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【第二章 第一部】
◇ピピとマジロ②(ピピ視点)
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ハルトリアの街のどこかに存在する、四方を分厚い壁で囲まれた一室。
この部屋に私が連れて来られて、数日が立つ。
私は、ピピ・ヨーリーという冒険者――いや、冒険者だった、先日までは。
ある日を境に、私の身分は正式に奴隷として扱われるようになってしまったから。
……部屋の隅に座る私が腕を動かすと、手首にはまった白い枷が、シャラッと音を立てる。弱体化の魔道具――これが冒険者として常人以上の能力を持つ私が逃げ出すことができなかった理由だ。
枷は今、私の能力値を大幅に制限している。使い慣れた大鎌がもし手元にあったところで、今の私には満足にも振るえもしないだろう。
でも最初から、逃げるつもりがあるわけでもない。
なにせ、元より私はあの魔物料理店の主マジロ――ご主人の奴隷だったのだから。
――私に親はいない。物心ついた頃にはどこかへ消えてしまっていた。
小さな頃のことはよく覚えていないが、孤児院に引き取られた後私は、特徴的な容姿を売り物にしようとした違法業者にさらわれ、奴隷の刻印を捺されたのだ。人から人への間を売買で転々とした後、賭博の形にご主人の手元に収まった。
ご主人はその頃、ある盗賊団の長をしていたようだが、なにを思ったか急にふらりと団を抜け、少し離れた土地の大都市――ハルトリアで私と共に暮らし始めた。
(懐かしいな……)
――私はその時の、彼に部屋を与えられて目を丸くしたことを思い出して苦笑する。
それが、単なる気まぐれで起こした行動なのか、私に対する同情心のあらわれだったのか、決して話してくれはしなかったが……なにを要求されることもなく、生活に最低限必要な知識だけを教えられ、私は彼につき従った。
その頃には私のスキル、《調理術》も発現しており、その基本的な扱い方などは彼から教わることになった。料理を趣味にしていた彼は、ハルトリアで一つの店舗を借り店を開き始めたが、当初は上手く行かず……生かしてくれていることに多少なりとも恩を感じていた私は、少しでも経営に貢献しようと、冒険者となって魔物を狩り始めたのだ。彼は口では止めたが、奴隷の刻印で無理やり行動を制御したりはしなかった。
(あれは確か、ギルドでそんな話を聞いたんだっけ……)
魔物の食材を料理として出すことになったのは、冒険者として活動する内に他国でそういう店が流行っているというのを小耳に挟んだことがきっかけだ。ちょうどその頃魔物からドロップアイテムとして出現する食材をなんとか活用できないかと考えていた私は、それをすぐにご主人に相談した。
問題は、魔物由来の食材を調理することにより、クレームを客から付けられたりしないかということだったが、私は調理術スキルの恩恵により食材の鑑定が可能だったし、品書きにもその旨をはっきり記し、納得した客だけに入ってもらうようにした。言いがかりを付ける客もいたけれど、そんな時は冒険者証をちらつかせて、腕ずくで対応した。
(あの時は、嬉しかったな……)
魔物料理の店はまだこの国では珍しく、客も少しずつ増え、資金繰りに困ることが無くなると、ご主人は私を止めるのを諦めたのか、あの《凍り箱》を買ってくれた。
彼のギャンブル好きは直らなかったけれど、仕事を滞らせることは無かったし、さらに食材集めが捗り、様々なものを店で提供できるようになったことで、創意工夫に胸を躍らせていた私は、気にもしなかった。
(……どうして、なにも言ってくれなかったんだろう?)
漠然と、こんな日々が続いていくのだと思った。いつかはご主人から店を引き継ぎ、新しい従業員を雇ったりして、常連も増えて、忙しくも楽しい生活がきっと続くのだとそう信じていた。
……でも、そんな今までの日常は突然、仮初のものだったかのように音を立て、破壊されてしまったのだ。
――発端は、ご主人が私を追い出そうとして言い争ったあの日から、店に数日帰って来なかったこと。
店を閉めるとは聞いていたが、こんなに長く彼が不在なのは初めてで、心配していた私は外からドアを乱暴に叩く音に過敏に反応する。鍵を忘れたご主人が帰ってきたのだと思い扉を急いで開けた。
しかし、そこにいたのはご主人ではなく、白いデスマスクを付けた男。
彼が引き連れた一団が、店を取り囲む。
『なに? あなたたち……』
妙な雰囲気に表情を険しくし、私は身構える。
けれどデスマスクの男は、おもむろに目の前に一枚の書面を突き付けてきた。
『あなたが、ピピという娘ですね? この店と、あなたの身柄はマジロ氏の借金の形に抑えられました。金目のものは全て運び出します。さあ、邪魔です。どきなさい』
『ちょっ……!』
私に書面を押し付け突き飛ばすと、男は扉を強引に開けて、外に控えていた作業員を招き入れる。
『聞いてないよ! 待って、そんな勝手っ……!! やめてよ!』
彼らは私の言葉も聞かず、店の器材や調度品などをどんどん運び出していった。
慌てて詰め寄る私の手からひらりと舞い降りた書面を、デスマスクの男は拾い上げ、再度私の目の前にかざす。
『よく見なさい。あなたにはもう拒む自由も無いのです。それは紛れもなくエルスフェリア王国法に基づいたもの。マジロ氏は返す当てのない借金を背負い、破産したのですよ。それどころか、明るみに出るのを恐れ、違法に所持していたあなたの奴隷印を解除せず数年もの間所持し続けていた。おかげで十六歳以上となったあなたは今、国家から保護される範囲から外れ、一般の奴隷――すなわち彼の財産として扱われるようになってしまったのですよ』
私にはその言葉は理解できなかったし、書面に捺された印を本物かどうか判断することも敵わない。そのまま男は動転した私の腕を引き、手枷を付けた。体の力が抜け、その枷が弱体化の魔道具であったのだと知る。
抵抗も出来ず私は男に店から追い立てられ、外に出されどこかへ連れ去られようとしていた。
だが……驚くことにそんな私を引き留めようとしてくれる人がいた。
テイルと言う冒険者だ。先日出会って一度一緒に依頼をこなし、少し話をした程度の取るに足らない関係だというのに、彼はデスマスクの男を引き留めると、詳細を尋ねた。
そして私が特殊な種族で、奴隷として借金の形に売られたと知るや、その場で身柄を引き渡すよう交渉し始めたのだ。あんな気まずい別れ方をして、もう二度と話せないかも知れないと思っていたのに。
そこで、デスマスクの男はグノシックと名乗り、30万金貨という法外な金額を要求する。到底一冒険者に払えるはずのない額だというのにテイルは引かず、二か月後に金を用意すると告げ、いくつかの金品を担保に立ち去った――。
(なんの関係もない私のために、なんでそこまでするの……)
――悔やむ気持ちに私は膝に顔を埋める。
きっとテイルは困った人を捨ておけない性分なのだろう。仲間である三人の娘たちもそれぞれ助けられたと聞いた。私はそんなこと、望んでいないのに。
私は自分を育ててくれたご主人には感謝しているし、捨てた親を恨もうにも、探す当てなどどこにもない。奴隷として生きるのが運命だとなら、そのまま受け入れるつもりだった。
だがよりによって、あんなに嬉しそうに私の作った食事を食べてくれた――こんな私を優しい気持ちをもって迎え入れようとしてくれた彼らを巻き込んでしまうなんて。きっと私は、今まで通り、他との接触を避けるべきだったんだ。
――ギッ。
苦悩する私の目の前で、分厚い扉が嫌な音を立てて軋み、暗い部屋に明かりが差し込む。
同時に、グノシックの顔が隙間から突き出された。
「フフフ、随分と暗いお顔ですねぇ。無理もありませんが……」
「……ねえ、マジロさんは? ご主人はどうしてるの」
「まだあんな男を気にしているのですか? ハルトリアの監獄に囚われていますよ。一生出てくることはできないでしょうねぇ」
私は彼をキッと見据える。
「そんな……おかしいよ! あの人は確かにギャンブルは好きで、いつも負けていたけど、店を大切にしていたもの。それを失うかも知れないような無謀な賭けに出るなんて……」
奴は足音を響かせながら、私の目の前に歩いてくる。
「なるほどね……彼はあなたにはそう言い訳していたのですか。ならば真実を教えてあげましょう」
彼はマスクを取り去った。壮年の男の顔が露わになる。どこか卑屈な濁った眼……だが、その片方は真一文字に入った刀傷のせいで閉じられている。
「この目は、ヤツが潰した! ……クク、古い話ですが、彼は私たちの盗賊団を抜ける際に、難色を示した大勢の団員を傷つけて消えた。その後頭を失った団は、王国兵に追われて散り散りになってしまってね。私も命からがら逃げだしましたよ……」
男は憎しみの籠る目で、暗い声を響かせている。
「追われ、死にかけていた私は有る方に拾っていただき、その後この町で根を張り始めたのですが……だが、あの男と偶然再開するようなことになるとは思いもしませんでしたよ。そして奴は親子のようにあなたと穏やかな暮らしを送っているではありませんか! てっきりもうどこかで金にでも変えたと思っていたのですがね! そんな姿を見てしまえば、借りを返してもらうしかないでしょう!?」
「……ッ! あなたがご主人を……陥れたの!?」
息を詰めた私に、彼は哄笑で応えた。
「アハハハハハ! 失礼な言いがかりはよして欲しいものだ。私は彼に、取引を持ち掛けただけです! 違法奴隷であるあなたを所持していることを告げれば、立ちどころに奴は獄に繋がれ、ひとり身になった幼いあなたに再び魔の手は忍び寄ったでしょう。ですから、彼と契約を交わした。黙っている代わりに、死ぬまで毎月我々に上納金を支払うというね。彼はそれを飲むしかなかったのです」
「そんな……それじゃ、ギャンブルって言ったのは……嘘、で?」
確かに妙な気はしていた。彼は決して私を店の経営に立ち入らせなかったし、負け続きのギャンブルや、必要以上にかさんだ出費。やはり、その裏に理由があった。奴隷である私のためずっとお金を払い続けていたなんて。
「あなたが十六になるまでの間と、奴は考えていたでしょうね。もしかしたらこの町を離れる心づもりもしていたかも知れませんが……。しかし私はある、司法局の役人と商売を通じて懇意になりましてね」
「ま……まさか……!」
「フフフフフ、密告させていただきました……彼の罪を! 店とあなたの身柄をこちらへ引き渡すことを引き換えにね! そして私は彼から、すべてを奪ってやった! ハハッ、この片目の代償は高く付きましたねぇ! アハハッハハハ!」
「お前ぇぇぇぇぇぇえ!」
「うるさいですよ」
「ぁうっ!」
今まで感じたことがない強い怒りに突き動かされ詰め寄った私の身体は、グノシックに思いっきり蹴り飛ばされ、壁に叩き付けられた。こんな腕輪が無かったら……!
「アハハハハ、無様だ。良かったじゃありませんか。楽しかったでしょう? 束の間の人間らしい生活……」
グノシックは地面に倒れた私の顔を掴み上げた。
「一月の後、我らの本拠地でまた大きなオークションが開催されます。その際あなたには、特別な商品となって、場を盛り上げてもらう予定ですから。それまで大人しく待っているのですね」
「……なに、を。テイルには、二月待つって……」
「ハハ、まさかあんな言葉を真に受けていると? 冒険者だかなんだか知りませんが、あんなみすぼらしい若造に30万金貨などと言う大金が用意できるはずがないでしょう! そんな戯言を待つつもりは元からない。あなたも内心、できるはずがないとわかっていたでしょう?」
見透かされ、私は視線を下に落とすことしかできない。
「せいぜい商品としての価値を落とさぬよう、身ぎれいにして待っていればいい。では、御機嫌よう。フフッ、ククク……ハッハッハ」
そしてグノシックはおかしくてたまらないというように、肩を震わせ去ってゆく。そのまま私は、床に貼りついたまま呆然としていた。
「……ごめんな……さい」
カラカラになった喉から、かすれた謝罪が漏れる。
私が、ずっとご主人に甘えていたせいだ。
マジロさんは、いつでも自由になれるよう私の行動を縛らなかった。
いつも、彼が拒絶するように背中を向けていたのは、いつかこんなことになるとわかっていたからではないのか。早く自分の元を離れて、この厄介な関係をどこかに葬ってしまえればと、願っていたからではなかったか。それなのに私は、そんなことも知らずにのうのうと普通の生活を送っていけるなんて、自分のことばっかり考えて……。
「……私のせいだ」
涙なんてここ数年、流すこともなかったのに……悔しくて。
氷のような冷たい床に頬をつけた私は、嗚咽をこらえきれなくなった。
「ごめんなさい、ご主人……、ごめんなさい、テイル、みんな……。私なんて、いなければ……」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これで第二章第一部の本編は終了です。この後閑話を一つ投稿し、しばらく更新は停止させていただきます。読んでいただいた多くの方々にこの場を借り、あらためてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!
この部屋に私が連れて来られて、数日が立つ。
私は、ピピ・ヨーリーという冒険者――いや、冒険者だった、先日までは。
ある日を境に、私の身分は正式に奴隷として扱われるようになってしまったから。
……部屋の隅に座る私が腕を動かすと、手首にはまった白い枷が、シャラッと音を立てる。弱体化の魔道具――これが冒険者として常人以上の能力を持つ私が逃げ出すことができなかった理由だ。
枷は今、私の能力値を大幅に制限している。使い慣れた大鎌がもし手元にあったところで、今の私には満足にも振るえもしないだろう。
でも最初から、逃げるつもりがあるわけでもない。
なにせ、元より私はあの魔物料理店の主マジロ――ご主人の奴隷だったのだから。
――私に親はいない。物心ついた頃にはどこかへ消えてしまっていた。
小さな頃のことはよく覚えていないが、孤児院に引き取られた後私は、特徴的な容姿を売り物にしようとした違法業者にさらわれ、奴隷の刻印を捺されたのだ。人から人への間を売買で転々とした後、賭博の形にご主人の手元に収まった。
ご主人はその頃、ある盗賊団の長をしていたようだが、なにを思ったか急にふらりと団を抜け、少し離れた土地の大都市――ハルトリアで私と共に暮らし始めた。
(懐かしいな……)
――私はその時の、彼に部屋を与えられて目を丸くしたことを思い出して苦笑する。
それが、単なる気まぐれで起こした行動なのか、私に対する同情心のあらわれだったのか、決して話してくれはしなかったが……なにを要求されることもなく、生活に最低限必要な知識だけを教えられ、私は彼につき従った。
その頃には私のスキル、《調理術》も発現しており、その基本的な扱い方などは彼から教わることになった。料理を趣味にしていた彼は、ハルトリアで一つの店舗を借り店を開き始めたが、当初は上手く行かず……生かしてくれていることに多少なりとも恩を感じていた私は、少しでも経営に貢献しようと、冒険者となって魔物を狩り始めたのだ。彼は口では止めたが、奴隷の刻印で無理やり行動を制御したりはしなかった。
(あれは確か、ギルドでそんな話を聞いたんだっけ……)
魔物の食材を料理として出すことになったのは、冒険者として活動する内に他国でそういう店が流行っているというのを小耳に挟んだことがきっかけだ。ちょうどその頃魔物からドロップアイテムとして出現する食材をなんとか活用できないかと考えていた私は、それをすぐにご主人に相談した。
問題は、魔物由来の食材を調理することにより、クレームを客から付けられたりしないかということだったが、私は調理術スキルの恩恵により食材の鑑定が可能だったし、品書きにもその旨をはっきり記し、納得した客だけに入ってもらうようにした。言いがかりを付ける客もいたけれど、そんな時は冒険者証をちらつかせて、腕ずくで対応した。
(あの時は、嬉しかったな……)
魔物料理の店はまだこの国では珍しく、客も少しずつ増え、資金繰りに困ることが無くなると、ご主人は私を止めるのを諦めたのか、あの《凍り箱》を買ってくれた。
彼のギャンブル好きは直らなかったけれど、仕事を滞らせることは無かったし、さらに食材集めが捗り、様々なものを店で提供できるようになったことで、創意工夫に胸を躍らせていた私は、気にもしなかった。
(……どうして、なにも言ってくれなかったんだろう?)
漠然と、こんな日々が続いていくのだと思った。いつかはご主人から店を引き継ぎ、新しい従業員を雇ったりして、常連も増えて、忙しくも楽しい生活がきっと続くのだとそう信じていた。
……でも、そんな今までの日常は突然、仮初のものだったかのように音を立て、破壊されてしまったのだ。
――発端は、ご主人が私を追い出そうとして言い争ったあの日から、店に数日帰って来なかったこと。
店を閉めるとは聞いていたが、こんなに長く彼が不在なのは初めてで、心配していた私は外からドアを乱暴に叩く音に過敏に反応する。鍵を忘れたご主人が帰ってきたのだと思い扉を急いで開けた。
しかし、そこにいたのはご主人ではなく、白いデスマスクを付けた男。
彼が引き連れた一団が、店を取り囲む。
『なに? あなたたち……』
妙な雰囲気に表情を険しくし、私は身構える。
けれどデスマスクの男は、おもむろに目の前に一枚の書面を突き付けてきた。
『あなたが、ピピという娘ですね? この店と、あなたの身柄はマジロ氏の借金の形に抑えられました。金目のものは全て運び出します。さあ、邪魔です。どきなさい』
『ちょっ……!』
私に書面を押し付け突き飛ばすと、男は扉を強引に開けて、外に控えていた作業員を招き入れる。
『聞いてないよ! 待って、そんな勝手っ……!! やめてよ!』
彼らは私の言葉も聞かず、店の器材や調度品などをどんどん運び出していった。
慌てて詰め寄る私の手からひらりと舞い降りた書面を、デスマスクの男は拾い上げ、再度私の目の前にかざす。
『よく見なさい。あなたにはもう拒む自由も無いのです。それは紛れもなくエルスフェリア王国法に基づいたもの。マジロ氏は返す当てのない借金を背負い、破産したのですよ。それどころか、明るみに出るのを恐れ、違法に所持していたあなたの奴隷印を解除せず数年もの間所持し続けていた。おかげで十六歳以上となったあなたは今、国家から保護される範囲から外れ、一般の奴隷――すなわち彼の財産として扱われるようになってしまったのですよ』
私にはその言葉は理解できなかったし、書面に捺された印を本物かどうか判断することも敵わない。そのまま男は動転した私の腕を引き、手枷を付けた。体の力が抜け、その枷が弱体化の魔道具であったのだと知る。
抵抗も出来ず私は男に店から追い立てられ、外に出されどこかへ連れ去られようとしていた。
だが……驚くことにそんな私を引き留めようとしてくれる人がいた。
テイルと言う冒険者だ。先日出会って一度一緒に依頼をこなし、少し話をした程度の取るに足らない関係だというのに、彼はデスマスクの男を引き留めると、詳細を尋ねた。
そして私が特殊な種族で、奴隷として借金の形に売られたと知るや、その場で身柄を引き渡すよう交渉し始めたのだ。あんな気まずい別れ方をして、もう二度と話せないかも知れないと思っていたのに。
そこで、デスマスクの男はグノシックと名乗り、30万金貨という法外な金額を要求する。到底一冒険者に払えるはずのない額だというのにテイルは引かず、二か月後に金を用意すると告げ、いくつかの金品を担保に立ち去った――。
(なんの関係もない私のために、なんでそこまでするの……)
――悔やむ気持ちに私は膝に顔を埋める。
きっとテイルは困った人を捨ておけない性分なのだろう。仲間である三人の娘たちもそれぞれ助けられたと聞いた。私はそんなこと、望んでいないのに。
私は自分を育ててくれたご主人には感謝しているし、捨てた親を恨もうにも、探す当てなどどこにもない。奴隷として生きるのが運命だとなら、そのまま受け入れるつもりだった。
だがよりによって、あんなに嬉しそうに私の作った食事を食べてくれた――こんな私を優しい気持ちをもって迎え入れようとしてくれた彼らを巻き込んでしまうなんて。きっと私は、今まで通り、他との接触を避けるべきだったんだ。
――ギッ。
苦悩する私の目の前で、分厚い扉が嫌な音を立てて軋み、暗い部屋に明かりが差し込む。
同時に、グノシックの顔が隙間から突き出された。
「フフフ、随分と暗いお顔ですねぇ。無理もありませんが……」
「……ねえ、マジロさんは? ご主人はどうしてるの」
「まだあんな男を気にしているのですか? ハルトリアの監獄に囚われていますよ。一生出てくることはできないでしょうねぇ」
私は彼をキッと見据える。
「そんな……おかしいよ! あの人は確かにギャンブルは好きで、いつも負けていたけど、店を大切にしていたもの。それを失うかも知れないような無謀な賭けに出るなんて……」
奴は足音を響かせながら、私の目の前に歩いてくる。
「なるほどね……彼はあなたにはそう言い訳していたのですか。ならば真実を教えてあげましょう」
彼はマスクを取り去った。壮年の男の顔が露わになる。どこか卑屈な濁った眼……だが、その片方は真一文字に入った刀傷のせいで閉じられている。
「この目は、ヤツが潰した! ……クク、古い話ですが、彼は私たちの盗賊団を抜ける際に、難色を示した大勢の団員を傷つけて消えた。その後頭を失った団は、王国兵に追われて散り散りになってしまってね。私も命からがら逃げだしましたよ……」
男は憎しみの籠る目で、暗い声を響かせている。
「追われ、死にかけていた私は有る方に拾っていただき、その後この町で根を張り始めたのですが……だが、あの男と偶然再開するようなことになるとは思いもしませんでしたよ。そして奴は親子のようにあなたと穏やかな暮らしを送っているではありませんか! てっきりもうどこかで金にでも変えたと思っていたのですがね! そんな姿を見てしまえば、借りを返してもらうしかないでしょう!?」
「……ッ! あなたがご主人を……陥れたの!?」
息を詰めた私に、彼は哄笑で応えた。
「アハハハハハ! 失礼な言いがかりはよして欲しいものだ。私は彼に、取引を持ち掛けただけです! 違法奴隷であるあなたを所持していることを告げれば、立ちどころに奴は獄に繋がれ、ひとり身になった幼いあなたに再び魔の手は忍び寄ったでしょう。ですから、彼と契約を交わした。黙っている代わりに、死ぬまで毎月我々に上納金を支払うというね。彼はそれを飲むしかなかったのです」
「そんな……それじゃ、ギャンブルって言ったのは……嘘、で?」
確かに妙な気はしていた。彼は決して私を店の経営に立ち入らせなかったし、負け続きのギャンブルや、必要以上にかさんだ出費。やはり、その裏に理由があった。奴隷である私のためずっとお金を払い続けていたなんて。
「あなたが十六になるまでの間と、奴は考えていたでしょうね。もしかしたらこの町を離れる心づもりもしていたかも知れませんが……。しかし私はある、司法局の役人と商売を通じて懇意になりましてね」
「ま……まさか……!」
「フフフフフ、密告させていただきました……彼の罪を! 店とあなたの身柄をこちらへ引き渡すことを引き換えにね! そして私は彼から、すべてを奪ってやった! ハハッ、この片目の代償は高く付きましたねぇ! アハハッハハハ!」
「お前ぇぇぇぇぇぇえ!」
「うるさいですよ」
「ぁうっ!」
今まで感じたことがない強い怒りに突き動かされ詰め寄った私の身体は、グノシックに思いっきり蹴り飛ばされ、壁に叩き付けられた。こんな腕輪が無かったら……!
「アハハハハ、無様だ。良かったじゃありませんか。楽しかったでしょう? 束の間の人間らしい生活……」
グノシックは地面に倒れた私の顔を掴み上げた。
「一月の後、我らの本拠地でまた大きなオークションが開催されます。その際あなたには、特別な商品となって、場を盛り上げてもらう予定ですから。それまで大人しく待っているのですね」
「……なに、を。テイルには、二月待つって……」
「ハハ、まさかあんな言葉を真に受けていると? 冒険者だかなんだか知りませんが、あんなみすぼらしい若造に30万金貨などと言う大金が用意できるはずがないでしょう! そんな戯言を待つつもりは元からない。あなたも内心、できるはずがないとわかっていたでしょう?」
見透かされ、私は視線を下に落とすことしかできない。
「せいぜい商品としての価値を落とさぬよう、身ぎれいにして待っていればいい。では、御機嫌よう。フフッ、ククク……ハッハッハ」
そしてグノシックはおかしくてたまらないというように、肩を震わせ去ってゆく。そのまま私は、床に貼りついたまま呆然としていた。
「……ごめんな……さい」
カラカラになった喉から、かすれた謝罪が漏れる。
私が、ずっとご主人に甘えていたせいだ。
マジロさんは、いつでも自由になれるよう私の行動を縛らなかった。
いつも、彼が拒絶するように背中を向けていたのは、いつかこんなことになるとわかっていたからではないのか。早く自分の元を離れて、この厄介な関係をどこかに葬ってしまえればと、願っていたからではなかったか。それなのに私は、そんなことも知らずにのうのうと普通の生活を送っていけるなんて、自分のことばっかり考えて……。
「……私のせいだ」
涙なんてここ数年、流すこともなかったのに……悔しくて。
氷のような冷たい床に頬をつけた私は、嗚咽をこらえきれなくなった。
「ごめんなさい、ご主人……、ごめんなさい、テイル、みんな……。私なんて、いなければ……」
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これで第二章第一部の本編は終了です。この後閑話を一つ投稿し、しばらく更新は停止させていただきます。読んでいただいた多くの方々にこの場を借り、あらためてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!
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