彼女はこのあと、僕がおいしく頂きました

なしひと

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13.八十の目と四つの目が合う

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 まっすぐにA組へ向かうなんて愚行を、もちろん浮月さんは犯さない。自身のクラスであるE組に向かうという愚行を犯しかけた僕の襟首を掴んで、彼女は言った。

「先に部室へ行きましょう」

 僕らは靴だけを昇降口で履き替えて、A組を遠方から監視できる四階へと、特別棟を登っていった。ホームルームが始まるまであと半時間ほど。まだ校内にも生徒の数は少なくて、たまに朝練を終えたばかりらしき部活生が目に入る。

「ひとつ疑問なんだけどね、浮月さん」
「何ですか星田くん」

 階段を昇りながら、僕は多少の真剣さを滲ませて、昨日から気になっていたことを尋ねてみた。

「僕らは白地さんを含めたA組のみんなを助けるべきなのかな」

 つまり僕らが『普通』であろうとするなら、周囲にある『普通』を迫りくる『異常』から守り抜くことこそが、『普通』の側に居座るための義務なのではないか。

「とは言いますけど、」首を傾げる。「『異常』側にすでに取り込まれてしまった白地さんなんて、もはや『普通』には戻れないでしょうから」

 はっきり言えば、浮月さんの指摘は良い点を突いている。だからこそ昨日までの僕は、白地さんが拷問されることを止めようとも思わなかった。何故なら彼女はすでに自クラスで虐殺を行う程度にはこちら側で、そんな扱われ方も当然、なんて感じていたから。

 しかし改めて考えてみると少し引っかかる。その違和感を言葉にしようとすれば、こうだろう。

「『普通』と『異常』の境目を、僕らが勝手に決めて良いのかな」
「それは」確かに、と。浮月さんは顎に指を当てた。

 人を殺したから『異常』であると判じるのもどこかおかしな話で、僕らの恣意的な基準に基づく自警断罪は恐らくただの私刑だ。

 何より僕らは、そんな勝手な自他線引きの傲慢さをよく知っている。

「星田くんの言う通り。まさしくそれは、普段から私たちが受けている迫害の形です」

 口を開きかけた僕を遮って、しかしですね星田くん、と。

「彼女たちはまだ『普通部』に入っていません」
「……つまり仲間でないと?」
「違います。『普通』を志していないということです」
「それが『異常』として切り捨てられる根拠になる?」
「……私はそう割り切りますけど、」星田くんはあまり納得できないみたいですね、と。

 その指摘通り、僕は浮月さんの言葉に首を傾げたままだった。しかし浮月さんもそんな僕に、あえて説得を重ねようとはしなかった。それは彼女にとっても、自説に根拠のない証に見えたというのは流石に、僕の性根の歪みが原因かもしれない。

 この話題を早々と打ち切ろうとするかのように「それより、」と浮月さんは続けた。

「私も星田くんに尋ねたいことがあったんです」
「僕に?」

 何だろうと思う間もなく。

「星田くんは白地さんのことが好きなんですか?」
「……」

 その件につきましては鋭意前向きに検討中なのですが、詳しい進行状況に関しての解答は控えさせていただきたく。

 説得力が抜け落ちるほどの沈黙を経て、それでも。

「どうだろう?」いや、本当に。
「脈ありですか?」
「わからないよ、」僕は人食い鬼で。「向こうは人間だ」
「白地さんがまだ人間かは疑問の余地もありますけど」

 それは図らずも結局、先の話に通じる問いへ立ち返る形となってしまった。

「少なくとも白地さんは人間として育ってきたはずだし」

 そうやって出自を言い訳に他人からの距離を稼ごうとする僕の態度を、しかし浮月さんが許すはずもなく。

 星田くん、と。

「私は白地さんの気持ちじゃなくて、星田くんの気持ちが聞きたいです」
「やっぱりわからないよ」
「……星田くん」と、ため息混じりに。

 されどどう思ったのかそれ以上の追求はなかった。

 会話が途切れた気まずい無言のまま、僕らは四階へとたどり着いてしまう。

 向かい校舎の側壁からA組の窓を探す。つい昨日、真っ赤な手形で遮られていたその窓は、やっぱりいくら拭き取られてもここまでにはならないだろうと思えるくらい綺麗になっていて、『死体消失』なんて非現実めいた法則の存在が改めて実感される。

 そしてその内側。

 あら、と浮月さんが声に出した。

「これはまっすぐA組に行かずに正解でしたかね」
「……まったく」同意せざるを得ない。

 A組は全員、すでに登校を完了しているらしかった。

 それだけなら別段、違和感もなかっただろう。

 されど窓越しに覗き込める他の教室がほとんど無人であるのに比べてしまえば、それはどう頑張っても見過ごし得ない程度には異様な光景だった。どうして全員なんて断言できたかといえば、今が授業中でないにも関わらず、彼らは各々の席に座って熱心に、机の少し上の虚空を見つめていたから。理屈としては座席が全員分埋まっているのだから全員来ているのだろうという大雑把なもので、この距離では顔までの確認はできなかったけれど、恐らくその中には白地さんもいるのだと思う。空席があれば余程目立つだろうし。

「僕らが素直に出席するのも、むざむざ殺されに行くようなものっぽいね」
「少なくとも白地さんは私たちが同学年と把握してるでしょうし」

 念を入れるなら部室もダメだろうということで、早朝のうちに下校することを浮月さんは提案した。

「向こうを監視しなくてもいいの?」
「彼女たちが行動するなら放課後だと思いますから」

 きっと出直しても十分間に合います、と。

 確信が滲む浮月さんの言葉に、しかし僕はなおさら首を傾げた。

「どうして?」
「ひとつには、今のところ事件は放課後にしか起こっていないから。加えて彼女たちに課せられたルールは、死体を隠しはしますが、その消失が補填されるのはどうしても翌日になる模様だからです。これって結構不便なことだと思いませんか」
「翌朝にならないと新白地さんが出現しなかったように?」
「はい。だからこそ彼女を殺した誰かも、また彼女自身も、今のところは放課後にしか行動していないのだと思います」

 なるほど、と僕は頷く。朝から誰かを殺してその相手が消えてしまえば、それは単なる行方不明だ。運良く無断欠席として処理されるにしても、記録には残ってしまうだろう。

「彼女たちにとってもそんな事態は、出来る限り避けたいことだと思われます」
「そう、かな?」

 向こうが形振りかまってられない状況なら、学校全体にその存在を知覚されようと気にしないんじゃないかという感もある。

「少なくとも私が向こう側ならそう考えます。学校の外側から『異常』を検知してやってくる相手へと立ち向かうには、まだまだ戦力が心もとありませんから」

 僕は視線を上げて浮月さんを見た。

「外側?」
「『異常』に対する『抑止力』です」

 ……。

 それはつい昨日、聞いたばかりの単語だった。知らなかったんですか、と首を傾げられる。

 ここで迂闊にも知っているなどと頷いてしまえばデインズさんとの関係を口に出さねばならず、そうなると知り合いが『抑止力』であり、しかも知らないうちに僕もその一員であったらしいといった旨を話す流れは避け難く、その結果として予見されるお叱りの総量は、原稿用紙三頁分に収まればまだマシかという程度。いやもちろん、だからというわけでもないけれど。

「寡聞にして」と、僕は嘯く。
「あら、運の良い」

 そんな呟きを皮肉抜きに漏らした浮月さんの説明によると、それは『普通』な人間の側が大手を振って歩き、『異常』な異形の側が正体を隠して生きる原因であるらしい。正直昨日の件からすれば、彼女の認識ほど力のある組織であるのかについては多少疑問だったけれど。少なくとも彼女はそういった説明をした。

「一度だけ、彼らのやり方を噂に聞いたことがあります」

 その『異常』は天狗であったという。天候や他人の寿命を自由に変えるほどの力を持っていた彼を殺すために、『抑止力』は彼と親しかった人間を一人ずつ殺していったという。

「天狗が自害しなければ、このまま村の住人を殺し尽くすと脅したそうです」
「……」

 晴れて天狗が死んだ暁には、『抑止力』は自身らが犯したすべての罪を自害した彼一人になすりつけたという。

「その事件の死者数は三十人。世間では日本史上最悪の殺人なんて呼ばれていますが」

 実態は『異常』と『抑止力』による武力衝突の顛末であったらしい。

「……」

 黙り込んでしまった僕に、浮月さんは続けて。だからこそ、白地さんらとて存在をおおっぴらに行動し始めるのは本当に最後の手段だろう、と。

「彼女たちの特性のメリットは隠密性です。誰にも気付かれずに殺した相手を姿形は同じまま、仲間内へと引きずり込んでいく。ならばそれを生かさない手はありません」

 ……。

 その言葉で僕は、あまり気付きたくもなかったことに気付いてしまった。

「なら今、そのルールを知った上に白地さんを拷問しようとした僕らは」
「はい。抹殺対象リストにワンツーだと思います」

 ふと僕らはA組の方の窓を見た。

 四十人分の視線がこちらへと向いていた。

 八十の目と四つの目が合う。むろん数は合わない。

 どれもが特別な感情もなく観察しているような瞳の中、白地さんのそれだけは射殺すような憎しみを抱えていて、その視線の先は僕ら両方ではなく、浮月さんだけへと向けられていた。

 ……まぁ、あれだけやれば。ねぇ?

 舌打ちが一つ聞こえて、そちらへと振り向いた先の浮月さんは中指を立てかけていて、僕に腕を抑え込まれる。

 向こうからもギリギリ見えてしまった気がする。

 返答のつもりなのか、白地さんが親指を(社会性フィルター)。

 双方嫁入り前なのに、と僕のうちで嘆かれるものは少なくない、なんて。

 どうしようもなく無力な僕は、それでも出来得る限りの平静さを装って。

「こっちに気付いても襲ってくる様子はないみたいね」

 だからやはりその行動は放課後限定なのだろう、と。

 一方、傍らの淑女(皆伝)は、僕に掴まれた右手は抗うように力がこもって震えたままで。

「彼女らが何をするにせよ、私たちの安全が優先ですので」

 今日の授業はサボっちゃいましょうか、と笑った。
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