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レグルス編
30 スターライト連続誘拐事件Ⅹ
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※グロテスクな表現が含まれていますので、苦手な方はご注意ください。
side 八神秀
「えー、また階段?しかも無駄にオシャレな螺旋形。こんなジメジメしてて息が詰まりそうなとこに……なんかもったいないねー」
「そうかもな。お、扉があるぞ」
変わらず薄暗い階段を降りてすぐに、周りの壁と同質であろう石の扉があった。色は壁と同じなため、四角く切り込みが入っていなければただの壁と見間違えそうだ。
「……開けるよ」
真剣な面持ちのカズハがゆっくりと扉を押す。身体を押し付けているのをみるに、ある程度体重をかけないと開かないらしい。
てことはつまり、ここに目当ての人物がいるのはほぼ確定だ。ほぼっつうか百パーセントこの先にいる。なんせ、ここにいることは事前情報としてもともと知ってたんでな。
『ゴゴゴゴゴゴゴ』
「うへー。何この扉、重すぎ!それに、コホッコホッ……砂煙がひどい!」
文句を垂れつつ、手を顔の前でパタパタとさせるカズハ。リュウはフードのおかげで直接被ってはないみてぇだが、フードが茶色く汚れていた。
「きったねぇな」
案の定俺の頭や肩に付着していた汚れども。それをサッと無造作に払い、この空間にしっかりと目を向けた。そこには、目を背けたくなるような悲惨な光景が広がっていた。
「……道理で血生臭いと思ったぜ」
中央は人が通るための通路。その両端にには鉄格子の牢屋が何ブロックかあった。ある一室には、引き裂かれた腹から臓物がなだれ落ちている死体が壁に寄りかかっており、またある一室には腕、足、胴、頭という風にバラバラにされたものが山のように積み上がっていた。それらの周りには無数の蛆が沸いており、自分の縄張りを主張するかのようにウヨウヨと蠢いていた。
まさに常軌を逸しているとはこのことだ。
「なに、これ……」
「ひどい……」
常識ではありえない光景をまじまじと見せつけられた二人は、当然絶句していた。
「あんま息は吸わねぇ方がいい。布で口と鼻を押さえろ。どんな病にかかってもなんら不思議じゃねぇ」
口もとを押さえたせいで声がくぐもったが、二人ともしっかりと聞き取ってくれたようだ。
環境衛生の整ってないこんな場所、数分いるだけでも危険だ。今更氣で自身の周りを覆っても病原体に俺たちはもう触れてしまった。入る前から準備してれば話は違ったが、こうなった以上、早急にこの部屋から出て身を清めねぇと。
「とにかく、クロエを……まあ、そうだよな」
一歩、また一歩と前へ進めば意識せずとも目に入った。
「クロエちゃん!」
牢屋に入らず外からその様子を見守れば、カズハが血相を変えて勢いよく中に入った。普通はこうもすんなりと牢屋には入れない。鍵をかけておかねぇと、人質が逃げちまうからなぁ。
だが、そんなことをせずともこの子どもには逃げる力なんて残っちゃいなかった。
「息は……よかった、してる。けど、焦点があってない。それにこんな…….」
カズハは腕で優しく包み込み膝に抱えた少女を悲痛な目で見つめた。吐き出される声も少し震えている。
命はある。だが物理的に動けない。なんせ人間誰しも持っている足なんざ、どこにも残っちゃいねぇんだから。
地に足をつけて歩く、そんな当たり前のことがこの子どもにはできねぇんだ。
「……この子ども、まだ十歳にもなってねぇだろ。リュウとそんな変わんねぇはずだ」
「これが、僕とおんなじ、人なの……?」
足がないってだけでもひでぇ話だってのに、目の前で辛うじて息をする小さな命には、そこに本来あるはずの腕もなかった。
「ああ、そうだ…………。感傷に浸ってる場合じゃねぇ。一刻も早くここから出て治癒院か薬屋に診てもらわねぇと」
「……わかってる」
俯いているカズハの表情までは窺い知れなかったが、歯をギリリと食いしばっていることだけはわかった。たとえこの子どもの手と足が奪われたのが俺たちがこの街に来る前だったとしても、カズハの心は自分を責めているんだろう。
全然間に合ってなんかない、なんでもっと早く助けられなかったのか、もっと何か自分にできることがあったんじゃないか、と。
合理的に動くなら、今すぐ、カズハを引っ張り上げてでも無理やり立たせて、この腐った部屋から全員出るべきだ。だが、ここに長居することが危険なことはカズハにもわかっているはずだ。
多少の心の整理の時間は与えてやるべき、か……。
「先行ってる。リュウはカズハについてやってくれや」
「うん」
どうしても立ち上がれない、動き出す一歩が踏み出せなくなっているカズハの横に、リュウはそっと座り込んだ。そして手入れもされず脂でギトギトしている、クロエの伸び散らかした髪を優しく撫でた。その表情にはおそらく、不快なものなど一切ないんだろう。
リュウを天使だ天使とよく騒ぐカズハの隣で寄り添うその姿は、黒いローブを着ているというのに、たしかに白い翼を広げた心優しい天使のようだと、柄にもなく思ってしまった。
「ハァァァ。胸糞悪ぃ」
五感の全てが拒否反応を起こした、ゴミのような空間を出て螺旋階段を登っていく。
確かに俺たちは目標だったクロエを発見し、連れ出すことになんなく成功するだろう。だが果たして、これが生きていると呼べるのか。良かった良かったと手放しで喜べるのか。
なんだろうなぁ。無性にイライラする。腸どころか内臓全てが、グツグツと煮え繰り返ってやがる。
「……はっ。やっぱ相手になんなかったか」
螺旋階段を上り終えた先、まず視界に入ったのはさっきより明らかに増えた横たわる敵の数。そして血痕。たいていの奴がどこかの部位がなくなっている。これは氣の矢を使いまくった証拠だ。それに壁や床に矢が刺さったにしては明らかにおかしいと思える、大きな穴が空いている。ずいぶんと通気性の良くなった部屋だ。
他に気になったのは岩壁にもある、他のやつと似た丸い空洞だ。もしかしなくても、敵がなかなか入ってこないもんで、痺れを切らしてセツナから仕掛けた結果の跡だろう。俺の術を破れるやつはおそらく、この組織内にはいねぇだろうからな。
そういや、戦闘音がほとんど聞こえてこなかったな。んー……というより、あの部屋の残酷さに気を取られて聴覚がうまく機能してなかっただけか?
「話にならない。仮にもノートリアスの一員なら、せめてドミニクと同程度の戦闘力は欲しい。でなきゃ私と対峙する価値がない。なのにここまで弱いんじゃ、何の糧にもなってない」
そう不満を漏らすセツナは、部屋の左側にある木箱に腰掛けており、つまらなそうに倒れ伏した敵を見下ろしていた。あちこちに血痕が付着しているが、セツナの服や肌にはほとんど付いていない。視認できるのは靴に付着している血の飛沫跡程度だ。
よくもまあこんな狭い部屋で……。
頭の回転が速くて?動きが俊敏且つ器用、ねぇ……。
「お前ってなんか、さ……ゴホンッ」
「は?何?」
「いやなんでもねぇわ」
あっぶねぇ。
猿みてぇだなって言いかけちまった。
これ言った日にゃぁ、ただでさえ首の皮一枚で繋がってるような関係がぷつんと切れて、二度と互いに言葉を交わさなくなる可能性しかねぇわ。あっちがどう思ってるかは知らねぇが、仲間として認めてる以上、下手なわだかまりを持つのは……できるだけ、避けたいところだ。
この目を凝らさねぇとわかんねぇほどほっせぇ糸が、なんだかんだでいくつも絡み合い紡ぎ合って、頑強な紐になることを祈るばかりだ。
「っ……うぅ…………」
この部屋の状況とセツナの態度に気を取られ、先ほどまでの行き場のない憤りが次第に薄くなった頃、右側面から意識を取り戻した男の声がした。それに反応すれば、男は両腕両足が矢で射抜かれ、壁に磔にされていた。腹など、他の箇所にもいくつか同じ矢が刺さっている。
「ゴボ、ゴボッ……お、お前ら……何者、だ」
男は痛みに苦しみながらもこちらを睨んできた。
「敗北者に語る言葉などない」
「こ、こんなことして、ただで済むと……思う、な……。俺は、ノートリアス幹部、ゼカード様の……直属なんだ……その辺で、転がって……るような奴らとは、違う。ゼカード様を前に、お前たちは……瞬きする間に、あの世行き、だ……ゴボッ……」
矢傷からだけでなく、男は苦しそうに口からも血を吐き出した。
「はぁ。他力本願すぎ。道理でどいつもこいつも弱いわけだ」
「なっ……てめぇガキのクセに、調子のってんじゃ……」
「ゼカードがなんだか知らねぇがよ、お前こそなんか勘違いしてんじゃねぇか?」
俺は右手を前に突き出し、白氣を掌へ集中させる。そして形成された手のひらより一回りほど大きい氣弾を男の足下の床へと放った。
大きな音と衝撃が響き、着弾地点は大きく穴が空いていた。
「お前の命は俺たちの手中にある。どんな態度で接すればいいかなんざ、皆まで言わなくてもわかるよなぁ?」
「……チッ……」
「それでいい。んで、守護叡団に突き出す前に聞きてぇんだが、あの地下牢はお前らの趣味か?」
「ぶっ……ハハハハハハハハハハッッ!!」
痛みなどないかのように、突然高らかに笑い出した。面白おかしいと言わんばかりだ。
「「…………」」
頭がおかしいとしか思えない男の様子に、俺もセツナも黙ったまま見据えていた。
「はーあっ。あのゴミ処理場に入ったのかよ、お前。ペッ!クッセーなぁぁ!!」
吐き捨てたものが赤い唾なのかはたまた血液なのかはわからないが、目の前のこいつは口角を釣り上げ、見下すような視線を送ってきた。
ドス黒い何かが俺の中で生まれた気がした。
「……あの子の四肢を切り落としたのはなぜだ?」
「あ?あの子ってどいつ…………あーあー、思い出した。あの鳴き声ひとつ上げねぇくそつまらんガキか」
ピキッ。
身体の奥底で、ドス黒い波が押し寄せたせいか、ガラス玉に亀裂が走ったような感覚がした。
「なあ、聞いてくれよ。あのガキ、捕まえた時はぎゃあぎゃあ喚いて面白かったってのに、いざ拷問し始めたら、途端に声を押し殺すようになってさー。しかも、一度も恐怖に怯えることなく、『助けが絶対来るんだ!だから我慢しなきゃ!』みてぇな面してこっちを見やがるもんだから?俺が直々に処罰を与えてやったってわけ。まずは右足をスパーンッと斧で叩き切った。あの骨の固い感触が伝わってたまんねぇんだよなぁぁ。それでも俺を睨んできやがるから?不揃いだったから左足も取り払ってやったわけよ。俺ってば親切だろ?ノコギリでじわじわ切り落とすあの感覚もたまんねぇんだぁぁぁ。それがスッゲー楽しくなっちまって?いつのまにやら両腕ももぎ取ってたわ。ハハハハハハハハハッッッッ!!!」
パリンッ!
ドス黒い波が身体中を飲み込んだ。そして何かが完全に壊れる音が聞こえた気がした。
「殺すなって言われてなけれゃあ、もっといろいろ……」
「黙れよ」
グシャッ。
鈍く生々しい……人間の頭骸骨を粉砕した感触が、白氣を纏った拳から伝わってきた。
「ぶぐへっ!」
子どもをいたぶったことを思い出し恍惚な表情を浮かべて興奮気味に身体を震わしていたクズは、顔をありえないほどに凹ませた上に、何枚もの壁を轟音とともにぶち抜きながら吹っ飛んでいった。
拳を下ろし、ボロボロと瓦礫や石屑が崩れる先を睨む。
「クズが……お前は地獄行きだ」
ノートリアスからクロエを奪還した俺たちは、エルの紹介があった薬屋クマックへと向かった。カズハには近くで待機するように伝えていた守護叡団『エウロス』の叡団員らに、正確なノートリアスのアジトの場所を伝えに行ってもらった。エウロスは黒豹の亜人エヴァン=ブレイブが叡団長を務め、今回の誘拐事件終息のためにここスターライトに滞在していた。
面倒な事後処理はこの国のやつらに任せるのが手っ取り早い。それに俺たちの戦いはここで終わりってわけじゃねぇんでな。
「様子はどんなもんだ、ばあさん」
「……端的に言おう。説明し難いほどに、ひどい。誰が見てもまだ息をしているのが不思議だと思うくらいにはね」
「そうか」
緊急治癒を受けてふかふかのベッドで眠るクロエは、まるですでに死んでいるかのようにほとんど生気が感じられない。治癒されてもなお、死にかけの状態から脱したかどうかも、視覚的にはわからない。
絶対安静なことは目に見えている。
「ただ救いがあるとすれば、これ以上悪化して死に至るようなことにはならないことさ。この国一の薬師ベアリーヌとその孫ベアドルがいるからね」
「おうよ!!……ァイテッ!」
大男ベアドルの肩をベアリーヌが勢いよく叩いた。
「馬鹿たれ。声がでかいよ!」
「だからってそんな強くぶたなくてもいいだろ」
痛みが引かない肩を気にして肩を触るベアドルを横目に、セツナとリュウへと向き直る。
「ふぅ。とりあえず一安心だ。だが、わかってると思うがまだ俺たちにはやることがある。のんびりくつろぐ時間はまだまだ先だ」
「ノア兄ちゃんのとこ、行く」
「暇は嫌いだからちょうどいい。あんたが合流する前に全て片付ける」
「頼もしい限りだぜ、お二人さん。わかってると思うが、守護獣団からの情報で、ムースの別荘と思しき屋敷にまだ子どもたちがいる可能性がある。だから先にそっちに向かってくれ」
もしかしたらノアたちもまだ屋敷までたどり着いてない可能性があるからなぁ。
二人が部屋から出るのを見送り、まだ苦しそうに小さく呼吸を続けるクロエに近づく。近くの椅子に腰掛け、額にある濡れタオルに触れる。
もうあたたかくなってんな。
タオルを取り、近くの水桶でタオルを洗い、軽く絞る。さっきまであった氷は全て溶けたらしく、この水もだいぶぬるくなった。
タオルの形を整え、クロエの額にそっと置いた。
「なあばあさん、この桶の水取り替えてくんねぇか」
「あれまあ、もう冷たくなくなっちまったか。ほらベアドル。あんたの出番だよ」
「はいはーい」
肩の痛みが引いたらしいベアドルは、ひょいっと水桶を取り、この部屋を出て行った。
「改めて聞くんだがよ、この子どもがこんな状態でも今まで生きてたのは……」
「死ぬか死なないか、ギリギリのところで生かしていたからだろうね。人質としての価値があったなら、殺すわけにはいかないから。だからって、最低限の処置がされてるってだけ。まともな治癒はされてない。あと数週間、いや下手したら数日で息を引き取ってもおかしくはなかっただろうね」
「そう、だよな……やっぱ…………はぁ……」
どうにも、こういうちっさいガキが苦しんでる姿ってのは苦手だ。ガキには笑顔が一番だろ。
……とはいえ、俺も感傷に浸ってる暇はない。
「…………」
ほんの少し、呼吸が落ち着いてきたクロエ。ついさっきまでの苦悶な表情も、どことなく和らいでいるようだった。
……行くか。
気持ちを固め、椅子から立った。
「わりぃな、嬢ちゃん。できれば目を覚ますまでついてやりてぇが、あいにく俺にも守んねぇといけねぇやつらがいてな。あとはこのばあさんが見ててくれっから、安心して寝てな」
優しく、さっと頭をひと撫でした……その時だった。
「ん……んん……」
目が、開いた。
「……!」
俺は安堵よりも驚きが勝ち、触れていた手を引っ込めた。
「……ここ………カナ…………カイ…………」
茶色の天井を見つめながら、掠れ掠れに何かを呟く。
「私は水を取ってくるから、すまないけど少し見ててやってくれ」
「お、おう」
口早に言われ、俺は再び椅子に座ることになってしまった。あいつらのとこに行くのはもう少し先になりそうだ。
「ったく、あのバカ孫はいつになったら戻ってくるんだい。ただ桶の水を取り替えるだけだろうに」
文句を垂れつつ、急ぎ足でばあさんは部屋を出て行った。
「わりぃな。カナタもカイトもここにはいねぇ。代わりが俺じゃ不服だろうが、我慢してくれ。近いうちに必ずーーー」
「あい……たい……」
「……!」
虚な目で呟いたその一言が、妙に耳に残った。
普通ここまでひどい有様にされれば、切断された四肢の激痛に苦しみ、何もできない身体になってしまったことに絶望して、未来を諦めるだろう。それに、目の前の重傷人はまだ子どもだ。泣き喚いたっておかしくない。なんならそれが普通だ。
なのにこの子どもは、カナタとカイト、二人の仲間に会いたいっつう希望を、真っ先に口にしやがった。
どれほど監禁されてたかは知らねぇが、確実に自分の願いは届かないと悟ってしまうほどの痛みと恐怖は与えられてる。四肢をもがれ、あのドブのような牢屋でただひたすら助けが来るのを信じる、だぁ?はっ、バカげてるぜ。
「……ある意味バケモンだぜ?お嬢ちゃん」
どんな胆力してんだよ、この子どもは。まるでうちのリーダー様みてぇじゃねぇの。
「カナ、タ……カイ……ト…………あ、い……たい……な…………」
まだ完全に覚醒したわけじゃねぇんだろう。それでも、希望を胸にここまで耐えた。
賞賛に値するぜ、まったく。
「よくがん……っ……」
手を握ろうと腕を伸ばし、気づく。忘れていたわけではないのに、頭から抜けていた。握れるはずの手は、そこに本来あるはずの手は、すでに奪われているのだと。
俺は空中で手持ち無沙汰となった手を少し見つめて下ろした。
「頑張ったな、本当に」
そう言葉をかけた瞬間、クロエの首がゆっくりとこちらに傾いた。
「……誰?」
虚だった目が、一筋の光を帯びてこちらを覗き込む。
「起きたみてぇだな。俺は秀。お前と同じで冒険者をやってる」
「ぼ……けん、しゃ……っ!カ……タ、と……イト、は……?!」
クロエはハッとしたように、今出せる限りの大声を出した。
「ここにはいねぇ。けど、なるべく早く会わせてやる。必ずだ」
「生き、てる、の……?」
「ん?おう。ただ、元気ってわけじゃ……あーいや、めっちゃ生きてるぜ、あいつら。こないだ会ったし、間違いねぇよ」
予想外の質問に驚き、つい本当のことをいいそうになった。ここで不安を煽るのはよくねぇ。せめて心くらいは穏やかでいさせてやりてぇ。
つか、我ながらめっちゃ生きてるってどんな言葉だよ。
「そ、か……よか……た、ぁ…………」
閉じた目の端から流れ落ちる一粒の涙と心底安堵したような笑顔が、俺の両の目に曇りなく飛び込んできた。
ああ、どうやら俺の勘は正しかったらしい。この子は間違いなくノアと同じだタイプの人間だ。自分は二の次で仲間が最優先。自分が死のうと自分の大切な人間が生きてれば幸福だと、本気で思ってやがる。
そんな厄介な気質の持ち主を守らなきゃならねぇ俺からすれば、誇りに思う反面、自己犠牲を視野に入れるのはやめてくれと懇願したいところだ。
とはいえなんだかんだ、笑顔になってくれたのは嬉しい限りだ。やっぱガキに似合うのは笑顔だって相場が決まってんだからよ。
「はぁ。あいつはほんっとに……」
扉の開閉音とともに背後からため息混じりの声がした。
「ああ、ばあさん。遅かったな。……嬢ちゃん、この人がお前を治癒したんだ。怪しい奴じゃねぇから安心しな」
ばあさんは俺とはベッドの反対側に立ち、慎重にクロエの身体を起こした。
「辛いかもしれないけど我慢してくれ。水も栄養も、あんたには全くもって足りてないんだ。食事は今薬膳粥を孫が作ってる。まずはこの水を飲んでくれるとありがたい」
ばあさんはクロエの了承を得つつ、口にコップを当て、ゆっくりと流し込んだ。途中、咳き込まないように何度か流し込むのを止め、クロエのタイミングで飲めるように配慮していた。
ベアドルへの対応とは大違いだ。さすがに薬師をやってるだけある。
「あとでまた水を飲ませるけど、今みたいになるべく拒否はしないでほしい。それから薬膳粥はーーー」
ばあさんは丁寧にクロエの状態や今後どう治癒していくかについて説明した。その間、クロエは戸惑うことなく黙って話を聞いていた。
「ーーーわかったかい?」
「……あの、ひとつ、コホッ……お願いしたいことが、あって」
喉が潤ったおかげか、先ほどよりはクリアにその声が耳に届いた。多少出しづらそうではあるが。
そんなクロエはばあさんではなく、俺の方へ顔を向けた。
「冒険者さん。わたしを、二人のとこに、連れてって」
「…………」
長い髪から除く目が俺の瞳を真っ直ぐに捉える。その目にはえもいわれぬ迫力があった。まだガキのくせに、気迫はまるでベテランの冒険者のようだ。
そうか。そうだよなぁ。
俺は一度目を閉じ、思考を逡巡させる。そしてひとつの結論を出した。
「何言ってんだい?!あんたは絶対安静だよ!今このベッドを出るなんて自殺行為でしかーーー」
「俺からも頼めねぇか、ばあさん」
戸惑った目を真っ直ぐに見つめる。
「あんたまで何を……!わかってるはずだよ。この子はついさっきまで死の瀬戸際にいたんだ!ようやく快復の兆しが見えてきてるってのに、今治癒を中止するのはーーー」
「わーってるよ、んなことは。ただ俺はこいつの心根に負けたっつうか、惚れたっつうか……とにかくだ、嬢ちゃんとあいつらを一刻も早く会わせてぇんだわ。そして本当の保護者どもと一緒に、俺が責任を持ってここに連れ帰る。薬師からすれば到底許可できる話じゃねぇだろうが、これはそういう次元の話じゃねぇんだ。……こいつの気持ちを、心を、汲んでやってはくれねぇか」
両膝に手を置き、誠心誠意の言葉とともに深々と頭を下げた。
「…………はぁ。私もヤキが回ったかねぇ」
上方からばあさんの諦めたような声がした。表情はわからずとも、治癒師としてではなくここにいるただの人としての情を優先したと、そう肌で感じ取った。
「恩に着る」
頭は決して上げない。それだけこの行為は罪深いことだと、薬師に対する侮辱に当たると自覚しているから。
「……ったく、いつまで頭下げてんだい、あんたは。早く会わせたいんだろ?とっとと準備しな!」
ドンッと肩に強い衝撃が走った。頭を上げれば、ばあさんは「私も最低限のマニュアルと治癒用の物は用意してやるさ」と言い、部屋を出て行った。
「ははっ。頼りになりすぎだろ」
「……そんなこんなでここまであのお姫様を送り届けたっつうわけだ。説明はこんなんでよかったか?」
「おう。十分、十分。やっぱ秀に任せてよかったわ」
ノアは両手を地面につけ、リラックスするように足を伸ばして夜空を見上げた。
「お、やっと月が見えたなー。曇ってると余計に暗くなるから、視界もそうだけどなんとなく心もどよーんってなるんだよなー」
「ガル!」
「ぐへっ。お、重い……!」
しみじみと物思いに耽っていたノアの腹に、元気よく狼リオンがダイブした。唐突に襲ったその衝撃にバランスを崩し、ノアは地面へと倒れた。
「気が緩むのはわかるが、まだ事は終わってねぇんだ。ほどほどにしとけよ」
そう諫言しつつ、荒野となったここ一帯に悠然と佇む屋敷を一瞥する。
あの二人の戦闘力にはなんの心配もしてはいないが、加勢に行くべきか、少しは悩んでしまう。信頼は置いてるはずなんだがこればっかりはどうも気にしちまう。我ながら難儀な気質を持っちまったもんだ。
再びノアに目を向ける。じゃれ合う二人になごんだのも束の間、俺は思い出したようにノアの目前にとある物を突き出した。
「つか、ノア。早くポーション飲め」
「あ。忘れてた」
side 八神秀
「えー、また階段?しかも無駄にオシャレな螺旋形。こんなジメジメしてて息が詰まりそうなとこに……なんかもったいないねー」
「そうかもな。お、扉があるぞ」
変わらず薄暗い階段を降りてすぐに、周りの壁と同質であろう石の扉があった。色は壁と同じなため、四角く切り込みが入っていなければただの壁と見間違えそうだ。
「……開けるよ」
真剣な面持ちのカズハがゆっくりと扉を押す。身体を押し付けているのをみるに、ある程度体重をかけないと開かないらしい。
てことはつまり、ここに目当ての人物がいるのはほぼ確定だ。ほぼっつうか百パーセントこの先にいる。なんせ、ここにいることは事前情報としてもともと知ってたんでな。
『ゴゴゴゴゴゴゴ』
「うへー。何この扉、重すぎ!それに、コホッコホッ……砂煙がひどい!」
文句を垂れつつ、手を顔の前でパタパタとさせるカズハ。リュウはフードのおかげで直接被ってはないみてぇだが、フードが茶色く汚れていた。
「きったねぇな」
案の定俺の頭や肩に付着していた汚れども。それをサッと無造作に払い、この空間にしっかりと目を向けた。そこには、目を背けたくなるような悲惨な光景が広がっていた。
「……道理で血生臭いと思ったぜ」
中央は人が通るための通路。その両端にには鉄格子の牢屋が何ブロックかあった。ある一室には、引き裂かれた腹から臓物がなだれ落ちている死体が壁に寄りかかっており、またある一室には腕、足、胴、頭という風にバラバラにされたものが山のように積み上がっていた。それらの周りには無数の蛆が沸いており、自分の縄張りを主張するかのようにウヨウヨと蠢いていた。
まさに常軌を逸しているとはこのことだ。
「なに、これ……」
「ひどい……」
常識ではありえない光景をまじまじと見せつけられた二人は、当然絶句していた。
「あんま息は吸わねぇ方がいい。布で口と鼻を押さえろ。どんな病にかかってもなんら不思議じゃねぇ」
口もとを押さえたせいで声がくぐもったが、二人ともしっかりと聞き取ってくれたようだ。
環境衛生の整ってないこんな場所、数分いるだけでも危険だ。今更氣で自身の周りを覆っても病原体に俺たちはもう触れてしまった。入る前から準備してれば話は違ったが、こうなった以上、早急にこの部屋から出て身を清めねぇと。
「とにかく、クロエを……まあ、そうだよな」
一歩、また一歩と前へ進めば意識せずとも目に入った。
「クロエちゃん!」
牢屋に入らず外からその様子を見守れば、カズハが血相を変えて勢いよく中に入った。普通はこうもすんなりと牢屋には入れない。鍵をかけておかねぇと、人質が逃げちまうからなぁ。
だが、そんなことをせずともこの子どもには逃げる力なんて残っちゃいなかった。
「息は……よかった、してる。けど、焦点があってない。それにこんな…….」
カズハは腕で優しく包み込み膝に抱えた少女を悲痛な目で見つめた。吐き出される声も少し震えている。
命はある。だが物理的に動けない。なんせ人間誰しも持っている足なんざ、どこにも残っちゃいねぇんだから。
地に足をつけて歩く、そんな当たり前のことがこの子どもにはできねぇんだ。
「……この子ども、まだ十歳にもなってねぇだろ。リュウとそんな変わんねぇはずだ」
「これが、僕とおんなじ、人なの……?」
足がないってだけでもひでぇ話だってのに、目の前で辛うじて息をする小さな命には、そこに本来あるはずの腕もなかった。
「ああ、そうだ…………。感傷に浸ってる場合じゃねぇ。一刻も早くここから出て治癒院か薬屋に診てもらわねぇと」
「……わかってる」
俯いているカズハの表情までは窺い知れなかったが、歯をギリリと食いしばっていることだけはわかった。たとえこの子どもの手と足が奪われたのが俺たちがこの街に来る前だったとしても、カズハの心は自分を責めているんだろう。
全然間に合ってなんかない、なんでもっと早く助けられなかったのか、もっと何か自分にできることがあったんじゃないか、と。
合理的に動くなら、今すぐ、カズハを引っ張り上げてでも無理やり立たせて、この腐った部屋から全員出るべきだ。だが、ここに長居することが危険なことはカズハにもわかっているはずだ。
多少の心の整理の時間は与えてやるべき、か……。
「先行ってる。リュウはカズハについてやってくれや」
「うん」
どうしても立ち上がれない、動き出す一歩が踏み出せなくなっているカズハの横に、リュウはそっと座り込んだ。そして手入れもされず脂でギトギトしている、クロエの伸び散らかした髪を優しく撫でた。その表情にはおそらく、不快なものなど一切ないんだろう。
リュウを天使だ天使とよく騒ぐカズハの隣で寄り添うその姿は、黒いローブを着ているというのに、たしかに白い翼を広げた心優しい天使のようだと、柄にもなく思ってしまった。
「ハァァァ。胸糞悪ぃ」
五感の全てが拒否反応を起こした、ゴミのような空間を出て螺旋階段を登っていく。
確かに俺たちは目標だったクロエを発見し、連れ出すことになんなく成功するだろう。だが果たして、これが生きていると呼べるのか。良かった良かったと手放しで喜べるのか。
なんだろうなぁ。無性にイライラする。腸どころか内臓全てが、グツグツと煮え繰り返ってやがる。
「……はっ。やっぱ相手になんなかったか」
螺旋階段を上り終えた先、まず視界に入ったのはさっきより明らかに増えた横たわる敵の数。そして血痕。たいていの奴がどこかの部位がなくなっている。これは氣の矢を使いまくった証拠だ。それに壁や床に矢が刺さったにしては明らかにおかしいと思える、大きな穴が空いている。ずいぶんと通気性の良くなった部屋だ。
他に気になったのは岩壁にもある、他のやつと似た丸い空洞だ。もしかしなくても、敵がなかなか入ってこないもんで、痺れを切らしてセツナから仕掛けた結果の跡だろう。俺の術を破れるやつはおそらく、この組織内にはいねぇだろうからな。
そういや、戦闘音がほとんど聞こえてこなかったな。んー……というより、あの部屋の残酷さに気を取られて聴覚がうまく機能してなかっただけか?
「話にならない。仮にもノートリアスの一員なら、せめてドミニクと同程度の戦闘力は欲しい。でなきゃ私と対峙する価値がない。なのにここまで弱いんじゃ、何の糧にもなってない」
そう不満を漏らすセツナは、部屋の左側にある木箱に腰掛けており、つまらなそうに倒れ伏した敵を見下ろしていた。あちこちに血痕が付着しているが、セツナの服や肌にはほとんど付いていない。視認できるのは靴に付着している血の飛沫跡程度だ。
よくもまあこんな狭い部屋で……。
頭の回転が速くて?動きが俊敏且つ器用、ねぇ……。
「お前ってなんか、さ……ゴホンッ」
「は?何?」
「いやなんでもねぇわ」
あっぶねぇ。
猿みてぇだなって言いかけちまった。
これ言った日にゃぁ、ただでさえ首の皮一枚で繋がってるような関係がぷつんと切れて、二度と互いに言葉を交わさなくなる可能性しかねぇわ。あっちがどう思ってるかは知らねぇが、仲間として認めてる以上、下手なわだかまりを持つのは……できるだけ、避けたいところだ。
この目を凝らさねぇとわかんねぇほどほっせぇ糸が、なんだかんだでいくつも絡み合い紡ぎ合って、頑強な紐になることを祈るばかりだ。
「っ……うぅ…………」
この部屋の状況とセツナの態度に気を取られ、先ほどまでの行き場のない憤りが次第に薄くなった頃、右側面から意識を取り戻した男の声がした。それに反応すれば、男は両腕両足が矢で射抜かれ、壁に磔にされていた。腹など、他の箇所にもいくつか同じ矢が刺さっている。
「ゴボ、ゴボッ……お、お前ら……何者、だ」
男は痛みに苦しみながらもこちらを睨んできた。
「敗北者に語る言葉などない」
「こ、こんなことして、ただで済むと……思う、な……。俺は、ノートリアス幹部、ゼカード様の……直属なんだ……その辺で、転がって……るような奴らとは、違う。ゼカード様を前に、お前たちは……瞬きする間に、あの世行き、だ……ゴボッ……」
矢傷からだけでなく、男は苦しそうに口からも血を吐き出した。
「はぁ。他力本願すぎ。道理でどいつもこいつも弱いわけだ」
「なっ……てめぇガキのクセに、調子のってんじゃ……」
「ゼカードがなんだか知らねぇがよ、お前こそなんか勘違いしてんじゃねぇか?」
俺は右手を前に突き出し、白氣を掌へ集中させる。そして形成された手のひらより一回りほど大きい氣弾を男の足下の床へと放った。
大きな音と衝撃が響き、着弾地点は大きく穴が空いていた。
「お前の命は俺たちの手中にある。どんな態度で接すればいいかなんざ、皆まで言わなくてもわかるよなぁ?」
「……チッ……」
「それでいい。んで、守護叡団に突き出す前に聞きてぇんだが、あの地下牢はお前らの趣味か?」
「ぶっ……ハハハハハハハハハハッッ!!」
痛みなどないかのように、突然高らかに笑い出した。面白おかしいと言わんばかりだ。
「「…………」」
頭がおかしいとしか思えない男の様子に、俺もセツナも黙ったまま見据えていた。
「はーあっ。あのゴミ処理場に入ったのかよ、お前。ペッ!クッセーなぁぁ!!」
吐き捨てたものが赤い唾なのかはたまた血液なのかはわからないが、目の前のこいつは口角を釣り上げ、見下すような視線を送ってきた。
ドス黒い何かが俺の中で生まれた気がした。
「……あの子の四肢を切り落としたのはなぜだ?」
「あ?あの子ってどいつ…………あーあー、思い出した。あの鳴き声ひとつ上げねぇくそつまらんガキか」
ピキッ。
身体の奥底で、ドス黒い波が押し寄せたせいか、ガラス玉に亀裂が走ったような感覚がした。
「なあ、聞いてくれよ。あのガキ、捕まえた時はぎゃあぎゃあ喚いて面白かったってのに、いざ拷問し始めたら、途端に声を押し殺すようになってさー。しかも、一度も恐怖に怯えることなく、『助けが絶対来るんだ!だから我慢しなきゃ!』みてぇな面してこっちを見やがるもんだから?俺が直々に処罰を与えてやったってわけ。まずは右足をスパーンッと斧で叩き切った。あの骨の固い感触が伝わってたまんねぇんだよなぁぁ。それでも俺を睨んできやがるから?不揃いだったから左足も取り払ってやったわけよ。俺ってば親切だろ?ノコギリでじわじわ切り落とすあの感覚もたまんねぇんだぁぁぁ。それがスッゲー楽しくなっちまって?いつのまにやら両腕ももぎ取ってたわ。ハハハハハハハハハッッッッ!!!」
パリンッ!
ドス黒い波が身体中を飲み込んだ。そして何かが完全に壊れる音が聞こえた気がした。
「殺すなって言われてなけれゃあ、もっといろいろ……」
「黙れよ」
グシャッ。
鈍く生々しい……人間の頭骸骨を粉砕した感触が、白氣を纏った拳から伝わってきた。
「ぶぐへっ!」
子どもをいたぶったことを思い出し恍惚な表情を浮かべて興奮気味に身体を震わしていたクズは、顔をありえないほどに凹ませた上に、何枚もの壁を轟音とともにぶち抜きながら吹っ飛んでいった。
拳を下ろし、ボロボロと瓦礫や石屑が崩れる先を睨む。
「クズが……お前は地獄行きだ」
ノートリアスからクロエを奪還した俺たちは、エルの紹介があった薬屋クマックへと向かった。カズハには近くで待機するように伝えていた守護叡団『エウロス』の叡団員らに、正確なノートリアスのアジトの場所を伝えに行ってもらった。エウロスは黒豹の亜人エヴァン=ブレイブが叡団長を務め、今回の誘拐事件終息のためにここスターライトに滞在していた。
面倒な事後処理はこの国のやつらに任せるのが手っ取り早い。それに俺たちの戦いはここで終わりってわけじゃねぇんでな。
「様子はどんなもんだ、ばあさん」
「……端的に言おう。説明し難いほどに、ひどい。誰が見てもまだ息をしているのが不思議だと思うくらいにはね」
「そうか」
緊急治癒を受けてふかふかのベッドで眠るクロエは、まるですでに死んでいるかのようにほとんど生気が感じられない。治癒されてもなお、死にかけの状態から脱したかどうかも、視覚的にはわからない。
絶対安静なことは目に見えている。
「ただ救いがあるとすれば、これ以上悪化して死に至るようなことにはならないことさ。この国一の薬師ベアリーヌとその孫ベアドルがいるからね」
「おうよ!!……ァイテッ!」
大男ベアドルの肩をベアリーヌが勢いよく叩いた。
「馬鹿たれ。声がでかいよ!」
「だからってそんな強くぶたなくてもいいだろ」
痛みが引かない肩を気にして肩を触るベアドルを横目に、セツナとリュウへと向き直る。
「ふぅ。とりあえず一安心だ。だが、わかってると思うがまだ俺たちにはやることがある。のんびりくつろぐ時間はまだまだ先だ」
「ノア兄ちゃんのとこ、行く」
「暇は嫌いだからちょうどいい。あんたが合流する前に全て片付ける」
「頼もしい限りだぜ、お二人さん。わかってると思うが、守護獣団からの情報で、ムースの別荘と思しき屋敷にまだ子どもたちがいる可能性がある。だから先にそっちに向かってくれ」
もしかしたらノアたちもまだ屋敷までたどり着いてない可能性があるからなぁ。
二人が部屋から出るのを見送り、まだ苦しそうに小さく呼吸を続けるクロエに近づく。近くの椅子に腰掛け、額にある濡れタオルに触れる。
もうあたたかくなってんな。
タオルを取り、近くの水桶でタオルを洗い、軽く絞る。さっきまであった氷は全て溶けたらしく、この水もだいぶぬるくなった。
タオルの形を整え、クロエの額にそっと置いた。
「なあばあさん、この桶の水取り替えてくんねぇか」
「あれまあ、もう冷たくなくなっちまったか。ほらベアドル。あんたの出番だよ」
「はいはーい」
肩の痛みが引いたらしいベアドルは、ひょいっと水桶を取り、この部屋を出て行った。
「改めて聞くんだがよ、この子どもがこんな状態でも今まで生きてたのは……」
「死ぬか死なないか、ギリギリのところで生かしていたからだろうね。人質としての価値があったなら、殺すわけにはいかないから。だからって、最低限の処置がされてるってだけ。まともな治癒はされてない。あと数週間、いや下手したら数日で息を引き取ってもおかしくはなかっただろうね」
「そう、だよな……やっぱ…………はぁ……」
どうにも、こういうちっさいガキが苦しんでる姿ってのは苦手だ。ガキには笑顔が一番だろ。
……とはいえ、俺も感傷に浸ってる暇はない。
「…………」
ほんの少し、呼吸が落ち着いてきたクロエ。ついさっきまでの苦悶な表情も、どことなく和らいでいるようだった。
……行くか。
気持ちを固め、椅子から立った。
「わりぃな、嬢ちゃん。できれば目を覚ますまでついてやりてぇが、あいにく俺にも守んねぇといけねぇやつらがいてな。あとはこのばあさんが見ててくれっから、安心して寝てな」
優しく、さっと頭をひと撫でした……その時だった。
「ん……んん……」
目が、開いた。
「……!」
俺は安堵よりも驚きが勝ち、触れていた手を引っ込めた。
「……ここ………カナ…………カイ…………」
茶色の天井を見つめながら、掠れ掠れに何かを呟く。
「私は水を取ってくるから、すまないけど少し見ててやってくれ」
「お、おう」
口早に言われ、俺は再び椅子に座ることになってしまった。あいつらのとこに行くのはもう少し先になりそうだ。
「ったく、あのバカ孫はいつになったら戻ってくるんだい。ただ桶の水を取り替えるだけだろうに」
文句を垂れつつ、急ぎ足でばあさんは部屋を出て行った。
「わりぃな。カナタもカイトもここにはいねぇ。代わりが俺じゃ不服だろうが、我慢してくれ。近いうちに必ずーーー」
「あい……たい……」
「……!」
虚な目で呟いたその一言が、妙に耳に残った。
普通ここまでひどい有様にされれば、切断された四肢の激痛に苦しみ、何もできない身体になってしまったことに絶望して、未来を諦めるだろう。それに、目の前の重傷人はまだ子どもだ。泣き喚いたっておかしくない。なんならそれが普通だ。
なのにこの子どもは、カナタとカイト、二人の仲間に会いたいっつう希望を、真っ先に口にしやがった。
どれほど監禁されてたかは知らねぇが、確実に自分の願いは届かないと悟ってしまうほどの痛みと恐怖は与えられてる。四肢をもがれ、あのドブのような牢屋でただひたすら助けが来るのを信じる、だぁ?はっ、バカげてるぜ。
「……ある意味バケモンだぜ?お嬢ちゃん」
どんな胆力してんだよ、この子どもは。まるでうちのリーダー様みてぇじゃねぇの。
「カナ、タ……カイ……ト…………あ、い……たい……な…………」
まだ完全に覚醒したわけじゃねぇんだろう。それでも、希望を胸にここまで耐えた。
賞賛に値するぜ、まったく。
「よくがん……っ……」
手を握ろうと腕を伸ばし、気づく。忘れていたわけではないのに、頭から抜けていた。握れるはずの手は、そこに本来あるはずの手は、すでに奪われているのだと。
俺は空中で手持ち無沙汰となった手を少し見つめて下ろした。
「頑張ったな、本当に」
そう言葉をかけた瞬間、クロエの首がゆっくりとこちらに傾いた。
「……誰?」
虚だった目が、一筋の光を帯びてこちらを覗き込む。
「起きたみてぇだな。俺は秀。お前と同じで冒険者をやってる」
「ぼ……けん、しゃ……っ!カ……タ、と……イト、は……?!」
クロエはハッとしたように、今出せる限りの大声を出した。
「ここにはいねぇ。けど、なるべく早く会わせてやる。必ずだ」
「生き、てる、の……?」
「ん?おう。ただ、元気ってわけじゃ……あーいや、めっちゃ生きてるぜ、あいつら。こないだ会ったし、間違いねぇよ」
予想外の質問に驚き、つい本当のことをいいそうになった。ここで不安を煽るのはよくねぇ。せめて心くらいは穏やかでいさせてやりてぇ。
つか、我ながらめっちゃ生きてるってどんな言葉だよ。
「そ、か……よか……た、ぁ…………」
閉じた目の端から流れ落ちる一粒の涙と心底安堵したような笑顔が、俺の両の目に曇りなく飛び込んできた。
ああ、どうやら俺の勘は正しかったらしい。この子は間違いなくノアと同じだタイプの人間だ。自分は二の次で仲間が最優先。自分が死のうと自分の大切な人間が生きてれば幸福だと、本気で思ってやがる。
そんな厄介な気質の持ち主を守らなきゃならねぇ俺からすれば、誇りに思う反面、自己犠牲を視野に入れるのはやめてくれと懇願したいところだ。
とはいえなんだかんだ、笑顔になってくれたのは嬉しい限りだ。やっぱガキに似合うのは笑顔だって相場が決まってんだからよ。
「はぁ。あいつはほんっとに……」
扉の開閉音とともに背後からため息混じりの声がした。
「ああ、ばあさん。遅かったな。……嬢ちゃん、この人がお前を治癒したんだ。怪しい奴じゃねぇから安心しな」
ばあさんは俺とはベッドの反対側に立ち、慎重にクロエの身体を起こした。
「辛いかもしれないけど我慢してくれ。水も栄養も、あんたには全くもって足りてないんだ。食事は今薬膳粥を孫が作ってる。まずはこの水を飲んでくれるとありがたい」
ばあさんはクロエの了承を得つつ、口にコップを当て、ゆっくりと流し込んだ。途中、咳き込まないように何度か流し込むのを止め、クロエのタイミングで飲めるように配慮していた。
ベアドルへの対応とは大違いだ。さすがに薬師をやってるだけある。
「あとでまた水を飲ませるけど、今みたいになるべく拒否はしないでほしい。それから薬膳粥はーーー」
ばあさんは丁寧にクロエの状態や今後どう治癒していくかについて説明した。その間、クロエは戸惑うことなく黙って話を聞いていた。
「ーーーわかったかい?」
「……あの、ひとつ、コホッ……お願いしたいことが、あって」
喉が潤ったおかげか、先ほどよりはクリアにその声が耳に届いた。多少出しづらそうではあるが。
そんなクロエはばあさんではなく、俺の方へ顔を向けた。
「冒険者さん。わたしを、二人のとこに、連れてって」
「…………」
長い髪から除く目が俺の瞳を真っ直ぐに捉える。その目にはえもいわれぬ迫力があった。まだガキのくせに、気迫はまるでベテランの冒険者のようだ。
そうか。そうだよなぁ。
俺は一度目を閉じ、思考を逡巡させる。そしてひとつの結論を出した。
「何言ってんだい?!あんたは絶対安静だよ!今このベッドを出るなんて自殺行為でしかーーー」
「俺からも頼めねぇか、ばあさん」
戸惑った目を真っ直ぐに見つめる。
「あんたまで何を……!わかってるはずだよ。この子はついさっきまで死の瀬戸際にいたんだ!ようやく快復の兆しが見えてきてるってのに、今治癒を中止するのはーーー」
「わーってるよ、んなことは。ただ俺はこいつの心根に負けたっつうか、惚れたっつうか……とにかくだ、嬢ちゃんとあいつらを一刻も早く会わせてぇんだわ。そして本当の保護者どもと一緒に、俺が責任を持ってここに連れ帰る。薬師からすれば到底許可できる話じゃねぇだろうが、これはそういう次元の話じゃねぇんだ。……こいつの気持ちを、心を、汲んでやってはくれねぇか」
両膝に手を置き、誠心誠意の言葉とともに深々と頭を下げた。
「…………はぁ。私もヤキが回ったかねぇ」
上方からばあさんの諦めたような声がした。表情はわからずとも、治癒師としてではなくここにいるただの人としての情を優先したと、そう肌で感じ取った。
「恩に着る」
頭は決して上げない。それだけこの行為は罪深いことだと、薬師に対する侮辱に当たると自覚しているから。
「……ったく、いつまで頭下げてんだい、あんたは。早く会わせたいんだろ?とっとと準備しな!」
ドンッと肩に強い衝撃が走った。頭を上げれば、ばあさんは「私も最低限のマニュアルと治癒用の物は用意してやるさ」と言い、部屋を出て行った。
「ははっ。頼りになりすぎだろ」
「……そんなこんなでここまであのお姫様を送り届けたっつうわけだ。説明はこんなんでよかったか?」
「おう。十分、十分。やっぱ秀に任せてよかったわ」
ノアは両手を地面につけ、リラックスするように足を伸ばして夜空を見上げた。
「お、やっと月が見えたなー。曇ってると余計に暗くなるから、視界もそうだけどなんとなく心もどよーんってなるんだよなー」
「ガル!」
「ぐへっ。お、重い……!」
しみじみと物思いに耽っていたノアの腹に、元気よく狼リオンがダイブした。唐突に襲ったその衝撃にバランスを崩し、ノアは地面へと倒れた。
「気が緩むのはわかるが、まだ事は終わってねぇんだ。ほどほどにしとけよ」
そう諫言しつつ、荒野となったここ一帯に悠然と佇む屋敷を一瞥する。
あの二人の戦闘力にはなんの心配もしてはいないが、加勢に行くべきか、少しは悩んでしまう。信頼は置いてるはずなんだがこればっかりはどうも気にしちまう。我ながら難儀な気質を持っちまったもんだ。
再びノアに目を向ける。じゃれ合う二人になごんだのも束の間、俺は思い出したようにノアの目前にとある物を突き出した。
「つか、ノア。早くポーション飲め」
「あ。忘れてた」
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