より少し早かったため、王子の部屋の前に立つ部下に軽く事情を話してから奥のドアをノックした。
 すると扉を開けたのはいつもの女性秘書ではなく、男性随行員の一人だった。
 欧米人の方が日本人よりも表情豊かだというが、高村には日本人の表情の方がよほど読み取りやすかった。一番の理由は“慣れ”だろうが、能面なりにも表情があるのだ。
 随行員たちは皆英語を解するはずで、高村は任務上の重要事ではない、イレギュラーの訪問について説明した。
 彼はコンシェルジュの働きも含めて、できれば王子に直接渡したかったが、生憎相手はリビングにはいなかった。
 部屋にいるのは確かだから、その奥の寝室にいるのだろう。
 そこまでは入れないので、彼は応対に出た男性に手提げ袋を渡そうとしたが、相手は日本の公務員に使いっ走りをさせられることに抵抗でも感じたのか、手を後ろに組んだまま、
「お持ちして下さい」
 とだけ言った。
「───いいんですか?」
「かまいません」
「………」
 とても信用されているようには思えない慇懃な口調だった。
 彼らにとって、自分は“間違いのない人間”の部類だろうが、王子にとっては赤の他人だ。
 そんな人間を寝室に通していいのか?
 高村はこの時ふと、洗練された侍従たちの従順な冷たさ───というか、無関心さを感じた。
 大した用件もなく警護対象者である要人の寝室に立ち入るというのはあまり気が進まない。
 彼は一瞬、手にした紙袋をリビングのテーブルの上にでも置いていこうかと思ったが、結局、寝室に通じるドアに向かった。

 軽い木製のドアを開けると、室内は薄暗かった。
「殿下?」
 高村は戸口でそっと呼びかけた。
 すると、
「誰ですか?」
 はっきりとした答えがあったので、高村は後ろ手にドアを閉め、反射的に歩き出した。
 天蓋付きベッドはドアの方向からはカーテンがかかっていて、中の様子は見えなかった。
「おはようございます、殿下。SPの高村です。ゆうべご指示のあった新聞や雑誌をお持ちしました。コンシェルジュはとても手際がいいです。リビングに置いておきますか? それともベッドまでお待ちしましょうか?」
「………高村サン?」
「はい」
「………」
 返事が途切れた。
 高村は不審に思いながら、入り口とは反対側のベッドサイドに回った。
 眺めのいい窓の遮光カーテンの隙間からは朝日が漏れていた。
 フェザーベッドと最高級のリネンの狭間では確かに人形が丸くなっていた。
「?」
 自分の空耳でなければ明瞭な人の声がしたはず。
「殿下………起きてらっしゃいます?」
「………ん………」
 もぞもぞと光沢のある掛け布団が動いて、散らばる濃い色の髪が見えた。
「───殿下、では向こうに置いておきます」
「いや………」
「え?」
「………」
「………殿下? あの………?」
 高村は紙袋をサイドテーブルに置き、ベッドの中を覗き込んだ。
「………高村さん?」
 ひどく違和感のないイントネーションで呼ばれたような気がして、高村は一瞬戸惑った。
 気づけば、くしゃくしゃな髪の、眠そうに眉を顰めた王子が毛布の中から顔を出して、下から彼を見上げていた。
「殿下、新聞を───」
 言いながら途切れたのは、相手が毛布から手を出したからだ。
 当然、王子が新聞を受け取ろうとしたのだと理解した彼は、サイドテーブルを振り返るためにわずかに身を逸らせた。
 その瞬間だった。
「えっ!?」
 唐突にグイッと片腕を引っ張られた彼は、咄嗟に反対の手をシーツの上についた。
「王子!?」
 相手の身分云々より、一番無防備な状態であろうはずのベッドの中にいる人間の突然の行動に、高村は職業意識を働かせるよりも先に身を凍らせた。
 するともう一方の腕まで背中に回ってきて、彼は相手に覆い被さる形できっちりとホールディング………いや、相手の腕の中の冷たい毛布に頭を突っ込む形で抱き締められていた。
 その力は起き抜けの人間のものとは思えない強さだった。
 相手が若い男性であることを考えれば、そう奇妙なことではないのかもしれないが………。
「───」
 彼はふと、甘さの含まぬオーソドックスな残り香に気づいた。
 王子の愛用している香水だろうか。
 寝間着の薄い布に直接触れた彼の耳元で、相手がジリッとわずかに動いた。
 それは“If”がいくつも重なりさえすれば、心躍るシーンだったのかもしれないが………。
 高村にあるのは、困った相手に抱きつかれた、という認識だけだった。
「殿下」
 彼が声を掛けると、再び耳元で微かな音がした。
 それは息───しかも………。
「………」
 彼は黙って、今度こそなんの抵抗もないだろうという予想通りに相手の腕を難なく解くと、上体を起こした。
 王子は眠っていた。
 毛布の中から垣間見るそれは穏やかな寝顔だった。
 美術館のあの絵の、天国の寝心地とまではいかないだろうが………。
 なにより赤ん坊は力強い二の腕で───寝惚けて相手を間違えようと───ベッドに引き込むような真似はしないだろう(できないだろう)。
 一体誰と間違えたのか………。
 あるいは、反射的に体が動いてしまうくらい、よくあるシチュエーションなのか。
「………」
 キングサイズのベッド、壁に掛かるアート、サイドテーブル、ソファ、スタンド………。
 白々と差し込む朝日が暗い室内と混じり合い、青くも見える視界の中。
 高村はほんの一瞬、長い睫毛が疲労のような影を落とす閉じられた瞼を見つめた。
 それから彼はそっとベッドサイドを離れると、髪とネクタイを直しながら、足音を立てぬように寝室を後にした。

 無音でドアが閉まり、しばらくして………。
「───」
 ベッドの中で、王子は不意に目を開けた。
 彼は投げ出したままだった両手を持ち上げ、目の前に晒して見た。
 その眼差しは、寝起きの余韻を多少残してはいたが、それにしては冴えたものだった。
 しかし、彼はまたふっと焦点がぼやけたような表情に戻ると、体を起こし、毛布の中で立てた膝に顎を置いて、どことも定まらぬ視線を、いつまでも宙に放り出していた。
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