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3月15日水曜夜

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3月15日水曜夜

僕は満川家に電話をした。
「夜分恐れ入ります。5年2組、津山孝典です。侑子さんはご在宅ですか。」
「あ、ツー君!私、ゆっこゆっこ。ちょっと待ってて。」
満川侑子は電話機を部屋に持って行った。
「全く、侑子ったら…。」
「いいじゃないか、大目に見てやれ。年頃なんだ。」満川父は、何となく電話の相手が分かったようだった。

「ツー君、19日の事だけど。」
「悪いけど…。用事があって。」
「会えないの?」
「うん、ちょっと遠出する」
「この時期に?」
「うん。」
「どこへ、広島?岡山?」
「…そこまで遠くはないよ。県内。川越市へ行く。」
「なんだ。近くじゃない。」
「遠いよ。だってまだ僕は行ったことないし。」
「用事、1日かかるの?」
満川侑子は食い下がった。

「1日…っていうか、はじめての一人旅なんだ。来年、第三小学校の遠足で川越市へ行くでしょう。僕だけ、転校で行けないから、一人で行ってみようと思って。」
「私も行く。ついて行く。川越市なら何度も行った。エレクトーンの発表会とかで。初めてなら、私がついて行ってあげる。」
僕はゆっこの早口に負けた。正直、もう二人っきりで会えないと覚悟してあの手紙を書いたのだが。こんなに必死な彼女の気持ちを無下には出来なかった。そして、ゆっことの2人だけの遠足…生まれてはじめてのデートに応じることにした。

「それから、順番が逆になったけど、返事、ありがとう。僕、ちょっと弱気だったね。」
「…つらいのね。私はできるだけわかってあげたいけど、私は転校しないから、ツー君の気持ちがどこまでわかったか、分からない。でも、これだけは譲れない。ツー君が広島へ行っても、私たちはずっとずっと大事な大事な友達だから。そして、私もアルバイトするようになって、大きくなったら、また会おうね。もっとカッコ良くなって、私の前に現れてね。」
「大変だなー。ハードルは高いな。赤い帽子かぶっているかもだけど」
「カープファンでもライオンズファンでもいいの。また、津山孝典と満川侑子が、この長い人生のどこかで巡り会うの。だから、24日は、ちょっとの間お別れするだけ。それだけは忘れないでいて。」

「うん、19日、グリーンパーク前のバス停で待っているから。9時。いい?」
「その時刻でいいの?」
「一人で行くつもりだったんだ。時刻は全て調べてある。」
「うん、じゃ。楽しみにしているから。」
「ありがとう、…。ゆっこちゃん。」
「ツー君、私のこと、せっかくだから名前で呼んで。」
「ありがとう、…侑子。照れ臭いな。」
「どういたしまして、孝典くん。」
ついに僕は、彼女の名前を下の名前で呼び捨てにした。彼女も、同じような返し方をした。この子の事は、一生忘れないだろう。
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