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二、螢華国
二百十六、裏切り者、イスハーク(3)
しおりを挟む――水、飲ませてやろうか? 口移しで――
アルの提案は、僕を赤面させるに十分だった。
「あ、アル!?」
嬉しいような、恥ずかしいような。
あわあわと目を回している僕に、アルは噴き出した。
「冗談だ。半分本気だが。今はこれで我慢しておく」
アルは、僕の額にそっと触れるだけの口付けを落とした。
柔らかな感触に、アルが僕を慮ってくれている感情が伝わってくる。
「アル……」
「深刻に考えることはない。何よりも、今は元気になることだな」
「ありがとう――僕、もう駄目かもって思ってしまって」
「大丈夫だ。大船に乗ったつもりで、気楽にしていろ。そして、よく休むことだ。さあ、長居してしまった。また様子を見に来るから、少し眠るといい」
用意された冷たい水を、飢えた旅人のように飲み干した。
火照った身体に一筋の水が下っていく。
漸く落ち着いた僕は、ひと眠りすることにした。
アルが来てくれて安心したとはいえ、やはりまだ熱が高い。
今は回復に努めるのが良いだろう。
身体は疲れていて、深い水底に攫われるように、すぐに眠りに落ちていった。
* * *
「何をしている?」
アスアドは、柚の私室となっている春霞殿の房室の入口に、背中を預けたまま問うた。
「イスハーク」
柚の溶けた氷嚢を取り換えていたらしい。
アスアドの言葉に、ハッとしたイスハークは腰を浮かせ警戒心を見せた。
「内密に柚を看病しにやって来るぐらいなら、最初から裏切らなければ良いものを」
呆れた声で、扉口に背を預けたまま、アスアドは腕を組む。
一言も発しなかったイスハークは、押し殺したような声音で告げた。
「私は決して……アスアド様に背いたわけではございません」
「ふぅん。ならば、どうして逃げる必要がある? 昨夜も柚が伏せっている間、一体何処に居た」
「それは……」
「言えぬのだな」
「申し訳もございません。……しかし、私は、誓って国益を損ねてはおりません。バハルの為を思い……!」
イスハークの必死の弁解に、しかし、アスアドは氷のような視線を向けた。
「国益かどうかは、俺が判断する。寧ろそんなことはどうでも良い。柚を悲しませるなと言っているのだ」
イスハークは、恥じ入るように下を向く。
「申し訳、ございません」
「なら、すぐにこちらに戻れるな? お前が一緒でなくてはバハルに帰れぬと柚が言っていたぞ。どうするつもりだ」
「勝手を申しているのは、承知しております。しかし――少しお時間をいただけないでしょうか」
「裏切者に時間をやる馬鹿が何処に居る」
「仰る通りです。しかし、それを承知で――」
丁々発止のやり取りの中、不意に一瞬の沈黙が流れた。
「――俺を、謀るつもりではあるまいな。イスハーク」
「この身は、幼い頃にアスアド様に忠誠を誓ったものでございますれば」
「断じて、柚のことも俺のことも裏切っていないと?」
「――神に誓って、アスアド様や柚様を裏切るなどということはございません」
アスアドは深い溜め息を吐いた。
「わかった。なら、なるべく早くその用事を済ませて来い。柚には言っておく。これ以上落胆させることは許さん。
もし今の発言が嘘であれば、俺直々にお前を斬り捨てに行くことになる。良いな」
イスハークは深々と拱手した。
「神の思し召しのままに」
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