不運な花嫁は強運な砂漠の王に愛される

shio

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八十、王の器(6)

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 ――アスアドは、アスアドではなかった。

 僕はきっと、怪訝けげんな、それでいでまだ飲み込みが悪い顔つきをしていただろう。

 赤髪の城主は、すべてを悟ったかのように、深い溜め息を吐いた。

「あーあ。こんなふうにバレるなんてね。折角上手くいったと思ったのに。――アスアド。初めから、僕を陥れるつもりだったのかい?」

 ひどい傷を負った狼が、それでも尚、牙を剥くかのように、ナースィフはアスアドを鋭い目つきで見据えた。

 アスアド、と呼ばれたアルは、項垂うなだれる。

「そんなつもりは、なかったんだ。……本当に。俺の責任だ。処遇は、如何様いかようにも受ける。――だが、ナースィフ。俺は、柚を傷つけろとは、決して言っていない。それは――お前の罪だ」

 ナースィフは、アルを睥睨へいげいする。
「へぇ……」

 寝台の枕の下から、ナースィフは素早く短剣を取り出した。
 飾り紋章のある、刃渡り三十センチもない小刀だ。
 
「ナースィフ殿……っ!」
 一番傍に居たイスハークが叫ぶ。

 ナースィフは寝台に居る僕を殺そうというのだろうか。
 それとも自害しようというのだろうか。

 ナースィフの真上。
 振りかぶられた刃は、真下を向いている。
 誰を害そうとしているのか、わからない。

 まるで神が地上にその刃を突き立てようとしているかのようで。

 世界ごと、壊そうとしているかのように見えた。


 僕は未だ手首の拘束はそのままで、身を起こすことすら困難だ。

 神のいかづち
 
 聖書の一節を、目の前で実際に見ているかのようだった。
 
 ――主と争うものは粉々に砕かれるであろう、主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、地のはてまでもさばき、王に力を与え、油そそがれた者の力を強くされるであろう。(旧約聖書:サムエル記上:二章:十節)

 くして、神は雷を地上に落とそうとした。
 しかし、その雷が、人々のところに届くことはなかった。

 代わりに、雨が降った。

「――アル……っ! 血が……!!」
 僕の口から悲鳴にも似た言葉がれる。
 地上に降る血雨けつうは、ぼたぼたとシーツを赤く染め上げていく。

 ナースィフの振るったとおぼしき力は、しかし、真のアスアドによって防がれた。

 まことの神は――この世をべる神は、自らが傷つくことを選んだのだ。

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