冷たい桜

shio

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第一章

三、冬の青と依頼人

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 誰かが叫んでいる。金切り声、桜、死体、嵐。めまぐるしく変わる景色の中で、上島だけがその場所に居た。

 自分はその場所に立っているだけなのに、辺りは上島にお構いなしにその色を変え、形を変え、上島に迫ってくる。

 その映像は伸び、縮み、何の脈絡もなく移り変わっていく。まるでテレビの映像が、大画面で周りを取り巻いているような、妙な、それでいて気味の悪い夢だ。

そして唐突に静かになった。轟音の後の静寂。水滴を一つ落としても、その音が聞こえそうな沈黙に変わる。

 上島がゆっくりと視線を上げると、いっそ寒々しいほどの青い空が広がっていた。雲は殆どなく、何の建物も見えない。

「サボりですか? 上島勇朔くん」

 唐突に声が掛けられた。慌てて振り向くと、学生服―学ランを着た、神楽が居た。そこで、ああ、これは夢なのだな、と上島は思う。

 神楽の視線の先には、同じく学ランを着た上島が居た。途端に辺りの景色は写真のようにしっかりと色づき始める。灰鼠色のそっけないコンクリートの床と壁、年代ものの球形の給水タンク。ここは屋上だ。緑色のフェンスに囲まれたそこは、高校時代の上島の指定席だった。

「委員長こそ、何してんだよ」
 ぶっきらぼうな声で、今より数段幼い上島が煙を吐いた。――煙草を吸っているのだ。それを特に咎める様子もなく、神楽は微笑んで、上島に近付いた。

「いや、僕もサボりですが?」

 今でこそ、神楽と一緒にいることも多いが、高校入学当初は、上島は神楽のことが苦手だった。いつも何があってもニコニコしていて気味が悪かったのだ。神楽は頭はすこぶる良かったし、性格も良く、スポーツも出来た。

 何しろ顔も良かったので、クラスメイト、教師共に慕われているようだった。私立の名門と名高い蓮南付属に相応しい逸材であることは、本人も周りも承知していただろう。だが、当の神楽自身は、自分の価値など気に留めてもいないようだった。

 皆の憧れの人となりながら、誰とも距離をおいて付き合っていたようだ。上島は、いつも皆の中心にいる神楽をそう分析していた。柔和な表情だが、誰に対しても敬語を使う。そのことが、神楽の周囲へのバリアーの証だと思った、

「委員長がサボりか。――よく言うぜ」
 高校時代の上島は、幾分荒んだ気分でフェンスの外を眺めた。おそらく、単なるサボりではないと上島は直感していた。

 この男は、そういう人間ではない。こいつには、空白の時間など存在しない。自分の利にならないことはしないタイプの男だ。上島はそう踏んでいた。ここに来たのも、何か用事があるのだろう。

「今のうちのクラスの授業は何だ」
「二限目ですから……国語ですね」
 神楽は地味だが高価そうな腕時計を見ながら、上島に告げる。

「あ、そ。で、何の用だ?」
 国語という科目名を聞いて、上島は自分の考えが間違っていなかったことを証明したように思った。ごく一般的な考え方ではあるが――

 何か用事があるとき、数学、国語、物理、日本史、体育などの科目からフケるものを選ぶなら、国語だろう。体育など出なくても一向に構わないが、あれは出席を重視する科目だ。音楽などもそうだから、五教科七科目のうち、一番抜けても影響のないものがあるとすれば、それは残念ながら国語だった。

「俺に何か用なんだろ? そうじゃなければ、わざわざ委員長様が授業をフケてくるはずがないもんな」

 上島は、皮肉っぽく言い、紫煙を風に飛ばせた。高校時代の上島は、世の中を斜めから見ていた。斜めどころではなかったかもしれない。見るもの全てを拒み、批判し、この世はどうせろくでもないのだと、一人荒んでいた。

 高校生ならよくあることかもしれなかったが、上島のそれは、普通とは少し違っていた。小学校以前の記憶と、家族の記憶がない。それなのに、普通に暮らせということは、到底不可能だったのだ。

 家は使用人がいるほどの金持ちで、学校は私立の蓮南付属と聞けば、裕福で何一つ不自由のないお坊ちゃまだと言われる。しかし蓋を開けてみれば、そこは家族という繋がりのない「出資者」と、記憶のない少年が一人居るに過ぎなかった。本当はそうではなかったかもしれないが、上島にはそう見えていたのだ。

 けれど今から思えば、よくそれぐらいのことで済んだと思う。学校には休みがちだが行っていたし、大学も受けた。犯罪も起こさなかった。――――自分を褒めてやりたいぐらいだ。

「ひどいなぁ。僕が、用がなければ、君に話しかけないみたいじゃないか」
 神楽は皮肉られていることに気付いていながら、それでも顔色一つ変えなかった。

「事実だろ」
 今まで神楽に話しかけられたことはない。高校に入学してから一ヶ月。神楽の名前と人となりを承知していたのは、一重に彼が有名人だからに他ならない。

「特に用があって来たわけではありません。たまにはサボりたくなるときだってある。……上島くんだって、そうじゃありませんか?」
 上島は、疑わしそうな目で神楽を見た。

「それより、その敬語を止めろ。背中がむずむずする」
 それに、神楽ほどの人物に、畏まって「上島くん」などと呼ばれるのは何だか嫌だった。神楽はくすくすと笑う。上島はその様子を見て、顔を顰めた。

「お前、本当は性格悪いだろ」
 上島自身も、口からつるりと出てしまった言葉だった。別段、他意があって言ったわけではない。紛れもない本心には違いなかったが、初対面同然の相手に向ける言葉ではなかったことに、後から気付いた。

 クラスの「委員長」で、生徒からの「人気者」で、「次期生徒会長」と言われている者に、悪口を言う奴などいないのだ。神楽は目を丸くしている。さあ、怒るか、馬鹿にするか―と苦く思った時、隣で爆笑が聞こえた。今度は上島が目を丸くする番だった。

「上島くんって……正直、なんで、すね……っ」
 発声が途切れ途切れなのは、神楽が身をくの字に曲げるほど爆笑しているからだ。ひとしきり笑うと、神楽は至極愉快そうに、その身を起こした。息を整えるように、深く深呼吸をする。

「久しぶりにこんなに笑いました」
 目尻の涙を拭うと、神楽はにっこりと笑った。

「敬語がそんなに嫌ですか?」
 上島はその視線から目を逸らすように横を向く。
「ああ、嫌だね。特に同年代から、しかも委員長様から敬語を使われたんじゃ、寝覚めが悪い」

「そうですか、じゃあ上島くんも、僕を委員長様というのを止めて戴かなくてはいけませんね。僕の名前は委員長ではありませんから」

 怒っているのではなく、あくまで口の端を上げながら言われて、上島は返事に窮した。
「僕は、神楽千静といいます」
「知ってる」

 上島が言った途端、運動場で遠く歓声が聞こえた。どこかのクラスでは野球をやっていたらしい。バットを投げ捨てて走る打者に一瞬目を転じてから、上島は言った。

「敬語。直ってない」
 はたと神楽は気付いて、照れたように笑う。
「――ごめん。癖なんだ」
 神楽がそう言ったとき、上島は初めて素の神楽を見たような気がしていた。

「僕は、君のことを何と呼んだらいい?」
「好きなように呼べばいい。上島でも、何でも」
 くん付けされなければ何でも良かった。

「じゃあ、勇朔ってよんでもいいかな」
「――お好きに」

 もう一度、運動場で大きく歓声が上がった。形勢逆転したのか、生徒たちが手を叩いて喜んでいる。それを遠目に見ながら、上島は神楽のことを考えていた。変わった奴だ、と思った。

 あれ以来、長い付き合いになるが、何故あのとき神楽が授業をサボっていたのか、いまだに分からない。あのときのことがなければ、高校時代仲良くなることすらなかっただろう。


「―――さん、上島さん。起きて下さい。朝ですよ」
 上島は瞼を震わせた。カーテンを開ける小気味好い音がして、白い光が病室になだれ込む。上島はその光に応えるように、目を開いた。映ったのはまだ若い看護婦だ。

 まどろみながら僅かに身を起こして、台の上の腕時計を見ようとする。それを察して、看護婦が教えてくれた。

「八時ですよ。診察はまだなんですけど、お客様がいらっしゃったので、案内がてら」
 言うと、まだ頬の線が子どもらしい看護婦は笑う。
「お客?」

 上島は一瞬誰が来たのかと思ったが、昨日神楽が着替えなどを家に寄って持ってきてくれると言ったので、それだと察した。仕事に行く前に寄ってくれたのだろう、悪いことをしたと上島は思う。

「どうぞ。上島さん起こしましたから」
 会釈をして、看護婦は去っていく。しかし病室に入ってきたのは、神楽ではなかった。思わずぽかんと口を開ける。まだ上島は髪も寝起きのままで、およそ知らない人に会えるような恰好ではなかった。神楽ならいいかと思っただけだ。

辺りを不安そうに見回しながら入って来たのは、三十代も前半かというところの女性だった。思わず、部屋をお間違えでは、と喉まで出掛かる。

「あの……上島勇朔さん…でいらっしゃいますか?」
 名指しで訪ねて来ているのだから間違いはないのだろう。しかし、何故見も知らぬ人が、見舞いに来るのだろうか。上島は戸惑いながらも、はぁ、と頷いた。

「あの……私、上島さんが探偵だと、伺って……」
 蚊の鳴くような声で告げられて、上島は初めて合点がいった。仕事の依頼だと分かると、急に頭が冴え始める。

「どうぞ、そこにお座り下さい」
 ベッド脇の丸椅子を勧める。勧めたところで、病室のドアがノックされた。

 がらりと開けた戸から顔を覗かせたのは、神楽だった。
「あ、チセイ。今……」
 神楽に事情を説明しようとすると、神楽は承知している、というふうに頷いた。

「朝、勇朔の家に着替えを取りに行ったら、家の前で出会ったんだ。そうしたら勇朔を訪ねてきたというから、私がここだと教えたんだ」

 神楽が同意を求めるように女性を向くと、丸椅子に腰掛けた女性は神楽に見とれるように頷いた。
「じゃあ、勇朔。ここに着替えは置いておくよ。私はこれから仕事だから、お先に失礼します」

 神楽は荷物を置くと、女性に会釈してさっさと去って行った。上島には正直有り難かった。依頼主の用件を他者が聞いていては、依頼主に良い印象を与えない。きっと気を使ってくれたのだろう。

 改めて、依頼者だという女性に向き直る。
「すみません、起き抜けのだらしない恰好で非常に申し訳ないのですが。……着替えてきても?」

「いえ、そのままで結構です。それよりも、話を聞いて頂きたいのです」
 女性は、芯の弱そうな外見からは想像出来ないほどに、しっかりした意志を持っているようだった。

 上島はそれでは、お言葉に甘えて、とボサボサの髪型と、やたら病人くさく見えてしまう水色の患者服で、女性を見る。

「こんなに朝早くから押しかけてしまって本当にすみません、ただ一刻も早く解決して頂きたい問題だということをお分かり頂ければ幸いです。私、小笠原香乃と申します」

 女性は深々と頭を下げた。同時に長く艶やかな髪が肩から垂れる。少しウェーブのかかった栗色の髪は、朝の爽やかな陽射しに柔らかく反射した。

「冬馬郁子……さんの紹介で?」
 上島が尋ねると、香乃はええ、と伏し目がちになる。そして、暫くの沈黙ののち、香乃は、上島の方を、充血した瞳で見据えた。瞳に涙が盛り上がっている。

「私の夫を、お墓から掘り起こした犯人を、捜して下さい」

 朝の静かな病室に、声がこだました。
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