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1章

気持ちの変化

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 高校3年生、夏休みはもう終盤。

 進路が決まってる人やこれから受験の人もいて、みんなそれぞれ自分の将来について考えさせられる時期だろう。

 私はというと、なんと昨日の出来事だが、2年前から付き合っていた2つ歳上の先輩に私は呆気なく振られた。

 17歳ながらに、結婚まで考えていた。
将来は絶対この人のお嫁さんになるって思っていた。

 しかし浮かれていたのは、どうやら私だけだったみたいだ。

 初めての大失恋は私にトラウマを植え付けた。
毎晩、家族にバレないようにこっそりと泣いた。




 これまでの人生で感じたことの無いほどの悲しみだったから、すぐに新たな恋をすることになるなんて、この時の私は勿論、知る由もなかった。

 絶望感と消失感に打ちひしがれながらも、まもなく夏休みが明ける…。



 そしてあっという間に夏休み明け初日。
長期休み後の学校はなんだかソワソワする。

 夏休み前と比べると、まだ引退していない運動部の人達が明らかに黒く焼けていた。

 今年の夏は、やたら暑かったもんね。
部活動頑張ったんだろうなぁ。



 私の名前は佐野由梨香。
人間観察が好きな17歳、高校3年生。
ちなみに美術部なので肌が白い。



「おはよう由梨香!」



「あ、那奈おはよ!やっと来たね、時間ギリギリだよ」



 教室に入るなり元気に声をかけてきたこの子は、私がクラスで1番仲良くしている横田那奈。

 那奈とは2年生から同じクラスになった。

 テンションが私と似ていたから、すぐに打ち解けることができたんだっけ。



「ねえ由梨香、アイツと別れたんだっけ?そのわりに元気で安心したわ」



「仮にも年上なのにアイツ呼ばわりか!…まぁしっかり傷心してるけど顔にあんまり出ないだけだよ、多分」



 そう、私は今年の夏休み中に大失恋をした。

 2年付き合った他校出身の2つ上の先輩で、高校卒業後すぐ就職したので今は社会人だった。



「やっぱりさ、社会人と学生だと色々話合わなくて結局だめになっちゃったんだよねー、なんでだろ結婚とかしようって言ってたのになぁ」



 私がため息をつくと、那奈は少しだけ神妙な顔をした後にこう言った。



「じゃあさ新しい恋でも始めようよ!」



 …そう簡単に次の恋愛に進めるわけが無い。

 そんなに切り替えが上手くいくのであれば、人は恋愛に苦労しないはずなのだ。

 まったく、那奈ってば他人事だと思ってるな。

 夏休み中にも那奈と連絡を取っていたから、私がどれだけ落ち込んでいたか知っているはずなのに。




「ねえ2人で何の話してるの、私にも教えて」



 そう言って私たちの近くに来たのは、瀬川柚。

 私と那奈と柚は基本3人組で、柚も2年生から同じクラスになった子だ。



「私さ、あの他校の先輩と別れたんだよね実は」



 柚は大きな目を更に、これでもかと言うほど見開いて言った。



「えぇー!?仲良さげだったのになんで!」



「柚、声でかっ!私が振られた側なんだから、なんでかは私が1番聞きたいよねー……」



 柚は少し申し訳なさそうに、そうだよねという様な顔をして2回頷いた。



「てか、那奈は知ってるのになんで私には黙ってたのひどーい!」



「あははごめん、なんか言いそびれちゃってさ。隠してたわけじゃないんだよ?」



 柚はプクッと頬を膨らませると、拗ねたような態度をとった。



「柚はどうなの、最近あの好きな人とは!」



 那奈が問いかけると、たちまち柚の顔はリンゴになった。

 柚は、前から別クラスのサッカー部の吉岡翔という人が気になっている様子だった。



「実はね、夏休み中に勉強しようと思って図書館行ったらバッタリ翔くんと会っちゃって…なんとなく話が盛り上がって、一緒にカフェに行ったんだ」



「え!超進展してるじゃん、夏休み前なんて連絡先も持ってなかったのに!すごい!!」



 えへへ、頑張ったもん!と照れ笑いする柚が、すごく可愛かった。

 恋をしている女の子の可愛さは尋常じゃない。

 瞳が自然に潤んでキラキラしていて、口角が上がり、頬は少しだけ血色が良くなる。
 初々しさ満載の柚のことが、少しだけ羨ましく感じてしまった。



「あ、そろそろHR始まるから席戻ろう!」



 那奈と柚がそれぞれ自分の席に戻ると、担任の篠崎先生が教室に入ってきた。

 篠崎先生はサッカー部の顧問をしているので、しっかりと肌が黒くなっていた。


「おはよう、みんな。夏休み元気に過ごしたかー?早速出席とるぞー!安藤ー…」



 ガラッ!!



 先生の出欠確認の声と同時に、教室のドアが開いた。



「はい、安藤です!…セーフ!?」



「なんだ安藤、夏休み明け初日から遅刻じゃないか、気をつけなさい!部活のペナルティ増やすぞ」



「まじか、崎サン許してくれよーー」



 ドッと教室に笑い声が響く。

 大遅刻でペナルティを課された彼は安藤透也。
サッカー部で容姿が良く、遅刻癖とズボラなところを抜けば、結構モテる。

 けれど、モテるはずなのに何故か彼女ができたという噂を1度も聞いたことがない。
 安藤くんは、もしかすると恋愛にあんまり興味無いのかもしれない。



「じゃ、一限目の準備して待っててください」



 出欠確認とその他諸々の話が終わり、篠崎先生は教室から出ていった。

 今日の一限目は、たしか移動教室だ。



「那奈、柚、一緒に視聴覚室行こう」



 2人を誘って、教室を出た。
視聴覚室に向かっている途中、那奈が冗談交じりにこう言った。



「ねえ由梨香、次付き合うなら安藤くんなんてどう??」



「は!!?なんでいきなり!話したことも無い!」



 ニヤニヤと怪しい顔をする那奈。



「だって安藤くんって結構、由梨香のこと見てる時あるよね?好かれてるんじゃないかなぁ」



 !!?!?
 初耳すぎて開いた口が塞がらない私を無視して、那奈は話し続ける。



「安藤くん、ああ見えて恋愛とかめちゃくちゃ奥手そうだよね。男子同士で話してるところはよく見かけるけど、女の子と話してるとこ見たことある?」



 確かに、そう言われてみれば安藤くんは親しげな女友達らしき人はいない。
もしかしたら女の子苦手なのかな?

 そう考えていると、今度は柚が話し始めた。



「え、でもそういう人と付き合った方が安心じゃない!?安藤くんは連絡不精そうだから私は嫌だけど…もし由梨香と安藤くんがくっついたら、美男美女だしお似合いだよね!」



 ちょっとちょっとこの2人勝手に話進めすぎ!



「いや待って2人とも!?私、安藤くん好きでもなんでもないから!まず話したことも無いんだってー!」



 ふーん、じゃあまずは話すところからスタートだねって那奈と柚に言われた。

 そういうことじゃないんだよ…。私、傷心中でメンタル的に新しい恋どころではないんだけど。

 それに、さっき那奈が言ってたけど安藤くんが私のこと見てる時があるって、本当に…?


 話していると、あっという間に視聴覚室に着いた。

 基本的に移動教室の時の席順は自由で、3人で1組、長い机を使う。

 窓際の空いている3席に、那奈、私、柚の順で横並びに座った私たち。

 前後の長机が、まだ埋まっていなかった。



「俺らどこ座る?ここでいいか」



 私たちよりも後に視聴覚室に来た男子3人組が、目の前の長机に座った。

 なんと偶然、3人の中の1人が安藤くんだ。

 安藤くんは那奈の前の席に座った。

 私の斜め前、すぐにでも手の届きそうな距離に、先刻まで話題に上がっていた安藤くんがいる。

 さっき那奈と柚と話してたばかりだからか、なんだか勝手に気まずいんだけど…。



ガラッ



 情報という授業の担当の先生が来た。

 起立と礼を簡潔に済ませると、おもむろにプリントを配り始める先生。

 安藤くんが那奈にプリントを回す際、体ごとこちらに振り向いてプリントを渡した。

 へえ、手だけを後ろに回して頭上から渡してくる人もいるのに、安藤くんはちゃんと顔見て丁寧に渡すんだなあ。
そんな風に、つい彼のことを見ていると。



バチッ…



「…え」



 つい、声が出た。
安藤くんが前に向き直る際に、私のことを見たのだ。

 私もまた、プリントを回す安藤くんの仕草を見ていたため、ばっちりと目が合ってしまった。



 特に何もなく目を逸らし、前を向く安藤くん。



『結構由梨香のこと見てる時あるよ』



 先刻の那奈のセリフが脳裏を過った。

 …いやいや、今のはさすがに偶然でしょ。
てか私も安藤くん見てたから目が合ったんだし。




「…ねぇ今、安藤くん由梨香のことチラ見したね」



 コソコソと私に耳打ちしてきた柚。
柚に心を読まれたような気持ちになって、ドキッとした私は盛大にむせた。



「ブッ…ゲホ、ゴッホ!」



「ちょっと大丈夫?どうしたの由梨香」



 突如むせた私に驚いた那奈が、私の背中を擦りながら言った。

 安藤くんもこちらを振り返って、私を見ていた。



「ちがっ…柚が…ゴホ、ごめんむせただけ!」



 むせて涙目の私。
それを見てケラケラと笑っている柚。

 くっそー、柚め!



「はい、佐野さんたちのとこ静かにねー」



 極めつけには、情報の先生に軽く注意されてしまい、教室にクスクスと響き渡る笑い声。

 もー!柚のせいで恥ずかしいじゃん、悪目立ちしちゃって。

 目で訴えながら柚のことを軽く睨むと、柚はイタズラっ子みたいな顔ではにかんだ。

 そこからは特に何事もなく、眠さに耐え、授業は無事終わった。



「さっきの柚、ひどかった!私が安藤くんとたまたま目が合ったタイミングで、安藤くんが私の事見てたとか指摘してくるからむせちゃったじゃん!」



「あ、あの咳ってそういうことだったん?へー、あのプリント回す時、安藤くんと目合ってたんだ由梨香。ふふ、柚もよく気がついたね」



「そう、那奈にプリント渡した後に自然な感じで由梨香のこと見てたんだよ!やっぱ可愛いから見ちゃうんだねぇ」



「笑い事じゃないよ、那奈~。柚も私に可愛いとか言って機嫌取ろうとしてるでしょ!」



 あははは、と2人が笑う。
私たち3人はいつもこんな感じ。

 女子3人組でこんなに仲が良いのは珍しいと思う。
奇数になると、やっぱり何かと余る人が出てきがちだからだ。

 はあ、それにしても夏休み明け初日からとんだ災難だ。

 たしかに那奈に言われた通り安藤くんは私の事見てたし、目が合っちゃって焦ったけれど。

 見られた自覚があったのはまだあの1回きりだし、そもそも私は安藤くんのことをよく知らない。

 まぁ、まともに話したことがないんだから当然か。

 さっきの授業中、安藤くんは居眠りをしてるようだった。

 たしかに眠い授業だったが、一限目からガッツリ居眠りする度胸はすごすぎる。

 HRのときはおちゃらけてたし、私と目が合っても私がむせても見るだけで何も言ってこなかったし、居眠りするし。

 安藤くんって、なんだか掴み所がないというか。
何を考えているのか、よく分からない人だ。
謎めいたところも安藤くんのモテ要素かもしれないけどね。

 って私、安藤くんのことばっかり考えて、これじゃ好きみたいじゃん!

 違う違う、考えるのは一旦やめよう…。


《お昼休み》


「はぁー疲れたお腹すいた、ママのお弁当早く食べたーい!」

 

 そう言いながら私の所へ来たのは柚。
柚ってこういう無邪気な感じも可愛いんだよなぁ。



「まず手洗いに行こっか、那奈も行こう」



 私たち3人はほぼ、こうしてお昼休みも一緒に行動している。
むしろそれが当たり前のようになっている。



「やっぱりさ、1限目とあの時以外でも由梨香のことしょっちゅう見てるよ、安藤くん」



「…柚、もういいよその話はー!」



「え、やっぱそうだよね、なんで逆に由梨香のこと気にしてる感じなのに1度も話したことないんだろう?」


 また、この2人は私を置き去りにして…。
ていうか、また私のこと見てたの?本当?



「うーん…話すきっかけが難しいんじゃない?いきなり用もないのに話しかけるのもおかしいし」



「じゃあ、朝に柚が言ってたみたいに図書館とかで偶然会うっていうイベントが起こらないと無理かなぁ?」



 ああ、吉岡翔くんの話ね。
私は、実は吉岡くんと1年の時同じクラスだったので、たまに話す程度の仲だった。



「吉岡くんは安藤くんと違って普段から男女の隔たりとかなく話してるイメージだなあ」



 私がぽつりと呟くと、柚は言った。



「そうだよね女の子の友達とか多いよねぇ、どうしよう翔くんモテるし…」



「じゃあ今度のサッカー部の試合、応援行くよって吉岡くんに言ったら?カフェに行ったくらいの仲なら連絡先も交換したんでしょ?」



 那奈が提案すると、それだ!と言わんばかりに柚は目を輝かせた。
サッカー部の試合は、今週末あるらしい。



「ねえ一生のお願いだから由梨香一緒にサッカー部の応援に行こう…!」



「ええ!?なんで私!??」



「だって那奈は週末バイトなんだもん、由梨香しかいないの、お願いお願いお願い!」



 そんなに頼まれたら仕方がないので、今週末は柚の付き添い役をすることにした。



「じゃあ次の日にでもどうだったか教えてね!」



 私たち2人が出かけるとなると、少し寂しそうな那奈がそう言った。
すると柚は得意げにこう言い返した。



「もちろん!報・連・相は大事ですからっ」



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