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ノアズアーク始動編
13 万能薬エリクサーを入手せよⅡ
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side ノア=オーガスト
扉を開けると、そこには四つの茶色の棚が並んでいた。高さはオレの腰より少し上程度でちょっと低いように感じる。その奥のカウンターらしき場所に、一人の女性が座っていた。薄茶色の長い髪を一つ縛りでまとめており、縁がついていない四角い形の眼鏡をかけている。
オレたちはミクリヤさんの後に続いてその女性の近くまで行った。
「お疲れ様です、スザンヌさん。本日はエリクサーを要望する者たちを連れてきました」
「……そうかい。あんたが連れてきた客なんだ。これはしっかりやらないといけないね」
スザンヌさんはカウンターから出た。しかしそれは歩いてではない。車輪がついた椅子に座ったままこちらに来た。
「はじめまして。私がここの店主、スザンヌだ」
スザンヌさんの膝元から足先にかけては茶色の毛布がかけられていた。だがその毛布から、スザンヌさんの身体が五体満足ではないことがわかる。本来ならあるはずの右足のところだけ、その足の形が見えないのである。つまり……
右足だけが、ない。
「オレは……ノア。ここにいるみんなは、オレのパーティメンバーでーーー」
「あの!私、エルと申します。ここでならエリクサーが手に入るとお聞きしました。スザンヌさん、私たちにエリクサーを売ってはいただけませんか?」
オレの言葉を遮るほどの勢いでスザンヌさんに頼み込むエル。母親の命を救える手段がもう目の前にあるんだ。そりゃ必死にもなるよな。
「ふむ、そうしたいのは山々なんだけどね。……一つ、問題があるんだよ」
「それは一体……」
エルは不安そうな顔をする。
「エリクサーを調合するための材料が足りないんだ」
「そ、そんな……!」
「……具体的には何が足りないんだ?」
オレはエリクサーがすぐに手に入らないとわかりショックを受けているエルの代わりに質問した。
「エリクサーの調合のためには『マンドレイク』と『ヒガンバナ』と『黄金のリンゴ』が必要なんだけどね……そのうち最も入手が困難である黄金のリンゴの在庫がないんだ」
黄金のリンゴ……?全く聞いたことがないな。
「どこにあるんだ?」
湊は黄金のリンゴという単語に全く考える素振りを見せず、すぐさまスザンヌさんに黄金のリンゴの在処を聞いた。
「大帝国グランドベゼルと獣人国家レグルスの国境に位置する山の頂上だ。その頂上に行くこと自体はさして問題じゃない。……ではなぜ黄金のリンゴが入手最難関とされるのか。それは黄金のリンゴを守る強力な番人がいるからだ」
番人?……根源界を守ってるヴォル爺やクロードみたいな感じかな?それは確かに手強そうだ。
「そいつの名前は『ラドン』。魔界にある龍の谷に住むドラゴンたちの下位互換にあたる龍種だ。私が現役だった頃、黄金のリンゴを手に入れる際に一度戦ったことがあった。幸い死者は出なかったが、私が作ったポーションがなければ、仲間の何人かは確実に死んでいたね。それほどまでにあの魔物は危険な存在だ」
龍種、か。ニーグやファルも龍種だったから、相当強いな、ラドンって魔物は。まあ、ニーグとファルは神獣扱いだから、比べるまでもなくラドンとやらより強いだろうけど。
「そしてここが重要なポイントだ。ラドンが傷つけば傷つくほどに、黄金のリンゴは腐っていくんだ」
……は?腐る?ラドンが怪我するとリンゴにも悪影響があるのか?
……謎すぎるだろ、それ。
「仕組みはよくわからないが、私の経験上、そのことに間違いはない。ラドンにいい一撃が入った時、リンゴが一つ落ちてな。見たら茶色く変化した後、すぐにドロドロに腐っていたんだ。これは仮説にはなるが、もしラドンを殺してしまえば、リンゴは二度と実らないと言っていいだろうね」
「「「………」」」
そのとんでもない事実にオレたちは呆然とする。
オレたちはラドンに強い攻撃はできないが、ラドンはオレたち侵入者を殺す気で襲いかかってくる。
……なんとも理不尽なことだ。
このメンツならラドンを倒すだけであれば可能だとは思うんだけど……それじゃ意味がない。
目当ての黄金のリンゴを入手することがオレたちの一番の目的なんだ。その過程でラドンを倒す倒さないって判断は、普通の魔物だったら選べるけど、今回はそうもいかない。倒さないどころかなるべく傷付けないように動かないといけない。
……厄介な相手だなー、まったく。
まあけど、面白いじゃん。俄然、燃えてくる。
「……つまり、そのラドンってやつを動けない状態にしてリンゴを奪取する、もしくはラドンの注意を何らかの方法で逸らして、その隙にリンゴを奪う……ってところになるか?」
「そういうことになるよな。そこにプラスで、誰も死んではいけないってとこかな。まあでも、なんとかなるさ。このメンツにできないことなんて何にもないって、オレは思う」
秀の考えにオレは同意しつつ、オレの考えもみんなに伝えた。
「だね。私もそう思うよー」
「俺も兄さんに同意だ」
「仲間のために全力を尽くすのがうちのパーティだ。だったら、やるしかねぇだろ」
「ノアや秀の言う通りだ。俺たちなら何の問題もない。……だから泣かなくていい、エル」
先ほどからずっと俯き、涙を堪えるのに必死だったエルの背中に、湊はそっと手を乗せ優しくさすった。エルの目からはポトッ、ポトッと大粒の涙が落ち、絨毯に丸い濡れ跡ができていた。
「うっ……うぅっ……」
「さっ、とっとと山登って、黄金のリンゴってやつを取ってこようぜ。オレたちならこんなの余裕だろ……?な、エル!」
オレは軽快な声でエルに投げかけた。心配するようなことは何にもない。不安なんか感じる必要も全くないんだ。そういう思いをのせて伝えたオレの言葉は、エルの心にしっかりと届いたらしい。
エルは袖を使ってゴシゴシと自分の目を拭き、顔を上げた。エルの目元は少し赤くなっており、その目はほんの少しだけウルウルしているように見える。そしてエルは部屋中に響き渡るような元気な声で返事をした。
「はい!」
side エル
ついに、念願のエリクサーが手に入るんだ!
そんな淡い確信をもって薬屋ギンプティムに入ったものの、私の願いはすぐさま打ち砕かれました。お母さんの病気をようやく治すことができるんだと、これでお母さんは以前のように元気に生活できるんだと、そう思っていたのに……
「エリクサーを調合するための材料が足りないんだ」
このスザンヌさんの一言に、私は呆然としてしまいました。
もしその材料が見つからなかったら……。
もしその材料の入手が困難で、その間にお母さんが死んでしまったら……。
この時の私はお母さんを救うことなどもう不可能なのかもしれないと良くない方向に考えてしまいました。
さらに、材料入手のためには魔物の中でその破壊力はトップクラスとされる龍種を相手にしなければならないという事実に、私は更なる不安にがんじがらめになっていました。
こんな私なんかのために、本来なら関わるはずのなかった危険に皆さんを晒してしまう……。
もし……もし、皆さんが死んでしまったら……。
お母さんを早く助けたい。だけど、皆さんを危険な目に合わせたくない。
私の心はどんどん疲弊し、そして皆さんの顔を見ることさえかなわず、ずっと俯き、涙を我慢することしかできなくなってしまいました。
泣く資格なんて、私にはないのに……。
そう思いつつも勝手に溢れ出してくる涙。私はただ我慢することでこの不相応な涙に抗うしかありませんでした。
「……だから泣かなくていい、エル」
優しげな言葉をかけ、私の背中をさすってくれた湊さん。その温かな一言に私の涙腺はこれ以上我慢することができず、とうとう涙がポロポロとこぼれ落ちてしまいました。
「うっ……うぅっ……」
涙が……涙が全然止まらない……どうして……なんで……?
指で何度拭っても溢れ出てくる涙。絨毯に落下してしまったものも多くありました。
「さっ、とっとと山登って黄金のリンゴってやつを取ってこようぜ。オレたちならこんなの余裕だろ……?な、エル!」
ノアさんはその変わらない誠実さと真っ直ぐさで私の不安を取り払おうとしてくれました。直接そう言われたわけではないのに、不思議とその言葉には、ノアさんの私を気遣う思いやりがこもっていると感じたのです。
ノアさん、シンさん、秀さん、湊さん、そしてカズハ……。
皆さんは私のためだけにやり遂げようとしてくれています。皆さんが死ぬ可能性だって十分あるというのに、です。だから私が皆さんのその覚悟を踏み躙るような行いをするのだけは、絶対にしてはいけない。泣いて逃げるような真似は、絶対にダメ!
私は皆さんの覚悟に、応えなきゃいけないのだから……!
私は袖で自分の目元をこすり、この場に似合わない涙を全て拭いました。そして、今までにないくらいの精一杯の声で返事をしました。
「はい!」
side ノア=オーガスト
スザンヌさんから黄金のリンゴに関する情報を手に入れたオレたちは、ギンプティムを出てすぐに例の山へと向かった。帝都アクロポリスは大帝国の中心からやや北に位置しており、ここから南方面に位置する目的地までは、馬車を使っても普通、一週間はかかるらしい。
カズハがその付近に入ったことがあるらしく、おおよその道は問題はないけど、時間があまりにもかかりすぎるのが難点といえるよな。往復で約二週間はかかるんだ。前にエルからお母さんの容体は日に日に悪くなっていて、今日突然心肺停止になってもおかしくはないところまできてしまっているそうだ。
……つまり、とてもじゃないが二週間も耐えられる身体ではないってことだ。
オレたちは今馬車に乗って目的地に向かっているところだが、このペースでは正直厳しいかもしれない……。
これはもう、なりふり構ってる場合じゃないよな。
「なあ、みんな。正直言ってこのまま馬車に揺られて悠々と山に行ってたら、エルのお母さんは救えないと思うんだ」
道に散乱しているのであろう石の上を通るたびにガタゴトと揺れる馬車の中。オレは思い切って自分の考えを伝えることにした。
「だから……走らないか?」
オレのこの突拍子もない発言に、向かいに座っていたカズハや、今まで自分のズボンをきつく握りしめて顔をこわばらせていたエルは、ポカンとした顔になった。
まあ、その反応が普通だよなー。
「ちょ、ちょちょちょっと待って。私の聞き間違いかもだけど、今ノアさ、走っていこう、的なこと言った?」
「ああ、言ったよ」
「……本気?」
「ああ、本気だ。その方が断然早い」
オレのいつになく真剣な表情に、カズハもオレが冗談で言っているわけではないと信じてくれたようだ。
「そっかー……。でもさ、確かにずっと走り続けられるなら馬車より速いかもだけど、確実に体力もたなくない?」
「大丈夫。オレに策がある。秀、湊……いいよな?」
オレが何をしたいのかわかっているであろう二人に声をかける。
なるべく使うなと言われていたけど、仲間の緊急時に使わないのは本末転倒ってやつだとオレは思う。
「……仕方ねぇか。他に方法もなさそうだしなぁ」
「ノアがそうするべきだと考えたのなら……その考えになんの問題もなければ……オレたちはノアの意志に従う」
二人は何故かオレが話しかける前から、馬車の後方を気にしていた素振りを見せていたが、すぐにオレの言葉に返答を返した。
……何かあったのだろうか?
「……おう。ありがとな、秀、湊。……ていうか、なんか後ろにあるのか?」
「いや、ノアが気にすることじゃねぇよ」
そう言いながら秀はオレの頭をポンっと撫でた。
「なんだよもう……そんじゃまあ、早速やるとしますか」
つってもやるのはオレじゃなくてシンだけどな。
「シン。頼む」
「わかった……カズハ、エル。二人ともそこを動くな」
今から何をするのか全くわからない二人は、とりあえずシンの言う通りにおとなしく座っていた。
そして……
「……『アナザーディメンション』」
シンは二人に自身の左手を突き出した。すると二人の足元には謎の暗く輝く穴が出現し、二人は「「えっ」」と声を出した途端、その穴に落ちていった。
「よし、行くぞ!」
オレの合図にシン、秀、湊は乗っていた馬車から飛び出し、カズハから教えてもらった情報をもとに、目的の山を目指して走り出した。ちなみに馬車に乗せてもらったお礼として、その分のお金はしっかりと馬車に置いてきた。
「オレたちの足だったらどのくらいで着くかなー?」
走っていこうと自分で提案したものの、どのくらいで着くかは実は検討していなかった。馬車より速いのは確実なんだけどさ。
オレたちは今、普段走るスピードの数倍は速く走っている。オレたち神仙族は元々の身体能力が一般人よりもおかしいらしい。
オレもこの目で見るまで信じられなかったのだが、普通の人は素手で木を折ることはできないし、走る時自分を中心にして風が巻き起こったりしないそうだ。小さい頃、ヴォル爺やクロードと追いかけっこをしたんだけど、二人とも風を纏うようにして走ってたから、それが普通だと思っていたオレは、見事にカルチャーショック?的なやつを受けてしまった。
「そうだなぁ……早くて今日中、遅くても明日の朝までには着くだろうな」
オレたちは様々に散りばめられたゴツゴツした岩石や無数に並び立つ木々が散乱する森の中を、器用に避けたり木の枝からまた別の木の枝へと飛び移ったりしながら駆け抜けた。あまりにも速すぎるせいで発生してしまっている風が、周辺のものを傷つけていた。何枚もの葉がちぎられ、何本もの小枝が折られ、いくつもの幹には細い傷が作られていった。
休むことなくひたすら走り続けたオレたちは、日が昇る前に例の山の中腹辺りに到着した。秀の予想通りだったな。
オレたちは少し開けた場所を見つけ、そこで一度休憩を取ることにした。木々を拾い集め、秀の氣術で火をつける。薄暗い森が揺らめく炎の光で照らされる。
「シン、そろそろ二人を出してやってくれ……湊、悪いけどーーー」
「分かっている」
そう言うと湊は山の頂上を目指して走り去った。
やっぱ湊は頼りになるなー。
「えーと、ここは……どこ?」
「……一体どうなってるんですか?」
再び謎の穴が空中に出現し、中からカズハとエルが困惑しながら出てきた。
「ここは例の山の中腹辺り……だと思う。ごめんな、ほったらかしにして。今秀が飯作ってくれてるから、その時に説明するよ」
「……つまり、さっきの穴はシンがつくった別空間への入り口だったってこと?」
カズハは秀お手製の肉団子スープを食べ切って、お椀を置いた。
「そういうこと」
「それってこの氣道具と同じじゃん」
カズハは手首につけたブレスレットを見せる。そこには美しい黄色の石が嵌め込まれていた。
なんだろこれ。見たことないなー。
「それって何?」
「えー?!まさか、ノア……エスパシオを持ってない……?」
「え、うん」
そんなに驚かれることなのかー?
オレはエルに視線を向けると、エルもカズハと似たような顔をしていた。
「待って待って。この氣道具持ってないことってある?今や、人生の必需品といっても過言じゃないんだよー?」
「そんなこと言われてもなー」
知らないものは知らないし、持ってないものは持っていないのだから、仕方ないじゃないか。
「簡単に言うとだよ、ノア。この氣道具は、さっきのシンの氣術と同じ芸当ができるんだ」
「えぇー?!マジ?」
空間系統の氣術って、神仙族くらいしか使えないって、クロードが言ってたはずなんだけど……?!
「とは言っても、容量はだいたい大きめのリュックサック二つ分くらいなので、人を二人も収納することはできないです。なので、シンさんの氣術は本当にすごいです!」
あ、そのくらいの大きさしかないのか……。ビックリした。クロードに嘘つかれたのかと思った。
「でも、小さくても別空間が誰でも使えるなんて、それだけでもすごくないかー?」
「そうなんだよー!超画期的な氣道具でしょ?正式名称はエスパシオって呼ばれてるんだけど、たしか十年前くらいからあのエリック商団が売り出した物なんだー。販売当初からもう瞬く間に広まって、今じゃ持ってない方がおかしいって感じだよー」
カズハが少し興奮気味に話すのはなんとなくだけどわかる。だってオレも、正直言ってシンの氣術便利でいいなーって思ってたもん。持ち運び便利すぎん?ってさ。
まあ、空間維持に氣を使い続けるから、あまり多く入れるとシンの負担になるから、大事なものしかシンの亜空間には入れてないんだけど。
「ほら見て。エルも持ってるでしょ?」
カズハはエルの左手を見せる。確かに、左手の小指に、カズハのブレスレットに似た指輪があった。指輪には小さいが綺麗なピンク色の石が嵌め込まれている。
「た、たしかに。……いやでも、シンと秀はさすがに持ってないだろ」
オレは二人に視線をやる。
だって、オレと同じでこの世界に来てからまだ日が浅いし、そんなの持ってるわけがない……!
「俺は自分で使える。必要ない」
あ、そっか。シンには無用の長物ってやつだったか。
「……ノア。よく考えてみろ。その人数分のお椀やそこにある鍋はどっから出てきた?」
え……?
オレはみんなの前に置かれたお椀と、囲むように座るオレたちの中心でぐつぐつと煮えた鍋に目を向ける。
た、たしかに……秀や他のみんなも、誰もリュックなんて背負ってない。なのに目の前にはそれと矛盾する物たちがある。
一体どっから出てきたっていうんだ?
…………はっ……!ま、まさか……
オレは焚き火でゆらめく光に照らされる秀をまじまじと観察した。
……あ、右手の薬指に、エルが付けてたのと同じような指輪がある……。
「その顔は、答えがわかったようだな。そうだ、ここから取り出してたんだよ」
秀は右手を焚き火の近くに突き出して、オレたちがより見えるようにする。嵌め込まれた石は、炎に照らされてるからかもしれないが、美しい赤色をしていた。
「な、なんで秀が持ってるんだよー?!」
「あ?そりゃお前、イオリとか他の冒険者に聞いたんだよ。したら、随分とまあ便利な氣道具があるじゃねぇか、ってなって購入しといたんだよ」
「そんな便利なものあるなら、オレにも教えといてくれよー!」
「あー、悪りぃ悪りぃ。忘れてたわ。その後なんやかんや依頼とか買い物とかで忙しくてなぁ」
秀は後頭部を掻きながら、「すまんすまん」と謝った。あんま気持ちがこもってない気がする。
「ったくもう……戻ったら絶対オレも買ってやる」
「なら俺も行く。俺が兄さんのを選ぶから、兄さんは俺のを選んでくれ」
シンはいつになく、少しウキウキしたような声音で話した。
「シンも欲しいのか?」
空間系統の氣術が使えるのに?
「ダメか……?」
……!あ、あのシンが、甘えている、だと……?!
「んんっ。いいに決まってんだろうが!兄ちゃんがいくらでも買ってやる!」
そう言うと、シンは「ふっ……」と嬉しそうに笑った。
「あのー、ノア?微笑ましい兄弟のほのぼのシーンは一旦置いといて、まだ聞きたいことあるんだけど、いいー?」
「あ、そうだったそうだった」
「シンの空間系統の特殊氣術で私たちが別の場所にいたことはわかったけど、なんでこんなに早くこの山に着いちゃってるわけー?それだけじゃ説明しきれてなくない?」
「あーそれね。それは、オレたちは体力オバケだからら、ここまで止まらずに走り抜けることができたんだよー」
「……はいー?!いくらノアたちがすごいっていっても、ここまで走り続けるなんて不可能でしょ?!それに、私たちがあの空間に入ってたのってたぶん、感覚的に二十分も経ってないぐらいだよー。なのにいつのまにかこんなに暗くなってるし……」
ものすごく驚いているカズハ。エルも隣でうんうん、と首を何度も上下に振っている。
「えーと、これにはわけがあって……うーん……カズハもエルももうオレたちの仲間だしな……。言っても大丈夫だろ」
オレはまだ中身が残っているお椀を置き、カズハとエルへと向き直った。
「実はオレたち……神仙族なんだ」
オレは、オレたちが今まで話さずに隠していた秘密を、少し緊張気味に言った。
…………あ、あれ?二人とも驚いてないんだけど……なんで?
「……えーと、『神仙族』って何?」
「もしかして、知らない感じ?」
「うん……。エルも知らないよねー?」
「は、はい。わからないです」
でも、神仙族の陰陽術はイオリが知ってたよな。陰陽術は知られてるのに、その使い手である神仙族は知られてないって……なんだそれ。
オレは拍子抜けな二人の態度に、全身を覆っていたはずの緊張が解けてしまった。
「あー、要するに普通の人間じゃなくて……例えば……」
オレは立ち上がり近くにあった木に軽く手刀した。するとその木はメキメキと音を立てて後方に倒れてしまった。
「「へ?」」
ニ人は唖然としているようだ。
「今オレは、氣を使わないであの木を倒した。こんな感じで、神仙族ってのは個人差はあるらしいけど身体能力が異常に高いんだ」
これでバケモノって言われて嫌われても仕方ないよなー。というか、そう言われると思って、オレはちょっと身構えてたんだ。
「すごいですね!ノアさん!私にはとてもできそうにないですよ」
「道理で四人とも強いと思ったよー。そんな力持ってたならはやく言ってよねー」
オレの予想はまたもいい意味で大きく外れ、二人はかなり好意的な言動を見せた。
「一応聞くけど、怖かったりしないのか?バケモノって呼ばれてもおかしくはないレベルで常人からはかけ離れてると思うんだけど」
「別に思わないよー。四人ともいいやつだって知ってるしー」
「私もです。皆さんとても良くしてくれるので、全然怖くなんかありませんよ」
二人から温かな言葉を直接受けて、オレは心から安堵した。
「そっか……」
オレは倒した木の近くから先ほど座っていた場所へ戻った。そしてもう一つの、おそらくは神仙族最大の特徴といえる力をを説明しようとしたのだが……。
「おー、湊。どうだったんだ?」
「ラドンは今、例のリンゴの木を囲むようにして寝ているようだ。日が昇れば動き出すだろう」
暗闇から姿を現した湊に気づいた秀が声をかけ、湊から頂上の様子を聞き出した。
「偵察サンキューな、湊」
「ああ。それと紫苑が面白いことに気づいたらしい」
「お、なになに?」
最近紫苑は寝てばっかだって聞いてたけど、珍しく今回は起きてたみたいだ。
「……紫苑って誰?」
あー、そういえば紫苑のこと一回もカズハやエルに紹介したことなかったな。
「えーと、紫苑も神仙族の一員みたいなもんかな。正確には違うんだけど、その話は後にしよう」
「で、何に気づいたんだ?紫苑」
シンの言葉に紫苑は、湊の首元から降りて、カズハとエルの近くに行き、この場にいる全員が認識でいるように姿を見せた。
「はじめまして、カズハ、エル。私は夜刀神の紫苑だ。今後ともよろしく頼む」
突然目の前に現れた真っ黒な蛇に二人は驚きつつも、挨拶をした。
「……えと、私はカズハ。よろしくねー」
「……エルと申します。こちらこそよろしくお願いします」
「さて、私が気づいたことだが、どうやらラドンとあのリンゴは氣で繋がっているようだな」
氣が繋がってる?
あー、なるほどなー。だからラドンが傷つくとリンゴが腐るのか。
「なるほどなぁ。これでリンゴが腐る謎は解けたってわけか」
「……その氣を断ち切ることも可能だろうが、それをした場合、おそらくリンゴは二度と実らないだろう」
「紫苑の考えには一理ある。俺も氣を断ち切ってのリンゴの奪取は避けるべきだと思う」
湊の言う通りだ。仮に氣を断ち切れば、ラドンを倒してもリンゴは腐らずに持ち帰れる。だけど、もうこれ以上エリクサーを作ることはできなくなり、救えたはずの人が救えないなんてことになるかもしれない。それはなるべく避けたいところだ。
つまり、ラドンとリンゴを繋ぐ氣を無理に断ち切るのは、まず間違いなくアウトってことだ。スザンヌさんがリンゴを持ち帰れたってことは、ラドンとリンゴの距離が一定距離以上離れればリンゴを腐ることなく奪取可能ってことのはず。
スザンヌさんの話じゃ、ラドンはリンゴの木を守るためにこの山からは出られないらしい。だからオレたちはリンゴを奪取してこの山から脱出すればミッションクリアってわけだ。
「じゃあ、最初の予定通りラドンを拘束してその隙にリンゴを取るってことでいいか、みんな」
オレのこの提案に納得したみんなは一様に頷いた。
さてと。それじゃリンゴ狩りと行きますか。
扉を開けると、そこには四つの茶色の棚が並んでいた。高さはオレの腰より少し上程度でちょっと低いように感じる。その奥のカウンターらしき場所に、一人の女性が座っていた。薄茶色の長い髪を一つ縛りでまとめており、縁がついていない四角い形の眼鏡をかけている。
オレたちはミクリヤさんの後に続いてその女性の近くまで行った。
「お疲れ様です、スザンヌさん。本日はエリクサーを要望する者たちを連れてきました」
「……そうかい。あんたが連れてきた客なんだ。これはしっかりやらないといけないね」
スザンヌさんはカウンターから出た。しかしそれは歩いてではない。車輪がついた椅子に座ったままこちらに来た。
「はじめまして。私がここの店主、スザンヌだ」
スザンヌさんの膝元から足先にかけては茶色の毛布がかけられていた。だがその毛布から、スザンヌさんの身体が五体満足ではないことがわかる。本来ならあるはずの右足のところだけ、その足の形が見えないのである。つまり……
右足だけが、ない。
「オレは……ノア。ここにいるみんなは、オレのパーティメンバーでーーー」
「あの!私、エルと申します。ここでならエリクサーが手に入るとお聞きしました。スザンヌさん、私たちにエリクサーを売ってはいただけませんか?」
オレの言葉を遮るほどの勢いでスザンヌさんに頼み込むエル。母親の命を救える手段がもう目の前にあるんだ。そりゃ必死にもなるよな。
「ふむ、そうしたいのは山々なんだけどね。……一つ、問題があるんだよ」
「それは一体……」
エルは不安そうな顔をする。
「エリクサーを調合するための材料が足りないんだ」
「そ、そんな……!」
「……具体的には何が足りないんだ?」
オレはエリクサーがすぐに手に入らないとわかりショックを受けているエルの代わりに質問した。
「エリクサーの調合のためには『マンドレイク』と『ヒガンバナ』と『黄金のリンゴ』が必要なんだけどね……そのうち最も入手が困難である黄金のリンゴの在庫がないんだ」
黄金のリンゴ……?全く聞いたことがないな。
「どこにあるんだ?」
湊は黄金のリンゴという単語に全く考える素振りを見せず、すぐさまスザンヌさんに黄金のリンゴの在処を聞いた。
「大帝国グランドベゼルと獣人国家レグルスの国境に位置する山の頂上だ。その頂上に行くこと自体はさして問題じゃない。……ではなぜ黄金のリンゴが入手最難関とされるのか。それは黄金のリンゴを守る強力な番人がいるからだ」
番人?……根源界を守ってるヴォル爺やクロードみたいな感じかな?それは確かに手強そうだ。
「そいつの名前は『ラドン』。魔界にある龍の谷に住むドラゴンたちの下位互換にあたる龍種だ。私が現役だった頃、黄金のリンゴを手に入れる際に一度戦ったことがあった。幸い死者は出なかったが、私が作ったポーションがなければ、仲間の何人かは確実に死んでいたね。それほどまでにあの魔物は危険な存在だ」
龍種、か。ニーグやファルも龍種だったから、相当強いな、ラドンって魔物は。まあ、ニーグとファルは神獣扱いだから、比べるまでもなくラドンとやらより強いだろうけど。
「そしてここが重要なポイントだ。ラドンが傷つけば傷つくほどに、黄金のリンゴは腐っていくんだ」
……は?腐る?ラドンが怪我するとリンゴにも悪影響があるのか?
……謎すぎるだろ、それ。
「仕組みはよくわからないが、私の経験上、そのことに間違いはない。ラドンにいい一撃が入った時、リンゴが一つ落ちてな。見たら茶色く変化した後、すぐにドロドロに腐っていたんだ。これは仮説にはなるが、もしラドンを殺してしまえば、リンゴは二度と実らないと言っていいだろうね」
「「「………」」」
そのとんでもない事実にオレたちは呆然とする。
オレたちはラドンに強い攻撃はできないが、ラドンはオレたち侵入者を殺す気で襲いかかってくる。
……なんとも理不尽なことだ。
このメンツならラドンを倒すだけであれば可能だとは思うんだけど……それじゃ意味がない。
目当ての黄金のリンゴを入手することがオレたちの一番の目的なんだ。その過程でラドンを倒す倒さないって判断は、普通の魔物だったら選べるけど、今回はそうもいかない。倒さないどころかなるべく傷付けないように動かないといけない。
……厄介な相手だなー、まったく。
まあけど、面白いじゃん。俄然、燃えてくる。
「……つまり、そのラドンってやつを動けない状態にしてリンゴを奪取する、もしくはラドンの注意を何らかの方法で逸らして、その隙にリンゴを奪う……ってところになるか?」
「そういうことになるよな。そこにプラスで、誰も死んではいけないってとこかな。まあでも、なんとかなるさ。このメンツにできないことなんて何にもないって、オレは思う」
秀の考えにオレは同意しつつ、オレの考えもみんなに伝えた。
「だね。私もそう思うよー」
「俺も兄さんに同意だ」
「仲間のために全力を尽くすのがうちのパーティだ。だったら、やるしかねぇだろ」
「ノアや秀の言う通りだ。俺たちなら何の問題もない。……だから泣かなくていい、エル」
先ほどからずっと俯き、涙を堪えるのに必死だったエルの背中に、湊はそっと手を乗せ優しくさすった。エルの目からはポトッ、ポトッと大粒の涙が落ち、絨毯に丸い濡れ跡ができていた。
「うっ……うぅっ……」
「さっ、とっとと山登って、黄金のリンゴってやつを取ってこようぜ。オレたちならこんなの余裕だろ……?な、エル!」
オレは軽快な声でエルに投げかけた。心配するようなことは何にもない。不安なんか感じる必要も全くないんだ。そういう思いをのせて伝えたオレの言葉は、エルの心にしっかりと届いたらしい。
エルは袖を使ってゴシゴシと自分の目を拭き、顔を上げた。エルの目元は少し赤くなっており、その目はほんの少しだけウルウルしているように見える。そしてエルは部屋中に響き渡るような元気な声で返事をした。
「はい!」
side エル
ついに、念願のエリクサーが手に入るんだ!
そんな淡い確信をもって薬屋ギンプティムに入ったものの、私の願いはすぐさま打ち砕かれました。お母さんの病気をようやく治すことができるんだと、これでお母さんは以前のように元気に生活できるんだと、そう思っていたのに……
「エリクサーを調合するための材料が足りないんだ」
このスザンヌさんの一言に、私は呆然としてしまいました。
もしその材料が見つからなかったら……。
もしその材料の入手が困難で、その間にお母さんが死んでしまったら……。
この時の私はお母さんを救うことなどもう不可能なのかもしれないと良くない方向に考えてしまいました。
さらに、材料入手のためには魔物の中でその破壊力はトップクラスとされる龍種を相手にしなければならないという事実に、私は更なる不安にがんじがらめになっていました。
こんな私なんかのために、本来なら関わるはずのなかった危険に皆さんを晒してしまう……。
もし……もし、皆さんが死んでしまったら……。
お母さんを早く助けたい。だけど、皆さんを危険な目に合わせたくない。
私の心はどんどん疲弊し、そして皆さんの顔を見ることさえかなわず、ずっと俯き、涙を我慢することしかできなくなってしまいました。
泣く資格なんて、私にはないのに……。
そう思いつつも勝手に溢れ出してくる涙。私はただ我慢することでこの不相応な涙に抗うしかありませんでした。
「……だから泣かなくていい、エル」
優しげな言葉をかけ、私の背中をさすってくれた湊さん。その温かな一言に私の涙腺はこれ以上我慢することができず、とうとう涙がポロポロとこぼれ落ちてしまいました。
「うっ……うぅっ……」
涙が……涙が全然止まらない……どうして……なんで……?
指で何度拭っても溢れ出てくる涙。絨毯に落下してしまったものも多くありました。
「さっ、とっとと山登って黄金のリンゴってやつを取ってこようぜ。オレたちならこんなの余裕だろ……?な、エル!」
ノアさんはその変わらない誠実さと真っ直ぐさで私の不安を取り払おうとしてくれました。直接そう言われたわけではないのに、不思議とその言葉には、ノアさんの私を気遣う思いやりがこもっていると感じたのです。
ノアさん、シンさん、秀さん、湊さん、そしてカズハ……。
皆さんは私のためだけにやり遂げようとしてくれています。皆さんが死ぬ可能性だって十分あるというのに、です。だから私が皆さんのその覚悟を踏み躙るような行いをするのだけは、絶対にしてはいけない。泣いて逃げるような真似は、絶対にダメ!
私は皆さんの覚悟に、応えなきゃいけないのだから……!
私は袖で自分の目元をこすり、この場に似合わない涙を全て拭いました。そして、今までにないくらいの精一杯の声で返事をしました。
「はい!」
side ノア=オーガスト
スザンヌさんから黄金のリンゴに関する情報を手に入れたオレたちは、ギンプティムを出てすぐに例の山へと向かった。帝都アクロポリスは大帝国の中心からやや北に位置しており、ここから南方面に位置する目的地までは、馬車を使っても普通、一週間はかかるらしい。
カズハがその付近に入ったことがあるらしく、おおよその道は問題はないけど、時間があまりにもかかりすぎるのが難点といえるよな。往復で約二週間はかかるんだ。前にエルからお母さんの容体は日に日に悪くなっていて、今日突然心肺停止になってもおかしくはないところまできてしまっているそうだ。
……つまり、とてもじゃないが二週間も耐えられる身体ではないってことだ。
オレたちは今馬車に乗って目的地に向かっているところだが、このペースでは正直厳しいかもしれない……。
これはもう、なりふり構ってる場合じゃないよな。
「なあ、みんな。正直言ってこのまま馬車に揺られて悠々と山に行ってたら、エルのお母さんは救えないと思うんだ」
道に散乱しているのであろう石の上を通るたびにガタゴトと揺れる馬車の中。オレは思い切って自分の考えを伝えることにした。
「だから……走らないか?」
オレのこの突拍子もない発言に、向かいに座っていたカズハや、今まで自分のズボンをきつく握りしめて顔をこわばらせていたエルは、ポカンとした顔になった。
まあ、その反応が普通だよなー。
「ちょ、ちょちょちょっと待って。私の聞き間違いかもだけど、今ノアさ、走っていこう、的なこと言った?」
「ああ、言ったよ」
「……本気?」
「ああ、本気だ。その方が断然早い」
オレのいつになく真剣な表情に、カズハもオレが冗談で言っているわけではないと信じてくれたようだ。
「そっかー……。でもさ、確かにずっと走り続けられるなら馬車より速いかもだけど、確実に体力もたなくない?」
「大丈夫。オレに策がある。秀、湊……いいよな?」
オレが何をしたいのかわかっているであろう二人に声をかける。
なるべく使うなと言われていたけど、仲間の緊急時に使わないのは本末転倒ってやつだとオレは思う。
「……仕方ねぇか。他に方法もなさそうだしなぁ」
「ノアがそうするべきだと考えたのなら……その考えになんの問題もなければ……オレたちはノアの意志に従う」
二人は何故かオレが話しかける前から、馬車の後方を気にしていた素振りを見せていたが、すぐにオレの言葉に返答を返した。
……何かあったのだろうか?
「……おう。ありがとな、秀、湊。……ていうか、なんか後ろにあるのか?」
「いや、ノアが気にすることじゃねぇよ」
そう言いながら秀はオレの頭をポンっと撫でた。
「なんだよもう……そんじゃまあ、早速やるとしますか」
つってもやるのはオレじゃなくてシンだけどな。
「シン。頼む」
「わかった……カズハ、エル。二人ともそこを動くな」
今から何をするのか全くわからない二人は、とりあえずシンの言う通りにおとなしく座っていた。
そして……
「……『アナザーディメンション』」
シンは二人に自身の左手を突き出した。すると二人の足元には謎の暗く輝く穴が出現し、二人は「「えっ」」と声を出した途端、その穴に落ちていった。
「よし、行くぞ!」
オレの合図にシン、秀、湊は乗っていた馬車から飛び出し、カズハから教えてもらった情報をもとに、目的の山を目指して走り出した。ちなみに馬車に乗せてもらったお礼として、その分のお金はしっかりと馬車に置いてきた。
「オレたちの足だったらどのくらいで着くかなー?」
走っていこうと自分で提案したものの、どのくらいで着くかは実は検討していなかった。馬車より速いのは確実なんだけどさ。
オレたちは今、普段走るスピードの数倍は速く走っている。オレたち神仙族は元々の身体能力が一般人よりもおかしいらしい。
オレもこの目で見るまで信じられなかったのだが、普通の人は素手で木を折ることはできないし、走る時自分を中心にして風が巻き起こったりしないそうだ。小さい頃、ヴォル爺やクロードと追いかけっこをしたんだけど、二人とも風を纏うようにして走ってたから、それが普通だと思っていたオレは、見事にカルチャーショック?的なやつを受けてしまった。
「そうだなぁ……早くて今日中、遅くても明日の朝までには着くだろうな」
オレたちは様々に散りばめられたゴツゴツした岩石や無数に並び立つ木々が散乱する森の中を、器用に避けたり木の枝からまた別の木の枝へと飛び移ったりしながら駆け抜けた。あまりにも速すぎるせいで発生してしまっている風が、周辺のものを傷つけていた。何枚もの葉がちぎられ、何本もの小枝が折られ、いくつもの幹には細い傷が作られていった。
休むことなくひたすら走り続けたオレたちは、日が昇る前に例の山の中腹辺りに到着した。秀の予想通りだったな。
オレたちは少し開けた場所を見つけ、そこで一度休憩を取ることにした。木々を拾い集め、秀の氣術で火をつける。薄暗い森が揺らめく炎の光で照らされる。
「シン、そろそろ二人を出してやってくれ……湊、悪いけどーーー」
「分かっている」
そう言うと湊は山の頂上を目指して走り去った。
やっぱ湊は頼りになるなー。
「えーと、ここは……どこ?」
「……一体どうなってるんですか?」
再び謎の穴が空中に出現し、中からカズハとエルが困惑しながら出てきた。
「ここは例の山の中腹辺り……だと思う。ごめんな、ほったらかしにして。今秀が飯作ってくれてるから、その時に説明するよ」
「……つまり、さっきの穴はシンがつくった別空間への入り口だったってこと?」
カズハは秀お手製の肉団子スープを食べ切って、お椀を置いた。
「そういうこと」
「それってこの氣道具と同じじゃん」
カズハは手首につけたブレスレットを見せる。そこには美しい黄色の石が嵌め込まれていた。
なんだろこれ。見たことないなー。
「それって何?」
「えー?!まさか、ノア……エスパシオを持ってない……?」
「え、うん」
そんなに驚かれることなのかー?
オレはエルに視線を向けると、エルもカズハと似たような顔をしていた。
「待って待って。この氣道具持ってないことってある?今や、人生の必需品といっても過言じゃないんだよー?」
「そんなこと言われてもなー」
知らないものは知らないし、持ってないものは持っていないのだから、仕方ないじゃないか。
「簡単に言うとだよ、ノア。この氣道具は、さっきのシンの氣術と同じ芸当ができるんだ」
「えぇー?!マジ?」
空間系統の氣術って、神仙族くらいしか使えないって、クロードが言ってたはずなんだけど……?!
「とは言っても、容量はだいたい大きめのリュックサック二つ分くらいなので、人を二人も収納することはできないです。なので、シンさんの氣術は本当にすごいです!」
あ、そのくらいの大きさしかないのか……。ビックリした。クロードに嘘つかれたのかと思った。
「でも、小さくても別空間が誰でも使えるなんて、それだけでもすごくないかー?」
「そうなんだよー!超画期的な氣道具でしょ?正式名称はエスパシオって呼ばれてるんだけど、たしか十年前くらいからあのエリック商団が売り出した物なんだー。販売当初からもう瞬く間に広まって、今じゃ持ってない方がおかしいって感じだよー」
カズハが少し興奮気味に話すのはなんとなくだけどわかる。だってオレも、正直言ってシンの氣術便利でいいなーって思ってたもん。持ち運び便利すぎん?ってさ。
まあ、空間維持に氣を使い続けるから、あまり多く入れるとシンの負担になるから、大事なものしかシンの亜空間には入れてないんだけど。
「ほら見て。エルも持ってるでしょ?」
カズハはエルの左手を見せる。確かに、左手の小指に、カズハのブレスレットに似た指輪があった。指輪には小さいが綺麗なピンク色の石が嵌め込まれている。
「た、たしかに。……いやでも、シンと秀はさすがに持ってないだろ」
オレは二人に視線をやる。
だって、オレと同じでこの世界に来てからまだ日が浅いし、そんなの持ってるわけがない……!
「俺は自分で使える。必要ない」
あ、そっか。シンには無用の長物ってやつだったか。
「……ノア。よく考えてみろ。その人数分のお椀やそこにある鍋はどっから出てきた?」
え……?
オレはみんなの前に置かれたお椀と、囲むように座るオレたちの中心でぐつぐつと煮えた鍋に目を向ける。
た、たしかに……秀や他のみんなも、誰もリュックなんて背負ってない。なのに目の前にはそれと矛盾する物たちがある。
一体どっから出てきたっていうんだ?
…………はっ……!ま、まさか……
オレは焚き火でゆらめく光に照らされる秀をまじまじと観察した。
……あ、右手の薬指に、エルが付けてたのと同じような指輪がある……。
「その顔は、答えがわかったようだな。そうだ、ここから取り出してたんだよ」
秀は右手を焚き火の近くに突き出して、オレたちがより見えるようにする。嵌め込まれた石は、炎に照らされてるからかもしれないが、美しい赤色をしていた。
「な、なんで秀が持ってるんだよー?!」
「あ?そりゃお前、イオリとか他の冒険者に聞いたんだよ。したら、随分とまあ便利な氣道具があるじゃねぇか、ってなって購入しといたんだよ」
「そんな便利なものあるなら、オレにも教えといてくれよー!」
「あー、悪りぃ悪りぃ。忘れてたわ。その後なんやかんや依頼とか買い物とかで忙しくてなぁ」
秀は後頭部を掻きながら、「すまんすまん」と謝った。あんま気持ちがこもってない気がする。
「ったくもう……戻ったら絶対オレも買ってやる」
「なら俺も行く。俺が兄さんのを選ぶから、兄さんは俺のを選んでくれ」
シンはいつになく、少しウキウキしたような声音で話した。
「シンも欲しいのか?」
空間系統の氣術が使えるのに?
「ダメか……?」
……!あ、あのシンが、甘えている、だと……?!
「んんっ。いいに決まってんだろうが!兄ちゃんがいくらでも買ってやる!」
そう言うと、シンは「ふっ……」と嬉しそうに笑った。
「あのー、ノア?微笑ましい兄弟のほのぼのシーンは一旦置いといて、まだ聞きたいことあるんだけど、いいー?」
「あ、そうだったそうだった」
「シンの空間系統の特殊氣術で私たちが別の場所にいたことはわかったけど、なんでこんなに早くこの山に着いちゃってるわけー?それだけじゃ説明しきれてなくない?」
「あーそれね。それは、オレたちは体力オバケだからら、ここまで止まらずに走り抜けることができたんだよー」
「……はいー?!いくらノアたちがすごいっていっても、ここまで走り続けるなんて不可能でしょ?!それに、私たちがあの空間に入ってたのってたぶん、感覚的に二十分も経ってないぐらいだよー。なのにいつのまにかこんなに暗くなってるし……」
ものすごく驚いているカズハ。エルも隣でうんうん、と首を何度も上下に振っている。
「えーと、これにはわけがあって……うーん……カズハもエルももうオレたちの仲間だしな……。言っても大丈夫だろ」
オレはまだ中身が残っているお椀を置き、カズハとエルへと向き直った。
「実はオレたち……神仙族なんだ」
オレは、オレたちが今まで話さずに隠していた秘密を、少し緊張気味に言った。
…………あ、あれ?二人とも驚いてないんだけど……なんで?
「……えーと、『神仙族』って何?」
「もしかして、知らない感じ?」
「うん……。エルも知らないよねー?」
「は、はい。わからないです」
でも、神仙族の陰陽術はイオリが知ってたよな。陰陽術は知られてるのに、その使い手である神仙族は知られてないって……なんだそれ。
オレは拍子抜けな二人の態度に、全身を覆っていたはずの緊張が解けてしまった。
「あー、要するに普通の人間じゃなくて……例えば……」
オレは立ち上がり近くにあった木に軽く手刀した。するとその木はメキメキと音を立てて後方に倒れてしまった。
「「へ?」」
ニ人は唖然としているようだ。
「今オレは、氣を使わないであの木を倒した。こんな感じで、神仙族ってのは個人差はあるらしいけど身体能力が異常に高いんだ」
これでバケモノって言われて嫌われても仕方ないよなー。というか、そう言われると思って、オレはちょっと身構えてたんだ。
「すごいですね!ノアさん!私にはとてもできそうにないですよ」
「道理で四人とも強いと思ったよー。そんな力持ってたならはやく言ってよねー」
オレの予想はまたもいい意味で大きく外れ、二人はかなり好意的な言動を見せた。
「一応聞くけど、怖かったりしないのか?バケモノって呼ばれてもおかしくはないレベルで常人からはかけ離れてると思うんだけど」
「別に思わないよー。四人ともいいやつだって知ってるしー」
「私もです。皆さんとても良くしてくれるので、全然怖くなんかありませんよ」
二人から温かな言葉を直接受けて、オレは心から安堵した。
「そっか……」
オレは倒した木の近くから先ほど座っていた場所へ戻った。そしてもう一つの、おそらくは神仙族最大の特徴といえる力をを説明しようとしたのだが……。
「おー、湊。どうだったんだ?」
「ラドンは今、例のリンゴの木を囲むようにして寝ているようだ。日が昇れば動き出すだろう」
暗闇から姿を現した湊に気づいた秀が声をかけ、湊から頂上の様子を聞き出した。
「偵察サンキューな、湊」
「ああ。それと紫苑が面白いことに気づいたらしい」
「お、なになに?」
最近紫苑は寝てばっかだって聞いてたけど、珍しく今回は起きてたみたいだ。
「……紫苑って誰?」
あー、そういえば紫苑のこと一回もカズハやエルに紹介したことなかったな。
「えーと、紫苑も神仙族の一員みたいなもんかな。正確には違うんだけど、その話は後にしよう」
「で、何に気づいたんだ?紫苑」
シンの言葉に紫苑は、湊の首元から降りて、カズハとエルの近くに行き、この場にいる全員が認識でいるように姿を見せた。
「はじめまして、カズハ、エル。私は夜刀神の紫苑だ。今後ともよろしく頼む」
突然目の前に現れた真っ黒な蛇に二人は驚きつつも、挨拶をした。
「……えと、私はカズハ。よろしくねー」
「……エルと申します。こちらこそよろしくお願いします」
「さて、私が気づいたことだが、どうやらラドンとあのリンゴは氣で繋がっているようだな」
氣が繋がってる?
あー、なるほどなー。だからラドンが傷つくとリンゴが腐るのか。
「なるほどなぁ。これでリンゴが腐る謎は解けたってわけか」
「……その氣を断ち切ることも可能だろうが、それをした場合、おそらくリンゴは二度と実らないだろう」
「紫苑の考えには一理ある。俺も氣を断ち切ってのリンゴの奪取は避けるべきだと思う」
湊の言う通りだ。仮に氣を断ち切れば、ラドンを倒してもリンゴは腐らずに持ち帰れる。だけど、もうこれ以上エリクサーを作ることはできなくなり、救えたはずの人が救えないなんてことになるかもしれない。それはなるべく避けたいところだ。
つまり、ラドンとリンゴを繋ぐ氣を無理に断ち切るのは、まず間違いなくアウトってことだ。スザンヌさんがリンゴを持ち帰れたってことは、ラドンとリンゴの距離が一定距離以上離れればリンゴを腐ることなく奪取可能ってことのはず。
スザンヌさんの話じゃ、ラドンはリンゴの木を守るためにこの山からは出られないらしい。だからオレたちはリンゴを奪取してこの山から脱出すればミッションクリアってわけだ。
「じゃあ、最初の予定通りラドンを拘束してその隙にリンゴを取るってことでいいか、みんな」
オレのこの提案に納得したみんなは一様に頷いた。
さてと。それじゃリンゴ狩りと行きますか。
応援ありがとうございます!
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