文芸部の二人

楠木静梨

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文芸部の二人

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「やあ、随分と遅かったじゃないか」
 
「来るだけも殊勝でしょう。夏休みにも活動してる文芸部だなんて、稀ですよ」

 
 その部屋は、静けさに満ちていた。
 成瀬巳子 なるせみこ屋久小十郎やくこじゅうろ――――この部室を使う文芸部の二人が話していたとて、その声色は穏やかなもので。
 元々の静さは、依然変わらずそこにある。

 巳子は窓際の席で読書をしていて、小十郎はその直ぐ傍に着席。
 鞄から出した本を開きつつも、目線は巳子へ送る。

「うちは人数が少ないからね。数が無いならば質で戦うしかなかろう」

「何と戦うんですか?」

「この部室を奪わんとする、悪しき教師陣さ」

「悪しきって…………真に悪しいのは、人数が部活動の基準に達していない俺達でしょう?」

「なっ、そんな事を言う奴があるかね…………私達は文学を愛を、この国のカルチャーを愛する言葉の徒だ。それが悪であってたまるか」

「ただの読書家達が、そうも大それたものですか?」

「そう自分を卑下するな、小十郎よ。良いかい? そもそも文学というのは、大抵のスポーツなどとは一線を画す歴史を持っている娯楽なのだ。この日本という国の中では八世紀の古事記を最古とし、竹取物語で記録ではなく物語としての進化を遂げ――――現代に至るまで、文明が紙と墨で表されて来た。それの一端だけでも垣間見ようとする我々が悪である可能性など、どの世界史にも記されていてたまるか」


 淡々と言葉が行き来する二人の会話内容は、いつも通りに下らないもので。
 歓喜に満ちるシーンが無くとも、興奮溢れるシーンが無くとも、本片手に時間をやり過ごすには充分な内容だ。
 

「時に小十郎、最近は何を読んでいるんだい? ほら、後輩想いの先輩に教えてみたまえよ」

「今は、瓶詰め地獄ですね」

「…………これはまた、食欲の減退するものを読んでいるね」

「前に先輩が勧めたものですよ」

「色々と勧めているからね。もう忘れてしまったよ」


 やれやれと言わんばかりに巳子は首を振り、ため息を漏らしてから自分の持っている本を閉じた。
 それを足元に置いた鞄へ片付けてしまうと、代わりに少し年季の入った本を取り出した。


「小説…………じゃあないですよね?」

「私は本であれば何でも読む。それに、普段から通う古本屋の店主に勧められてしまってね。買わないとは言いづらかった」


 言うと、巳子が十ページ程をぼうっとしながら捲る。
 中身は、レシピ集――――文字や年季の入り方から、小十郎はそれが昭和初期のものではないかと推測した。

 巳子は碌に文字を読まず、イラストを何となく目で追っている様子だ。

 
「なあ小十郎、君は食事をするかね?」

「何ですか? その人間初心者みたいな質問は」

何分なにぶん、コミュニケーション初心者でね」

 
 それを聞いた小十郎は小さく笑った。
 息も漏れず、口角が僅かに上がった程度の物ではあったが、それすらも物珍しいと、巳子は驚く。


「君は、笑う事が出来たのだな…………」

「失礼な。俺にだって笑う機能ぐらいありますよ」

「失礼とは言ってもだね、私は今本当に驚愕しているのだよ――――君は少し、自分の表情が薄い事を自覚したまえ」
 
「薄い、ですか…………」


 巳子の言葉の真偽を確かめるように、小十郎は自分の顔を指で動かし、いくつか表情を作る。
 暫くはそれを面白く思い見ていた巳子だが、止めずにいるといつまで続くか分かったものではないと、咳払いで小十郎の意識を自分へと向けた。


「話を戻そうか」

「どこまでですか?」

「そうだな…………ではどうだろう、食事をするかどうか、まで戻すというのは。あそこから話しがズレ始めた気がする」


 多少無理矢理ながらも話の軌道修正を果たした巳子は、手元のレシピ本を最初のページまで戻てから、小十郎の前に差し出した。
 お前も読め、という意な事を即座に理解した小十郎が本を受け取り、ページを捲って行くと、それを巳子が覗き込む。
 

「気になるものはあるかい?」

「どうでしょう…………食にあまり興味がないんです」

「少しもって事はないのだろう…………?」

「ええ、まあ。栄養価とかは見ますね」

「君にはほとほと呆れたよ」


 思わず巳子は頭を抱えた。
 小十郎が無趣味な人間だとは知っていたが、ここまでだとはとは想定していなかったのだ。


「試しに聞いてみるが、好きなおかずは?」

「肉と野菜が一緒に入っていれば」

「丁度今、夏の食材で好きなものは?」

「思い当りませんね」

「好きな飲食店」

「店…………この前先輩に紹介してもらった喫茶店は、雰囲気が良かったですね」

「おお、やっとそれらしい答えが出たじゃないか。あの店じゃあ君は、何を頼んでいたかな」

「珈琲と卵サンドです」

「そうだそうだ。それは好きで頼んだのではないのかい?」

「定番かと思ったので…………でも、そうですね。美味しかったです」


 最後に小さく付け足して言うと、小十郎は少し味を思い出すように数秒黙りこくる。
 

「…………先輩、飲み物でも買いに行きましょうか」

「良いだろう、この巳子先輩が同伴してやろう――――どうだい? 慈悲深いだろう?」


 真っ先に立ち上がったのは巳子で、それからだらりと小十郎も立ち上がる。
 二人が部室を出ると、真夏の暑さが一斉にその身を包んだ。

 二人は揃って顔を歪めるが、廊下に出てすぐ立ち止まっていても仕方ないので、なんとか歩を進める。
 目的地は、中庭にある自動販売機だ。


「出て来てなんだけどね、私はこの時期、人間は冷房器具の無い空間に居てはならないと思うんだ」

「先輩は暑さに弱すぎます」

「読書家だからね」

「全国の読書家に謝罪回りしたいんですか?」

「暑い中、更に出歩くつもりはないよ」


 身を貫く日差しに、もうすぐ溶けてしまうのではないかと思える程、巳子は項垂れて歩く。
 一歩一歩が力無く、辛うじて足を前に出している状態だ。


「私達読書家にはね、本を一冊持てる筋力と、ページを捲り続ける体力さえあればいいのさ」

「達って、もしかして俺も含まれてますか?」

「なんせ、達だからね。名誉ある文芸部部員としてぜひとも含まれたまえ」


 項垂れながらも得意げに言う巳子へ向けられた小十郎の視線は、この夏の猛暑を一時だろうと忘れさせる程、冷ややかな物であった。


「こらこら、そんな目を向けるんじゃあないよ。私が傷ついたら大変じゃあないか」

「先輩、この夏は体力をつけましょうね」

「うぅ、面目無いとは思うのだけれどね、体力をつけるための運動をする体力も無いというのが私の――――あいでっ」


 小十郎に目を向けて、前も見ずに歩いていた巳子が不意に、何か固いものへと衝突した。
 いててと頭を押さえながら前を向けば、そこには目的地であった自動販売機が鎮座している。

 
「先輩、飲み物何にしますか?」

「っ…………ああ、任せるよ」

「じゃあ、珈琲で」


 小十郎は同じ缶珈琲を二本購入し、一本を巳子へ。
 結露の伝う缶表面は、その中身が冷えていることを静かに語る。

 
「知っているかい? アイス珈琲というのは日本発祥の文化なんだってね」


 缶珈琲を首に当てて、血管を冷やしながら巳子は言う。
 それを聞いた小十郎は「そうなんですか?」と素直に疑問を述べた。


「意外と日本発祥というものは多いらしくてね。ナポリタン、天津飯がそのいい例だ」

「オムライスもじゃありませんでした?」

「何だ、知っているのか」


 少しつまらなそうにして、巳子が唇を尖らせる。

 巳子は、大人っぽい人間だとはお世辞にも言えない。
 だが、こうして秘蔵の雑学が不発だったからといじける程子供でもなかった。

 ともすれば誰も気づかない程度である気分の誤差であるが、小十郎はその小さな差異に違和感を感じた。


「先輩、最近何かありました?」

「何だい藪から棒に。強いて言うなら今、酷い直射日光を浴びせられているよ」

「もう部室に戻りますか」

「ああ、即急に帰ろう。もし手が空いているならば運んでくれたまえ」


 その言葉を聞くと小十郎は、一人先にと部室へ歩き始めた。
 巳子はその後を、小十郎よりも短い歩幅を埋めるよう駆け足気味で追う。

 二人の手の中にある、おそろいの缶珈琲は、既にぬるくなり始めた。


「まっ、待ちたまえよ小十郎…………運べと言った人間を運ばないどころかっ、置き去りにするだなんて、それは鬼畜の所業とっ…………いうやつではないかっ!」


 部室前に辿り着いた巳子は、ほんの数百メートルを駆け足で行っただけにも関わらず、まるで長距離マラソンを終えた直後のランナーと見違える程に息絶え絶えとしていた。
 
 重い足取りで、最後の力を振り切るように部室内へ帰還すると、そこに待ち構えていたのは、この部室を出た瞬間とは真逆の体感。
 冷房により冷えた空気が一斉に押し寄せ身を包むという、暑さからの解放であった。


「こここが理想郷ユートピアか」


 言いながら、巳子は椅子に座り、溶けたように脱力した。
 体からは茹蛸のように一切の力が抜けており、極めて回復に努めているのが見て取れる。

 小十郎はと言えば、今度は巳子の隣ではなく、机を挟んで向かい合う位置に着席した。


「こうも暑いと、冷えたものを食べたくなるね」

「ええ――――先輩、今日は食事の話題が多いですね」

「そうかい? 自覚は無い」

「多いですよ。普段の先輩は俺並み…………とまでは行かずとも、あまり食に興味が無いように見えますが」

「それについても自覚は無い」

「毎日昼食は購買の菓子パンで済ませてますし」

「私はちゃんと、あのパン共を味覚に任せて選んでいるよ」


 君とは違うのだよ、君とは――――とでも言いたげな目を小十郎に向けている巳子は、それから数秒黙りこくって、目を瞑り、何かを考え込む。


「なあ小十郎よ。もう味でなくてもいいから、補給としてでも何か食べたいものはないのかね」

「…………やっぱり、先輩何か隠しているでしょう? いい加減話題の方向性が偏り過ぎですよ」

「なっ、君は質問に質問で返すというのかね」

「腹が減ってるなら、俺が購買…………はやってないけど、コンビニにでも行ってきますよ」

「否っ、それは断じて否だ…………っ! 別に特段腹が減っているわけではない」


 巳子は強く否定するが、その対応こそが、小十郎の心中にある疑惑を増幅させる。
 普段の巳子ならば、この程度の追及などものともせず――――君はホームズでなくワトソン君のポストがお似合いだよ、なんて気怠げに返答するだろう。


「先輩、何をそんなに必死になって隠すんですか?」

「そんな、昨今軟化した刑事ドラマのような取り調べ方をするんじゃない」

「俺は先輩の口からどんな言葉が出てきても驚きませんよ。たとえそれが、明後日の方向に向いている言葉でも、明々後日の方向に向いている言葉でも」
 
「君はその歳でニル・アドミラリの境地に立っていると言うのかね…………」


 もう、小十郎は話を逸らすつもりは無い。
 巳子が何かを隠している、しかもそれは、自分に関連している。
 そして、さほど深刻な問題ではない。

 ならば、最早もう後退は有得無いのだ。

 ここまでくれば、巳子もそれに気づいている。
 小十郎が、興味道楽ではなく、何かあったのかと自分の身を案じて聞いて来ている事を深く理解しているのだ。

 だからこそ、巳子は――――。


「分かった、仕方ない。白状しよう――――ただしかし、決して笑ってくれるなよ」


 気恥ずかしそうに言うと、巳子は一つ咳ばらいをしてから、きちんと背筋を伸ばして座り直す。
 
「実はな、その…………弁当作りというのに、挑戦してみようと思ったんだ」
 
「料理ですか? 珍しいですね」
 
「失礼な後輩だよ、全く」


 先の宣言通りに、小十郎は驚きこそしなかったが、しかし想定外の言葉が出たという事で、素直な感想を述べた。
 それに巳子は眉を顰めこそするが、そこにはほんの少しの不快感も含まれてはいない。
 
 
「でもまた、どうしてですか? 先輩、購買の菓子パンが気に入ってるんでしょう?」
 
「察しが悪いのか、気付いていて言わせようとしているのか…………私らしくは無いと思うがね、それでも、らしい事をしてみたくなった」


 少し照れ、顔を逸らしながらもう言葉を続ける。
 ソレは、口に出してこそ意味のある言葉だと、巳子は知っているのだから。

 
「偶にはやってみたくなったのだよ…………彼女らしい事を」

「覚えていてくれたんですね、その事」

「たまに忘れかけるよ。私が決死の告白する前と後で、君の態度が変わらなさ過ぎてね」

「これでも、精一杯態度に出してるつもりなんですよ」

「分かり難過ぎるぞ、小十郎よ」


 巳子は顔を逸らしたまま悪態をついた。

 今前を向きなおしたならば、口角が少し上がった程度の笑みとは比べ物にならない――――綻んだ表情がそこにあるとは、まだ知らないままで。
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