神降ろしの少女、最後の祈り

唯野晶

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雑踏の世界の無音の少女

雑踏の世界の無音の少女_2

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週末の繁華街は人で溢れていた。
買い物客や学生、家族連れなど、様々な人々が行き交う雑踏の中、拓真は一人ぼんやりと歩いていた。美咲と約束していた桜公園のカフェへ向かう途中だったが、まだ少し時間があったので、ミサンガのお礼をなんとなく探していた。目に留まった新しくできた大型ショッピングモールに入ろうとすると、さらに人の波が増した。

「相変わらず混んでるな……」

拓真は人混みを避けるように歩くペースを緩めた。人が多すぎると、時々「目」が突然覚醒してしまうことがある。今日はせっかくの休日だ。できればそんな目に遭いたくなかった。
彼は人の流れから少し外れた場所に立ち、スマホを取り出した。美咲からのメッセージがあるかもしれないと思ったが、画面には何も表示されていない。

腕に巻いたミサンガを無意識に指でなぞる。青と白の糸が彼の手首にしっかりと結ばれていた。不思議と心が落ち着く。このお守りがある限り、彼は一人じゃない。そんな気がした。
その時だった。

「―――――っ⁉」

突然、拓真の右こめかみに鋭い痛みが走った。同時に視界がぼやけ、焦点が変わる感覚。嫌な予感がした。今日は落ち着いて冷静でいられると思ったのに。なぜこんなタイミングで「目」が―――――

人々の周りに色とりどりの靄が見え始めた。赤や青、緑や紫。様々な色と形で人々の本質を示す霧が、拓真の視界に広がっていく。日常にまぎれた嘘や欲望、打算や嫉妬の色だった。

「くそっ……」

拓真は頭を抱え、目を閉じた。閉じても、まぶたの裏に色彩が残る。それは何をしても、どこにいても逃れられない呪いのようだった。
もう少し人のいない場所に行こうと目を開けた時、彼は異様な光景を目にした。

人混みの中に、「靄のない」少女がいた。

若い女性。十六、七歳くらいだろうか。小柄な体に長い黒髪。他のすべての人々が色とりどりの靄に包まれているのに、彼女の周りだけは何もなかった。空洞のように、存在そのものが希薄に見えた。

「あれは……?」

拓真は吸い寄せられるように足を踏み出していた。
人々の間をすり抜け、その不思議な少女に歩みを進める。なぜだろう。自分でも理由はわからなかった。でも、あの「靄のない存在」に、彼は強く惹かれていた。同時に、まるで以前どこかであの雰囲気に会ったことがあるようなどこか懐かしささえ感じた。
近づくにつれ、少女の姿がはっきりと見えてきた。制服のような服装をしているが見慣れない制服だった。このあたりの学生ではないのだろうか。周りの人々は、まるで風景の一部のように彼女の横を通り過ぎていく。視界には入っているはずなのに、誰一人として彼女の虚ろな様子や、ふらつく足取りに注意を払う者はいない。

最も印象的だったのは少女の目だった。

虚ろだった。何かが欠けているような、焦点の定まらない瞳。まるで魂が抜け落ちたような、生気のない表情。
拓真が数メートル先まで来た時、少女はゆっくりと彼の方を向いた。その動きは、まるで操り人形のようにぎこちなかった。

「大丈夫か?」

拓真は思わず声をかけた。反応がない。

「……具合、悪いのか?」

もう一度声をかけるが、少女は何も答えなかった。ただ拓真を見つめるだけ。でも、その瞳には少しずつ光が戻ってきているようだった。

「見つけて……くれたの?」

かすれた声で少女が言った。まるで長い間、声を出していなかったかのような響きだった。

「何言ってるんだ?それより大丈夫か?ふらついてるみたいだけど……」

拓真は首を傾げた。

「みんな……避けるのに……」

少女の言葉は弱々しかった。彼女は自分の手をじっと見つめ、それから再び拓真を見た。彼女の目に、わずかに感情の色が宿り始めていた。

「お前、顔色悪くないか?あ、喉……何か飲むか?そうだ――――」
「麻衣!」

突然、怒声が響いた。
振り返ると、二十代半ばくらいの男性が少女に向かって駆けてきた。彼の周りには濃い緑色の靄が渦巻いていて、その中には警戒と焦りが見えた。背は高く、肩幅が広く、引き締まった体躯からは鍛錬の跡が窺えた。黒いスーツを身に纏っているが、その質素な服装からは、どこか古風な厳格さを感じさせた。

「何してるんだ!勝手に歩き回ったら危ないだろ!」

男性は麻衣の腕をつかみ、彼女を引き寄せた。その瞬間、麻衣の目から再び光が消えかけた。

「おい、そんな乱暴にするなよ!」

拓真は思わず口を出した。

「彼女、具合悪そうだぞ」

男性は拓真を見て、眉をひそめた。

「君は誰だ?この子に何か用か?」
「いや、ただ……彼女がふらふらと歩いてたから、それにぼーっとしてたから声をかけただけだ」

男性は麻衣をしっかりと支えながら、拓真を警戒するように見つめた。その目は鋭く、まるで獣のような警戒心を感じさせた。しかし同時に、そこには疲労の影も見え隠れしていた。麻衣を守ることに、全神経を集中させているようだった。

「ありがとう。だが彼女は大丈夫だ。少し特殊な持病があってね。このままにしておくと危険なんだ」
「持病?」
「詳しく説明している時間はない。彼女はすぐに連れ戻さなければならないんだ」

男性は丁寧だが、明らかに拓真を遠ざけようとしていた。

「彼女は大丈夫なのか?医者に見せた方がいいんじゃ……」
「心配はいらない。私が彼女の世話をしている者だ」

男性は冷たく言い放った。

「麻衣の状態は特殊でね。普通の医者では対応できないんだ」

男性は麻衣の手を引き、人混みの中へ戻ろうとした。

「行くぞ、麻衣」

麻衣は連れて行かれる前に、一瞬だけ拓真の方を振り返った。その目には、かすかに意識の光が戻っていた。唇が小さく動く。

「ありがとう……見つけてくれて……」

そう言ったように見えた。男性は麻衣を引き連れ、人混みの中に消えていった。二人の後姿を見送ったあと拓真はしばらくその場に立ち尽くしたままだった。

「あの子、何だったんだ……」

拓真の頭の中には、麻衣の虚ろな目と、彼女の言葉が残っていた。
――――見つけてくれたの?
――――みんな避けるのに
その意味は分からなかったが、言葉以上の重みがあるような気がした。
そして何より不思議だったのは、彼女の周りに靄がなかったこと。拓真の「目」が覚醒している時、人間なら必ず何らかの靄が見えるはずだった。だが、麻衣の周りだけは何もなかった。こんなの初めてだった。
でも、違和感と共に、どこか懐かしさも感じた。二年前、目、白い布を持った人の女性……。

「拓真!」

遠くから呼ぶ声に、拓真は我に返った。美咲が手を振りながら陸上部らしく颯爽と走ってくる。

「ごめん、ちょっと遅れちゃった」

美咲は少し息を切らしながら言った。

「もう、待ち合わせ場所にいないからびっくりしちゃったよ。待った?」
「いや、今来たところだよ」

拓真は嘘をついた。麻衣のことを話そうかと一瞬考えたがやめた。まだ何が起きたのか整理できていなかったし、美咲を心配させたくなかった。

「どうしたの?あっちに何かあるの?あのお店入りたいとか?」

拓真の表情を見て、美咲が心配そうに尋ねた。

「ううん、何でもない」

拓真は努めて平静を装って頭を振った。美咲の心配そうな顔を見ると、胸がちくりと痛む。嘘をついている罪悪感と、得体の知れない出来事を共有できない孤独感が、ずしりと重みを増した。

「カフェ、行こうか」

美咲は少し怪訝な顔をしたが、それ以上は問わずに頷いた。彼女の屈託のない笑顔が、今は少しだけ眩しく、そして遠く感じられた。二人は桜公園の方へ歩き始めた。
だが、拓真の頭の中はまだ、あの不思議な少女のことでいっぱいだった。彼女は何者なのか。どうして靄が見えなかったのか。そして、彼女が言った「みんな避けるのに」とはどういう意味なのか。
答えのない疑問が、隣を歩く幼馴染との穏やかな時間の中に、不穏な影を落とし始めていた。心地よい陽気とは裏腹に、拓真の心は重く沈んでいた。
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