彼女はこのあと、僕がおいしく頂きました

なしひと

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38.僕は人間になりたかった

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 白地さんと別れて自宅へ帰り着いても、未だ早朝と呼んで良い時間帯だった。今から寝る気にはなれなかったし、もちろん登校するつもりもさらさらない。

 砂音はあのまま始業までの時間を潰すと言っていたから、少なくとも放課後にならなければ帰ってこないはずで、つまりしばらくの間、この家には僕一人きりの予定だった。

 ようやく誰にも見られない場所へと来られたことへの安堵が湧き上がり、靴を脱ぐのも待たずに深呼吸する。

 まだ解かない。心に巻きつけた鎖の端を手放さない。せめて自室までたどり着いてからと思っていた足元の廊下に雫が垂れる。雨漏りかと見上げた天井は二階の床材で、目元を拭えばそれは僕の涙だった。

「あ」

 嘘になってしまうと、とっさに思った。今泣いたらその涙は偽善になってしまう、と。唇から血が滲み出すほどに、噛み締める。力の加減を誤り千切れかけて、別の理由で涙が出そうになったけれどそれも堪える。

 さて。

 行き場を失った感情の塊がざわざわとした感触のまま喉奥に残っているのがわかる。どれだけ理性で割り切ろうとしたところで、生まれてしまった分の熱量はどこかに吐き出してしまわねばならないわけで。

 台所から、僕秘蔵の大吟醸一升瓶とグラスを持ってきて居間のテーブルに広げる。

 やっぱり流すなら涙よりアルコールでしょうとは僕個人の経験から。

 いい値段する液体をコップの縁までなみなみと注ぎ、ひと息に仰ぐ。

「……かっ」

 一杯目から年齢的な無理が来ていて、喉を焼くほどの熱さに思わず咳き込む。下唇の歯型に空いた穴が意味なく消毒されて染みた。しかし値段分の香りが後から追ってきて、すぐ気にならなくなる。

 二杯目。

 今度は一口ずつ、ゆっくりと押し流す。頭が馬鹿になるまで飲むつもりで、元がゼロならマイナスに割り込むのだろうかと不安になってみたり。

 三杯目。

 この辺りでようやく酔いが回ってきて、時計を見れば朝の七時半。学校を休んで朝から飲んだくれているのだから、もはや不良というより社会不適合者だなと思いつつ。

 浮月さんのことを少しだけ思い出してみる。

 死ぬほど吐きそうになって。グラスを飲み干し、テーブルの冷たさにこめかみを当てた。

 傍から見れば余程頭の悪いことをしていると思った。何とかさんへの手向けでも懺悔でもなく、所詮アルコールの力を借りなければ自身の愚かさに向き合えないに過ぎないのだから。

「……」

 乗り換えた、なんて言葉が浮かんだ。地獄行きの浮月線から現状維持の白地線へ。

 くだらなさ過ぎて笑い出してしまう。

 一度吹っ切れると止まらなくて、けたけたと咳き込むほどに笑い転げてしまった。

「ばーか!」

 天井に向かって叫んでから、いつの間にか畳の上で寝転がってしまっていたことに気付く。

 がらんとした無人の家屋に僕の声だけが響き渡り、途端、家族が消えた日を思い出す。

 寂しさがヘドロのように胃から湧き上がってきて、それはやっぱりただの吐き気でしかなかった。唾液で無理やり飲み下す。胃酸臭いあくびを交えて、ついでにニヒルっぽさを意識しながら呟いてみた。

「……また一人になっちまったぜ」

 自分に似合わなさ過ぎて、また意味もなく面白くなってしまった。

 僕、面白い。

 七杯目。

 生き残るために足掻いて何が悪いと叫ぶ。

 憧れの人を切り捨ててでも命にしがみついたんだと叫ぶ。

 だって仕方ないじゃないか、『普通』じゃないんだからと叫ぶ。

 生まれた時から迫害され恐れられ忌み嫌われる運命にあった僕らの痛みがと叫ぶ。

 お前ら『普通』の人間なんかにわかってたまるかと、

 叫ぶ。

「……」

 コップに注ぐのも面倒で瓶から直接一気に仰いだところ、体感で一杯分も喉を落ちないうちに酒が尽きた。買い置きもこれ一本だから、もう飲めるものはない。

 ふと思い立って空になった酒瓶をテーブルに叩きつける。割れなかった上にテーブルの方がへこんだ。もっと硬いものはと辺りを見回し、目についた自身の左腕に叩きつけたら、そこそこの激痛の代償にようやく割れた。

 先の尖った瓶口を喉元へ。

 突き刺せば血が流れてそれが飲めるという冗談のつもりだったけれど、自身で飲むにはいくらなんでも喉元の穴は不便極まりないことに気付く。

 まぁどうでもいいかと、死ぬつもりで。

「……」

 結論から言えば、僕は死ねなかった。

 いざその瞬間を想像した途端、指先は震えて瓶口を取り落とし、気付けばみっともなく声にならない叫びを発しながら畳の上を転がっていた。

 転げた拍子に切れた手首から血が滲み、点々と視界を汚す。

 ガタガタと極寒の中にいるかのような震えと恐怖が相まって、何もわからなくなる。

 酒焼けした声で、死にたくないと呟いていた。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 僕は死にたくないと声ならぬ声で叫んでいた。

 僕は早く死にたいと吐息混じりに囁いていた。

 僕は人間になりたかった。

 僕はみんなに愛されてみたかった。

 そう叫んでいた。今も今までも、ずっと前から。

 きっと死ぬまで。

「……」

 やがて歪みきった視界が急に暗くなり、何かと思えば単に瞼を閉じただけだと気がつく頃にはすでに。僕の意識はどこか暗く冷ややかな場所へと、静かに飛び立とうとしていた。

 夢の行き先が地獄だったなら、激おこ浮月さん(悪魔)に会えるかもなと思った。

 未成年の飲酒はすごく身体に悪いんですよ、なんて。
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